2004年01月30日(金)
1031, スランプの乗り切り方

人間であるかぎり、誰もがスランプはやってくる。
要は、それを如何やり過ごすかである。
一般には、いや私の場合は「亀のようにジッとして時間が過ぎるのを待つ」のが
最善であることを経験上、身につけていた。スランプは軽い鬱の状態といってよい。

スランプの時は何をしても上手くいかない。
時間さえ経てば、プラスマイナスのサイクルでしかないのが解る。
ところで、スランプになったという経験がほとんどない。
リズムのつかみ方で反転させることもできる。
私の場合万年スランプだから、あえてスランプという必要がないのだが。
三流選手がスランプといっているのと同じこと。
スランプとは「調子がよい」のが「悪くなる」状態であるから、
もともと調子がよくない人が使う言葉でない。

広辞苑には「一時的に調子が出なくなる状態。不調。不振」とある。
朝の仏壇の前のおまいりと散歩で、一日単位でストレスを解消しているので
スランプにはなることはないが、「自分でそう言い聞かせている」可能性もある。
大体スランプと言ったとしたら聞いているほうから、いい年をして何をいって
いるのかと笑われてしまう。

といって、あと数年後の60歳過ぎに、初老性鬱病の危険が待っている。
書いていて気が付いたが睡眠と同じだ、「意思と準備と楽観」があればよい。
不調の時期があるから好調があるのだ。野球の一流選手も、もう立ち直れないのでは
ないかという位のスランプがくる。しかし、立ち直った時に絶好調になる。
これが一流選手の大きい要素といってよい。スランプを逆に利用するのだ。
ということは、スランプは必要ということである。

「意思と準備と楽観」がしっかりあるからできる。
スランプを大きなプラスのノウハウを積む機会に変えてしまう。
長期的なスランプは「枝葉を切って、根を養う」 時期と考えればよい。

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