昨日、地元長岡の300人のディナーショーについて書いた。
「直感的にディナーショーの会場の雰囲気がディズニーランドと感じたが何故?」と考えてみた。
ディズニーランドは遊園地。 家族、友人が連れ立って浮世から離れ異次元の世界を楽しむ幻想の世界。 
その辺がディナーショーと同じと感じたのだろう。
女性達が最高の御洒落をし、仮想(仮装)を楽しむところが酷似しているのだろう。
ディズニーランドの御人形に自分がなってしまうところがミソ。 その点では、ベニスの仮面舞踏会の方に近いか。
一万円でディナー付きでショーを楽しんだ上に、互いの着飾った姿を楽しめるのだから、これはこれで良い。 
それも小さな地方の街で、300人も集合したハレの世界である。
最近、「共同幻想」という論を知った。そこに「共同幻想、他幻想、自己幻想」というのがあった。
全てが幻想でしかないなら、仮装をすれば良いのである。 
服装は、第二の皮膚というなら、可能な限り良いものを着ればよい。虚飾も、それまた「虚飾した自分」である。
全てが元々幻想でしかないのだから。ただ、解った上で幻想を楽しむことだ。人生は楽しめるうちに楽しんでおくこと。 
また、笑えるうちに笑っておくことである。 そう思えるようになったのは、歳をとったということだろうか?
聞くところによると、300人のディナーショーは、地元では珍しいという。
あれだけの女性を集めるというと、色いろな難しい点があるはず。
あの人と同席は嫌だとか、隅は嫌だとか、女は難しい。 ディズニーランドというより、ズーの世界に近い。
それも固定化された城下街のこと。 私の知らないことだが、キメの細かいカースト制度(身分社会)があるのだろう。 
誰々は銀行の重役とか、お医者様の奥様とか、今はときめく新興ソフト会社の社長婦人とか。
逆にそれまで、ふんぞり返っていた旦那の会社が倒産して、小さくなっている奥様とか。 
その渦巻く社会のアッパーが凝縮した世界を「御伽話」として、現に見ることができたのである。
まあ、そういうこと。 ミッキーマウスは、チャップリンからきているというが・・・

・・・・・・・・・
2599, 楽天主義とは
2008年05月16日(金)

こういう先行き不安定の時、せめて気持ちは楽天的でなければせっかくの娑婆、
勿体ないではないかと思う日々である。 そこで楽天主義を フリー百科事典
ウィキペディアWikipedia)』で調べてみた。
 〜〜
楽天主義とは、optimismの訳語のひとつ。 哲学上では最善説と訳される。対義語は悲観主義
ライプニッツの予定調和を主張する「最善説」に由来する。
ライプニッツは、現実世界は可能なすべての世界の中で、最善のものであると考えた。
かれはまず想定可能なすべての世界を考える。しかし、このうち、内部に論理的な矛盾を孕む世界は
  そもそも現実化可能ではない。そこで、この共可能的な事象の組み合わせからなる複数の可能な世界のうち、
どのような世界が(神によって)実現されたかが問題となる。
そこで、かれは、神は定義に善なるものであることが含まれているのだから、
選択された世界は最善であったはずだ、と主張した。
 ヴォルテールはこの最善説を揶揄批判したが、ライプニッツは、現実世界が、すばらしい場所である、
  またはすばらしいことが起きる傾向がある、ということを述べているのではなく、
 「現実は起こりうることの中では一番マシである」と主張しているのである。
ひとが想定するよりよい世界は、人間の限定された知性と知識では認識できない、何らかのそれを補う悪や、
あるいは、現実化を阻む論理的な自己矛盾を持っているのだ、ということである。
ただし、この最善たる「現実の世界」は「現在」とイコールではないため、進歩や改良の可能性が
否定されているわけではない。 したがって、むしろ、起きたことは必然であった、というような納得と近い。
 〜〜
 なかなか、ライプニッツの最善説は、説得力がある。
「神は定義に全なるものを含んでいるから、その神が選択された世界は最善であったはず」という主張はよい。
 ものごとをどう解釈するかで殆どが決まるのだから、世界は最善と信じて疑わなければ、それはそれでよい。
 ただ落語に出てくる怠け者の与太郎の楽観ではなく、最善をつくしてひた向きに努力をすればこそ、
 悪いことも試練になる。 最善を尽くして天命を待つのが楽天である。 
 過去を振り返ってみると、不安で眠れない日が続いても、結局は何とかなった。
 寝れない夜に、あれこれ考えて練っていたからこそ、何とかなったのである。
 私のギリギリの時の内語は、
「最善を尽くしてのだから何んとかなる、その結果に対しては、その時に再び最善を尽くせばよい」である。
 楽観とは、「今日は、昨日より良くなる、明日は今日より良くなる」という気持ち。
 同じ境遇で、片方はどんどん良くなり、片方は全く不幸な人生を生きることになるのは、楽観的に考えて、
 問題解決の核心に向かって努力をするかどうかの差である。 
 鼻歌を歌いながらスキップをして目的地に向かうことである。 

・・・・・・・・・
2007年05月16日(水)
2234, 国民投票法成立で思うこと!

           (o゚▽゚)o オハョ〜
国民投票法が成立をしたが、遅いくらいである。グローバル化の時代には、
益々軍隊の必要性が増えるし、原爆保有を検討しなければならない時期になった。
当たり前のことが当たり前で通らないのが、この国家?の憐れなところ。
北朝鮮が原爆を持ってテポドンで恐喝してきた時、一番簡単なのは同じ原爆を
持つしかないのは至極当然のこと?被爆国として核絶対反対!とは言ってはいられない。
アメリカに民間人の町に原爆を投下されて数十万人殺されているのである。
アメリカは何らかの形で復讐をされまいかと恐れるから、日本に去勢憲法を成立させたのは自明のこと。
原爆を持たない限り、この国は独立、自立はできないと考えるのは当然。
原爆を持つことは何か極右的ようだが、そうではない。それだけの資産と債権をアメリカなどから買わされていれば、
それを守る為に、それ相応の軍事力を持つのが国家というもの。現憲法世界遺産に? お笑いもいいところである。 
 現在の日本は何かがおかしい! 暴力団の存在の容認も含めて! 
こんな意見は数ヶ月前までは全く無視していた。しかし、北朝鮮の動きや、国際情勢を知るにつけて、
日本の国内の憲法擁護等の意見を知れば知るほど、何かおかしな日本人と、解ってきた。アメリカも含めて、
日本など赤児のようにしか見てないし、中国も日本を軽蔑し始めた。
私が中国人なら現在の日本なら徹底的にバカにする! アメリカに徹底的に騙され、略奪されて、
ファンドと評した外資に撹乱されて、経済占領の状態で、やりたい放題。
アメリカの格付け会社が日本の会社を勝手に格付けをして、株価操作をして買占めを容認している現実がある。
あと数年もしないうちに、株価暴落を操作されて更に日本の買占めに入ってくる。
それらを考えるにつけ、やはり強い軍隊を、それも経済合理的な原爆を持たなければならない。
真の独立が今の日本に出来るのだろうか?  疑問に思うが!
           (○´ω`○)ノ**SeeYou**(○´ω`○)ノ
・・・・・・・・・
2006年05月16日(火)
1869, グーグル Google −6
        ォ'`ョ━━(。・∀・)ノ゙━━ゥ★
このへんの話に驚くようでは、かなり遅れているのだろうが、「情報化時代とはこんなものだ」
 という事例として理解しやすい。 まずは、ポイントを要約する。
     −−−
第二章 小さな駐車場の「サーチエコノミー」

グーグルの巨大な収益構造は、いったい何処からきているのか。
この一見してグーグルや先端ネットビジネスとは何の関係もなさそうな、
ごく殺風景な場所にある小さいな駐車場から始まる。
東京都大田区京浜島。羽田空港の近くある小さな島である。そこで200台の駐車場 B&B を経営している夫婦の話。
集客に大手旅行代理店に頼りざるを得ない駐車場ビジネスとうのは、経費を徹底的に押さえ込んで、
かろうじて損益分岐点を越えることができる微妙なビジネスである。
集客に悩みに悩んでいた山崎夫妻がインターネットと出あったのは、広告制作をしてくれた知人だった。
「ホームペイジを作ったほうがいいよ」とアドバイスをされ「民間の羽田空港駐車場。 B&Bパーキング。
羽田空港近くの駐車場。 オンライン予約可能」というキャッチフレーズを作り、HPから予約できるようにした。
これだけでもかなり予約が入ったが、さらに飛躍するきっかけになったのは、何といってもキーワード広告に参入したこと。
そのキーワード広告とは、グーグルの「アドワーズ」と、オーバーチュアの「スポンサードサーチ」である。
世界的にも、日本的にも、この2社がおおむね市場を分け合っている。
 このサービスの内容とは、どのようになっているのだろうか。
    
例えば神楽坂の花屋の主人とする。
《字数の関係でカット09年05月16日)   ヾ(^ω^*) バイバイ!
・・・・・・・
2005年05月16日(月)
1504, 平等について−2

社会主義の失敗は、この「平等が基本」という前提が間違っていたことである。
建前と本音が人間にはある。 その本音の部分を見落としたのである。
だから、官僚という特権階級の利権の肥大化が資本主義者の特権階級より
進んでしまったのだ。現在の北朝鮮や中国の姿である。 不平等といえば、インドのカースト制度がある。 
  大きく分けると、4階級。細かく、500階級もあるという。下の人に不満があるかというと、そうでもないという。
  下ほど、多くの数の見下せる人達がいることと、ヒンズー教の教義の裏づけがあるためだ。 
  それと3000年の歴史がある。 不平等という本音が、そのまま生きている国なのである。
先回書いた、鷲田と三浦の対談の中に「運命まで平等にしようとする」が、本質をさらについている。
 −−
・鷲田
美人に生まれようが、ブスに生まれようが、偏差値が高かろうが、低かろうが、それはその人の運命である。
運命は自分で引き受けなくては、それが人間の基本です。ところが世の中のすべてを同じようにならそうとする。
偏差値の高い人も低い人もなるべく同じ土俵において、差をつけようとする。
どこかの放送局で女性アナウンサーがある年齢になって他の部署に配置転換されたら、不当だとか抗議したというのが。
TVを観るほうからしたら、原稿を読むアナウンサーならくたびれたオバサンよりも、若いきれいなお嬢さんの方が
  良いに決まっている。放送局が配置転換をするのは当然のことです。その当然のことをいかんというのです。
平等になろうという意識が、いかんと言わせているのです。
・三浦
運命まで、平等にはできるわけにはいかない。
・鷲田
そうですよ。運命の平等化なんてフィクションです。そのフィクションまで平等化しようとしたのがマルクス主義です。
そこが、あの思想の危険なところがあったわけです。その危険な余韻がまだ尾を引いているということです。
 −−−
フランス革命の「自由・平等・博愛」は、それまでの王政の矛盾を破壊するための理想であった。
人間は自由を目指し、平等であるべきだ、そのためには博愛をもっていなくてはならない、ということである。
しかし自由の獲得は簡単ではないし、人間は不平等である。そこで博愛で乗り越えていかなくてはならないということ?

・・・・・・・・・
2004年05月16日(日)
1139, マザー・テレサ

「ライフ・レッスン」の著者であるキュープラー・ロスの本の中に度々出てくるマザー・テレサを調べてみた。
知っていたことといえば、インドのカルカッタで貧しい人のため全てを投げうって奉仕活動をして、
その結果として、ノーベル平和賞をもらい、数年前に亡くなった。という位であった。
彼女の言葉の中から、彼女の素晴らしが、そのまま伝わってくる。
読めば読むほど、彼女の一生を投げ打った言葉の輝きがみえてくる。
そして自分の卑小さがみえてくる。ただ無心に読むとよい。
 
 ***
・インドの最下層の人たちは、あなた方が想像できないほど貧しい生活をしています。
  しかし、彼らの心はあなた方が想像もできないほど人間的です。
・この世の最大の不幸は、貧しさや病気ではありません。
  むしろ、そのことによって、見捨てられ、誰からも自分は必要とされていないと感じることです。
・今日、貧しい人々はパンやご飯、愛や神の生きた言葉に飢えているのです。
  貧しい人々は、水や平和、真実や正義に渇いています。 貧しい人々は、レンガでできた避難所、理解し、
  包みこみ、愛する幸せな心、という安息の場を与えられていないのです。
・私たちの使命は、ソーシャルワーカーではありません。
  貧しい人と共に生きて、貧しい人を愛することです・・私たちは、貧しさの中にこそ、喜びを見いだすのです。
・大切なことは、貧しく、見捨てられた人々に兄弟姉妹として接し、
  人々の痛みを自分の痛みとして受け止め、愛を分かち合うことです。
・私たちの目的は、神がこの世を愛しておられるということを宣言することです。
・もし家庭が祈ることを始めるなら、愛と一致がもどるでしょう。
  というのは共に祈る家族は共にとどまるからです。祈りの実は信仰です。信仰の実は愛です。愛の実は奉仕です。
・今日の最大の病気は、らいでも結核でもなく、自分はいてもいなくてもいい、
  だれもかまってくれない、みんなから見捨てられていると感ずることである。
・最大の悪は、愛の足りないこと、神からくるような愛の足りないこと、すぐ近くに住んでいる近所の人が、
  搾取や、権力の腐敗や、貧しさや、病気におびやかされていても無関心でいること。
  ……病気の人、苦しんでいる人にとっては、この会の人がいたわりと慰めの
  天使でありますように。わたしどもの貧しさの生活は仕事にも劣らず必要である。
  どれほど貧しい人に借りがあったか、天国へ行ってはじめてわかる。
  彼らのことでもっと神を愛することを教えられたということのために。
・親切で慎み深くありなさい  あなたに出会った人がだれでも
 前よりももっと気持ちよく  明るくなって帰れるようになさい  親切があなたの表情に
 まなざしに、ほほえみに  温かく声をかけることばにあらわれるように
 子どもにも貧しい人にも  苦しんでいる孤独な人すべてに
 いつでもよろこびにあふれた笑顔をむけなさい
 世話するだけでなく  あなたの心を与えなさい
・ある人びとが豊かに生活できるのは、それなりの理由があるはずです。
 そのために働いてきたに違いありません。
 ただ、私は物が浪費されるのを見ると怒りを感じるのです。
 私なら使えるものを人びとが平気で捨てる時に。
・・・・・・・・・・
ー1997年
平成 9年 9月5日(日本時間9月6日午後6時)「もう息が出来ないわ」の言葉を残し永眠。
9月13日インドで国葬が行われた。 国家元首でも首相でもないのに、異例の国葬です。
マザーがどれほどインドの人々に愛されていたかが、わかります。
 ーマザー・テレサやシスターたちのとなえるアッシジの「聖フランシスコの祈り」
主よ、私をあなたの平和の道具としてお使いください
憎しみのあるところに愛を
争いのあるところに許しを
分裂のあるところに一致を
疑いのあるところに信仰を
誤りのあるところに真理を
絶望のあるところに希望を
闇に光を
悲しみのあるところに喜びを
もたらすものとしてください
慰められるよりは慰めることを
理解されるよりは理解することを
私が求めますように
わたしたちは与えるから受け
ゆるすからゆるされ
自分を捨てて死に
永遠の命をいただくのですから

・・・・・・・・・
2003年05月16日(金)
772, 家電の買い方

 私の値がさの家電やビデオなどを買う時の方法論を書く。 見る人が見たら何を今更のことでしかない。
しかし衣料量販店のバイヤーや、大きい買い物ではホテルビルの発注の経験をしてきたので、
  買い方は他の人よりは知っている?
 何事もまずは情報である。昨秋に50インチのPDPTVを買った時には事前に量販店の売り場に30~40回は通った。
職場の近くに石丸電気とヨドバシがあるからだ。また休日にはコジマ電気、ジョーシンヤマダ電機など
5~6軒を数回ずつ回った。 それを楽しむのだ。まあ買い付けがすきなのだろう。
何といっても決めては、インターネットの価格・comで値段と情報を仕入れる。
商品ごとのチャットの記録が残っている。かなり詳細の実際買った人の会話が載っている。
 以前のTVを買った量販店に行き,正直に価格・comで調べた値段をいう。
もちろん他の家電の見積もり値段も言う。それは会員証の記録で解るから、本気で対応してくれる。
全く同じ型番でも、数ヶ月で新機能が加えられる。メーカーはそれまでの在庫を量販店に破格の値段で流すのだ。
  といってPDPTVはホット商品である。そういう情報はチャットに載っている。
  ジョーシンで、チェーン店内の在庫でそれを捜してくれた。買うと決めたら、その時点からゲームにしてしまう。
一番スタンダードの方法は、ヤマダ電機とコジマ電気に見積もりを取ることだ。
さらにジョウシンにいってその下にならないかと聞く。値がさのものなら、ギリギリ下げてくれるはずである。
それなりのエネルギーを使ったぶんだけ安くなるの間違いはない。
その為には執念とプロセスを楽しむ事だ。何ごとも同じである。
 そういえば週刊誌で、記者が上記と同じ買い方をして記事にしていた。
あまりの値下げに驚いた内容であった。 この程度の事は誰もやっているか!


2962,若者たちは今 −2

2009年05月15日(金)

 −若者が危ない!ー

いつの時代にも「今時の若者は」と言われてきたが、少し前の経済週刊誌に
 「現在の20歳代が危ない」という特集をしていた。
その特徴として、
・上昇志向なし
・10歳代で「失われた10年」を経験
・二年で3割離職
・20歳代前半の43パーセントが非正規社員
・親との同居率6割
・職場に不満は過半数
・海外志向のない若者が半数 
・あまりモノを買いたがらない   等々である。
 今さらだが、彼らには弱肉強食の意識が欠落、若いときに辛い体験をして、それをバネにして上を目指そう
という気持ちが欠落している。韓国、中国などの若者に比べて、全く人生に対する姿勢が劣っているようだ。 
例の「ゆとり教育の犠牲者」なのである。 こういうマイナスの回転に引きこまれた世代は、
何処までもマイナスがついて回るのだから、気の毒といえば気の毒。
我われの世代が逆にプラスの回転だったから、それが鮮明に見えるのである。
前向きでないからか、消費や海外に対しても興味を示さず、ただ目先の安定を求めてしまう。
これからの長い人生をどう生きていくのだろうか? 
この世界恐慌の中で、プラスの気持ちも持ちにくいのはわかるが・・・。
アメリカが戦後日本を徹底的な隷属国家として、骨抜き戦略をしてきた最たる象徴が、
三十代前半から二十歳代の若者である。考えてみたら団塊の世代の子供たちが核になっている。
団塊の世代は日本が歴史上、冷戦の中でアメリカの支配下としても豊かさを一番享受してきた世代で、
その子供として、その恩恵を受けてきて、成人になったと同時に失われた十年を経験したのだから・・・。
 いま一つの現象が現在の政治家と官僚である。 国家の体質を変えることが出来ないのである。
戦後60年以上にわたり破壊された日本的風土は、長期にわたり国家停滞をもたらすことになる。

・・・・・・・・・
2598, 中国の地震について
2008年05月15日(木)

中国の地震は、死者行方不明は十万人以上の可能性も出てきた。
産経新聞が行方不明9万人と報道していたが、まだ真偽は解らない。
中越中越沖地震がマグネチュードが6・8、今回の中国の地震が、7・8。 
震度が一違うと32倍というから、いかに大きな地震だったか!が推測できる。
32年前の文革真っ只中に24万人の死者の地震があったというから、日本の最近の地震とは規模が違う。
この地震もも、マグネチュードが7・8だったという。最近は誰もがデジカメか携帯電話のカメラや、
ビデを撮ってしまうから情報管制は難しい。連日、生々しい写真が出始めている。
スマトラ沖地震と、ミャンマーのサイクロン、そして、この地震と大規模の災害が続いている。
それも中国にとって華やかなオリンピックの聖火リレーの最中に。そういうものである。
 以下は、新聞の記事で、最も簡潔に知りたいことが書いてあった記事である。
  =毎日新聞 ー余録:四川大地震
人類史上最悪の自然災害は、明時代の中国で起こった華県地震と呼ばれる震災という。
1556年1月23日、陝西省西安の東方約70キロの華県で発生したマグニチュード8の地震で、死者は83万人に及んだ
▲その有り様は「地陥没、裂開し、震裂の大なるは出水、出火してその怪形容すべからず」と伝えられている。
人的被害が大きかったのは、この「地陥没、裂開」のなかでヤオトンと呼ばれる横穴式の穴居住宅の多くが崩れたためといわれる
  毎日新聞 2008年5月14日 0時07分(最終更新 5月14日 1時36分)
 ーー
 中国もソ連解体と同じ道を歩くのか、それとも13億の民を守るため、共産党という建前の強大な権力が
 必要悪として許容するのか、この数年は目を離せない状況になってきた。

(以下、字数の関係でカット09年05月15日)
・・・・・・・・・
2007年05月15日(火)
2233, しお壷の匙  ?2
         (´∀`σ)σ オハYO!
 
この中の「銭金について」の上司の言葉と、本人の動揺が面白い!
「学生気分が抜けない頭でっかち」を注意された時のカルチャーショック。
誰もが一度通らなければならない精神的脱皮の時である。
働くとは何か?  金を稼ぐことである。 生きるためである。
そして、その中に生甲斐を見出していくことである。
一度、徹底的に自分を破壊して、金を稼ぐプロとして再生しなければならない。
これが三年目にくるか、十年目にくるか、それぞれ違うだろうが。

ーまずは、その部分を抜粋してみる。
 ーー
「・・ある日、私は上司に呼ばれ、きみはまだ学生気分が抜けていないんじゃないか、
お世辞、お愛想の言い方がへただ、と注意された。突然のことに当惑していると、
上司は自分の机の抽出しから一冊の本を取り出し、いきない「これは何だッ。」と呶鳴った。
見れば、それは私の本だった。当時、新潮文庫の一冊として上板された、プラトーン・田中美知太郎訳
「ソークラテースの弁明」であった。私は己れを慰めるためにそれを書店で求め、通勤の往き帰りに
電車のなかで読んでいた。 上司はそれを私の机の中から取り出し、咎めているのだった。
「俺はお前が週刊誌を読んでいる姿、見たことねえぞ。これは何だ。
こんなもの読みやがって。こんなもの読んでて、金に頭を下げられると思ってんのか。
人間の心は捨てろ。そうすれば、どんなことだって平気で出来る。
人におべんちゃらを言うことだって、人を騙すことだって平気で出来る。
俺たちは人に頭を下げることによって、飯を喰ってんじゃねえぞ。
金に頭を下げることによって、喰ってるんだ。いいか。お前はその屈辱にもよう堪えん男じゃないか。
金に頭を下げることのありがたさを知ったら、どんなことだって出来る。
屈辱に堪えること、それがお前の喰う飯の味だ。お前だって、金なしには飯が喰えん男じゃねえか。
その金は誰からもらうっているんだ。おう、どんな別嬪も便所へ行ったら、パンツを脱いでしゃがむんだ。
人間の心を捨てろ。いいか。」 ・・・  私にあっては、この小事件は大きな意味・価値を持っていた。
私はプラトーンを読みながら、併しまた同じくプラトーンを読む他人で、これを読むことに屈辱を覚えない人には、
も早何も共感を覚えなくなっていた。 世の中にはプラトーンを読む人は多く、寧ろこれを読むことを己れの「誇り」
にしている人の方が多い。私にはその自慢がましい精神態度が、頓珍漢な思い上がりにしか見えなくなった。
・・・併し私はそれでもプラトーンを求めないではいられなかった。この屈折は、私に苦痛を強いた。
  ーー
  解) 私が金沢の某会社に勤めていときの上司に似たようなことを言われたことがある。
    もっと次元の低い内容であったが、まだハッキリ憶えている。 その時は「自分の見える限界でしか、
    人は見えないということか?」と頭の中で呟いていたことを覚えている。
    上司や仲間を同列の相手として見ていない自分が、そこにあった。
    甘さを背中に抱えながら、見て見ないようにしていた自分が当時の自分であった。
    この文章を読みながら、なるほど金を稼ぐということの難しさを改めて思い知った。
    生存と、成長と、ライバルとの競争と、何の手がかりのない空虚のあせりの中で・・・
    当時は、目の前に置かれた一冊の宗教書「大本教の出口王三郎」の言葉であった。
    その歪みの心の中で、木に登って=「プラトンを読んで」現実からの自己逃避をしていた著者と、
    現実という熊の吐く息が、その上司である。今の若者、いやこれは何時の時代にも通じることだが、
    本も重要だが、シッカリと地に足をつけた割り切りも重要である。現在の私の年齢の厳しさは、
    過去の自分の足取りがそのまま、自分に突きつけられるためである。
    心が締め付けられる思いを毎日のようにしている。 ただ金銭感覚は、両親から徹底的に教え込まれたが、
    一日、二時間の読書は必ず、していたが、それでも後悔すること然りである。
                   (*・ω)ノβψε★βψε
・・・・・・・・
2006年05月15日(月)
1868, ブログは社会革命ー 2
                      おはよ?!(*^ワ^*)i
    
いま一つ劇的なポイントがあった。
それはブログに書かれた記事は、検索エンジンにとっても検索されやすいということだった。
わかりやすく言えば、ブログの記事や日記は一本一本が独立したHPのような形式になっている。
検索エンジンはこうした構造のHPを好むから、結果的に検索エンジンはブログに書かれた内容であっても、
企業のHPと同じように検索エンジンに取り扱われるようになったのだ。  
ウェブ進化論」の第四章ブログと総表現社会 の中に解りやすく書いてある。
ーひとつはブログの仕組みは、記事をコンテンツの単位として設計されている
ということだ。つまり、ここの記事に固有のアドレス(URL)がつけられた。
技術的に難しいことではないが、これが当たり前になったのが非常に大きかった。
それぞれのブログの記事に固有のアドレスがつけば、「○○さんのブログ」というたくさんの情報が
混在する塊を指し示すのではなく、「○○さんのブログのこの記事」とピンポイントで紹介できる。
そのウェブサイト全体の内容が次々と更新されても、書かれたその記事のアドレスは変化せず、リンクは永続する。
ウェブサイトという単位よりも、もうひとつ小さなくくりである記事が、ブログで取り扱う標準単位になった。
                      (*^ー^)/C□~~ コーヒー
第二の技術的変化は、RSSという古い技術がブログという新しい仕組みに取り込まれ、全く新しい可能性を拓いたこと。
RSSとはウェブサイトの更新情報を要約してネット向けて配信するための文章フォーマットのことだ。
もともとウェブサイトとは実に受動的なメディアで、サイト上で何か更新を行っても、
誰かがそのサイトを見に来てくれない限り、その更新は人の目に触れないという
代物であった。しかし「更新情報を要約して配信」できるということは、
そのウェブサイトをの更新を能動的にネットに向けて知らしめることができるということを意味する。
記事をコンテンツの単位として考えたブログの仕組みと、サイト内の記事を配信するというRSSフォーマットの
構造がうまくマッチしていたため、ブログを書くためのツールの殆んどが、最初からRSS配信機能を組み込んだ。
つまりブログツールは、記事がかかれてサイトが更新される度に、RSSフォーマットの情報を、ネットに向けて
自動的に配信するようになったのである。むろんブログの書き手のほとんどはそんなことを知らない。
しかし、インターネット上は、ブログを書いた人たちの記事の数だけ吐き出されたRSSフィードで溢れるようになった。
フォーマットが標準化されていたから、ネット上の誰もが、それらを拾って蓄積したり、加工したり、サービスを開発が
できるようになった。情報の自己増強・伝播メカニズムの芽が、ブログとRSSの組み合わせによって生まれたのである。
            (o´・ェ・`o)ノ♪ バイバイ!
・・・・・・・・
2005年05月15日(日)
1503, 平等について ー1
ー不平等が人間の基本ー

フランス革命の旗印は「自由・平等・博愛」である。
その自由に重心を置いたのが、自由主義であり、平等に重心を置いたのが、社会主義である。
博愛に重心を置いたのが宗教というところか。「自由」については何回か書いたが、今度は「平等」
について考えてみよう。『日常生活に哲学は必要だ』ー三浦朱門と鷲田小弥太の対談集ー
の中の「平等について」の一節に明快に書いてあった。 これから考察してみる。
ーまずは抜粋してみるが、「平等」に対して、これだけ解りやすく納得させてくれるのも珍しい。

ー「不平等が人間の基本」ー
・三浦
 社会主義の基盤は平等です。さっき、人間は共産主義者が好きなのではないという話がでましたが、
それは実は平等が好きだということなんです。実際、遠見に見ると、人間なんてどれもこれも同じなんです。
たとえば学校を見ると、卒業式とかなんかで、クラスの記念写真を撮りますね。
これが制服など着たりしているとなおさら、みんなと同じである。
だが、少し近づいてみると、男の子がいたり、女の子がいたりする。
偏差値も違うし、歌の上手い子もいる。ハンサムな子、美人な子、逆にブスな子もいる。
これだけの要素を順列組み合わせしてみても、千差万別といってよいほど違う。
まして人間の要素というのはこれだけではない。 本当に一人ひとり違う。
 だから、社会を構成上で大切なのは、平等の適用範囲なのでしょうね。
平等の心地よさは大事です。それは社会を安定させる重要な要素です。
人間を遠距離で見るか、中距離で見るか、近距離で見るか。
市民的平等、遺伝子的平等、文化的平等などさまざまな局面を考えてみると、
やはり平等は社会保障や法律の局面に限るべきだと思います。
その部分の平等が保障されていれば、その社会はまずはよしとしなくてはなりません。
ところが平等とはなんでも同じでなければならないととらえられている。
・鷲田
まず人間は基本的に不平等であると心得なくてはなりません。 
その基本的に不平等である人間が社会的生活を営む上で、なるべく円滑にいくように
考えだされてのが平等という概念であることを知らなくてはなりません。
そのためには、法律に定められた平等以外に不平等であるのが人間の姿なのです。
それを心得させるものは哲学であるということなのです。

「平等と権利の主張」
・三浦
平等は社会生活を営む上で便宜的な概念であって、人間の本質でないということことですね。
だが、その平等の概念がしばしば混乱するのは、ほかでもない、
権利意識と平等が混同されるからではないでしょうか。
・鷲田
権利を主張するのに平等を楯にする。しかしね、平等を楯にした権利の主張は利己主義に過ぎないよ。
その証拠に、こちらに何かを寄越せ!という権利の主張なら大いに平等を口にしますが、
平等にするためにこちらの何かを削らなくてはならないような場面では、平等のビョの字も出なくなる。
・鷲田
いまの政治家や役人の二代目なんてのは世襲化しているが、これを如何考えるか。
・三浦
何代目であろうが、一応外交官試験を通ったり、選挙に当選しているのだから、
やはり平等と見なくてはなりません。
・鷲田
平等は聞こえがよいし、居心地がいいかもしれない。また、社会生活を円滑に回転させるための円滑油としての効果もある。
だが、それはあくまでも法律的な枠組みに限られたことだとわきまえなくてはならない。
良識などという言葉は私にはもっとも似合わないが、やはりそういう良識を持ち合わせてないと、
品位のない社会になってしまいますね。その良識を確立するためにも哲学を持たなくてはなりません。
ーーーーーーー
以上、書き写すのに時間がかかったが、私にとって、それをするだけの価値は充分あった。
まずは、「平等が基本」という前提が突き崩された。しかしよく考えてみれば、子供の時から社会を見ていても
「不平等が基本」にあった。裕福な家庭の友達と、貧困の家庭の友達は厳然とあった。 学歴の差も、
美人とブスの差もあった。 成績の良い子もいれば、劣等性もいた。 弱い子は虐めの対象になっていた。
色いろな人がいるのが社会である。 そして、弱肉強食が実態である。
平等は何処にも存在をしてないのが実社会である。しかし、心のどこかに平等意識が働いているから、
歪みが出てしまうのだ。同じ兄弟なのに! 同級生なのに! 市民なのに! 国民なのに! 等々。
しかし、そこに落とし穴がある。
「人間の基本は不平等」と割り切っていれば、「人生の敗北者」の考え方にならないですむ。
「敗北者」の甘さに、心のどこかに平等意識があるからだ。
「世間様」に棲む「子狐的人間」が、この不平等と平等意識の狭間の中で右往左往する。
中国旅行の時の現地添乗員が、日本に留学に来ていた時に日本の豊かさを観て
「何で同じアジアに住む人間として、ここまでの差がなくてはならないのか?
戦勝国の中国の方が貧しいのか?非常に疑問を持ってしまった!」と言っていた。
国内だけの貧しさの平等なら解るだろうが、敗戦国なのに100倍近くの収入の
差を見せつけられれば疑問を感じて当然だろう。「国家体制のシステムそのものに問題がある」
ことに訒小平が気がついたからよかったが。
                       ーつづく
・・・・・・・・・
2004年05月15日(土)
1138, つれづれなるままにー駅の風景
(字数の関係でカット2,008年5月15日)
・・・・・・・・・・
2003年05月15日(木)
771、ゆっくり急げ!
(字数の関係でカット2,008年5月15日)

・・・・・・・・・
2002年05月15日(水)
407,ホームページを開いて一年

以前「テーマ随想日記を書いて一年」を書いたが。このテーマはホームページである。
「ホームページつくりを通して、パソコンをわがものにする」と目標を立て、実行して一年半経つ。
やはり人生が根本的に変わろうとしている。 情報化を実感している。
たどたどしく、やってきたというのが実感だ。一つの目安が、現在のこの時期と考えている。
ここで一回ホームページの解体の時期かもしれない。 実施は夏以降か?
現在の自分の現状に似ている。今までのビジネスや人間関係や慣例の解体のプロセスの時期だ。
ゼロベースからの見直しである。ホームページづくりと、旅行の積み重ねと、去年の9・11で、
世界と世界観が全く変わってしまったからだ。 やはり情報は最も大事である。
どこまで一人になりきれるか、とりあえず一人に。 とくに「??会」といっている集まり。 
当分は「空」への過程だ。 そしてある時期がきたら、新しい「色」を求める。 
ポイントは「電脳、グローバル、21世紀へ、前向き、楽しさ、興味」である。濡れ落ち葉にはなりたくない。
ここで他者のホームページが見えはじめてきた。素晴らしいホームページにいきあたる。
それと自分のホームページとのリンクがポイントである。特にリンクの分類がポイントになってくる。
それとやはり絞込みが重要だ。そうしないと、みさかえなく情報が入ってくる。
現在、電脳というキーワードがある。その時代に入ったことが実感できるかできないかが分岐点だ。
ポイントはホームページだ。 自分のリンク集でもいい。

・・・・・・・
2001年05月15日(火)
赤面ー自嘲ー入力ミス

日記の文章で、文面に2日に一度は入力ミスがある。1度見直せばこんなに多くないのはずなのだが。
2?3日前より一度パソコン内のメモ帳上に書いた上で、コピーして載せるように切りかえた。
ブラインドタッチの訓練をかねている為、余裕が無かったとことと、日記帳という気楽さという言い訳は
公開した以上成り立たない。書き直す方法は明後日にパソコンの先生の授業課題なので土日に直すつもりだ。
毎日は書かなかった日記を公開すると同時に欠かさず書き始めるのも自身が可笑しい。


2961,300人のディナーショー

2009年05月14日(木)

昨夜、地元の長岡駅近くのグランドホテルで福沢恵介ディナーコンサートに参加してみた。
前夜の知人と福沢恵介さんとのガーデンパーティに招かれ楽しいひと時を過ごし、
是非参加してみたくなったのである。 私らしからぬことだが・・・・これもライフレッスン!
9割が50歳〜60歳代の中年の女性で、一割が和服姿。隣に昨夜、一緒だった同級生の席。
私の顔見知りが数人はいたが、ほぼ見知らぬ人ばかり。ところが、隣席の同級生が、
あれは何処どこの誰、これは誰と教えてくれると、正しくディズニーランドにいるよう??。
歳をとってきたせいか、面白おかしく姿を正視することができた。 オバサンのファッションショーの趣きも!
武士の紋付・袴には胸に二つ、背中と袖に三つ家紋が付いていたが、あれは正しく家を背負っていることを
意味していた。 それと同じことが現在でも罷り通っているようだ。 家に縛られた閉鎖社会である。
同級生に「あんたも、大変だね。こういう社会で商売をしているのだから。よくノイローゼにならないね」
と思わず言ってしまったが。「いや、これが長岡。外部の人が長岡では中々、仕事をするのは難しい」とか。
コンサートは、福沢恵介さんのギターの弾き語りで、熱のこもった素晴らしいショーだった。
一人で300人の観客を自分の歌の世界に引き込むのだから、大変な仕事である。
ところで、同じテーブルの前の席の女性二人、歌っている最中に平気でオシャベリをしていた。
私に睨みつけられても、隣の女性に「注意」されても、平気で話し続けていた。何処かの老舗の??。
歌の半分は彼女らの声のバックグランド。 途中から慣れて気にならなくなってしまったが、家内に聞いたら、
かなり酔っていたとか。 まあ、ディズニーランドだから、それもご愛嬌だが、オバサマは凄い。
この二日間は、普段は経験できない楽しい貴重な体験をしてみた。 

・・・・・・・・・
2597, みんなのたあ坊の哲人訓 ー1
2008年05月14日(水)

みんなのたあ坊の哲人訓」ー読書日記

図書館で見つけた小型版の絵本のような本である。
子供向けに サンリオの社長が選び抜いた言葉と、割り切ってみると違った風合いがある。
どれもこれも、耳にこびりついている言葉だが、子供向きにと思うと改め新鮮に思える。
何を今更というより、子供に道理の一部を伝えようという気持ちが伝わってくる。
今日は、100のうちの50までの印象に残った言葉を書き写してみた。
この中でも一番、好きな3つの言葉は
「虹だって15分続いたら人はもう見向かない」(ゲーテ
「失敗の最たるものは、何ひとつ失敗を自覚しないことである」(カーライル)
「他人の罪は目の前にあるが、自分の罪は背後にある」(トルストイ)である。
    
    ーーー
    さんりお 辻信太郎

  「人間は考える葦である」(パスカル
「誠実に勝る知恵なし」(シラー)
  「逆境も考え方によっては素晴らしいもの」(シェイクスピア
「友情とは二つの肉体に宿れる一つの魂である」(アリストテレス
  「知は力なり」(ベーコン)
「天才は1%の才能と99%の努力である」(エジソン
  「汝自身を知れ」(ソクラテス
「真実の山では登って無駄に終わることは決してない」(ニーチェ
  「君の魂の中の英雄を放棄してはならぬ」(ニーチェ
「幸運は望むものにしか訪れない」(アイザック
  「人間、志を立てるのに遅すぎるということはない」(ボールドウィン
「虹だって15分続いたら人はもう見向かない」(ゲーテ
  「失敗の最たるものは、何ひとつ失敗を自覚しないことである」(カーライル)
「他人の罪は目の前にあるが、自分の罪は背後にある」(トルストイ
  「根本的なことは私にとって真理であるような真理を発見することだ」(キルケゴール
「賢い人は多くの事を知る人ではなく、大事なことを知る人である」(アイスキュロス
  「機会が二度扉をたたくなどとは考えるな」(シャンフォール
「太陽が輝くかぎり、希望もまた輝く」(シラー)
  「どんな問題にも両面がある」(プロとゴラス)
「美しい笑いは家の中の太陽である」(サッカレー
  「その日その日が一年中の最善の日である」(エマソン
「心に残るのは千の忠告よりひとつの行為だ」(イプセン
  「寒さに震えたものほど太陽の暖かさを感じる」(ホイットマン
「望みを持ちましょう。でも、望みは多すぎてはいけません」(モーツアルト

                        世界は知識で満ちている。
・・・・・・・・
2007年05月14日(月)
2232, しお壷の匙
      ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]○o。(>ε<☆)ノ
    
 車長吉の本の評価は、それがどうした?とみるか、驚きの目でみるか?
 二つに分かれる。私は「で、それがどうした?」という視点が強い!
 内容は事実をそのまま写生的だが、何処にでもある話である。
 人はそれぞれの人生を生きているのである。

 ー面白そうなところを抜粋してみた。
 ーーー
私が物心ついた時分の勇吉は、すでに七十を超え、鍛冶仕事はやめていた。
いつ行っても家の奥の暗がりに黙って坐っていた。異様によく光る夜蜘蛛のような目で人のすることを見ていた。
…そして何か癇に触ることがあると、たとえ相手が三つの子供であろうと、情け容赦のない険しい声で
「ド畜生めがッ。」と言った。恐らくは人間は凡て畜生であることを見抜いていたのだろう。
孫あやしをして喜ぶような甘さはカケラもなかった。私が五つ時分のことである。
ポケットから落ちた五円玉が日土間のたたきの上で、独楽のように廻転しはじめた。
それを足で踏んで拾い、顔を上げた瞬間、いきなり横っ面を張り飛ばされた。
私はもんどり打ってたたきの上へ転げた。
「この糞ったれめがッ。」その時の瞋恚(しんい)に燃え立った勇吉の目を今も忘れない。

吉祥天のような貌と、獰猛酷薄を併せ持つ祖母は、闇の高利貸しだった。
極道がドスを呑んでやって来ても、「うちは冗談は嫌いやが。」と言って、目をつぶっており、
なお相手が横車を押してくれば、いきなり鍋の蓋が飛ぶような烈しい声でカチ喚いた。
「斬るんなら斬りんな、うちは承知しないでッ」陰気な癇癪持ちで、没落した家を背負わされた父は、発狂した。
銀の匙を堅く銜えた塩壷を、
               (以下、字数の関係上カット2,008年5月14日)
                          ☆ァディオス☆(`・ω・´)ノ
・・・・・・・・
2006年05月14日(日)
1867, ブログは社会革命 ー1
        (。・ω・)ノ☆゚+.オハヨゥゥゥ
                   ー読書日記
    HPを開設してまる五年経つが、    「ウェブ進化論」と「グーグルGoogle」を読むまで、
    ブログがここまで進化ているとは思ってもいなかった。そして「ブログ進化論」を読むにいたって、
    情報革命の行きつくのは,ブログだったのか?と考えてしまった。
    とくに‘トラックバック’という革命的な‘双方向リンク・システム’には驚いてしまった。
    何じゃこれは!というのが実感である。私も、この旧式?なHPはこれとして、
    ブログの世界に入っていくつもりで、その内容を如何するか熟慮?をしている。
    自分の名前を出すか、仮名でいくか? 別人生の自分をつくって、遊ばせるか?   

まずは「グーグルGoogle 」(文春新書)第5章の中の『ブログについて』から抜粋してみる。
素人にはホームページ開設は敷居が高かったが、2,002年を境に状況が劇的に変わってしまった。
専門知識がなくても、ブログのサービスを利用すれば、誰でも簡単にHPをもてるようになったのだ。

    アメリカで、ブログが世間に認知されるようになったのは 2,001年のこと。
    きっかけは、9月11日の同時テロだった。
    この事件をきっかけに、アメリカ市民の間に『テロに対する自分の意見を言いたい』
   『お互いの気持ちを交換したい』という情報発信に対する熱望が広範囲に広がった。
    そして、HPやネット掲示板で政治的な意見を発信する人が急増し、
    ある種の『インターネット論壇』のようなものを形成するようになった。

丁度その頃、サンフランシスコで「ムーブバブルタイプ」というソフトが生まれた。
このソフトを開発したのは、ミナ・トロットとベン・トロットという夫妻であった。
この夫妻が作ったムーバーバブルタイプは、ブログを簡単に解説できるソフトだった。
日記を書くソフトは以前から存在していたが、他人の日記に対してコメントを
つけ加えたり、過去の日記の蓄積を簡単に検索して閲覧できるような使いやすいソフトは皆無だった。
妻のミナは自分のブログを書こうと考えて、「もっと使いやすいソフトはないの?」とベンに相談し、
プログラマーだったベンがムーバーバブルタイプの最初の版を作り上げた。
  (以下、字数の関係上カット2,008年5月14日)
 
・・・・・・・・
2005年05月14日(土)
1502, サラ川

第一生命が毎年募集している恒例の「サラリーマン川柳」の入選作100句が7日に発表された。
18回目の今年は全国から2万1878句が集まったというが、例年から見ると不況のためか五分の一以下である。
職探しや会社の競争に疲れた話題を取り上げた句が多く、サラリーマンには「逆風」が吹き付けている現状が、
そのまま反映されている。「帰宅して妻の気嫌を犬に聞く」など時代に翻弄されている庶民の実感が滲み出ている。
毎年、楽しみにして見ているが、それにしても川柳自体に勢いがない。捻りもないし、面白みも少ない。
時代背景のためなのだろうが、せめて川柳で笑い飛ばしたいところだ。
まず
1位は、「オレオレに 亭主と知りつつ 電話切る」 と‘振り込め詐欺’と妻に利用され、
2位、「ペと言えば 母はヨンジュン 父加トちゃん」 と韓流ブームも反映、
3位、「『振り込め』と 言われた その額もってない」 と自嘲し、
4位、「ヨン様かあ オレは我家で ヨソ様さ」 といったペ・ヨンジュンのネタや、
5位、「有害だ 『混ぜるな危険!』 嫁姑」 という、家庭内の事情も加え
6位、「オレオレは マツケンサンバ だけでいい」 など松平健もあり、
7位、「『残念!』と 俺の給料 妻が斬り」と投げパッチになる。 

ーーーーーー
2004年05月14日(金)
1137, 「ライフ・レッスン」?14
   ー明け渡しのレッスン

ー抜粋ー
・自分を明け渡すためには、毎朝、目がさめたときに「『わたしの意思で』ではなく、
『汝の意思で』」といえばいい。 そして、こういうのだ。
「きょう、なにがおこるのか、わたしにはわかりません。 きょうは自分がすることの計画はあります。
 仕事に出かけ、芝生をかり・・・。
 でも、その計画は青写真でしかないという現実に対して、わたしは自分を明け渡します。」
  ーーー
?明け渡すとは仏教でいう、諦念に似ている。死ぬとは、この世にすべてを置いて消滅することである。
定年で会社を辞めることも、自分の仕事を明け渡すことである。
宗教の言葉に「死後残るのは、愛情だけだ」という言葉があるが、両親からは深い愛情を残してもらった。
 明け渡しのとき、すべてが空ということが解るのだろう。そして、残るのは無心の愛情だけである。
愛は言葉だけでない、その裏づけの明け渡しの中にある。
人生には最後のイベントとして、死がある。すべてを明け渡して‘無’に帰さなくてはならない時、
虚無の真っ只中で、自分の人生とは何だったのか、この人生で何を学んだのだろうかを振り返ったとき、
愛情と感動こそが、すべてだったと気がつくのだ。

 感動はじゅうぶん経験してきたが、無心の愛を残してきただろうか?
  いや、残せるだろか?
 ーいい日は幾らでもある。 手に入れるのが難しいのはいい人生だ。
                ?アニー・ディラード
・・・・・・・・・・
2003年05月14日(水)
770、 私が二十歳の頃-時代背景

20歳の頃の話は、半年前に「学生時代のこと」のテーマで書いた。
今回は、その時代背景はどんなであったかを書いてみる。
・二十歳の前年の1965年、米軍がベトナムの爆撃を開始、
 ベトナム戦争が二年目であった。 ベトナム戦争反対運動と学生運動がピークに向かっていた。
 また中国で文化大革命運動が始まっていた。 高度成長の始まりもあり、騒然とした雰囲気であった。
アメリカ大統領がジョンソンで、日本は佐藤栄作が首相二年目に入っていた。
ビートルズが来日。
・尺貫法が廃止される。
・TV では『おはなはん』が放映、『笑点』がこの年に開始された。
 他には『サンダーバード』『ウルトラマン』『銭形平次』があった。
・漫画では『巨人の星』『意地悪ばあさん』があった。
・流行歌では、「星影のワルツ」「君といつまでも」「夢は夜ひらく」 「霧氷」「バラが咲いた」
 「こまっちゃうな」「思い出のワルツ」 などポップスの全盛期であった。
  翌年は「ブルーシャドー」「小指の思い出」相良直美の「世界は二人のために」
 「夜霧よ今夜もありがとう」「女の波止場」など、名曲がつづいた。
・スポーツでは巨人は堀内恒夫が入団で、44イニング無失点の記録をつくった。
 君原がボストンマラソンで優勝した。 社会人ラグビーでは、八幡製鉄が4連覇を果たした。
・新宿に西口ができた。西口の浄水場の近くをバイトで何回か通ったことが 懐かしい。
 こう書いていると次々と当時の記憶が蘇ってくる。

振り返ってみると、高度成長期の真っ只中で日本が未来に向かって光り輝いていたようだ。
音楽も漫画も夢のあるものが多い。半年前にこの頃の事を書いたものをコピーしておきます。

・・・・・・・・・・
2002年11月08日(金)
574, つれづれに-学生時代のこと

学生時代の最後の半年間の日記を「ある時間の断片」という題で書き写している。
そのときは34年の時空を飛び越えて青春真っ只中の自分に立ち返っているようだ。
記憶もそのときのことが走馬灯のように立ち返ってくる。
現在と変わらない自分と、全く変わってしまった自分がそこに見える。
今時に悠長なことを思い出しているものだとも考えてもしまう。

学生時代は、
・そこで住んでいた青雲寮の生活
・武澤ゼミと卒論
・欧州の一ヶ月の旅行
・影響を受けた大学の先生と授業
・クラブの先輩同僚などの思い出
・軽井沢の友愛山荘のアルバイトの思い出
・合コンや合宿などなど
結構多くの構成が重なっている。この4年間が人生の圧縮であった。
物理的には馬小屋のような部屋に住んでいたが、出来事は数え切れないほどのことがあった。
脱皮脱皮の連続線上にいたようだ。20代30代は誰でもそうだが、私の場合創業を目指していたこともあり、
刺激の強い20年間であった。
武澤ゼミ、欧州旅行、青雲寮、軽井沢友愛山荘、個性的な教授と結構恵まれていたのは時代の背景もあったようだ。
高度成長期で日本がアップスケールの真只中だった。
当時の日記の中で色々な友人と語っている内容は、これからどういう生き方をしようかという内容と、
その批判である。 未来が光り輝いていた。
・自分は留学しようと思う。
・いや大手の会社に勤めようと思う。
・大学に残ろうと思う。
・自分で事業を起こしてやろう。

そういえば結婚をしようという人は誰もいなかった。如何しようか?という人は多かったが。
自分が何か使命を持って社会に期待されているようであった。何かやっと自分の出番が回ってきたようでもあった

・・・・・・・・・
2002年05月14日(火)
406, 倒産の後先ー2 -失敗の条件

倒産にもいろいろある。特に自分で事業を立ち上げて失敗するケースである。
実際経験しなくては解らないのが経営である。早くいえば、実際は博打に似ている。
博打は多くは場数を踏まないと上達しない。遵って、経営管理と経営は全く別物である。
経営に無知?の社長が大手の幹部を社長にスカウト。そこまではよい、経営を全面的に任せる?
その間違いという事に気づかないケースが身近にあった。「飾り」ならいいが、あるいは叩き上げならまだよい。
それをカバーするには、準備を何処まで周到にできるかにかかっている。
自分が22年前、今の事業を立ち上げた時、「500?の成功確立」が、自分の信念の中にあった。
そしてそれだけの準備を、15年間ー19歳よりーかけてきた。
その15年の中身は誰もわからない。そして表面を見て「運」と思ってしまう。
ある人と飲んだ時、かなり深酒の後、ふと横を見ると私の顔を不思議そうな眼でじっと見ていた。
「何でこんな奴が、事業の創業ができるの?」 何処でも捨てるほど失敗事例がある。
起業、起業と最近いわれるが、そう甘いものでない。 それだけの充分の準備が必要だ、それも周到の。
もう先年亡くなったが、以前地銀の次長として長岡の店にいた人が、支店長として私の会社の取引店に栄転できた。
いうことがずばり「たまたま上手くいったの?それとも周到の計画の上で?」
たまたま上手くいった奴と、勝手に決め付ける人よりよいが。
失敗した人はいっぱいいるが、彼らは「たまたま失敗した、運が悪いだけだ!」と思っている。
その上に、失敗の共通点は、私生活が崩れる場合が多い。
打つ買う飲むに溺れてしまう。自己管理ができない人が、経営管理ができるわけがない。

二代目では、変化対応ができないで失敗するケースが多い。
青年会議所のトップ?になってるが、自分の会社は潰れそう。
それと商工会議所の部会長とか?あの街、この街の現在進行形?のパターン!
ゼネコンとか集り政治家に煽てられ、再開発とか。
何処かの街の話だが、厚生会館をつぶし2Fの大駐車場を造ればよいのに地下駐車場を数十億かけつくり、
一台あたり20万~50万で、できるのに確か??00万の経費をかけ、地下駐車場を再開発。
こういうのをマフィアという。利権の為の犯?的行為だからだ。
一桁の差でもありえないのに、二桁は歴史に残る話だ。
その??人形に使われて、娑婆はだから面白い!少し問題がずれた。
潰れるまでに、こういう体質を永年かけてつくっている。会社は一瞬にして潰れるが、
しかし反面まともに?経営をしていれば、そう簡単には潰れない。経営に向かない人が成り行きや、
立場上なってしまう。他人のことでないかもしれないが!明日はわが身か?

・・・・・・・・・
2001年05月14日(月)
つれずれに‐変化の中で

数年ぶりにここにきての‐連休明けー客数の極端の減少で感じた事を書いてみる。
あまりこの(当社ホテル)辺りは、露骨な客引きや売春婦はいなかったが、急にここにきて増えてきたという。
売上ダウンで撤退したあとの店にあらての風俗系の店が入れ替わった結果であろう。
私も飲むときは決まった店で恒例の会か、10年20年飲んでいる気のおけない
飲み仲間としか行かなくなった。そしてその時は1期1会 徹底的に楽しむ。
要するに安くいかに楽しむか、断るか。中途半っぱの飲み会は出ない。でもこれは私だけでない傾向のようだ。
TVもインターネットもますます面白くなってきているし、1日の中身がより濃くなっている。
大相撲も野球の巨人戦も全くつまらなくなった。 
格闘のk?1とかアメリカでの野茂や一郎の大リーガ‐戦等の為である。
時代が変わってきたのだ。情報化が今までの感覚を知らぬ間に変えてしまったのだろう。
この変化を面白いと言っていられないのが今の日本であり、我々各々の当面の課題である。


2960,藤を見るかい

2009年05月13日(水)

 「藤を見るかい」の招待を受けて、昨日の17時過ぎに長岡郊外の友人の別荘に行ってきた。
 設計事務所を経営している人の別荘だけあって、何ともいえない佇まいの家である。
 数年前に、彼から綺麗どころの女性を集めた藤を見る会の写真を見せてもらったが、
 まさか私たち夫婦が招待されるとは! 光栄の至りである。
 別荘の周囲に、藤の木などが植えてあって何とも言えない雰囲気を醸し出している別世界。
 奥さんが、「ここで二番目の子供を宿している娘と、3歳の孫と、連休からいるが、もう俗世間に
 戻るのが嫌になる思い」というのも充分に納得する別世界である。
 そこに今晩長岡グランドホテルでディナーショーで歌う歌手と、社長一家と、社長の友人など、
 十数人のガーデンパーティーである。 1000坪近い庭で採れたウドやアサズキなどを目の前で洗ってミソで
 食するのは最高の贅沢。 招待された人が持ってきた日本酒と、芋焼酎の一升瓶と、数十本のビールが
 またたく間に空になるほど盛り上がった会になった。 そこで一番ハイになってしまったのが私・・  
 一時間もしないうちに小雨が降ってきたが、そこが設計事務所の別荘。 
 玄関前がベランダ風に広く屋根がつくられており、机と椅子を移動して、二次会の場になってしまった。
 そして、そこで1時間ほどした後に、今度は家の中座敷が三次会の場と計算されている。 
 宴もたけなわとなり気がつくと何時の間にか八時半を過ぎていた。
 あまり人付き合いの良くない私にとって、接待を楽しんでいる?友人夫婦の姿に感動すら覚えた。 
 色いろな生き方があるものである。前準備など、奥さんと娘さんは大変なのは解っているから尚のことである。
 ところで、今夜のディナーショーに参加をすることにした。
 奥さんが主催で、長岡という小さな市で何と300人も集まるというから、これも驚きである。
 ゲストの名前は「福沢恵介」さん。300人も集まるのだから有名なのだろうが、私は薄ら覚え?
 その場で二曲歌ってもらったが、濁り気のない澄みとおった感動的な響きがあった。
   また一つ、感動という蔵に、良い宝が増えた。
 
・・・・・・・・・
2596, 金融鎖国
2008年05月13日(火)
            ー読書日記ー
                  (朝´∀`){♪Good Morning♪}
  「連鎖するドル大暴落」「ドル覇権の崩壊」の二冊を立て続けに読んでショックを受け、
   それでは、その著者が以前に書いた本が、何処まで当たっているか見てみようと、
  「金融閉鎖」と「日本壊死」を図書館から借りてきた。そして、その7?8割は当たっていた。
   数年前に本屋で手を取ってみたが、気になってはいた本であった。
   読めば読むほど、先行きに対して不安になってくる。 やはり、その2008年になったのである。
   石油が120ドルという、とてつもない暴騰をし、世界経済が根本からおかしくなり始めたのである。
   穀物や油が高騰を続ければ、世界経済は大混乱をするのは時間の問題である。
   物は売れない、原価は止めの無い高騰。 企業は成りゆかなくなり、倒産、そして失業者が溢れかえる。
   資源を狙って隣国同士が戦争とマイナスの連鎖が続くだろう。 現時点では、金融閉鎖は無いにしても、
   アメリカのドルの暴落、債権の暴落等で金融鎖国的の事態もありうるというのも肯ける。
   悲しいことに日本は、その直撃を受けるのである。
 ー概略をまとめてみたー
「金融鎖国
ー日本経済防衛論 副島 隆彦 (著)

(字数の関係でカット 09年05月13日)
   ーーー
   この本が発刊されてのが2002年の9月である。
   6年近く前になるから、読んでいて恐ろしくなってきた。
   既にアメリカの大不況に突入を予測しているが、巨大な双子の赤字から見て何時か来る道、
   と言ってしまえばそれまでだが。 テンポが遅いだけで、方向としてはこうなるしかない。
   金融封鎖に近い状態に一刻一刻近づいているというのも現実味が出てきている。
     それで困るほど大金も無いから、恐れることも無いが、
     一つ間違えば丸裸にされてしまうことも事実である。
・・・・・・・・・
2007年05月13日(日)
2231, 男は女のどこを見るべきか
            (ヾ(´・ω・`)ノオハヨウ(o´_ _)o)ペコッ
    
  ー岩月 謙司 (著)  ちくま書房
 「女性は男性のどこを見ているのか」の著者・岩月謙司の女性論である。
 こういう女性論は探せば幾らでも在りそうだが、比較的少ない本である。
 彼の論によると、「男は女をあまり理解していないが、女の方は逆に男と較べると段違いに理解していて、
 理解できないのは、男の強い性衝動位のもの」という。男と女の違いより、共通していることのほうが多いが、
 極限状態のときに本質的な違いが浮かび出るという。雄と雌でしかないのを、割り切ってしまえばよいが、
 割り切れないから面白いドラマがあるのだろう。

ー概略をまとめてみるとー

女性の思考法の特徴を
1、自分の快・不快でものごとの善悪を決める
          ー女性が感じる快は、自然の法則に合っていることが多いが・・。
2、社会的配慮が苦手ー自分を守り、自分を愛してくれる人が一人いれば社会を敵にしてもよい
3、二分法的な発想 ーゼロか100かという二分法の発想
4、数の論理    ー「みんながしている」という数の論理で動いている、それで安心してしまう
このような発想で生きていると、多くの人から愛される人間になり、結果として、
愛を多くため込むことになります。女性は「愛の貯金箱」にたとえる事が出来る。
人を愛するということは、
「人の悦びが我がことのように悦び、悲しみも我がことのように悲しむことです。
人の幸福を願い、不幸を悲しむことです。」
慈悲深い人になるのです。その愛情の大きさは、男の数十倍?数百倍もあるのです。
男とは桁が違うのです。それ故に、素敵な女性は女神であり、慈悲深い天使です。
・男性は理論から感情を構築し、女性は感情から理論を構築する傾向にある。その感情も小さくできており、
 大きな感情を理解できない。大きな感情を持っている人は、小さな感情は理解でたとしても、
 小さな感情の人は大きな感情の人を理解できない。だから始末の悪いことがある。
・気まぐれ(個人的感情)による約束反故は(彼女らにとって)正当な理由になる。
・女性の善悪は自分がキモチイイ=善で、自分がキモチワルイ=悪となる 。
 逆にいえば割り切ってしまえば、簡単である。
・女性は過去の感情は記憶するが、客観的事実や結果は記憶しない。
・真の愛を貰った女性は天使となるが、真の愛を貰えなかった女性は悪魔となる。
これらから考えられるのは、女性は自分を客観視できない傾向が強い。その事例として女性の運転を上げている。
1姫、2トラ、3ダンプと恐ろしい女性ドライバーをあげている。怒れる女性は、欲望のままに行動するからである。
基本的に女性は、男性に騙されない。 女性は自分に騙されているのです。男に騙されたのではなく、
自分を騙した結果として男に騙されるのである。 結婚詐欺師は、それを見抜いている。
愛されて育った女性は自分に騙されません。「これ好き、あれも好き、あれもやってみたい、
という発言をする女性は、素敵な女性です。愛されて育った女性は素敵になるのです。
ーーー
前著の「女は男のどこを見ているのか」と、この著を重ねると、著者の言わんとするところは、
「子供の頃から愛されて育った女性と、若い時に英雄体験を重ねた男が結婚すれば、幸せになれる」
ということになるが。誠実に、相手の立場に立って優しく接し続けていれば良いということか。
女性は、我がままで、気が強く、直感は鋭いが、長期的視点で論理的に考えにくい。
それもこれも含めて、女性は好きだが、最後は品性である。
         ☆^(*≧ω≦)ノ~~~βyё βyё♪   ☆^(*≧ω≦)ノ~~~βyё βyё♪

・・・・・・・・
2006年05月13日(土)
1866, 売春合法 ドイツ
         おっ w(゚Д゚)w ハァョ?

一昨日の産経新聞の国際欄の「鼓動2006」で、「売春合法ドイツの実情」の記事が載っていた。
売春業界?のシステムが面白いので取り上げてみる。
自慢ではないが、売春婦を買ったことは一度もない! 良かったのか悪かったのか?
ー記事の概略というと・・   
迫るW杯を控えたドイツでは、顧客の増加を見込んだ売春業界が本格化しているという。
売春といえば、先進国では当然禁止と思っていたが、2002年にドイツでは合法化された。
犯罪組織が地下に潜るのを防ぐことが狙いだで、ドラッグなど何種類の麻薬も合法化した?
こうした女性の数は少なくみても17万5千人も存在、税金も払い、社会保障を受けるほか、労組も作っている。
ベルリン西部にあるオリンピック・スタジアム近くには最近、W杯観戦者の利用を見込んだ大型の施設が建てられた。
外観は地味だが、40室の部屋がある建物内部には、サウナやスイミング、レストラン、バーの他、
サッカー観戦用の大型スクリーンまで用意されているという。
(字数の関係でカット2008年5月13日)
               (* ̄(エ) ̄)ノ  バイ
・・・・・・・
2005年05月13日(金)
151, 人生の敗北者とはどんな人か ー3

人生の敗北者が本当にいるのか? という疑問が生ずる。
敗北とは、自分が決めるもので他者の表層を見ての判断ではない。
しかし、「‘プライドと、それに対応した被害妄想’のために、
自分の壁になる対象を否定。それ故に一生を棒にふるってしまっている人」
を見ると、敗北者と観るのも当然である。もちろん誰の中にも多くの要素が存在している。
ー彼ら(自分)の心の呟きとは「そうでも思わなくては自分の精神を保つことが出来ない。
それと実際のところ、そう思ってストーリーの構築をしないと自分の正義は成立しない!」
「敗北者には、お互いに傷を舐めあう共通精神が必要だ。 その敗北者の共通根性こそ安らぎになる。
我われには共通の敵がいるのだ。その共通の敵は、絶対数が少ないので攻撃をしやすいし、攻撃することで
我われのプライドは満たされている。敗者の惨めさは敗者しか味わったことがなく、
この苦しみ、この惨めさは、勝者には解ろうはずがない」
「敗北というが、何を持って敗北と言うのか?決して敗北ではない! 立場が違うのだ!大体が人が嫌いなのである、
アクセクしているより面白おかしく人生を生きた方がよいではないか。何を一生懸命生きる必要があるのか? 
何を学ぶ必要があるのか?悪い奴らを疑い、憎悪するのは当然のこと、叩かれれば叩き返せばよい。
目には目をというではないか。何を奇麗事をいう必要など何処にあるというのか?」
等々と、それぞれの言い訳がある。(はっきり言うと、これは私の内面の声である。だから、スラスラ書けるのだ)
言い訳を先ず考えてから、ものごとに対処しようとするのが共通点にある。対象によって勝者と敗者に分かれる部分がある。
心の中は、この二人の会話の部分がある。だから複雑になってしまう。 でも敗者の方がいつも勝ってしまう。
心は否定の方が勝つ構造になっている。だから知識が必要なのだ。この年齢になって教養の必要性が今更のように解ってくる。

・・・・・・・・
2004年05月13日(木)
1136, 「世界がもし100人の村だったら?(2)」

以前この本の(1)を買ったが、この続刊のー(2)が図書館にあった。
目を通すと、?(1)の解説書という内容であったが、さらに考えさせられるものであった。
これは世界の象徴であると同時に、グローバル社会の我々にとって、大きくかかわってくる。
ユダヤ民族が牛耳っているアメリカがいかに世界の富を独占しているか、
そして貧富の差が世界を覆っているかが一目瞭然と解る本ともいえる。
イラクアメリカの侵攻の意味も、この数字を見ながら考えると不気味な感がする。

 ー「世界がもし100人の村だったら」ー(1)の概要を、ず抜粋してみると 
<世界には63億人の人がいますが、もしもそれを 100人の村に縮めるとどうなるのでしょう。>
  
  ー100人のうち
  52人が女性です  48人が男性です
  30人が子どもで 70人が大人です そのうち7人がお年寄りです

  90人が異性愛者で  10人が同性愛者です
  70人が有色人種で  30人が白人です

  61人がアジア人です  13人がアフリカ人 13人が南北アメリカ
  12人がヨーロッパ人 あとは南太平洋地域の人です

  33人がキリスト教  19人がイスラム教 13人がヒンドゥー教 6人が仏教を信じています
  5人は、木や石など、すべての自然に霊魂があると信じています
  24人は、ほかのさまざまな宗教を信じているか あるいはなにも信じていません

  17人は中国語をしゃべり 9人は英語 8人はヒンディー語ウルドゥー語を 6人はスペイン語
  6人はロシア語を 4人はアラビア語をしゃべります これでようやく、村人の半分です
  あとの半分はベンガル語ポルトガル語 インドネシア語、日本語ドイツ語、フランス語などをしゃべります

  いろいろな人がいるこの村では あなたとは違う人を理解すること 相手をあるがままに受け入れること
  そしてなにより そういうことを知ることが とても大切です

  また、こんなふうにも 考えてみてください 村に住む人びとの100人のうち
  20人は栄養がじゅうぶんではなく 1人は死にそうなほどです でも15人は太り過ぎです

  すべての富のうち 6人が59%をもっていて みんなアメリカ合衆国の人です
  74人が39%を 20人が、たったの2%を 分けあっています

  すべてのエネルギーのうち 20人が80%を使い 80人が20%を分けあっています

  75人は食べ物の蓄えがあり 雨露をしのぐところがあります でも、あとの25人は そうではありません
  17人は、きれいで安全な水を 飲めません

  銀行に預金があり、財布にお金があり 家のどこかに小銭が転がっている人は
  いちばん豊かな8人のうちの1人です

  自分の車をもっている人は 7人のうちの1人です
  村人のうち1人が大学の教育を受け 2人がコンピューターをもっています
  けれど、 14人は文字が読めません

  もしもあなたが いやがらせや逮捕や拷問や死を恐れずに 信仰や信条、良心に従って 
  なにかをし、ものが言えるなら そうでない48人より恵まれています

  もしもあなたが 空爆や襲撃や地雷による殺戮や 武装集団のレイプや拉致に 
  おびえていなければ そうでない20人より 恵まれています

  1年間に、村では 1人が亡くなります
  でも、1年に2人 赤ちゃんが生まれるので 来年、村人は101人になります

  もしもこのメールを読めたなら、 この瞬間、あなたの幸せは 2倍にも3倍にもなります
  なぜならあなたには あなたのことを思ってこれを送った 誰かがいるだけでなく 文字も読めるからです

  けれどなにより あなたは 生きているからです
  昔の人は言いました めぐり往くもの、 また巡り還る、と

  だからあなたは、 深ぶかと歌ってください のびやかに踊ってください  心をこめて生きてください 
  たとえあなたが、傷ついていても 傷ついたことなどないかのように 愛してください

  まずあなたが 愛してください あなた自身と、人が この村に生きてある ということを

  もしもたくさんのわたし・たちが この村を愛することを知ったなら まだ間にあいます
  人びとを引き裂いている非道な力から この村を救えます
  きっと           『世界がもし100人の村だったら』
                                池田香代子 
・・・・・・・・・・
2003年05月13日(火) 
769,「私が20歳の頃」ー読書日記

 自分の二十歳の頃は何をして、何を考えていたのかなあ?と本屋で思わず手にとってしまった。
立花隆と東大生のゼミが、いろいろな年代の人たちにインタビューを試みた本だ。
二十歳というと、人生の節目である。その為この本に登場してくる人たちの話が自分との比較になってしまう。
どんな人たちも二十歳のころに思い悩み、試行錯誤しながら生きていた。
このころといえば人生の前途に対して大きな不安と希望が混在していた時期だった。
個人個人のそれぞれの人生があるのがよく理解できる。それとそれぞれのバックグランドとしての
時代背景があることが。その時代背景が、その人の人生を大きく左右していることも読み取れる。
こんど「私が20歳の頃」を、このコーナーで書いてみようと思う。
 以下はインターネットで調べたものです。
http://matsuda.c.u-tokyo.ac.jp/~ctakasi/hatachi/
ーーーーーーーー
ーまえがきと目次と書評ー                新潮文庫
「私は何のために生まれて来たんだろう」「あの人の運命を決めた出来事とは?」
?二十歳のころの生き方が、その後の人生を決める。
立花ゼミ生が熱い思いで突撃取材! 安保闘争バブル崩壊オウム真理教事件
NY同時多発テロ……世界が再び混迷の時代に突入する1960?2001年に
「二十歳のころ」を迎えた多士済々39の足跡。 二十歳のころのインタビュー集

・・・・・・
2002年05月13日(月)
405, 新潟駅前界隈ー3
           ー 駅前の変遷
駅前の変遷をいうと、10年前まではビジネス旅館とミニビジネスホテル、
そしてファッションメーカーミニ工場が目に付いた。それがここ数年で殆どなくなった。
その反面、専門学校と予備校、そして1DKマンション 大型のビジネスホテルが
眼につくようになってきた。  若者の比重がどんどん増えている。
飲食店がどういうわけか殆ど、増えていないし減りもしてない。殆どスナックは行ってないが、
感じでは4割がたは減った? 夜が以前と様変わり、客引きが多く立つようになっている。
新潟駅構内がセゾンとか専門店がどんどん増えて、集客力を増している。
駅に隣接して、APAの百数十室のマンションができ、更に再開発ビルが完成しようとしている。
これが完成すると、感じが変わってくるだ