2006年02月17日(金)
1781, 他罰の人−2
 (*^o^*)オ (*^O^*)ハ (*^。^*)ヨー!!

他罰を理解するために、その対比する言葉を調べてみたら
 ー 自己罰(内罰)
 ー 他罰(外罰)
 ー 非罰    があった。        
 電柱にぶつかって怪我をした時、 w(☆o▽)w
    ・自分の不注意でぶつかってしまった... と思うのが 
            内罰・自己罰。
    ・こんな所に電柱があるからいけないんだ!
     誰だここに立てたのは!  と思うのが 
            外罰・他罰。    
    ・この程度で済んで良かった... と思うのが 
            非罰。
 この喩は他罰を考える時に解りやすい
    これから見えてくるのは 他罰は責任転嫁ということである。
 非罰は仏教的な考え方になる。
   この全てを考え、後は忘れるのを待つ!のがベストであるが。

似た事例として  宗教書に
「お寺におまいりにいき、石に躓いて怪我をしてしまった時に
・信心があったので、この程度で済んだ!と思うか、
・おまいりに行ったのに何で怪我をしなければならないのか!と思うか、
 仏教はこの程度で済んだと考える宗教である」 というのがあった。

     他罰は外部に原因を見出そうという見方のため、
     自己欺瞞の傾向が強くなるになる。
     自己欺瞞は積み重ねると自己矛盾が生じ
     精神の混乱を引き起こす。
     そして自己と外部への怒りの温床になる。
     そのプロセスでトラブルを彼方此方でおこし、深い鬱になる。
他罰の人の傾向は非常に子供じみたところがあり、
心に深い傷を負っている人が多い。
     小学校、中学校にいた苛めっ子は両親のトラブルの被害者。
     その腹いせをクラスの弱者に向ける。 
     この傾向は一生ついてまわるから恐ろしい!
     家庭内離婚を含めて不和の確率が50?というから
     社会は歪んでしまうのは当然である。
     
     だから教養が必要なのだ!                 
               ~~~ヽ(^▽^)))さいなら!
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