* いちばん大切なのは、<愛する>才能
 ギフテッドの意味とは、<先天的に、平均よりも、顕著に高度な知的能力を
持っている人のこと。その半面、大きなマイナーを抱える人もいる。将棋や、
囲碁、チェスのチャンピオンに多く見かけられる。天から非凡な才能を与え
られた少女の育て方をめぐって対立する祖母と叔父を通して、本当の幸せは
何かを問いかける筋立て。
≪ 制作HPの解説: フロリダに暮らす、ちょっと変わった2人と1匹の家族。
 7歳の生意気ざかりのメアリーと、彼女の叔父でシングルのフランク、そして
“歴史上一番すごい猫”のフレッドだ。 互いがいるだけで、毎日が記念日の
ように楽しい時間は、メアリーが学校へ行くことになり揺らぎ始める。
彼女には、生まれながらにして数学の天才的な才能があった。「普通に育てたい」
というメアリーの母である亡き姉の遺志に従って、フランクはメアリーの英才
教育を頑なに拒む。しかし、そこへ縁を切ったはずのフランクの母親が現れ、
彼からメアリーを奪おうとする。歴史を変える才能の開花か、愛する者と生きる
人生か ─果たして、メアリーにとってどちらが幸せなのか?さらに悩める
フランクには、姉から託された“ある秘密”があった─。≫

▼ モンスターの祖母に反発し、母親が自殺したが、同じことを孫にまで強要
 しようとする。ところが天才だった母親が、数学の世界的難問を解いていた。
しかし、その解答を弟に託して自殺をしていた。そのことを祖母が知らなかった
という落ちがある。最後は、最高学府で大人と授業を受ける天才教育の道を
歩むことになるが… この7歳の少女が私たちに教えてくれた本当の幸せって
なに? の問題。 
 この映画の中で、祖母がいうところの凡庸な地方の小学校一年生の宿題が、
キッズによる「箱庭の動物園」つくりには驚いた。砂場の遊びと同じく、
あらゆる教育の原点が、そこに詰まっている。 
 そこで今、彼方60数年ぶりに想いだしたのが、小学2年の図工時間のこと。
グループの共同作業で動物の絵を切取って、糊代を下にして立体的に貼りつけ、
動物園つくりをしていたが、間違えて麒麟の首が切れてしまった。そこで、
必死の思いで、二つを重ねてノリを貼りつけて無事に立ち上げた。ところが、
それを見つけた女性の先生が、大声で、これは誰ですか? 部屋全体に鳴り
響く声を張上げた。てっきり叱られたと思ったが、実は、その知恵を褒めて
くれたのである。ということは、その頃から「箱庭づくり」に似た?教育が
行われていたようだ。7歳でも遅すぎる天才教育。その間に、叔父によるベース
の教育環境があればこそ。 数百万人に一人の天賦の才能、強引だとせよ、
そのコースに導こうとする祖母の考えも、理解できるし間違えてない。
それを引出す指導は、周囲の大人の責任である。 祖母の存在が無ければ、
自殺した実母の思惑どおりに凡庸の子供で終わっていた可能性があった。
 どちらが幸せか? 人類最大の課題だが… 様ざまな問題が垣間見られた
映画であった。
『いちばん大切なのは、<愛する>才能』ですね。それと、『感謝する能力』。
その上に、『感動…』と、『感激…』。 これも育て上げれば才能になる。
 せっかく頂いた地球旅行の人生だもの。愛し、感謝し、感動し、感激し、
深く広く、人生を味わわなければ、生きている甲斐がないじゃないですか。
天才は天才として、凡庸は凡庸でも、地球という世界を感知しないとね…。
どのみち直にプッツンだもの。元もとこのブログ、墓場のつもり。遺言かいな。

・・・・
4363, 書くことが思いつかない人のための文章教室  ー7
2013年02月25日(月)
    「書くことが思いつかない人のための文章教室」近藤勝重 (著)
 * 情景描写の効果 ー鱒寿司の話
 伝える効果の「人プラス物」の他に情景がある。その中でとりわけ生活情景の
ワンシーンは抜群。その幾つかが紹介されているが、むしろ私の子供時代の
思い出になっている「鱒寿司の話」を書いてみた。
≪ 子供の頃、父が店の仕入れの御土産に、北陸まわりの車内販売で、鱒寿司
 買ってきてくれた。笹の葉に包まれた鱒寿司は、当時の家族にとって最上の
食べ物だった。それを家族が集まり八等分の一切れが分配される。
その大きさが微妙に違っているのを固唾をのんでみているが、末っ子のため、
最後の一切れが私に配られる。それに醤油を一タリつけて食べると、それが
美味いのである。ケーキを切って食べるのと似ている。それから何年後に、
義兄が、車内で思いついて土産に買ってきた。その時の話が印象に残っている。
隣席の人が、車内販売の鱒寿司を幾つか買う義兄に連られて買い求めて、早速、
食べた。ところが期待したほど美味いと思わなかったのか、不思議そうに、
「それほど美味くないが、どうして、こんなに買うのですか?」と尋ねたので、
義兄は、「これは家族が集まり、幾つか切った一切れを団欒しながら食べるから
美味しいので、一人で列車内で食べるものでないですよ!」と教えたところ、
その人も納得していたという。≫
▼ これを書いていて、鱒寿司を兄姉と分かちあって食べた当時の情景が、
 鮮明に思い出てくるから不思議。 ウィキペデアによると、
鱒寿司は、富山県の郷土料理。駅弁としても知られ、鱒(サクラマス)を
用いて発酵させずに酢で味付けした押し寿司の一種。】とある。今では、
スーパーなどで催事で時々、見かけるが買う気になれない。小学校の5年から
高校を卒業するまで、長岡駅裏に8年住んでいた。そのため、そこの生活が、
いやに懐かしい。母親が極度の「うつ病」になり、心筋梗塞を誘発し、あわや
死にそうになったり、近隣の遊び友達と遊んだり、十姉妹や文鳥、カナリヤを
飼ったり・・ あの受験勉強さえなければ、良いことずくめ。 
読書を薦めてくれる人はいなかった。
・・・・・・
5095,悪夢の21世紀 ー3
2015年02月25日(水)
   * 「ニヒリズムに落ち込む世界」 〜?  佐伯啓思
(7・A)
≪ 端的に言えば、近代文明はヨーロッパという独自の「文化」の中で
成育し発展してきた。それが完成すると、普遍的な<文明> として世界化。
しかし、この文明化は、その< 文明> を生み出す「文化」のエネルギーを
枯渇させる。たとえば、ヨーロッパがキリスト教の神学的教養との闘争を経て
生み出した近代科学は20世紀に入ると実証科学としていかにも形式化された。
主権国家国民国家も、ローマ教会とのプロセスで世俗的権力の自立を目指す
ヨーロッパの歴史から出てきたが、20Cに入ると、アジア、アラブ、アフリカ
など、あらゆる地域が国民国家へと編成された。中東など、地図を広げれば
分かるが、砂漠の真中に見事に一本の直線で、人工的に国民国家が作り出された
ことが分かる。民主主義も、王権との闘争の中から、古代ギリシャやローマを
参照しながら作り出された。だから、ヨーロッパでは民主主義への警戒感も
強かったが、20Cに入ると民主主義こそは理想的で普遍的な政治体制となった。
アメリカのウイルソン大統領は、第一次大戦への参戦にあたり、アメリカは
「世界の民主主義を守る」と言った。ヨーロッパが生み出した近代は普遍化され、
世界化され、普遍文明とみなされ、これを代表するのはアメリカであった。
2 0Cになるとアメリカは急に移民国家の様相を呈した。ロシア革命を逃れて
ロシアや東欧から流れ込み、ナチズムを逃れてユダヤ人が流れ込み、職を求めて
アジア人が流れ込んだ。→ アメリカは多様な民族や人種からなる「世界の縮図」
となり、アメリカこそは、「世界的な普遍文明」を代表することになった。
アメリカこそが、「民主主義」を代表するだけでなく、それを「世界化する使命」
を帯びるようになった。かくして、実証主義、科学技術、市場経済、民主主義、
自由な個人、基本的人権といった観念は、『グローバル・スタンダード』と
見なされていった。これが近代主義というもの。 アメリカなる国が、この
近代主義を理想としグローバル化を推し進めた。特に20世紀の二つの戦争後、
アメリカ的な近代文明が世界へと拡散する時代。それが一気に爆発するのが
1990年代以降、ソ連社会が崩壊し、冷戦が収束してからだった。
▼ イスラム国が、欧米がつくり上げたアラブ国家の枠組みを否定し、
 マホメットイスラム経をつくった原点に立ち返り、新たなイスラム国家を
つくろうという理念は、発生して然るべきだが、、奴隷制度の復活とか、首切り
処刑や、その写真公開は容認できようはずがない。欧米が、近代になって
各地域の部族の首長を巻きこみ、勝手に線を引いて都合の良い国家をつくって、
そのまま現在に至っている厳然たる事実がある。9・11テロも、アメリカが
国家的陰謀で、テロを見逃していたという説もある。そして、アフガンと、
イラクの利権を狙った?とか。世界の隅々まで高性能の情報機器が普及し、
ネット社会が覆ってしまったことが、ニヒリズムに落ち込む結果となった。
偶然だが、以下の文章につながる! 
・・・・・・
5825,閑話小題 〜しまった! ー夢のカルフォルニアー 12
2017年02月25日(土)
   * 夢のカルフォルニア 
 スポーツジムに通い始めて6年になるが、月に20日以上は通っている。
月会費が6000円のため、日割りにして1日につき300円でしかない。ゴルフも、
スポーツジム、スナックのボトルキープも、見通しの甘い人たちの存在がある。
この本を読みこむにつれ、過去の‘しまった!’が次々と思い出されてくる。
 金が有り余っていれば、それもありだが… 無いのに限って甘いのが常。
【 全米で最も住みたい州の夢のカルフォルニアに、年間220万人が引越して
 きて、150万人が出ていく。これが現実である。これは人生と同じで、遠く
から眺めるのと近くで見るのとは違って見える。例えば、医師や健康な人を
対象に、「三ヶ月の延命のための治療を受けますか」の質問に、「受ける」
と答えた人は僅か。ガン専門医で6%、化学療法士が0%、健康な人で10%。
それが、現に命の危険にさらされている人たちに尋ねると、42%が「化学療法」
を受けると、答えた。別の研究で、重病患者の58%までが、死が近づいてきたら、
たとえ一週間でも延命治療を受けるだろうと答えた。アメリカでは発行された
割引クーポンの4割が未使用で終わる。ギフト券も同様の結果になった。…】 
 ▼ その瞬間がくるまで、実態が理解できないのが人間。
 「その時は、その時」と、煙草を喫い続けた肺ガン患者が、その典型。
カルフォルニアで、良かった思っている人も多いだろう。とにかく、脱皮が
出来たのだから! しない後悔より、した失敗の方が、プラスの方が多い?
「若いうちの失敗は買ってでもしろ」というが。夢のカルフォルニアでも、
ハワイでも、一度は住んでみればよい。何処も変わりばえはしないことが、
分かるだけでも充分。その経験が無いと…  あとは次回。
・・・・・・
3623, 日本人発明の食べ物
2011年02月25日(金)
 カレーはインドのものだが、ライスの上に乗せてカレーライスたるものを
作ったのが日本人である。日本人は西欧の香りのするカレーを、ハイカラ、肉食、
手軽というカレーライスに仕上げた。明治の頃に明治政府が肉食を勧めるために
天皇が肉を食べてみせた。そして仮名垣魯文がカレーレシピを作ったのが始まり。
カレーといえば新宿の中村屋の純印度式カリーは有名で、香りが何ともいえない。
これは、東京帝大前のパン屋のハイカラ文化の経由。そして、極めつけが、
インスタントカレールー。 これで誰もが手軽に夕飯にカレーをつくれる
ようになった。これは、同じ頃に「すき焼き」が日本特有のものとして大衆に
浸透していった。 更に、『きむらや』は明治七年に銀座に進出し、やがてパンに
アンを入れたものを売り出したのが始まり。これもカレー、すき焼きと共に
日本文化の一つになっている。これは饅頭の皮をパンに思いついたのだろう。
 そして戦後になって、『チキンラーメン』と『カップラーメン』である。
日本というより世界屈指の発明である。これは日清食品の、創業者の安藤百福
つくりあげたもので、今や年間一千億食も食べられている。世界の一人当たり、
15食以上も食べられていることになる。 宇宙食として、災害や紛争の救援食
として、世界中の津々浦々まで浸透している。最近では、回転寿司である。
酢飯と魚が丁度、健康ブームとあいまって、爆発的に進出をしている。
古来からあるもの食文化を、外来のものとアレンジをして新たに日本人好みに
変えてしまったもの。最近は米粉を材料としたパンや麺なるものが出てきている。
 ところで、話しは違うが、日本の夜の世界のクラブ。着飾った女性が客に
サービス(踊ったり、歌ったり、話し相手になったり)する業種は日本だけ。
外国は、何?の前段階の品定めならあるが、ただ、接客や、雰囲気を楽しむのは
日本だけ。これは昔からある芸者遊びを現代版にしてものだが、何か、
上記の日本特有の食べ物と、進化過程が似ている。
・・・・・・
4730,近代化が進むほど、幸福感が少なくなるのは何故? ー4
2014年02月25日(火)
 * 口ーマ帝国の繁栄と共通する国際巨大資本 〜�   
       ー「経済予測脳で人生が変わる!」中原圭介著
 少しテーマと違う内容だが、国際巨大資本が、ますます肥大化をしている
反面、その恩恵を受けてきた新興国も変調の兆しが出てきた。巨大資本と
ローマ帝国の繁栄と衰退を類推して、その将来を見通すと・・ーその辺りからー
《 ローマ帝国が衰退した第一義的な原因は、ゲルマン人の侵攻とされています。
 しかし、その背景をより深く洞察すれば、�ゲルマン人に国を取り囲まれて、
新たな領土の獲得が困難となったこと、�その結果、戦争奴隷を獲得できなくなり、
ローマ帝国の経済基盤であった農業が衰退したことーのふたつが、実質的な衰退
の原因となったことがわかります。欧州から小アジア北アフリカまでを制覇した
巨大帝国は、ゲルマン人の武力ではなく、自らの経済力の弱体化によって歴史から
姿を消したのです。 この構図は、現代の国際巨大資本が、新興国や途上国で
資本主義の領上を拡大している姿と似ています。欧米の巨大資本は、労働力の
安い新興国や途上国に工場を設け、安価な製品を先進国に送り出すことによって
巨額の利益を上げてきました。
 ローマ帝国が領土を拡大できなくなってから衰退したのと同じように、
労働力が安価な国を追い求めるフロンティア開拓式の資本主義は、いずれ限界に
ぶつかります。実際に中国では、急激な経済成長によって沿岸部では人件費が
高騰しており、価格を武器に輸出を拡大することが難しくなりつつあります。
 また、「リーマンショック」による世界不況で、欧米の消費は冷え込み、
先進国への輸出によって高成長を実現してきた新興国や途上国は、かつての
高成長を保てなくなってきました。これらの国々に工場を建設して製品を輸出
していた欧米の巨大資本も、同様に成長を保つに四苦八苦しています。
農産物の生産が立ち行かなくなって崩壊に追い込まれたローマ帝国と同じように、
国際巨大資本も"国際分業体制"というビジネスモデルの限界にあと10年か20年で
到達しようとしている。時代や場所が違っても、同じ状況と条件がそろえば
歴史は繰り返すのである。・・・ 》
▼ 世界はアメリカによって実質支配されており、グローバル化などは、
 アメリカ規格の基準の順守を前提としている。情報化によるネット世界も、
その大元はアメリカが握っており、おお方がコントロールされている。
近代化=西欧化だが、それが果たして幸福を意味するか?というと、どうも
おぼつかない。金=神では、幸せになれる訳がない。 私自身を振り返ると、
一日の三分の一以上は、テレビかパソコン生活。確かに面白く、便利だが、
少し不自然。スポーツジムや、電動アシスト自転車にしても、これまで無かった
マシーンを使った文明のリキ。せっかくだから、使わない手はないが、
それに比例して幸せになったかというと疑問である。しかし、私自身、
毎日が面白く、楽しく、時間が足りないほどで、一日がアッという間に
過ぎ去るのも確かで、近代化の恩恵を充分に受けている。 
 幸不幸は、近代化が云々の問題ではなく、生き方の姿勢の問題である。 
現代のローマ劇場が情報機器ということか。
・・・・・・
5459,閑話小題 〜文枝のギャグ
2016年02月25日(木)
  * 文枝のギャク
 桂文枝の愛人問題、落語家の有名人なら今さらの話。奥さんにシゴカレて弱気
になっただけ、で、何時の間にか消えゆく艶話の一つ。女は強(したたか)か。
「たけし」なら、ニュースにならない。それが自然だからだ。「謝罪するから、
責められる」だけの話。 降番覚悟に『新婚さん、こめんなさい〜!』と、駄洒落
かましておけばいいのに。『独居老人になってしまう?』が、既にギャグ。
  * 物忘れが・・
 最近、買ったばかりの眼鏡が行方不明。相手は眼鏡だけに、探すのが大変。
年寄の行為の過半数以上が物忘れの探しものか、そのフォローと聞いていたが、
自分が当事者になるとは。 65歳を過ぎ、一線から退いた時から、それまでの
緊張感が一挙に激滅したが、その時期から、物忘れが始まった。本格的に老いる
のは、これからだから、怖ろしい限り。週に5日、スポーツジムで2時間の運動と、
4〜5時間の読書とパソコンをし、ドラマ、映画を、数本見たりしていて、これ
だから無趣味だったら、どうだろう。 他人の噂話で、溜まった毒を吐くしか
ないのか。その自身の毒で死ぬより、死ぬべき時に早々、逝ったほうが良い?
  * スポーツジム、1100回
 昨日、スポーツジムのフロントでチェックインした時、
『今回で1100回になります。』と言われた。500回の時と同様、指定日以外の
日祭日の一日無料券をもらったが、何で1000回でなく1100回? あと45日で
まる5年とすると、年間平均220日あまりになる。 週五日制で、盆暮、祭日
などの休館と、旅行などでの休暇を差引くと、こんなもの。当初の冷ややかな?
視線に、ヌシになれば平然としていられる。体調が改善していく手応えがある
のが良い。それと雰囲気が明るく健康的で良い。インストラクターの掛声の
もと、ポップスをバックに、一同で踊るような動作をすると、何故か心が弾む。
ある意味、現在の私にとっての社会の窓である。これで月6千円、一日あたり
300円は格安である。満足度は90点。
  * 歯医者通い   (昨日のバードウォッチに掲載分)
 一年ぶりに歯医者通い。今回は週一の割合で5回で終了。歯垢をとって、
歯茎の治療。毎日、歯の間を歯間ブラシで磨いてくださいというが、これが
どうも・・ で、隔月に通うことにした。 時間帯もあるのだろうが、最近、
お客の数が少ないようだ。 家内も、??科の医院に通っているが、近くに
新しい医院が出来たところ、それまで満員だった患者が激減したという。
年金生活者なら、医療費は大きな負担になる。
・・・・・
3988, 閑話小題 
2012年02月25日(土)
 * アマゾンの「なか見!」が良い
ネットの立ち読みとして最近、アマゾンのサイトの「なか見!」
を覗いているが、これで本一冊の半分以上の情報を得ることが可能。
その上に類似本が自動的に紹介されるので次々とチラ読みができる。
さらに、読者からの感想投稿文の要約が幾つかある。iPadで月々450円を
払うと多くの週刊誌や月刊誌を立ち読みでき、毎日の楽しみの一つである。 
その何冊かはバックナンバーをダウンロードすることが出来る。
バックナンバーでも、コラムとか、趣味のコーナーに面白いのが多くある。
去年の春にリタイアーし、気持ちに余裕ができ、腰を据えてネットや書籍を
読む環境が出来たのと、40数年の縛りから外れたのが大きい。
アマゾンのチラミの「なか見!」も、慣れてくると濃厚な読書タイムになる。 
あらためて「本はすごい!」「ネットはすごい!」と、実感する。
本屋の立ち読みをネットで可能になるのである。図書館と、近くのSCにある
蔦屋の書籍コーナーと、アマゾン内の書籍検索が、現在の私の情報収集の
ネットになっている。 ネット上に、まだ知らない有効なサイトが溢れて
いるのだろうが、私のレベルでしか、有っても、理解できないことも確か。
その人の経験と知識の範囲でしか、物事は理解できない。
だから好奇心と実行力が必要になる。
  * 生涯単身者
 私の従兄弟と私の兄を含めた17人のうち、早死にした私の兄三人を
除いて14人が結婚している。兄三人は既婚年齢を超えないで亡くなったので、
全てが既婚といえる。しかし私の息子を含めた甥っ子が9人にうち未婚が4人。
これから一人が結婚しても、三分一が生涯未婚の可能性がある。50歳まで
未婚の人の割合を「生涯未婚率」というが、1985年までは1〜3%で推移
していたのが、5年後の1990年に二倍の5・6%、2005年には16%で
6人に一人の割合に、現在30歳が50歳になる2030年には男30%が、
女22%と予測されている。今までの家族単位に重きを置く社会通念が、個人
単位になり、生活もコンビやスーパーで調理品や日用品を手軽に買うことが
出きる。目先、結婚する必要性がないのも大きな要因になっている。
ペットの犬は、子犬から飼わないと飼い主とはシックリいかない。
人間も同じで、適齢期を超えた者同士は、丁度良い相手と出会う確率は
歳を重ねるごとに低くなる。 30歳前後の男女と、40歳を超えた
男女とは、相性が年々悪くなっていく。

つれづれに

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  今日のYoutube

 オリンピックも今日で閉会。 
来月のパラリンピックに向けて動き出すが、
規模からみれば微々たる?もの。

 具体的に、4月の朝鮮戦争に向けた緊張度が高まってくる。
かなり際どい、情報がいきかうことになるが… 

 あってはならないが、今度は違う可能性が高い。
もしかしたら、今夜の米と北の話し合いが最後の機会になる? 
これだけは心配しても、如何なることもないが… 

 明日からの株式と為替が羅針盤になる。





 




・・・・・・・
・・・・・・・

3988, 閑話小題 
2012年02月25日(土)
 * アマゾンの「なか見!」が良い
ネットの立ち読みとして最近、アマゾンのサイトの「なか見!」
を覗いているが、これで本一冊の半分以上の情報を得ることが可能。
その上に類似本が自動的に紹介されるので次々とチラ読みができる。
さらに、読者からの感想投稿文の要約が幾つかある。iPadで月々450円を
払うと多くの週刊誌や月刊誌を立ち読みでき、毎日の楽しみの一つである。 
その何冊かはバックナンバーをダウンロードすることが出来る。
バックナンバーでも、コラムとか、趣味のコーナーに面白いのが多くある。
去年の春にリタイアーし、気持ちに余裕ができ、腰を据えてネットや書籍を
読む環境が出来たのと、40数年の縛りから外れたのが大きい。
アマゾンのチラミの「なか見!」も、慣れてくると濃厚な読書タイムになる。 
あらためて「本はすごい!」「ネットはすごい!」と、実感する。
本屋の立ち読みをネットで可能になるのである。図書館と、近くのSCにある
蔦屋の書籍コーナーと、アマゾン内の書籍検索が、現在の私の情報収集の
ネットになっている。 ネット上に、まだ知らない有効なサイトが溢れて
いるのだろうが、私のレベルでしか、有っても、理解できないことも確か。
その人の経験と知識の範囲でしか、物事は理解できない。
だから好奇心と実行力が必要になる。
  * 生涯単身者
 私の従兄弟と私の兄を含めた17人のうち、早死にした私の兄三人を
除いて14人が結婚している。兄三人は既婚年齢を超えないで亡くなったので、
全てが既婚といえる。しかし私の息子を含めた甥っ子が9人にうち未婚が4人。
これから一人が結婚しても、三分一が生涯未婚の可能性がある。50歳まで
未婚の人の割合を「生涯未婚率」というが、1985年までは1~3%で推移
していたのが、5年後の1990年に二倍の5・6%、2005年には16%で
6人に一人の割合に、現在30歳が50歳になる2030年には男30%が、
女22%と予測されている。今までの家族単位に重きを置く社会通念が、個人
単位になり、生活もコンビやスーパーで調理品や日用品を手軽に買うことが
出きる。目先、結婚する必要性がないのも大きな要因になっている。
ペットの犬は、子犬から飼わないと飼い主とはシックリいかない。
人間も同じで、適齢期を超えた者同士は、丁度良い相手と出会う確率は
歳を重ねるごとに低くなる。 30歳前後の男女と、40歳を超えた
男女とは、相性が年々悪くなっていく。

・・・・・・
2883, 現在のクラッシュは全面事故そのもの

2009年02月25日(水)

現代思想」ー金融恐慌特集ー の中で、
都市学の研究家が、スリーマイル島や、チェルノブイユ原発事故などを取り上げている
仏国のジャーナリストが、今回の金融危機を一連の原発事故と同じ視線で捉えているところが新鮮である。
「歴史」の加速現象が、これらの重大事故の主要な原動力として捉える。 これらは偶然ではない。
「歴史の加速」より、現実的なものへの加速への移行ではないかと。 このことを「進歩」という。
我われは、「現実主義」の時代を生きているが、一歩ふみこんで「瞬間の時代」に入ってしまった。
このような「できごと」を、切断という特異《唯一無二》の出来事の分析をすることを勧めたい。
《事故》は一つの発明であり、創出された作品である。

「金融活動」は、一つの仮想世界を創出した。しかし、これも現実の一部。
この仮想世界は、植民地に喩えることが出来る異邦性の一形態である。 移住可能な遊星の神話である。
今回の金融クラッシュの被害者は、サブプライム・ローンをかけた人々である。彼らは住拠を失いつつある人々である。
金融クラッシュは、国家そのものを不安定にしつつあり、株価や土地などの価値を落としていく。
我われは未来の生きられなくなってきている。 そこで、現在しか生きられないが、現在にさえも生きられなくなっている。
それが我われが現在経験していることである。 これは、原発事故が現に起こったときと同じこと。
人は「起きていること」を見抜かなければならない。無理解は恐れを大きくする。
私たちには恐れている暇など与えられていない。最も恐れるべきは、生活の全領域まで及ぶ、
個人的で内密的やる気無さです。あれやこれや、個人として行うことに及び腰になることである。
ーーー
解)解ったような解らないような内容だが、要は地球全体に大きな影響を及ぼす大災害と捉え、
 割り切って手を打つべきということ! とにかく次の爆発を最小限にし、多くの教訓を吸収すべきである。
 従って、チュルノブイユ原発事故と同じく二度と起きないように原因を展覧すべきである。
  ところで、昨日の昼飯で寄った喫茶店にあった「週刊ポスト」の中で‘たけし’が
 「今回の大不況は災害だから、派遣切りにあったホームレスに仮設住宅を与えろ、っちゅうの!」と、
 のたまっていた。もしかしたら、誰かが知恵を与えたのでは?と思ってしまった。
 世界を覆った大惨事と捉えれば、 日本中に一人当たり1万2千円をばら撒くより、緊急宿泊施設こそ優先すべきことである。
 そこで、麻生のズレタ感覚を面白おかしく茶化していた。
 職安で、仕事を探しに来た若者を相手に「自分の目的を持って仕事を探しなさい」と言った世間知らずは、
 あまりに御坊ちゃまと! 今さらだが、
 シェルターぐらいは作った方がよい。 アメリカは教会が、その役割を果たしているというが。
 
・・・・・・・・・・
2008年02月25日(月) 2518, 閑話小題 

*アース*
一昨日、最近出来たばかりの長岡の映画館で「アース」を観てきた。一人で映画を観るなど数年ぶりである。
新潟では、よく観たが・・・画面が小さいのがきになったが、それぞれ大きさが違うようだ。
この映画の中のカジキマグロが魚の群れを襲っているところと、鯨の親子の南極への数千キロの
長い旅路が印象的であった。二時間近い上映が半分近くに感じたのだから、内容があったのだろう。
還暦を過ぎると1000円というのがよい。1~2ヶ月に一度はいくか?

*何で今になって三浦?*
27年ぶりに。「ロス疑惑」の三浦和義アメリカで逮捕された。誰の目にも彼が犯人というのは明らかだったが。
あれから27年とは! 今の若い人なら「誰?」ということだろう。米国の連続ものTVドラマに「コールド、ケース」
が面白いので見ている。 この紹介文に日本とアメリカとの司法制度の違いが紹介されている。
 --“コールドケース”とは未解決凶悪犯罪のこと。
アメリカでは原則的に殺人罪に時効がなく、未解決事件がいきなり再捜査されることもある。
何十年も前の事件も、当時まだ無かったDNA鑑定など、現在の最新テクノロジーを駆使すれば、
解決の糸口が見つかる可能性は大きい。また当時の関係者が重い口を開き、意外な真相を語り出すことも……!
コールドケース」が「CSI」シリーズと異なるのは、回想場面で事件発生当時の時代背景を
細かなディテールに至るまで再現する点。 よって普通の犯罪ミステリーを超えた、
濃密なヒューマン・ドラマがそこに浮かび上がるのだ。 -- とあった。
 本人(三浦)も「青天の霹靂」であろう。三浦の殺人の無罪判決は検察とマスコミの敗北だった。
今回もアメリカが何時、無罪放免するかもしれない。
その結果、三浦が告訴による生活費確保の餌食を恐れて、報道の腰が引けているのが面白い。
この時期の逮捕は沖縄の暴行事件に対するアメリカの政治的な思惑と考えるとタイミングとして辻褄があう。 
また三浦騒動の始まりである。それより日本の司法の問題点が大きくクローズアップするだろう。

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2007年02月25日(日)
2154, 立川談志
               (~Q~;) おはよう~~ ファ~
先日のハイビジョン特集立川談志 71歳の反逆児 」( 2月20日(火)後8:00~)が面白い。
まずはNHKのHPにあった
 ー内容ーから、
立川談志といえば早くから「天才」と賛辞を浴び、鼻っ柱の強さで落語界、落語だけでなく政界でも大暴れ。
落語協会に公然と反旗を翻し、脱退して立川流を立ち上げ、まさに「破天荒」を絵に描いたような人生を送ってきた。
そのかれも、古希を迎えた。 世間的には“老境”の71歳。だが、執念を賭けた古典落語100席の掘り起こし、
若者のお笑いブームに真っ向勝負を挑む「独演会」の開催、ジャンルの違う後輩芸人との「果たし合い」ライブ・・・と、
なおアクセルを踏むかのような挑戦を続ける。
 もっとも、その心中は、ありがちな「元気な老人」のそれとも違う。飄々と斜に構えた枯れた反骨。
あくまでも談志流なのである。自分をおいて「本物の落語家」は無い、という強烈な自負心を背負った、
一代の個性派名人・立川談志。 その日常に密着し、落語への執念を描く。
 ーー                    ささ、お茶でも ((( ^_^)且~~ 
二時間近い番組だったが、時間がアッという間に過ぎてしまった。密着したカメラの前で赤裸々な
自分の姿を見せながら、自分の世界にいつの間にか引き込んでしまっている。何ともいえない迫力のある内容である。
ガンになり、何時お迎えが来るかわからない日々の中で、芸道を求めている姿。
年齢による体力の衰退と、うつ病との闘いで発狂寸前という際どい境界で、独り七転八倒している姿は、
見ていて感動さえおぼえた。(*◎ω◎*)~狂う ~♪

5年前にNHKの{心のたび・ベネゼイラ}で、テーブル・マウンテゥンの麓の村に滞在した番組があった。
たまたま、その一週間前の再放送を見ていた(三度目)。何度見ても味のある内容だった。ガンになって、
今後どう生きようかを考える旅でもあった。あの僻地で、暇な時間を持て余して、結局は落語の練習を始めてしまう
姿は、何か気の毒のように思えた。暇を持て余して現地人に「暇じゃないかい?」と弟子に聞きにいかせる場面があった。
その返事が何とも味があった。  「暇って何?」である。  ヒマ~(′O`)~3
もう一人の返事が、「ここには、ここの時間が流れている。暇というのは、
ここの時間の流れに合わない感覚ではないか」という哲学的な答えであった。

彼の言葉を幾つか紹介していたが、その中で「落語は人間の業を肯定するものだ」という言葉がよい。
人間の業と性(さが)を笑いの中で認めるということか?
特に自分の滑稽さを笑えるのは、それで自分を客観視していることになる。笑いと泣きは紙一重である。 
泣き笑いもあるが・・・ (^_^:
本当にきつい時は、笑いも泣きも出て来ないが!ごくごく身近に笑い顔の人がいるが、まあ幸せなことで! 
           (⌒▽⌒)/"”さいなら!
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2006年02月25日(土)
1789, おやじ、ありがとう ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]○o
               ー 読書日記

母親は家を象徴しているが、父親は社会の象徴になる。母親に対する思いの本は数多あるが父親に対する思いの
本は数少ない。
男にとって父親は煙たく、恐い存在であリ、人生の乗り越えなくてはならない大きな壁でもある。
私にとって父親は最大の恩人であり、教師であった。
この世で私を誰よりも愛してくれたのは、間違いなく父親であリ、次に母親である。
故人も含めて一人だけお礼の言葉を残すとしたら、「おやじ、ありがとう」である。´Д`*)ありがとぉ☆            
母親の夢は見ても、父親の夢はその数十分の一しかみない。でも、この世に生まれて一番恵まれたのは
「父親」であると確信をもっていえるのが幸せある。男が父親を語るとは、自分自身を語ることにもなる。
父親を否定するほど惨めなことはない。 自己否定になるからだ。
親元を離れて初めて両親の愛情を感じるものである。私の父親に関しての思いは、この随想日記で何回か書いてきた。
「商売が好きで好きでたまらない」が、父の姿であった。仕事が好きかどうかがプロとして一流化どうかの分岐点だろう。
父は、戦前、戦中、戦後と時代の変化に従って事業を変えていった。父親の姿を見ていて仕事の厳しさと人生を学んだ。
特にお金の哲学は家訓的に叩き込まれた。それにしては  ??
・仕事を楽しむべし!       ・人間を選んで付き合え!
質実剛健の生活を忘れるな    ・小金をつかうな!大金を使え
・肩書きを求めるな、実利でいけ  ・変化をみて、思い切った変身をすべし その為に情報に敏感であれ!
・人間は、まず疑ってかかれ!
 以下は、検索で調べた内容の紹介である。
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週刊現代の人気連載が1冊に! 有名人80人が登場(写真・インタビュー構成)

有名人が、父親との思い出を1ページの文章と昔の家族写真で綴ってある。
息子・娘に対する関わり方、自分の人生との向き合い方、奥さん(ときにはそれ以外の女性)
との接し方、息子・娘はそれらにどう反応したか(あるいは影響されなかったか)など、家庭によって、
また時代によって異なる千差万別のドラマが描かれています。
それほど道徳的でもなく、また恨み辛みがむき出しにもなっていない、どちらかというと平坦な文章が多いが、
それ故に一つの家庭を四苦八苦しつつ運営している身にとって共感することを随所に見出せる。
一人でも、みんなが集まるリビングでも、少し時間ができたときに何ページかめくってみたくなる暖かい本である。
執筆者に同年代の人が多いせいもあり、同窓会で久々にあった友人と「おまえのオヤジ、どうしてる?」
と話しているかのような気持ちにもさせてくれる。
                        ー さようなら ε(´',_c')зβyё
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2005年02月25日(金)
1424, DVD レコーダー

レンタルビデオ店の中の、DVDの棚が過半数を超えてきた。
映像ソフトも、主としてDVDで提供されるようになった。
ハードディスクで録画して観たり、その映像をDVDで記録して保存する
「ハードディスク・DVDレコーダー」が売れ筋になっている。
現在のDVDは、テレビ番組を録画する場合、1枚あたり6時間の記録が可能だが、
大画面で通常のテレビ放送並みの映像を期待すると2時間程度が限度だ。
最近は直接ハードディスクに長時間入力できる機種が多くなっている。
「ハイビジョン」は、現行のDVDでは映像は十数分程度しか記録できない。
   (以下、字数の関係でカット 2009年02月25日)

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2004年02月25日(水)
1057, あかさたな はまやらわ

以前から不思議と思っていたが、笑い声は、何故か「あ行」と「は行」に並んでいる。
  あはは   ははは
  いひひ   ひひひ
  うふふ   ふふふ
  えへへ   へへへ
  おほほ   ほほほ
 ある本を読んでいたら、「言葉の不思議」という内容でそれぞれの行ごとの類似性を紹介していた。
  (少しこじ付けかと思いつつ、それなりに説得力があった)
ー以下のとおりである。 
・「カ行」は、自分の主張や激しい感情を外に出すものが多い。 「かんかんがくがく」
「カッとする」「きりきりする」「苦労する」「悔しい」「喧嘩」「喧々ごうごう」「高圧的」
・「サ行」は、静かな感じが多い 「細心」「神経」「住む」「繊細」「楚々としている」
・「タ行」は戦い系が揃っている。
「戦う」「血」「力」「強い」「強い」「抵抗」「徹底」「闘争」
・「や行」は優しい系の気の軟さの言葉が多い。「優しい」「ゆかしい」「よよと泣く」
偶然ともいえないのが不思議である。私の名前は八郎である。ハチというと何か闘争的である。
  兄は三郎である。 サブは大人しい感じがするが、兄の性格は大人しい。名前にも霊力がこもって
  しまうのだろうか。少し話はそれるが、一番最初の「あ」と、最後の「ん」には深い意味があるという。
「あ、しまった!」の時につかう「あ!」は仏教語で「許し」という意味があるという。
その中に深い意味を感じる。 私の場合は「あ~あ」が口癖だが。

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2003年02月25日(火)
692, 「わたしを認めよ」ー3 読書日記

<面白そうなところを抜粋してみた> 
ーわたしをみよー 自己証明をめぐる闘争
 
 あなたのまわりを見渡してみるとよい。いや、あなた自身をかえりみるだけで十分だ。
自分の無意識の言動の大部分が、いかにつぎのような動機に基づいているかがわかるにちがいない。
世の中のほとんどすべての関係が、つぎのような証明動機に満ち満ちているかがわかるにちがいない。
ー自分がいかにうつくしいか、いかにカッコウいいか、いかに可愛いか、いかに若いか、いかに頭がよいか 
 ーこれからはーいかにーを省く。勇気があるか、度胸があるか、ユーモアがあるか、明るいか、優しいか、
いかに凄い体験をしたか、気がきくか、仕事ができるか、正しいか、ものがわかっているか、忙しいか、金持ちか、
ケンカガ強いか、酒が強いか、ざっくばらんか、大物か、太っ腹か、もてたか、セクシーか、性技巧に優れているか、
自己犠牲ができるか、子供思いか、親思いか、義理堅いか、正義感が強いか、努力をしたか、苦労したかー
(こうもくどくど列挙が文章上、下品だが、ここまで書かないとわたしの気持ちが悪い。ご寛容を。)・・・・
 ーつまり、わたしたちはこのようにいいたいのだーー
わたしを見て、わたしを振り向いて。
わたしを気にかけてくれ。
わたしを好きになって。
わたしを知って。
わたしを理解してくれ、と。
わたしを見る他人の「視線」。
わたしたちの自己証明は、すべて他人の「視線」をひきつけることに
費やされる。 この、わたしを見よ、と。
 ・・・・
 鷲田はさらにこのようにつづけている。
あるいは、生きることのプライドを、追い詰められたギリギリのところでももてるかどうかは、
自分が無条件に肯定された経験をもっているかどうか、わたしがわたしであるというだけで全部認められた
経験があるかどうかに言い換えてもいい。その経験があれば、母がじぶんを産んでしばらくして死んでも耐えられる。
こういう経験がないと、一生どこか欠乏感を持ってしか生きられない。
あるいはじぶんが親や他人にとってじゃまな存在ではないかという疑いが払拭できない。
つまりじぶんを、存在する価値あるものとして認めることが最後のところできないのである。
 鷲田は、家族による「無条件の肯定」は「じぶんを、存在する価値のあるものとして認める」と書いているが、
わたしはこれを、家族の無条件の承認は、じぶんを存在する意味のあるものとして認める、というふうにいいかえたい。
意味の承認は、価値の承認、より無条件であり、より根源的であると考えるからである。
わたしの考えでは、「無条件」ということは、「価値」からはでてこない。なぜなら、「価値」は交換可能(相対的)
だからである。じぶんという存在の「価値」を証明を求めはじめるのは、家族以外の関係性においてである。
すなわち、ひとりの異性(あるいは多くの異性)との性的な関係や、社会的な関係においてである。

ー感想ー
 かの文豪のドストエフスキーが24歳の時に「貧しき人々」が認められ文壇に出た時の話だ。
当時の著名な評論家のネクラーソフが、その原稿を読んで感動し、友人と連れ立って、夜明けに
わざわざドフトエフスキーを訪ねて「きみは天才だ」と激賞したという。
 その時の気持ちを、ドフトエフスキーはこう記している「胸がおどる!これが成功なんだ!だが、
私にとってなにより嬉しかったのは、彼らの思いやりだった。朝の4時に、二人は目に涙をためてやってきてくれた。
感激で胸が満ちあふれた」 彼のような暗い感じのする男でも、認められということは最大のこれからの作家生活で
必要な事であったのだ。
  ーーー
私の母の口癖は
「人を認めてあげなさい!だれもが認めて欲しいのだから」であった。
両親の呪縛があったとしたら、「両親の期待を失望させてはならない!」。両親の期待にこたえることであった。

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2002年02月25日(月)
342、20歳の頃ーある教授との出会い-1

この頃何を考えていたか、誰でもこの頃は大きなターニングポイントの時期であった。 土がたっぷり付いて
  いた田舎の青年が、それを必死に振り払い「自分に目覚め始めよう」としていた時期であったようだ。
キリスト教倫理の教授の「将来の自分の設計」というテーマを休暇に与えられ真剣に考たレポートを出した。
その内容に対し心の入った文章の返事が書いてあった。 200人の学生に対し、これだけ長い心のこもった
  返事を書くものかと感激をした。それとも「自分の真心に対しての特別の返事」だったのか?
鈴木教授という名前と、その授業が心のこもった内容であった事を憶えている。
私のその時書いた内容は、一ヶ月考え抜いた内容であった。
初めて第三者に自分の心情を真剣に書いた。いや書かされたのかも知れない。

要旨は「両親の生き方」に対し姉兄はその激しさにしり込みをした。そして安易な生き方を選んだが
(商売人よりサラリーマンに嫁ぐことを選んだ)しかし自分は両親の生き方を求めていこう。
今になって特に「父の生きかた」に男として魅力を感じるようになった、等々。
もしかしたら、「兄二人が20歳過ぎて不幸な死に方をしてしまった」とも書いたかもしれない。
心のこもった返事とは「その中で、よくぞ父の生き方を肯定をした。
そしてその生きかたを選んだ貴方にたいし心から賛同する。
貴方が自分自身で考え抜いて判断したことが素晴らしい!」 というな内容であった。
この時点で自分の行き方が変わったように思える。 いや決まったように思える。
もともと決まっていたのかもしれないが。俄然それから目標がハッキリした。
「事業を起こそう!人と違った生き方をしてやろう!父が目標だ!」