アメリカのサブプライム問題や、中国の動乱の予感や、イラン・イラク問題など
世界は漠たる不安に覆われている。 それに対して二つの取り得る態度がある。
・それから目をそらさずに色いろ対策を練って対処をするか、
・将来に対してあまり深く考えずに、ただ目の前のことだけに対処をして
 将来に対しては自己逃避をするかだ。そのためには、全て目先の状況の責任を押し付け、
 問題解決から背を向けるだけに徹する。
現在の日本の企業も、個人も、この後者の姿勢が大勢のように思える。
ただ、大津波を前に逃げることも出来ず、呆然としているのが現状。

将来が明るく、前向きになれればよいが、この現状では致し方がないのも解るが。
将来に明るさが見込めないと、目先の直感に頼り、論理的思考を無くしてしまう。
思考停止の状態が、現在の日本の政治や経済において顕わに出ているといってよい。
こういうときほど、何が問題なのかジックリと冷静に論理的にならねばならない。

漠たる不安の隠れた?原因として世界が大きな激動期に入ったことにある。
その大きな要因は、情報化による、グローバル化である。
特に、共産圏が解体して、資本主義社会との垣根がなくなり競争が激化したことが大きな要因だ。
また情報機器の進歩で、今まで隔離していた影の部分が、露出され出した。
アフリカで虐殺があれば、それが映像で露骨に流される。
内外に対する暴力装置で君臨していた独裁者も世界の目に晒されてしまう。

日本では、これまでの教育の大失態で、差をつけられてしまった若者の不安の蓄積と鬱憤は、
最近の秋葉原の無差別殺人などから見られるように、マグマになってある日、爆発をするのである。
こういう時代であればあるほど、教養の積み重ねが大事になってくる。
こういう時代は、戦争という破壊で一度、清算をして、ゼロから再び出発することも出来ない。
だから、手段としてテロになるのだろうが、それが更に社会を重苦しくしていくのである。

ところで不安といえばキルケゴールである
一方で、人間の実存感を支える「主体性」を取り上げ、他方では、その実存感にたえずつきまとう「不安」を取り上げた。
「不安」は人間精神の最大の課題であり、彼が生きた1時代以上に、20世紀は「不安の世紀」となった。
ハイデッガーが、キルケゴールの影響を受けて、人間の不安を自分の哲学のベースにした。
現代人はあらゆる事柄に不安を感じ、「不安」は人間の行動原理の内で最も大きな要因になっている。
人間の欲求や行動は、その社会的な営みや文化的な営みも含めて、すべて「不安」に起因し、「不安」に結実していく。
人間は、この世に誕生したことの不安の叫びである産声から始まり、死の不安に包まれていく。
そして、不安の解消のための気晴らしで、人生の多くの時間が費やされる。

情報化、そしてグローバル化で、この不安は解消・縮小されるのではなく、拡大されている。
不安の度合いがより深く浸透しているのが現在時点のようだ。だから不安とは何かをキルケゴール
ハイデッカーなどの書を通じて学ばなければならない。 哲学がより要求されるということだ。

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