2002年04月18日(木)
380, 姉正子さん

姉正子が亡くなって2ヶ月すこし経つ。
去年の6月に来て,3時間半なにを話したか?

大体がこんな内容であった。
・自分の生い立ちー声楽のコンクールで、中沢桂に高校時に負けたことが一生の分岐点であった
・高校しかいけなかったハンデキャップが一生ついてまわったこと
・倒産時に私に助けてもらったのが、地獄に仏であった
・今回自分はセンガンでないが、主治医がセンガンと書いてくれた為、保険が全額降りた。
・いつもこの家に来ると、肩に重い何かが被さるが今回はないのが不思議だ
・両親の思い出、今までの思い出
・なにがあっても自分は生きぬくーEM 菌を飲んでいるので順調
・病気の状態ー入院の後先の話
彼女にとって、「もしかしたらこれが最後の実家帰り」という気持ちがあったのだろう。
彼女にとってここは(自宅)やはり実家なのだ

 この内容から私なりの彼女の心理分析をすると
・この長岡の街で、この世界を出ることができなかった一生であった。
・やはりやってはいけない事?をしてしまった無念、後悔。
・両親に対する恨みと、反面後悔。
・病気の恐怖に対しての自分の気持ちの説得ー自己詭弁

一昨年の手術の前日の20時過ぎか電話が鳴り、「実は自分は肺がんで明日手術。
最後の電話をやはり貴方に電話をしてしまった。これからお風呂に入って
身体を清め、手術に臨む。もしものことがあるかもしれない。いろいろ有難う。」
ー私「もし間違えてあの世に行ったら、両親によろしく。それとうまくやって。」
ー正子「仲良くするし、待ってるからね」 だいたいこんなものだった。
 
 面白い人でもあった。