2002年04月22日(月)
384, 我が内なる無能性−2

以前も「我が内なる無能性−後まわし」という題で書いたが、その続編。
そういう人が反面教師として多くいる。といってそれを云うだけの資格があるのかといわれれば、ない。
それでも書き出してみる。

・自己責任がない ーーー人のせいにする。全て人が悪い、よく言うよという位人のせいにする。
 その点で狡猾そのものだ、その芸術家だ。誰もがその要素を持っているから書いては駄目なことだが。
 人間それほど強いものでない。
・過去の記憶だけは、よーく憶えている、特にマイナスの記憶を。
 その壁を自分の周りに作り上げ、その中から出れない状態。
 芥川龍之介の「山椒魚」はこれを揶揄したのだろう。
・本を読まない、人の話しを聞かない、変化を嫌う、議論をしないーいや出来ない。
・長期的視点ーグランドデザインが全くない。
 ー人生でも、家族の事でも、仕事でも。したがって準備という意味が解らない。
・人の付きあいが小さい枠。 両親の呪縛から抜け出る事が出来ないーとっくに死んでしまっていても。
・人の欠点を探す事で、凝視する事で自分の影をカバーしようとする。

考えてみたら、大部分の人がほぼこれに当たる。もちろん私もである。少し濃いか薄いかの差でしかない。
それを「子狐」という象徴でその無能性を書いている。時々「子狐」とあったら、上記の象徴と思ってほしい。
ただそっくりなモデルはいる。