575, つれづれに学生時代のこと ー2  

  • 2002年11月09日(土)

現在、学生時代の日記を書き写していることは意味のあることだ。
ユングは「人生に午前の人生と午後の人生がある」といっている。その価値観はまるで違う物差しになる。
今の私は午後の人生の学生期にある。それで敢えて「学生時代の日記を書くことで、これからの午後の人生の
設計の基礎を考えようとしている」事になる。若い時には仕事や家庭創りや物質など外に見出そうとした。
午後はその時に見出されなかった事や、人生全体の何かを自分の中に見出していく時期だ。
そのことは「夜と霧」を書いた心理学者のフランクルもいっている。
コペルニクス的視点の大逆転、『人生に何を求めるのでなく、人生が何を求めているか』
の追求」である。 人生の意味の完成というと難しいのかもしれない。
午後の人生を余白でなく、新しいページの書き込みの過程として捉えると解る。

その意味で学生時代を省みるのは理のある行為である。可能な限り行動し、知り、新しいものを開拓していく
設計図の再構築が必要ということだ。その下敷きとして学生時代の日記を見てみると違う視点が生まれる。
別に難しい事をいっていない。 両親がそれをしっかりやって死んでいったモデルがある。