2006年12月06日(水)
2073, 金は人を幸せにするか?
           才八∋ウ_〆(∀`●)
    お金に関しては、何度か書いてきたが・・先日の書評「金は人を幸せにするか?」は題材として面白い。
    毎日新聞の『「豊かさ」の誕生…』=W・バーンスタイン著の書評で、その内容が紹介されていたが、
    なかなかよい。 建前でいえば、「お金で幸せが買えるかって?冗談じゃない。幸せは心の問題だろう。
    それが金で買えれば、世の中の金持ち全部幸せのはず。質問そのものがナンセンス」が正論である。 
    しかし本音のところ、「金は何でも買うこともできる自由の塊、何でそんな建前をいうのか?
    そんなことを言えるのは充分ある人のこと。」と、陰の声がささやく。

「貧乏の極みで家庭は崩壊、借金で高利貸しに追われ、最後は不幸のどん底、投身自殺を図ったが死に切れず・・・」
  これなど不幸のカタチで何処にもあるパターンである。 倒産や失業では金欠が当面の切実の問題になる。
人間の品性は「金欠と女性問題」で露わになる事例を山ほどみてきたので、間違いなく「金のないのは、人を不幸にする」
ということだけは断言できる。幸せになるのもいるが、それは珍しいから小説の種になる。

   私の持論は、「金で80?の幸せは買えるが、あとの20?は金で買えない。
    その20?こそ一番大切なことである。 しかし80?は買える。
    幸せとは、したいことがあり、それをやり遂げた心のさまである。
    それは金では確かに買えない部分もあるが、しかし金=自由であるから、
    やり遂げる手段としては、最有効になる。」である。
                    (*´θ`*)金、欲しい!
理屈として、「買えるものは買えるし、買えないものは買えない。
買えるものは金があればこそ買える。金が無ければ‘買えない’範囲が広くなる。
そのぶん自由度が狭くなる。自由は人間にとって非常に大きい幸福の要素である。
自由度を大きくするには、より多く金が有ればよい。
生存レベルで必死の人にとって、{生活手段としての資金の確保から解放されることが幸せである}
のは当然のことであり、お金は資金確保からの解放を意味する。

   生存レベルの資金確保の束縛から解放された人は逆に幸福感が「生活資金確保の段階」から
   アップスケールしているのだから、身近な世界の人との比較や、違うレベルの欲望の達成の幸福感でなくては、
   幸せなれなくなる。金が無くなって「お金だけが人生ではないお金は決して人を幸せにはしない」と、
   言うに丁度よい言葉の羅列にはなるが。
ー先日の毎日新聞の『「豊かさ」の誕生…』の詳細は、‘サロンのコーナー’にコピーしておきました。                                         *^ワ^*)i バイバ
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