4月19日(日)の 午後9時00分から 総合テレビで
「マネー資本主義 第1回“暴走”はなぜ止められなかったのか
                ーアメリ投資銀行の興亡?」が面白い。
 *まずはーNHKのHPの番組紹介からー
【 金融危機はなぜ起きたのか。巨大マネーはどのように膨張していったのか。
 マネー資本主義の主役として批判の的となっているのが、リーマンショックを起こした当事者でもある「投資銀行」。
 かつて企業への財務アドバイザー部門が中心だった投資銀行は、1970年以降の規制緩和と金融資本の膨張を背景に
 債券市場という新たな場で、次々と新手の金融商品や取引手法を編み出し、金融の枠組みそのものを変えていった。
 ソロモンブラザーズをはじめ、伝説的な企業が攻防を繰り返しながら、アメリカ経済、ひいては世界経済を
 牽引する回路を作り上げていく。 「超レバレッジ」「莫大な成功報酬」「リスク管理の限界」など、
 サブプライム・ローンにつながる巨大なリスクを、投資銀行が激しい競争を繰り広げる中で自ら抱え込んでいったのである。
 投資銀行を変質させ、最後には破たんにまで追い詰めたターニングポイントはどこにあったのか。
 いま、その当事者たちが沈黙を破り、真相を語り始めた。数々のヘッジファンドの産みの親となり、
 歴代アメリカ財務長官を輩出、バブル経済のけん引力となって最後は業界ごと消滅する「投資銀行」の劇的攻防を描いていく】
  ――
 非常にシニカルな内容であった。
 一番のターニング・ポイントは、ソロモン・ブラザーズが債券市場で、次々と新手の金融商品を編み出し、
 利益を生み出した時に、若いトレーダー数人がトップと利益に見合った収入確保を要求。「もし通らなければ
 他社のスカウトで移動する」と談判したことから始る。当初は拒否をしようとしたが、ノウハウごと他社に持って
 いかれることを恐れ歩合制度を認めた。このことで他社も、こぞって同じ制度を取り入れた。
 それが「超レバレッジ」など、バブル経済を大きく膨張させる起爆となったのである。
 デモ隊が、そのトップたちが高級車から出てくるところを待ちかまえ、罵倒する映像は何ともいえない
 アメリカの現在の姿を現していた。次から次へと、アメリカのマネー投資の暴走の実態が暴かれているが、
 記事が映像として写しだされるのも生々しくリアルである。ところで日本の証券会社は手を染めてなかったのか?
 答えは簡単、染めてないわけないでしょう! 銀行は? 毒餃子、冷蔵庫の奥に隠されてないの? ???
 
 ・・・・・・・
2575, フロー体験 ー1
2008年04月22日(火)

先日「好き」という言葉を取り上げた。好きな状態、好きなことをしていると、
 時間を忘れ、あっという間に時間が過ぎ去ってしまう。最適経験をしている状態を
 チクセントミハイは「フロー」と呼んだ。好きなことをしていれば創造的になる。
 だから一流の人は「好き」になるまで、対象に集中する。その為には、成功体験の味を知らなければならない。
 当たり前のことといえば当たり前のことだが。一流の人の持っている雰囲気は、フローが滲み出ている空気をいう。
 ーー
 面白そうなところを、まずは抜粋してみる。
 「フロー体験 ー喜びの現象学」 ミハイ.チクセントミハイ

「なぜ幸福になるのはこんなに難しいのか?」 「人生の意味は?」人はみなこの大問題に思いを巡らす。
あえて答えを示す者は多くはないし、それだけの素養のある者はさらに少ない。
著者のミハイ.チクセントミハイは、最初の問いに答えることに全力で挑んだ結果、
それが第二の問いと切り離して考えることはできないことを見出した。
この二つの問いをつなぐものこそ、「フロー」理論の本質である。
一般的な次元での、第一の問いに対するチクセントミハイの答えは、
「幸福になるのが難しいのは、宇宙は人間の幸福のためだけにあるわけではないからだ」
これに対する防御手段としで、宗教や神話がつくられはしたものの、
私たちは厳しい現実を残酷にもくり返し身をもっで知らされる。
宇宙は、秩序とカオス(エントロピー)という観点から考えるのがいちばんよい、と論じる。
「幸福を得るためには、意識に秩序をもち込む=心をコントロールする」ことが不可欠。
しかし、このコントロールはどうすれば可能になるのだろう?
チクセントミハイの研究は、幸福の本質を検討することからでなく
「人間はどんなときがいちばん幸福かと問うことから始まった。
 楽しさや達成感を感じるのは何をしているときか?」の問いから出発している。
これを見つけるために、一週間の中で無作為の時間を被験者のポケットベルを嶋らす、という調査も行われた。
そのとき何をしていたか、その行動によってどんな気持ちになっていたかを厳密に書き留めてもらうのである。
その結果、最高に幸福な瞬間は、予測のつかない外的な出来事によって偶然に起こるのではなく、
特定行動を行っているときに、起こりやすいことがわかった。
その特定の行動は本人にとってきわめて価値があるもので、それを行うと不安や雑念は消えうせる。
その状態を「最適経験」あるいは単純に「フロー」と呼ぶ。
フロー状態の人は、何かより大きく創造的に発展させていると感じる。
・運動選手はこれを「ゾーンに達する」 
神秘主義者は「法悦」 
・芸術家は「恍惚」という。 時間が止まっているように感じることである。
 ーー
「特定行動」 =これがミソである。自分のライフワークを見つけ、それに没頭すればよいのである。
それを早く見つけ、やり続けることなら誰もしていることだが。 いや、してないか??

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2007年04月22日(日)
2210, 帰ってきたソクラテス ?1
        (*^_^*)I おはよう!

あのソクラテスを甦し、政治家、学者、評論家、老人福祉係、元左翼、人権擁護団体、
エスに釈迦まで登場。プラトンの『ソクラテスの弁明』の問答形式で、彼らと対話をしながら、
尊厳死から性教育まで身近な難問に大哲人が挑み、知の広場へと誘っている。
哲学とは自分の頭で考えることだが、それを具体的に示してくれた内容である。
池田晶子の本は、もう10数冊以上は読んでいるが、読めば読むほど面白い。
初めは面白くない本を買ってしまったと後悔をしたが、じっくり読むほどに間違いだと気がついた。
面白い順にランダムに取り上げてみる。
まずは、イエスと釈迦とソクラテスの対話が面白い。三人の対話の架空の対話の中から、
一神教と仏教と哲学の考えの違いを面白く浮き立たせているところが良い。
     ーーー
=死後にも差別があるなら救いだ=
 ー登場人物ーソクラテス、イエス、釈迦ー
 ーP・215ー
ソクラテス:「彼と我々」って気持ちの持ち方が、
 この世の差別の始まりであって、けしからんことなのだそうだから。
エス: 全然違う話だぜ。
ソクラテス: 付き合いのよさこそが、君らの身上ってもんだろう。ここは一つ、
 有難い御法話と御説教といこうじゃないか。
釈迦:付き合いということなら、あなたは我々の比じゃないでしょう。
 あなたは実によく付き合う。ものぐさなんて、何をおっしゃる。
 教祖というものは決して付き合わないものなのです。付き合わないからこそ教祖は教祖になるのでございます。
 差別はすなわちシャベツとは、本来仏教の言葉なのです。たまたま厳しい身分社会の制度が人人を苦しめていた
 世の中に、万物平等、一切衆生悉有仏性を私が説いた。たまたま王子であった私が、その位を捨ててそうした。
 それで、私は画期的に偉いということになっているのでございますよ。
エス:メクラを治し、いざりを癒し、売春婦を赦したから私はえらいことになっている。馬鹿やろうだな!
釈迦:私が申しましたのは、そういうたまたまの現われでしかないこの世の
 肉体や身分やらの差別相に拘泥する心のあり方こそが、ない差別をあることにしてしまっているのだ
 ということでしたのに。こんな当たり前のことに気づかない無知蒙昧なる衆生たちは、
 差別相を実相と信じ込んでは、性懲りもなくすったもんだを繰り返し、初めからないものを、
 ますますすることにしてしまっている。ああ色即是空、かくも簡単な真理が何故わからないのでしょう。
エス:いや君ね、いちばん困るものがそれだってこと。
釈迦: あるものをない、ないものをあると言うから易しいが、
 ないものをないという、そしてそれをわからせる、これが実に難しい。
ソクラテス: うふふ。
エス: 何がうふふですか。ほんとうにズルイんだから。確かに、執拗な問答という君の戦略こそ、
 先手必勝だったのかもしれない。十字架か毒人参かは対した違いじゃない。いずれにしても世間というものは、
 わからないものが怖いものだよ。 しかし、君、言い出したものの仕方がない。もはや断言あるのみだ。
 然り、然り、否、否、であるべきだ。私が言った「神の御心を行う者は、誰も私の兄弟である。」
釈迦:それ言ったのが悪かったようですな。
エス: おや、それなら君だってかなりなものだぜ。
 「一切衆生悉有仏性」、言わずもがなだ。しかしね、それを聞いた弟子たちが、
 すかさず付け足すんだ、「一部除く」と。お陰で後世、あれは何を指すんだ、
 女人か、はたまた賎民とかの詮索が絶えないじゃないか。知ってるかい、部落の中でも女が
 差別されているとか、 女の中でも部落を差別するのがおるとか、互いにせめぎあっているとか。
釈迦: あ?あ、やだやだ。
ソクラテス: しかし、その点なら、君だって一言多かったんじゃないの。
 「ただし、この言葉を受ける力のある者のみ受けよ」だろ。
 受けられるのは俺だけだ、異教徒他宗派にはわかるまいって、連ちゅうやってるぜ。
 「汝の敵を愛せよ」って言われりゃさ、ない敵もあることになっちゃうことだしね。
エス: 言わなきゃよかったよ。
  ーーー
 解)まだまだ、面白会話が続くので、次回に回すとして、三人の会話を通して宗教の好い加減さを鋭く突いている。
  道理からすれば、神は大自然の計らいを抽象化した呼び名でしかない。
  知識を持ってしまった人間が、その知識ゆえに苦しまなければならなくなった、
  その対処として発明した?の呼び名が神である。それぞれの解釈があろうが、毒とも薬にもなる神?
  という発明なるものに、人類は多くのエネルギーを注いできた。
  そして多くが救われ、反対に多くの犠牲を払ってきた。どうしようもない人間の業を、
  どこかで統制しなければならないのだから、必要善、かつ必要悪、としての共通の価値観、規範が必要なのである。
  確かに差別という大問題が、我われ一人一人の前に突きつけられる。聖書はマタイの創作のオトギ話である。
  しかし、そのオトギ話が真実の道理なら、奇跡などが事実かどうかは問題にしなくてよいだろう。
  38歳で亡くなったといわれる、キリストが果たして何処まで人の苦しみを分かっていたかは疑問であるが、
  救い主は疑問の対象にしないものである。人間たる所以は「言葉」と「道具」を持っているためだ。
  そして「言葉」がつくり上げた最たる精神の「道具」が神なら、それも人間の遺伝子として、
  認めることも必要かもしれない。「神よ!罪ある子羊を救いたまえ」と。
                         (~▽~*)/ グッバイ!
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2006年04月22日(土)
1845, あちら側の世界 ?10
             おっ w(゚Д゚)w ハァョ?
ー狭い世界,6次の隔たりウェブ進化論」の中に「6次の隔たり」について書いてあった。
 「地球上の任意の二人を選んだとき、その二人は、6人以内の人間関係に結ばれている」
 というもの。 早速、グーグルの検索で調べてみた。
ー以下は、その中の一つのコピーであるー
6人の知人の連鎖を介せば世界中のどんな人にもたどり着けるという理論。もとは,
心理学者 Stanley Milgram 博士が唱えた,"米国民全員は、6人程度の知人の連鎖を介して
つながっているという"説。 これから,ネットワーク効果という科学分野が生まれた。
イェール大学の故 Stanley Milgram 博士(社会学者)が1967年に行なった実験から生まれた。
博士は全米から無作為に選んだ300人に対し,彼らが直接知らない受取人に重要な手紙を送るよう指示。
送り主に人々には,受取人のおおまかな居場所や職業といった手がかりが与えられ,
彼らはそをもとに,目当ての受取人に「より近い」かもしれないと思われる誰かに
手紙を転送するよう指示され,最終的な受取人に手紙が届くまで,これが繰り返された。
この結果を Milgram 博士はサイコロジー・トゥデイ誌に発表,
(以下字数の関係でカット2008・40・22)

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2005年04月22日(金)
1480, 桜咲くーつれづれに

昨日か今日あたりが長岡の平地では満開であり、もう散りかけてもきている所もある。
近くの山は大よそ一週間おくれになる。何でも咲きがけか蕾のころがよいものだ。
満開で散りかけも良いが、何か心さびしいものがある。近くに福島江という桜の名所があり、
この時期の楽しみになっている。車で10分ほどの悠久山の桜も良い。特に豪雪の年は良い桜が咲く。
家内は如何いうわけか桜が好きでない。「どうして?」と聞いても解らないと言う。
「すぐ散るからじゃないか」と言ったら「恐らくそうじゃない」と答えた。
私は、すぐ散るから気にいっているのだが。10年に一度位は大当たりになる。悠久山などで早朝に見ると、
思わず息を呑むような神秘的な光景を目にすることが何度かあった。一瞬の艶めかしい雰囲気が漂っている。
全国的にみたら、無数に名所があるのだろう。サロンに、時々訪ねてくれる井上さんの桜の写真も楽しみだ。
現場で見る桜は、写真では表現できない濃艶な妖精が無数に漂っているのだろう。
先日の日経新聞の最後のページの「文化欄」に作家の山本一力氏が、吹かずともと言う文章を書いていた。
桜の花と、人の引退時を重ねて書いていた。 ー引き時に迷ったら、桜に教わればよいー
今週の長岡は、桜の週である。 庭の梅の花も散り始めてきた。
近くの川に鴨の姿がチラホラ見えてきた。本格的な散歩が、この時期から始まる。

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2004年04月22日(木)
1115, 中年期の「八つの危機」

思春期妄想症、青年期神経症をやっと乗り越えて、中年期から老年期になると一番恐ろしい
中年期の危機が大きく口を開いて待っている。中年から老年に向かっている身にとって一つ間違えれば、
とんでもない危機に陥ってしまう年齢になってきた。アルフォンス・デーケンは、この中年期の危機を
「八つの危機」にまとめている。バランスを崩せば、何時でもこの鬱の世界に転げ落ちてしまう。
この「危機」に対して、上手に対応することが必要になってくる。
以下は、アルフォンス・デーケンの本に書いてあった内容である。
いくつかは誰もが心の奥で感じたことであろう。どういうわけか私の場合、ほとんどない?? 
常にコントロールしてきた為だろうが。今まではそうであったが、今後は解らないのが人生というものだ。
このすべてを背負って、万年鬱になり自殺未遂を繰り返している人がいるが、ある日突然、
こころの芯棒が折れてしまって、この幾つかの穴にはまり込まないとは限らないことばかりである。
ーその一部をまとめて抜粋をしてみるー
「気がついたら人生の折り返し地点を過ぎてしまった・・・」「仕事がサッパリ面白くない」
「同僚と付き合うのが億劫だし、妻や子供との時間が楽しくない」「何の為に生きているかわからない」
「ちょっとしたことでも、くよくよ考え込んでしまう」「若い頃のように、やる気が出てこない」
「上司や同期の葬式に出ることが多くなったな・・・」「コメディ映画をみても、素直に笑えないよ」
よく聞くぼやきであるし、身に覚えのあることである。以上のことは中年期に忍び寄ってくる特有な
「八つの危機」の典型的な現れである。それぞれを説明してみると--以下は字数の関係上カットしました。
 後は、HPの同日分を開いて見てください。(2008年04・22)

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2003年04月22日(火)
748, 思い込み

 中学の頃、血液検査でB型といわれて30年経った10数年前に、自分が実はA型ということが解った。
その時の驚きは天地が引っくり返る位であった。「自分はB型で、その性格は努力型で、独創型のマイウエータイプ!
部下や友人にはO型が適正、女性はA型が(^_-)-☆?大好き!
男の相性の悪いタイプはAとAB型と信じて生きてきたのに!」
そのA型が自分自身だと!!「今まで信じてきたことは何じゃい、これは!」が、その時の実感である。
 逆に考えてみると、条件を設定をして、その中でパーツをたてればいろいろな自分を創れるということだ!
暗示をかければ、その通りになってしまう実例でもある。それにしても、こんなバカみたいな事が実際にあるのだ。
実の親と思っていたが、実は違っていたという感じである。面白いものでBの対極のA型といわれてみると、
自分は本来はA型タイプに思えてくるから面白く、かつ単純なものである。
それからはA型類型の性格の自己暗示にいつの間にかかかっている?
 金沢の会社にいたころ、誰かの手術で緊急に寮生のA型が集められた。
全く自分とは正反対な性格の連中であった。その時やはり血液型は性格
形成の基礎になっているのだと実感したのに、あれは何だったのだ?
 人間なんてものは全て言葉による刷り込みを、言葉によって剥がしていく
動物でしかないのだろう。そこに不条理が発生してくるのだ。
イスラム教とキリスト教の対立も、その思い込み?が起因している!宗教ー経典は刷り込みの典型である。
地方にいれば地方の、都会にいれば都会の思い込みがそれにあたる。
思い込んでるのが愚か者、それを冷笑しているのがバカ、というのが何かに書いてあった。

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2002年04月22日(月)
384, 我が内なる無能性?2

以前も「我が内なる無能性?後まわし」という題で書いたが、その続編。そういう人が反面教師として多くいる。
といってそれを云うだけの資格があるのかといわれれば、ない。それでも書き出してみる。
・自己責任がない ーーー人のせいにする。全て人が悪い、よく言うよという位人のせいにする。
 その点で狡猾そのものだ、その芸術家だ。誰もがその要素を持っているから書いては駄目なことだが。
 人間それほど強いものでない。
・過去の記憶だけは、よーく憶えている、特にマイナスの記憶を。その壁を自分の周りに作り上げ、
 その中から出れない状態。 芥川龍之介の「山椒魚」はこれを揶揄したのだろう。
・本を読まない、人の話しを聞かない、変化を嫌う、議論をしないーいや出来ない。
・長期的視点ーグランドデザインが全くない。
 ー人生でも、家族の事でも、仕事でも。したがって準備という意味が解らない。
・人の付きあいが小さい枠。 両親の呪縛から抜け出る事が出来ないーとっくに死んでしまっていても。
・人の欠点を探す事で、凝視する事で自分の影をカバーしようとする。
考えてみたら、大部分の人がほぼこれに当たる。もちろん私もである。少し濃いか薄いかの差でしかない。
それを「子狐」という象徴でその無能性を書いている。時々「子狐」とあったら、上記の象徴と思ってほしい。