2007年02月27日(火)
2156, 幸福に驚く力 −3
            (o_△_)oゴロン(o_ _)o.。o○グー オハヨ〜
*「物語」の持つ力*           ー読書日記ー
ーまずは、この本の中の「物語」の持つ力と不思議についての面白いところを抜粋してみようー
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河合隼雄の「物語とふしぎ」の中で、「〇〇にとって納得のいく答えが物語になるのだ」
「正しい知識を供給しても人は納得できない場合がある」
「人間の体験した不思議とか驚きを心に収めるために物語はある」といっている。
人は科学的、客観的にはおかしくても、それでも納得できる方を選ぶということを遠い昔からしてきたのである。
河合さんは、それを、「その人と世界との関わりを示すものとして物語はある」といっている。
「物語とは何か」を根源に立ち返って考えさせてくれる、あるエピソードがある。
ある人が、南フランスに出かけていって、一面のヒマワリ畑の中にたったそうです。
ところが、彼はヒマワリに圧倒されて、ほとんど気が狂いそうになったといいます。
その時彼は何をしたか。ゴッホのヒマワリの絵を必死になって思い浮かべたというのです。
そしてその目の前のヒマワリと自分の間にゴッホのヒマワリおいて、そうすることで初めて精神の均衡を保つことだできた。
そう話してくれました。つまり、私たちは本当に対象となるものに直に触れているように見えるけれど、
いつもそこに何か借りてきて、それを通して対象と触れ合うことを無意識のうちにやっているんじゃないか。
自分と世界と直接結ぶということは物凄く大変なことですね。だから、こうだよという物語、それを借りてくるんじゃないか。
いま私がいう物語には絵も音楽も入っています。つまり自分は世界とどう関わったかに答え、それを一つの形にしたもの。
それを聞いた時に、物語とは何か、ふっとつかめたような気がします。
ある波頭を見ていると、「あっ、北斎の波頭だ」と思わずつぶやく。
もし、北斎のあの版画を見ていなかったら、本当にあの波頭を捉えることができたか?  
ある人がこうつかんで、物語にした。その物語を借りてくることによって、対象と向き合う。
そういうことを、私たちはみなやっていると思います。ゴッホがなぜ狂ったのか、恐らく彼には、
借りてこられる物語がなかった。どうしても納得できる他人の物語がなかった。それで格闘したんですね。
してやっとつかんだ時には精神の均衡を失っていた。そう思います。
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私のライフワークの一つに、「秘境ツアー」がある。その楽しみの一つが、写真とミニ紀行文である。
ミニ紀行として物語化にして、写真と供に記憶として整理しておくためである。
物語化は写真よりも自分の心に刻印してくれる。河合隼雄の「人間の体験した不思議とか驚きを心に収めるために物語はある」
という言葉のとおり、不思議と驚きを心に収めるため必要欠くべからずことである。人生は物語である。
多くの物語を持つことは、それだけ生きたことになる。そして大きな豊かさを与えてくれる。
誰もが自分の物語の主人公である。人生を豊かに生きるためには、主人公の生きる世界のキャンパスを広く持つことだ。
そのためには広く深く経験をしなければければ。不思議と驚きに多く出会。
それは本を中の主人公と邂逅することでも充分に可能である。新しい分野の主人公と多く出会えばよい。
そのためにはゼロを基点とした孤独を意識しなくては、その主人公の気持ちになることはできない。そういうこと!
               ー つづく 
                 ¥(*^_^*)\ バイバイ
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