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『死ぬときに後悔すること25』 緩和医療医・大津秀一著
《人生の目標は、『死ぬ時に後悔しないこと』》と言ったのは、日蓮だが、
この本は新聞の書評で知り、ネットで概要を調べたもので、実際には読んではいない。
しかし、それだけでも、その骨子をしることは出来たようだ。 その骨子とは
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末期医療の現場で、1000人の死を見届けた医師が書いた本で、
「人は亡くなる時にどんなことを後悔しているのか」をまとめたもの。
人は生きている時に、「仕事で出世したい」「人生に成功したい」「お金持ちになりたい」とか思うのが
常かもしれないが、最期を迎える時に思うことは、どうも違うようだ。
ーその25のこととは?ー
健康を大切にしなかったこと △ たばこをやめなかったこと ○
生前の意思を示さなかったこと ○ 治療の意味を見失ってしまったこと ?
自分のやりたいことをやらなかったこと ◎ 夢をかなえられなかったこと ○
悪事に手を染めたこと ○ 感情に振り回された一生を過ごしたこと ○
他人に優しくなれなかったこと ○ 自分が一番と信じて疑わなかったこと ○
遺産をどうするかを決めなかったこと △ 自分の葬儀を考えなかったこと ○
故郷に帰らなかったこと ○ 美味しいものを食べておかなかったこと ◎
仕事ばかりで趣味に時間を割かなかったこと ◎ 行きたい場所に旅行しなかったこと ◎
会いたい人に会っておかなかったこと ◎ 記憶に残る恋愛をしなかったこと ???
結婚をしなかったこと ○ 子供を育てなかったこと ○
子供を結婚させなかったこと ○ 自分の生きた証を残さなかったこと ◎
生と死の問題を乗り越えられなかったこと ○ 神仏の教えをしらなかったこと ○
愛する人に「ありがとう」と伝えなかったこと ○
【 私(堀井)の実行度を主観で○(後悔しない)△(中間)×(後悔する)で評してみる?は未体験 】
ー以下は、印象的と抜粋してあった内容をコピーしてみましたー
<私の中に三人、強い記憶を残している患者さんがいる。彼らは死を本当に恐れていなかった人たちである。
残りの方たちは、大なり小なり死を恐れていた。しかし彼らは「まったくのゼロ」だった。死を恐れる気持ちが、である。
しかも彼らは、私の知る限りでは何の宗教の信者でもなかった。もちろん日本的な宗教心はあったろう。
けれども、どんな宗教の信者でもないとはっきりと言っていた。死を前にして、彼らの心は何のさざ波も起きていなかった。
ただその時を粛々と、従容(しょうよう)として待っていた。 その中の一人に、ある女性がいた。
自らが葬祭業者と話を詰め、彼女の死後も滞りなくささやかな葬礼が遂行されるように、彼女は緩和ケア病棟にて
その計画を練っていた。 果たして、その願い通り、質素だけれども素晴らしい葬礼が催されたとの後日談を耳にした。
ボランティアで彼女とかかわりのあったお坊さんが読経してくれたようだが、それも生前彼女から直々に
頼まれたとのことだった。用意は完璧だった> (同書100〜103ページより)
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○×は手前勝手の判断だが、私は後悔しない生き方をしたきたことになる。
死ぬことを何時も意識し準備をしてきた人は、その時には静かに受け容れることが出来るのである。
それもこれも、死んでしまえば同じことだが、それよりジタバタはしたくない。 死から免れないと察知した時から、
それまで生きてきた分の人生を生きるというから、準備をしておかなければならない。
しかし、死を従容と受け容れることが人間に可能なのだろうか?
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2663, 「哲学づくと、どうなるか」
2008年07月20日(日)
この随想日記を7年以上毎日書き続けたためか、以下のように左から右へと変わってしまった。
但し重心だが。 ということは、過去の自己否定の辛い日々になっている?
根本を突き詰めない日々 ?> 考える日々(考えざるを得ない日々))
日常に流される日々 ?> 新しい知識を求め続ける日々
役立つことを追求する日々 ?> 役に立つとか立たない外を求める日々
常識を加える日々 ?> 常識を根本的に疑う日々
実生活のプラスを加える日々ー> 真実とは何かを求める日々
マスコミに左右された日々 ー> 自分の道理を最優先にする日々
群れを求める傾向 ?> 孤独の時間に重心を移動
要するに、自分の話す言葉、書く言葉を大事にするようになった。
その反面、これまでの表層的な自分の姿を思い出しながら赤面している。
そういえば、二十・三十歳代半までは右側の傾向が強かったようだが・・・
インターネットと、印刷の発明とドチラが人類にとって大発明になるのかといえば(私自身の判断だが)
数段、インターネットだと思う。その人類の大きな転機の大事件に立ちあっているのである。
それぞれがブログを通して「語ること」を始めたのである。ブログで語り始めて、語りを継続をして、私の場合、
哲学づいたのである。自分の知識と経験の限界を知ることは、何か空しい気もする。 知っていることより、
知らないことが膨大に広がっているのを知ると、先ほど書いた右側の傾向になっていくのである。
それにしても、面白い岐路を生きたものだ。
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2007年07月20日(金)
2299, また地震!どうなっている?まったく! ?3
「柏崎原発直下に断層」 ー耐震設計の前提崩れるー
これが昨日の地元紙の新潟日報一面のトップ記事である。
更に一面の下にある「日報抄」というコラムに以下のようにあったが、これしか書けないのがマスコミの限界だろう。
しかし地元紙としては思い切ったことが書いてある。この地震は、日本だけでなく世界に匕首を突きつけた大問題。
角栄神話の根こそぎ否定の問題であり、娘の真紀子にもつながってくる。代議士として存在していること自体が、
この地区の後進性を現している。 世界一位の規模を誇る柏崎原発は、マグネチュード6・5までの耐震で造られていた。
ところが、今回の地震は6・8である。0・2で二倍の衝撃度が増すというから、今回は二倍以上の衝撃が原発にかかったことになる。
ということは、ただ事でない事態が起きて当然ではないか? 情報はパニックを起こさないために隠蔽せざるを得ないだろう。
・放射能が大規模に漏れたなら隠すということは殺人そのものになるから、ないだろう??と考えるのか、
・それとも隠しざるを得ないと考えるか。どうだろうか? 後者なら、とりあえず新潟まで租界しなければならないか?
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ー日報抄ー
世界のメディアは、激しい揺れに襲われて放射能漏れや火災を起こした東京電力柏崎刈羽原発を大きく報じている。
中越沖地震は日本の原発が地震の巣の上にあることを国際社会に伝えた震災として、人々の記憶に残ることになりそうだ
▼米原子力規制委員会の警告を思い出す。「原発の重大事故の発生確率は故障によるものよりも、
地震による方がはるかに大きい」。柏崎原発は最も避けなければならない断層の上に建てられていた
可能性が高いことが、気象庁の解析で明らかになった
▼ 神戸大学の石橋克彦教授はいう。「普通、原発の事故は単一要因故障といって、どこか一つが壊れる。
それを多重防護システムや安全装置で守ることになっている。だが突然激しい地震の揺れに襲われると、
機器や配管のあちこちに損傷が生じ、多重防護システムでは対応できなくなる恐れがある」
▼地震が原発にとって最大の脅威といわれるゆえんだろう。原発が被害を受ける規模の地震が発生すれば、
周辺もライフラインが寸断され、人的被害が出る。死の灰の降る中で救援や原発事故の応急対応は困難を極める
▼二月の衆院委で石橋教授が訴えた「原発震災」のシナリオは悪夢だ。
「おびただしい人が被ばくし、土地や水も汚染され、混乱は海外に広がる。
大震災の時は世界が同情し救援に来てくれるが、逆に厳しい非難を浴びかねない」
▼柏崎市長は原発の使用停止命令を出した。中越沖地震を詳報した英科学誌ネイチャー
(電子版)は「原発が閉鎖になる可能性がある」と論評している。
安全性を県民をはじめ全世界に説明できるまで、運転を再開してはならない。
[新潟日報7月19日(木)]
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以上だが、 株価が一日置いた一昨日、200円も下落(昨日は100円反発したようだが)、
原発の火災と漏れに対する深刻さを現している。自動車部品大手のリケンの生産休止で、トヨタなど6社が週内に
一時的にせよ7割が週内に生産休止になるという。また知人の保険屋の社長に電話をしたら、現地はかなり深刻という。
風呂に入るため長岡の郊外にあるスパに行ったところ、10人の柏崎の知人と会ったという。
今回の地震の深刻なのは「地震は一度あれば、当分は無い」という前提が崩れたことだ。
さらに原発の直下に断層があったことが問題を深くしている。「数年後に、同じ規模の地震の可能性は否定できない」
と地元の地震学者がTVでコメントをしていたが、問題は深い。もし柏崎原発が再開されたとしたら国際社会から
一斉に反発を受けてしまう。一年や二年の停止ではなく、閉鎖が現実的になるのは避けられないとみてよい。
そうすると原発の大きく依存している柏崎経済にとって致命傷になり、直接・間接的に長岡にとっても大打撃になる。
3兆数千億以上の設備投資というから、そう簡単に閉鎖はできないが、といって安全は無視できない。
新潟の魚や酒や米や、観光にとってもストレートに影響してくる。恐ろしいことだ、他の原発周辺の住民も
不安が高まるだろう、特に福井周辺に密集している原発周辺の住民は・・・
一見、前回より規模が地域的に限定されていて、影響は小さいように思えるが、原発の直下型ということ、
二回たて続きに起きたことは、新潟県だけでなく日本そのものにとって大問題である。
時間が経てば経つほど、今回の地震の持つ影響の大きさに驚きざるを得ない。
以上のことが、もし悲観的過ぎると言えたら、むしろ幸いである。
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2006年07月20日(木)
1934, 二つ目のブログ?2
(♯ゝωσ♯)人(+>∀<+)ノぁはは? よう!
ブログを始めようとすると、まずはどのサイトのブログを選ぶか迷よう。
私も、とにかく5つのブログに入っては止めてみた。実際に入らないと対象に集中できないからだ。
どれもが一長一短があるが私の結論はグーグルのブログである。デザインを気楽に替ることができる。
理屈から考えても、世界中のブログの中のベストプラクティスをしているから一番良いに決まっている。
それに気づいたのは、試行錯誤をした後である。もし迷ったらグーグルを勧めます。
ナンバーワンのグーグルのブログが悪いわけがない。それぞれの特性も各々が持っているから一概にいえないが、
長期的視点からみて良いはずだ。もう一つ心しなくてはならないのは、誰が見ているか解らないことだ。
何度か冷や汗を書いたことがある。何処かのTVのキー局の記者が見ていて、ある内容のネタ元は何処か?と
電話が来たことがある。たしか、西武鉄道の堤義明氏の件であった。5年間も書き続けていると
「書かない日常は有得ない」という感覚になる。ただボヤキとか、他人の悪口を書いているサイトを見かけるが、
それはそれで、本人の性格もあるから一概に否定できないが、プラスになることを書く!と思ってないと、
無意識のうちに自分の膿を撒き散らすことになってしまう。最近、過去に行った旅行先のブログを見ているが、
デジカメとブログの進化のためか、素晴らしい写真がフンダンに出てくるようになった。自分撮った写真より
上手いスナップが次から次へと出てくる。自分の撮りきれなかったスナップを色いろみることができるのがよい。
これでは、現地で写真をとる必要がないではないか?とさえ、思えてくる。
この世に生を受けて、一番驚いたことといえばインターネットであるが、
さらに検索能力の飛躍的アップと、ブログの威力と普及(オープンソース化)である。
今話題になっている映画「日本沈没」を書いたSF作家の小松左京が、
「現代は自分の書いてきた小説より遥かに先にいっている」とインタビューに答えていたのをTVで見たが・・
グーグルアースは、いくら衛星写真の中とはいえ、地球上を自由に飛びまわれるのだから・・・
画面チャットや、見知らずの相手とのゲームも、しかり・・・
(*^▽^)/バイ!
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2005年07月20日(水)
1569, わたしの酒中日記?15
ー倉敷の夜ー 1977年8月某日
仕入れで、岡山と広島の福山に行った帰りに倉敷アイビースクエアガーデン・ホテルに来ている。
赤煉瓦に蔦のからまる紡績工場を、文化施設のある複合ホテルに改築してある。
広い赤レンガの敷き詰めた中庭が売りのホテルである。欧州のホテルに来ているようだ。
2Fの建物に、部屋が中庭を囲むようにある。女性の好みそうな風情のあるホテルである。
近くには倉敷の昔ながらの街並みがある。同行の二人と街の居酒屋に入ってみる。
観光客用につくってあり、江戸時代をモチーフにした店である。
100年以上経った商家を改造してあるので、映画のロケの店のような錯覚をしてしまうのがよい。
少し値段は高めだが、それだけの価値を十分に感じることが出来た。それと土産物店が何ともいえない風情がある。
福山と倉敷に来たのは二回目である。ここはジーンズと作業服の生産地である。
メーカーから直接発注するのだ。昔風の繊維メーカーと、アパレルの工場が並んでいる。
行く先々に父の話を聞かされた。仕入れは亡くなった父に出会うたびでもある。
明日は、大原美術館を2時間ほど見た後、学生服メーカーのベンクーガーによる予定である。
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2004年07月20日(火)
1204, つれづれなるままに
ー自宅の6軒先の家の主人が、仕事先で行方不明になり五日目に発見された。
東北電力に勤めていて、その保守点検のため決壊の現場にいたためだ。
行方不明になる前日に、初めて顔を見たのが印象的に残っている。
そこの柴犬が落ち着いた犬で、早朝の散歩時にいつも声をかけていた。
たまたま、その主人と顔をあわせたのが初めてで最後であった。近所だけでも、最近色いろなことがある。
ー橋本元首相がまた疑惑だ。
今度は危ないだろうが検察も信用がおけないのが、この国のレベルだ。
彼が捕まって初めて自民党の旧体制の崩壊が本格化するだろう。
いやしないか!? 彼ほど、首相を辞めてから人相が悪くなったのも珍しい。
利権の渦の真っ只中にいれば、ああいう顔になるのだろう。
中国の女スパイと関係を持って脅かされたとか、色いろいわくのある人物だ。
戦後日本を悪くした10人には間違いなく入る?。角栄に、竹下に、この男の流れがまだ保守本流と
いっているのだから、 早く抹殺をしなくてはならない。 丁度良い時期なのか、少し遅れてしまったか。
ーUFJ銀行、三菱東京に吸収合併と報じているが。
数年前にさくら銀行との縁組で、すき放題いって破談になったが、その三和銀行の
トップもほぼパージをされて、今度はライバルの三菱銀行に吸収合併という。
これが終わると、今度は地方銀行の大幅な再編が始まる。 地方銀行は膿がタップリたまっている。
来春、ビッグバンがあるのを忘れてしまっているようだが、地方の脆弱化が表面化する。
ー農業も自由かも待ったなしになってきた。
自民党の票田を守るために、保護政策を続けてきたが、農業のグローバル化も抑える事が不可能になってきた為、
国内も大幅な自由化が来年から実施である。 しかし米だけは守られるという、米を自由化しなくては
何の解決にもならないが、とりあえず、日本的に外堀から産めるということか。
―――
(橋本元首相関係の記事)
ー日経新聞ー (7/16)よりー
(字数の関係でカット2008年07月20日)
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2003年07月20日(日)
837, 民間校長ー腑におちる教育を!
昨日、何げなくNHK・BS1をまわすと、東京の杉並区和田中学校の民間から採用された校長を取り上げた
番組を放送していた。広島の民間出の校長が日教租?によって自殺に追い込まれたり、教育委員会の担当も、
自殺をしたニュースが生々しいが、その成功例もちゃんとあった。
ー内容を大筋は
・「よのなか科」をつくって一線で働いているゲストを、年間25人のペースで招いて 実際の生の教育をしていた。
産能大学でゲスト・ティーチャーを経験してきただけに、 その内容に引きつけられた。
・「ハンバーガー」や「輪ゴム」の具体的な分析から、中学生に世の中の構造を教えていく手法は解りやすく
道理に合っている。 この事例研究から何故数学や国語や社会科が大事かを教えていくのだ。
・ロールプレーイング(役割演技)をさせて、世の中を教える手法が良い。生徒にハンバーグ屋の店長の役割をさせてみて、
実際の店長にきてもらい対話をさせる。 少年事件の模擬裁判をそれぞれの役ー裁判長とか検事・弁護士とか被告人ー
を経験させて、実際の裁判官を呼んで実態を聞く。
・クローン問題を議論させて、科学者をよんで議論をさせる。
・自転車放置問題を議論させてみる。
・ニューハーフを実際きてもらい話をさせて、ハーフの差異から、社会にある価値観について話し合う。
等々、シュミレーションやロールプレーイングやケーススタディーを駆使した授業を 通して教育をしている。
「ふにおちる授業」が一番大事だということだ。 自分は熱血でなく、クールであると言い切っていた。
「今の校長は社長ではなく、営業所長代理でしかない」という彼の言葉が鋭い。社長として任務を遂行するには、
コミニケーションをどれだけつくれるかにかかっており「子供の教育は、大人の姿によってしか変えることができない」という。
今の日本の教育はサラリーマン教育を前提でしかなく、市民教育がゼロ。
シンボルマネジメントー一箇所をよくすることから全体を良くする手法が大事だという。(校庭の緑化運動を推し進めるとか)
「中学の校長と小学校の校長とどちら大事か」とアナウンサーの問いに、「中学校の校長!」と言い切っていた。
中学は大人の始まりであり、子供の終わりの時期であり、膿が一番溜まっている時期。
この時期の教育が大事なことは、自分のその時期のことを考えれば納得できる。今それが急に社会問題になっている。
「静の教育」と「動の教育」を分けて、教え込む時期である。「縦横の関係だけでなく、斜めの関係を教えるべきだ」
という言葉も真をついている。「世界中の中学生が一番来たい中学校にしたい!」が最後の言葉であった。
日本にも、こういう芽生えも出始めている。 彼の名前は藤原和博である。
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2002年07月20日(土)
462,臭いのするような話し
子供頃から母親に「臭いのするような話しはするな!」といわれてきた。
そういえば家族の会話では、そういう会話は殆んど無かった。
具体的な下ネタや、下痢や生理的などのデモノ・ハレモノの話しをするなということだ。
言葉は大事だ。下痢の事を、そのまま下痢というか、お腹がゆるいというかで、全くニュアンスが違ってくる。
言葉に無頓着の人と接すると、どうしても影響されてしまう。学生時代に聖心女子大のグループと一時接する事があった。
その言葉のきれいな事に驚いた。その前提の生活環境が、まずその第一歩のだろう。
私が嫌う子狐と飲むと、自分でも信じられない汚い言葉が出てくる。変幻自在ではあるが、こういう人は可能な限り
遠ざけなければならない最大の理由だ。不幸の人はそういえば言葉が汚くなっている。心の傷は、膿となって言葉に出てくる。
心が荒れると、言葉も荒れる、心の管理は言葉の管理でもある。
怒りやすい私も、その時は自分でも信じられない言葉がでてしまう。話しは少しそれたが、言葉の重要性を言いたかった。
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2001年07月20日(金)
[80] 北欧ロシア旅行記
ー印象順に書いてみよ
1 ・レニングラードが良かった。
・特にやはりエルミタージュがよい。冬の宮殿と言われる建築物が予想以上だ。300万点もあると言う美術品がよい。
・ エルミタージュの小劇場でみたバレーが今回の旅行のハイライトの一つだっだ。
・ 川からみたレニングラードの街並みの光景が今まで見た街の美しさでナンバーワンといってよい。街そのものが芸術。
・夏の宮殿と呼ばれるカタリ‐ナ宮殿もすばらしい内容であった。
2 ・次はフィヨルド 2時間の川下りふうな船よりの景色がすばらしい!
最も長いそれは200キロ、深いところは1000メートルもあると言う。
3 ・登山列車からの景色もいい。最も印象的なのはトンネルの合間の空間に列車を止め、
下車して見た見た滝がすばらしい。突如‘ジョニ‐は戦場に行った’に似た音楽が
鳴り響き、滝の途中に突き出た岩の上に赤いドレスを着た女性が踊りだした。
‘水の精の踊り’をモチーフにしたのだろうが、幻想的で感動的であった。
4・ノルウエーのベルゲンの世界遺産のブリッゲン地区の街並みと魚仲買人の家も当時の生活が垣間見えた。
北欧の国民性として家の部屋の中を飾り揃えて、お互い見せ合うのが楽しみだそうだ。
家具が何処を見てもセンスがいい。バイキングは末っ子相続の変わった風習の国だ。
海は日本は堀で外敵より守るものだが、バイキングは夢の実現のの所だそうだ。
5・ノルウエーのオスロのフログネル公園が印象的であった。モチーフが人生!
赤ちゃんから成人?老人そして死が像で立ち並ぶ公園である。何かヒンヤリした、超越した視点が空間に漂っていた。
今回の旅行は5ヶ国をまわるダイジェスト的な内容であった。
飛行機、遊覧船、登山列車、高速列車、一泊の豪華船、バスと毎日が移動の旅行であった。
何でもあり、変化の激しいしかも楽しい旅行であった。
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[81] 無事に帰ってきてよかったすね。