* あの電話は、オレオレ詐欺
 去年末の話になるが、家内の留守に自宅電話に不通知表示の電話が入った。
「こちらは警察署ですが、オレオレ詐欺についての調査で協力をお願いします。
それらしき電話はありませんか?」と。非通知のため、警察を名乗ったオレオレ
詐欺かもと警戒しながら応答をした。口調は警察そのもの。 最後に「充分、
気をつけて下さい!」と。オレオレ詐欺の探りか、仕込みなら、これほど巧妙な
方法はない。逆に、用心深くなるため、逆効果もある。…その後の展開を楽しみ
に待っていたが、今のところなし。考えすぎか?。10年数前になるが、自宅に、
『御主人が、市内の○○で交通事故にあいました。』との警察署からの電話。
家内が『あら、家に車はあるし、主人の勤め先は新潟で市内にはいないはず!』
と、答えると、即座にプッツン… 。
 ――
  * 実際の降雪量は例年に比べ…
 長岡から普通列車で30分ほどの三条駅から新潟寄りで積雪のために列車に
一晩、閉じこめられた全国版のニュースになった。他県の人がニュースで見ると、
よほどの豪雪かと思うが、私の住む長岡市は、数年来の小雪で60?あるかどうか。
ニュースからすれば中越地区は豪雪のイメージがあるが、大きな格差がある。
新潟の下越より中越地区の辺りが一時的豪雪で、地元の市内は例年に比べて小雪
こんなものである。以前、ギリシャ・ツアーに行く10日ほど前に森林火災が発生、
中止も考えたが、恐らく、九州の阿蘇山辺りの森林火災が、大々的に報じられて
いるはず」と… …で現地では、思った通り。マスコミの過剰報道そのもの。
冬期間では、列車の立ち往生もあって当然。全国版にすることもなし。
地元民も、過剰報道に応じたカメラ目線で受けごたえするため、何が何やら。
情報化は、その辺のインテリジェントがないと、害悪になる。早速、解説者が
真剣な顔をして対策の問題点を上げていたのが、それがはや何とも滑稽。
中越地震の際、医師をしていた同級生を褒めたたえるニュースを全国版で報じて
いた。 中越地震の報道の「味付け」に使っただけだが、早速、「励ます会」を
やろうじゃないかと電話が入った。それはそれで、いいじゃないかと思いつつ、
提灯行列じゃないかと心底の判断で都合をつけて断った… 田舎には狐も狸も
徘徊している。都心にもだが… TVディレクターは面白だろうに! 滑稽だが!
 もっと滑稽なのは… 誰でしょう? 

・・・・・・
3581, 閑話小題
2011年01月14日(金)
  * 人は知っている範囲しか、理解しようとしない!
 最近、つくづく思うことは、「人は知っている範囲でしか、ものごとが理解
しようとしない」ということである。そんなことさえ知らなかったのである。
恐らく、9割、いや9分9厘の人が、そのことに気づいていないのでは?
10年間これを書き続け、かつ哲学書を読み続けてきたため、論理的に捉える力
が以前に比べついていた。毎日、過去10年分の同月同日の文章を読み返して
いると、自分の能力の範囲がみえてくる。そこで、その範囲でしか理解して
ない自分を振り返ることになる。人間は可能な限り経験し、知識を深めて
おかないと、歳を重ね己の人生を鳥瞰した時に、その浅瀬の中で苦悶すること。 
どんなに深耕したと思っていても、振り返ると、その浅さに唖然とする。
特にネット社会では、キーワードを検索に打ち込めば、それに見合った情報、
知識が無限に入手可能になる。今年からタブレット式パソコンが普及、進化
を始めると更に、何処からでも、情報が入手、かつ見ることが出来る。
知っていることが財産でなくなり、即座に、知識を入手出来て、自分の頭で
消化する能力が必要とされる。しかし、それも知識の蓄積があればこそ、
無ければ、情報のまま消え去ってしまう。
  * 辺野古の移設先は「原子力空母」
 産経新聞のコラムで加地伸行が、辺野古の移設先を「原子力空母」にという案
を真面目にか、ふざけてか、提案をしていた。毎年、一隻ずつ、三隻つくり、
沖縄の沖に浮べておく。世界有数の造船技術があるのだから、可能なはず。 
一隻一兆円で、三年間で三隻で三兆円。沖縄南に一隻、日本海に一隻、尖閣列島
に一隻。 これなら沖縄の外で、県民からも文句は出まい。考えてみれば日本は
広大な海洋国家。こと何かがあれば、三隻が船団を組んで対処できる。
今迄の中で一番、良い案に思えるが。韓国が別に二隻をつくり、同盟でも結べば、
中国に対して大きな抑止力になる。その前に中国の圧力と国内の反対で潰される!
・・・・・・
5053,閑話小題 ー古希ですか!
2015年01月14日(水)
  * 古希ですか! 〜ちろりちろり、浮世は風波の一葉よ
 明日で古稀。還暦ほどではないが大きな目安である。よくぞ無事?に到達した
もの。身近の人をみていると、酒量の多い人は大方が70歳前半までに亡くなる。
それでも生きているの人は、刃物が入っている人?
 60歳を超える頃から、滑り台を下りるように、姿形と、内面の衰えが目立つ。
仏壇に祖父母の50歳代半ばの晩年の遺影があるが、私より一回りも下とは!
気持ちは実際、50歳後半で止まったまま。気持ちがより老化をすると思っていた。
 ところで、古希は、70歳のこと。 唐の詩人杜甫の詩
「酒債は尋常行く処に有り 人生七十古来稀なり」
(酒代のつけは私が普通行く所には、どこにでもある。
(しかし)七十年生きる人は古くから稀である)に由来する。
還暦は数えの61歳(満60歳)だが、古希は数えの70歳(満69歳)。 
1939年に双葉山が安藝ノ海に負けて連勝が69で止ると、当時の大相撲
ラジオ中継のアナウンサーがこれを引用し「やはり七十古来稀なり」
との名言が全国に放送されたという。父親の行年が満71歳。それまで、
あと2年になった。人生の元は、還暦までに充分にとった実感がある。
9年間で余白も埋めた感もある。「それでも何か侘しい」
という思いは意外と少ない。
 ところで、古稀といえば、以前、ここでテーマにした
閑吟集 四九〜五五』を思い出した。
  世間(よのなか)はちろりに過ぐる ちろりちろり   (49)
  何ともなやなう 何ともなやなう 浮世は風波の一葉よ(50)
  何ともなやなう 何ともなやなう 人生七十古来稀なり(51)
  ただ何事もかごとも 夢幻や水の泡 笹の葉に置く露の間に 
                   あぢきなの世や (52)
  夢幻や 南無三宝(53)
  くすむ人は見られぬ 夢の夢の夢の世を うつつ顔して(54)
  何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ     (55)
現在の私の心境は、まさに、このまま。 一期の夢と思いつつ、
うつつ顔して狂えなかった自分が、冷たく笑っている。まさに、
『 ただ何事もかごとも 夢幻や水の泡 笹の葉に置く露の間に 
 あぢきなの世や 夢幻や 南無三宝 』である。ちんちろりん!
・・・・・・
5418,人生で最も大切な技術 ー?
2016年01月14日(木)
       『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ・リカール著
  *「いのち」が存在の実相、「わたし」はフィクション!
 昨日、「人生でもっとも大切な技術ー?」をテーマに書いた。
ところが、去年の同月同日の{ 5052,生と死をめぐる断想 ー5
『生と死をめぐる断想 』岸本葉子(著) の内容の一節が、リカールの
幸福論につながる丁度よい答えであった。
< 玄侑氏が再三書いているのが、「わたし」と「いのち」の関係だ。
「いのち」は「わたし」の生れる前からある。
「いのち」に「わたし」がいっとき宿るのだと。
「いのち」が存在の実相で、「わたし」は頭で作り上げたフィクション。
 はじめにそう読んだとき、逆ではないかと私は思った。「いのち」が
「わたし」に宿っている、「いのち」が「わたし」の一部だろうと。>
何気ない言葉だが、幸福とは、この「いのち」に気づき、一体化した状態で
はないか!と。・・> 
 ある作家が、末期ガンを宣告され、呆然として2Fにある喫茶店の窓から、
帰路を急ぐ多くの群衆を見ていて、「私ひとりだけ消え去る」恐怖を
書いていた。群集にみえた、「いのち」と、消え去っていく「じぶん」の
対比が死の恐怖を鮮明に表現されていた。幸福感とは、未来のある群集の中に
感じた「いのち」を体現している感覚。至福に至った感覚、「至高体験」の
経験が蓄積され、何時でも、その感覚を引出せることこそ、幸せの理想。
秘境旅行の大自然との邂逅や、本を通した作家との融合で、感動した至福感
などの蓄積は、目先の現象などでは壊れたりしない。しかし、それさえも、
余命3ヶ月の宣告で、バラバラに破壊される?それほど、自己の死の確信は
恐ろしい? ガンで怯える岸本嬢が、玄侑氏と往復書簡をするうちに、
<「わたし」が「いのち」にいっとき宿る、「わたし」<「いのち」という
発想が自然なものになってきた。・・ それとは別に、「わたし」を超えた
何かもっと全体的な何かがあるらしいことを感じるようになってきた。>
 リカールは、幸せの獲得の妖術?に、瞑想を勧めているが、これは、
後でテーマとして取り上げる。毎日、夜半、4時間の爆睡の後、4時間の
半睡を瞑想の一つ?として味わっているが、これは時々「魔の時間」に
なることがあるが、大部分は「至福の時間」になっている。
それにしても、同月同日に「意味ある偶然の一致」が、あまりに多い!
・・・・・・
5783,福田恆存の「私の幸福論」〜?
2017年01月14日(土)
              「私の幸福論」福田恆存
   * 快楽と幸福 ーB
 快楽に近い言葉に、「快適」がある。
ネット辞書によると、
「快適」は「心地よい」、
「快楽」は「楽しく過ごしている時に感じる喜び」とあった。
これからして『幸福』とは「快適な状況」で、「喜びを感じる楽しい感覚
ということになるが、それほど簡単に幸せには決めつけられない。これは、
生物だけが実感できる感覚といえば、その極めの体験が『至高体験』。
大自然の壮大な景色などや、偉大な芸術作品に出会った時の感動で、対象の
波長と一体化した状態をいう。感激は心の振動、感動は魂の振動である。
  〜その辺りを抜粋〜
≪ 快楽や快適を目指すところには、その底に利己主義がひそんでおります。
 刹那的な快楽主義の場合、誰の眼にもそれは明かです。
が、エピキュリアニズムのような個人主義になると、外界にわずらわされぬ
「不動の心」というような精神的美徳を表看板にしているので、私たちは
その底にある利己主義に気づきにくいのです。
さらに、社会主義共産主義福祉国家となると、貧しい人々の利害を考え、
「最大多数の最大幸福」というような合言葉が出てくるので、そこに利己主義
があるというようなことに、誰も気がつかないのであります。 

人間は人間の道具にはならない。にもかかわらず、快楽というものをつきつめて
いくと、どうしてもその極限には、相手を自己の欲望充足手段としか見なさぬ
生きかたに辿りつくのです。だから、私は快楽というものを、おのれ一人に
しかかかわらぬ孤独な迷妄だというのです。

快楽の思想にはなにかが欠けている。私たちはそのことを反省すべきです。
皮肉なことに、私たちに欠けているものの一切を埋めようとする快楽思想に、
わたしたちにとってもっとも大切ななにかが欠けているのです。
それは幸福の観念であります。

「不幸」というのは、ただ「快楽」が欠けているということであり、
「快楽」でないということにすぎない。

私たちは自分の欲するものを得るために戦わなければならない。
その戦いにおいて勇敢でなければなりません。が、今日、「正義」の戦い
を称道する人たちの大部分が、ただ勝利のためだけしか考えていない。
そうなると、敗北すれば、すべては犬死にであります。

将来のことを考えたら、誰も自信がもてないのが当然であります。
思うに、私たちはなにか行動を起すばあい、「将来」ということに、
そして「幸福」ということに、あまりにこだわりすぎているようです。
将来、幸福になるかどうかわからない、また「よりよき生活」が訪れるか
どうかわからない、が、自分はこうしたいし、こういう流儀で生きてきた
のだから、この道を採る」そういう生きかたがあるはずです。いわば自分
の生活や行動に筋道をたてようとし、そのために過ちを犯しても、「不幸」
になっても、それはやむをえぬということです。

「将来の幸福」などということばかり考えていたのでは、いたずらにうろうろ
するだけで、どうしていいかわからなくなるでしょう。たまたま、そうして
得られた「幸福」では、心の底にひそむ不安の念に、たえずおびやかされ
つづけねばなりますまい。それは「幸福」ではなく、「快楽」にすぎません。≫
――
▼<「不幸」というのは、ただ「快楽」が欠けているということであり、
 「快楽」でないということにすぎない。>  幸・不幸は、あくまで
受止め方でしかないが、「恒産あって恒心あり」が前提にある。快楽を
満たすためには、満たすだけの力量が必要。私たちは、利己主義と個人主義
混同してしまいがちになる。公共、公正を守った上に、自分優先に考えるのが
個人主義である。しかし、公共・公正の解釈は各自違うため、誤解が生じる。
 考えてみれば、不幸も、幸福も一時的妄想に過ぎない。
【笑っても、泣いても同じ空】なら、笑える状況を自らつくっておいた方が
良いが、どうだろう。隣人を卑下した笑いではなく! 互いに楽しむ笑いでさ。
追文) これも全くの偶然で、以下の文章に文脈として続いていく…
・・・・・・
3946, 終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか ー3
2012年01月14日(土)
  * 陸と海のたたかい    「終わりなき危機」 水野和夫著  
ヴァスコ・ダ・ガマコロンブスによって海洋に進出し、近代化を始まった。
これは、要するに、「欧州における北アメリカの開発に伴う超長期のブーム」
の出発と捉えることができるとウォルター・ウェップが述べたが、19〜20
世紀初頭になって、近代化は米英によるアジアの開拓史へと受け継がれ、
「地理的・物的空間」を広げていった。さらに、1970年代半ばから、
米国は「電子・金融空間」を高レバレッジで無限に膨張させようと試みた。
そのブームが終わったのはベトナム戦争とドル危機が、その象徴であった。
膨張を前提にする「近代史」は本来、そこで終わっていた。 その後、
大きな物語」を「電子・金融空間」をつくることで近代は延命したが、
リーマン・ショックでどうやら先進国におけるバブルの宴は終わったようだ。 
「海の時代」の構造を前提としているポンド・ドルの基軸通貨体制が成り立って
いるのだから、膨張が止まれば、その危機が起きて当然である。・・その中で、
第一次石油ショックと第二次石油ショックを乗り越えた日本も、バブル崩壊
の後、原油の暴騰から日本の「実物投資空間」が輝きを失う一方で、
「電子・金融空間」を築いた米国は一見輝いてみえ、「金融帝国」化してゆき、
日本も、それを見習えと主流をなした。しかし、本当に深刻なのは、日本がいま
一度、近代化の輝きを取り戻しさえすれば何とかなると思っていることにある。
その象徴が「成長戦略」であり、デフレが景気回復の妨げになっている考え方。
9・11のテロは、陸と海のたたかいの構図そのものである。
 資源を紙切れ=ドルで持っていかれて、民のほとんどは貧しいまま。
その反撃があのテロと想定すると合点がいく。海と空を制圧したアメリカが、
その上に「電子・金融空間」を更に付け加え世界を制圧し続けていた。
その新たな空間の象徴が、あの二つのビルであった。そこに飛行機をミサイル
として攻撃したのだから、アラブの連中からしたら「してやったり」である。
それを口実に、原油や鉱物資源の宝庫の、アフガン、イラクに的を絞って
攻撃をしたのだから、著者の、この戦いの縮図とみることができる。
・・・・・・
4688, 閑話小題 ー高校サッカー勝戦の劇的結末!
2014年01月14日(火)
   * 奇跡的逆転勝ち
 今年の高校サッカーの準決勝、準決勝、決勝が面白かった! 
特にに昨日の決勝は劇的。 2対0で負けていた富山が、最後の数分で
追いつき、更に延長で逆転勝ち。滅多にみられない試合である。 
 ーまずは、ネットの記事よりー
【 [全国高校選手権決勝 富山一3-2(延長)星稜 国立] 
  富山一が「国立最終章」で頂点に立つ!! 
 第92回全国高校サッカー選手権は13日、国立競技場で決勝で、ともに初優勝
を懸けた富山一(富山)と星稜(石川)が激突。2点を先取した星稜に対し、富山一
は後半42分から2点を奪い返して同点に追いつく。2−2で延長戦へもつれ込んだ
一戦は、延長後半9分に交代出場のMF村井和樹(3年)が決めた決勝ゴールによって
富山一が3−2で勝ち、初優勝を飾った。・・2大会ぶりとなる決勝での延長決着。
延長戦では富山一・竹澤の左足ミドルがゴールを襲い、星稜・藤田の左足ミドルが
クロスバーを叩く。再び突き放す1点を狙う星稜は延長後半6分に長谷川に代えて
MF川森直威(3年)を送り出した。延長決着か、PK戦突入か。緊張感高まる中で死闘
に決着をつけたのは村井の左足。延長残り1分でこの試合初めて勝ち越した富山一
は、最後は大塚に代えてMF平寛治(3年)を投入して守り切り、初の日本一に輝いた】
▼ 高校サッカーは、最後の数分の2対0に何かが起こる可能性があると、
 アナウンサーが何度か言っていたが、この大会の失点がゼロの星稜が、このまま
勝つと判断、一度、書斎に行きかけたが、優勝の瞬間を見てからと居間に戻った。
ところが、その直後に二点差を撥ね返し、延長で奇跡的逆転勝ち。高校選手権決勝
として歴史に残る名勝負になった。それに監督の息子が終了間近の反則のPK戦
同点に追いついた、ドラマ仕立て。サッカーは、さほど好きでないが、全国大会
の準々決勝からは毎年、見ている。そこではドラマのような試合が次々と生じる。
 金沢に在住していたこともあるが、やはり無名の富山一を応援したいのが人情。
この大会で、全て失点ゼロの星稜が、最後の数分で2失点で同点とは、驚き。
下手な映画より遥かに面白いのが、ライブの真剣勝負である。
  あのような場面では、何かが乗り移るのだろう!
・・・・・・
4321, 病気の9割は薬なしで治る  ー2
2013年01月14日(月)           
    * 医者のマジック  「病気の9割は薬なしで治る」 高田明和 (著)
 この本の題名からして「医者の出す薬は9割が必要ない気休めのため」という
ことになる。医者も商売の一つであることを患者も自覚すべきである。
この情報化により、医者の特権意識も薄れてきたが、まだまだ、好き放題。  
  ー目に付いた箇所を抜粋してみるー
・医師が「手術の成功確率が5分5分」という場合、(万一を考えてるため)
 8割方が大丈夫とみてよい。
・生存率も同じこと、1〜2年と思っても三年というケースが多いのは、
 短めに告げた方が無難のため。
・最近、よく言われる「予備軍」に対して、言われたほうは過剰に反応
 しすぎになる。 過剰反応する患者に薬を投与して半患者にするケースがある。 
 過剰反応に注意すること。薬は売り上げに大きく貢献する。
・「病気は気」から「病気は情報」へと化している。少し前までは、少しの
 ノボセや目まいの症状は、歳をとれば当たり前と思って病院には行かなかったが、
 TVなどで更年期障害?と心配して病院に行くようになる。そして、薬を貰って
 安心する。また少し腰が痛くなると病院に行き、診断する。腰は人類の数十万年
 の永遠の課題。まして歳をとれば大方の人が経験する。タミフルという風邪薬の
 服用で子供たちの異常行動が問題視されたが、インフルエンザでの異常行動は
 以前からあった。しかし、それをマスコミは報じない。つまりタミフルは冤罪。
・著者はうつ病を「脳の下痢」という。たまたま何かの原因で、脳の伝達物質の
 働きが悪くなっているだけ。ところが、脳を臓器としての脳としてでなく、
 頭脳としての脳と結びつけて考える人が多いため大きな誤解を生んでいる。
・「薬と毒はコインの裏表」すべての薬には効果の裏側には副作用がついて回る。
 特に、うつ病や、ガン治療に使う薬は毒性の強いものが多い。目先を乗り越える
 のが現在の医療。薬は短期的に効果はあるが長期的には毒薬の場合が多い。
生活習慣病は基本的には運動と食事療法が一番効果がある。
 決して薬だけでは治らない。
▼ ジェネリック薬品が話題になっているが、これは製薬会社が開発した医薬品
 の特許が切れた後に、別のメーカーが同じ有効成分でつくる後発医薬品
 最初に開発された薬は新薬や先発薬とよばれるが、この先発薬と同等の有効成分 。
 「ジェネリック薬品にして下さい」と事前に言うと言わないとでは大きな差。
 ドラッグストアで薬を買うのも同じ。
 ・・・・・・・・
3206, 閑話小題
2010年01月14日(木)
  * ツイッター、その後
 昨年暮れにツイッターを一月続けてみようと思い立ち現在に至っている。 
ブログを維持するのが大変だが、ツイッターなら誰でも直ぐに出来る。
ツイッターはチャットとブログを足して二で割ったようなミニブログで、
ブログを維持するほどのエネルギーを要さない。ブログの文章はテーマを考え
文章を書くが、ツイッターはテーマは必要なく自然のツブヤキを書く。
キーワードはネット上で選んでくれる。 私のブログのテーマは、殆ど
「つれづれに」である。したがって内容は【つぶやき】に近いもので、
その時に自然に発生してきた思いを書いている。ツイッターに写真を貼り付け
可能だが、分類の仕分けは出来ない。世界のツブヤキが地域を越えて行き交う
とは面白い時代である。ブログから『ツイッター』へ多くの人が移行している
というが分かる。撮った映像をツイッターに載せるサービスもある。
どこからも発信できるので、現場の臨場感のある映像が瞬時に発信される。
自分のブログを常に文章に貼り付ける人が多い。
連動するので親子ブログのようになる。。
  * 日本航空の破綻
 (字数の関係でカット2012年1月14日)

つれづれに

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今日のYoutube

 やはり、早朝は寒い。それでも腰痛は今のところ出てない。
 スポーツジム通いの効果のためか。 積雪も70㎝ぐらいか。
 でも、車には乗れそうである。問題は来週の積雪具合になる。

・・・・・・
・・・・・・

4321, 病気の9割は薬なしで治る  ー2
2013年01月14日(月)           
    * 医者のマジック  「病気の9割は薬なしで治る」 高田明和 (著)
 この本の題名からして「医者の出す薬は9割が必要ない気休めのため」という
ことになる。医者も商売の一つであることを患者も自覚すべきである。
この情報化により、医者の特権意識も薄れてきたが、まだまだ、好き放題。  
  ー目に付いた箇所を抜粋してみるー
・医師が「手術の成功確率が5分5分」という場合、(万一を考えてるため)
 8割方が大丈夫とみてよい。
・生存率も同じこと、1~2年と思っても三年というケースが多いのは、
 短めに告げた方が無難のため。
・最近、よく言われる「予備軍」に対して、言われたほうは過剰に反応
 しすぎになる。 過剰反応する患者に薬を投与して半患者にするケースがある。 
 過剰反応に注意すること。薬は売り上げに大きく貢献する。
・「病気は気」から「病気は情報」へと化している。少し前までは、少しの
 ノボセや目まいの症状は、歳をとれば当たり前と思って病院には行かなかったが、
 TVなどで更年期障害?と心配して病院に行くようになる。そして、薬を貰って
 安心する。また少し腰が痛くなると病院に行き、診断する。腰は人類の数十万年
 の永遠の課題。まして歳をとれば大方の人が経験する。タミフルという風邪薬の
 服用で子供たちの異常行動が問題視されたが、インフルエンザでの異常行動は
 以前からあった。しかし、それをマスコミは報じない。つまりタミフルは冤罪。
・著者はうつ病を「脳の下痢」という。たまたま何かの原因で、脳の伝達物質の
 働きが悪くなっているだけ。ところが、脳を臓器としての脳としてでなく、
 頭脳としての脳と結びつけて考える人が多いため大きな誤解を生んでいる。
・「薬と毒はコインの裏表」すべての薬には効果の裏側には副作用がついて回る。
 特に、うつ病や、ガン治療に使う薬は毒性の強いものが多い。目先を乗り越える
 のが現在の医療。薬は短期的に効果はあるが長期的には毒薬の場合が多い。
生活習慣病は基本的には運動と食事療法が一番効果がある。
 決して薬だけでは治らない。
▼ ジェネリック薬品が話題になっているが、これは製薬会社が開発した医薬品
 の特許が切れた後に、別のメーカーが同じ有効成分でつくる後発医薬品
 最初に開発された薬は新薬や先発薬とよばれるが、この先発薬と同等の有効成分 。
 「ジェネリック薬品にして下さい」と事前に言うと言わないとでは大きな差。
 ドラッグストアで薬を買うのも同じ。
・・・・・・
3206, 閑話小題
2010年01月14日(木)
  * ツイッター、その後
 昨年暮れにツイッターを一月続けてみようと思い立ち現在に至っている。 
ブログを維持するのが大変だが、ツイッターなら誰でも直ぐに出来る。
ツイッターはチャットとブログを足して二で割ったようなミニブログで、
ブログを維持するほどのエネルギーを要さない。ブログの文章はテーマを考え
文章を書くが、ツイッターはテーマは必要なく自然のツブヤキを書く。
キーワードはネット上で選んでくれる。 私のブログのテーマは、殆ど
「つれづれに」である。したがって内容は【つぶやき】に近いもので、
その時に自然に発生してきた思いを書いている。ツイッターに写真を貼り付け
可能だが、分類の仕分けは出来ない。世界のツブヤキが地域を越えて行き交う
とは面白い時代である。ブログから『ツイッター』へ多くの人が移行している
というが分かる。撮った映像をツイッターに載せるサービスもある。
どこからも発信できるので、現場の臨場感のある映像が瞬時に発信される。
自分のブログを常に文章に貼り付ける人が多い。
連動するので親子ブログのようになる。。
  * 日本航空の破綻
 (字数の関係でカット2012年1月14日)
・・・・・・

2841, 雲頓庵 -2
2009年01月14日(水)

 この寺は何ともいえない磁力があり、新鮮だった。勝沼という若い僧侶がいたが
20年前に行ったところ新井石龍の養子?に収まり、副住職になっていた。
この坊様が面白い人物だった。次回に彼について書いてみる。まずは石龍禅師から…

 ーS63・07 新井石龍禅師に学んだ事 ー②
夜十時頃、一人で本堂より三百m先に入った禅堂で坐禅のマネ事をしていた時の事。
我慢で時おり襲ってくる恐怖感に耐え、そろそろ本日の終了と思った矢先。誰もいるはずのない
堂内に何かの気配!雲水に因縁めいた話を聞いた事も手伝い恐怖のどん底に落とされました。
私の人生で二回の超恐怖体験の一つです。 大声を出し、逃げ出したいのをこらえ震える足で
本堂にたどりつきました。雲水と“医者の卵”と“弁護士の卵”と四人で、懐中電灯と棒を各々
持ち、恐々禅堂にその正体をたしかめに行ったところ、猫位の大きさの獣物だったのです。
逃げられないように禅堂の戸閉まりをして翌朝に持ちこみました。
再び四人で棒を持ってその獣物の正体をたしかめに行ったところ、何と“モモンガ”だった。
そこで“生け取り”と追いかけ回したのですが、途中から反対に歯をむき追いかけられる仕末。
野生の獣と直接対峙したのは初めてでしたが、その殺気には驚いてしまった。その時騒ぎを
聞きつけた老師が我々の一人の棒をとりあげるや、一撃でモモンガをたたき殺してしまった。
その気合のすごさに本当に驚いてしまいました。20才そこそこの大の男が4人逃げまわって
いるのに、90歳近くの禅師が何のためらいもなくただの一撃! 私自身その時、合気道
3年近くやり、少し逆せていた時だけに、その迫力にショックをうけてしまった。
結局武道も禅よりみると枝葉でしかないのか?等々。禅師の一面をみた事件でした。
 ---
 当時の日記が残っている、書き残すということは生きた痕跡を残すことである。
写真もしかりだが、日常の何気ないことほど細かく残すと数十年後に、それが網の
ようになり、多くの記憶が戻ってくる。過ぎてしまえば4年も40年も同じである。
・・・・・・・・・・・
-1968年8月31日日記帳より
今日雲頓庵に来る。卒論の勉強の為だが、予想どうりのところだ。早速座禅をくんでみる。
足が痛くなり無我の境地にさほど遠い。現在の自分が求めていたもののヒントを与えそうだ。
ここに慶応大学を卒業して弁護士の試験勉強をしている高橋さんと、立教女学院の短大生が
10人位いる。面白い人ばかりで明日帰ると言う。帳面を忘れてきた。
これから当初の目標の計画立てだ。
  ー9月1日
朝5時に目が覚める。鐘の音が聞こえてくる。6時半に起き早速掃除をする。朝食前に
高橋さんと裏山に登ってみる。昼、彼女らが帰る。昼飯時にこの寺の後見人という人と話す。
午後は離れの一室で「流通革命」を100ページと「流通機構の話し」を60ページ繰り読む。
勉強の集中力が足りないのがいらだつ。明日より気を入れなおさなくては。夜は10時にうとうと
してしまった。
 後記ー独りで夜30分禅堂で座禅をくんでみる。
ロマンチックな感がする。誰も見ていないので自分との闘いだ。
  ー9月2日 六日町 雲頓庵
朝6時に目が覚める。6時半に顔をあらい掃除をする。食事の後、「流通革命」を後半100頁を
読み終える。そして昼飯。小千谷の根本医院の長男がやってくる。二浪とか「つらいだろう!」
13時から17時半まで「流通機構の話し」を読む。中央公論の流通の切り取りも読む。
何か集中が足りない。21時半に禅堂にいって座禅をくむが、何かごそごそという音がする。
こわごわ見ると猫みたいなのがいる。一瞬凍りつく!よく見ると小さなイタチみたいだ。
皆を呼びにいく。全員でそれを追いかけまわす。逆に歯をむいてくる。
とりあえず戸締りをして、次の日にする。
  ー1968年9月3日
目が覚めるが時計が止まっていて何時かわからない。本堂に行くと6時10分、顔をあらって
いると、住職が昨日の動物を退治しようと長い棒を持ってやってくる。そして気合もろとも
その動物をたたき殺す!凄い気合だ。よく見るとイタチでなくモモンガであった。
顔を見ると可愛い顔をしている。少し気の毒に思った。昼飯後、住職とわれら3人組で裏山に
茗荷を取りに行く。それが結構面白い!かごで3杯とる。午後の勉強は3時になる。
急に将来のことを考えると、不安が押し寄せる。相変わらず、読書のペースが遅い。
  ーー
 40年の時空を超えてというのも、自分のことだから実感できる。書いてあるからである。

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008年01月14日(月)
2476, 閑話小題
                    ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]
 *大相撲初日の感想!*
大相撲の年三回開かれる両国場所の初日が、それも初場所の初日が特に面白い。それが昨日で
あった。朝青龍の復帰の場所と、時津風部屋のリンチ殺人事件が、大きく取り扱われている
タイミングもあり異様な感じが漂っていた。幕下の取り組みから、若手有望力士を見分けて
やろうと見たが、有望なのは旧ロシア圏とモンゴルの若手だけ。元アマチュア世界チャンピオン
など、1~2年後に三役間違いない力士が4~5人、横綱間違いないというのが、二人もいた。
そのうち、半分は怪我で潰れるが・・幕下、十両に有望な力士の厚みが、全体のレベルに
つながってくる。
 (字数の関係で、中間カット09年01月14日)

ーところで「パンデミック」をWeb辞書で調べてみるとある感染症が世界的に流行することを言う。
感染爆発。これに対して感染症が一部地域で、あるいは散発的に流行することは「エピデミック」
「地方流行」と呼ばれる。
  歴史的なパンデミックとしては、
・14世紀にヨーロッパで流行した黒死病(ペスト)、
・19世紀から20世紀にかけて地域を変えながら7回の大流行を起こしたコレラ
・1918年から1919年にかけて全世界で2500万人(4000~5000万人という説もあり)が死亡した
 スペイン風邪などがある。
現在の世界は、航空機などの輸送機関の発達によりパンデミックが起こりやすい体制になっている
ため、検疫を行うなどして感染症流入を防ぐ対策がとられている。近年東南アジア諸国で発生。
高病原性鳥インフルエンザウイルスH5N1型によるトリインフルエンザにより、現在でも
パンデミックが起こる恐れがあり、世界保健機関が途上国を中心に対策を立てている。
日本では、厚生労働省を中心に地方自治体が対策をとっている。
                (Оゝ∀・О)バイバイ!
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2007年01月14日(日)
2112, 塩野七生が「日本の政治と政治家」を語る -2
                才八∋ウ_〆(∀`●)
 ローマ帝国の歴史を熟知している欧米の政治家からみて、日本の政治家の演出があまりにも乏しく
みえるのは解る。国家連合を1400年も維持してきた政治センスは一朝一夕で出切るものではないが。
しかし、真似ることも、学ぶ事もできるはずである。また国家のために一身を投げ打つ覚悟が出来て
いるかどうかもある。
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*民主主義の仕組みの中で、理想的な政治家は生まれるのでしょうか? 果して民主主義は絶対的
 な善なのだろうか?
  塩野:私は日本人に少し違和感を感じるのは「民主主義を信じすぎ」ということです。
   民主主義は万全でない、デマゴーグに左右されるのです。
*政治家の粒が小さくなったと言われますが、どうですか?
  塩野:それは政治家を使い捨ての存在だと思ってないからです。
   使い捨てだと思えば、その人の一番いいところがどこだと考えて使います。
   権力は「必要悪」でなくて、何かをやるために「必要」なのです。この頃の政治家は面白くない
   という議論は、20歳そこそこの若い女性が「この頃の男は面白くない」というのに似ています。
*政治家は善人には出来ませんね
  塩野:安部のような旦那様にはできますがね。一度だけ小泉元首相会ったことがあります。
   彼は私が書いた「マキャヴェッリ語録」の最後の「天国に行くのに最も有効な方法は、
   地獄へ行く道を熟知することである」という言葉が一番好きだと言いました。
   「政治家は地獄へ行く道を熟知していて、国民を天国になるべく連れて行こうとするが、
   自分は地獄へ行ってしまうのです 一歩間違えば地獄に行く可能性があるから我々は注意するのに、
   「天国にお手てつないで行きましょう」と言って、地獄を忘れさせてしまう。♪
*阿部首相は就任後、印象が変わった。首相を演じているように思えますが。
  塩野:日本の政治家はTVの使い方が変だと思います。TVの前で話す時、カメラの前に何千万の
   人がいるいると考えるのではなく、たった一人のひとを相手にしている思えばよいのです。
   一人に分ってもらえればよいと思い書いている。そこを小泉さんは分っていた。
   一億を相手にしている思えば「俺は死んでもよい」なんていえますか。
*文章や弁論でも、戦っていると迫力がありますね。
  塩野:ある政治家が「政治家は有権者のニーズをくみ上げて・・・」と言うから、私は、
  「有権者は自分のニーズをはっきり分ってない。あなた方が喚起すればいい」
   と言ったのです。有権者が「そう言われればそうだ」と反応すれば勝ちである。
 ーーー
 文章も、演説も同じである。
 一人を相手に書く、自分に対して話しかけるのがポイントである。小泉は罰一で、阿部は
「あの上さん」がいる。 独りになる時間が圧倒的に少ないし、上さんにエネルギーを取られ
 てしまう。小泉は、常に独りで自問自答している言葉で、効果的なものを言えばよい。
 その差が画面にそのまま現れている。日本は早急に大統領制を取り入れ七つ位の州に国家機能を
 分割して、思い切った改革をしないと、国家衰退を止めることができない。それと天皇制もあり方も、
 根本的に考えないと・・・ 厚生年金が最近まで世界トップの22万円だった。それが欧州の何カ国
 に追い抜かれ、30万円以上の国が出てきたのだ。その鍵が、円がユーロに対し数年前の70数㌫に
 なったからである。 国家が衰退していくということは、円の価値がドンドン下がっていくこと。 
 日本人の力のある人は、チャンと先手を打って財産を海外に移動している。  
 放置していた政治家と国民の責任であるが、国家が衰退するということは、1人1人の財産や、
 生活が衰弱していくということになる。  まあ、先がそれほどあるわけではないからよいが・・・               
                               \(^▽^*)バイ!
・・・・・・・・・ 
2006年01月14日(土)
1747,新潟駅・駅再開発が決定!
           オッハヨ~
        (((。・-・)从(・-・。)・゜・。・゜゜・*:           
 昨日、市役所に駅再開発の経過を聞きに行ったところ「最終決定された!そして近々に公示。
 年度内(三月末)着工に向けて最終の詰めに入っている。」という。
 昨年末に市と県のそれぞれの審議会で、計画案が通ったという記事はHPで見たが、
 市役所で決定を直接聞いたので間違いだろう。 当社にとって待ちに待った朗報である。
 これから十数年は工事関係の長期滞在の宿泊が見込める上に、 駅周辺の地価の下げ止まりと同時に、
 これまでの急激な値下がりの反動が見込める。着工前と、着工後というくらいの大きな断層になる。  
 新潟県下越の一極集中は新潟駅周辺になる。 これで、とにかく「生存レベル」ではクリアする。
 当社にとって4棟のホテルと200坪の駐車場が道路拡張など計画案のど真ん中に入っているので、
 この決定は大きい。 いずれにしても再開発のプラスのエネルギーが当分つづくことになる。 
 年度内着工のおりには内祝である。  ^   
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2005年01月14日(金)
1382, 23歳の日記ー8  ー9月01日 1969年
 (字数の関係でカット2009年1月14日)
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2004年01月14日(水)
1015, 一人と独り
 度々この言葉の書き方を迷うことが多い。私の場合は、状況から「疎外感を持っている状態」を
「独り」と書き、数名の一人の場合を「一人」と書いていた。独りは、独身や孤独などの置かれた
状況をいい、一人は、一が人についている状態で孤立とは違う。したがって独りという言葉とは
少し意味が違ってくる。数字で言うと一人は「一」で、独りは「ゼロ」ということか。
 辞書で調べると
・ 独り ー単独、孤独「独りになりたい」
・一人 ー人数「息子が一人います」となっている。
状況と数の違いということだ。凍りつくような独身生活と青春を謳歌している独身生活とは同じ独り
でも、また意味が違ってくる。老人の自殺は、凍りつくような独り生活に耐えられなくなるケースが多い。
生涯を通じて、自分独りの楽しみを創ってきたかどうかだ。しかし連れ添いや子供を失った喪失感は、
それでもカバーできない場合がある。この随想日記も早朝、独り居間で書いている。
全く寂しいとか、辛くて書いてはいない。どちらかというと面白い。「独り」は「真我」といってよい。
自分の中心点の奥の「正一点中心無」といも言えるだろう。
 
ー以下はインターネットで調べた内容をコピーしました。ー
 ー「独りって…」
  ある人が言ってたよ。 一人と独りは違うとね。私はその言葉にうなずくよ。
  私は独りだけど独りじゃない。私には、友達も仲間もお母さんもいる。でも、私は独りです。
  どんなに幸せな時間が流れても さっきまで、仲間と笑ってる時間があっても独りの寂しさは
  やってきます。 人間、しょせん独りなんです。
   ーーー
 -ひとりでいるのは寂しくない?-
  誰かに聞かれたことがあった。「一人は寂しくなんかないよ。」たしか俺はそう答えたはずだ…
   でも  ―――独りは怖い―――
  心ではそう思ってはいたが、外に出すことはしなかった出しても気付く人はいなかった 
  「一人」と「独り」の区別を知らない者・・・

 彼らは幸せ
「独り」の寂しさを知らないから「独り」になったことのない”幸せ”な人たち
”孤独”という単語は知っていても理解することは出来ない者達、そう彼らは知らない  
 知らないから”幸せ”でいれることを

 けど知ってても幸せになる方法を 教えてくれた人がいた『一人は怖い?』
 ――怖くないよ。ただ嫌になるだけ――

『独りは嫌い?』
 ――嫌い――
『じゃ、一緒にいよう? だったら独りじゃないよ』そういったのは誰だっけ?

・・・・・・
2003年01月14日(火)
646, 教育を考えてみた

昨日は成人式だった。少し硬い教育を考えてみよう。過疎の学校の生徒の成績は普通の学校の生徒より
かなり落ちるという。学校の統合や廃校で父兄が反対運動をするが、これは生徒側から見たらマイナス。
常識的に考えれば、一人当たりの先生の比率が圧倒的に多い過疎の方が成績が良くなってよいはずだ。
それが反対に悪くなるのはどういうことだろうか? いろいろな問題が含まれている。あまり管理が
行届いて、子供の遊びや工夫の目を摘んでしまう事や子供同士の動物的刺激が最小に済んでしまうからだ。
小学校高学年から中学にかけての虐めや、ライバルとの闘いが意外と人間性の基礎をつくっているのかも
しれない。多くの人間との接点の中より人間の基礎がつくられるのが真実ということだろう。
小学校5年までにその人の能力の基礎は確定してしまっている。そこのベースより抜け出せないともいう。
小学校や中学を見渡しても、大化けした同級生は全くいない。逆はいくらでもいるが。
これからの時代は、今までのような学業の成績だけでは判断されないから難しい。
自分で自分の特性を早く見つけて、自己育成を早い段階で積み上げなくてはならない。
昨日の成人式でノーベル賞をもらった小柴さんが「やりたいことを見極めて」と言っていた。
「自分のやりたいことを見極めることは、そう簡単なことでない。
食わず嫌いせず、いろいろな事を自分で試してください」と。もう遅いのか?最後のチャンスなのか?
「あなた何がしたいの?」とある若い人に聞いた。「何にもない!ただ流されるまま生きていければよい。
この時代何をしても上手くいくはずがない。時代が悪いのだ。」
開いた口が塞がらなかった!でもこれが若い人の半分以上を占めている感覚である。
大学を卒業しても就職口ない時代、自棄になるのは解らないでもないが。
そういえば地元の?? 問屋の??2代目が同じことを言っていたのを母から聞いた事を思い出した。
親父が「俺なら幾らでも創業のネタがあるが、ああなっては人生終わりだ」という内容。
「人生どんな時でも前向きに切り開いていく能力」が教育の基本だが。今の日本の中途半端の
挫折がこういう雰囲気をつくっている。最後は悲観的になったが、教育はすべての基本だ。

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2002年01月14日(月)
300、「心と合理化」

「合理的とは最小の資源で最大の効果を求めることである。しかし心構えとして必要なことは、
最大の努力で最小の効果である」若いときに出会った言葉である。そして全てに対してその気持ちの
構えでとり組んできたー精神論もいいところだ。これは知る人ぞ知ることである。意外とこれは
落とし穴かもしれない。それを可能とするのが、本当にそれが好きかという根本で決まってくる。
「好きと嫌いはどれほど違う、命ただやるほど違う」という都都逸があった。
好きなことをしての一生と、そうでない一生では天と地の位の差がある。
私の場合、事業と箱作りービル建設である。したがってこの30年、全く苦労した感はない。
周辺に波乱万丈の人生を生きてきたとかいう人がいるが、それが何なんだとつくづく思う。
好きなことをやってきたという人生こそ大事なことだと信じていきてきた。他人の批評は所詮他人
の脳の歪みでしかない。この前ベトナムに行ったとき、定年直前のバスのドライバーが二人できていた。
本当に楽しそうに旅行を楽しんでいた!子供のとき自動車に憧れ、大人になったらドライバーになると
決めていた。本当に夢がかなってよかったとシミジミ言っていた。決して社会的に高いわけでないが、
人生の後半にそれを言えることが最も大事だと思うようになった。心とはそういうものだ!

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1月14日 1969年

11時過ぎに起床。 食後、卒論の最後の仕上げだ。 16時に酒井君がくる。
佐藤の友人で早稲田の男で何か気が合う。酒を買ってきて、佐藤と三人で飲む。
酒井君に「私は防御が強すぎる。そして直に針を出して、人から自分を守ろうとする。
如何でもよいことまでも突き詰めてしまうと。自分をあまりに大事にしすぎだと。
もっと自分を下から見るべきか。
・「観念構成のために最もよい燃料は経験である。 直接的な経験は一番上等な燃料になる。
 こういう経験はいつまでも身についてくるし、必要な時にはドンドンでてくる」
・「賢人の最も美しいあり方は、きわめて控えめな言葉を使って、極めて強烈なことを言うことにある」
・「自分自身の考えを信じること、人知れず深く考え、自分にとって真理であることは全ての人にとって