病的まで心配性の人だけが生き残る!

*[読書日記・映画感想]   
   「ウェブ時代をゆく」 −2  読書日記

著者は序章で、福澤諭吉の『文明論之概略』緒言の中で
その66年の生涯を「最初の半分」を封建時代の江戸時代に、「あとの半分」を
明治時代に、「恰も一身にして二生を経るが如(ごと)く」と表現。
それと同じ大変革の時代を私たちは生きているというのが著者の論である。
著者はもう既に二年前からネットの住人になった感覚を持った時、
自分も「一身にして二生を経るが如く」生き始めたと感じたという。

著者はネットにオプティミズムを貫くのは、
ネットという技術の持つ五つの性格を挙げている。
1.ネットが強者よりも、弱者と親和性の高い技術であること。
2.人々の「善」なるものや、小さな努力を集積する可能性を秘めること。
3.一部の人に可能だった行為を、すべての人々に開放する技術である。
4.「個」の固有性を発見し増幅することにおいて有効な技術である。
5.社会に多様な選択肢を増やす方向の技術である。

著者はこれから高速道路を走る若いネット・アスリートたちに、
シリコンバレーデ学んだ3つの言葉を送りたいと書いている。
1、「 Only the Paranoid Survive」(病的なまでに心配性な人だけが生き残る)
2、「Entrepreneurship」(自分の頭で考え続け、どんなことがあっても
                           絶対にあきらめない)
3、「Vantage point」(見晴らしのいい場所)だ。

・まずは「 Only the Paranoid Survive」
 病的なぐらい心配性の人ーそのぐらいの緊張感で事を処することの出来る人のみが
 生き残ることが出来る、ということ。インテルアンディ・グローブの言葉。
 競争の激しい中では、それだけの緊張感が必要ということ。
・次の「Entrepreneurship」
(自分の頭で考え続け、どんなことがあっても絶対にあきらめない)
 地頭で考え、絶対に諦めないことである。
モグラ観、虫観、鳥瞰の、鳥の目線である。
 
 情報化の時代であればこそ、プロ、それも一流のプロが求められる。
 それも華やかなプロより地道な「個」「個」の有効な技術を発揮するプロである。
 それが、オープンソースで開放を始めたのがWeb2.0である。面白い時代である。

・・・・・・・・・
2006年12月30日(土)
2097, 日本経済は本当に復活したのか−  読書日記
        (。^0^。)ノ オッ(*^○^*)ノ ハ〜 ヨウ
    今後、日本経済はどうなっていくのだろうか、
    現在の日本は楽観論と悲観論が交差しているのが実情である。
    私が知る限り、どの切り口からとらえても悲観論になってしまう。
    その中で関東を中心として景気が持ち直しているような雰囲気が漂っている。
    この本の概要は、このHPの「サロンのコーナー」に貼り付けてある。
    あるHPの著者のインタビューで、この本の言わんとしているところを
    凝縮して語っているので、ここでは部分的に印象に残った箇所を
    クローズアップして考えてみたい。
 まずはアマゾンの本の紹介文が、ずばり一番急所を書いている。
  
 =内容の概要=
日本経済は本当に復活したのか好調な企業収益や上昇する株価、不良債権処理が一段落した
状況を見る限り、日本経済は回復したと言える。しかし『「超」整理法』などの
著書・野口悠紀雄早稲田大学大学院教授は、一連の小泉改革は欺瞞と一時しのぎの策に
満ちており、経済の基本構造においては将来に明るい兆しはないと論じる。

    企業収益の回復については、上辺の数字ではなくその実を見よと言う。
    利益が回復したのは自動車や家電を中心とする旧来型産業であり、
    また利益率を世界の企業と比較した場合、一部を除いては低位を
    さまよっていると指摘する。
    旧来型産業や金融機関が何とか生き残った裏には、国民の家計の
    多大なる犠牲があったと言い、独自の分析でそれらを示していく。

さらに、郵便貯金事業の民営化によって「資金の流れが官から民へ移行する」
という物言いはまやかしだと断言。構造改革の御旗の下に行われた施策の多くは、
旧来型の仕組みの延命措置にすぎなかったと厳しく批判する。
こうした視座から税制や人口減少、地方自治の問題にも言及し、
日本経済が世界水準で生き残っていく条件を提示する。

ーー
また、ーあとがきーの結論も悲観的である。

景気はこの数年間好転しつつあったが、回復がいまや明確になった。
企業収益は好調であり、それに反映して株価は上昇、銀行の不良債権
処理された。こうした動向を背景にして日本経済が長いトンネルをぬけ、
新しい躍進の時代に入ったという意見が一般的になっている。
しかし問題は経済の基本構造にある。
この基本構造で、実り多い未来を期待できるようになったのだろうか?
これが本書のテーマであり、それに対して悲観的な意見を出さざるを得ない。
 第一は、日本経済の将来を支えるレーディング・インダストリーが、
  いまだに登場していない。収益が回復しているのは旧来の産業だ。
  それらが将来の日本を支えられるかどうか、大いに疑問である。
 第二に、世界のおける日本経済の地位は、着実に低下している。
 第三に、株式市場でのいかがわしい企業やファンドの増長が、
  目にあまる段階まできている。
 第四には、そうした傾向にチェックをかけるべき健全な世論が眠ってしまった。
 −
 等々、厳しさは増すのは当たり前である。 *^ワ^*)i バイバイ 

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2005年12月30日(金)
1732, 日本一短い父への手紙 ー読書日記            
            オハ☆:*:・ ★(o≧□≦)o☆・*:..。o○☆*゚
 父親の役割ほど微妙な立場はない。
 外では7人の敵、家では稼ぎ頭のわりには居場所がない。
  せめて家の中ではと思っても、誰も認めてはくれない。
   それでも家庭の重さが、そのまま男としての重みになる。
    夫婦の相性としての当たり外れは五割というから、
     なおのこと父親の立場は、微妙のケースが多くなる。
           カンカンカン〜・・¶ゞ(; ̄д ̄)ノ☆=♀ワラ人形 

石けんよーし タオル よーし 湯加減よーし
   パパが風呂場のぞく口実 全然 なーし 今村嘉之子(静岡県13歳)

合格発表の日、
 掲示板に僕の番号を見つけて僕を殴った父さん。
  うれしかった。          (σ*ゝω・)σゲッツ
             大石悠太(東京都17歳)
父がコップに残したビールは、
 父の残りの人生のようで寂しくなりました。  
             大久保昇(東京都29歳)
事情はあったでしょうが、やっぱり認知はしてほしかったです。
             糀谷弘美(三重県53歳)
どうしてあんなに
 私を殴ったの子供を産んだら 余計 わからなくなりました        
       (`_´;)  幸田亜子(神奈川県29歳)
大好きなお父さん。
 私たち三人と結婚してくれて、ありがとう。
             庄野恵美(大阪府18歳)
戦争へ行った父へ・・
 とうちゃんも人を殺したの? 
        昔、何もわからんで悲しい質問をして ごめんなさい。
              浜田静江(愛知県35歳)
父さん、老人病院でも また窓際族だね。
  でも今度は、神様がよく見える 特別席だよね。
               村井泰彦(福岡県62歳)
お父さん、コワイけど弱い人
 気がついちゃってごめんなさい。(/−−)/ ┷┷ちゃぶ台返し
            山本明日香(愛知県17歳)
 お茶 (@゜▽゜)_且~~          

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2004年12月30日(木)
1367, 酒についてー2
ー作家が書いた「酒の名言」ー

ある本を読んでいたら、作家の酒についての名言を集めたコーナーがあった。
この随想日記の中で、酒にまつわるテーマで十数編も書いてきた。
この「分類・引き出し」の中の検索で「酒」を打ち込むと、出てくる出てくる。
数多くの文章が書いてあった。その全てをコピーするわけにいかないから、
「酒について」を、このテーマにした。 酒乱一歩手前?も、色いろの経験がある。
だから、酒についての真髄は、心の奥に染みる。

私の人生から、旅行と酒をとったら何が残るだろうか。
さすが作家が随想や小説の中で書いている「酒」についての言葉は含蓄が深い。
あの作家が酒について、こういう感想・実感を持っていたいたと思うと、
感慨が深くなる。特に多くの経験?を重ねたせいもあるからだ。
ーその幾つかを書き写しておきます。

・酒飲み人はただ酒飲む人それのみであることはできない。
酒を飲む瞬間は、生きつづけたその人の到達したある一点である。
                     −武田泰淳
・<狂酒>から<酒悲>の段階に移行すると、こんどは自分が
無限に小さな存在にかんじられはじめる。
つまり酒によって己みずからを知ってしまうのだ。・・・・
「いいお酒ですな」と人に感心されるようなのみかたが、
あんがい静かな絶望の表現であったりする。
                     −高橋和
・酒飲みというものは、どういうものか酒のこぼれるのだけは
非常に惜しがる。あやまってお膳にこぼしてみたまえ。
十人が十人「もったいない」と唇をつけて、すするから。
                     −サトウハチロウ
・酒飲みは判官びいきであって、かならずといってよいほど、
小さな醸造元の酒を推薦するものである。
                     −金子兜太
・酒を飲んでいて次第に拠ってくるその移り変わりが
一番の味はひである。           
                     ー内田百聞
・酒好きにとって、酒というものは、どの一口もうまいにはちがいないが、
わけてもうまくなるのは、ちとすぎる頃からだ。
                     ー堀口大學
・酒と旅・・・本当に不思議なものだ。
どうして旅に出ると、うまい酒に出会うのだろう。
東京でどんなに高級なウイスキーを飲まされても、
あの旅情に浸りつつの酒にはかてない。   −赤塚不二夫
                ーつづく
・・・・・・・
2004/05/02
1125, 酒について −1

「神はこの世を六日間で創り給うた。そして、第七日目には、二日酔いを与え給うた」
というが、酒はよいことだけではない。。
バッカス(酒の神)はネプチューン(海の神)よりも多くのものを溺死させた」と、
ローマの諺にある。酒は肝臓に悪い。腎臓に悪い。しかし、酒は「心の特効薬」?である。
酒の一杯は健康のため。二杯は快楽のため。三杯は放縦のため。四杯は狂気のため。
というが、酒はプラスにもマイナスにもなる。

「おい堀井。お前、晩酌で二日酔いしたことがあるか?」
と高校の同級生に聞かれたことがあった。「ほとんどない!」と答えたら、
「おれなど、いつも晩酌で二日酔いをしているぞ!」
 何か深い深い意味があった。目の前の悩みを洗い流してくれるのは、
 酒と先人の言葉と諦念である。酒は愉楽の完全な典型である。酒は実にうまい、
 不満を追い払ってくれる。 それ以上何を望もうか、それでよい。

酒を飲むことほど日々を楽しくさせてくれるものはない。
くよくよさせず、勇気をいっそう勇敢にさえしてくれる。
しかし、酒であまりの多くの失敗をしてきた。
若き日、酒を飲んで多くの議論をしてきた。そして、多くの人と争ってきた。
酒は、脳に入れた敵、気違い水であり、あまりに危ない敵である。
それでも、酒は美味い。 これで20年は寿命を短くしただろう。

ー私の場合特に以下の言葉は胸に刺さる

・酒を飲む理由は二つある。一つはのどが渇いたときに喉をうるおすため。
もう一つはのどが渇いていないときにのどの渇きを事前に防ぐため。
             Tーピーコック
・若者にとって酒は大人の勲章である。  ー吉行淳之介
・一生を洗い流してくれるのはただ酒だけである。
             ー韓愈
・どういうことになるものやら見当のつかない二つの場合がある。
男が初めて酒を飲むとき。女が最後に(今夜きりよ、と)酒を飲むとき。
             ーヘンリー
・土曜の夜の酒の味が、平生と違うことを知らないものには、
日曜の朝の楽しさは解るまい。
             ー水上滝太郎
・酒がいちばんいいね。酒というのは人の顔を見ない。
貧乏人も金持ちも同じように酔わせてくれるんだ。
             −古今亭志ん生
・酒と美しい娘は二本の魔の糸。
経験を積んだ鳥でもこれにはまんまと引っかかる。
             −リュッケルト
・酒に害はない。泥酔する人に罪がある。
             −フランクリン
・喫煙家が禁煙家にかける迷惑は肉体的なものであるが、
禁煙家が喫煙家にかける迷惑は精神的なものである。
             ー林語堂
・酒は茶の代りになるが、茶は酒の代りにならぬ。
             ー張潮
・酒を飲めば、言葉に羽が生えて、傍若無人に飛び回る。
             −ヘロドトス
・勤労は日々を豊かにし、酒は日曜日を幸福にする。
             −ボードレール
・少し飲み、そして早くから休むことだ。これは世界的な万能薬だ。
             −ドラクロア
・酒と人間とは、絶えず戦い絶えず和解している仲のよい二人の闘士のような
 感じがする。負けたほうが勝ったほうを抱擁(ほうよう)する。
             ーボードレール
・酒は人を魅する悪魔である。うまい毒薬である。心地良い罪悪である。
              −アウグスティヌス
・人生は生きるに値するか?それはひとえに肝臓にかかっている。
              −ウィリアム・ジェームス
・人は次の五つの理由で酒を飲むことができるのである。 
 まずは祝祭日のため。 次に、その場の渇きを癒すため。
 それから、未来を拒むため。 その上に美酒をたたえて。
 最後に、どんな理由からでも。
             ーリッケルト
・煙草が存在しなかった時は、セックスの後で皆何をしていたのだろう。
             −ヴァシリス・アレキサス
・酒は百薬の長なり。
            −「漢書
・百薬の長とは言えど、よろずの病は酒より起これ。
             −吉田兼好
・ときには我を忘れるほど酔うことも人間の特権だ。
             ー山本周五郎
・大体お酒のみには二種類ありますね。酔いたい人と飲みたい人とです。
             −内田百鐘・・・・・・・・・・・
 2003年12月30日(火)
1000, \(~o~)/千日の随想日記!

 1昨年の5月2日から今日の12月30日までは973日である。
更に旅行をしていて休んだ一回分の日にちを加えると約35〜40が合わない。
調べてみると206〜222とか250,251辺りとか何箇所かがぬけている。
しかし小説風の「宗親日記」が大体その位の数を書いているので、合わせて
一千回の到着日とすることにした。 あくまで自分ひとりの記念でしかない。

 子孫への永久保存版としてー「子供や孫に見せるように」と、
「遺言」のつもりで書いてきた(書き始めて一年位経ってからだが)
だから続いたのだろう。
自分の父親や、祖父がこのような文章を残していたら、実際のところ面白いだろう。
いま考えてみると、私にとって随想日記を書き始めた日を境に自分が
間違いなく変った。一日一日が本当に充実したのだ。
50人位の人に毎日読まれていると思うと、誰かに見守られているような
感覚になる。作家などの物書きが必死になって書くのも解るような気がする。
 死ぬ前に全てを消し去っていくのもよいし、また書き残すもよいのだろう。
いずれにしても50年以上は残らないのだろう。いや死んだと同時に消滅してしまうか。
そうすると生前葬の遺言みたい、いや墓みたいなものだ。
ところで実感としていうと一番勉強になり良いのが、自分であることだ。
・テーマ探しに46時中頭が1杯
・そして構成に苦労して
・書き上げた後に、何回か書き直し
・誤字と矛盾をさがす
そのプロセスで内容を練り上げることが、思考を練ることになるからだ。
といってこの程度の内容であるが。

 ス〜と書ける日はよいが、全く書けない日がある。それでも何とか書くからよいのだ。
書きつづけていると、自分自身が変っていくのが良く解る。
書くということは、考えるということであり、考えを纏めることになる。
書き続けることは、書き重ねることになる。
書き重ねて、それを読み返すことは内面の深層に入り込むことになる。
深層の自分は、ユングではないが万人にあい通じる部分が出てくる。
その共通面と、違う面を自分で見つめることが可能となる。 少し難しくなってきたが。

 来年からは「閑話休題」や「あはははは」とか、ソフトな内容を挿んだり、
土日を休むとかして、今のエネルギーを半分にしようと思っている?
このまま続けると、ある日突然「や〜めた!」ということになりそうだ。
千回千回と思いながら、書き続けてきたのだから、やはり転換期だ。
来年は待ったなしにリストラー事業構造の転換の年、
頭を仕事に切り替え集中しなくてはならない。

それとも、「2千回2千回!」と唱えなおそうか?どうなるか?
自分でもわかりません。 ー本当に読んでいただいて有り難うございました!

・・・・・・・・
2002年12月30日(月)
626, 葬式仏教の由来

現在の日本の仏教は完全に成り下がっている事を随想日記で何回も
書いている。葬式仏教の集り体質である。

その成り立ちを、ある仏教学者の本に明快に書いてあった。
・その発端は徳川幕府キリシタンを弾圧した江戸時代にある。
 キリスト教徒を撲滅する為に、お寺に監視機能を持たせた。
 お寺の檀家にならないと、キリシタンにみなした。
 −具体的にはお寺に宗門人別帳という登録権をもたせた。
 そこで布施や付け届けをもってこないと宗門帳から抹殺すると、
 脅して間接賄賂ー布施や付け届けを強要した。それにより自ら堕落をしていった。

・更に徳川幕府はお寺に葬式を命令した。
 キリスト教の葬式をやらせない為だ。
 本来坊主は出家をしている為、家族の代わりに坊主仲間がやっていた。
 一般人は家族が出していた。
 そこで葬式を命令されたので、一般人を死んでから出家した事にして 
 葬式をあげることにした。戒名はその為に作られた風習でしかない。
 弟子の葬式をやってやる建前にした。
 在家の葬式を坊主が始めたのは江戸時代の幕府の命令で行われたにすぎない。

本来それは本物の宗教とかけ離れたものだ。
先祖を弟子にしてあるから、先祖供養をネタに葬式業としての職業化を図ったのが実情だ。
それが現在になって壊滅を始めているのが彼等葬式仏教界の深刻な問題だ。

もっとひどいのは現世利益を約束している新興宗教団体だ。
戦後、宗教団体に免税したのが最悪の状態にした。
それを利用してドンドン大きくなって政治まで利用して国家を動かしている
何とか学会とかいうカルト教まで出てきている。ここまでくるとエログロである。
毎朝おまいりをしていると、逆にそういう集りが見えてくる!

・・・・・・・
2001年12月30日(日)
285、フィジィ‐について

地理的にみるとオーストラリアとハワイの中間点、日本より飛行機で7^8時間位か。 
もう9年なる。 この世のパラダイスという言葉が似合う小国である。
ハワイの観光化する以前の、何ともいえないのどかさを残している国である。
人がいい!のだ。フィジアンといって無垢な温かい素朴な人なつこい国民性。
世界にまだこのような世界が存在していたとは!NHKでも‘フィジーの特集’をしていた。

一度行けばその魅力にとりつかれるはずである。
今でも映画館が男女別席である。小さい島国なのにまたその周辺に、
多くのミニの島よりなりったている。島そのものがホテルになっているところもある。

他の南国はハワイとニュージーランドしか行ってないので、
他と比べる事はできないが、華やかな観光がない分、
海と空の素晴らしさを満喫できたのかもしれない。
そこで行ったカーマ島がよかった。小さな島で一周一時間ぐらい、1人で
海岸を一周してきた。おとぎの国に迷い込んだようであった。

たまたまその日が日曜日。住民はホテルの従業員とその家族が、
小さな教会でお祈りをしていたのが印象的であった。
会社の社員旅行で行ったが、そのうちの1人が新婚旅行で行ったと聞いた。
そしてあらためてその素晴らしさを知ったと風のたよりで聞いた。
南洋の楽園とはよく言ったものである。

もし海の綺麗な、静かな天国のような島に行ってみたいなら
フィジーがいい。

・・・・・・・
ある時間の断片
12月30日 1968年

12時に起床する。正子さんと母と食事をとる。
正子さんが、今の私が陰鬱という。前の私の方がよいという。
何か頭だけが先走っているようだ。
社会に出ることに対する不安による動揺が陰に振れているのは解っているが。

14時に大手通りにいく。気持が晴れる。
ただ塞いでいただけか。18時に帰ってきて食後にTVを見て
23時に日記を書いて一時に寝る。三日からジャスコに出す論文を書かなくては。