007年03月07日(水) 2164, 宮城まり子
    (~Q~;)  おはよう〜〜 サム!

3月の日経新聞の「私の履歴書」は、
「ねむの木学園」園長の宮城まり子である。 まだ6回目だが、なかなか面白い。

 宮城まり子といえば私の小学校の頃から映画などに出ていたが、
甘っ2007たるい声が印象的であった。
その後、芸能界をやめて「ねむの木学園」を開いた。
もう二十年前のことになるが、TVでその「ねむの木学園」を放映した。
その時の子供の絵を見たときの衝撃は今でもハッキリと憶えている。
ピカソのような絵だが、絵から純粋な子供の心が直に伝わってきたからである。
役者をやめた後からも、人生の舞台の「役割り」を正直に生きている人である。
「人生を思いのまま生きている人がいる!」というのが当時の感想であった。
私の履歴書」の一日目に書いてあった、 学園を開設するにあたっての、
愛人?の作家・吉行淳之介との3つの約束がよい。
    1.愚痴はこぼさないこと。
    2.お金がないと言わないこと。
    3.君を信じてくる子のため、やめてはいけません。
     その時、宮城まり子は「ハイ」と答えたという。

三回目の、彼女の母の教えの「感じたまま」の言葉が印象的である。
ーそこを抜粋してみるー
私は母と並んで絵を描くのが好きでした。小学校に入って間もない頃でした。
並んで描きながら私は母に聞きました。
「お母さまはどうしてそんなに絵がうまいの?」すると母は
「まりちゃん、人の絵をうまいなどと思っていけません。
人は人、自分は自分。自分の絵をお描きなさい。」と少し厳しい口調で言いました。
「お母さんは大人になってしまったから、あなたのような素直な絵は描けなく
なってしまったの。あなたにはあなたの絵があります。好きなように描きなさい」

大きくなったら絵描きさんになりたい。私の初めての夢でした。
しかし母の言いつけを守ると学校で叱られました。
絵の時間にラジオ体操をする人を描いたときのことでした。
その人がとても気持ちよさそうに見えたので、感じたままに描いたら
腕が背よりも長くなりました。先生は「真面目に描きなさい」といいました。

「ねむの木学園」では私は絵も担当していますが、一度も「上手ね」と言ったことは
ありません。「うれしいわ」と言っています。
だって「上手ね」と言ったら子供はそれで安心をして満足してしまいます。

    ーー
    書き写しているうちに20年前のTVの内容を再び思い出してきた。
    「ねむの木学園」の知恵足らすの子供がピアノ演奏をしたが、
    鍵盤に魂を込めたピアノの音に気持が引き込まれてしまった。
    感動のあまり、その番組のビデオを何人かに見せた思い出がある。
    
    今月は、毎朝彼女の魂と出会うことができる!

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