初めは、この返済猶予法案は難しいだろうとみていたマスコミなどの観測を尻目に、
あれよあれよのうちに成立しそうである。4~5年前とは180度違う様相になってきた。
アメリカの都合の良い基準に強制されて弱った会社を整理するのが金融庁の役割で、
徹底的に弱者切捨てを指導してきたのが、今度はこれである。
 去年の9・15から、日本では恐慌が静かに深く浸透している。これを前提に考えないと、
この法案がアッサリと成立する流れになったことが理解できない。 
だから、先々週の土曜日の亀井静香と、TV側の学者との認識の差になるのである。
輸出入ともマイナス40パーセント減は現在も続いているし、メーカーなどの現場は三分の一か、
良くて二分の一の稼動率は今も変わってない。政府が十数兆円の景気刺激をしても、現場サイドの声は
「何時まで続くか知れたもの。回復の兆しなど全くない」としか、聞こえてこない。
弁護士などから入ってくる話といえば、「来年の2~3月に、持ちこたえられない会社が一挙に崩壊する
可能性がある」である。 等々を考えると、これは亀井静香が強引に進めている法案というより、
「この対策をしないと、恐慌から大恐慌に移行する可能性がある」と捉えてよいのではないか。
また、これは地銀以下?の当面の救済にもつながる。それだけ日本経済は弱体化している。 特に地方は。
更に民主党が掲げて実行を始めるマニフェストで地方の公共事業のストップは、景気の落ち込みに拍車をかける。
自民、官僚、ゼネコンマフィアなどの構造汚職体質を破壊する反面、弾き出された失業者が増加する。
その直撃を受ける中小・零細企業に対しての受け皿の法案という面もある。
何度も書くが、2001年の9・11テロから右下がりになり、何とか輸出で持ちこたえていた日本経済も、
去年の9・15のリーマンショックで、大打撃。 何とか緊急の資本注入も、あと数ヶ月で力尽きようとしている。
それを今度は下から支えるのが、今度の法案である。 設備投資産業にとっては神風である。
当方は、それでも新潟駅前再開発があるので、法案が成立しなくとも何とか切り抜けられそうだが、
もし再開発が無かったら、この法案は神風になっていたはず。

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2747, 仙台視察の二日間ツアー? に参加して
2008年10月12日(日)

 商店連合会の仙台市の商業事情の視察バスツアーに参加してきた。
これまで地元の名士様と群れるのをタブーにしてきたが、全て無料と、仙台が一極化で顧客を集めているのを
ニュースで見ていたこともあり、有難い誘いと参加してきた。 時系列に日程と概要を書いてみると・・・
 28人乗りの中型観光バスで、総員17名で、まずは牛タンの専門店で昼飯を食べ、仙台の商工会議所に訪問。
仙台の実情を聞いた後に、駅周辺の繁華街を見て周り、一度ホテルに戻って、18時から宴会。
2時間飲んだあとは、30分ほど飲食ビル街を散策後、国分町のトアル店に入る。少し高級そうで
6千円位の店と思ったが、「うちは飲み放題で4500円よ!」と言われ安心して、ダブルの氷割りを5〜6杯を飲む。
客種は背広族のエライさんみたいな人たちばかり、二時間ほどいたが、一ゲンの客二人に最後までママが相手をしてくれた。
仙台の夜の雰囲気を味わってホテルに戻り、ベッドで熟睡。 翌日は一次会・二次会と飲んだ割りに二日酔いはない。
バスは運動量が多いからアルコールを吸収・消化しているのだろう。
 翌朝は仙台駅から飛行場への直通アクセスの電車に乗る。20分あまりで便利でよい。
その後、一月前に出来たばかりのアウトレットの専門店が120軒集まっているSCへ行く。
あか抜けをしたセンスのよいSCである。 何気なくみている内に、ビジネス鞄と柄物のシャツを衝動買い。
鞄は6万円の半額だが、一目みて気に入って購入。 少し高そうなジャケットも買いそうになったが、止めた。
昼飯は昼飯代と貰った1000円で、マグロ丼を食べたが、丼の中身の半分がマグロの刺身でビックリ、中トロが多くて大満足。 
帰りのバスでは、一番前の座席に座って缶ビールを三本飲んでしまった。 新潟に泊まろうと思ったが、
缶ビールのお陰で?里心がつき、真っ直ぐ帰る。 これが、今回のアラスジ。
 土産など買ったことがないが、今回は、仙台の『萩の月』を買って帰る。
 仙台は東北6県の首都化のため、土地が大きく値上がりしていることは聞いていたが、駅近くの商店街も、
周辺からの顧客で賑わっていた。 仙台の町内会の連合会の会長の鼻息に、なるほどと感心した。
しかし、バブルの反動と、いずこも同じ郊外の大型SCの影響は、いずくも同じである。
町内会の会合や、連合の寄り合いには参加したことがないので、旦那様的な雰囲気の中で、ただただ大人しく?していた。 
一言一言が、私の常識からかけ離れた言葉の中、40年前の世界にタイムスリップした感覚。
それはそれで立派と感心してしまった。今回、iPhoneを持っていって、株の暴落をリアルタイムで知ることが出来、
ベンリなものだと再認識した。それより、頭は世界恐慌になるかどうかの瀬戸際、視察より、そのニュースが
気になった二日間であった。

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2007年10月12日(金)
2383, 私の嫌いな10の人びと −2
                 中島 義道 (著)       ー読書日記
まずは、この本をダイジェスト的に書いてある最終章をコピーしてみる。
「世間の感受性に漠然と合わせて、無批判的に従っている人が嫌いで、自分の固有の特性に基づいて
考え抜き鍛え抜いているかが決め手」というが、哲学者じゃあるまいし、殆どの人間は目の前、生きることに精一杯のはず。
この哲学者にかかったら、世の中の大部分の人は嫌われる対象になる。しかし、その辺の「世間人」を見ると、そうだそうだ!
と肯いてしまう。自分の弱さをしりつくしている我が身は、大多数の中で自分だけは違う!
と心の奥で呟いているだけでしかない。 好き嫌いはその人の固有の問題だから気にすることはない。
ーー
私は本書では、むしろ大部分の現代日本人が好きな人、そういう人のみを「嫌い」のターゲットにしたのです。
それは、さしあたり物事をよく感じない人、よく考えない人と言うことができましょう。
「よく」とは自分固有の感受性をもって、自分固有の思考で、という意味であり、ですから世間の感受性に漠然と合わせている、
世間の考え方に無批判的に従っているような人は嫌いだということ。すぐさま反論が出そうですので、さらに説明しますと、
・感受性において、思考において怠惰であって、勤勉でない人、
・「そんなこと考えたこともない」とか「そういう感じ方もあるんですねえ」と言って平然としている人、
・他人の感受性を漠然と自分と同じようなものと決め込んで、それに何の疑いももっていない人、
・他人が何を望んでいるか正確に見きわめずに「こうだ」と思い込んでしまう人です。そのさい、その人の喋る言葉が鍵となる。
・定型的な言葉を使って何の疑問も感じない人。
・自分の信念を正確に表現する労力を払わない人。
・周囲から発せられるその時々のサインを尊重せず、自分の殻(安全地帯)の中に小さく閉じこもってしまう入。
( 字数の関係上、カットします−2008年10月12日)
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2006年10月12日(木)
2018、「私」のための現代思想  −10
                           
「『孤独』とともに『自由』が発生する」の極みは一人旅であろう。
そういえば自由は孤独の極みにあった。過去を振り返ってみて、孤独の極みのときに一人旅に出ていた。
そして結婚と同時に自由は狭まり、孤独(感)も激減した。互いに首輪をつけて紐を握られ、握ってしまったからだ。
「自由になりたい」というが、自由ほど厳しいものはない。自由にはまず「個の確立」が要求されるからだ。
 <他者>了解不可能性というが、これは同時に<自己>了解不可能性になる。
 「誰も自分を理解してくれない」と、悩んでいるとしたら、それは悩んでいること自体が、無知からきている。
  もし誰かに「理解してもらっている」と思ったら、一時的な妄想を抱いているだけのこと。
 いい歳をした男どもが、群れているのをみると気の毒になる。程度と比較の問題で、誰もが群れなければ生きてはいけない
 ことも事実・・  それも人生だが!孤独の人ほど、それが人間の自然の姿である。孤独とは、他者と一線を画すこと、
「自らの分」を他者と画すことである。 和して同ぜずの精神である。 和して同じたとき自由が狭まる。
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第四章 「私」にとって「他者」とは何か−?
     ー孤独と自由ー
「存在する」が「存在者」という「かたち」をとることによって、何が発生するか、レヴィナスは「孤独」が発生すると言います。
「私」は<他者>の「声」の存在を通して「境界」の存在を察知するのみです。 その境界の中で芯としての《私》に気づきます。
自分の外部が存在し、そこに<他者>が存在するのですが、それは<他者の了解不可能性」のよって推測されているに過ぎない。 
このとき《私》は、入り口も窓も無い「閉ざされた部屋」の中にいることを知ります。 これがレヴィナスのいう「孤独」です。
その部屋の中で、《私》はいろいろな概念をつくります。 なに不自由なく暮らすことができます。
しかし、親も子供も、友人も恋人も、そこに「存在しているように」見えるのですが、それは単なる「映像」でしかありません。
彼らは全て<他者>であり、それは恐らく壁の向こうに側にあるだろうとしか思えません。
境界が発生することによって、「孤独」とともに「自由」が発生します。「存在する」ということを「液体である」
という状態にたとえるなら、そこには「自由」は存在しません。なぜなら、それは「全にして一」の存在であり、
動きは取れない状態。どのような場合に「自由」が存在するのでしょうか。それは境界によって他と仕切られた状態になった時です。
それは「孤独」の別名でもあります。その時《私》は居場所を決めることができるのです。つまり、自由とは「個別である」
を前提としているということです。このイメージは、「存在」という海の中で、結晶化した「存在者」が、
孤独に浮かんでいるというようなものです。
境界を「外側から」規定するのが<他者>であり、「内側から」規定するのが「超越確実言明」ということになる。
この境界の範囲が「自我の範囲」であり、それを内側から支える行動(言語行為)によって維持されています。
ー《私》による「境界」の維持ー
 境界は《私》によって維持される必要があります。《私》は「正しい居場所」を求めてこの世界を移動しますが、
 そのとき境界は、積極的に守られる必要があるということです。
 それを達成するのが、ウィゲンシュタインの「超越確実性言明」です。
 境界を「外側から」規定するのが<他者>であり、「内側から」規定するのが「超越確実性言明」になります。
ー<他者>了解不可能性ー
 私たちは<言葉>によって他人を認識するわけですが、その際の認識とは他人を制御するという目的のもとで行われます。
 私たちは<言葉>という道具によって、ある人の像を自分の内部に写しとりますが、写し取られた時点で、
 それは《私》がつくり出した像」となり、他者とは違ったものになります。
 それは、制御するという目的の元で「認識」した像だからです。それは「他なるもの」ではなく<私>に属するもんです。
<他者>と<他人>とは違うものです。私たちは<他者>を直接的に認識することはできません。
 これを<他者>認識了解不可能性」と呼びます。
ー死者を「なでる」という行為が意味するものー
 私たちが生きる「一回性」の人生は(一回しか発生しえないという意味で)「奇跡の連続」ですが、
 最後には「必ず繰り返される現象」が存在しています。それが「死」です。
 一回性の人生を生きるということと、必ず繰り返される死の間には、整合性が存在しません。
 したがって、人は「死が必ずくること」を棚上げにしていく他はない存在である。
 私たちは「死を領海することができない」ことによる「回避的処置」です。
 私たちは、身体を持たされて、この世界に投げ出されている存在ですが、その「向こう」にある何かを感じることも、
 知ることもできません。 自分の愛する者に死が訪れても、その「身体」は、物質として、まだそのままそこに
 存在しています。しかし、「死」に遭遇しても、 その「何か」(=<他者>)の不在を、私たちは知覚できません。
 撫でればそこに存在していることを何度も確認しながら、そこに「存在する」
 何かの「不在」を次第に受け入れていくしか他ないのです。
 私たちは、それに届こうと努力します。それが「なでる」という行為です。とても切ない行為です。
 なぜなら、「決して到達しえないものに到達しようとすることであり、決して了解しえないものを
 了解しようという行為である」からです。
 ーー
後記)亡くなった旦那や親を、火葬場の最後の場面で撫でている場面を何度も見てきた。
深い本人も知らない何かが、あることは解っていたが、その意味の一端を知らされた。
愛する人の最後の最後の別れである。その別れは自分自身との別れでもある。 
                   Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.bye       
 ・・・・・・  
 2005年10月12日(水)
1653, 北イタリア旅行記−4
字数の関係上、カットします−2007年10月12日
 ・・・・・・・
 2004年10月12日(火)
1288, 「閑」のある生き方ー読書日記 −2
11章の「今ココに」の心得が含蓄が深いので抜粋して、そして考えてみる。
  ーー
・ー現在只今の自分を全肯定できること、これが人間として達しうる究極の境地である。
 そこに達すれば現世の中で翻弄されている最中でも平然としていられるのだ。
・「今ココニ」は過ぎ去っていくのではなく、自分が生きている事実がつづくかぎり同一のものとしてあり、
 しかもそれがただち永遠につながっていることが、次第にわかってくる。
 それは心の時間というべき状態である。 鈴木大拙はそれを「零=無限」として、こう言う。
 「空」は空間の義に思い違えられるおそれがある。それで仏教者はいつも
 その弁明に悩まされるが、存在といえば、いつも空間の存在の義に考えられ、時間を入れない。
 しかし実際は空と時とを分けるわけにはいかないのである。空と時を合わせて「一念」というほうがよい。
 hereーnow が、それである。(略)とにかく、「空」を時の上から解釈して、「即今」という。平たくいえば、
 ーただいまーである。 「空」がわかるというのは、その「ただいま」がわかるという意味である。
 「ただいま」を手に入れなくてはならぬ。この「ただいま」を無限そのものだと悟るとき、零すなわち見元の式が成立する。
 アッというこの一瞬が直ちに無限の時間そのものであると気のつくとき、東洋思想の根底にふれることができる。
                                   鈴木大拙「東洋的な見方」岩波文庫
 「今ココニ」を丸ごと心で把握するなら、そこにはあとに残る過去も先に待つ未来もなく、ただ永遠の今があるだけと
 いうことに気づく。空間が時間であり、時間が空間であり、その空間とも時間とも名付けられぬ絶対の現在がある。
 それが生きている場である。そこから見れば、物差しのような時間観念はただ外にある人工的尺度にすぎない。
 我々にあるのが「今ココニ」だけであると同様、二千年前に生きたセネカエピクロスにも在るのは「今ココニ」だけである。
 だから現在の自分とセネカは「今ココニ」というところで一つになる。これが人間の生きる時間の面白いところで、
 過ぎ去っていく時間という観念から自由になれば、人は永遠の時の中に行き始めるのだ。
 −−−
 以上であるが、この随想日記の過去分を読んでみると数年分の同月同日の「今ココニ」に、毎日出会っていることになる。
 いや36年前の日記の自分の今ココニとも同じことだ。その意味で感情を文章に込めて書くことの重要性の意味が納得できる。
 気持ちを込める、魂を込めるということは、現在の今ココニに現世を 超越した永遠の世界に入っている事になる。
 「茶道」の世界に「一期一会」も、「今ココニ」の世界である。 その瞬間こそ、自分に生きていることになる。
 ーーー
 ー「閑」のある生き方ー
    著者 中野孝次 発行元 新潮社  2004年10月3日長岡中央図書館

・・・・・・
003年10月12日(日)
921, アイスランド旅行記−1
 ー2003年 10月4日〜10日 
  ーアイスランドという国とは ー
直行便がアイスランドに初めて出発するという新聞広告をみて、急に思い立ってアイスランドのツアーに参加をしてきた。
行って解ったことだが、今年から捕鯨を開始をしたアイスランドに対して欧米の観光の予約のキャンセル相次いだという。
その穴埋めということで国をあげての企画であった。9月27日、10月4日、10月11日とそれぞれ240名、
合計720名の満員の大盛況。何か秘境?に行った感はほとんどなかった。
もちろん直行便はよいが、乗り継ぎで現地の人の間に好奇の目にさらされて行くから面白いのだが。
乗り継ぎのエネルギーも大変だから贅沢は言ってられない。アイスランドと聞けば「氷と火の島」というのが印象である。 
一般的には『それってどこにあるんだ』ってことである。この国の位置はイギリスと北極点の丁度中間に位置している。
大きさは北海道と四国を足した大きさになる。 そこに人口僅か28万人、首都レイキャビック
18万人が住んでいる。 イメージは極寒の地であるが、実際はそうではない。
・火山の国である為、地熱で温泉があちこちに沸いている。
・更にメキシコ暖流が周辺の海に流れ込んでいる。
・また氷河によって永い年月で出来上がった小さなテーブルマウンテン
 多くあり、それが北極の冷たい風を防いでくれる。そのため北極圏にしては暖かく、住めば都のようだ。 
 人口の50?が漁業関係に従事している。
また地熱を利用したビニールハウスで野菜や果物ートマトやバナナやメロンなどが栽培されているのだ。
家も92?が地熱のお湯で暖房されており、地熱利用の発電所も多くある。
  ー日本人の若い女性現地ガイドが面白い内情を話してくれた。
・一見豊かさそうに見えるが、習慣としてローンを組む国民性があり、
 借金でどの家庭も火の車という。一般的には手取りで20万足らず、物価が高い為夫婦共働きだという。
 反面社会保障が充実しているため、将来の不安は少ないという。
 医療費は大病の場合は無料とか。島国根性で見栄っ張り、外見を飾りたいとか。
ー何処かの国に似ている。
・自殺の割合が、十代ではヨーロッパで一番多いという。 −これは一日八時間の日照時間に関係している。
・消費税が24?もあり、更に小国のこともあり食料以外の殆どが輸入品である。
 そのために物価が非常に高いのが特徴。 だいたい日本の物価の1・5倍である。 いかに高いか解るだろう。
・犯罪はほとんど無く、殺人は三年に一度あるかないかという。 大統府も小さなオフィスのようであった。
・どの人も何処かで人間関係が繋がっているという。 したがってあまり目立ったことができないとか。
                     −続くー
・・・・・・・・
547, 人生で一番よい時

  • 2002年10月12日(土)

 
母から聞いた話である。
母が堀井に嫁いで数年たった時、多くいる小姑との折り合いがうまくいかず、離婚を覚悟に実家に帰った時の
祖母の励ましの話が良かった。「一番苦しい時は人生で一番いい時なのよ!」私の一番苦しい時に聞いた言葉で
あった為か、強い印象が残っている。小姑とイロイロあったと聞いていたが、こういう話しを聞くと納得するものである。
祖母もその経験があるから?その瞬間、その言葉が出たのだと思う。人生の深淵のある言葉である。
「苦しいときは逃げては絶対に駄目、前向きに生きなさい」という気持ちの意味が背後にある。
人生から逃げ回っている人が本当に多い。逃げても、その自分が何処までもついて来るのさえ気づかない。
そしていつも逃げ回ろうとしている。このような人には「人生のいい時は来ない!」来ても気がつかない。
「苦しみを通り抜けて歓喜に!」というベートーベンの言葉がある。苦しむから歓喜があるのだ。 
マゾはそれをセックスプレーで楽しむのだろう。 最後の一言は必要ない?! 硬い話を最後で落とす為です?