学生時代に戻った気分で
            ルソーについて、考えてみる
 まずは
ーフリー百科事典『ウィキペディア』からー
フランスにおいては早くからボダンなどにより君主に主権(政治についての決定権)が存するとの思想が表明されていた。
この君主主権の観念はフランスなどを中心に当時の絶対王制を支える強力な根拠となっていたが、
ルソーはこの観念を転用し、人民にこそ主権が存すると言う人民主権の観念を打ち立てた。
一定以上の財産を有するなどの特別の資格を持つ国民ではなく、その国の国籍を有するもの全てを意味する
人民にこそ主権があると宣言したことは、その後の普通選挙制の確立や民主主義の進展に大きく貢献した。
一方、ルソーらのフランス啓蒙思想に触発されて始まったフランス革命において、自由や法の支配は全く無視され、
反革命派と名指しされた者への言われなき迫害、虐殺、裁判なしでの処刑などといった恐怖政治が行われた。

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こんなところだが、
ルソーは、「社会の人々に(殺せる権利)と(殺されない権利)の両方を認めるとする。
そうすると、お前の(殺せる権利)と隣人の(殺されない権利)は両立しない。
お前は(殺せる権利)と(殺されない権利)のどちらが欲しい?と言われたら(殺されない権利)だろう。
だから、社会の皆はお互いを(殺せる権利)を返上し、(殺されない権利)を優先して
『社会契約』を自然に結んでるんだ。だから「殺人はダメ」という理由になる。

ルソーは「エミール」で、子供の教育の考え方を述べている。
エミールとは、子供の名前で、この子が育っていく物語である。
エミールは、ルソーの思想にしたがって、その中で育てられていくのである。
そこでは、子供の自主性の重要性を述べている。
彼は子供を不完全な大人とは考えない。子供は既に自分の素晴らしい世界、人間性を持っている。
人間的に最良のもの、人同士が信じられ、愛し合える元のもん、「良心」を、子供一人ひとりが
それを持って産まれてくる。それを壊すのは社会、大人の方だとルソーはいう。
それを守ってやるのが、教育だと。
子供が持っている「良心」を育むのが「自然に帰れ」という言葉の意味である。
子供を守るということ(教育するということ)は、大人の価値観を押し付けるのではなく、
子供が本来持っている豊かなものを守ることである。

 次ぎのルソー「エミール」の中の一節が、その全てを言い尽くしていると言ってよい。
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人聞よ、人間的であれ。それがあなたがたの第一の義務だ。あらゆる階級の人にたいして、
あらゆる年齢の人にたいして、人間に無縁でないすべてのものにたいして、人間的であれ。
人間愛のないところにあなたがたにとってどんな知恵があるのか。子どもを愛するがいい。
子どもの遊びを、楽しみを、その好ましい本能を、好意をもって見まもるのだ。
口もとにはたえず微笑がただよい、いつもなごやかな心を失わないあの年ごろを、ときに名残り惜しく
思いかえさない者があろうか。どうしてあなたがたは、あの純真な幼い者たちがたちまちに過ぎさる短い時を
楽しむことをさまたげ、かれがむだにつかうはずがない貴重な財産をつかうのをさまたげようとするのか。
あなたがたにとってはふたたび帰ってこない時代、子どもたちにとっても二度とない時代、
すぐに終わってしまうあの最初の時代を、なぜ、にがく苦しいことでいっぱいにしようとするのか。
(中略)子どもが生きる喜びを感じることができるようになったら、できるだけ人生を楽しませるがいい。
                            (ルソー「エミール」岩波文庫より) 
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 学生時代に岩波文庫本を読んだが、その底にある意味は理解してなかった。
「人間的であれ」「良心を育め」「子どもの直感を大切にしろ」 愛情のたっぷり入った箱入り娘の心か〜

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