学者・マギー著「哲学人」が、自宅近くの長岡中央図書館にあった。
この本の冒頭に、5歳の頃に「寝入る瞬間がわかるかでどうか」を3歳上の姉に聞いたところ、
「そんなことを憶えている人がいるわけがないでしょ」と軽く言われ、そこで自分の眠る瞬間を見張っていたが、
出来なかったという。 それをキッカケに7〜8歳の時に指を見つめて一本ずつ曲がるかどうか試したら、
一本ずつ曲がったのを驚きの目で見つめたという。 そして10歳では・・・と、身近な疑問が次々と起こってきたという。 
400ページの分厚い本で上下巻あったが、30分ほど図書館で「寝入る瞬間の経験を何故できないか」の部分を調べたが、
調べた限りではなかった。 これは簡単に論証するには至難ということである。 カント哲学の分野ということだろうか?
 前回、軽くその答えを書こうとしたが、訳の分からない内容になったのは当然のこと。
マギーが、その後の人生で寝入る瞬間の経験をしたことはなかったようだ。
もし経験していれば、正直にそこで書いているはずである。 それを経験したことのない人や、
哲学的に「寝入る瞬間を経験することが不可能と論証された」としたら、私の言うことはウソと判断するはず。 
しかし、私は間違いなく、その瞬間を経験したのである。数十分の一か、数百分の一の刹那であったし、それは夢ではなかった。 
「あ、見た!」という感覚を今でもはハッキリ記憶している。

 マギーが「寝入る瞬間を何故、経験できないか」の論証があるとしたら、如何なる論か推測したが、
あまりの好い加減と恥じて、それならと懲りずに考えたみた。こと、この件に関して私は実際の経験をしているのであるが、
そうであれば、この大哲学者より私の経験が優っている。それなら、もし彼が好い加減な論の推測を気楽にできることになる。 
 ーその後の推論は次のようになる
「寝入る!と思って寝れない。ということは意志では無理である。意志の奥にある無意識が引き込む世界で、
意識の世界でコントロールは出来ない。その瞬間は膨大な無意識の世界が意識を無に引き込む刹那な瞬間であり、
それは意識は捉えるには、その瞬間はあまりに短い。その瞬時を見るなどありえないほど、膨大の瞬時の集まりが大きい。
更にいうなら、無意識(寝入った世界)が引き込む精神作用は意識世界の作用でコントロール出来るほど浅くはないのは
経験済みである。その瞬間を見るのは、神の姿を見るのに等しいといってよい。無意識とはそれ位、生物の膨大な記憶が
刻印されている。 ・・・・ ー
 こんなところだろうが、好い加減なことは大して違いがない。「神の姿を垣間見た」というのは、言い得て妙だが。