* 無知は、教養より金がかかる
<教育にはカネがかかる。とはいっても無知にもカネはかかる。
                    〜クラウス・モーザー卿 >
☆ 何とまあ、人生をシリアスに切って捨てた言葉である。
 そう、人は無知で失った方が、知っていたが故に得たことより遥かに多い。 
なればこそ、無知を少なくし、知識など教養を長年かけ蓄積しておかないと。
私の場合、5歳までの、家系としてのベースが貧弱だったということ?
いや、それは99%の人たちに当てはまること。ならば学び続けるしかない。
[馬鹿は死ななきゃ治らない] としても。まだ、自覚しているからマシか。
「知らないバカ」と、「知ってるバカ」と、どちらがマシ?
「知ったかバカ」もいるが、「知ってるバカ」は、すくいがあるか?

   *  BE(なる)―DO(する)―HAVE(持つ)
<目標は、この3つのうち『持つ』の部分。スタイルが良くなりたい、恋人や
配偶者といい関係を持ちたい、あるいは百万ドルほしい、こういった目標は
どれも何かを『持ちたい』です。目標が決まると、次に、そのため何をなす
べきか、リストを決めます。問題は、スタイルが良くなる、金持ち、BEの状態
になること>
☆ 以前、<上手くいったから幸福になるのではなく、幸福であればこそ
 恐れることなく上手くやれる>という幸福論の一つの道理について触れた。
< BE(なる)の状態なればこそ、―DO(する)のプラス循環の結果、―HAVE
(持つ)になる>  6年前の大きな節目からこの方、見えたのが、マイナーの
人たちの視線。彼らは自れの傷口の膿を、他人の傷口に塗りつける自傷行為
業の磁力が強い。マイナーのばい菌は、人に塗りつけると、他者のばい菌が、
当人の膿を更に濃厚になる。その毒のため、何人かが倒れていったような。 
自業自得、いや事業自毒。 これは私自身にも当てはまることだが。
 で、当時、直ぐに実行した手順が、2ランク上の習慣づけ。慣れてしまえば、
習慣自体は「第二の天性」となるはずだが… ただ淡々とコナシテいる。
ベストのことは、張りのある充実感と、毎日が兎に角、面白いこと。
 〈・BE=充実感のある日々 −> ・DO=生活習慣 −> ・HAVE=楽しみ〉
『こんな日々の何が楽しい?』かって。 『いいじゃないですか!これで…』

・・・・・・
5574, 突然、余命宣告を受けました ー?
2016年06月19日(日)
    『あの世へ逝く力』 小林玖仁男著
   * 自殺願望の八割が、いざとなると
 苦しめるために生かしておくような延命治療なら、そうそうの安楽死を選択
したいが、現実は痛み止めの薬を強くすることで早めに死に導く。安楽死
ついて、まだまだ議論が足りないようだ。 考えてみれば、人間は穏やかな
自殺か、安楽死の道を歩いている。 自分の死の決断こそ、最期に残された
人間の最大の自由の行使になる。  〜その辺りから〜
≪ 現在スイスでは安楽死が認められていますが、興味深いデータ報吉がある。
 自殺蓄助による安楽死を希望する場合、希望者の医療記録を徹底的に分析し、
生き続けていくのが困難だと判断された場合にのみ致死量の薬が処方される
そうです。しかしここからが驚くべきことなのですが、安楽死のための薬の
処方が可能と判断された患者でも、いざ安楽死可能と分かった時点で"自殺願望"
が弱まるというのです。その割合が何と八割もの人々の自殺願望が急速に冷める。
つまり、「苦しみながら死を待つ。この生き地獄から抜け出すことが可能と
分かれば、この理不尽に社会が理解さえ示してくれれば、我慢もできる」と
言っているのです。やはり、倫理観からも、宗教観から見ても、家族の手前も、
「苦痛だから死ぬ」というのは、どこかでなじめないのかもしれません。
だから、「この苦しみに、大いなる同情と、法的な権利さえくれればそれで
いい。我慢もできる」と。気持ちを分かってさえくれればー。そういうこと
なのではないのでしょうか。≫
▼「苦痛を最小に消え去りたいため、余命を告げられたら、早々、リンゲルの
 大量投与を」と思っていたが、「いざ安楽死が可能になると、八割が自殺
 願望から冷める」という事実。何だろう、これは? 
 〜ところで、私が生死に関する言葉で、気に入ってるのが、
<死ぬことは、生前の自分が存在しなかった状態に戻るだけ>
<遺伝子が私の身体を借りていただけ、それが無くなっても、数限りない
 遺伝子が、何処かの身体を通して生き延びる。「私」など他愛のない存在>
<充実した過去と現在を生きている(きた)なら、死など、恐れることはない>
<死んでしまえば、それまでよ。生きている内、できる内。>
<当人にとって、『死』は存在しない。死んだ瞬間、本人は存在しないのだから>
<宇宙の彼方から地球へ旅に来て、見るだけ見て、するだけして、帰っていく
 のが死である。> 
それにしても、辛いだろうに。

・・・・・・
5209,閑話小題 〜何気ない会話の中で
2015年06月19日(金)
   * 何気ない会話の中で
 先日、中学校の来週の同期会の幹事の打合せの会で、顔は何となく憶えて
いるが、話を1〜2度したかしないかの男が隣席に座って酒を酌み交わす
中で、私が、『以前も話をしたかもしれないが、たしか40年以上、消防隊員
になったと憶えているが・・ 』と語りかけると、次の言葉が返ってきた。
『自分は、当時の花の中卒で、地元の津上製作所に入社。同期の殆どが、
夜間高校に4年通い、高卒の資格をとって地方公務員に転職をしていった。
自分は消防署に勤め変え42年間、勤め上げた。』と、さらりと言った。
15歳で働きながら高校資格をとって地方公務員になり勤め上げるコース。
こういう人生もある。これまでの私の恵まれた?生活環境と、あまりに
掛離れた生活環境に、言葉が出なかった。地道だが、地に足のついた
恵まれた人生である。 問題は、自分の歩んできた人生を肯定できるか
どうか。消防士といえば、火事と救急救命の現場の仕事。そこでは、
様々な露出した人生模様が垣間見れる上、生き死にの瀬戸際に立ち合う。
小さな世界の安穏とした人生を根こそぎ否定してきたが、それも人生。
彼にとって、救急搬送と、消防は、生き死の境目の現場の仕事である。
何か世間とかに捉われていたのは、逆に自分ではないか? 日々、是、
目覚め。それぞれの人生を否定も、肯定もしてはならない!ということ。
数年後?には、私なりの結末(死)が待っている。 貴方もだが・・
 『ああ〜、面白かった!』と、心底から言えるかどうか。
そういえる背景には、いえるだけのエネルギー量が必要だが。
・・・・・・
4844,「事業人生を決心して45年」の語り直しー18
2014年06月19日(木)
   * 衣料量販店のコツ
 肩書きは取締役本店店長。通称、「店長」。母が社長で、兄が専務。
家業そのもののパパママストア。出社日から多くの判断が次々と求められたが、
衣料量販店経営など全く知らない白紙からの出発。ところが、その白紙状態が、
結果としてベストに働くことになる。心だけでなく、何事も、空即是色である。
四日市、神戸、桑名、金沢、千葉と渡り歩いてきたが、いずれも、駅前は競争
激化と、新興のチェーン店の進出で、劇的な変化の過程であった。ところが、
当時の豪雪は、現在と比べようもないほど多く、冬期間は、雪の壁が、町を
遮断する特殊の商圏でもあった。そのため、地元百貨店が二店。
金沢の百貨店と、寄合専門店ビルと、実家である衣料量販店と、その支店の
ファッション衣料店が、そして駅に隣接した一等地に大型チェーン店が、
駅前のメイン通りに並んでいた。しかし、豪雪地区のため、他県からみれば、
その波の強さは、穏やか。この本店、規模の割には、「超繁盛店」で全国で
知られていた。その中での、御家騒動は、世間話の絶好のネタ。
 本店の過去のデーターは、全てを前任者が持ち出し、その上に、前任者達の
意をくんだ残留者は無言の抵抗。一週間、二週間経つうちに店内の商品が底を
ついてくる。その中、地元の問屋の一社が、当面、全面協力をしていた。
そうこうするうち、私の知らぬ間に、秋物衣料相場が、値崩れを起こしてきた。
普通なら、導入期に一通り秋物を並べ、次の最盛期に値崩れの仕入れをして、
稼ぐ。しかし、導入期の商品が無い中の、絶妙なタイミングに、東京、大阪へと、
現金を持って初めての仕入れ。何も知らないのに知ったふりの緊張感の中での
仕入れは、今でも忘れられない。そして、何とか値崩れの仕入れが終わった。
そして次回は、名古屋、大阪、岐阜へ現金問屋や、メーカーへの飛込み仕入れ。
その時、思い浮かんだのが、父と中、高校時代に一緒にまわった記憶。
まずは、一回り目は情報を取り、そのシーズンの流行と、相場を把握。その後、
商品を選び出し仕入れていく。それも現金で。右上り時代の中で、誰も忘れて
いた商売の原点を、動物的直感で綱渡りの瀬戸際で、始めていた。何とか一月が
過ぎた頃、店に高崎の有力衣料問屋の部長が訪ねてきた。店頭の立話しだったが、
現在の経緯と、自分の経歴と、現状を手短に話したところ、『当社として、
全面的に協力します!』という。暫くしてから、その意味を知った。それは
『その窮状を、産地問屋として、当分の間、原価ギリギリで商品を提供します!』
であった。これが、大きかった。それに現金を持って産地を歩く、基本的原理を、
父から教わっていたことも大きい。これで、地元の問屋、メーカー、百貨店の
相場を根こそぎ叩き壊す、本来の姿に戻ったことになる。その中、その年末は、
思いもよらない暖冬で、冬物衣料の相場が大崩れをした。他の大型店は、事前
予約の冬物の在庫の山だが、当方の店の中は、予約など無しのカラ。
その中での、大阪、岐阜、岡山、に現金を持っての仕入れ。多くの筋ものが、
半値以下の大量仕入れ。それを、そのまま、小利で売りに出せば、大当たりに
なって当然。 時代の流れもあって、全てが、プラスに働いていた。
激変の中、むしろ既存の常識無視の方が、プラスに働く。
・・・・・・
4477, アベノミクスへの疑問
2013年06月19日(水)
 日本経済の危なさは、二年前の事業断念に至るプロセスで直接、肌で感じ
取っていた。ここでバブル経済とは、とんでもない誤りを犯そうとしている。 
「10年後に一人あたりのGDPを150万増加」など、方向は逆。
それも以前に放り出した元首相二人が恥ずかしげも無くである。
何人かの経済学者がアベノミクスに批判をしているが、円安、株高の現象の
前に表立っていない。 先日、図書館で借りてきた
文藝春秋4月号に神谷秀樹のレポートーアベノミクス「危険な熱狂」ー
があった。ネットで調べたところ、これを簡略したブログの内容があった。
★ ーブログにゃんと〜 ー神谷秀樹『アベノミクス「危険な熱狂」』
              文藝春秋4月号の一部を抜粋ー
≪◎ アベノミクスを冷静に分析し「A=アセット(資産)、B=バブル、
 E=エコノミクス」と揶揄している人々がいるが、彼らのほうが正しい
 ことは、いずれ歴史が証明する。いま喜んでいるのは、バブルに乗って
 一儲けしたい投機家ばかりだ。「持続可能な経済基盤」を構築するものには、
 人口、中産階級の収益力、イノベーション(技術革新)、エネルギー価格、
 政府の健全な財政等々があるが、中央銀行はここに述べた経済成長の大きな
 要因のうち、何一つコントロールできない。
◎ 安倍政権は「市場にお金が不足している」と考えているようだ。
 だが、これは完璧に間違った認識、市場にはお金があり余っている。
 企業はもてあますほど現金を持っており、日銀の当座にも銀行が使い
 切れない「ブタ積」が山ほどある。 
◎ 株価が上がって投機家は喜んでいるが、何も企業の競争力が回復した
 わけではない。企業の持つ外貨資産の評価額が上がっているだけの話だ。
 (中略) 外貨建ての資産が評価益を出すということは、裏返せば円建て
 資産が、国際通貨のバスケットで見れば価値が目減りしていることになる。
◎2000年代初めから民主党に政権を譲るまで、
  自民党政権時に彼らが行なった不況対策は、
 ?「円安麻薬」で輸出ドライブをかけること、
 ?「契約社員化」で賃金を切り下げ、国際競争力を維持することだった。 
  しかし、この政策は完璧に破綻。
 「インフレを起こせば賃金が上がる、雇用が増える」というのは、
  全くのイリュージョン(妄想)で、「国際的に価格競争力を失ったのは
  円高のせいだ」というのもイリュージョンだ。 競争力を失った理由は、
 同じ質の労働に対する賃金が海外に比べ高い、製品の質の面でも優位に
 立っていないことだ。
◎「バブル崩壊の対策は新たなバブルの演出で」が正しい処方箋でないのは
 「失われた二十年」で学んだ筈だったが、実際には学んでいなかったようだ。
 ABEがバブルを大きく膨らませれば膨らますほど大きな破綻を日本に
 もたらし、その時はもう復活不可能なほどの致命傷となるだろう。≫
▼ グローバル化の中では、日本一国の金融緩和でコントロールが出来よう
 はずがない。アベノミクスは、一部の輸出産業と大手の金融機関がプラス
 になるだけ。逆にマイナスのエネルギーは、弱者を直撃する。
 二ヶ月前の地元の高校の同級会の当初からのメンバー20名をみると
 (5人が死亡)、この1〜2年で私を含めて6人が倒産、廃業、自殺、経営
 責任での辞任などで(半数近く)やられたことになる。そう遠くないある日、
 中国かアメリカの投機筋から、売りを浴びせられ株価が暴落するだろう。
 参院選前にもう一度、そして、参院選挙の後の秋あたり。
・・・・・・
4103, 閑話小題 ースローヨガ
2012年6月19日(火)
   * スローヨガ
 スポーツジムで週二回ヨガに参加して三ヶ月間、殆んど休まず26回参加。
ところが一月程前からオウム教の元信者の逮捕が相次いでいる。オウムはヨガ
教室を隠れ蓑に信者を引き込んでいた。それ以来、ヨガ教室のイメージが悪く
なり何処もピンチに見舞われていたが、時間と共に愛好者も増えてきている。
私の参加しているのは50人定員で、平均40人位が参加している。
これだけの数がエアロビの教室内で一同に会して暗闇の中で、ヨガのポーズを
とっていると不思議な感覚になる。 ヨガは回数を重ねるごとに、その空気に
馴染んでくる上、終了前の10分位の間、仰向けで大の字になって意識を
身体から出すイメージを持つ時間が良い。マントラの音楽を聞きながら、
全身から力を抜いて宙游した気持ちが何時までも続いて欲しいと思ってしまう。
それを利用してマインドコントロールをしたのがオウム教。俗世の汚濁に戻り
たくなくなるのも分かる。 毎朝、自転車で信濃川の二つの大橋を一周する
のを習慣化して三年目になるが、ヨガの世界に似ている。大手大橋で弥彦山
から米山までの100キロ近い展望の中、引きチャリをしながら半眼で、深呼吸
をして「地球の中心点を擬人化したX」と対話を10分近くしている。
それが、ヨガの最後の仰向けの瞑想?と似た感覚である。 精神的・肉体的
にもベストの経験を、毎朝のポタリングと、週二回のヨガで体験している。
早朝の農作業も、似たような気持ちになるのだろう。「ヨガは肉体も精神も
宇宙の一部とみなし、同化させる業」というところからみて、当然のこと
だろう。魂が現れ出るということか。
  * 日本の初めての流行歌は?
 近代的な流行歌第一号は「宮さん宮さん」だそうだ。明治元年・一八六八年
三月に薩長土肥の官軍が錦の御旗を押し立てて、東海・東山両道から江戸に
向かって進撃する道々うたったもの。したがって日本軍歌の第一号でのある。 
現代の流行歌第一号は、大正三年、島村抱月の芸術座が帝劇で上演した『復活』
の劇中歌「カチューシャの唄」。松井須磨子が舞台でうたって大ヒット、
翌年レコードに吹き込んだ。女優松井須磨子はまた流行歌手の第一号でもある。
流行歌のスタンダード・ナンパーとして、現在も広く演奏され、うたわれている
「船頭小唄」は大正一〇年ごろからはやったが、歌の大ヒットに目をつけた
松竹が、当時新人女優の栗島すみ子で映画化し、これも大ヒットし「小唄映画」
と呼ばれる流行歌の映画化第一号となった。他にの説が多くあるが。
 ・・・・・・・
3737, 自分の居場所のみつけかた ー?
2011年06月19日(日)
            「自分の居場所のみつけかた」ー斉藤学
 この?を書き上げた当日(一昨日)、偶然に録画をしていた話題作の
「告白」を見た。これが、この本からヒントを得たのでは?と思われる異常
教育ママ(モンスターママ)の犠牲者・少年の殺人が引き起こしたストーリー。 
奇妙な偶然である。  ーこの映画の概要をHPから、まずコピーから。
【 2009年本屋大賞に輝いた湊かなえの同名ベストセラー小説を原作に、
 教え子にまな娘を殺された中学校教師の復讐を描くミステリー。
事件にかかわった関係者たちの告白によって真相が明らかになっていく緊張感
あふれるドラマを作り上げた。ストーリー: とある中学校の1年B組、終業式後
の雑然としたホームルームで、教壇に立つ担任の森口悠子(松たか子)が静かに
語り出す。「わたしの娘が死にました。警察は事故死と判断しましたが、娘は
事故で死んだのではなくこのクラスの生徒に殺されたのです」教室内は一瞬に
して静まりかえり、この衝撃的な告白から物語は始まっていく……。
その一人の犯人の少年は、モンスターママによる幼児の頃の執拗な教育で、
歪んだ手のつけられない少年になっていた。】
▼ なかなか面白いストーリーである。現在の小中学校の学級崩壊も背景にある。
 どこの家庭にも、多かれ少なかれある問題。両親の関係が、そのまま子供形成
に影響するのは親なら身に憶えがあるはず。その極端なケースから、極端に歪んだ
子供が育ってくる。子供を殺された松たか子役の恨みと怨念は危機迫るものがある。
 この競争社会の時代、子供の基礎能力は必要だが、ついて行けず、心の中で
大きな歪みが出てくる。そこに自分の若かりし頃を振り返れば見えてくる。 
常に黒い影に終われ、何処にいても落ち着かず、他に行けば何かがあるはずと
焦っていた自己不一致の日々。それが若さというものだが、それが家庭崩壊や、
自己崩壊を生むことになる。 特に「ゆとり教育」が実施された時代に育った
世代が親になっている現在、その子供たちの荒廃は、社会問題になってくる。
更に携帯電話など情報端末が子供たち間に普及した中で、親も含めた大人たちは、
その対応が分からない。親からして、「自分の居場所」が見つからないのだから、
子供たちは情報の洪水の中で、得体のしれない化け物になっていく。
現在問題になっている、ニート世代(20〜40歳)は、家庭からも、会社
からも、社会的訓練がなされてないため、居場所がない。ある意味で、アメリ
による日本属国化政策の完成が現在の日本である。我々は、その恐ろしい現状を
目撃していることになる。他人ごとでない、自分自身が、その集約化した人生
だったと言えなくはない。そこまで悲観的に見ることもないが、現在の日本の
政治の有り様を見ていると、その集約が、もしか自分に当てはまるのでは?と、
思ってしまう。最後はリーマンショックでトドメか!


   * 無知は、教育より金がかかる
<教育にはカネがかかる。とはいっても無知にもカネはかかる。
                    〜クラウス・モーザー卿 >
☆ 何とまあ、人生をシリアスに切って捨てた言葉である。
 そう、人は無知で失った方が、知っていたが故に得たことより遥かに多い。 
なればこそ、無知を少なくし、知識など教養を長年かけ蓄積しておかないと。
私の場合、5歳までの家系としてのベースが貧弱だったということ?
いや、それは99%の人たちに当てはまること。ならば学び続けるしかない。
[馬鹿は死ななきゃ治らない] としても。まだ、自覚しているからマシか。
「知らないバカ」と、「知ってるバカ」と、どちらがマシ?
「知ったかバカ」もいるが、「知ってるバカ」は、まだ、すくいがあるか?

   *  BE(なる)―DO(する)―HAVE(持つ)
<目標は、この3つのうち『持つ』の部分。スタイルが良くなりたい、恋人や
配偶者といい関係を持ちたい、あるいは百万ドルほしい、こういった目標は
どれも何かを『持ちたい』です。目標が決まると、次に、そのため何をなす
べきか、リストを決めます。問題は、スタイルが良くなる、金持ち、BEの状態
になること>
☆ 以前、<上手くいったから幸福になるのではなく、幸福であればこそ
 恐れることなく上手くやれる>という幸福論の一つの道理について触れた。
< BE(なる)の状態なればこそ、―DO(する)のプラス循環の結果、―HAVE
(持つ)になる>  6年前の大きな節目からこの方、見えたのが、マイナーの
人たちの視線。彼らは己れの傷口の膿を、他人の傷口に塗りつける自傷行為
業の磁力が強い。マイナーのばい菌は、人に塗りつけると、他者のばい菌が、
当人の膿を更に濃厚になる。その毒のため、何人かが倒れていったような… 
自業自得、いや自業自毒。 これは私自身にも当てはまることだが。
 で、当時、直ぐに実行した手順が、2ランク上の習慣づけ。慣れてしまえば、
習慣自体は「第二の天性」となるはずだが… ただ淡々とコナシスしかない。
ベストのことは、張りのある充実感と、毎日が兎に角、面白く楽しいこと。
 〈・BE=充実感のある日々 −> ・DO=生活習慣 −> ・HAVE=楽しみ〉
『こんな日々の何が楽しい?』かって。 『いいじゃないですか!これで…』

・・・・・・
5574, 突然、余命宣告を受けました ー?
2016年06月19日(日)
    『あの世へ逝く力』 小林玖仁男著
   * 自殺願望の八割が、いざとなると
 苦しめるために生かしておくような延命治療なら、そうそうの安楽死を選択
したいが、現実は痛み止めの薬を強くすることで早めに死に導く。安楽死
ついて、まだまだ議論が足りないようだ。 考えてみれば、人間は穏やかな
自殺か、安楽死の道を歩いている。 自分の死の決断こそ、最期に残された
人間の最大の自由の行使になる。  〜その辺りから〜
≪ 現在スイスでは安楽死が認められていますが、興味深いデータ報吉がある。
 自殺蓄助による安楽死を希望する場合、希望者の医療記録を徹底的に分析し、
生き続けていくのが困難だと判断された場合にのみ致死量の薬が処方される
そうです。しかしここからが驚くべきことなのですが、安楽死のための薬の
処方が可能と判断された患者でも、いざ安楽死可能と分かった時点で"自殺願望"
が弱まるというのです。その割合が何と八割もの人々の自殺願望が急速に冷める。
つまり、「苦しみながら死を待つ。この生き地獄から抜け出すことが可能と
分かれば、この理不尽に社会が理解さえ示してくれれば、我慢もできる」と
言っているのです。やはり、倫理観からも、宗教観から見ても、家族の手前も、
「苦痛だから死ぬ」というのは、どこかでなじめないのかもしれません。
だから、「この苦しみに、大いなる同情と、法的な権利さえくれればそれで
いい。我慢もできる」と。気持ちを分かってさえくれればー。そういうこと
なのではないのでしょうか。≫
▼「苦痛を最小に消え去りたいため、余命を告げられたら、早々、リンゲルの
 大量投与を」と思っていたが、「いざ安楽死が可能になると、八割が自殺
 願望から冷める」という事実。何だろう、これは? 
 〜ところで、私が生死に関する言葉で、気に入ってるのが、
<死ぬことは、生前の自分が存在しなかった状態に戻るだけ>
<遺伝子が私の身体を借りていただけ、それが無くなっても、数限りない
 遺伝子が、何処かの身体を通して生き延びる。「私」など他愛のない存在>
<充実した過去と現在を生きている(きた)なら、死など、恐れることはない>
<死んでしまえば、それまでよ。生きている内、できる内。>
<当人にとって、『死』は存在しない。死んだ瞬間、本人は存在しないのだから>
<宇宙の彼方から地球へ旅に来て、見るだけ見て、するだけして、帰っていく
 のが死である。> 
それにしても、辛いだろうに。

・・・・・・
5209,閑話小題 〜何気ない会話の中で
2015年06月19日(金)
   * 何気ない会話の中で
 先日、中学校の来週の同期会の幹事の打合せの会で、顔は何となく憶えて
いるが、話を1〜2度したかしないかの男が隣席に座って酒を酌み交わす
中で、私が、『以前も話をしたかもしれないが、たしか40年以上、消防隊員
になったと憶えているが・・ 』と語りかけると、次の言葉が返ってきた。
『自分は、当時の花の中卒で、地元の津上製作所に入社。同期の殆どが、
夜間高校に4年通い、高卒の資格をとって地方公務員に転職をしていった。
自分は消防署に勤め変え42年間、勤め上げた。』と、さらりと言った。
15歳で働きながら高校資格をとって地方公務員になり勤め上げるコース。
こういう人生もある。これまでの私の恵まれた?生活環境と、あまりに
掛離れた生活環境に、言葉が出なかった。地道だが、地に足のついた
恵まれた人生である。 問題は、自分の歩んできた人生を肯定できるか
どうか。消防士といえば、火事と救急救命の現場の仕事。そこでは、
様々な露出した人生模様が垣間見れる上、生き死にの瀬戸際に立ち合う。
小さな世界の安穏とした人生を根こそぎ否定してきたが、それも人生。
彼にとって、救急搬送と、消防は、生き死の境目の現場の仕事である。
何か世間とかに捉われていたのは、逆に自分ではないか? 日々、是、
目覚め。それぞれの人生を否定も、肯定もしてはならない!ということ。
数年後?には、私なりの結末(死)が待っている。 貴方もだが・・
 『ああ〜、面白かった!』と、心底から言えるかどうか。
そういえる背景には、いえるだけのエネルギー量が必要だが。
・・・・・・
4844,「事業人生を決心して45年」の語り直しー18
2014年06月19日(木)
   * 衣料量販店のコツ
 肩書きは取締役本店店長。通称、「店長」。母が社長で、兄が専務。
家業そのもののパパママストア。出社日から多くの判断が次々と求められたが、
衣料量販店経営など全く知らない白紙からの出発。ところが、その白紙状態が、
結果としてベストに働くことになる。心だけでなく、何事も、空即是色である。
四日市、神戸、桑名、金沢、千葉と渡り歩いてきたが、いずれも、駅前は競争
激化と、新興のチェーン店の進出で、劇的な変化の過程であった。ところが、
当時の豪雪は、現在と比べようもないほど多く、冬期間は、雪の壁が、町を
遮断する特殊の商圏でもあった。そのため、地元百貨店が二店。
金沢の百貨店と、寄合専門店ビルと、実家である衣料量販店と、その支店の
ファッション衣料店が、そして駅に隣接した一等地に大型チェーン店が、
駅前のメイン通りに並んでいた。しかし、豪雪地区のため、他県からみれば、
その波の強さは、穏やか。この本店、規模の割には、「超繁盛店」で全国で
知られていた。その中での、御家騒動は、世間話の絶好のネタ。
 本店の過去のデーターは、全てを前任者が持ち出し、その上に、前任者達の
意をくんだ残留者は無言の抵抗。一週間、二週間経つうちに店内の商品が底を
ついてくる。その中、地元の問屋の一社が、当面、全面協力をしていた。
そうこうするうち、私の知らぬ間に、秋物衣料相場が、値崩れを起こしてきた。
普通なら、導入期に一通り秋物を並べ、次の最盛期に値崩れの仕入れをして、
稼ぐ。しかし、導入期の商品が無い中の、絶妙なタイミングに、東京、大阪へと、
現金を持って初めての仕入れ。何も知らないのに知ったふりの緊張感の中での
仕入れは、今でも忘れられない。そして、何とか値崩れの仕入れが終わった。
そして次回は、名古屋、大阪、岐阜へ現金問屋や、メーカーへの飛込み仕入れ。
その時、思い浮かんだのが、父と中、高校時代に一緒にまわった記憶。
まずは、一回り目は情報を取り、そのシーズンの流行と、相場を把握。その後、
商品を選び出し仕入れていく。それも現金で。右上り時代の中で、誰も忘れて
いた商売の原点を、動物的直感で綱渡りの瀬戸際で、始めていた。何とか一月が
過ぎた頃、店に高崎の有力衣料問屋の部長が訪ねてきた。店頭の立話しだったが、
現在の経緯と、自分の経歴と、現状を手短に話したところ、『当社として、
全面的に協力します!』という。暫くしてから、その意味を知った。それは
『その窮状を、産地問屋として、当分の間、原価ギリギリで商品を提供します!』
であった。これが、大きかった。それに現金を持って産地を歩く、基本的原理を、
父から教わっていたことも大きい。これで、地元の問屋、メーカー、百貨店の
相場を根こそぎ叩き壊す、本来の姿に戻ったことになる。その中、その年末は、
思いもよらない暖冬で、冬物衣料の相場が大崩れをした。他の大型店は、事前
予約の冬物の在庫の山だが、当方の店の中は、予約など無しのカラ。
その中での、大阪、岐阜、岡山、に現金を持っての仕入れ。多くの筋ものが、
半値以下の大量仕入れ。それを、そのまま、小利で売りに出せば、大当たりに
なって当然。 時代の流れもあって、全てが、プラスに働いていた。
激変の中、むしろ既存の常識無視の方が、プラスに働く。
・・・・・・
4477, アベノミクスへの疑問
2013年06月19日(水)
 日本経済の危なさは、二年前の事業断念に至るプロセスで直接、肌で感じ
取っていた。ここでバブル経済とは、とんでもない誤りを犯そうとしている。 
「10年後に一人あたりのGDPを150万増加」など、方向は逆。
それも以前に放り出した元首相二人が恥ずかしげも無くである。
何人かの経済学者がアベノミクスに批判をしているが、円安、株高の現象の
前に表立っていない。 先日、図書館で借りてきた
文藝春秋4月号に神谷秀樹のレポートーアベノミクス「危険な熱狂」ー
があった。ネットで調べたところ、これを簡略したブログの内容があった。
★ ーブログにゃんと〜 ー神谷秀樹『アベノミクス「危険な熱狂」』
              文藝春秋4月号の一部を抜粋ー
≪◎ アベノミクスを冷静に分析し「A=アセット(資産)、B=バブル、
 E=エコノミクス」と揶揄している人々がいるが、彼らのほうが正しい
 ことは、いずれ歴史が証明する。いま喜んでいるのは、バブルに乗って
 一儲けしたい投機家ばかりだ。「持続可能な経済基盤」を構築するものには、
 人口、中産階級の収益力、イノベーション(技術革新)、エネルギー価格、
 政府の健全な財政等々があるが、中央銀行はここに述べた経済成長の大きな
 要因のうち、何一つコントロールできない。
◎ 安倍政権は「市場にお金が不足している」と考えているようだ。
 だが、これは完璧に間違った認識、市場にはお金があり余っている。
 企業はもてあますほど現金を持っており、日銀の当座にも銀行が使い
 切れない「ブタ積」が山ほどある。 
◎ 株価が上がって投機家は喜んでいるが、何も企業の競争力が回復した
 わけではない。企業の持つ外貨資産の評価額が上がっているだけの話だ。
 (中略) 外貨建ての資産が評価益を出すということは、裏返せば円建て
 資産が、国際通貨のバスケットで見れば価値が目減りしていることになる。
◎2000年代初めから民主党に政権を譲るまで、
  自民党政権時に彼らが行なった不況対策は、
 ?「円安麻薬」で輸出ドライブをかけること、
 ?「契約社員化」で賃金を切り下げ、国際競争力を維持することだった。 
  しかし、この政策は完璧に破綻。
 「インフレを起こせば賃金が上がる、雇用が増える」というのは、
  全くのイリュージョン(妄想)で、「国際的に価格競争力を失ったのは
  円高のせいだ」というのもイリュージョンだ。 競争力を失った理由は、
 同じ質の労働に対する賃金が海外に比べ高い、製品の質の面でも優位に
 立っていないことだ。
◎「バブル崩壊の対策は新たなバブルの演出で」が正しい処方箋でないのは
 「失われた二十年」で学んだ筈だったが、実際には学んでいなかったようだ。
 ABEがバブルを大きく膨らませれば膨らますほど大きな破綻を日本に
 もたらし、その時はもう復活不可能なほどの致命傷となるだろう。≫
▼ グローバル化の中では、日本一国の金融緩和でコントロールが出来よう
 はずがない。アベノミクスは、一部の輸出産業と大手の金融機関がプラス
 になるだけ。逆にマイナスのエネルギーは、弱者を直撃する。
 二ヶ月前の地元の高校の同級会の当初からのメンバー20名をみると
 (5人が死亡)、この1〜2年で私を含めて6人が倒産、廃業、自殺、経営
 責任での辞任などで(半数近く)やられたことになる。そう遠くないある日、
 中国かアメリカの投機筋から、売りを浴びせられ株価が暴落するだろう。
 参院選前にもう一度、そして、参院選挙の後の秋あたり。
・・・・・・
4103, 閑話小題 ースローヨガ
2012年6月19日(火)
   * スローヨガ
 スポーツジムで週二回ヨガに参加して三ヶ月間、殆んど休まず26回参加。
ところが一月程前からオウム教の元信者の逮捕が相次いでいる。オウムはヨガ
教室を隠れ蓑に信者を引き込んでいた。それ以来、ヨガ教室のイメージが悪く
なり何処もピンチに見舞われていたが、時間と共に愛好者も増えてきている。
私の参加しているのは50人定員で、平均40人位が参加している。
これだけの数がエアロビの教室内で一同に会して暗闇の中で、ヨガのポーズを
とっていると不思議な感覚になる。 ヨガは回数を重ねるごとに、その空気に
馴染んでくる上、終了前の10分位の間、仰向けで大の字になって意識を
身体から出すイメージを持つ時間が良い。マントラの音楽を聞きながら、
全身から力を抜いて宙游した気持ちが何時までも続いて欲しいと思ってしまう。
それを利用してマインドコントロールをしたのがオウム教。俗世の汚濁に戻り
たくなくなるのも分かる。 毎朝、自転車で信濃川の二つの大橋を一周する
のを習慣化して三年目になるが、ヨガの世界に似ている。大手大橋で弥彦山
から米山までの100キロ近い展望の中、引きチャリをしながら半眼で、深呼吸
をして「地球の中心点を擬人化したX」と対話を10分近くしている。
それが、ヨガの最後の仰向けの瞑想?と似た感覚である。 精神的・肉体的
にもベストの経験を、毎朝のポタリングと、週二回のヨガで体験している。
早朝の農作業も、似たような気持ちになるのだろう。「ヨガは肉体も精神も
宇宙の一部とみなし、同化させる業」というところからみて、当然のこと
だろう。魂が現れ出るということか。
  * 日本の初めての流行歌は?
 近代的な流行歌第一号は「宮さん宮さん」だそうだ。明治元年・一八六八年
三月に薩長土肥の官軍が錦の御旗を押し立てて、東海・東山両道から江戸に
向かって進撃する道々うたったもの。したがって日本軍歌の第一号でのある。 
現代の流行歌第一号は、大正三年、島村抱月の芸術座が帝劇で上演した『復活』
の劇中歌「カチューシャの唄」。松井須磨子が舞台でうたって大ヒット、
翌年レコードに吹き込んだ。女優松井須磨子はまた流行歌手の第一号でもある。
流行歌のスタンダード・ナンパーとして、現在も広く演奏され、うたわれている
「船頭小唄」は大正一〇年ごろからはやったが、歌の大ヒットに目をつけた
松竹が、当時新人女優の栗島すみ子で映画化し、これも大ヒットし「小唄映画」
と呼ばれる流行歌の映画化第一号となった。他にの説が多くあるが。
 ・・・・・・・
3737, 自分の居場所のみつけかた ー?
2011年06月19日(日)
            「自分の居場所のみつけかた」ー斉藤学
 この?を書き上げた当日(一昨日)、偶然に録画をしていた話題作の
「告白」を見た。これが、この本からヒントを得たのでは?と思われる異常
教育ママ(モンスターママ)の犠牲者・少年の殺人が引き起こしたストーリー。 
奇妙な偶然である。  ーこの映画の概要をHPから、まずコピーから。
【 2009年本屋大賞に輝いた湊かなえの同名ベストセラー小説を原作に、
 教え子にまな娘を殺された中学校教師の復讐を描くミステリー。
事件にかかわった関係者たちの告白によって真相が明らかになっていく緊張感
あふれるドラマを作り上げた。ストーリー: とある中学校の1年B組、終業式後
の雑然としたホームルームで、教壇に立つ担任の森口悠子(松たか子)が静かに
語り出す。「わたしの娘が死にました。警察は事故死と判断しましたが、娘は
事故で死んだのではなくこのクラスの生徒に殺されたのです」教室内は一瞬に
して静まりかえり、この衝撃的な告白から物語は始まっていく……。
その一人の犯人の少年は、モンスターママによる幼児の頃の執拗な教育で、
歪んだ手のつけられない少年になっていた。】
▼ なかなか面白いストーリーである。現在の小中学校の学級崩壊も背景にある。
 どこの家庭にも、多かれ少なかれある問題。両親の関係が、そのまま子供形成
に影響するのは親なら身に憶えがあるはず。その極端なケースから、極端に歪んだ
子供が育ってくる。子供を殺された松たか子役の恨みと怨念は危機迫るものがある。
 この競争社会の時代、子供の基礎能力は必要だが、ついて行けず、心の中で
大きな歪みが出てくる。そこに自分の若かりし頃を振り返れば見えてくる。 
常に黒い影に終われ、何処にいても落ち着かず、他に行けば何かがあるはずと
焦っていた自己不一致の日々。それが若さというものだが、それが家庭崩壊や、
自己崩壊を生むことになる。 特に「ゆとり教育」が実施された時代に育った
世代が親になっている現在、その子供たちの荒廃は、社会問題になってくる。
更に携帯電話など情報端末が子供たち間に普及した中で、親も含めた大人たちは、
その対応が分からない。親からして、「自分の居場所」が見つからないのだから、
子供たちは情報の洪水の中で、得体のしれない化け物になっていく。
現在問題になっている、ニート世代(20〜40歳)は、家庭からも、会社
からも、社会的訓練がなされてないため、居場所がない。ある意味で、アメリ
による日本属国化政策の完成が現在の日本である。我々は、その恐ろしい現状を
目撃していることになる。他人ごとでない、自分自身が、その集約化した人生
だったと言えなくはない。そこまで悲観的に見ることもないが、現在の日本の
政治の有り様を見ていると、その集約が、もしか自分に当てはまるのでは?と、
思ってしまう。最後はリーマンショックでトドメか!

つれづれに

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他のブログ
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/54909/
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  今日のYoutube

 信濃川の大手大橋を8年間、足腰を鍛えるため、「ひきチャリ」を
してあるいている。この数日来、カラスと燕の中間ぐらいの大きさの
鳥が10数羽が飛び回っている。白い紙でつくったような締まった身体付き。
TVでみた「アジサシ」のような。しかし、「アジサシが」が、このあたりに
いるわけがない。小柄の白鳥みたいの群れも、見かける。

ネットで探したら、こんな感じの純白の鳥。



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3737, 自分の居場所のみつけかた ー?
2011年06月19日(日)
            「自分の居場所のみつけかた」ー斉藤学
 この?を書き上げた当日(一昨日)、偶然に録画をしていた話題作の
「告白」を見た。これが、この本からヒントを得たのでは?と思われる異常
教育ママ(モンスターママ)の犠牲者・少年の殺人が引き起こしたストーリー。 
奇妙な偶然である。  ーこの映画の概要をHPから、まずコピーから。
【 2009年本屋大賞に輝いた湊かなえの同名ベストセラー小説を原作に、
 教え子にまな娘を殺された中学校教師の復讐を描くミステリー。
事件にかかわった関係者たちの告白によって真相が明らかになっていく緊張感
あふれるドラマを作り上げた。ストーリー: とある中学校の1年B組、終業式後
の雑然としたホームルームで、教壇に立つ担任の森口悠子(松たか子)が静かに
語り出す。「わたしの娘が死にました。警察は事故死と判断しましたが、娘は
事故で死んだのではなくこのクラスの生徒に殺されたのです」教室内は一瞬に
して静まりかえり、この衝撃的な告白から物語は始まっていく……。
その一人の犯人の少年は、モンスターママによる幼児の頃の執拗な教育で、
歪んだ手のつけられない少年になっていた。】
▼ なかなか面白いストーリーである。現在の小中学校の学級崩壊も背景にある。
 どこの家庭にも、多かれ少なかれある問題。両親の関係が、そのまま子供形成
に影響するのは親なら身に憶えがあるはず。その極端なケースから、極端に歪んだ
子供が育ってくる。子供を殺された松たか子役の恨みと怨念は危機迫るものがある。
 この競争社会の時代、子供の基礎能力は必要だが、ついて行けず、心の中で
大きな歪みが出てくる。そこに自分の若かりし頃を振り返れば見えてくる。 
常に黒い影に終われ、何処にいても落ち着かず、他に行けば何かがあるはずと
焦っていた自己不一致の日々。それが若さというものだが、それが家庭崩壊や、
自己崩壊を生むことになる。 特に「ゆとり教育」が実施された時代に育った
世代が親になっている現在、その子供たちの荒廃は、社会問題になってくる。
更に携帯電話など情報端末が子供たち間に普及した中で、親も含めた大人たちは、
その対応が分からない。親からして、「自分の居場所」が見つからないのだから、
子供たちは情報の洪水の中で、得体のしれない化け物になっていく。
現在問題になっている、ニート世代(20~40歳)は、家庭からも、会社
からも、社会的訓練がなされてないため、居場所がない。ある意味で、アメリ
による日本属国化政策の完成が現在の日本である。我々は、その恐ろしい現状を
目撃していることになる。他人ごとでない、自分自身が、その集約化した人生
だったと言えなくはない。そこまで悲観的に見ることもないが、現在の日本の
政治の有り様を見ていると、その集約が、もしか自分に当てはまるのでは?と、
思ってしまう。最後はリーマンショックでトドメか!

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3372, 「めんどうくさい」が不幸のはじまり!
2010年06月19日(土)

* しあわせを感じるには「技術」がいる ー2
     ーしあわせを感じる「技術」ー 東洋経済新潮社・しあわせ研究プロジェクト編 
 ー不幸になりたがる人たちからのヒントー

どうも年齢のせいか、何かやろうとすると「めんどうくさい」が先にたってきた。
 先日 ーしあわせを感じる「技術」ーを図書館から借りてきた。
多くの人が「しあわせ」について書いている中に、精神科医春日武彦が、「不幸になり
たがるたちからのヒント」で「めんどうくさい、が不幸のはじまり!」に、ハッとした。 
そこで「人は基本的に現状を大きく変化させることを望まない傾向にある。 たとえ不幸が
持続することが火を見るよりも明らかであったとしても、現状維持を選ぶ人の方が多数派」という。 
その根底にあるのが「めんどうくささ」だとしたら、何とも人間は情けなく哀しい存在である。
 これは、人間は「低位安定」を心の奥に求めている結果ではないかと。「低位安定」から、
どうすれば抜け出すことができるか? これからの脱却は、「めんどうくさい」との戦でもある。
著者は陳腐な結論とことわって、結局「早寝早起きと整理整頓」に、つきると・・・ まずは
暮らしを整え、生活を律していくこと。それができない者には、現状を変えようといこうとする力
など生まれない。不幸を願うものはいないが、不幸へと続くレールから外れようとしないものは多い。
現状維持の方が楽に思えるからだ。その「めんどうくさい」を突き詰めていくと、満たされてない
何かが逆に新しい事態に直面するのを避けているのである。私は不幸系の人は身辺には寄せない。 
何ともいえない匂いがある。「めんどうくさい病」の一つに「自律神経失調症」という病がある。
問題にぶつかると後ろ向きになる。 常に周囲の欠点を探し自分を改造しようとしない。 
その積み重ねの結果「めんどうくさい病」に陥ってしまうのである。 常に夢見る男(おのこ)で、
フワフワし同じタイプの人間と群れたがる。他人事ではない、年齢からくる老いが「めんどうくさい」
病に知らないうちに陥っているのである。 秘境ツアーにしても、事業にしても、ブログも、自分が
幸せと思えた瞬間は、それを乗り越えた結果であった。しかし「めんどうくさい」も、すべて否定は
できない。自然体という生き方でもあるからだ。 低位安定で満足する層も世の中には必要。
世の中は、それぞれの層の構成で成り立っている。老齢になったら、否が応でも低位安定になってしまう。  
面倒を克服するには、習慣化がよい。 それを積み重ねていけば良いが、それ自体が面倒か~   
さて、棚の整理だ!  それと人生の整理整頓の時期にも入ってきたか!
 ・・・・・・・
2997、定年か~  ー2
2009年06月19日(金)
 「うれしい定年 さびしい定年」ー 55歳からの賢い生き方ー   北 連一 (著)  
 私が会社から離れて家庭だけの生活になったとしたら、まず「家内との日中の折り合い」が大問題
になるのは解る。定年直前に「定年後は、私の管轄下よ!」と、旦那に一括を入れていたのをドラマ
で見たことがあったが、深い男の悲哀を感じ取ったことがある。 実際の似た場面も立ち会ったことが
あったが・・・ 私など三連休になると、家内に顔をまじまじと見られ大きく溜息をつかれ嫌味が始る
のが常。 「妻への詫び状」という、妻に白旗を揚げた、だらしのない男たちの見本帳のような本を
取り上げている。人口問題研究所の統計だと、離婚した夫婦の男の平均寿命は、死別した人や配属者
のある人に比べて10年ほど短いとか。だから離婚も耐えなければならないのである。ある生保の調査に
よると、女性の1割以上が「夫と同じ墓には入りたくない」と答えている。 更に、ここで取り上げて
いる30年前の『定年後』の内容が凄い。 その著者は妻のことを「古猛妻」と命名している。 
その妻に定年前に、「五箇条の御誓文」の提出を求められている。
一、午前中は一歩も書斎を出ないこと     二、小遣は現在の2万5千円
三、食事の内容には一切要求をつきつけない 四、仕事の上でやむを得ないと認める以外は外出を禁じる
五、これらを不服として大声を発することをしない
 これは実録小説といっているが、大筋は事実だろう。ここで著者は「定年に先立って、その後に
来るものを詳細周到に予測していたが、女房の支配権の無差別な拡大という致命的な問題をぬかしていた」
と、予期せぬ事態に戸惑う。「定年で自由の身になったと思ったのは春の日の蜻蛉に過ぎない。
時間単位で公私を区切る近代的雇用とは比べようもない、運命共同体的な四六時中の関係に女房がいた」と。
まあ、大変なことである。離婚をして独り暮らしをしている同年輩の人が実際に何人かいる。やはり
10歳は老け込んでしまっている。 ここで一句 「 うれしくも 悲しくもあり 独り味 」 
「 笑えるうち 笑っておけと 涙目で 」 そう遠くない日が待っているが、その時は、その時で
あるとしか、いいようがない。 死んでしまえば同じこと!
・・・・・・・・・・
2633, 娘に贈る12の言葉  ー2
 2008年06月19日(木)
 第一の言葉から要点を抜粋してみる。
 一言一言が、肯ける内容ばかりである。過去に上手くいったことを省みると、そのとおりである。
 考え抜き、調べつくして確信できたこと以外は失敗した。オリジナルはなく、周りの流れに従った
ときである。
  ーー
1、他者に流されてはいけない
 ー他者に流されず、自分の頭で考えることー
・君には「君」という優秀なブレーンがいる。自分自身で調べ、考え、確信できることを見つけなさい。 
 他人に、たいていの問題に関しては、自分のうちに問題を解決する能力をもっているものだ。
 自分の考えに従って行動することだ。
・君のアイデアが笑われたら、それは成功へのサインだ。→大勢に従って、成功した人間は誰一人いない。
 以前、中国は投資するに値しない国だ、と言われていた。しかし、1990年代に投資対象と気づいたのだ。
 実際の中国を調べると、13億の人たちが懸命に働いていた。その上に、貯蓄率が35?もあり、それを
 投資に向けていた。そんな国が成長しないわけがない。ところがアメリカはどうだろう。1990年頃の
 貯蓄率を4パーで、今ではたったの2パー。 しかも深刻な借金を抱えている。他の人が常識に従って
 いるうちに、中国に投資をした。 おかげで、700?のリターンを得ることが出来た。 
 世間の常識を疑ってきたからこそ儲けられた。 →世間の常識は疑うこと。
・オリジナルな「自分でいること」。色んな分野で成功してきた人は、誰のコピーをしていないだろう?
 ソニーをごらん、ソニーは周りとは違う。彼らは常に周囲と違うことをしてきた。 
 誰も歩まない道を行くからこそ成功をすることが出来る。
・私に従わなくて良い、ただモラルだけは守って欲しい。自分の頭で考えて正しいと判断したことなら、
 思ったとおりするがよい。自分が絶対に間違ってないと自信がもてるほどてっていてきに調べてから
 でないといけない。
・常に質の良いものを買うように。質の良いものは長持ちするし、より価値が高い。
・・・・・・・・・・
2007年06月19日(火)
2268, 今年のミス・ユニバースって美人?
                      ファァ(*つ●-*)*.;'Good☆Morning
TVで日本人のミス・ユニバースの女性を見て、違和感を感じていたら、夕刊フジのブログと、毎日新聞
の文化欄の「〈現在〉を読む」に論評が載っていた。誰も考えることは一緒である。「少し可愛いいが、
決して美人ではない。生意気そうなところがマイナスで、差し引きゼロ。それ以上でも、それ以下でもない。
実際のところ、ミス・ユニバースの判断基準は理解できません?」というのが、両者の論評の概略である。
 ー以下は夕刊フジのブログの概要である。
 ーー
07年ミス・ユニバース世界大会で、森理世さん(20)が優勝し話題になっている。日本人としては
48年ぶりの快挙。昨年も、知花くらら(25)さんが2位となった。日本も世界が認める“美人”
輩出国となったかの騒ぎだが、テレビなどを見て、「可愛いが、決して美人ではない」と思った方も
多いだろう。果たして美人の世界基準は変わったのか。 専門家らが徹底討論した。
 【違和感】
「森さんは鼻がツンと上を向いている。日本人の(美人の)感覚とは違ってコケティッシュ系ですよね。
化粧をすると、昨年の知花さんと変わらない。スポーツ紙が、韓国代表と間違えて写真を掲載するくらい
見分けがつかなくなっている」 テレビや新聞で伝えられた森さんの顔を見て、女性を美しくするプロの
たかの友梨さんも、「顔立ちは際だってきれいというわけではない。おちょぼ口や色白など日本人の良さ
とは違って肌は白くない。(日本の美人というより)アジアンビューティー的ですね。日本人から見ると、
アイシャドーはあんなに濃くなくてもいいのにと思う」と指摘する。 漫画家のやくみつる氏は
“美人ではない”と違和感を覚えた一人だ。やく氏は、日本と外国の美の基準にも、「かなりズレがある。
芸能人で、(森さんより)きれいな人はいると思う。昨年も思いましたが、バチバチの派手な顔より、
愛嬌のある顔が外国に受けるのかな」と、大きな違いを感じている。      
(字数の関係でカット2008年6月19日)
・・・・・・・・
2006年06月19日(月)
1903, 感動と感激についてー2 
        オハ (´・ω・`)(ω・`)(・`)( )(´・)(´・ω)(´・ω・`)ヨ? 
ー感動と失望ー   
 感動・感激の反対語は何だろうか?
 期待以下の大きなマイナスギャップ、    
 期待>実感 → 落胆・失望  ということになる。
「大きな期待を持っていったが、何も感動することがなかった。がっかりした。」である。 
西アフリカの旅がそうであった。期待が大きかったからだ。失望を少なくするには、まず期待を
小さくすればよい。失望・落胆も、振り返った時に心と魂に多く残るが、人の脳は無意識のうちに、
記憶から排除をしてしまう。感動・感激とは驚きである。驚きは、そのまま考えるヒントを与えることに
なる。驚きはギャップに対して起こる心の動きである。ギャップを埋めるための知識集積が自動的に生じ、
それが考えることになる。従って、人間の能力は感動・感激と、失望につながっているといえる。
 今年のワールドカップ・サッカー、日本チームに対しては過剰期待である。
今回の過剰の期待と落胆は、貧困層の広がりが原因という見方がある。
冷静にみるより負けるまでせめて夢みたいという気持ちの表れは、貧困層の考え方?である。
WBC(ワールド・ベースボール・カップ)で日本が優勝した時、期待を誰もしてなかった上に、イチロウ
など日本人選手と王監督の健気な姿に感動が生まれた。誰もがまさか優勝するとは思っていなかったから、
驚きと感動が生まれた。この期待をサッカーのワールドカップに当てはめようとしたが無理な話である。
いかに多くの感動・感激・感謝を積み重ねるか、反対に失望・落胆を少なくするかが、人生にとっての
ポイントになる。これは意識をすれば、出来ることである。一流のものを見続けることである。
一流の人と多く接し続けることである。そこには、一流の人の波動が出ている。
そのシャワーを浴びればよい。ー話は少し違うが、先日の産経新聞産経抄の論評がよい。
 ーーー
産経抄
「勝てば官軍、負ければ賊軍」とはよく言ったものだ。頼みもしないのに受信料をとりにくるテレビを
筆頭に、各メディアがサッカーW杯に出場した「青きサムライたち」をこれでもかと持ち上げ、
膨らみきったジーコ・ジャパンへの期待は初戦の完敗でみるみるしぼんだ。
▼にわかファンたちが口角泡を飛ばす居酒屋談議では、梅雨で曇り空が続くのも、株価が乱高下
 するのも、少子化に歯止めがかからないのも、みんな下手な采配(さいはい)をしたジーコのせいだ、
 と言わんばかりの勢いで批判の矛先が監督に向いている。
▼もしあのまま1?0で逃げ切っていたら、同点にされたあと、駒野が相手ゴール付近で倒されたときに
 主審がPKをとっていれば、ジーコは勝利を呼びこむ「サッカーの神様」として褒めそやされていた。
 勝負ごとはやっぱり勝たねばならない。
▼サッカーと戦争を比べるのは不謹慎極まりないことぐらい百も承知の上だが、敗戦がどれほどみじめ
 かはサッカーファンならずとも身にしみる。戦後60年以上たっても、首相が靖国に参るだけで他国
 から悪罵を投げつけられている。
▼中国や韓国が「軍国主義の復活」と言い続けるのは両国の国内事情もあろう。それより理解できない
 のは他国に迎合して、無宗教の追悼施設をつくるため首相の靖国公式参拝を「憲法違反の疑義がある」
 と明記した中間報告をまとめた「国立追悼施設を考える会」の議員たちだ。
▼このヒトたちには、「靖国で会おう」と国や家族を守るため心ならずも散華した人々への感謝の念が
 あるのだろうか。会長は下半身スキャンダルで週刊誌をたびたびにぎわしたセンセイである。
 少なくとも小欄は、こういう人物に靖国問題について指図は受けたくない。(。・ω・)ノ☆゜+.バイ!
・・・・・・・・
2005年06月19日(日)
 1538, 銀座24時-女たちの戦い
昨夜のTVスペシャル  
ードスペ! 「欲望の巨大街・銀座24時-女たちの戦い」銀座の象徴・“高級クラブ”の舞台ウラに
 カメラが潜入!!ー というTV番組の見出しにつられてみた感想である。二時間という時間がアッ
という間に過ぎ去った。次から次へと、多くのケースを映し出したからだ。 人間観察という面で人間
社会を赤裸々に見せてくれる世界である。[高級クラブ・内幕もの」は随想日記でも何回も取り上げたが、
見ている分には面白い。この不景気で銀座のクラブの多くが淘汰されたが、その中にあってしぶとく
生き残っている店があるのだ。まず一番印象に残ったのがー30歳新人ママ…涙の生き残り大作戦であるー
昨年11月にオープンしたクラブに半年間密着したもの。その店を仕切るのは、同じグループ店のナンバー1
ホステス。一般ホステスと、ママの立場の違いを開店前から映し出していたオープン時は、彼女を目当てに
客が押し寄せる。しかし高級クラブ業界では、開店3カ月までは"ご祝儀黒字"。それ以降に店の真の評価が
分かるものだ。正念場を迎えた新ママに、ホステス同士の内紛というトラブルが降り掛かる。さらに、
黒服といわれるスタッフ役の男達とホステス達とのトラブルが発生。黒服の長であるマネジャーといわれる
立場は、オーナーである会社側にある。雇われママはホステスと黒服との間で苦闘する。それらの多くの
障害を一つずつ乗り超えながら、店を切り盛りする。そして、一人前のママに育っていく。一晩で、数百万
をつかっている生の現場をカメラは正直にとらえている。数万もするドンペリが、どんどん注文される。
果ては百万のドンペリを注文した場面もあった。また、誕生日に100万の指輪に10万の花を添えてホステス
の贈る場面も。 あるホステスが給料明細も公開した。時給4万円、それに指名料が加算される。
24歳のホステスと、27歳のモデルのお客の奪い合いの実態を冷酷に追っていた。黒服が辞めたホステスの
客を、二人のホステスに競わせるのだ。銀座クラブの掟として、店では客の馴染みホステスが決まると「永久」
に固定化される。しかしホステスが辞めた場合、客に指名権が与えられる。店として、それを争わせる。
そのプロセスをお客に楽しませるのだろう。そこで、あらゆる手段で指名権を得ようと店の外で女の争いが始る。
結局は、新しく入った27歳のモデルが勝ちを収める。下手なドラマよりズット迫力があった。
TVでは取り上げることの出来ない「下ネタ」が、背後にあるのだろうが、まさか茶の間には出せない。
実際は凄いのだろう?エログロ番組になってしまう。早朝から、こんなことを書いている自分が面白い? 
いや、馬鹿か!
・・・・・・・・
2004年06月19日(土)
 1173, つれづれなるままに
・先日、競売物件の新聞公示欄を見ていたら、近くのホテルが売りにでていた。富士銀行が80億の金を
出したホテルで何と3億1500万の値段であった。金に余裕があったら買いたいぐらいだが、色いろ権利
が入り組んでいて力に余裕がないと手を出せないのが残念だ。バブルの大きな傷を残した一つの事例である。
それにしても、この差額は実際誰が損をこうむるのだろう。間接的に国ー国民なんだろう。二年前に、この
まん前のホテルも20数億が3億5千万で、競売が落とされた。
・最近、昼飯を食べにいってもお客の少ない。そういえば、私も昼飯の単価が2?3割も下がっている。
近くに牛丼の「松屋」ができ、他がランチの値段を下げた為だ。
・一昨日は、宅建主任者の3年に一度の講習会。長岡郊外のハイブ長岡であった。大きな会場で500人位が
受講していた。初めて時計を持たずに行ったのが正解で、あっという間に時間が過ぎた。危険物取扱者
受講もそうであったが、真面目に講義を聞くのがポイントである。せっかく時間を過ごすなら、その時
その時のテーマの中心から目をそむけないのがよい。宅建の内容は聴いていて面白い。法律の改正の変化が
世相を現している。何事も、まともに聴いているとなかなか面白いものだ。大學時代がそうであった、
授業とは面白くないという概念が根本から崩れた。特に専門コースに入ってから面白くなった。
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2003年06月19日(木)
806, 『自分様と馬の骨』 読書日記
 ーなぜ認められたいかー
「ぶざまな人生」「わたしを認めよ!」「まれに見るバカ」等、彼の文章のタッチの面白さに、次々に
買って読んだ。人間の一番の本音をあまりにもシビアに書いている。先日、図書館でこの本を見つけた
ときは、しめたと内心叫んだ。早速読んでみるとやはり面白い。「わたしを認めよ!」の続編であり、
何ともいえない力がこもっていた。彼のいっていることは別に難しいことをいっているのではない。
・自分を持して一生懸命に生きればよい、
・ダメならまた自分を立て直してやり直せばよい。たとえそれがぶざまな人生であっても。
「懸命に生きる」とは「自分ひとりの関係」である。それが自分様であり、自己が自分になっていくこと
だといっている。人間は自分はとるに足りない馬の骨と思うことに耐えられないのだ。特に比較において。
友人との年収の差、学歴の差、同業他社との利益の差、性経験の差において、馬の骨として、耐えられない
のが人間であると主張。 創業を経験すると、人間観が変わるーこれは私だけでないと思う。自分の骨の髄
のエゴイズムを知ることになるからだ。その骨の髄のエゴイズムから、出発をしなくてはならない。
それを嫌というほど、自分に対して思い知ることになる。表層で生きている人は、創業のそのリアル
な姿を見て冷笑する。
(字数制限のため中間カット 2010年6月19日)
   『自分様と馬の骨』
 勢古浩爾 著 長岡中央図書館 2003年6月15日
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2001年06月19日(火)
 [57] 3D-ホームページ
今日は午前、午後パソコンずけだ。 午前はインテリア山下の南雲さんと、富士総業の小竹さんと
3d開発の増嶋さんだ。 そして夕方はパソコン教室だ。 パソコンはやはり凄い世界だ。
このあHPの作成だけでも、背後に多くのエネルギーが入っている。何気なく見過ごしている中に、
情報がびっしりつまっているのだ。 情報革命は時代を大きく変えるだろう