2005年01月06日(木)
1374, キュープラ・ロスー2

ロスに関して、もう少し詳しく書いてみる。
ターミナルケア(終末期医療)のテーマにおいて最も愛され、尊敬される第一人者の存在である。
若き日の勤務していたニューヨークの病院での瀕死の患者の扱いに彼女は愕然とした。
〈彼らは避けられ、粗末にされ、だれも彼らに正直に接していなかった〉
彼女は他の同僚達とは違い、いつも末期の患者と供にいて、彼らの心の声を聴いていた。

そして彼女は「自らの経験を語る瀕死の患者についての講義」を始めた。
1969年の最初の本「死ぬ瞬間」はキュブラー・ロス博士を世界的に有名にした。
〈私の当時の目標は、患者が心の奥深くの悩みを訴えることを禁じる専門家の拒否の姿勢を
うち破ることだった〉と書かれている。
このテーマについて何年間も満席の聴衆に向かって話をし、20冊以上の本を書き、
25カ国語以上に翻訳され、また彼女は20を越える名誉博士号を受けている。

1995年に彼女はひどい発作におそわれた。麻痺が残り彼女自身死と向き合うこととなった。
容態が安定したとはいえ、彼女は発作から完全には回復していない。
〈私はゲートを出たのに離陸できなかった飛行機のようなものです。
ゲートに戻るか、そうでなければ逃げ去ってしまいたい〉と正直に自分を語っている。

「世界中の人に愛を与えた聖女」の実像は家族をおきざりにして、
世界中の人々に愛を与えて歩きあげくの果てに、霊媒師に引っかかり、結局は一番最愛の人(夫)
を失ったともいえる。その晩年は孤独で淋しい老女だったことは間違いない事実。
世界中の死に直面をした人を救った彼女は、自分の愛する人を救えなかった。
皮肉といえば皮肉である。しかし、その矛盾した姿こそ、彼女の偉大の姿でもある。
「死の瞬間」の出版から、世界中の注目を集めた独りの女性は、その晩年の姿は決して幸福ではなかった。
先日のテレビの映像はその姿を生々しく映し出していた。

世界的地位や名声と引き換えに、一番大事な「家族との時間」を失った彼女の姿は聖女といえば聖女であろう。
彼女の晩年に書いた「ライフ・レッスン」という著書も、なかなかの内容だ。
全てが人生におけるレッスンと思って生きていけば、全てを受容することが可能になるからだ。
若いときに鬱々としていた時、ふと「全てが人生の修行と思えばよいのではないか」と思った経験がある。
そして、その視点で全てを思い見直したとき、霧が目の前から消えていく思いをした経験がある。
人生全般からみたとき、死に直面した時こそ最大なレッスンになるのだろう。
両親に後ろ姿を、その時に身近でジックリ見せてもらった。しかし、自分が直面しないと解らないだろうが、
ロスは直面した時何を学んだか? 一言二言では言い表せないのは当然である。

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