(p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪
   この本を読むと、現在起こっているアラブ対欧米の血みどろの争いの原因が透き通って
   見えるような気がするから不思議である。
   この本は、一神教の批判本であり、多神教については、あまり語られてはいない。

   そもそも、一神教は奴隷の宗教、迫害された人々の宗教である。
   だから、その根本は怨念があり、戦闘的であるのは見ていればわかることである。
  「なぜ多神教一神教に負けるのか?」という問いと、その答えが面白い。

ーまずは、その部分からー
多神教は突きつめると、共同体の血縁幻想に支えられ、母親的、女性的に支えられているから、
それが一神教を打破することはない。戦わないということはないが、自分の範囲以上には自分の
神々を広めようとしないから、限度がある。
逆に一神教同士だと、両方が普遍性を主張するから、血みどろの戦争になる。
共産主義一神教です。 ユダヤ教キリスト教の改訂版です。

一神教が普遍的現象なら、中近東以外の地域に別の一神教が出来てよいはずですが、
発生しませんでした。ということは、一神教は、自らの普遍性を主張しますが、
本当はきわめて地方的な現象で、言ってみれば、中近東の風土病ですね。

一神教は、中近東の風土病で、強迫観念が強い。そして狂信的の重度の病気であるから、
絶対にこうでなくてはならないと信じているやつと、多神教のように、こうでも、ああでも、
いいと思っている奴と喧嘩をすれば、勝負ははじめからわかっている。
その結果、一神教が世界を植民地化していったのである。
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一神教は都市の宗教であり、多神教は農村の信仰であるということです。
世界宗教に発展するには、まず都市の宗教である必要があったのです。
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一神教は人類の癌だという意味は、一神教の唯一絶対神を後ろ盾にして強い自我が
形成され、その強い自我が人類に最大の災厄をもたらしているということです。
自我というのは、病気で、自我の強さは病気の進行度のようなものだけど、
その場合の最大の難関は、その両者が対決すると、自我の強い方が勝ってしまうということです。
つまり、人類は、病気の重い連中の方が勝つという絶対矛盾状況におかれているということなんです。
人類史でいえば、ネアンデルタール人が絶滅して、クロマニョン人の世の中になってしまったという時点で、
もう間違ってしまったじゃないか。クロマニョン人つまり現生人類は言語も宗教も芸術ももっている。
それ以前に、地球に人類が発生したことが間違いのもとだったということになる。
人類がいなかったら、人類以外の動植物はどれほど幸福だったことか。
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   好戦的な狂信主義者といえば、それまでだが、あくまで中近東の風土病という表現は言いえて妙。
   一神教は人類の癌というのも、思い切った言葉である。人類は癌というのは聞いてはいたが。
   また明治政府以降の天皇制について、擬似一神教と看破しているところは頷けた。
   その辺は、次回に考えてみる。

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