* 人生も旅も、遊びですよ!
 要するにツアーは、旅ゲーム。地球を遊び場とした遊び。ただし少々危険な!
『パックツアー』のHP内検索で、6年前の「文章」が出てきた。人生そのものを、
"観光" "旅" "旅行""ツアー"から類推すると、考えさせられるヒントが垣間見え
てくる。長い人生もまた、それぞれの要素が絡み合い、様々な問題が解けて見える
ような感覚になる。
 パックツアーなればこそ行ける旅先に、ゲーム感覚で、旅の「道中」の予期せぬ
トラブルを愉しみに替え、目的地の光と影に感動し、束の間の旅路を愉しむことが
人生の旅路と重ねる。

 「物語」は、ヒーロー、ヒロインが様々な難関を解決し、乗り越えていく過程
を味わう筋立て。義務教育からは、高校、大学は、実社会へのモラトリアム期間
(猶予期間)。子宮内で、生命の進化過程を経験するという。 
高校、大学時代は人生の旅立ち前に、サークル、バイトに、恋に、遊びに… 
広く交友を持って一生のデザインを考える予習の時節。リタイア後は、目先に
迫った死を前にして社会的束縛から一度、解放され第一の人生の復習と、第二、
第三の人生を歩き出す節目時。
 様ざまな人間の生き様、考え方も、ツアー最終段階と、帰路の飛行機内の思い
に耽る黙想に酷似している。人生は、旅を類推し、同定することからヒントを
得ることが出来る。 短かそうで長い人生にはトラブルが付きものだが、問題は
解決のための事前準備。困難は出たとこ勝負でも、その多くは、経験知として、
知識として事前に知ることが可能である。『それさえ知っていたら!』の無知の
涙を流すことになる。 その経験知が集約されたのがパックツアー。

 まだまだプッツン前に、見たいところだらけ… 観光ツアーでも充分、魂に
歴史を刻印をしてくれる。秘・異郷ツアーは、日常の100倍の価値を感じとれる。
ライフワークとなると、話しても話しても、話尽きることはない。 
 52回×10日×100倍=52000÷365日=142年。
少なめで10倍の濃度で、14年分は長生きした充実感はある。
とすると+14歳=86歳? いや、実感はマイナスで、58歳。
実感は2倍、70年! とすると、日常の50倍の濃度。 
 …丁度、話半分ですか。

・・・・・・
4205, 異郷日記 ー日本人の人生は、ツアーに似ている
2012年09月30日(日)
               「異郷日記」西江雅之
  * 現代の日本人の人生は、ツアーに似ている   
 数年前に、この人の書いた旅行記を何冊か読んだことがあった。
早大の教授で、世界の言語の研究のため、アフリカなど世界の僻地で直接、
原住民と触れ合う機会が多く、その体験談は非常に奥行が深い。この本は
4年前に出版されたものだが、既に早大を退職し、気ままに国内外を講演で
まわっているという。その著者の体験談の一言一言はツアーでしか、秘境に
行く機会のない者にとって、参考になることばかり。
 まず、「観光、旅、旅行、ツアー」の言葉の定義から…

≪"観光" "旅" "旅行""ツアー"などの類の語には、幾つかの側面で"異郷〃との
 重なり合いが見出される。目的地の異文化度が高ければ、当然、その重り合いは
 大きくなる。
◎‘観光’とは、現代の用法では、「わずかばかりの異郷感を、一時的に味わう
 ために金を支払う行為」と言えそうだ。一般的には、その行為は多かれ少なかれ、
地理上の身体移動が伴う。観光は、貨幣経済の中に身を置き、余暇という時間を
持つ社会に属す人々にのみ許された行為である。目的地で一時的な異郷感を味わ
させてくれる事物は、土地の人々から見て、必ずしも本物である必要はない。
それどころか、もし訪問地で見るものが全くの本物であったならば、訪れる人々
にとっては受け入れ難い事物の方が多くなり、観光は成り立たなくなるだろう。
それは、観光地で売られている土産品や観光ショーを思い浮かべれば明らかだ。 
 観光には"…らしさ"が重要なのである。観光に参加する側と、それを主催する
側とを含めた、全体としての観光というものを話題の対象とすれば、そこには、
企画、経営などという側面が大きな役割を果たすことは言うまでもない。
しかし、その場合でも‘・・・らしさ’は見過ごせない要素となる。

◎‘旅’は何より「道中」が主役。古典文学を見ても、旅の話を支えているのは、
 目的地に至るまで の道中で出くわすことになる数々の予期せぬ出来事だ。
道中で何が起こるか分からない。それを乗り越えて到着した目的地で、
一段落となる。道中にいる間、旅人は異郷の人である。人生は常に旅路にあると
自覚する者は、本物の異郷の人である。

◎‘旅行’の場合は目的地までの行程は保証されている。旅行者は目的地までは
 交通手段を利用して安全に運ばれる。目的地に到着してから、旅行者は思い
思いの活動を各自の興味に応じて開始する。結果として手に入れたいと望むのは、
個人的な楽しみであり、良き思い出である。

◎‘ツアー’では、出発点と目的地との往復が予め保証されている。それのみか、
 道中、宿泊地、目的地での行動内容の一つひとつが、あらかじめ他人によって
計画に組み込まれていて、それなりの効果を狙った演出も準備されている。
参加客は、それらの催し物を次々にこなしてゆくことで移動を終える。多くの場合、
自分の気に入った場所でも時間的な制約を受ける。物足りなさも残される。
しかし、全行程が保証されていて、何を見て、何をすべきかを考えなくても安心
できるという利点もある。昔、「人生は旅である」と言った。しかし、現代の
日本人の人生は、ツアーに似ているとも思えてくる。≫
▼ あと三回で世界旅行(主にツアー)50回に達成する。一応、来年中と
 考えていたが、年金生活者、家内の鞄持ちとして年一度が限界か、それも無理? 
しかし30年近くかけて小刻みに安いパックを探して行っていたので充分満足
しており悔いはない。 著者の「現代の日本人の人生は、ツアーに似ている」
は、言いえて妙である。 ツアーより、むしろ観光に思える。 そこでは"…
らしさ"が重要と,信じられているからだ。それらは受け止め方の違い。
やはり実感は旅である。
 
・・・・・・
4594, そして、人生はつづく ー5
2013年10月14日(月)
 * 生き直すために ー2        
         ー朝日新聞の「耕論」『生き直すために』小田嶋隆
  ー 前回の『生き直すために』の続きから        
《・・生き直すといっても「やめる」こと以外に何もしていない。
 サッカー観戦、自転車、イグアナも、時間を潰すため。酒をやめることで
仕事は上手くいくようになったが、それは結果であって、目標ではない。 
AAで、最初に「私は、自分では何もできない人間であることを認めます」
と言わされる。これは一理あった。自分で人生を立て直せる」と思い込んで
いると、依存症から逃れられない。
 ・・「自分で自分を律する」というのは大きな勘違いで、その意識がある
限り、人生のやり直しはできない。就職のやり直しにしても、結局は運です。
「夢に向かって努力する」では、こだわりでがんじがらめになるだけ。
自分がどの仕事に向いているかは、実際にやってみないと分からない。
人生を途中からやり直そうとするなら、何かを捨てること。捨てた結果、
その空白に強制的に何かが入ってくる。その何かが良いか悪いかは別ですが。
会社を辞めたことも、酒と一緒にそれまでの生活を捨てたことで多くを失い
ましたが、その代わりに膨大な時間を手に入れたものも明らかにある。
あそこでやめてなかったら、今のような人生を歩んでなかった。
どちらが良い人生かわかりませんが。 30歳を過ぎた人間が、自己を改革
するなんて不可能。ただ、何かをやめることはできる。人生をやり直すには、
何かを「目指す」のではなく、「やめる」ことからです。》
▼ 私が嵌ってしまった異境・秘境のツアー参加者に、多く見かけられるのが、
ガンなどで余命が見えて、その克服や人生を改めて見つめ直すために来ている
人が多い。晩年になれば、今さら生き直すことは出来ないが、考えるために、
極限の秘境ツアーは悪くない。被災地視察という名の「ダークツアー」に
似ている。「やめ時」を悟ったら、あとは「前向きに目をつぶって倒れこむ」
しかない。そうすれば、自動的に現象は生き直しになってしまう。
これも一期一会。捨て身でやれば「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあり」になる。
といって、覚悟が必要で、そのための周到な準備が必要。
最期は、「そして、人生は終わり」!「プツン!」。

・・・・・・
5691,自分のための人生 〜?
2016年10月14日(金)
           『自分のための人生』(ウエイン・W・ダイアー)
   * 「幸福は才能なり」
 『幸福』について、この数年来かけて考えてきた。
以前なら、幼稚な話題として避けていた。当然、会話で話題にすること自体が、
憚れた。それが、老い先短くなればこそ興味が湧いてきた。「私の人生、幸せ
だったのか。」と、冷静に人生を振返るテーマになる。 私自身、幸福系と
思いこんでいる。家内は、私より遥かに幸福系である。両親の愛情を一身に
受け育ったことがある。不幸の事態に多々あってもも、何かの力で、一瞬、
助けられてきた。判断と決断にあたって、純粋な視線と、集中力を持ちえた
ためだろう。傍からみれば、「不幸な大変な人」だろうが、そうでもない。
                    〜p/29〜       
≪・学業が優秀な人、ある種の学問分野にひいでた人が「知的」であると
 思われているが、しかし精神病院には優秀な成績証明書を持っている人も、
持っていない人と同じようにあふれるほどいる。 ・・・(中略)
いわゆる知能を測定するためのよりいっそう確かなバロメーターは、一日一日
を、更に一日のうちの一瞬一瞬を、効果的に幸せに送っているかということ。
その瞬間を費やす価値のあることのため一瞬一瞬を生きているなら、そういう
人こそ知的だといえる。たとえある特殊な問題を解決する能力はなくとも、
幸福な生き方を「選ぶ」ことはできる。最低限、不幸を選ばないということを
わきまえている人は知的である。 ・・・(中略)
・問題を解決する能力によって知能を測定するのではなく、むしろ、問題
そのものは解決しようがしまいが、自分自身は幸せで価値ある人間で要られる
才能を持っているこかどうかで、知能は測定できる。 ・・・(中略)
・金銭、老齢化、病気、死、天災、事故などはすべて、どんな人間にとっても
問題になる事柄であるが、そのようなことが起こったとき、うまく切り抜け失意
や不幸にとらわれない人もいれば、衰弱し、不活発になり、神経衰弱に陥って
しまう人もいる。人間である以上、問題の一つや二つあって当たり前と受け止め、
問題の有無を幸福の基準としない人こそ、我々が知る限り最も知的な人々である。
そしてまた、最もまれな人々でもある。
・「NHK 白熱教室 /考福学(ディーナー博士)」によると、
「幸せは、人を介したネットワークによって伝播していく」
「人とのつながりが、生涯の幸福度を決める」とのこと。幸福な人のもとには、
 幸福な人が集まり、さらに伝播していく性質を持っている。≫
▼「幸福は才能なり」とは、いいえて妙。幸福の人には、不幸の人を近寄せ
ないバリアがある。才能とは、持って生まれた性分と、長年かけてつくられた
能力がある。幸福論によると、<幸せの状況は、マイナス1に対し、プラス
3〜6以上割合で、それらの要素を身につけているかにある>という。
仏教系は、苦を滅することを教え、西欧系は、楽しみを増やすことを勧める。
楽しみは、求めれば幾らでも得ることが出来る。その為には才能が必要になる。
 どちらを選ぶかは、その人の特性で選べばよい。どっちつかずが一番悪い。
5年前の節目時に、少しキツメな一日、一週間の日程を自分に課した。そうでも
しないと、自滅する危険があった。その日程で、充実した日々を過ごしている。
・・・・・・
4961,閑話小題 ー齢は68になって
2014年10月14日(火)
   * 齢は68になって
 何度も何度も書いているが、ふと気づくと、あと三ヶ月で古希である。
まさか自分がである。周りを見渡すと、誰も彼もが年下に見えてくる。
4人に3人以上が年下なら、こんなものだろう。中、高、大学の男たちの
4人に1人の割りで亡くなっている。私も父が亡くなった歳まで、あと二年。
私が20代半ばで、父親が老衰していくのが悲しかったことを憶えている。
あと、せいぜい7〜8年だろうが、やはり身体の衰えは隠せない反面、
世界への関心は、ますます強くなっている。 このところ歩いていて、
20分もすると、腰が痛くて据わりたくなる始末。 何事も面倒になるし、
頭の切替えが以前ほどきかない。人生の多くを、し尽した感があるので、
さほど、老いに対してマイナスの気持ちは少ない。その時々に、やるべき
ことをしてきた実感があるからだ。人生のトータルとして、面白かったし、
楽しかった。嫌のこと一つに、良いこと三つの割合である。そう割り切ると、
老いもまた乗り越えていける。まあ、何事にも興味を持って、感動と感激と
感謝の出来る心の新鮮さを失わないように
したいもの。
   * インコのピーコ
 我家のペットは、30数年来、インコである。私はペット好きだが、
家内が生きものが大嫌い。そこで、何とか小型の小桜インコに妥協し
飼ってきた。 大体が2〜3年で亡くなったり死んだりした6代目の後、
5年前に中型のコガネ・メキシコインコに切替たが、風邪と下痢で一年
余りで死んでしまった。これが、鳥というより犬に近い感覚で、人に懐いて、
その利口さに驚かされた。小桜インコとは格段上に、人の気持ちを読み取り、
言葉を理解でき、クシャミや、鼻水を出し、頭を撫ぜてもらうのが大好き。
しかし、熱暑の最中に、下痢をおこし衰弱をして亡くなってしまった。
そして、現在の、オオム科最小の大きさの「マメ・ルリハインコ」。
コガネインコに比べ、反応は低いが人恋しいため、ベランダのサッシ越しに
常に呼びかけてくる。席を立とうとすると、鳴いて振り返させ、枝を回転
して、「行くな」と自己表現をする。多いときは、50数回も回転する。
必死の呼びかけの「美味しそうな?鳴き声」に、近くのカラスや、スズメ、
渡り鳥などの野鳥が反応し、庭や、ベランダに集まって来ている。
夕暮れ頃に、野鳥が一匹、挨拶に来ているが、そろそろ渡りの時期である。
・・・・・・
6058,閑話小題 〜恐ろしい身近な現実 −3
2017年10月14日(土)
            ―「不平等社会日本」佐藤俊樹著―
   * 金持ちサラリーマンと、貧乏サラリーマン
・あるサラリーマンの知人の数人から、次のような話を聞いて驚いたことがある。
『サラリーマン社会には役職以外にも格差がある。長男で持ち家などの資産と、
学歴の優劣と、連れあいの優劣と相性。共働きか否か。 これが長年かかって
甚大の格差を作り上げていく。学歴も両親の学力などの資質が大きく左右する。
代々の上司は、これらが揃っていた。情けないが、これは遺憾ともしがたい!>。
 知人に、長男で、土地持ちで、連れあいも正社員で、定年まで共働きで無事に
リタイアをして年金暮らしの人がいる。親会社の役員の何割かよりも収入も預金
が遥かに多い。人生、それだけではないとしても、愚痴の一つも言いたくなる
のも理解できる。 更に家系からくる文化度合も人生を大きく左右している。
・数年前になるが、中学の同期の男と卒業以来、初めて同席をした時、「エッ」
と、思ってしまう話を聞いた。 要約すると… 
『家に余裕がなく、中卒後、地元の大手メーカーに「金の卵」として集団就職
その殆どの同期が夜間高校に通い、卒業と同時に公務員試験を受けるのが慣わし。
人気の一つが手当が多い消防士。何とか無事勤め上げ年金暮らし。火事場とか、
救急搬送が主なる仕事で、様ざまな家庭の人生模様を多く垣間見ることが出来た。
本当に恵まれていた!』と。「成るほど!」と地に足のついた人生に感じ入った。
  〜Amazonの読者レビューより〜
《…1955年から定期的に行われてきたSSM調査(社会階層と社会移動全国調査)を
 主な資料として本書が明かすのは、「実力でのし上がってきたが故に実力主義
社会を理想としているエリート層こそ、実は親から受け継いだ目には見えない
「財産」によって、しごく当たり前の階層に落ち着いていた」という悲喜劇だ。
そして、高度経済成長期に努力してのし上がっていたと思われがちな団塊世代
時点において、すでに階層を決定する選抜システムは飽和し、閉鎖性が高まり
だしたと論じている。こうした階層化と階層の閉鎖性を是正させるために著者が
必要性を説くのが、選抜機会の多元化(学歴以外の選抜方法を増やす)と、世代
間での不平等感の緩和である。その例として「カリスマ美容師」を使って著者が
説明している箇所は、今となっては少し時代遅れだがユニークな発想で、詳しく
は本書を手に取ってみてもらいたい。
 そんな中、著者が論ずるのは「機会の平等」をいかに創出するかである。
しかし、議論していくうちに著者は「機会の平等」が、構造的に「後から」に
なってからしかわからない、という事実に気づく。 なぜなら、原因となる
「今の階層分布」と、結果として生まれる「未来の階層分布」の比較衡量が必要
なわけで、哲学的な命題のようだが、今は永遠に「未来」にはならないのだ。
そこで踏みとどまり「わからない」と言い切ったところに、著者の知性を感じる。》

▼ 「三つ子の魂」ではないが、そこで人生のベースが形成されているようだ。
 「この人には適わない人」と何人かクロスしてきたが、当時は何だろうとまで
考えるに至らなかった。「年間数百万かかる慶応幼稚舎からの一貫教育してきた
人と、公立のコースを歩んできた人とは格差が出るのは当然。鼻持ちならないと
しても… ベースの差だけはいかんともし難い現実。 この中で、
《ホワイトカラー上層部分(大企業や官庁の管理職)が団塊世代以降、受験と学歴
を通して閉鎖されるようになった。また「腕に覚えのある」ブルーカラー層の
開業率の低下により学校を経由しない補助的選択ルートが無くなったことも、
大きな変化と指摘している。学校選択ルートの」」・成功者たちは、平等という
競争という外観のために、階級意識なしに階級を構成するようになった。しかも、
これらの成功者たちは選択ゲームの敗者の意欲を削がないために偏差値批判や
学歴批判を行って成功について自己否定をして、同時にエリートの責任解除を
自ら行い続けている。… ⦆
 この結果、ぎらつくエリート意識も権力欲もない社会的上層部分がつくられ、
「一億総中流」の終わりと、経済的弾力性が失われることになる。その結果が、
現在の日本経済と失落原因になっている。3人の義兄が、その典型だったが… 
残る兄と、義兄と、私を含めた三人は、時代の変化についていけず、この結果。
 何れの人生も、<恐ろしい身近な現実>の様相を示すが、それも雷光の一瞬!
【上を見ればきりがない、下を見れば底がない、横を見れば情けない】ですか。
・・・・・・
5326,「ウェブ2・0」はどこへ消えた? ー?
2015年10月14日(水)
        ーウェブ2・0」はどこへ消えた?ー古市憲寿
                 『新潮45』〜悪夢の21世紀 より
   * 自撮り写真とブログ
 ブログを自撮り写真と同定するところが面白いが、少し無理がある。
その時どきのベストの媒体のメディアと、当人のエネルギーとが相俟った
能力が時代を動かしていく。それが身近な大学ノートや、手帳だったり、
デジカメやビデオ、今ではパソコンやスマートフォン、ブログやチャット
だったり変化していく。個々の受発信のベースになるブログやチャットは、
写真や録画が大きな位置を占める。それを自録りを可能にするセルカ棒が、
アジア中心に流行しているという。自撮り発信文化が、世界を変えようと
している。ただし、決して明るい未来が待ってはいないと・・
≪ 民主主義社会とは、「みんなの声を尊重する社会である。
 欧州で貴族が政治を支配していた頃、普通選挙を入する際には、
「豚のような民衆に参政権を与えて良いのか」といった批判がき起こった。
その後、日本を含めた近代国家は普通選挙を導入し、誰もが国のトップをも
目指せる民主主義社会が実現された。しかしココでも衆愚問題は消えていない。
事実、自分の想定とは違う選挙結果になった時、インテリたちは「ポピュリズム
という言葉を使って大衆を馬鹿にする。梅田の言葉を使えぱ、「残念」なのは
ネット空間ではなくて、この社会そのものなのである。確かにそれを技術の力
で変えられるような未来が来るのかも知れない。だがそれはネット空間をどう
こうするという話ではなく、社会を変えるという遠大な作業に他ならない。
新しい技術が社会を変えたと言われることがある。しかし、多くの場合、
それは論者にとって都合の良い出来事が起こった時に、その説明材料として
新メディアが持ち出されただけ、という場合が多い。記憶に新しいところだと、
ツイッターなどソーシャルメディアの力で、アラブの春など民主主義革命が
起こったということになっている。確かに新しい技術が、社会変革に一定の
役割を果たしたことは事実だろう。 しかしそれが「ツイッター」である必然性
はない。たとえば1989年に起こった東欧革命の時は、衛星放送が大きな役割を
果たしたという分析がされた。国境を越えて伝えられる映像の力で民衆による
革命が起こったというのだ。要は、悪政や民衆の不満など様々な革命が起こる
条件が重なった時に、たまたま存在した新技術が「ツイッター」だったという
だけである。また、アラブの春においてより重要な影響力を持ったのは
アルジャジーラだったという分析も多い。 
 佐藤俊樹が『社会は情報化の夢を見る』で述べるように、技術の中身に
関わりなく、新奇なメディアはコミュニケーションを活発にする。しかし、
利用者が増加し、そのメディアの新奇性が消えていけば、人はまた新しい
メディアを探す。その繰り返しである。
 セルカ棒が社会を変えると言っても誰も信じないだろう。しかし、
「インターネット」や「ソーシャルメディア」が社会を変えると言うと、
人は信じてしまうそれは「インターネット」や「ソーシャルメディア」の
ほうが、より未知で、より新しいものに見えるからだろう。だが、それは
人々が実は「インターネット」の内実を何も理解していないことと同義。
「未知」で「新しい」ものに期待できるのは、それをよく「知らない」から。
 本当は、セルカ棒にだって人々のコミュニケーションスタイルを大きく変える
可能性はある。自撮り文化が世界中に浸透、日本人のシャイな性格も変わるかも
知れない。人々は差恥心を捨て、とにかく自分たちの世界を写真に残そうとする。
セルカ棒は、僕たちの性格をも変えてしまう魔法の棒なのだ。
 馬鹿げた妄想だろうか。しかしそれを言うなら、「インターネット」が新しい
社会を作るという楽観論も同じくらい馬鹿げているのである。一番に残念なのは、
「セルカ棒」でも「インターネット」でもなく、新しい技術にただ夢を託して、
のんきな未来語りに一喜一憂してしまう「みんな」自身である。≫
▼ 情報機器が、さほど、世の中を変えないというが、どうだろう。
 私は、そののんきな「みんな」自身の一人で、やはり、技術は、人類の
未来に明るい光を与えると信じている。知りたい情報が、直ぐに、手っ取り
早く入手できる幸せを、一般人が可能になるのは、やはり良いことである。
一言でいえば、「情報のファーストフード化の何が悪い?」ということ。
食事でもフランス料理、中華料理と、それぞれの使い分けをすればよい。

つれづれに

イメージ 1

 他のブログ
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/549/
http://horii888888.toypark.in/cgi-bin/s_diarys.cgi
http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive


 昨日は飲み会。20時半早々に帰ってくる。
駅中の居酒屋から、市役所のあるセンターを通って殿町に行きがてら、
歩いていると、丁度、大コートで何かのパーティが終わった直後。 
聞くと長岡商業高校の年一回の合同同窓会だったという。 
 





・・・・・・
・・・・・・

5326,「ウェブ2・0」はどこへ消えた? ー③
2015年10月14日(水)
        ーウェブ2・0」はどこへ消えた?ー古市憲寿
                 『新潮45』~悪夢の21世紀 より
   * 自撮り写真とブログ
 ブログを自撮り写真と同定するところが面白いが、少し無理がある。
その時どきのベストの媒体のメディアと、当人のエネルギーとが相俟った
能力が時代を動かしていく。それが身近な大学ノートや、手帳だったり、
デジカメやビデオ、今ではパソコンやスマートフォン、ブログやチャット
だったり変化していく。個々の受発信のベースになるブログやチャットは、
写真や録画が大きな位置を占める。それを自録りを可能にするセルカ棒が、
アジア中心に流行しているという。自撮り発信文化が、世界を変えようと
している。ただし、決して明るい未来が待ってはいないと・・
≪ 民主主義社会とは、「みんなの声を尊重する社会である。
 欧州で貴族が政治を支配していた頃、普通選挙を入する際には、
「豚のような民衆に参政権を与えて良いのか」といった批判がき起こった。
その後、日本を含めた近代国家は普通選挙を導入し、誰もが国のトップをも
目指せる民主主義社会が実現された。しかしココでも衆愚問題は消えていない。
事実、自分の想定とは違う選挙結果になった時、インテリたちは「ポピュリズム
という言葉を使って大衆を馬鹿にする。梅田の言葉を使えぱ、「残念」なのは
ネット空間ではなくて、この社会そのものなのである。確かにそれを技術の力
で変えられるような未来が来るのかも知れない。だがそれはネット空間をどう
こうするという話ではなく、社会を変えるという遠大な作業に他ならない。
新しい技術が社会を変えたと言われることがある。しかし、多くの場合、
それは論者にとって都合の良い出来事が起こった時に、その説明材料として
新メディアが持ち出されただけ、という場合が多い。記憶に新しいところだと、
ツイッターなどソーシャルメディアの力で、アラブの春など民主主義革命が
起こったということになっている。確かに新しい技術が、社会変革に一定の
役割を果たしたことは事実だろう。 しかしそれが「ツイッター」である必然性
はない。たとえば1989年に起こった東欧革命の時は、衛星放送が大きな役割を
果たしたという分析がされた。国境を越えて伝えられる映像の力で民衆による
革命が起こったというのだ。要は、悪政や民衆の不満など様々な革命が起こる
条件が重なった時に、たまたま存在した新技術が「ツイッター」だったという
だけである。また、アラブの春においてより重要な影響力を持ったのは
アルジャジーラだったという分析も多い。 
 佐藤俊樹が『社会は情報化の夢を見る』で述べるように、技術の中身に
関わりなく、新奇なメディアはコミュニケーションを活発にする。しかし、
利用者が増加し、そのメディアの新奇性が消えていけば、人はまた新しい
メディアを探す。その繰り返しである。
 セルカ棒が社会を変えると言っても誰も信じないだろう。しかし、
「インターネット」や「ソーシャルメディア」が社会を変えると言うと、
人は信じてしまうそれは「インターネット」や「ソーシャルメディア」の
ほうが、より未知で、より新しいものに見えるからだろう。だが、それは
人々が実は「インターネット」の内実を何も理解していないことと同義。
「未知」で「新しい」ものに期待できるのは、それをよく「知らない」から。
 本当は、セルカ棒にだって人々のコミュニケーションスタイルを大きく変える
可能性はある。自撮り文化が世界中に浸透、日本人のシャイな性格も変わるかも
知れない。人々は差恥心を捨て、とにかく自分たちの世界を写真に残そうとする。
セルカ棒は、僕たちの性格をも変えてしまう魔法の棒なのだ。
 馬鹿げた妄想だろうか。しかしそれを言うなら、「インターネット」が新しい
社会を作るという楽観論も同じくらい馬鹿げているのである。一番に残念なのは、
「セルカ棒」でも「インターネット」でもなく、新しい技術にただ夢を託して、
のんきな未来語りに一喜一憂してしまう「みんな」自身である。≫
▼ 情報機器が、さほど、世の中を変えないというが、どうだろう。
 私は、そののんきな「みんな」自身の一人で、やはり、技術は、人類の
未来に明るい光を与えると信じている。知りたい情報が、直ぐに、手っ取り
早く入手できる幸せを、一般人が可能になるのは、やはり良いことである。
一言でいえば、「情報のファーストフード化の何が悪い?」ということ。
食事でもフランス料理、中華料理と、それぞれの使い分けをすればよい。



・・・・・・
3854, 50歳代が勝負時? 
2011年10月14日(金)

 何度か取り上げているが、51歳時、痴呆症だった88歳の母を見送り、
「さて、これから如何しようか?」と考えた時に、曽野綾子の「人生の良いところは60歳まで」という
言葉に出会った。そうすると9年しかない。そこで考えついたのが、「残りの人生を、50歳代の9年間
の中に押し込んで生きる」ことであった。想定を70歳か75歳の寿命として、3~5倍に圧縮して生きる
ことである。 そのためには捨て身で、やりたいことをする。そこで、思いついたのが秘境・異郷ツアー。
行きたいところをピックアップし、何はともあれ行くことにした。 年に4回も行った年もあった。 
更に10年前の55歳の時に、個人HPを作って、それを公開し思いのままを書き出すことにした。
丁度ブログが普及する直前。この随想日記の始まりである。これを書き始めた5ヶ月後に9・11テロが
起き、世界の情勢が一変してしまった。 毎年10パーセントの売上減が3年続いた。
そして4年目に入って中越地震が起き、逆に売り上げを二年間下支えをしてくれた。しかし3割の売上減は
長期借り入れの返済原資を三分の一にしてしまった。それも血の滲むような合理化の上である。その中で、
やりたいことを実行したから、大変といえば大変。その結果、60歳辺りから心に大きな余裕が出てきていた。
「何だろう、これは?」という感覚である。 人生の元を取った実感は、心に大きな安心感を持たせてくれる。 
その余裕が三年前のリーマンショック以来、毎年20数パーセントの売上げ減の中でも、そして今回の事態
でも、何とか精神のバランスを保させてくれている。 準備15年の立ちあげ、30年間の事業、合計45年
の結果が、この結果としても、精神のバランスを何とか保っているのは、50歳代の9年間で、あるページ
の余白を埋めた為である。
 事業も、趣味も、自分の範囲の余白を埋めてしまうと、他人との比較も、自分が達成できなかった夢も、
余裕を持って諦められる。それから考えると一年一年、自分の経験の範囲での余白を、捨て身で埋めることが
残された人生の課題になる。70歳まで、四年少ししか残されてない。不摂生だったこともあり人生の
余白も、多くない。 60歳前半は、リーマンショックでエネルギーを奪われ、そうこうしている内に、
事業閉鎖になってしまった。 その埋め合わせと、人生の始末は何かを考え抜いて、捨て身で後片付けを
する時節ということ。しかし世界の情勢は、この5年間は大荒れになるのは必定。60歳代は、世界の激変
の真っ只中、それへの適応時期になる。 時速数千キロで回転している地球上に我々は住んでいるが、周囲
も同時に回っているため、それを自覚できない。時流も激しく変化しているが、見ても見えずが、我々。 
人間は現象との情死?しかないのか。自然と、芸術とに触れ、感動することが、現象との情死から守って
くれる。 さて、信濃川ポタリングに出るか。

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3489、金は暴落する! 2011年の衝撃    
2010年10月14日(木)
            「金は暴落する!2011年の衝撃」ー鬼塚 英昭 著
 先日、ここで取りあげた「ロスチャイルドと共産中国が2012年、世界マネー覇権を共有する 」
鬼塚 英昭の最近の著書である。要は、ロスチャイルドが中国と組んで新しい世界マネー覇権を共有する
ために、金を値上がりをさせ、2011年か2012年の早い時期に金バブルを崩壊させて、下がりきった金を
買い漁るという。そのため金は世界恐慌に対して一番有利な投資と信じ込ませてきた。
わずか3年前の2007年に一トロイオンス700ドルだった金価格が現在1300ドルを超えている。わずか3年で
二倍近い値段である。これを著者はロスチャイルドと金融エリート集団によって仕組まれた説を立てている。 
来年から再来年に金価格の暴落をはかり、逆張りで利益を稼いだ上に、下がりきったところで金を買い漁る
という。1985年のプラザ合意で日本は国内需要の喚起のためと、大幅な金融緩和をアメリカに強要された。
そしてバブルの発生と、崩壊で「日本は失われた20年」といわれる大打撃を被った。バブル崩壊後に
狙い通りにユダヤ資本が日本の株と優良な土地を買い漁ったことは言うまでもない。 やはりソ連崩壊後、
ロシアでも似たようなことをした。そして次は、アメリカの住宅バブル。バブル化した住宅債権を束ねて
世界中にばら蒔いてしまったから始末が悪い。 著者は、これもユダヤ資本の要のロスチャイルド
仕組んだ罠という。ロスチャイルドは、今度は中国に目をつけ、供に新通貨システムを作ろうとしている。
そのため現在、金のバブルを発生させ、次にバブル崩壊を狙っている。それが、来年から再来年にかけて
発生し、下がりきったところで、金を買い漁る目論見とみる。そのため、金の上場投信(=金ETF)の
市場をつくりあげた。それが金バブルの崩壊を容易にさせる手立てになる。大雑把の要約すると以上だが、
ウソか本当か、信じられない内容が面白、おかしく書いてある。       ー つづく
 
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3114, つれづれに ー閑話小題 
2009年10月14日(水)
   * 低反発マクラ
 最近、ニトリに行くと低反発マクラとマットレスが山積みになって多く並んでいる。売れ筋なのだろう。
ということで低反発マクラを一月前に買って使っている。それが良いのである。マクラに関しては、商売上
も敏感になる。外国の一流ホテル?では、少し固めと、少し柔らかめのマクラが二つ置いてある。それを
重ねると丁度良いのである。その時々に柔らかいのを下にしたり、逆にして使う。 これまでは籾殻風の
硬めのマクラを使っていた。それに最近買った低反発マクラを重ねると丁度よいバランスである。これまで
で一番良いあんばいである。年内には低反発マットレスを買う予定だが、恐らく良いだろう。ところで、
この低反発マクラが良いので、エンドに山積みになっていた特価品を買ってきて、バスタオルを巻いて
縫い付けて座布団替わりに居間で使っている。TVの前の卓上にパソコンを置いて、随想日記を書いたり、
インターネットで使っているが、長時間にわたるために結構腰に来る。 丁度、低反発クッションが良い
のである。 低反発クッションとして売ってはいるが。
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   * 最近の万歩計
20数年前から早朝ウォーキングを始めたが、15年前辺りから万歩計を腰につけて年間1万5千歩を
数年の間歩いていた。
(次数制限のためカット 2011年10月14日)

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2749, ソロスは警告する -2
 2008年10月14日(火)
 「ソロスは警告する」 ジョージ・ソロス著  講談社   ー読書日記ー
アメリカ経済の終わりの始まり』などの著者の松藤民輔の解説の中の次の文章が、
欧米のエリートの意識感覚を言い表している。これがアメリカのエリートだけでなく、日本の官僚や、
エリートの偽らざる意識である。 所詮そんな意識とて、猿回しの芸を仕込まれたエテコウが一方的に
大衆をブタと決め付けているだけのこと。そのエテコウの舞い上がった演技で最悪の犯罪を犯したのが、
このサブプライム問題。 しかし彼らから学ぶことは「哲学と歴史を学び続けること」である。歴史と
哲学は最も重要な基本的な教養であるからだ。といって所詮あんなものかと、冷笑して学ばなければ、
ブタと言われた時に認めざるを得なくなってしまう。まあ、面白いから、一度は知っておくべき彼ら
の意識構造である。 世の中は差別で出来ているのです、
 ---
ー松藤民輔(解説文)よりー
「オックスブリッジ」の歴史学科を出ているその人物は、私たちに平然と「歴史を勉強していなかったら
ブタだ(人間じゃない)よ」と言い放った。特定の人間を愚弄した言葉ではなく、ごく普通に口から出た
言葉のように思えた。これが世界の政治経済を牛耳るトップの感覚なんだなと、その時、私は痛感した
ものだ。現実に、彼らエリートには彼らだけの標準である「共通言語」や「共通認識」がある。そうした
共通言語をもち、真のエリートたちのクインナーサークルに入れるごく一部の者だけが、世界の大企業
のトップとなって数十億円の年収をもらい、プライベートジェットでスイスのダボス会議に参加し、
「次の金儲けのテーマは「金融」から「エコ一にしよう」などという、地球の新しいルール作りに
たずさわる資格をもつ。欧米、特にヨーロッパでは、エリートになるための教養知性として哲学や歴史学
は必須科目なのだ。実際、どちらも彼らが己の理想や世界観を自分の言葉で語るのに不可欠な学問だと思う…
… 一見、現実的な政治と観念的な哲学とはあまりにもかけ離れているようにも思えるが、実は、そうでは
ないのだ。あくまで私見だが、「私のようになりたかったら哲学を勉強しろ。私のように考え、歴史から
学べ。そうすれば世界の政治経済に参加出来るエリートになれるチャンスがあるぞ」といったソロスなりの
メッセージが、この本には込められているのだと思う。だからこそ、彼の本は、欧米で、明日のエリートの
仲間入りを夢見る多くの人々に読まれるのだろう。  さて、ここでまた一つ、厳しいことを言わなければ
ならない。それは「日本には真の意味で世界の"インナーサークル"に入れるエリートがいない」という現実。
これは戦後の日本がひたすら大衆国家の道を歩んできたこととも深く関係している。残念ながら、
タボス会議で世界のエリートたちから相手にされるような経営者はいない。それは、これまでの日本の
政治家、経営者に、世界のエリートからサークルの会員として認められるような資格を備えた人がほとんど
いないからである。(次数制限のためカット 2011年10月14日)
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2007年10月14日(日)
 2385, 私の嫌いな10の人びと -3
「私の嫌いな10の人びと」 中島 義道 (著)  ー読書日記
2章の「常に感謝の気持を忘れない人」が中島らしく面白い。少し歯切れは悪いが、それでもただ無闇に
感謝する日本人の感覚に疑問を持つのも、ご尤もである。感謝を売りにして一財産をなした小林正観
いう人もいる。この人の本を何冊も何度も読んだが、一度ひいてみれば、所詮は「感謝という言葉を売り
にして、一財産を築いた男」でしかない。英語で、まず憶えるのはイエス、ノーの次にサンキューである
から、大事なのだろう。営業の場合、この人の本を読んで心から感謝をする訓練をすれば、営業ギアは
一桁は間違いなく上がるだろう。
 (以下、字数制限の関係上、カット09年10月14日)
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2006年10月14日(土)
 2020, 13日の金曜日恐怖症               
    (。^0^。)ノ オッ(*^○^*) ハ~ ヨウ
昨日は「13日の金曜日」であった。日本では、あまり騒がれないが、西欧社会では「13日の金曜日恐怖症」
がある位、この重なりの日は自重をしている人が多いようだ。さっそくネットの検索で調べてみたが、
インターネットは手軽に調べることができるから便利である。古代から、13という数字が不吉というのは、
初めて知ったが金曜日との重なりを嫌うのは週末もあるのだろうか?数年に一度しかないので、この機会に
知っておくのもよい。まずは、フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』のー13日の金曜日
から抜粋してみた。
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・キリストの最後の晩餐に13人の人がいたことから、13は不吉な数とされた。
・またキリストが金曜日に磔刑に処せられたとされていることから、13日の金曜日が不吉であるとされた。
・一説には、イヴによるアダムの誘惑も大洪水からノアが脱出したのもバベルの塔が壊されたのも
 13日の金曜日だと言われるが、聖書にそのような記述はなく迷信の域を出ない。    
    (中間、字数の関係でカット2008年10月14日)
ーリアルの例としては、
オーストリアの作曲家シェーンベルクが有名である。彼は1874年9月13日に生まれた。
13は縁起の悪い数とされており、7と6をたすと13になるから彼は76歳で死ぬと思い込んでいた。
1951年、76歳になった年の7月13日の金曜日。その日が来ると彼は用心してベットから一歩も外に
出なかった。そしてその日がいよいよ終わろうとする午後11時47分、彼は死亡した。
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まあ、13日の金曜日は皆で、このような話を楽しむ日ということか。   

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2005年10月14日(金)
 1655, 北イタリア旅行記-6
 イタリア三大巨匠 ーダ・ヴィンチミケランジェロ、そしてラッファエロー
このイタリア旅行まではフィレンツェの「ウッフィッツェ美術館」の存在を知らなかった。この美術館には
イタリア美術史に燦然と輝く名画が勢揃いしてあり、馴染みのある絵画を次々とみることができた。
 ・ボッティチェッリの「春」「ヴィーナスの誕生」         ・ミケランジェロの「聖家族」
 ・レオナルド・ダ・ヴィンチの「東方三博士の礼拝」「受胎告知」  ・ラッファエロの「ヒワの聖母」
 ・フィリッポ・リッピの「聖母子と二天使」 などなどである。
特に印象的だったのが、ダ・ヴィンチの「東方三博士の礼拝」である。この絵は下書きの未完のものだが、
モナリザ」「最後の晩餐」に匹敵するもである。また、ボッティチェッリの「春」と「ヴィーナスの誕生
が素晴らしい。「春」を壁紙のHPよりコピーして一ヶ月位パソコンの背景画にしていたので身近な感覚で
観ることができた。地元の女性ガイドが絵画の説明の中で、同時代に生きたダ・ヴィンチミケランジェロ
そしてラッファエローの三人の関係を解りやすく説明してくれた。特に、ダ・ヴィンチミケランジェロ
人間臭い対立のエピソードが面白い。それぞれの絵画の中の意味を知れば知るほど、その奥行きの深さが
伝わってくる。きしくも、三巨匠にボッテェチェリーなどが同時代にいたことが不思議である。
「旅は肯定である!」と、何かの旅についての随想にあった。ー旅は、肯定するためにある。ときに
おこなう否定もまた、肯定の一種なのだ。人間は、存在そのものが「!」であり、肯定なのだ。-
全くそのとおりであり、人生にも通じることである。如何なる場合でも人生は前向きにあらねばならない。
憎むためでなく、愛するためにある。苦しむためにあるのではない、楽しむためにある。
疲れたら、休めばよい。 急ぐことはない。 旅行は、そのことに気をつかせてくれる。  ーつづく
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2004年10月14日(木)
 1290, ダイエーが再生機構活用!
一昨夜、自宅の近くにあるダイエーの紳士売り場と、靴売り場を見て驚いた。
売り場に商品が、あまりに少ない。債権が焦げ付く可能性があれば、メーカーや問屋が商品の納入しない。
まさに末期現象と思っていた。ところが、昨夜のTVのテロップで、「ダイエーが再生機構を受け入れる」
と臨時ニュースを流していた。これで、解体、売却の手順が踏まれることになる。一つの時代の終わりの
象徴といってよい。学生時代、ダイエー流通革命の旗手として飛躍を始めていた。チェーンストア理論
を売りにしていたペガサスクラブの優等生であった。
 (以下、字数制限の関係上、カット09年10月14日)
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2003年10月14日(火)
923, アイスランド旅行記ー3
  ーオーロラハントー
 数年前に、ノルウエーのトロムソにオーロラハントに行ったことがあった。その時は「何だこんなものか」
という程度で、期待とは全く違うものであった。薄い雲がスジ状に光っているだけであった。だだ行きの
飛行機から見たオーロラがカーテン状に広く光っていたが。今回も5日間で一日しか見えるチャンスが無かった。
夜になると寒くなる為か曇ってしまうのだ。感動するような大きなオーロラのはそうそう見ることができない。
そしてたった一回だけの私にとって一生もののオーロラが出たのだ。天空に展開した時の感激は、想像をして
いたより遙かに神秘的かつ荘厳であった。写真など撮っている余裕など無く、ただ呆然と見とれるだけであった。
これをどう言葉で表現したらよいのだろうかと考えていた。 天空の黒をキャンパスに、滝が降るように頭上
の両側に壁になり揺らぐ青白光の波がこの世のものと思えない、神秘的なものであった。あとは「…」である。 
取材できていた共同通信社のカメラマンが、「このオーロラをどう東京の友人に説明したらよいか解らない」
と私に話しかけてきた。「これは実際、この目で見るしか理解はできないでしょうね」と答えるしかなかった。
その時、涙が出そうになっていた。以前ツアー仲間から、この体験談を聞いたことが何回もあったが。
「もういつ死んでもよいと思った!」「聞くと見ると大違い、実際見なくては!言葉で表現できない」
それを聞いて、「ちょっとオーバーではないか?」としか思ってなかった。しかし、この言葉の意味が実際
見て初めて解った気がした。 あと一度見たら、アフリカの大地のように完全にハマってしまうだろう!
 ・・・・・・・
549,「宣戦布告」
2002年10月14日(月)
 先日、映画の「宣戦布告」を見てきた。 北朝鮮拉致事件の帰国も迫っていることもあり、迫力と
現実味のある面白い内容だった。「日本海沿岸の海に,一隻の国籍不明の潜水艦が海岸近くで座礁した。
浮上した潜水艦からは、戦闘服に身を包んだ男たちが出現、夜の闇の中に姿を消していった。
-そんな中からかって無かった未曾有の緊急事態に見舞われる。 今の法律では北朝鮮の戦闘員に発砲すら
許されない。追い詰めるが、一方的に射殺されていく。そして全面戦争への危機に発展していく姿」を
まねいている。この危機状況は、現実に起きても不思議でない状況である。スターリン時代のソ連
プチ状態で存在しているのが北朝鮮
   (以下、字数制限の関係上、カット09年10月14日)
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[186] 野村と円楽  
2001/10/14
 10年前の話になるが、新潟の大蔵ホテルで野村と円楽の講演会があった。メインが円楽で前座が
野村であった。もちろん私も円楽がまず面白そうで、野村も面白いのではと期待していった。まず野村が
出てきた、そして黙って会場を見渡し、ニヤッと笑い、「大部分は女性ですね、私の話なぞ如何でもよい
と思っているんしょう。円楽の刺身のツマぐらいと思ってるのでしょう」実際そうでだったから、
ザワツイテイタ会場はシーンとなってしまった。その瞬間に野村のペースに聞き手をのせてしまった。
 ー要点はー
・自分は投手の練習用のキャチャー「壁」として採用され
・数年後解雇を言い渡された・丁度その時父親が癌になっていた
・直接上司と掛け合い絶対に辞めないと粘りかろうじて首を免れた
・そのぎりぎりのところでどうしたら一流になれるか考えた
・一流の選手は持って生まれた天性ある、努力だけでは埋めがたい差がある
・そこでぎりぎりのところで、どうしたら一流になるための方法を考えたー頭を使ったー
等々、底から這い上がってきただけに、一言一言が経験のうらずけがあるため説得力があった。
また彼も浪人の真っ最中の状態で、話に力が入っていた。 今までー王、広岡、森と講演を聞いたが、
野村だけは底から這い上げって来たためか、ずば抜けた内容があった。その日の円楽の話も力が入って
いたが、所詮噺家の内容はしれたもの、しらけた会場の空気が漂っていた。さすがキャチャー、
瞬間その場を雰囲気をとらえ、自分のペースに捉える術。今でもありありと憶えている。
キャッチャーは9人の選手のうち、一人だけ逆方向を見ているのだから。