2002年08月01日(木)
474, ある小学6年生の作文

[僕の夢は一流のプロ野球選手になることです。 そのためには中学、高校と全国たいかいに出て活躍しなくては
なりません。活躍できるようになるためには練習が必要です。僕は三歳のときから練習を始めています。
三歳から七歳までは半年くらいはやっていましたが、三年生の時から今までは365日中360日は激しい練習をやってます。 
だから、一週間で友達と遊べる時間は5~6時間です。そんなに練習をやっているのだから、
必ずプロ野球の選手になれると思います。その球団は中日ドラゴンズか、西武ライオンズです。
ドラフト入団で契約金は一億円以上が目標です。僕が自信があるのは投手か打撃です。

去年の夏、僕たちは全国大会に行きました。そして、ほとんどの投手を見てきましたが自分が
大会のナンバーワン。 選手と確信でき、打撃では県大会四試合のうちホームラン3本を打ちました。
そして全体を通した打率は5割8分3厘でした。
このように自分でも納得いく成績でした。そして自分たちは一年間負けを知らずに野球ができました。
だから、この調子でこれからも頑張ります。そして、僕が一流の選手になって試合に出られるようになったら、
お世話になった人に招待券を配って応援してもらうのも夢のひとつです。とにかく一番大きな夢は野球選手になることです」
この文章はイチロウの子供時代の作文である。−「致知」という雑誌より「夢」と「意思」と
「実績からくる自信」が現れている。それと父親の指導がこの作文の文章からうかがいしれる。

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2001年08月01日(水)
[94] 倒影について−1

投影といえば対象の中に自身の姿を見るとか,自身を相手に映し出すときにつかわれる。
これに対し私が創ったか実際あった言葉か忘れてしまったが、‘倒影’という心理がある。
これが人間にとって曲者!ずるい批評家とかコンサルタント新興宗教の教祖が多用する。
他人の悪口はこの心理より発せられる。

‘心の中の影’を自身の中より、対象の中に見てけだし否定する。
ずる賢いやつはそういう対象に近づき、否定すべきことを探しある時期がきたら手の裏を返す。
誰もが持っている哀れな姿である。新興宗教の教祖がそれをやる。 ダライラマとかに500万とか1000万の金を献金
会見したようにして会い、あたかも同格のように写真をとる。そのうちいつのまに教徒にそれ以上と洗脳をする道具に使う。
オウム教とかこの前詐欺でつかっまった足もみの教団はその典型だ。

女子短大レベルの若い女が表面的知識を得た時、まずおぼえるのがこの否定である。
それであとは何にも見えなくなってしまう。それで同格かそれ以上と錯覚してしまう。
何事も三分一は影があるが、その影探しだけに精を出す。