2003年05月22日(木)
778, 私が10歳の頃-1956年

 長岡の坂之上小学校4年から5年生に進級した頃だ。
10歳までが長岡駅前の繁華街の四つ角の衣料ディスカウントの店の3階に住んでいたが、
この年に駅裏の台町(現在ーとーちゃんラーメン)に転居していた。
それが転機であった。 あの慌しい店の上の日々が、静かな生活に一変した。

 丁度その頃に、初めて勉強に目覚めた。 ある姉に勉強のコツを教えてもらった。
「一教科でよいから、とにかく良い成績をとってみろ!そうするとコツが解るし面白みが出てくる」
そうかと思って算数に絞って勉強をしたら、100点近くを取った。 それからコツが解りかけてきた。
とにかく数人のライバルに負けたくないと思って勉強した。

 この頃の虐めは本当に厳しいのは誰も経験があるはずだ。一番激しいライバル関係が出来上がる時期だ。
また自分の身を守る為にも、誰かをターゲットを探して苛めをする。
このあたりから初めて性格ができるのではないだろうか。また家庭内ではいろいろな問題を抱えていた。

母親が重度のノイローゼーになっていた。二人の息子(兄)の不幸の死と、仕事の疲れの蓄積が原因であった。
あまりの悩みの為、心筋梗塞や多くの病気が一挙に吹き出てしまった。
医者にも見放されそうであった。 何回も死線を彷徨っていた。
その中で姉兄も自分も「自分自身を生きる事」で精一杯の時期だった。
今になって当時を振り返ると、家庭の危機であった。母はその後3年間の死闘後、一人立ち上がってきた。
身近で見ていても子供なりに、それが分った。そのあと40年は遊びと趣味をし尽くして亡くなっていった。
死んだ時に解剖をしたところ、心臓の4分の1が壊死していた。それだけ悩みが深かったことが分る。

商売を続ける事は、すざましいことだ。

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ーその頃の政治や社会的出来事としては、

日ソ国交回復 参宮線列車転覆の惨事 弥彦神社惨事 砂川基地闘争 メルボルン・オリンピック  
ーことば(流行語・話題の発言)は「一億総白痴化」(大宅壮一
「愚連隊」 「シンタロー刈り」 「戦中派」「太陽族」(石原慎太郎の小説「太陽の季節」から)
「抵抗族」(石川達三の小説「四十八歳の抵抗」から)「デイト」 「ドライ」 「マネー・ビル」
「もはや戦後ではない」(中野好夫
ー音楽ー
・ラジオ体操の歌[作詞:藤浦洸、作曲:藤山一郎](3月発表)
 ♪ 新しい朝が来た 希望の朝だ 喜びに胸を開け 大空あおげ ラジオの声に 
 健(すこ)やかな胸を この香る風に 開けよ それ 一 二 三

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