2005年04月01日(金)
1459, 遠くにありて日本人 −2

この番組が面白いので見ていたら、先日で最終回になっていた。
スペイン在住の日本人画家であったが、その中で印象的な場面があった。
大きなキャンパス全体に、斑模様の微妙な茶色を背景として塗りこんで、
あとは数日間、その画面を睨み続けて、何か閃きが来るのを待つ。
そしてヨギッタ一瞬に、それをすくい取るという。

そのキャンパスを睨み続けて数日、やおら絵を書き込み始めた。
元々頭には、何の構想もないという。
その構想は、絵を睨んでいるうちに自然に湧いてくるという。
自分の潜在意識から湧き出るイメージを絵にするのだ。
ただただ、驚いてしまった。

それを見ながら、レオナルド・ダビンチのヒントの掴み方を思い出した。
天井の節目とか、何かの模様を見て、それからの発想・展開をしていったという。
これも、自分の脳(潜在能力)の中のメッセージを得るキッカケにしていたのだ。
その絵の作成行程を最後まで映し出していたが、最終には素晴らしい絵が完成していた。
何ごともそうだが、プロセスは似ているものである。
ただし、自分の中に十分の経験と知識があっての話だが。

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2004/12/13
1350, 遠くにありて日本人 −1

この番組み、度々見ているが、昨日のアメリカのロス近郊の
バイク・ビルダー(手づくりバイク)の日本人がなかなか面白い。
ライダーからの特注のバイクをつくるミニメーカーの日本人の紹介なのだが、
ライダーの世界と、そのバイクの製造過程が垣間見れた。

この「遠くにありて日本人」は世界のそれぞれで自分の生き方を貫いている
日本人を紹介しながら、その地域や、人間の生き方を覗き見る内容である。
自分の好きなことを見つけ、それを貫いていることが人間としての理想的な生き方である。

グローバルの時代に、本場に行って理想的な生き方をしている人を紹介している。
アルゼンチンに行って、「アルゼンチンタンゴ」の踊り手になっている中年に
差し掛かった女性も印象であった。

この番組みを見ているとき、時たま街で出会う高校の同級生から電話が入った。
「佐藤というあの無口の同級生が、中越地震で被害にあった山古志村の診療所の
医師をしている。いま仮設の住宅地でやはり仮設の診療所を開いて苦労しているから
クラスの同士で来年早々、慰安会を開いてやらないか」とのこと。
時々TVや新聞に出ているという。

それを聞いた家内がいうには、「近くにありて日本人。ね」
なるほど上手いことを言うものだ。 色いろな人生があるものだ。

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