* まずは「住まうこと」とは

住まいは、外壁で外と内の世界が分けられており、昼は外が光の世界になり、夜は逆に内側が光の世界に逆転する。
外部空間の環境と、家の内部空間、その両者の布置が、部屋の雰囲気、広がりを決定する。住居は、壁で囲まれ、
垣をめぐらしている。それは自然に対する防禦でもあり、人間に対する遮断でもある。
また、住まいは上下の構造になっている。
ここで、「空間の詩学」という本を紹介し、その中の「家とはまさに「垂直的な存在」であるとして、
次のように述べている。「垂直方向は地下室と屋根裏という両極によって確保されている。
この両極性の特徴は、大変深くおよんでいるために、非常に異なった二つの座標軸を開いてみせる。
屋根に関しては屋根裏では、人は梁全体の硬い骨組みがむき出しになっているのを、見ることができる。
そこで大工の手堅い幾何学にあずかるのだ。 そこで、地下室はどうであろうか。きっと、そこは役立つものと
考えるだろう。便利さの合理性を幾つかあげるだろう。しかし、そこは家の暗い存在、地下の威力をわけもつ存在である。」 
殺人事件の映画では、刑事が犯人の家に踏みこんで調べると、そこには地下があり、殺人のための道具や、
死体があったりする。 逆にファンタジー映画の場合は、屋根裏部屋の箱の中や、見知らぬドアに、
光が満ちていて、別世界への入り口になっている。 屋根裏部屋は最も孤独で静寂な上昇の象徴でもある。
私が4?10歳まで育った商家では、戦後の数年後に建てられた4Fのビルであった。
1Fが店、2Fが事務所と倉庫、3Fが台所兼食堂、そして家族の住居、4Fが従業員の宿泊部屋、そして街全体を見渡せる屋上。
まさに垂直的な存在、そのものであった。幼児期の、そこの体験は、まさしく小説のような生々しい物語の連続であった。
住まい、商いが、混同した楽しいが、しかし戦いの連続の世界であった。 そして、ついに大事件が幾つか発生した。
それは、ここでは省くが。 住まいは、外と内があり、内の中にも垂直と、横断(機能別の空間)があった。

・・・・・・・・・
2606, 脳内会話
2008年05月23日(金)

昨日の新聞の広告欄にー「脳内会話」の法則ー成功も幸福も3つの言葉で手に入るー
という本が紹介されていた。さっそく、検索などで、その3つの言葉を調べてみたが、何処にもない。
そこで新潟駅の本屋に行ってみたが、やっとジュンク堂に、その本を見つけた。
しかし、色いろの場面で、幾つかの3つの単語があっただけで、それほど目新しい内容でなかった。
もちろん買わなかったが、それでは私自身の脳内会話の3つの単語を幾つか考えてみることにした。
擬人法で、
・まずは *絶対肯定君、(反対の *絶対否定君)
・次は *欲望君、 ( *真面目君)
・最後は *冷静君 ( *情念君)  としてみたが、どうだろうか。
数日以内に、この6人に問いかけをして、脳内会話をしてみる。
ところで、脳内会話は、読書や、日記、そして独り言などで、誰もがしていること。
この随想日記や、バードウォッチなども、独り言そのものである。
私は、亡くなった父親と対話することが度々である。
「ところでお父さん、貴方なら、この問題を如何考えるだろうか?」とか、
「兄のこの件に関して、如何判断する?」などなど・・・
他にも、大学ノートに「モーニング・ページ」を毎日のように書いている。
白紙に9つの桝を書いて、その真ん中にはハートの絵と、その外側に心臓の絵を書く。
そして思うままに、ペンの動くままに書き込むのである。
これこそ、脳内会話になるが、さっき考えた肯定君や欲望君、そして冷静君など擬人法をつかって書き込めば、
  ペンの動きは更に活発になるだろう。 まあ、子供じみているが、その子供じみているからこそ良いのである。

それより、迷ったこの本を買いたくなった。中古本は出てないが、まあ、面白いか。
読めば、また脳内会話の擬人の6人も違ってくるはず?。
  私「ところで、冷静君よ。この原油の値上がりで、如何なるんだろう」
  冷静「誰も答えなど無いから、変化の時々に考えるしかないだろう」
  私「そうは思っているが、スタグフレーションという本当に性質の
    悪い大雪崩か、大津波みたいなやつ。高台に逃げようにも。??」
  
・・・・・・・・・・
2007年05月23日(水)
2241, ヤバいぜっ!デジタル日本 ?2
         o(゜∀゜)o オッ ヽ(゜∀゜)ノ ハー

二ヶ月前に家内がワンセグの携帯電話を買ったのをキッカケに、私も三年前の携帯電話を買え替えた。
前の携帯電話とは全くの別もので、ミニ・パソコン?ではないかと!
この本に、私が感じとったことや知りたいこと、その方向がわかりやすく書いてあった。
 ーまずは面白そうな部分からー

*インターネットの本質  ーP・29

 インターネットとは何か?
「バラバラで始まった世界のあちこちのネット同士を乗り入れ可能にするために、
 同じ技術を使いましょうという約束事である」 すなわち技術的約束事である。
同じ技術的約束事を持っている同士であれば、アメリカでも日本でも、どこからでも、
必要なサーバーやクライアントに入ることができる。
またどの場所でも、それが可能であるのが利点というなら、デスクトップよりノートパソコン、
さらには片手で扱える携帯電話が、より有利になる。すなわち、技術的約束事を持った携帯電話、もう少し言うと、
携帯トリプル?がこれから世界を席巻するということになる。
 
 携帯トリプル?とは、いわゆる携帯電話のことだが、それは既に単に電話ではない。
・メールやブラージングもでき、
・ラジオも聞け、TVも見れ
・カメラもついていて、
GPS付や財布にもなりはじめている、
これは、もはや電話ではない。だから、この進化し続ける複合機を、便宜的に携帯トリプル?と呼ぶことにする。
この携帯トリプル?はマイクロソフトインテルの牙城ではない。
国産OSを開発したり、リナックスなどに注力するより、携帯トリプル?をどうすればよいか
国際的戦略を組むほうが日本として大切なことになる。
インターネットは所詮、携帯トリプル?のバックテクノロジーに過ぎないことが、だんだんわかってくるだろう。
人々の生活を激変させるのは、インターネットではなく、携帯トリプル?である。インターネットは所詮、技術なのだ。
携帯T.?は、ハードやコンテンツではなく、まだまだスタイルを作ることができる。
その使いこなしの先端に立っているのが、いまの段階で日本人である。
ーー
 *携帯トリプル?が、パソコンの未来 ?P・30
実際、携帯T・?はパソコンの問題を多く解決している。
まず、小さい。安い。通信が殆ど落ちない。画面が固まらない。
所有者の身元が比較的しっかりしている。課金が簡単など挙がればきりがない。
すなわち、携帯トリプル?は、パソコンの未来なわけだ。
見方を変えれば、パソコンで今やっていることは、数年後には携帯トリプル?でも出きるということである。
現在キーボードや液晶モニターは、当分小さくなりそうもない。
投射型レーザーのヴァーチャル・キーボードや、ゴーグルタイプのモニターなども具現化しているが、
まだまだ使いづらい。したがって、人間の手の先にあるキーボードという入力端末と、
液晶モニターという出力端末のサイズはそのままで、その間に携帯T・?が挟まって使用できるというのが現実的である。
言わば、ポケットに入れて持ち歩きのできるCPU(パーソナルコンピューター)ということになる。
iPadがハードデスクをポケットに入れる新しい提案なら、次なる提案はポケットサイズのパソコンだろう。
  ーー
 *インターネットの限界 - P・32
インターネットはまだまだ無限の可能性があるように言われている。
私はむしろ逆で、行き先の限界をそろそろ理解しなくてはならないと考えている。
インターネットからまだ本物のスターは出ていない。それは何故か?
インターネットが、スターを生み出すような仕組みを持っておらず、
ここでは全員がスターだからだ。インターネットは大きな夢を生み出すのが苦手で、
マス・マーケットを狙ったエンターティーメントを構築するのが難しいのだ。
小さな個人の夢と欲望と、マスメディアとは違う大きなスキャンダルのようなもので
今日のインターネットのコンテンツは動いていると言える。
   ーーー
解)
確かに、携帯T・Xの最近の動きは異常と思えるほど進化を始めている。
私のように明治生まれの両親を持つものにとって、SFの世界のようである。
特に携帯T・Xに関しては、戸惑うほど進化が激しい。この日本の携帯T.Xが数年内に世界の文化を根こそぎ変え、
また光ファイバーを全国にいち早く導入した効果が、現象として現れ、それが+?面で顕著になっていくだろう。
    それが格差をさらに生み出し、社会を不安定にしていくだろう。 それも面白いだろうが・・・・
                  (´∀`)ノ~サイナラー
・・・・・・・・・
2006年05月23日(火)
1876, 10年後に後悔する事とは?
            おはよ?!(*^ワ^*)i 

あるHPを見ていたら、次の言葉に引きつけられた。
「10年後に後悔しそうなことをリストアップして、それを潰していく生きかたをする」である。
 (七田チャイルドの七田真氏と本田某氏の対談)
私が十年前に考えたことは、           (。-`ω-)ンー
「50代の10年間で60歳以降の人生を全て押し込んで生きる」である。
20~30年間を50歳代の10年間で全て前倒しにする、と。
それがこの程度の変化でしかなかったのか?。  ゜+.(○ゝω・)b+.゜。イィ??
という自問自答は残るが。現在になって振り返ると、先まわしをして良かったと思っている。
                        (*^U^)人(≧V≦*)/
後悔しそうなことを潰していく生き方は消極的に思えるが、
 「消極的な生き方(後回しーその大部分は中途半端)が一番後悔する」
 とリストアップすれば、逆に積極的な生き方が出来る。  (・∩・)?アレ??≡3   
想定可能なマイナスをあらかじめ潰すのは、最善の行為と同じか、それ以上である。
後悔することは、その時は気がつかない行為か、判断ミスが最悪だったということ。
それが想定可能かといえば、可能である。                 (‐”‐;)
ところで10年後に何を後悔するだろう?一期一会と、何ごとも真摯に立ち向かえば後悔することはないはずだが。
いや10年前に事業で時代の先行きを、より悲観的に読んでいればもっとシビアな手が打てたはず。

 ー面白おかしく「10年後の最悪の後悔」をイメージをしてみた?
                           (●´・△・`)はぁ? あ!
   ・酒を飲んで暴れて、家内に愛想をつかれて離婚。
    現在は年金で、何処かの街の安アパートで冷酒を飲みながら懺悔の日々・・
    それでも冷酒を飲んでいるのだから、懺悔にはならないか? ε-(;-ω-`A) フゥ…
   ・死んで、この世にいない。 誰も、もうこの男のことを憶えていない。
    二人の子供も、あの父親のことだけは思い出したくもないと墓参りもしない。
   (しかし自分がいないのだから後悔しようがないか          クゥ━il||li(っω`-。)il||li━リ…
   ・脳梗塞で入院しているが、気が短く、毒舌が冴え、同室の患者や看護婦から嫌われて自閉症気味。          
                           il||li(つд-。)il||li
   ・考えていたより遥かに、日本という国家の疲弊が酷い状態。
    10年前に海外に思い切って財産や生活の場を代えておけばよかったと、毎日の生活の追われる日々。          
                           (*´Д`)=3ハァ・・・   
    ありそうな10年後の姿である。   _| ̄|○
    より深く時代を読まなくては!酒にも、病気にも注意しなくては!       
                    (o´・ェ・`o)ノ♪ バイバイ!
・・・・・・・
2005年05月23日(月)
1511, 子供や若者が変!

若い人や子供をみて、「いまの若い者は!」とか、「今どきの子供は!」とだけは、言いたくはなかった。
同年代の人が、この言葉を言ったら顔を歪めていた。古代の遺跡にも「今どきの若いものは」と書き残してあったという。
しかし最近になって、じっくりと小学生や高校生を見てみると、やはり[最近の子供がおかしい]
と思うようになった。どうも、例の「ゆとり教育」のぶざまな結果である。
一時「ゆとり教育」が騒がれたが、いまや余りの学力低下に文部省も慌てふためいて
指導要領を見直すことになった。世界からみても、日本の学力低下が著しく目立ったためである。
20年前からスタートして、2002年開始の学習指導要領で完成したはずの「ゆとり教育」が、
「学力だけでなく、質そのものの低下になってしまった」と、いうのだ。
それでは、その「ゆとり教育」とは何だったのか
ー以下は、あるHPから抜粋した学力低下の実態であるー

OECDが3年に一回、世界41の国と地域を対象に行っている
国際学習到達度調査の成績が前回は8位であったが、今回の調査で日本は14位。
3年で6位も転落してしまいました。日本が得意とされてきた数学力でも日本は1位から6位に転落しています。
この傾向は他の調査でも同じで明らかに日本の子どもの学力は低下している。
また、日本地理学会が発表した初の「世界認識調査」で、日本の大学生や高校生を対象に最近ニュースなどで
よく取り上げられる世界の国と地域の場所を認識しているか調べたところ、
約4割がイラクの位置を正しく認識しておらず、アメリカも約3%が場所を知らないという実態が明らかになった。
一方、日本の子どもが宿題する時間は1時間で調査国の中で最下位。
また、学校以外の学習時間は、1週6.5時間で、世界の平均8.9時間を大きく下回ってます。
ここからは、テレビに夢中で、勉強せずに、次第に能力が落ちていく
日本の子供という現状が浮かび上がってきます。 一体、何がいけないのでしょう?
原因のひとつは「ゆとり教育」とも言われています。
ゆとり教育は、1976年、中央教育審議会(当時の教育課程審議会)が受験戦争の激化や知識偏重教育を批判して、
「ゆとりと充実」という言葉を答申に入れたことが発端でした。
そしてそれ以降、このようにゆとり教育政策は進められてきました。
天然資源のない日本が大国になることが出来たのは、明治以来の教育による優秀な人材を輩出したことが大きいと言えます。
それらの人材は「国定教科書」という一律の教材を使用、一律の教育方法で、全国共通の標準語で教育されて生まれました。
しかし、この教育は「兵隊とロボットを作る教育」とも言われ、戦争においては優秀な兵士を大量に、
戦後においては、工業社会の優秀な戦士を大量に育成する教育法でもあった。
一定限度の能力を持ち、協調性のある人材を生み出しますが、独自の発想や、
周囲よりぬきんでた能力の開発という意味ではむしろマイナスの教育だったのです。
しかし、現代の情報社会の本質は、そういった人材作りとは違うところにあるのではないでしょうか。
これからの教育にはこれまでの一律の教育から脱皮して、「独自の発想の出来る人間の教育」が急務なんです。
では、どうすれば、そのような人材を育成できるのでしょう?
ーーーーーー
以上であるが、ゆとり教育の結果が、その弊害だけがでてしまった。
「お子様大事、優先」の結果、どうにもならない馬鹿な世代が出来上がってしまった。
現在の小学生から大学生を中心にした世代である。教育現場では、大問題になっているという。
現場の教師が一番そのことを知っており、自分の子供は私立の小学校・中学校に入れるという。
それだけでなく、小学校の先生は父兄に私立の中学に行くようすすめているという。高校にいたっては、
30?も中退するところもあるとか。特に、外資系の会社員は「ゆとり教育」など認めてなく、
個性のある私立校に当初から子供を進学させていた人が多い。
何か、失われた10年は経済・政治だけでなく教育界も同じだったようだ。
衰退する時とは、こんなものだろう。 恐ろしいものだ。

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2004年05月23日(日)
1146, {上に立つ者の道}三十ヵ条

{上に立つ者の道}三十ヵ条がよい。
これは住友の岩澤正二氏が部下達に与えた指導者としての指標という。働くとは、
人間関係のどういうことが求められるか、どういう人間であるべきかの多くの示唆が含まれている。
耳の痛いことばかりである。住友の気概がそのまま伝わってくるようだ。
もっと早く、知っておくべきことがあまりにも多い。道としているところがよい。
理想は何処までも遠くにあっても一歩ずつ歩いていくべし、ということだろう。

1.むかう所を明瞭に示せ。
2.信を他の腹中に置け。
3.虚心担懐、光風霽月、是を是とし、非を非とせよ。
4.褒める時褒め、叱る時叱る。
5.権謀は無策に劣る。功詐は拙誠にしかず。
6.功を部下に推し、責めを身に引け。
7.広く意見を徴すべし。部下の話は熱心に聞け。
8.己に薄く人にあつく、己に厳に人に寛なれ。
9.長所を見て人を使え。人は誰しも長所を有す。
10.愚痴と立腹と厭味とは人の上に立つ者の大禁物、言いたきことあるも耐え得る雅量あるべし。

11.みだりに難きを責むるな。ただし、泣いて責むべき場合あり。
12.自分がまず研究して確信を得よ。
13.金銭に恬淡たるべし。
14.部下の人事に熱心なれ。人の世話はよくしてやれ。
15.その労するところを知り、よく、これをねぎらえ。
16.寡黙重厚。従容自若。眼眸厳正。挙止端正。
17.よく休ませ得る者は、よく働かせ得るものなり。
18.人のことをわがこと程に思え。
19.努めて失意逆境にある人をひきたてよ。
20.自他の職域を守り、これを尊重せよ。

21.知らざることは、あくまで知らずとなせ。
22.少なく言い、多く行え。
23.絶えず研究して、一歩先んぜよ。
24.小疵をもって大功を没すべからず。
25.部下に威張るな。部下の機嫌をとるな。 至誠一貫、正々堂々。
26.外柔内剛、柔らかくとも一節あれ。
27.事をなすには、腹をきめてかかれ。やるべきときには、断乎としてやれ。
28.上に立つ者は、部下をして己の最大の保護者たることを感ぜしめよ。
29.自分一人にて事をするな。任せて人を使え。ただし、監督を怠らば、仕事をする人に張り合いがなくなる。
30.自然に導くを得場、上の上なり。
31.部下と能力を競うな。
32.象徴を高く掲げ、衆心一致、精神の統一をはかれ。
 中心の引力はあらゆる手段をつくして強固ならしむべし。

 会社組織だけでなく 、家庭や各種グループのリーダーに参考になるメッセージが多くある。

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2003年05月23日(金)
779, 茨城 のり子の詩
  何げなく読んだ茨城のり子の 詩がよい。魂の響きがそのまま直に伝わってくる。
    インターネットで調べてコピーした。 私の解説など入らない!        
  落ちこぼれ       茨城 のり子
       (字数の関係でカット2,008年05月23日)
    
 ・・・・・・
 2002年05月23日(木)
415、「テーマ日記を書き始めて一年 ー2」

ホームページ上のテーマ随想日記は、非常に有効だ。
一年書き続けて、毎日それなりにチャンとテーマが出てくる。10日に一度くらいが、
まったく思いつかない状態になるが、それでも、その状態の中でも湧くように出てくる。
書き続けることが大事である。「一ヶ月で、千項目テーマをあげて文章を書け」といわれても絶対に不可能だ。
しかし毎日一項目書き続けることは不可能でない。
その習慣をつければ、何とか千項目書けるのではないか。後二年近くかかるが。
それさえ作っておけば、自分のデータベースになる。
大テーマを立ちあげた時に、それぞれの大テーマに合わせてそれを組み替えればよい。
書いているうちにコツが解ってくる。新幹線の中とか、散歩の時間にそれを集中する。
またどういう訳か集中できるのだ。この時間の集中の積み重ねが、膨大のデーター化になる。
またテーマを考えることと、そのテーマに対し色々言葉を組み合わせる作業が考えを深める。
内容に対しては、それぞれ批判があると思うが、その時点の自分の
自然に出てきたテーマと内容なので、これ以上でも以下でもない。
書き続けるポイントは「ギブ・アンド・ギブ」である。そうでなくては、続けられない。
今までの自分の持っている経験・知識を全て吐き出し、現在、得た情報をそのまま出し続けなくてはならない。
しかしそれを実行していると、他のホームページのそれが良く理解できるからだ。
そうする事が、逆に自分の為になるからだ。仏教の布施、キリスト教のボランティアみたいに。
それをすることで、他のページのそれが解ってきた。自分が入れたエネルギーの数十倍、いや数百倍が入っている事が、
理解できるようになったからだ。 そうしていれば、相手の内容を見る目が違ってくる。
また謙虚な眼で、それを見ることができるようになってくる。またその時々のメルクマールにもなる。
時間が経つにつれて、自分の考えもどんどん変化していく。
その変化した視点で、過去の自分の考えを見つめ直すこともできる。