連休の5月4,5,6日の3日にわたり、NHKで朝9時から二本ずつ「ハゲタカ」というドラマを6本放送していた。
日本のバブルの崩壊後にアメリカのハゲタカファンドに荒らされが、去年の9月15日のリーマンの倒産で、
そのファンドそのものが崩壊してしまった。しかし、それまでは世界を荒らしまくった彼らの実態の一部を
ドラマを通して垣間見るようであった。
 まずは、ー番組紹介ーから
ニューヨークの投資ファンド運営会社社長・鷲津政彦は、バブル崩壊後、不景気に苦しむ日本に戻り、
瀕死状態の企業を次々と買収する。敵対するファンドによる妨害や、買収先の社員からの反発を受けながらも、
鷲津は斬新な再プランを披露し、業績を上げていく。 企業買収、再生の真実を克明に描いた問題作。
 ――
 三日間、このドラマと、その後のNHKスペシャルの「マネーはなぜ暴走したのか?」のセットに
釘付けになって見たが、多くの示唆が含まれていた。
資本の論理と、ハゲタカが処理した企業が結果として、贅肉を削ぎ落として再生した方がむしろ良かった?
という視点もある。小泉、竹中の金融改革の功罪をドラマ化をして考えさせられたということ。
外資投資ファンドがハゲタカなら、日本の大手の勝ち残った大手銀行は、互いの死肉を食い合う
ハイエナと例えることもできよう。弱肉強食の仁義なき戦いが繰りひろがれてきた。
私の親戚の一人が、東大を出て長銀に勤めていたが、法事であった時に元気が無かったが・・・。
大手銀行が20行から3行に絞られていく過程は、こんなものでは無かった筈である。
そして勝ち組になった、三行と証券会社も、この世界的金融バブルの崩壊で、瀕死の状態。 
 その上に、昨日の夕方の「バブルへGO!タイムマシーンはドラム式」がダメ押しになった。
日本のバブルの狂乱の時期に、ギャルがタイムマシーンで行くという何とも懐かしい内容。
それもバブルを崩壊させた不動産の総量規制を止めさせるという奇想天外の物語。
ジュリアナ東京で、先日亡くなった当時17歳だった飯島愛や、ラモスが踊っていたり、
深夜タクシーを奪い合う時に一万円札を振っている姿など、当時の狂った世相を映像化していた。
当時の自分に戻って、その視線で現在を改めてみると、想像を遥かに超えた現在の惨状が身に沁みる。
その時は、未来が輝いており、バブルが永遠に続くだろうと信じて疑わなかったが。
 金融恐慌前に、この番組を制作をしていたNHKに、改めて感心する。
私は、これまでNHKを殆ど認めてなかった、最近の金融バブル崩壊を含めたドキュメントなどを
見ていると、それなりの存在価値を認めざるを得ない。 

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2590, イスラエルの話
2008年05月07日(水)

長男が、イスラエルから帰ってきたので、その感想を書いてみる。
ー今回のツアーからの概略(私のインタビューからの情報)
・ツアーの会社は、新日本トラベル(現在は合併でエヌイーオーに改名)
・総員23名。半分が一人参加。 本人を除くと全員が40歳以上。
 70歳代の夫婦が三組。男女の割合が半々。平均年齢が50歳位。
・4月23日?5月02日までの10日間コース。
・添乗員は40代のベテラン女性。 現地ガイドは日本系のイスラエル人。
・旅行の最中に日本人には一人も会ってないが、韓国人らしきグループを一組みた。
・現時点で、年間のイスラエルの訪問客は8000人。
・危機感を持つ場面は、ゼロ。しかし、ウズベスタン航空のサービスは最低。
 帰りのテルアビブからウズベスタンへの飛行中に、かなり厳しい乱気流にあって死ぬ思いの経験。
・一人参加のアップの加算を含めて、38万円。総額43万円。
・満足度は100点。
・テルアビブの飛行場と、エルサレムの街の緊迫感は、私から聞いていたほどではなかった。
ーーー
以上だが、9年前の私の実感とほぼ同じである。 私の9年前の場合は、これにアブラハム十戒をつくった
エジプトのシナイ山があった。これは強烈な印象が残っている。 イスラエルインパクトがあまりに強い。
わずか四国の大きさの国土で、700万人の国が、存在としては大きく位置を占めている。
日本の大よそ二十分の一の国がである。 契約の概念はユダヤから出ている。
神様との契約が、いつの間にか人間同士の契約にすり替わったのである。
ユダヤ人とイスラエル人は同一ではない。一般的には、イスラエル人=イスラエル国籍を持っている人。
ユダヤ人=ユダヤ民族。 と思われているが、ユダヤ人はユダヤ教を信じていて、両親のうち
両方が何じゃらとか難しい決まりがある。「ユダヤ人は選民である」という教えが、他の民族から
忌み嫌われるのである。 多くの決まりがあり、ユダヤ教徒は、それを厳格に守るのである。
旧約、新約聖書のような物語と、その舞台が、そのまま一致しているのは
イスラエルしかないというが、異教徒?の目から見ると、尚のこと、その特異性が、
何とも新鮮で驚きをもってみることが出来るところである。
 以下は私の旅行記である。
 ーー
 ーH1105イスラエル聖なる旅 
この旅行は、四千年の旧約・新約聖書に出てくる歴史と出会う旅であった。
四国の面積とほぼ同じ中に、数えきれないほどのドラマがあった。
現地の日本人ガイドのシャワ?のような説明が新鮮かつ面白く驚きと感激の連続であった。
その為か帰ってきて、新約・旧約聖書をじっくり読む事ができた事が最大の成果となった。
関連を含めると十冊を前後二ヶ月たらずで読んでしまった。
考えてみたら私の人生の転機の度に必ず聖書か聖書関連の本があった。
人生のもっと早い段階で、じっくり読むべきであった!。
旧約は先入観で固く難しそうであったが、読んでみれば何もむずかしくない、
ただただ面白い!内容であった。旧約はユダヤユダヤ民族の歴史の書であった。
また新約は出会い=イエスの心との出会いの書と言ってよかった。
ー印象の強い順に列記してみると、
まずは何といってもエレサレムである。イスラエルがそのまま凝縮されているといってよい。
四千年の昔から神の名と民族の誇りをかけ、数え切れない戦いの舞台となった。そして現在も続いている。
この街を歩く事は世界の歴史の生き証人と出会い同行することかもしれない。
エスが十字架を背負って歩いた悲しみの道=ヴィア・ドロローサ
磔刑に処せられたゴルゴダの丘。最後の晩餐の部屋。イスラム教の重要な寺院=岩のド?ムとアクサ寺院。
ユダヤ教徒にとって最も貴い嘆きの壁と広場、そしてダビデの塔。
旧市街を囲んでいる城壁は四千年の歴史の深さをそのまま物語っている。
次はモ?ゼの十戒で有名なシナイ半島シナイ山である。
深夜の二時に三時間かけて登って山頂からのご来光とシナイ山の山並み。
そして、その麓にあるカタリ?ナ修道院と、神の声をきいたという“燃える柴”。
そして帰路にたちよったベトウィンの部落。そして、そこで飲んだ紅茶。
マサダの要塞”=この旅行までは全く知らなかったが、キリストが死んだ四十年余り後に、
ローマ軍に追いつめられた熱心党員のユダヤ人九六七名がたてこもった自然要塞。
陥落の前日、そこの指揮者ベン・ヤイルの演説の後、七名を除く九六〇人の集団自決のあった場所であった。
その時の詳しい内容が生き残った者の証言で残った(ヨセフスの“ユダヤ戦記”に生々しく残っている)。
=「奴隷にされる前に...自由の状態におもむこうではないか。」
=自殺を厳禁しているユダヤ教徒の集団自決であるからその意味が違ってくる。
エスの生まれたベツレヘムの岩のほら穴の馬小屋と岩の飼葉桶。
ユダヤ教エッセネ派の“死海写本”が発見されたクムラン洞穴。
一九四七年、近くを歩いていたベトウィンの少年が、洞穴で土器に入った巻物を発見。
壷に納められた六〇〇を越える巻物には、イザヤ書全巻や旧約聖書等々記されていた。
今世紀最大の発見といわれている。ここで他にとんでもない事が記された文書があった。
ーイエスキリストが主張された大すじが、そのずっと昔のこの文書の中にあったという。
“イエスエッセネ派の指導者の一人でしかなかったのでは?”という疑問が
でてきたのである。そうすると西欧キリスト教の根底が変わってしまう。
あと十年後に振り返った時、恐らく今回のイスラエル旅行は私の内的深奥で一大転機の経験となるのではないだろうか。
旅行は外界を訪れるだけでなく内奥の自分との出会いの機会でもある。
【別記】
この旅行と旧約聖書を読んで今の日本に絶望的気分になった。四千年間の他民族・他宗教と血と血で争う闘いが続いている。
六十年前には六〇〇万人ものユダヤ人がナチに殺されている。現在も一歩間違うと今の国土より追放されかねない
緊張感・危機感が全土にあった。男子は三年、女子は二年の兵役があった。国中どこにいっても機関銃を持った兵隊がいた。
一歩家の中に入ると機関銃が無造作においてあるという。といってその手の事件は一切ないという。
その銃の目的は敵に使うもの、国を守る為のものというのがはっきりしているからである。
今の日本の防衛に対する考え方甘さが対比すると浮き彫りにされた旅行でもあった。
[1999.4.14?4.24 -ryokou ]

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2007年05月07日(月) 2225, いい男とは?
       (*´∀`)」" ヾ(@⌒ー⌒@)ノおはよ?♪           
 著者・岩月謙司に、ある日、とある女性から
『岩月先生の本に従って一生懸命素敵な男性を探してみましたが、今だに「いい男」とは出会えません。
 ・・是非、男性向けにいい男になるためのハウツー本を出してください!』という投書をもらい、
 この著書「女は男のどこを見ているのか」を書く決意をしたという。なるほど、著者の魂の入った内容であるが、
 この本が出た後の2004年12月に女性患者への準ワイセツで逮捕されてしまった。
    (字数の関係でカット2008/05.07)

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2006年05月07日(日)
1860, ローマから日本が見える?11
     おはよ?!(*^ワ^*)i    
                     ー読書日記ー       
《その戦法を知りながら、騎兵力を増強できなかったのか?》ローマ軍には騎兵を増やそうにも増やせなかった事情がある。
この時代には、鐙が発明してなかったので、自分の両足で馬の胴体を締め付けて乗るしかなかった。
この技法は子供の時から馬に乗りなれてないと到底乗りこなせない。
ちなみにハンニバルは、カルタゴの同盟国の北アフリカヌミディア人と、ガリア人という、騎馬に長けた民族が
参加していた。またローマ軍の主体が重装備歩兵であったため、騎兵中心に変身しにくい要素があった。
重装歩兵がローマ軍組織としてあまりに中心過ぎて、これを変えるとローマ軍の組織そのものが弱体化してしまう恐れがあった。
ハンニバルの誤算》
ハンニバルが限られた手勢でアルプスを越えて、単身イタリア半島に乗り込んできたのには、もちろん彼なりの計算があった。
戦いに勝ち続けていれば、ローマ連合も盟主ローマから離反し、寝返ってくる都市が続出すると踏んでいた。
ところが、ハンニバルの予測に反して連合軍の連帯は強固であった。
ローマが長年かけて造り上げた「政治的建設」は、ハンニバルの心理作戦でも揺らぐことは無かった。
            《スキピオ登場》     (字数の関係でカット、2008年05・08)
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2005年05月07日(土)
1495, いま・現在についてー3
 「どうせ死んでしまう」?     ?読書日記

「どうせ死んでしまう」ーいまの生成ー 
というコーナーに、「いま」について深く掘り下げてあった。
「一つの連続的自然現象を多様な関心に従って多様に区切る仕方」という言葉が解りやすい。
    ー面白そうなところを抜粋してみるー
Pー39
 ー「いま」の生成
すべての科学(大脳生理学・心理学・物理学等々)は
現在と過去との差異性を塗りつぶすことによってかろうじて成立している。
・・・・・・・「いま」は△T1というような一定の時間を指す概念ではない。
「いま」は一つ前の「いま」という相関ではじめて意味を獲得する。
この「いま」をえぐり出すことは、とりもなおさずその外に一つ前の「いま」をえぐり出すことである。
今日を「いま」としてとらえることは、昨日を一つ前の「いま」としてとらえることである。
今年を「いま」としてとらえることは、昨年を一つ前の「いま」としてとらえることである。
「いま」とは、自然現象ではなく、一つの連続的自然現象を多様な関心に従って多様に区切る仕方なのです。
「いま」の出現は、互いに否定的な二つ(いまに対応した未来と過去)の
「いま」の出現にほかならず、そこにはお互い否定的なものを繋ぐ作用が必要である。
それが想起であり、その想起の主体こそが「私」なのだ。つまり、「私」は知覚においては登場してこず
(川を眺めているあいだは「私」は登場してこない)川を眺め終わって帰る時に想起したときに初めて登場してくる。
正確な知覚能力を具えているが(エピソード記憶に対応する)想起能力の
完全に欠如した生物を考えてみよう。彼は次々と知覚しその内容を記録する。
しかし、次々と忘れていく。彼は自分が記録した内容を過去の事象として理解することができない。
そこに日付があったとしても、それが過去の日付であることを理解できない。
つまり、彼は連続的な自然現象を正確にとらえることができても、そこに「いま」と「いま」の楔を
打つことができないのである。そういう彼は「私」という意識をもたない。
 ーーー 
以上が、「いま」を哲学的に書いてあるところである。「いま」は、過去の上によって初めて成り立つ、
と解りやすく説明している。そして、「いま」は想起能力がなければ存在し得ない。
「いま」を大事にするということは、過去を大事にすることになる。
過去を想起し得てこそ、「いま」が存在をする。それからみると、日記は「いま」にとって
大きな要素になる。文章として書き残すことは「想起のための楔としての記録」になる。
「いま」の意味を、もう少し納得するために記憶喪失を例に考えてみる。
先日レンタルDVDで観た[記憶のない男]の姿の中に[いま]の希薄をみた。
彼の「いま」は全く過去を持たないため、虚空を彷徨っているようであった。
その「いま」は小さな点ーエネルギーでしかないように見えた。
過去の「いま」の積み重ねをバックに持ってこそ、私の「いま」がある。
それは、未来に対しても同じことである。深い過去をもってこそ、深い「いま」が存在をしてくる。
「いま」だけが全てではないのである。
                     ーつづく
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2004年05月07日(金)
1130, 「ライフレッスン」?11
 ー 許しのレッスン

誰も人生には、八つ裂きにしても許せない人間は何人かいる。
そして、自分も、他の人間にとって、そのうちの一人になっている。
相手を許すということは、けっきょくは自分を許すことである。
許すということは、自分の内面の魂の問題のかかわってくる問題である。
「ならぬ堪忍、するが堪忍」であり、それは自分を如何に納得させるかの折り合いの問題でもある。
許すというのは、ある意味で奇麗事なのかもしれない。しかし、その奇麗事は最も大事ではなかろうか。
許しは、主体的なことである。許そうと努力していれば、そのうちに忘却の彼方に消えていくものである。
残ったとしても、自分の記憶には「許し」という言葉が包んである。
ー以下は抜粋であるー
・人生まっとうにしようとするなら許すことを学ばなければならない。
許しは苦痛や傷を癒す方法であると同時に、ふたたび他者と自己を結びつける方法である。
わたしたち全員が、他人を傷つけたことがあったはずだ。
問題は傷つけたり傷ついたりすることよりむしろ、その経験を忘れられないこと、
それを忘れようとしないことである。傷の痛さはそこにあるのだ。
わたし達は傷をためこみながら生きているが、その傷を手放す方法はだれからも
教わっていない。許しを必要とされる理由はそこにある。
許す人生を選ぶか許さない人生を選ぶかは、その人が決める問題である。許しは自愛的な行為といえる。
許さないということは、むかしの傷や怒りにしがみついているということである。
恨みの感情に栄養をほきゅうして、過去の不幸な部分を生かし続けることである。
許すことができなくては、自分自身の奴隷になるしかない。
・もうひとつ許しの障害になっているのは、報復してやりたいという欲望である。
報復という低次元な行為をした自分にたいして、あとで罪悪感をもつことになる。
自分を傷つけた人に対する攻撃的な行為が,けっきょくは自分を傷つけるのだ。

ーー以下は字数の関係でカットしてます。
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2003年05月07日(水)
763, 地方差別

 東京では、地方出身者は田舎者と露骨に差別される。学生時代に東京に住んでみて、
驚いたのが地方差別であった。解らないでもないが、都会生活での初めてのカルチャーショックであった。
今でも海外旅行のパックの同行者の意識で驚く事がある。それも強い負け犬の立場の人?に露骨に顕れている。
 一番面白かったのが「ケニアのヌーの河渡り」であった。都会のハイミス・ゴールドミス(グランド・オールドミス)
がすざましいひと達だった。具体的には書きたくないが、その傷口の血は濃厚だ!もう二度と、その血を浴びたくはない!
洗っても数年は落ちないほどだた!自分のプライドを守る為に弱者を探すと地方差別が一番手っ取り早いのだろう。
 何処かのヨーロッパの空港の待合で、江戸っ子の職人風の父子がいた。
話しかけたら「貴方は地方?それとも東京出身?」と聞いてきた。
新潟と答えたら、一切話をしないで露骨な可愛い差別を始めた。こんなものである。
学生時代に外国旅行に行った時、ある同行の女性が思わず本音が出た。
「最近帝国ホテルも、地方のお上りが多くって質が落ちていますわ!」
その一言で最後まで嫌われて、総スカンをくらってしまった。
「父親は同行の女性の会社の子会社の下っ端の役員でしかないないのに!」とすぐに陰口が入ってきた。
結局はすべては「コンプレックスの隠しの芸の追求」が人間の本質なのだろう。
「お上り」という言葉が、典型的な軽蔑言葉だ。地方差別を書くこと自体がタブーでもある。
公平という意味でー平等でなくー差別をされても仕方がないのも解るが!?
毎日二つの街を通っていて、長岡と新潟でさえもあまりに違いすぎるのは事実である。
都落ち」という言葉もあるとおり、特に都会で生まれ育った人間は地方に住むということは
アジアの何処かというくらいの響きがあるようだ。アメリカのニューヨークなどは、もっと複雑に絡んでくるという。
民族や人種や宗教や収入や肩書きなどで露骨の差別があるという。 まあどうでもよい田舎者の話だが。

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2002年05月07日(火)
399, 末っ子はつらいよ

8人兄弟の末っ子である立場を書いてみる。少年期まで、末っ子は上からの虐めがきつい。
特にすぐ上の2人のそれがきつい。常に気を張っていなくてはならないのがその宿命だ。
食事も気を抜くと自分の食べ分がなくなる為、早食いが癖になってしまう。
常に周囲の情勢を把握していなくてはならない。
誰かに聞いたが、多くの兄弟で育った末っ子は社長に向いているそうだ。
他人の気持ちを常に読んでいなくてはならない事が、それに向くのだろう。
それと結婚の相手は長女がいいと最近聞いた。たまたま家内がそうだった。
そういえば知人のW氏も長姉もその組み合わせだ。上手くいっているようだ。
そういえば過去に惹かれた女性は長女で、A 型で、160cm、おっとりしたタイプが多かった
ー今もそうだ。末っ子は口が堅くなくてはならない。それぞれの兄姉の秘密を知ってしまうからだ。
万一告げ口をしたら、袋たたきにあってしまう。家族はまず出会う初めての社会だ。

・・・・・・・
2001年05月07日(月)
ユニクロが面白い

半年前に自宅の一^二分のところできたユニクロがますます面白い。
とにかく体形にフィットするー着心地がよい。それと安い。
土日曜は開店から閉店まで客のとぎれることはない。’服は服装のパーツである’という考えのもとの
品揃えがはっきりしているのだ。あそこまで客に支持されるのは、普段着と重ね着のサブに徹している為もある。
今まで腰まわりだけのサイズのズボンしかなっかた。 今は股下のサイズもヨウイしてある。
エスト79のサイズの股下80と70とでは当然形が当然形が違ってくる。
今まではそれだけ種類が増え在庫が増えてしまうという川上の論法ででつくられなっかったが、
売れ筋を 絞り込む事と在庫管理の徹底で用意すれば安いコストでそれぞれの人が着やすい品を
提供できる事が彼らに解ったのだ。本当の意味での顧客サイドの商品つくりがおこなわれていなっかたのだ。
その意味で当分ユニクロの一人勝ちは当分つつくだろう。

ー以前書いた私の文をコピーしておきます。
H1211 事業百訓?ユニクロ現象について?
  ー字数の関係でカットしてますー