* 精神的存在の原子にあたる言葉、「モナド
 神の存在が深く信じられていた古代、中世には精神的存在の原子にあたる言葉
を語ることは、神への冒涜として論じられなかったのか。概念上の『点』としての
モナド』。そして『予定調和』で最善に導かれていく考えは、非常に面白い。
  〜『哲学用語図鑑』ーP120
≪ 世界を精神的存在と考えるなら、それらを分割していくことが可能になる。
ライプニッツは、この精神的存在の原子に相当する概念を、『モナド』と呼んだ。
そして、世界は、このモナドが調和しあって出来ていると考えた。彼によると、
「世界は最善になるようにあらかじめ神によってプログラミングされていると
いう考えを多元論という。
モナドは、原子論に似ているが、原子のような物質ではなく、概念上の「点」。
モナドは1つとして同じものはなく、互いに連絡し合う手段を持っていない。
モナドは窓を持たない」 すべてが神のプログラミング通り動くとされている。
精神を分割し、更に分割し、その上に分割した最小の点がモナドである。
モナドが世界を最善になるように予定調和で最善の世界を創るもので、世界は
偶然できたものではないと… 要するに楽観的に世界を捉えているのが特徴。
 ライプニッツにとって、世界はただ「ある」のではなく、神が最善の状態に
くだしたから、そう「なった」のです。これを「充足理由律」という。
 要するに、どんな出来事にも十分な理由がなければならないという原理。≫

▼ 物理的存在の、原子は、古代哲学から取上げられていたが、精神的な
 最少単位については考えられなかった。そこでライプニッツが、初めて取上げ
注目された考え方。面白い考え方だが、人間に都合のよい神の楽観的傾向が見て
とれる。世界の知性が問われる現代。トランプ、金、習、プーチン、安倍…
何でしょうか? モナドの最小の『点』からして… モナドですか?
現代の国際政治を問うこと自体が、間違っている。 どうなるのでしょう。
「世界は最善になるようにあらかじめ神によってプログラミングされているはず」
なのに。

・・・・・・
5928,閑話小題 〜フィリッピン殺人事件
2017年06月08日(木)
   * フィリピンの日本人殺人事件
 ニュースで、フィリピンの日本人2人の不明事件を報じていたのを見て、
「臓器販売シンジケートの犯罪」ではないかと疑ったが、表向きは単純な
保険金狙いの殺人事件のようだが…。一人あたりの上限の2億円も異常である。
宿泊したホテル関係者が、「2人が、寂しそうな顔をしていた」と証言… 
 北欧の刑事ドラマに、子供の臓器を狙ったり、誘拐幼児の販売シンジケート
の犯罪が時々、取上げられる。また、東欧の地元で仕込んだ?妊婦を北欧に
入国、出産させて、販売するシンジケートを取り扱ったのもあった。
 現に似たケースが存在するのだろう。 
  〜ネットニュースの記事から〜
≪フィリピンの観光地で日本人の男性2人が行方不明になっている事件で、
地元警察はフィリピンに住む日本人の男らを殺人の疑いで逮捕しました。
 殺人の疑いで逮捕されたのは、フィリピン在住の長浜博之容疑者(55)
とフィリピン人通訳の男です。長浜容疑者らは、西部のブスアンガ島を訪れて
いた井谷勝さん(59)と新井康寛さん(24)の殺害に関わった疑いが
持たれています。井谷さんと新井さんは、先月30日、島巡りに出発した
まま行方がわからなくなっていました。
インタープリター(通訳)を間に挟んで、インタビューしてくれ。
私には言いたいことがたくさんある。今の私には、あなた方に聞いてほしい
ことがたくさんある」(長浜博之容疑者)
警察によりますと、フィリピン人通訳の男が「長浜容疑者の指示で、
ふたりは別の島で射殺され、遺体は切断されて海に捨てられた」と供述して
いるということです。一方、長浜容疑者は取り調べに対し、容疑を否認して
いるということです。≫

▼ フィリピンでは、容疑者が日本人でも平気で撮影させるため、自然と、
 シリアスな劇場型刑事もの風になる。 2人を連れていた日本人が、檻から
の「言い訳」が生々しい。 殺して海に沈めたなら保険会社は死亡の認定でき
ないから保険金は下りないことは知っているはず。そんなことを犯人がする
わけがないのに何故? の疑問が残る。解体して海に捨てたとすると、やはり
臓器狙い? あまりに不自然で不可解な事件である。長浜容疑者も実は被害者
で… 背景に何らかの組織がいてとかいうのも、無理がある。マスコミの絶好
のネタになる。実は生きていて、何処かに隠れていて云々も可能性として?

・・・・・・
5563,「オカネがなくても楽しめる社会」に住みたい
2016年06月08日(水)
   * 私の住みたい社会       
 雑誌に、私の現在の生活に似た生活を理想とするレポートがあった。
リタイアをし、年金生活に入って5年余り、隠居という身になっても、修行僧?
のような真面目なスケジュールに慣れ親しんでいるためか、思いの他、不自由も
肩身の狭い思いもない。この生活習慣が、著者の「住んでみたい社会」の生活に
近いから驚いた。4時に起床、この随想日記を書き上げ、ネットにアップした
6時過ぎに(冬期間を除いた)ほぼ毎日、一時間、電動アシスト自転車でミニ・
サイクリングに出る。200M先の栖吉川の土手と、バイパスと、信濃川・土手で
コースの9割以上を占めていて、ポタリングには、これ以上ない快適なコース。
これに午後1時から2時間、近くのSC内のスポーツジムに週5日通っている。
他に週1回のシネマ通いと、月に1回の飲み会を入れれば、もう十分満足である。 
≪   ☆「私の住みたい社会」 青山文平: 
「どんな社会に住みたいか」と問われたら、私は迷わず、「オカネがなくても
楽しめる社会」と答えます。オカネがたくさんある方と、そうでない方とでは、
どっちが多いかといえば、そうでない方のほうと思えるので、社会が「オカネが
なくても楽しめる社会」になれば、誰にとっても楽しい社会になるでしょう。
 しかも、オカネがなくても味わえる楽しみというのは、けっして我慢した
楽しみではなく、けっこう奥深いのです。むしろ、オカネを使って味わう楽しみ
よりも深いかもしれません。 たとえば、もしもいま住んでいる町がすごく歩い
て快い町で、毎日散歩してもぜんぜん飽きないとします。その日々の散歩は、
年に数回行く海外旅行よりも楽しみの深度が深くて、つまりは贅沢であると
言えないでしょうか。そういう町を多く抱く社会はまちがいなく、「オカネが
なくても楽しめる社会」でしょう。
 私は散歩もよくしますが、自転車に乗るのも好きです。気に入った自転車
さえ手に入れれば、あとはほとんどオカネのかからない楽しみですが、残念
ながら、私の暮らしている地域に、自転車で走って気持ちいい景観を待つ道は
数えるほどしかありません。昔、仕事でスコットランドや北イタリアに行った
ときは溜め息が出ました。どこをクルマで走っても、全域、自転車好きなら
よだれが出そうな道ばかりなのです。 ちなみに欧州では、日本ではすっかり
下火になってロードバイクに取って代わられた、クルマで言えばジーブタイプ
のマウンテンバイクもいまだに人気です。マウンテンバイクで走って楽しい
シングルトラックなどの道が、遠征などしなくとも、毎ヨ暮らしている町の
かたわらにあるからです。自転車造びが楽しいかどうかは道しだい。
自転車はいい道を楽しむ遊びであって、マウンテンバイクの不人気はそういう
道がないことを表しているのです。 ・・(中略)
「オカネがなくても楽しめる」遊びが、逆に消費を拡大させるかもしれません。
いま求められている遊びは、そういう深い遊びのような気がします。欧州には
キャナル.ツアー」という楽しみがあります。実は、欧州には網の目のように
運河が張り巡らされていて、その運河を使うだけで地中海から北海へ抜ける
ことが可能なのです。けっしてカネモチの遊びではなく、定年退職者の夫婦が、
キッチン・ベヅド付きの中古のボートがあれば、あと必要なのは燃料費と、
家にいてもかかる毎日の食費だけです。これまた、「カネがなくても楽しめる」
深い遊びなのです。そういう社会に私は住みたいのですが、いまの日本は、
さて、どうでしょうか。≫
▼ 一月あたり6000円のスポーツジムに、週一のシネマ館通いで月に5000円、
 月に一度の飲み会が10000円、読書の本題は近くの図書館が主で、ほぼゼロ。
毎朝のミニ・サイクリングがゼロ。パソコンとTV代が10000円で、酒と肴で
20000円で、大よそ合計5万円が、月あたりのお遊び代。これが「オカネが
なくても楽しんでいる生活」かどうか分からないが、満足をしている。
 振返ってみて、仕残してしまった悔いが少ないためか、遊ぶ金が欲しい、
何かが欲しいと思わないでいられるのが有難い。それぞれの時節に、充分
楽しんでいたのが大きい。家内の厚生年金受給が、こうなると大きい。
  〜で、以下の文章に、続いていく。
・・・・・・
5198,ライフサイクルより、ライフコースへ 〜1
2015年06月08日(月)
  * 多様に選択される人生 
 ライフスタイルの一つに、10年節や、女7年、男8年、節目節がある。
その視点、振り返ると、思い当たる節がある。ところが、現在では多様な人生が
あたり前になって、それぞれのライフコースという概念に取って代わってきた。
 『本当にわかる社会学』現代位相研究所著の中で次のような論説があった。
≪ 社会学で、ライフコースという概念がライフサイクルという概念を置換する
 形で用いられるようになった背景には、個人の人生の軌跡の多様性への認識が
あるとされている。ライフサイクルを「だれも同じように人生の道筋をたどれる
こと、ある一つのライフコース・パターンが高い頻度で再生産されること」とし、
ライフコースがライフサイクルに取って代わられるようになったのは、みなが
同じような人生を送る社会からいろいろな人生を送る社会へと発展的に進化した
ためであるとする。主として生物学および心理学で発展してきたライフサイクル
研究は,生物としての人間が一生のうちに示すある範囲内での規則的な推移を
考察し,人々の人生を横断する共通の特徴に着目してきた。他方,個人の生活を
取り巻く社会的歴史的文脈を重視する社会学的視点が生かされたライフコース
研究では,個々人の人生の多様性が強調されてきたのである。しかし,20 世紀
後半に入ってライフコースの社会学が多様性の研究に大きく舵を切り、今や
ライフサイクルは古い概念であるかのごとく扱われるようになった。ーつづく≫
 息子2人と甥っ子を加えた9人のうち、3人が独身。あまり独身が不自然でない。
ライフステージ、ライフサイクル、ライフコースの意味をネット検索をすると、
◎ ライフステージlife stage
 個人の一生の発達過程にみられる諸段階。人間の発達には生物的・生理的側面,
 心理的側面とともに社会的側面があり,これらの相互作用を重視しつつも,
 とりわけ社会的側面の発達段階に焦点が当てられる。具体的には,個人の地位・
 役割の大きな変化と段階移行に着目して段階設定がなされることが多い。
◎ ライフサイクルlife cycle
 生命体の一生にみられる規則的変化のパターンをいう。人間のライフサイクル
 においては,出生から死に至るまでの生命現象とともに,学校への入学や卒業,
 就職,結婚などの生活現象にみられる節目や変化パターンが重要な意味をもつ。
 近年では,人々の価値意識やライフスタイルの多様化とともに,ライフサイクル
 概念が前提とする平均的・標準的パターンを設定することには無理があるとの
 批判もなされるようになった。
◎ ライフコースlife course
 社会的存在としての個人の生涯にわたる加齢過程をいう。ライフコース研究
 では,個人の地位・役割のありようと時間的経過のなかでのその変遷,そして
 これに変化をもたらすような社会的・個人的出来事が関心の焦点となる。
 ライフコース研究が登場した背景には,非歴史的なライフサイクル研究の限界を
 超え,個人の生活史と社会の歴史のダイナミックな相互影響関係を捉えよう
 という研究意図があった。
ライフステージの背景の「時流」が、大きくライフステージを左右する。
私のように終戦直後から復興過程を経て、高度経済成長期と、その崩壊期を
生きた者にとって、この3つが鮮明に浮かび上がってくる。
・・・・・・
4833,「事業人生を決心して45年」の語り直しー11
2014年06月08日(日)
   * 創業? 実は、そんな格好いいものでなく、半狂乱!
 あなたが転機に立たされて何か新事業の創業の課題を与えられたとして、
何が考えられるだろう? 具体的には、何も思いつかないのが実際だろう。
そこで、幼児から、その時点までの自分が経験してきた中で、大きは時流に
対し、何か材料を探し、新たな装いをするしかない。それまで、顧客として
何を経験してきただろうか? そう、学生時代に池袋駅の居酒屋と、その後の
勤務先のスーパーの経験と、その近くの飲食店と居酒屋くらい。対象の物件の
道路を隔てた膨大の空地に、近々に5百世帯の団地が計画されている。
それなら、その小判鮫の商店が必要。とすると、テナントビルと、その一角
での手堅い商売。しかし、ノウハウは無い。ならば、それを買えば良い。
そのためには、フランチャイズに加盟すれば良い。で、問題は、その選定。
失敗は、状況から許されない。それも、父の余命が一年での、調査になった。
「第一の協力者の連添いを、真剣に探しておくべきだった!」という後悔も、
先に立たず。とにもかくにも、適切なフランチャイズの本部巡り。
 で、見つけたのが、当時、国内最大レベルの居酒屋チェーンの『養老乃滝』。
さっそく、説明会に参加したが、「駅前立地が基本。郊外型立地は皆無だが、
これからは郊外の時代、非常に面白い立地、是非とも組みたい!」と、乗り気。
考えあぐねた末に、思い切って参加することにした。その具体的内容を13年前
に書いたのを、コピペをしたが、今でも、あのパニックを鮮明に憶えている。 
人間、何事も忘れるから、勇敢になれる。知らないからこそ出来ることがある。
二ヶ月前まで、全く知らなかった家内との結婚。商業ビルの完成。そして、
二ヶ月も経験してない、チェーンの居酒屋の立ち上げ。 その直前には、
最大の後楯だった父の死の中の創業は、極限の事態に自分を置くことになる。
顔は平静だが、気持ちは半狂乱。創業とは、半狂乱というより、狂乱状態で
なければ、出来はしない。それも血だらけで。その傷口が、その人にとって
の事業。それも1〜2年もすれば、その状況を自ら受け入れ、それに見合う
ようになっている。 当時の飲食業界も、逆境の人たちが集まる、
気違い水を飲ませる異様な世界。千葉といえば、首都圏をアメリカに喩えると、
未開の荒野の西部。 江戸っ子にとっては、地方出身者の田舎者も吹き溜りの
地と、一段下に見られていた。そこは、土木作業員や、ヤクザが屯する底知れぬ
世界があった。それなら、狂うしかなかったのが、実情。その後の人生も、
狂いっぱなしだったが、致し方ない。 自分が選んだ道だから! 
だから、面白いのである。
・・・・・・
4466, 余命半年 −4
2013年06月08日(土)
          「余命半年〜満ち足りた人生の終わり方」大津 秀一著 
 * 末期から死ぬまで   
 ー末期の現象をまとめてみると、
≪ 「末期」の一つの定義は、余命六ヶ月以内、である。しかし、その状態の
 悪化は右下がりの直線ではない。 要するに、調子がズッと良かったのが、
急に悪化するケースや、凸凹であったりする。
・緩和治療を行っている患者の場合、死の1〜2週間前まではそれなりに元気
だが、その辺りから身の置き所がないような全身倦怠感が強くなる。また点滴の
量が増えることもあり、むくみが酷くなったりする。この時期が一番、患者に
とってきつい症状。そして歩行が困難になり、トイレに行くのも困難になる。
特に、きれい好き、清潔好きの人にとって辛い。 他にも食べものや水分を
飲み込むのも難しくなる。喋り辛くなり、耳鳴りがして、口はカラカラに
渇くなど様々な苦痛症状が出てくる。だから、1〜2週間前辺りまでに、
できることは早めにしておくべき。 
・そして、余命日単位になると、患者の苦痛も限界に近づき、家族の心労も
募ってくる。この時期に家族を苦しめるのは、患者の混乱、錯乱である。
「つじつまの合わないことをいったり」「周囲の状況が全く理解できなかったり」
「幻覚がみえたり」するなど、大声を上げたり、暴れたりするなど、患者を
見守る家族の苦痛は大きい。 そうだとしても、家族は身近にいることが大事。
無くなる24時間前が、そのピークなる。それが「最後の山」という。
・余命数時間単位になると、痰がつまってゴロゴロ音がずっと続いたり、
呼吸が荒くなったりするが、患者の苦痛はない。 しかし聴覚は最後まで
保たれるので、発言には十分に注意が必要。その中で、家族も辛いだろうが、
傍に付き添うこと。最後は、お医者さんも、教えるだろうから、大声を出す
のではなく、静かに耳元で囁きかけ、手を握ってやったり、身体を擦るのが、
死出への旅立ちにふさわしい。
・最後は、まず呼吸の仕方が変化をし、下あごを突き出すような医学語で
いう下顎呼吸になり、数分から数十分で呼吸が停止する。呼吸停止後、数分で
心臓も停止。その時が、死亡時刻になる ≫
▼ 実際の臨終に立ち会ったのは、近くに住んでいた伯母と、母親である。
 父の臨終は、私が当時、立ち上げていた千葉のビル現場の打ち合わせで立ち
合えなかった。臨終の場面は人生が終わるのだから荘厳だが、厳しく生々しい。 
家族も疲労困憊する。幻覚、幻聴、錯乱などは付きものと割るきるしかない。
母親の子宮から、管につながれ、のたうち回って産まれ出て、それぞれの
一生を生き、最後は管に巻かれ苦痛の中で死んでいく。せめて、その間、
精一杯生き、悔い無い終わりを遂げたいもの。末期を具体的に想定する
ことは、高齢者の生き方を考える糧になる。で、偶然だが、以下文に続く。
  ・・・・・・
4092, 老いの見本帳ーダークサイト −12
2012年6月8日(金)
       「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日 武彦(著)
  * 老いについて ーつれづれに  
 定年とかで現役を退き御隠居暮らしになるのが第二ステージとすると、
寝たきりとか痴呆症になって病院などで誰かの世話になる時期が、第三ステージ
になる。第二ステージが60歳辺りなら、80歳辺りだろう。それまで大よそ
半数が亡くなるので生き延びた者には厳しい現実が待っている。
寝たきりなら、一日一生のような日々を過ごすしかない。人間は生きてきた
ように老いていくのである。第二人称の死を身近でみる限り大往生は少ない。
あるのは不幸にしか思えない死。そのため私たちの社会は嫌老が基本になって
おり、老化を遅れさせるか、隠すことが善と捉えられている。老いの肯定など、
あまり聞かない。 その死に現実問題として日々近づいている老人の心も肉体
も歪まない訳がないと割り切った方がよい。この本は、その歪んだ老人を
真正面から光?を照射している。そうこうみると最後は自分だけの孤独に慣れて
おく必要がある。人間、「人は人、我は我、されど仲良く」が基本。
相手に何かを求めないで、独りで趣味を楽しむのが理想的。古来から社会は
老いを嫌い、可能な限り社会の隅に置いてきた。しかし医学の進歩により
平均年齢が日本では80歳をゆうに超えてきた。定年後、平均20年以上も
生きていかなければならない。それは有難い反面、社会的弱者としての長い
人生が待ち受けていることになる。世の中は青年と壮年を中心に回っている。
老兵は静かに去らなければならない。引き時を見失うと憎まれもの世にはばかる
ことになる。それを自覚出来ないから始末が悪い。老いることは、絶望に近い
意味を含んでいることを忘れないこと。引くべき時には引かなければ。
人生も見切り千両である。歳を取りそこねる人たちは、その逆の漫然と生きて
いる人たちをいう。人生は最期は独り静かに逝くしかない。歳を得たが故の
楽しみを見つけ独り楽しむ、それが良い老い方になっていく。 この本と、
「嫌老社会」長沼行太郎著ーを読んで、ジックリ?老いを見つめると、
背筋が凍る思いになる。やはり一日一生、一期一会で、日々、瞬間瞬間を生きる
しかないということか。娑婆から早々、一歩身をひいて鮮明に見えてきたことは、
世界が大きな断層の真っただ中にあることと、自分の年齢の微妙な立ち位置である。
地球見学の最期は、こんな風景だった。ネット社会など情報化社会の劇的進化と、
それに伴なう社会的激変、そして、地震などの地殻変動、どれもこれも、想像を
遥かに超えたことばかりである。そうこう考えると、長く生きてきたのである。
あと10年が、更に・・

つれづれに

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  今日のYoutube
 
 淡々と日が過ぎていく。今日は、シネマの日。
万引き家族』の予定。少し内容は暗そうだが面白そうだ。


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4092, 老いの見本帳ーダークサイト -12
2012年6月8日(金)
       「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日 武彦(著)
  * 老いについて ーつれづれに  
 定年とかで現役を退き御隠居暮らしになるのが第二ステージとすると、
寝たきりとか痴呆症になって病院などで誰かの世話になる時期が、第三ステージになる。
第二ステージが60歳辺りなら、80歳辺りだろう。それまで大よそ半数が亡くなる
ので生き延びた者には厳しい現実が待っている。寝たきりなら、一日一生のような日々
を過ごすしかない。人間は生きてきたように老いていくのである。第二人称の死を
身近でみる限り大往生は少ない。あるのは不幸にしか思えない死。そのため私たちの
社会は嫌老が基本になっており、老化を遅れさせるか、隠すことが善と捉えられている。
老いの肯定など、あまり聞かない。 その死に現実問題として日々近づいている老人の
心も肉体も歪まない訳がないと割り切った方がよい。この本は、その歪んだ老人を
真正面から光?を照射している。そうこうみると最後は自分だけの孤独に慣れて
おく必要がある。人間、「人は人、我は我、されど仲良く」が基本。
相手に何かを求めないで、独りで趣味を楽しむのが理想的。古来から社会は老いを嫌い、
可能な限り社会の隅に置いてきた。しかし医学の進歩により平均年齢が日本では80歳を
ゆうに超えてきた。定年後、平均20年以上も生きていかなければならない。
それは有難い反面、社会的弱者としての長い人生が待ち受けていることになる。
世の中は青年と壮年を中心に回っている。老兵は静かに去らなければならない。
引き時を見失うと憎まれもの世にはばかることになる。それを自覚出来ないから始末が悪い。
老いることは、絶望に近い意味を含んでいることを忘れないこと。引くべき時には引かなければ。
人生も見切り千両である。歳を取りそこねる人たちは、その逆の漫然と生きている人たちをいう。
人生は最期は独り静かに逝くしかない。歳を得たが故の楽しみを見つけ独り楽しむ、
それが良い老い方になっていく。 この本と、「嫌老社会」長沼行太郎著ーを読んで、
ジックリ?老いを見つめると、背筋が凍る思いになる。やはり一日一生、一期一会で、日々、
瞬間瞬間を生きるしかないということか。娑婆から早々、一歩身をひいて鮮明に見えてきた
ことは、世界が大きな断層の真っただ中にあることと、自分の年齢の微妙な立ち位置である。
地球見学の最期は、こんな風景だった。ネット社会など情報化社会の劇的進化と、それに
伴なう社会的激変、そして、地震などの地殻変動、どれもこれも、想像を遥かに超えた
ことばかりである。そうこう考えると、長く生きてきたのである。あと10年が、更に・・

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5928,閑話小題 ~フィリッピン殺人事件
2017年06月08日(木)
   * フィリピンの日本人殺人事件
 ニュースで、フィリピンの日本人2人の不明事件を報じていたのを見て
「臓器販売シンジケートの犯罪」ではないかと疑ったが、表向きは単純な保険金
狙いの殺人事件のようだが…。一人あたりの上限の2億円も異常である。
宿泊したホテル関係者が、「2人が、寂しそうな顔をしていた」と証言… 
 北欧の刑事ドラマに、子供の臓器を狙ったり、誘拐幼児の販売シンジケートの犯罪が
時々、取上げられる。また、東欧の地元で仕込んだ?妊婦を北欧に入国、出産させて、
販売するシンジケートを取り扱ったのもあった。 現に似たケースが存在するのだろう。 
  ~ネットニュースの記事から~
≪フィリピンの観光地で日本人の男性2人が行方不明になっている事件で、
地元警察はフィリピンに住む日本人の男らを殺人の疑いで逮捕しました。
 殺人の疑いで逮捕されたのは、フィリピン在住の長浜博之容疑者(55)
とフィリピン人通訳の男です。長浜容疑者らは、西部のブスアンガ島を訪れていた
井谷勝さん(59)と新井康寛さん(24)の殺害に関わった疑いが持たれています。
井谷さんと新井さんは、先月30日、島巡りに出発したまま行方がわからなくなっていました。
インタープリター(通訳)を間に挟んで、インタビューしてくれ。私には言いたいことが
たくさんある。今の私には、あなた方に聞いてほしいことがたくさんある」(長浜博之容疑者)
警察によりますと、フィリピン人通訳の男が「長浜容疑者の指示で、ふたりは別の島で射殺され、
遺体は切断されて海に捨てられた」と供述しているということです。一方、長浜容疑者は取り
調べに対し、容疑を否認しているということです。≫

▼ フィリピンでは、容疑者が日本人でも平気で撮影させるため、自然と、シリアスな
劇場型刑事もの風になる。 2人を連れていた日本人が、檻からの「言い訳」が生々しい。 
殺して海に沈めたなら保険会社は死亡の認定できないから保険金は下りないことは知っているはず。
そんなことを犯人がするわけがないのに何故? の疑問が残る。解体して海に捨てたとすると、やはり
臓器狙い? あまりに不自然で不可解な事件である。長浜容疑者も実は被害者で… 背景に何らかの
組織がいてとかいうのも、無理がある。マスコミの絶好のネタになる。実は生きていて、何処かに
隠れていて云々も可能性として?

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3361, すでに世界は恐慌に突入した ー2
2010年06月08日(火)
「すでに世界は恐慌に突入した
  ーデリバティブとドルはあと数年で崩壊する」ー朝倉慶 
     P/129の 「デフォルト宣言するオバマ大統領」は注目に値する!
・過去を振り返るとニクソンはお馴染みニクソン・ショックで金本位体制を破壊し、
ドル垂れ流しというアメリカの覇権取りに向けた基礎を作った。
レーガン新自由主義と言って、規制緩和財政支出拡大、スター.ウォーズ計画など 
冷戦勝利のために軍拡に努めた。
クリントンの役割はドル高の演出で、世界からお金を無尽蔵に集めてくること。
・次にブッシュに引き継がれますが、消費バブルや戦争バブルを拡張させるためにインフラ整備、
要するにドルに魅力を持たせること、ドルを集めることを至上命題としてきたのです。その後、
集まったドルがレバレッジでさらに氾濫して、今回の危機を起こしたのは承知のとおり。
これもクリントンのやった世界中からの資金導入がなければできないこと。
・そして今回オバマ大統領の影の役割、一番大事な、すでに大統領になる前から決まっている
最大の仕事は何かと言えば、〈借金踏み倒し〉スワットいわゆる米国債のデフォルト、それに
伴う新秩序の形成なのです。いずれ〈オバマショック〉と命名されるかもしれませんが、
ドル暴落後の世界をいかに収めるか、それもアメリカの国益を最重点にして、これが焦点。
 これまで書いてきた今の世界中で繰り広げられている国債発行、借金頼みはどう考えても持続不能
どこかで大整理が必要です。ドル暴落は見事にこれから仕掛けられることであって、オバマ大統領の
役目はその状態がいかに自然に起こってきたことなのかとふるまうことです。世界やアメリカ国民が
この状態では止むを得ないと思う形で、米国債の無価値化、借金踏み倒しをするか、酷ければ戦争に
走るかということでしょう。 これらの行為はアメリカの復権を目指すもので、そのプロセスを自然に
 やったように演出することが大事なのです。 オバマ大統領は、就任前は中国を為替操作国と呼び、
大変強硬な態度でした。それは今は中国に媚びて、米国債を買ってもらうように懇願しているように
みえます。これは演技なのです。 もうすでに財政破綻から、ドル暴落に陥っていくのは日程に入って
いる状態ですから、自分達はドルの価値を維持するため、全力を尽くしましたという演技が必要なのです。
一生懸命ドルを支えるため、超大国アメリカの大統領であるのにもかかわらず、頭を下げたという
演技が重要なのです。
  ~以上だが、ほぼ上記のことは間違いないだろう。
 このまま世界各国が札を刷りまくるしか手立てがないのだから、早かれ遅かれハイパーインフレは、
発生する。だから金(ゴールド)が、まず買われ、次に食料品、石油などの資源株が買われることになる。
そして極めつけが戦争。ネタはイランと北朝鮮あたりになる。アメリカにとっての公共事業は戦争である
から、もっともらしい火種に火をつける。

 ・・・・・・・・・
2986,友愛思想
 2009年06月08日(月)
民主党党首の鳩山が「友愛」の必要性について語ったところ、自民党などに失笑をかってしまった。
隣に「北朝鮮」というテロ国家があるのに、何が「友愛」だと等々・・・。
私が学生時代に住んでいた寮の先輩が軽井沢の「友愛山荘」のペアレント(管理人)をしていたことも
あり、何度かホステラーのアルバイトに行っていた。 そこが鳩山一族の政治団体「友愛の会」の経営
する山荘で、友愛思想について、何度か聞いたことがある。クーデンホフ・カレルギーの友愛思想は
現在のEC(欧州連合共同体)の根本思想で、自由と平等と博愛を目指す考え方である。フランス革命
自由・平等・博愛思想がバックにある。
 ーネット辞書のウィキペデアによるとー
【『自由と人生』著者 クーデンホフ・カレルギー 1938 年刊 訳者 鳩山一郎 】に友愛とは、
上記「自由と人生」に記されている友愛思想、友愛革命、友愛社会に則る考え方であるが、要は、自由と
平等との対立を解消し、克服するのが友愛主義であると記し、友愛の基本をフランス革命の友愛に
依拠していると説明している。友愛という考え方は、宗教では、隣人愛、自愛、即他愛、等、広く
一般的に知られておりますが、カレルギーは「フランス革命は、自由、平等、友愛を目標として起こり
ましたが、そこには自由の革命はありましたが平等と友愛の革命はなく、しかも自由と平等は対立関係
のままにされ、その上経済的平等は誰しも望むところですが自由が存在しなければ全く価値のないもの」
と、述べている。 さらに自由放任の社会は経済的不平等、富の偏在、貧困の差をより大きくし、
如何にして自由と平等の対立関係を調和せしめるのか、カレルギーはこの対立解消のベースに友愛主義
を提唱し、人々の間に具体的に浸透する方途として友愛革命を掲げました。革命という言葉はともすれば
テロを想像されるかも知れませんが、カレルギーの説く革命は力による革命でなく、人間一人ひとりの
心の中における革命です。人々の心の中に友愛をうえつけ、或は人間本来の持つ人類愛そのものを喚起
することにより友愛は達成される革命である。 そして人の心の革命は暴力や強制力でなく、相互に
人間が人間としての人格の尊厳を尊重することであり、人間の生まれながらにして持つ権利であると説き、
その権利は国家や社会のすべての制度に優越するものだと説明しています。従って社会の政治や経済の
諸制度もこの考え方をベースにしなければなりませんし、このような考え方に基づく友愛社会は友愛主義
の理想であり、心の革命のそれぞれの段階に従って少しずつ改善されて行くべきものであるという。
 ーー
以上だが、ネットで調べながら、学生時代を思い出した。 40年前のことだが懐かしい思い出である。
2度、パーティーの壁フラワーとして数人来て欲しいと言われて、酒に惹かれて音羽御殿に行った
ことがある。音羽の高台に中腹にある古めかしい屋敷で、鳩山薫(現在の鳩山兄弟の祖母)の姿を見た
ことがある。当時は、偉いとか雲の上の人とかいう見上げる気持ちも無かったし、ああ、いる位であった。
要は、「一人ひとりが紳士淑女たれ。人類愛を持つ、互いを思いやる尊厳を大事にすること」である。
欧米的な近代思想の典型とも思われるが、均衡縮小していくには丁度良い思想かもしれない。
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2622, 『12の口癖』 成功者たちの幸運を呼び込む言葉
2008年06月08日(日)
                 ー読書日記
ーまずは、「まえがき?人は言葉で評価される」よりー
銀座ママが見た日本のエリート1万人の秘密!!
「銀座という場所柄、お店にはいわゆる成功者」といわれる方々が数多くいらっしゃいます。
経営者、政治家、スポーツ選手、作家…その数は一万人を優に超え、どなたも溢れる魅力をお持ちです。
そして、その魅力が一番輝きを放つのは、口をついて出てくる言葉でした。 (中略)とくに、
何気なく話しているときに耳に残る口癖は、私を励まし、支えになってくれました。
そして、私はこの口癖こそが成功の秘密だと気づいたのです。」            
ー次に、その『12の口癖』
* 第1の口癖「とりあえず、やってみよう」  * 第2の口癖「あなたに任せるよ」
* 第3の口癖「大丈夫だよ」         * 第4の口癖「あせっちゃダメだよ」
* 第5の口癖「気にしない気にしない」    * 第6の口癖「幸せだなあ」
* 第7の口癖「一から教えてください」    * 第8の口癖「ツイてるなあ」
* 第9の口癖「一緒にやろうよ」       * 第10の口癖「それ、おもしろいね」
* 第11の口癖「明日のために負けよう」    * 第12の口癖「信じているよ」
   あとがき  成功する前は誰でも普通の人
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この本の、印象的な部分を抜粋してみた。
 (字数の関係でカット2009年6月8日)
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 2007年06月08日(金)
2257, ビョーキな人々探訪記 ?4
                 |* ̄o ̄|お|* ̄O ̄|は
 最近エステが大流行だが、いまいちその理由が解らなかった。
しかし、エステ依存症の横森理香と、同じ経験者の中村うさぎの対談で、その意味の一端が解ったよう
な気がした。奇麗になりたい!という心理は解るのだが、それが度を越して罠にハマってしまうのは、
少々理解しがたかったが・・ 綺麗はバランス。 バランスを直すのがエステなら、やはりインプット
とアウトプットのバランスをとることである。エステ依存症の横森が行き着いたのは、地味飯の玄米食
である。 外形を治すのに、逆に依存症という病気を抱え込んでしまうのは、本末顛倒ということになる。
外形は内側の歪みが大きな原因であり、それを治すのがエステの目的であるなら精神科が範疇でもよい。     
 サプリメントエステに似たようなところもある。「私のサプリメント」でも書こうか! 結論は
わかっている。 玄米食と自然食品がベスト。それが出来ないから、サプリを飲んでるんだよ!という
内面の声。
    (字数の関係でカット2008年6月8日)
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孤独になれない、??な女が陥る罠ということ?
                    ホンジャ ヾ(・ω・`)ノバイ
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2006年06月08日(木)
1892, 酔生夢中         才八∋ウ_〆(∀`●)
一昨日は、面白い人と酒を飲んだ。いま話題の南極越冬隊の高倉健が演じた菊池徹氏が父親という。
4月半ばに84歳で亡くなられたといっていた。カナダのバンクーバー在住で、保険業とカナダ国債
日本国内での販売が業務。知人が菊池さんと親友ということで、「新潟で飲むので一緒に飲まないか」
との、お誘いを受けた。国際金融のプロフェッショナルで、日本人の金融音痴を嘆いていた。
この数年は年の半分以上は、日本中を「国際金融」などの講演をしているとか。16歳で、父親と
バンクーバーに移住したので、思考は殆ど英語という。ハワイでは日本人二世や三世を「バナナ」と
言うらしい。(外見は黄色で中味が白)食べ物は、やはり日本が絶対的に美味しい。日本に、来て
いる動機の半分は、日本酒と魚を日本国中、食べ歩けるからだという。十数年前に、カナダだけに
いるのに飽きてしまい、日本全国を食べ歩きの旅をしながら商売になることを考えたそうだ。
そして、世界有数の安全なカナダ国債を売り歩くか、講演をしてまわることを思いついたという。
こういう考え方は、成功の基本中の基本である。羨ましい限りである!
そこで南極越冬隊という検索を入れたら、菊池さんのお父さんのことが出てきた。
最近「南極物語」が、アメリカ版でリメイクされた。 お父さんも、その映画に関わっていたとか。
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ー菊池徹氏(元第1次南極観測隊員)が多臓器不全のため死去ー
菊池徹氏(きくち・とおる=元第1次南極観測隊員)
(字数の関係でカット2008年6月08日)
                 !(*^ワ^*)i バイ
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2005年06月08日(水)
1527, わたしの酒中日記ー5
 金沢ー3  ー1972年3月某日 
とにかく部外者の目でみると、金沢は特異の街である。加賀百万石の数百年の重みが詰まっている。
それが酒場に集約しているから、あちこちと探して歩くだけの価値が充分にある。それと人間味も
面白い。今日は会社の島君に酒を誘われる。同期の男なのだが、現在所属している武蔵店に
配送センターから配属になったばかりの男だ。いい男なのだが、全く彼女ができないという。
何かオドオドしていて頼りがなさそう。店では日常的に、月に1度は飲みに誘われるが、一~二度
茶店に行っただけで「自分の彼」にされてしまった。噂が流れた瞬間から、他の誰も口を利か
なくなるから女の職場は難しい。 その後は注意はしているが。
(字数制限のためカット 2010年6月8日)
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2004年06月08日(火)
1162,「金融資産が狙われている」
ー日本の恐ろしい未来ー ビジネス社 ー長岡中央図書館 2004年0606
高橋乗宣の最新の書が面白い!
ー 概略を書いてみるとー
「2004年・日本経済」で9月以降の経済の後退と国債暴落と、日銀による国債の直接引き受けに
よる日本経済の破綻の危険性の増大を指摘しているが、この書では、9月以降ドル暴落の見込みが
高まっていることを指摘し、現在デフレのど真ん中にあり地方から疲弊した日本経済もより深刻な
状態が予想されると一歩踏み込んだ言い方をしている。これからの日本では、個人個人が自己防衛
しなければならない。双子の赤字が限界に達し、ブッシュの大減税により無理やり上昇させた
アメリカ経済は9月以降必ず失速し、ドルの暴落を呼び、アメリカ経済は縮小していくだろう
としている。グローバル市場を管理することは不可能であり市場の実勢に任せざるを得ない。
日本経済がデフレから脱出するためには、実質を伴った財政出動と、適切な規制緩和が必要であり、
適切な規制緩和は新しい市場を作り出す。
・今の日本の僅かな株高は、アメリカの演出したもの? あと半年で終了ー大統領選挙まで
 アメリカの景気は幽霊景気であり、ドル安、株安、国債安というカタチで崩れていく。 
 まもなくアメリカ経済の大規模な減税効果は剥げ落ちる
・日本の地方の空洞化は一段と激しさを増す 地方経済はますます土砂降りがつづく
・深刻なデフレ経済はますます激しくなる
・いまの地価の下げ止まりは一部の地区でしかない
・デフレもリストラも激しさを増す人員や設備の過剰感は消えていない
・ドル安基調が本格的になるだろう円が80円をこえる場面もありうる
国債の発行が続いていくと、株価の暴落をまねく株価は7000円割れも考えられる
・地域金融のショックがアチコチで生じて、中央に逆流の可能性あり
ー感想
経済ファッショの足音が聞こえてきたといってよい。
なし崩し的に国民の金融資産を「収奪」「劣化」させようとする政策に切り替えてきているようだ。
国民一人一人が自己防衛をしなくてはならない時代に入ってきたようだ。
「職業を持っていること自体がステータスになる時代になる」というが、そこまで本当にいくのか。
景気悲観論者でバブル期から景気の先行きに警告を発してきたが、流れとしてみていて彼のいって
いることは間違いない。徳川幕府から明治政府への転換期、第二次大戦の終戦時期、と比べて
今回の方がはるかに大きい転換期であると考えれば、彼がここで述べていることはけっして誇張ではない。
情報化と、それと伴う経済現象としてのデフレのインパクトは社会の根本を変えようとしている。
情報格差による弱肉強食はますます激しい時代になってきている。面白いといえば面白いが、大部分の
弱者にとっては厳しい時代だろう。現に、政府系金融機関がかりに融資しても、その資金が大手銀行への
債務の支払いへと還流する仕組みが出来上がっている。大手銀行にしてみても、地価が下がっている以上、
貸し剥がし'をせざるを得ない。そうしないと不良債権になりかねない構図になっている。
地方経済は目詰まりを起こし、壊死をしているのが現状だ。 これがデフレの恐ろしいところである。
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2003年06月08日(日)
 795, 至高体験ー読書日記 -1
 数年前に買って読んだが、人に貸したまま帰ってこない本である。当時コリン・ウイルソン
の文章の巧さもあって、その面白さに夢中になって読んだ。インターネットで調べた内容を後で
コピーしておくが、至高体験の内容に対して詳細に情報が載っている。私の知人で精神症の人が、
鬱の治療薬を飲んで一回だけ歓喜の体験談を話始めた。「それは至高体験といい、薬物を使わなく
とも経験できる。またその体質を持った人にはたびたびおこる現象」と説明したところ、その人は
り出した。「絶対に度々経験ができるはずがない!」と。「じゃあ長島茂雄はどうなんだ。
あの人は過去に他人の体験できない歓喜を数百倍経験しているだろう」といったら、本人は納得した。
その直前に巨人が10・6?の劇的逆転優勝をしていたからだ。この本は19世紀から現在までの
精神分析の流れが書いてある。フロイトユングなどはマイナスの精神病の患者からの切り口で
精神分析をしてきた。これに対してマズロー精神分析を健康人に対して、自己実現などの視点で
前向きにとらえた。 多くの普通人が「至高体験」を経験していることに注目をした。
そしてそれを真正面に分析して解ったことは、超人とか成功をしているほどこの「至高体験」を
多く経験しているのだ。成功体験などもそうだろう。一時巨人の9連覇した選手が多くのチームの
監督になったのも、至高体験者の原動力と成功手順の経験を求められた為だろう。私がいそいそと
秘境旅行に出かけるのも、そこで大自然の何かに打たれて「至高体験」を経験するからだ。
三桁以上は軽くある。 酒を飲んで騒ぐのも、ミニ至高体験を求めるからだ?少し違うか。
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至高体験?自己実現のための心理学 」コリン ウィルソン (著)
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2002年06月08日(土)
 431,モテル男
世の中に、自称持てる男が多くいる。 そういう男をからかうのが好きだ。
「貴方持てるでしょう!」大体がこれに引っかかる。 そしてレクチャーが始まる。
・まずは[貴方は持てないでしょう。けちで努力もしなくては持てるわけがない。]
(??)心の言葉
(ほってけ!馬鹿!うっせいこの女貧乏!勝手にそう思っているだけだろう。)
・「自分等中年はそうでもないのに脂ぎっている、それを如何に隠すかが勝負!」
(それは当たっている)
・「とりあえず自分から絶対に積極的にいってはならない」 (ふんふん・・・・)
・「服装と言葉には十分気を配る」 (へーそうか、苦労してるんだ)
日夜それだけを考え努力しているという事だ。ちやほやされている状態が趣味という事。(負け惜しみ)
逆に持てないという事は、そういう努力もしないで、表面だけを見て持てたいと思っているということか。
ギラギラした欲をそのまま出してしまう男? ところでゴッド姉ちゃんが4人もいた立場で育った環境。
いっぱい教訓をいただいている。今度書いてみる。 もてる人(但しここでいうのは自称の人)は職場とか
家庭環境に女性が少ない人か、母親とか女姉妹がいない環境の人。心の奥に常に女性に対する渇望がある
からだろう。こういう人は奥さんが離婚か自殺など早死にしている人が多い。クリントンあたりなら、
少しは羨ましいが?? くだらない話、しかし人間の一番の本質の話か。女性もそうだが、そういう人は
小まめに、積極的、気配りを欠かさない。
   ーどれもないなー??!
関係ないことだがー 昔から,好きなタイプの女性には共通点があった
・身長が162cm当たり ・血液A型 ・長女 ・お嬢様タイプ ・美人?清そ ・知的
学生時代よりそうだった、自分が好きのせいもあるが。 56歳の男の書く内容でないが。
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2001年06月08日(金)
[46] ユニクロのホームページ
 ユニクロのホームページがよい。そこで何点か商品を買ってみた。またパンフレットも取り寄せてみた。
ズボンの裾上げもサイズをうちこむと直され送ってくる。一度注文するとメールで週末その日の特売情報
を知らせてくる。衣料の小売りで私の知っている限り、ネット販売でこれほど買いやすいサイトはない。
サイズ、色、形、管理が大変だと思うが、そこがコンピューター管理の得意なところ!200メートル先に
店があるが、どーも中年で行くのがおっくうな気分の時に注文する。こういう部分を一つとってみても、
ユニクロのシステムの凄さを感じる。けっこうネット販売売れているのでは。