2005年09月02日(金)
1613, 愛とはなにかー2

愛、それも「無条件の愛」こそ世界が必要としている。無条件の愛とは、期待も要求も制約を持たないで愛すること。
過去を振り返ってみると、自分が受けた愛情で深く残っているのは両親の愛情である。
これは無条件?の愛情だからこそ深く残るのだろう。

それでは「条件付きの愛情」の、「条件」とはどういうものか? ある本(*)にキッチリと箇条書きであった。
その共通点は、自分の利益・欲を満たしてくれる前提条件である。
そして、その中に自己認知も含まれているが、人間なら当然のことである。
その「条件」を細かく当たると愛など、自己愛の延長でしかないし、
キリストも「自ら愛するように、汝の隣人を愛しなさい」と、自己愛を認めている。

ーその「条件」を、幾つか抜粋してみる。
『わたしは、あなたが・・ の条件をもし満たすなら、あなたを愛します。』
・あなたが、私をあるがままに受け入れ、尊重するなら。
・私を認め、勇気づけ、理解してくれるなら。
・私を楽しませ、喜ばせ、飽きさせないなら。
・私に対して誠実で、善良で、忠実で、正直であるなら。
・私と共通点を持っていたり、信念や興味が共通なら。
・私を責めたり、批判したり、裁いたりしないなら。
・私のことを大人として、対等に扱ってくれるなら。
・私のことを最優先にしてくれるなら。  等々、いくらでもある。

これを読むかぎり、恋愛など「条件付のエゴの塊」である。
成田離婚は、まさにその条件をお互いに知り、誤解して結婚して、理解して離婚する集約した姿である。
「バカな女」が男を渡り歩くのは、この条件付愛を真の愛と信じているからだ。
他人事ではないか。無条件の愛とは、我われの深奥にある神的自己の表れでもある。
汲み続けていないと直に濁るか、水が枯れてしまうが。

*「愛することを選ぶ」 誠選書房 E.キャディ著

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