*「三位一体モデル」を使った演習  ー ①

「三位一体モデル」を実際の知人の仕事を当てはめて演習をしてみたが、考えさせられる。
実際に丸を重ね合わせて三つ書いて、その一つの「子」の円に、職業を書き込んで、
次ぎに「父」、そして「子」の順に書き込んでいく。 それが、なかなか面白いのである。
 その前に、我われの生存ベースである幻想としての
  「国家」、「国民」、そして「家族」から考えてみる。
* まずはー「国家」ーから
 子=  国家
 親=  国家成り立ちの神話 日本なら「天皇神話」から、これまでの歴史と、これからの方向を示す羅針盤
 霊魂= 文化、文明(国家としての教養)。国民と、その民度。国家としての政治・経済・軍事力・警察力。
* 次に、ー「国民」ー
 子=  国民
 親=  国家憲法、法律、それを維持する暴力装置(対外的には軍隊、対内的に警察)。これに愛国心
 精霊= 公共施設(道路、河川、鉄道、公園、学校 etc)、都市、街、村、故郷、政治家、芸術家、経済力、など・・
* 国家のベースとしてのー「家庭」ーとは
 子=  家族
 親=  血統、家柄。家訓、家そのもの。
 精霊= 子孫、盆暮れの集まり。家族の団欒。家族旅行。 

国家は、共同幻想の典型と言われるが、長い歴史に裏付けられた蓄積がある。日本では天皇制度である。
人間の「なすべき基準、価値観のベース」は、国家のために何をすべきかに行き着く。
我われの安全を最後に守るのは国家である。それが軍隊であり、警察という暴力装置である。
現在の憲法は、明らかにアメリカ庇護を前提として作られている。庇護は建前で実態は隷属である。
この憲法である限り、日本は衰退するしかない。右翼みたいなことを言うが、グローバル化になればなるほど、
ベースとしての国家の強固の基盤が必要になる。 無理だろうが・・・
                                      つづく
 ・・・・・・・・・・
2563, ディープ・スロート
2008年04月10日(木)

ディープ・スロート 』ー大統領を葬った男  ボブ・ウッドワード
                      ゜+.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ☆゜
これも図書館で見つけた本である。これが出版されていたことは知っていたが、買うほどではないと、判断していた。
 あまりに奇抜で、生々しいから目をそむけたのだろう。まずは、アマゾンの紹介文からして、面白い。
 ー内容
ニクソン大統領を辞任に追い込んだ「ウォーターゲート事件」から33年。
新米記者ボブ・ウッドワードに地下駐車場で極秘情報をリークしていた人物が名乗りを上げた。
当時のFBI副長官マーク・フェルトだった。
フェルトが死ぬまで秘密を守り抜く覚悟でいたウッドワードが、その告白を受けて初めて明かす、
フェルトとの出会い、情報源秘匿のエピソード、その後の二人の関係…。
 ー
著者のボブは、大統領ニクソンを辞任に追い込んだいきさつを書いた『大統領の陰謀』の著者。
ワシントン・ポスト紙の新米記者だった彼は、同僚のカール・バーンスタインと共にスクープを連発した。
ボブに情報をもたらした匿名の政府高官は「ディープ・スロート」と呼ばれ正体が明かされなかった。
 ーー
 はてな検索によると、
《いわゆる「内通者」の意。ウォーターゲート事件で一躍有名になった言葉だが、
実は同時期に上映されたポルノ映画の題名より取られていることは意外と知られていない。
二重スパイ(ダブルエージェント)と似ているが、ディープスロートは基本的に高官であり、二重スパイよりも
  高い位置からの工作を行うらしい。それが事件から20年以上の時を経て、誰であったか判明したということ。》
 ーー
三年前に世界中が、ディープ・スロートがFBIの副長官で、その捜査のトップも勤めた男に驚愕した。
 私も「まさか!」と耳を疑ったが、アメリカ国民ならもっと驚いただろう。
動機は「FBIの生え抜きだったがトップに上り詰められないナンバー2(マーク・フェルト)が、
 ニクソンへの復讐のためにスクープを出し続けた」というものだった。
それにしても、世界中の権力者は驚いただろう。 最近は情報化社会である。
デジカメ、携帯電話などの情報機器で内部情報が簡単に通報されてしまう。
ニクソンが、フェルトではないかと疑っていたようだが、確信は持てなかったようだ。
それを知らないで亡くなったのが、幸せだったのか? 事実は小説より奇なり、の一事例といえる。
                             (* ̄0 ̄)ノバイ? 
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2007年04月10日(火)
2198, リーダーシップの旅
                才八∋ウ_〆(∀`●) 
                   ー読書日記ー
「リーダーシップの旅」 ー 見えないものを見る (新書) 野田 智義 (著),
     
野田氏の考えを主として金井氏が聞き手として対談し、まとめたもので、サブタイトルは「見えないものを見る」である。
二人の気持ちが、そのまま現れて解りやすい内容になっている。

ー要点を先に言ってしまえばー
*リーダーは、それに相応しい人がリーダーの仕事をするのではなくて初めは、あることをやろうと思い立ち、
  自ら一歩踏み出すことがはじまりで、最初からリーダーだったわけではない。あることやり遂げることで
  初めてリーダーになる。それは私たち一人一人が、自分の生き方の中に発見するもの、生き様を問うことだ。
創業を何度か経験をしてきたので、野田氏の言わんとするところが、いやというほど解る気がする。
ツアーを使った秘境旅行でも、そのつど何処に行くかの選定の筋書きが始まる。
だいたい家内の大反対から始まり、それでは私一人で行くとなり・・その後、家内が従う物語になる。
この難関が一番大変である。 周囲の反対で中止というのは、それだけのことでしかない。

:面白そうな部分を抜粋してみると・・:
 ーー
リーダーシップは「見えないもの」を見る旅だ。 ある人が、「見えないもの」、つまり現在、
  現実には存在せず、多くの人がビジョンや理想と呼ぶようなものを見る、もしくは見ようとする。
そして、その人は行動を起こす。世の中ではよく、リーダーはついてくる人(フォロワー)を率いる、
リーダーシップはフォロワーを前提とするなどと言われるが、私はそうは思わない。
旅はたった一人で始まる。 フォロワーは旅の途中で現れる。リーダーと出会い、一緒に旅をする。
しかも、この時点で、しばしばリーダーは自分のリーダーシップには気づかない。
見たいものを見、やりたいことをやり、自身が描く目標に向かって歩いているだけで、
自分がリーダーシップを発揮しているとは意識しない。リーダーとフォロワーが、実現したい何かに向かって、
ともに旅という時間と空間を過ごすプロセスで、お互いの共振関係が生じる。
決して、一方的な関係ではなく、相互の影響がそこにはある。その中で、リーダーが見る「見えないもの」が
  フォロワーにも共感され、いつしかフォロワーの目にも「見えないもの」が見え始める。
そんなリーダーの行動がフォロワーに向けて醸し出す「フェロモン」と、フォロワーがリーダーに感じる賞賛によって、
  リーダーシップは結果として成立する。リーダーは、リーダーになろうと思ってなったわけではなく、
「結果として」リーダーに「なる」のだ。  (21?22ページ)
 
ーー
社長になろうと思って社長になった人はいても、リーダーになろうと思ってリーダーになった人はいない。
リーダーは自らの行動の中で、結果としてリーダーになる。
はじめからフォロワーがいるわけではなく、「結果としてリーダーになる」プロセスにおいて、フォロワーが現れる。
リーダーシップは、本を読んで修得するものでも、だれかから教わるものでもない。
それは私たち一人一人が、自分の生き方の中に発見するものだ。リーダーシップはだれの前にも広がっている。
「すごいリーダー幻想」から脱却し、こぼれ落ちそうだったリーダーシップを再び手の中に、自らを生きる選択肢として
  捉えること。すべてはそこから始まる。何かを見たいという気持ちがあれば、可能性は無限に膨らむ。
自らが選択し行動することで、人は結果としてリーダーと呼ばれるのだ。(P39ぺージ)
ーー
中年がある時期、立ち止まり、自らの来し方を振り返ることには意味がある。
三十代半ばから四十代は、「人生の正午」に当たる。
学校を出て働き始めて二十年近くが過ぎ、定年を迎えるまで二十年少しを残している。
十分に経験を積み、現実もそんなに甘くないことは分かっている。 そのぐらいの年齢で、
  自分は本当に何を実現したかったのかを考え直す意味は非常に大きいのではないだろうか。(中略)
今なぜ仕事をしているのか、その会社や組織で働くことにどういう意味があるのか、
自分のいる場所にとどまり、会社や組織、社会に対しても貢献できて、そして何より
自分が生きいきできる夢とは何なのかを、考えることもできるのではないか。
とどまって挑戦する。精一杯やって、どうしても駄目だったら、別の場所を考え始めればいいのではないだろうか。
  そう私は、強く、とても強く信じている。中年の夢は、自分と真剣に向かい合い、よく生きるためのガイド役になりうる。
だだ、そうかといって、中年の夢が、神の啓示の如く、非連続に突如降りてくるというわけでもないだろう。
むしろ今まで生きてきた自分、自分が無意識にしても大切にしてきた自分との連続線上に、夢が浮かび上がって
  くるものだと考えられる。                      (161?162ページ) 
(2008/04/09字数の関係でカット)
                 ホンジャ~~ヾ(´ω`)バイバイ
・・・・・・・
2006年04月10日(月)
1833, ずっとやりたかったことを、やりなさい?6
   才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)          ー読書日記ー

この本の最後のページに書いてあった言葉である。言葉の効用を最も深くあらわしている。
  言葉は人を生かしもすれば、殺しもする!じっくり考えると、般若心経が一番効用がある! 
  生まれる前も、死んだ後も、そこにあるのは「無」である。いや「空」である。全てが、そこに帰結するだけである。
最後は一人である、人間は身近な人の慰めをもとめても、深いところの慰めは得られることは少ない。
先人の深い言葉は、数百年数千年の時空を超えて我われを元気付けてくれる。
先人の言葉を探し求めれば、必ず我われを勇気づける言葉はある。
 ー癒しの言葉ー
言葉を濡れた冷たい布切れのように折り畳み あなたの額に置いてあげたい。
あなたの手首を包んであげたい。 ほら、ほらとその言葉は語りかけるだろう。
あるいは、もっとましな言葉を語りかけてくるかも知れない。
私は言葉に、何もかも大丈夫よと囁いてくれるに頼むだろう。
私は言葉に、あなたを一晩中抱いてくれるように頼むだろう。
熱で火ぶくれになり、やけどを負った箇所に 熱があなたを傷つけた箇所に
言葉を塗り込め、冷やし、なだめてあげたい。 言葉でもって癒してあげたい。

丁寧にキヅ口に当てればタチマチ、傷口から優しさが沁みこみ、そして深い経験に昇華する。
                         ε(´',_c')зβyё
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2005年04月10日(日)
1468, 通販の時代の到来

先日、NHKのニュースで「韓国のホームショッピングが、デパートの売り上げと同額になった」と報じていた。
・韓国では既にインターネットの普及率が70?を超えたこと
光ファイバーが隅々まで配置されている などが理由にあげられるという。、
結婚式などの無形商品もTVでそのサービスを見て選定をしてから、2?3の会場に行って決定するという。
日本もここにきて、本格的に光ファイバーが家庭に普及しだしてきた。
数年もしないうちに韓国と同じような状態になるだろう。このことは情報化の象徴的な現象とみることができる。
それにしても、TVショッピングがデパートの売り上げを超えようとは感慨深い。
私の場合は、電気製品を買う時は必ず価格ドットコムを見てから、量販店に、その事実と価格を告げて
  数?を上乗せをして買う。 万一故障の時、直接メーカーと交渉するのが面倒だからである。
健康食品と書籍も、半分は直接ネット上で買っている。

生物は経験の重なりが知識・情報になり、その結果として進化してきた。
ところが、その情報がインターネットで瞬時で世界中に飛び交う時代になったのだ。
これは人類にとって大革命である。 そして、このことが社会を根底から変えている。
新潟の駅周辺にも、隠れ居酒屋が彼方此方に出来始めて何処も結構繁盛している。
リクルートなどが出している情報誌を見て、予約をしてくるという。
新幹線の中で、最近パソコンを使っている人が目立ち始めてきている。
また、事務所も自分のセクションのないフリーのものが増えてきたという。
パソコンに事務所機能が入っているのでセクションがないほうが合理的になる。
日本も光ファイバーが、会社と事務所に本格的に入ってきた。さらにTV機能の付いたパソコンと携帯電話が
  一般的になってきた。これらが社会にもたらす影響はこれから色いろなカタチで出てくるだろう。
一昔(5~6年前)では考えられない面白い時代になった。経営する立場は大変である、一強多弱しかないのだから。

ーーーーー
2004年04月10日(土)
1103, マスコミは戦争地域には・・

今回イラクでこうそくされた邦人は何なんだろうという疑問がわく。
NPOに名を借りた1発屋のフリージャーナリストである。
現地に行って、その体験記や写真を新聞社に提供するのである。
リスクを売りにするのだから、殺されてもいたし方が無いともいえるのだ。
当然殺されるのも覚悟の上のイラク行きであったはずである。
以前「ヌーの河渡り」に行った時の添乗員兼インストラクターが「アフリカ専門何でも屋」であった。
TVでアフリカの事件が起きると何回かTVに出たことがあるが、殆どの人は名前も顔も知らない。
アフリカの紛争地に日本のマスコミと契約をして、記者が行くに危険すぎるところに乗り込んで行くのが仕事。
新聞社などの記者では、現地で死んだり、怪我をした時に、自社の社員には余りにも
リスクと金がかかりすぎる。フリージャーナリストの存在は互いに都合がよいという。
生命の危機や虐殺の現場に何回も出くわしたが、慣れてくると、その危険が
たまらないという。日本に帰ると病院の精神科に通院しているとか。
マスコミは奇麗事をいっているが、実際に身体を張っているのは、そういう人なのだ。
アフガンの戦争時も、そういう日本人ジャーナリストが一時現地で行方不明になったことがあった。
今井さんという18歳の青年は、両親や兄に必死に止められたようだ。
しかし退避勧告の中に行ったことは、まぎれもない事実である。

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2003年04月10日(木)
736, まずは「一日一図」から

 このホームページを開くきっかけをつくったのは久恒啓一著の「インターネット勉強法」である。 
先日、彼の本を買った、三冊目である。『人生がうまくいく人は図で考える』である。
なるほど買って読んだら単純にみえたが、なかなかよい本である。
・なかでも「一日一図」がよい。
・それと「借図から創図へ」。
・「文図両道」
・また「図解は一日にしてならず」もよい。
 サッソクこの本の勧めるとおり、3日前から大学ノートに「一日一図」専用ノートをつくった。 
  そこでまずは「借図」がポイントと気づいた。 気に入った図を、そのまま真似るのだ。
  次に「図解は一日にしてならず」もなるほどと思った。「借図」を続けることで、自分の「創図」をつくっていくのも肯ずけた。
  レオナルド・ダビンチなどの天才のノートは、空間をタップリとって文と図を解りやすく書いてある。まさに「文図両道」。
レオナルド・ダビンチのノートなどを借図にして、身につくまで真似ればよい。
しかし、なかなか図解するのは身に付かないものである。そこで「1日一図」を実行するのが第一歩だ。
どこまで続くかだが、四行日記あたりをこれにしてもよいだろう。
ーまずは「随想日記の下書き」や「読書日記やその目次写し」から始めてみよう。
以下はインターネットのホームページからのコピーである。
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「図解 人生がうまくいく人は図で考える 」 久恒啓一 販売元: 三笠書房
 
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2002/04/10  不安解消法

学生時代読んだ本だが、カーネギーの「道は開ける」に書いてあった方法である。
記憶なので何処まで内容が正確か定かでないが書いてみる。
 ある不安があったとすると、
1、まずその不安な気持ちの対象を書き出す。
2、その不安のさらなる最悪の出来事を想定して書いてみる。
3、その解決方法を幾つか書き出してみる。
4、それが本当に起きるだろうかと、今一度自問してみる。
5、そのプロセスで不安感は消滅してしまう。
という内容だったように記憶している。これを実行していく中で、不安症の性格がかなり修正された。
「まあその時はその時さ!」「何とかなるさ」「考えても仕方ない事は、考えても仕方ないさ」が口癖になった。
  不安を感じた時、それを直視すればそれは不安でなくなる。それに対する方策を考えれば、
  それが不安そのものを解消する。 不安そのものが、手順を考えるプラス要素に逆転する。
実際にケニヤにはじめて行った時の不安は、想像以上であった。
添乗経験10年の女添乗員と家内がヒソヒソと不安そうにロンドンへの機内で話していた。
 「ロンドンで降りようか」と。 実際タンザ二アやインドに行った時も「不安というプレッシャー」
が襲ってきたが、実際はその数百分の一でしかなかった。
その時時に、その不安を具体的に考え、その対処を具体的に考えていくしかない。
事業も然りであった。具体的に具体的に考えるしかない。そして具体的に一つずつ解決していくしかない。
「それで済むな生易しい問題は、本当の不安でない」という言葉が聞こえそうだが。
「直視できない問題だから大変なんだ、不安なんだ」 それももっともだが。