「縁は異なもの」河合隼雄 白州正子 対談集

河合 日本の芸というのは本当に習うのが大変ですよ。 ずーとやっていて、しかも最後がどうなるかわからない。
白州 研いで研いで、研ぎ抜いて。それで90歳になって精神が現われる・・・・現われないかもしれませんから。
  連載中の本に書いたのですが、読者からありがたい手紙をいただいたのです。「よき細工は少し鈍き刀をつかうという」
徒然草』の一節についてで、それまで私は「鈍き刀」の意味を「あまり切れすぎる刀では美しいものは造れない」
 というふうに思っていたわけ。でも違ったの。 その方は「鋭い刃を何十年も研いで研いで研ぎ抜いて、刃が極端に
 薄くなり、もはや用に立たなくなった頃、はじめてしの真価が発揮される」というのです。
 ここでいう「鈍き刀」というのは最初から鈍き刀というんじゃないんですよ。本当に鈍い刀を磨いでもだめ。
 いい刀だから磨げる。しまいにはペロンペロンに柔らかくなるんですよ。
 兼好法師は「妙観が刀はいたく立たず」とも書いているけど、やっぱり「立たず」なんて言葉は「鈍き刀」じゃ
 ダメなんですよ。それが良くわかったの。
  ーー
 白州正子の対談を何度か読んだことがあるが、河合隼雄もたじたじなくらい言葉の剣先が鋭い。
 鈍き刀を磨いでも鋭くはならない。鋭い刀を磨いて磨いて磨きぬいて鈍くなった刀こそ・・・ よき細工に
 使うことが出来るという。 言葉の奥底をみないと真の意味がつかめないというが、まあ、凄いことをいう。 

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2611, サルトルについて、考えてみる  −2
2008年05月28日(水)

改めて、読んでみるとナカナカ新鮮に思えてくるところが多い。
読んだ当時から40年経て、経験を多くつんだこともある。
当時はピンと来なかったことも、今では深く納得する。経験は、やはり「自分」の財産なのである。
 ー以下の論が、非常に面白い。
 *「意識」のあり方は、どのようなものか?
サルトルは、「世界へと関わる」ということを、「否定」と「無」と結び付けて考える。
人間が世界へと「「関わって」いる、ということは、人間は世界では「ない」ということなのだ。
たとえば、私は目の前のグラスでは「ない」し、窓の外の木ではない。サルトルは、人間が「世界に関わる」
というあり方をしているが、それは「世界ではない」というあり方だと、いう。
言い換えれば、人間と世界の間には「すき間」「裂け目」がある、ということだ。
人間が「世界と関わる」ということは、人間が、「世界との間に裂け目を作る出す」ことだと考える。
サルトルは人間と世界の間の「すき間」「さけ目」を「無」と呼ぶ。
ただしここで重要なのは、意識は、裂かれた片方の「モノ」なのではなく、「さけ目そのもの」ということだ。
意識としての人間は、いわば世界の中の裂け目、世界の中の無である。 
それは、意識が、関係する片方の「モノ」ではなく、「関係」そのものであり、
外部の世界への「矢印」そのものである。・・・・・
「世界に対して」裂け目をもたらす人間は、それだけでなく、「自分自身に対して」も裂け目をもたらす、
サルトルはかんがえる。 人間は、常に過去の自分から脱出して新しい自分になっていく存在である。
過去と現在を乗り越え、未来に向かって自分を投げかけていく存在、それをサルトルは「投企」と呼ぶ。
  〜〜
 解)人間の意識が、世界と関わると、その世界との間に裂け目をつくりだす。
   それも人間の意識は、片割れの一方ではなく、裂け目、世界の無である、という。
   過去を振り返ると、実感として接してきた世界の片割れとしての自分というより、
   色いろ経験してきた世界の接触の中での私の意識は、それぞれが「無」だった。
   その時の己は、片割れの「モノ」ではなくて、「関係」そのものであった。
   それは「矢印」であった。世界中を観光してきて、そして事業を幾つか立ち上げてきて、その通りである。
   世界との間に裂け目を作り、世界の中に裂け目をもたらす、
  「意識としての人間」をサルトルは「対自存在」と呼ぶ。異郷・秘境の地で我を忘れて見入っているとき、
   自分は、そこに居ない。自分は、後で振り返ったとき、見入っている自分を対自として見ている
   内なる我が見ているとき、初めて顔を顕す。対象に魂を奪われているとき、そこは一方の割れた「私」
   ではなく、裂け目そのものが私である。別に難しいことではないのである。  
    −−−
 *サルトルの人間観
サルトルは、人間が自分のあり方を自由に選択し、自分の本質を自分で作り出すものだということを明示した。
人間の実存は本質に先立つとする。
・まず人間は、「何ものでもない」ものとして、まず実存する。
・そして、自分の行動の中で自分が「何であるか」を決めていく。
自分のあり方を自由に選択するものとしている。
人間において実存が本質に先立つとは、人間は自由な存在だということでもある。
同時に、人間が自分のあり方に責任を持っているということである。
「卑怯である」ということは、卑怯であるものとして自分を作ったということである。
 解)人間は、己を作っていく存在ということだ。常に未来に向かって自分を投げかける存在である。

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2007年05月28日(月)
2246, 愚痴
      ゜・。*ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…YΘ!!
愚痴とは、「言ってもしかたがないことを言って嘆くこと」、仏教用語としては
三毒の一の癡にあたり、物事を正しく認識したり判断したりできないこと」をいう。
 {参考のために、三毒とは克服すべきものとされる最も根本的な三つの煩悩、
 すなわち貪瞋癡(とんじんち)を指す。 貪ー貪欲、瞋ー怒、癡ー無知}σ(^◇^;)
人の愚痴は気づくが、自分の愚痴は気づかないから始末が悪い。
初めて就職した時に、ある転勤先に「愚痴のオジサン」というアダナの人がいた。
「初対面の人を見つけると兎にもかくにも愚痴を言うから、受け流すように」と、注意されたが、
なるほど話す大部分が愚痴なのである。;´д`)グチグチ!世の中にはこういう人がいるかと
驚いたことがあった。愚痴は人前では言うものではない実例としてみたが、「情けない」というしかない。
                          (-""-;)
私の周囲には少ないが、自分自身、知らないうちに言っているのかもしれない。
思い通りにいかないのが人生であリ、不意の出来事で窮地に立たされたり、
本意でない状況は「あざなう縄の如し」、次から次に問題が押し寄せてくる。
それに対し、「愚痴を言っちゃ〜おしまいよ!」と痩せ我慢をするのが人間のあるべき姿である。
「言ってもしかたがないことを言って嘆くこと」は最悪のことと分っていても、
言いたいのが愚痴である。だから、居酒屋が存在しているのである。
とくに擦り切れるような大組織の人間関係では、愚痴を言い、
憂さを晴らさないことには精神の均衡が保たれないのが男社会というものだ。
              あのバカヤロウ!(>ε<)(-"-;)( ̄ω ̄;)!! チェ
教養ある人が愚痴をいっている姿は、あまり見受けられない。 しかし人生の後半になると、
肉体だけではない、精神の衰えとして、愚痴が出てくるから気をつけなければなるまい。
特に身近な問題、矛盾が吹き出る時節である。(▼▼?) y-? バカにワカラナイ!
自分にプライドと、自立心があれば、愚痴など言わないが、経営者や目上の者が愚痴など言っていたら、
男の風上にも置けない。 「腐った女のようなヤツ」と言えば、       ( ゜o゜)ハッ
「他人の陰口を言い、人を平気で落とし入れ、愚痴を言う人間」である。
それは、やはり無知からきているのである。    ( ^3)〜♪
「あなた(わたし)、風上に置けない人じゃない!と言い切れますか?」 m(_ _)m
   自立してますか?ということ!                 スンマセン
                    :ヾ(´Д`*)マタネ
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2006年05月28日(日)
1881, 閑話小題
        ォ'`ョ━━(。・∀・)━━ゥ★   
ーつれづれにー

一昨夜、会合が終わった後に新潟駅前で飲む。その後古町の[シャムネコ]という店に行く。
店の中を整理しないのが売りで、ホステスを猫がする店。コタツがおいてあったり、20年以上前のカセットビデオ、
そしてマンガ本、色紙、などが雑然と置いてある。しかし、よくみるとチリなど溜まっていない。
  もう廃業したのではないかと電話をすると、第一声が
「一見(一限)の客はお断りですが、貴方は誰ですか」という愛想のない声が聞こえてきた。
5年ぶりだが、三匹の猫の源氏名は社長、専務、常務で、ママが従業員という設定になっている。
(以前にもこの店のことを書いたことがあったが)この三匹に役割があって、入れ替わり立ち代り接客をする。
カウンターの上を気を使いながら歩いて客に媚びたりする。
知らないお客だったら怒る場合があるから、ドアには「一見のお客はお断り」と張ってある。
三匹のうちの社長が亡くなっていたが、残りの二匹で一生懸命接客をしていた。
といってお客の膝に上がったりカウンターを歩き回っているだけだが、
お客の話が途切れたり、退屈したりすると何時の間にか傍に寄り添ってくる。
またお客のツマミは決して欲しがったりしない。下手なホステスよりシツケが入っている。
お客が帰るときは、一番くらいの高い猫がエレベーターまで見送るに出る。初めてつれていった人は、誰もが喜ぶ。
  何時もお客は殆んど入っていないが、どういうわけか5人の団体が入ってきた。
常連のようで、そのうちの一人とイヤに気があって大騒ぎをする。アフリカに事務所があり、よくケニアには行っているとか・・
その後、その後再び新潟駅前に戻りスナックに入る。 そこでも盛り上がる。
   酒は一期一会という気持ちで飲むと、とどまることがなくなる。  
 ーーーー            茶でも!~~旦_(-ω-`。)
ーできること ー
「あなたにできることは、 あなたにしかできないんですよ」ある本にあった言葉である。だから何をしても良い
  というのではない。自分にしかできないことなら、自分の全てをかけて、できるまですべきである。
「何ごとも自分で、やれることを、やれる時に、是非すべきすべき」ということだ。
考えてみれば一人一人が、その人しかできないことをしている。それを自分で自覚するかどうかで、真剣度が違ってくる。
  「私のできることは、私でなくて他の誰にもできるではないか?」というが、私のやり方、私の知恵は、私にしかできない。
文章も、同じことがいえる。 私にしか書けないことを書けばよい。 プロの文筆家にかなうはずがない。
なら自分が書けることを、正直に書けばよいが、その正直に書ける度合いが違うのだが・・・
                    (。・∀・)バイ!
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2005年05月28日(土)
1516, 気の発見−2

気の話なら、40年のキャリアがある。
この随想日記でも何度か書いてきたと思ったが、どういうわけか、これをテーマにしたものは全く無かった。
「気功」などというと誤解されるか、全く知らない人には説明が難しいから、取りあげなかったのだろう。
本棚を見ただけで10冊以上はある。
・「『気が』もっとわかる本」 ・「真気光」 ・「『気』で心と体が変わる」 ・「気の威力」
・「病は気から」 ・「『気』と正しくつき合う本」 ・「‘気'の発見」 ・「『栗田式』超呼吸法」 
・「帯津良一自然治癒力の脅威」 などなど、
図書館で借りてきて読んだ本を加えれば20冊は軽く越える。(もっとも理解していたかどうかは、全く別の話。
殆どが、その本を買ったことで安心して知ったつもりでいるだけだったが。)その集大成が、「ウォーキング気功」。
しかし、解りやすいという点では、この本は群を抜いている。
ー以下は要所の抜粋であるー
(以下、字数の関係でカット二千八年五月二十八日)
                        つづく
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2004年05月28日(金)
1151, 「老い」を考えてみる

誰しも老いるのは嫌であるが、それは「長生きをしたからであり、そうプラスに考えれば、
老いもそう悪いものではないのではないか」と考えてきた。老いは誰もが通らなくてはならない道である。
人生とは、徳川家康でないが重荷を背負った山登りに似ている。登るほど息切れする。
  しかし視野は広くなることも事実である。身体の老いより、心の老いが怖ろしいのが老齢期の大問題である。
  「青春は失策、壮年は苦闘、老年は悔恨」というが、それを乗りこえた精神の自由を維持することが大事。
若いときには、われわれは愛するために生きるが、年を重ねるとともに、生きるために愛することが必要になってくる。
過去を振り返って、その重さに耐えきれなくなる時、愛と感謝で包み込まなくてはならなくなるからだ。
身近の色いろの人をみると、「若い生活をしている者は若いが、老いた生活をしている人は老いている」
というのが解る。 何があっても、精神は常に若く保たなくてはならない。
人は老年を恐れるが、そこまで到達するかどうか解らないのに気楽なものである。
人生は飛び立つ時より着地が難しいのは、飛行機と同じようなものだ。
とくに商売や事業をしているものにとって、最後は切実な問題になる。いかにソフトランデングするかが問題になる。
「60過ぎのことを、それまで全て先取りをしてしまえ」と思って生きてきたことが、今になって本当に
良かった思い始めている。気力、体力、金力のバランスが崩れてきて、どうしても計画どおり行かなくなる。
色々な問題が弱いところに出てくる。それなら、無理をしても60前にした方がよいと自覚していた。
義兄がしっかり60過ぎの準備をしていて、ルンルン気分でいたが、
60歳直後に亡くなってしまった。 思った通りにいかないのが人生である。
初めから、人生の余白を埋めるのも大事ということを教えてもらった。
いずれにしても、一日一日前向きに精一杯生きていけばよいのだろうが。
以前、20歳上の従姉が、自分の90歳でなくなった母親のことを回顧して
  『母は50,60,70,80歳の峠を越えていった凄さが解るようになってきた』と言っていたのが印象的である。
老いに関しては現在読み続けている藤沢周平の小説の隠れたテーマの一つだ。
彼は主人公を通して老いいく人生の切なさや、最後の光り方を切々と書いている。
 もう目の前に、一つの峠が見えてきた。

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2003年05月28日(水)
784, 芸術家と芸人

5~6年前に、「異種業の会ー旅行に出てみないかい?」と誘われて、面白そうなので参加した。
大学教授、大手代理店の課長、芸術家数人、二代目等、個性的な人の集まりであった。
一回目が九州と大阪。二回めが盛岡と札幌・函館の視察であった。県からの補助金で食事を含めて全て無料であった。
日本が背伸びをした、足の下をそのまま見ているようでもあった。
反面、将来の姿とはこんなもの?と予感できる世界であった。といって、取ってつけた感も否めなかった。
一回目が北九州の福岡ドームとホテルと再開発地区、長崎市の観光、
湯布院、大阪の再開発の視察であった。半分はその名を借りたお遊びでもある。
しかしどこも新鮮な夢のある輝かしい?世界であった。
特に北九州の再開発は、北九州がアジアに向けての拠点を目指しているのが感じ取れた。
再開発には否定的だが、こういうものの表面だけを見るとなるほど騙されるのも解るような気がした。
湯布院が期待していた以上であった。時代劇の映画に出てくる隠れ里のような山里にあった。
個性的な店が多く出ていた。料理屋に小物や民芸品を売っているのが何ともセンスがよい。
若い女性や若者だけでなく、あらゆる年代の人が楽しめる。映画セットの中にいるような感じがした。
30数年前の軽井沢の旧軽通りに少し似ていたが、湯布院のほうがゆったり、ほのぼのとした感じで好きだ。
 二回目が、盛岡、札幌、函館の視察であった。メンバーはほぼ同じである。これも楽しい面白い旅行であった。
札幌の郊外の丘陵地帯にある芸術をモチーフにした公園には驚かされた。
いま考えてみると、バブルの一現象だったのだろうが、広大な敷地とモチーフが何ともいえない安らぎを与えてくれた。
函館の、観光をモチーフにした街つくりも素晴らしい内容であった。
石原裕次郎をモチーフにした館とか、ガラス細工専門店とか、年中クリスマスグッズを売っている店があったり、
寿司屋がところ狭しと並んでいる街とか、楽しいのだ。
この旅行で芸術家数人に向かって、「芸術家なんて気取っているけど、所詮は物を作る芸人だろう!」
と酔って言ったらしい。ところが芸術家たちが、その言葉にいやに納得くしていたとか。

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2002年05月28日(火)
420,世間とは

「西洋でいう個人が確立されてない日本では、社会は存在していないのでないか?」という疑問が以前からあった。
その代わり存在するのは、噂と悪口からでお互い牽制しあう「世間」である。
阿部謹也の「世間とは何か」という本を立ち読みをして、思わず納得した。
現在国際社会で日本が冷笑されるのも、もともと日本では存在していない
国際「社会」の中で、常に世間という日本社会を外に出してしまう為である。
勤めとか事業で、いろいろの地域社会をみてきて漫画的な社会?構造に驚いた。
世間様の存在と、それに対するペルソナー仮面を付けて、全員して演技している滑稽さである。
それは社会というより、群れという感覚でありその統制は噂と恥の文化である。
ある作家がある部落に住んで、、その滑稽を「気違い部落」という本で著した。
それが売れると、逆に気違い?にされ村八分にされてしまった事が、話題になったことがあった。
世間に属さない他者は今の日本では人であって人間でない、と先ほどの「世間とは何か」に書いてあった。  
その地域の集り坊主とか、地銀とかに勤め、支店長あたりになる。
そしてその地域の噂社会の中で、よい人を演技する?のが、「世間を渡る」という世界。
この世界で、個人として真っ当に生きるには、強靭な意思と主体が必要だ。
結局それを殺ぎ落とさないと、生きていけない社会でもある。
そして自分とは何かを死に近づいて考えて、気づく?世間に縛られた小さな一生を、その時初めて悔やむ!
世間とは、幻想社会という事を! 日本の島国的特性そのものだ。
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10年前書いた文章です。
ーH0407城下街小唄ー
 私の出身地の長岡はかつて“長岡藩”の城下街であった。
その大手通りのほとんど真中に生まれ育った事もあり、その長所・短所がよくわかる。
その特質は閉鎖性・固定的、商人的であり、“城下街曼陀羅”がきっちりできており漫画的ですらある。
彼等の社会は“ウワサ社会”で構成されている。 特に長岡財界とかいう社会が存在(?)しており、
彼等の出す“ウワサ”がその社会を大きく左右する。それが事実であろうがなかろうが“マンダラ”
の中心点に近い人間が言った事こそ絶対のようだ。
(“ウワサ”として)彼等の社会をみていて、維持型の人間こそ“一級”と評価される。
固定社会が故に何もしない(何もできない)事こそがベストなのだ。
“非能動的二代目+婿取り娘サロン社会”と言える。先日もいやな“ウワサ”を聞いた、今は下火になったのだが、
新興の各業界の№1の社長が十人あまり№1が故に聞くに耐えない“ウワサ”を流された。
“一種の集団いじめ”なのだが、そのストーリーが陰湿でリアリテーにとんでいる。
冷静に考えればほとんどが尾鰭のついたウソである?
それがおもしろおかしくて集団ヒステリック的につくりあげられており、自らの名が出るかどうか怯えている。
“参加型変態うわさゲーム”を全員で楽しんでいる“痴呆社会”そのものである。

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2001年05月28日(月)
[34] 糸井重里サイトを見て感じた事

糸井重里の「ほぼ日刊糸井重里新聞」を二年前にホームペジを開いて、
現在1日二十数万のアクセスがあるという。ちょっとした新聞社なみだ。開いてみたがなるほど面白い!
ホームページ作りより、自分自身のインターネットに対する感覚が変わってきている事がわかる。
考えてみたら1度ホームページに載せたら、そのデータは半永久的に残る。
ホームページは墓場と言っていたが、そのとうりである。永久に残るデータベースである。
糸井重里本人が「不思議な感覚」と言っていたがわかるような気がする。