YΘ!!。_゜ヽ(*´∀`)ノ
 
         佐古純一郎著 「無くてはならぬもの」
         
 まずは ?の 生きる意味の創造 −から考えてみよう
 「人生に目的があるかどうかではなく、自分はどのような目的をめあてに
生きているか、というふうに問うべきである。」これを考えてみよう。
 
  ーー
? 生きる意味の創造 ー本当の生きかたー

 人生に意味があるかではなく、いま我われひとりひとりが、生きることの中に、
 どういう問題を見出しているか、感じているか、ということが大事なことである。
 ここでは二つの生きかたを示して、その一つの生きかたを勧めている。
・人生にもともと意味などないという自覚に徹して生きるということである。
 この宇宙に、そして地球上に、一定条件の一つの結果として、たまたま
 生物なるものが生まれた・・人間もその生物の一つでしかない以上、
 創造のの頂点として生まれたものでもない。その人間に人生の意味など、
 あろうわけがない。われわれが生まれようが生まれてきまいが、
 死のうが、一切なんの影響もない、生も無意味、死もまた無意味!という生きかた。
・いま一つは
 人生の意味は先験的に私たちの中にあるのではない。虚無の中からの創造である。
 私たちがつくり出していくからこそ人生に意味が生じるのである。
 どのような条件の中で、意味を見出しうるのか、を考え生きるべきであると
 いうことである。人生の意味とは、他者との力強い連帯がいきいきと
 成り立っているときのみ、生まれてくるのでないか、という。
  ーー
 
 この二つの生きかたを通して、プロテスタントの佐古は、後者の生きかたを肯定している。
 私に問われれば、両者をコインの裏表として冷静に己の中に整理しておくべきと、
 現在では言うことができる。
 しかし当時の私には、「生きることの中に、意味を創造していくべき」
 を当然のことと受けとめていた。また、その生きかたを良しとしてきた。
 当時の何人かの友人は、この二つを冷静に見ていたようだった。
 
 前者の生きかたも、この歳になると理解できる。
 上を見れば、きりがない。横を見れば情けない。下を見れば底がない。
 宇宙を見れば果てしない。 こういう心境になっていくのである。
 後者は若者、前者は老年の心境といえるのではなかろうか。
  意味とは価値という意味もあるからだ。
そういえばヴィクトール・エミール・フランクルは、3つの価値を上げている。
1・創造価値: 創造行為を通して得られる意味=仕事・子育て・芸術を創造する
2・体験価値: 体験を通して得られる価値・意味=自然にふれあう・芸術にふれる・愛する
3・態度価値: 状況・運命に対し【自分としての態度】を取ることで得られる価値・意味
 当時は日本ではフランクルは殆ど知られていなかったが、
 こういうこと!生きる意味とは。
 
 
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