「失敗の心理」しまった!」ジョゼフ・T・ハリナン著
   * 嘘つき それとも「印象操作」が人間の常
 人間は、嘘つきで、印象操作をあたかも事実のように捩じ曲げる。問題は、
それに怖れて慄いて、自分の自由を束縛すること。 地方、とりわけ城下町は、
固定社会である。小さな世界で、互いに監視し合い、良くいえば相互信頼、
悪くいえば、相互依存で生きるしかない。で、体裁を繕うためにまず、己の
「印象操作」に精を出す。それが結果として城下町共同精神のバケモノになる。

≪ 何処の地でも、「うわさ」という世間人の嘘がまかり通っている。
 何人かの学生に対し、数週間、他人に話した内容を記録するように依頼。
話題の多くは社交行事のことで平均2・7回は再話された。これは意外でなかった。
意外だったのは、話の婉曲の程度だ。学生たちは真実を曲げたばかりか、予想
以上に歪めていた。 
・全談話の61%に情報の追加、省略、最少化をおこなっていた。それでも、
 その程度そうしたかと尋ると、全体の42%しか認めなかった。この差は大きい。
・改変の最たるものは重要なディテールの省略、36%もの話にあった。
・ついで誇張と最少化が26%。
・そして13%がまったくの捏造―もとの出来事と関係ない情報を占めていた。
その上に、学生は話を聞き手の好みに合わせただけでなく、さらに重要なことに
 自分の目的に合わせていた。特に面白い話題には、更に嘘を付け加えていた。
・・・(略) 人間はなぜ、このような嘘をつくのだろう? トヴァンスキーの
考えでは、一つの説明としては、語ることの目的の設定という。…(略)
談話は、事実を語る手段ではなくて、ある目的を達するための手段にもなる
と彼女は主張する。そしてその目的の一例をあげた。
<たとえば相手に何かを思わせ、自分へのアクションを起こさせるため。
 自分を好きに思わせるため、頭がよい、しっかりしていると思わせるために>
その意味では、対話の目的とは事実を伝えることではない。印象をつくりだす
ことだ。だから話の正確さが二の次で、印象操作が優先されがちになる。
…(略) 要するに、私たちは自分の嘘を本気で信じるようになる。に関らず、
このプロセスが自分の中で進行していることには気づかないのである。≫
――
▼ バケモノはバケモノ。とって喰われないための自己防御に一生を費やし、
 人生を終える。それも人生。決して、非難は出来ない。世間人の世間話とは、
所詮は、こんなもの。地区内炎上が日々、漫画的に行われている。
カルフォルニアのロスの中華街の中国社会を例にとると解りやすい。
中華街の常識は、そこだけの世界のこと、街を一歩出れば、それは非常識。
コスプレのような「印象操作」で、娑婆と競い諂うのも、面白いが…。
 後記)偶然だが、4年前の文章に文脈が丁度良くつづく。そういうこと!

・・・・・・
4368, 歳を取りそこねる人たち ー2
2013年03月02日(土)
       「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち」春日武彦 (著)  
「老いると独自の当惑や釦の掛け違いによる問題、恥や失望や悔しさが待ち
受けている」というのが本当のところ。そして最期は死ぬのである。
その中で幸福であるために、幸福とは何かを常に自省しなければならない。
  * 幸福のふたつの文脈
≪ 近頃の私は、幸福が二つの文脈から成り立っていると実感するようになった。
・ひとつは日常における安寧とか平和とか、つまり波風の立たない平穏の毎日
 である。それは往々にして退屈に感じたり、無価値に映る。だが、大病を
 患ったり危機の状況に追い込まれると、つくづく【当たり前の日常】
 の有難さに気づく。現代社会における大問題として、年齢を重ねたなりに
 淡々として、維持していく筈の【当たり前の日常】が、老人にとって
 手の届かない危惧が挙げられてないだろうか。
・幸福におけるもうひとつの文脈は、それこそラッキーなこと、嬉しいこと、
 楽しいこと、満足感を得ること―― そのよう躍動的で高揚感をもたらす事象
 との出会いであろう。こちらは個人差が大きく、ある人にとって十分喜ばしい
ことが、別の人にはむしろ物足りなさや悔しさを惹起することなど幾らである。
 こうしたことも、歳を重ねて肩の力が抜けてくれば、それこそ春の訪れを
 告げる日差しの変化とか、隣人から土産にもらった鯵の干物の美味さとか、
 窓の向こうに見える教会の屋根の赤い色と自宅で飼っている金魚の赤色とが
 まったく同じ赤であったことに今さらながら気付いた軽い驚きであるとか、
 学生時代に読んだ小説を再読してやっとその素晴らしさを悟った喜びとか、
 そういったもので十分に幸福の文脈を形成し得るに違いない。ガッツポーズ
 をしたくなるような晴々しい出来事に遭遇しなくとも、さりげなく幸福の滴を
 感じ取ることができる。それが年寄りになることの醍瑚味だと信じてきた
 (へいや、今でも信じている)。… ≫
▼ 幸福とは、当たり前の日常を受け入れる「受容」と、驚き、楽しみ、
 満足感をえる「新鮮な事象との出会い」にある。自虐的な性格もあり、
倒産すら楽しんでいた自分がいる。ならば、老いていく自分を楽しむには、
これは最適。 ー次のアマゾンのレビューが解りやすいー
《 老いるとはいかなることか、そのかたちの探求を試みる。自己の人生の
 なかで出会ってきた様々に個性的な老人たちや、小説に描かれた味わい深い
老人たちを参考にしながら、その探求の過程において示されるのは、著者の
考える素敵な老いや適切な「年寄り」のかたちも若干はあるが、ほとんど、
みっともなかったり、哀しかったり、ときには常識をはずれさえするグロテスク
な老いの姿。他者と生き別れ死に別れた孤独のなかで、死の可能性が充実した
ゾーンへと入っていく時、空間の戸惑いのなかで、人間が抱えている厄介な
ものが唐突にあらわになる。老いるとは、あらゆる出来事に対する達観した
精神の獲得といったようなものではなく、人生が与えてくる難儀さに傷つけ
ながら、なんとか過ごしていくことではあるまいか。》
 肉体も精神も老いぼれ朽ち果て、無になる。それで良いではないか。 
ただ、噂話や愚痴を言い合う老人の群れに入らないことだ。

・・・・・・
5465,新約聖書は、共同幻想の『おとぎ話』
2016年03月02日(水)
   * キリスト教のアキレス腱
 大自然の働きを、神になぞらえて、共同幻想をつくりあげ、何とか人類は、
ここまできた。モーゼのつくり上げたアラーの神Xも、ユダヤ教キリスト教
そしてイスラム教の神とした共同幻想。しかし、この情報化社会では、共同幻想
の甘さが露呈してきた。 〜その辺りを哲学者は、以下のように表現している。
≪ 西洋といえばキリスト教である。はじめは数人の信徒しか持たなかった
キリスト教が、世界を支配するようになる。これは世界の不思議の一つである。
もっとも宗教というものは、たまたまタイミングがあえば爆発的に流行るもの。
仏教やイスラムにしても最初数人の開祖、信徒は数名であった。
 さて、キリスト教であるが、その教義にはもともと不自然なところがあった。
キリスト教一神教である。しかし、イエスを神とみたため、話がややこしい。
エスは「父なる神に呼びかけている。そうすると神は二人いるのか? 父なる
神とイエスが神なのか? いやいや、そうではないという。神はもちろんお一人
である。父なる神とイエスさまと聖霊は三つのものであるが、しかし、ほんとうは
一つであるという。これが「三位一体説」である。これまで誰もまともに説明
できた人間はいないのである。かのニュートンも、これには悩み、『聖書』を
徹底研究し、最後にはイエスは神ではないという結論に達するのであった。
 よく考えてみよう、もしイエスが神であるとすれば、「生まれた」というのは
おかしくない,か? 神が生まれるのか? 神は物事を生み出す原因であり、それ
自身は何からも生まれるものではない。生まれたとすれば、神を生んだもの、
つまり神以上にすごいものがあることになるのではなかろうか。
 あるいは、イエスが神で、神を生んだのがマリアとすれば、マリアのほうが
偉いのではないか?そういう意見も出てくる。イエスは死んでよみがえったと
いうけれど、しかしそもそも神が死ぬものであろうか?十字架の上でイエス
血を流し、苦しんでいるようであるけれど、しかし神が痛さを感じるものか? 
ともかく、三位一体説はかなり問題のある理論なのである。 しかし、めちゃ
くちゃであろうとなかろうと、イエスが神だ、とするのがキリスト教である。
エスは神ではない、とするとキリスト教の存在理由がなくなってしまう。
 しかし、根っこが問題ありの教義であるから、当然、これを批判する人間は
いつの時代にも出てくる。そうするとどちらが正統でどちらが異端であるか、
という争いがはじまる。キリスト教にはこの手の争いがつきないのである。・・≫
▼ キリスト教原理主義国家がアメリカ。ユダヤ教原理主義イスラエル
 アメリカ大陸でイギリスを中心に立ち上げた国がアメリカ。カナダは、
フランスが立ち上げた国。これと、欧州連合と、アラブのポチに対しての
戦いが、本格的世界大戦の様相を表しているのが現在の世界。その結果、
以下の内容に続いていく。
・・・・・・
5100,悪夢の21世紀 ー5
2015年03月02日(月)
   * 「ニヒリズムに落ち込む世界」 〜?
  ー 自由、民主主義の普及こそ混乱の元凶ー
 最近では、「アラブの春」の一連の独裁国家の打倒。その結果、現れ出た
のが、「イスラム国」。キリスト教原理主義アメリカが主導する世界に対し、
独裁者から解放されたイスラム教徒たちは、対抗するためイスラム原理主義
向かうのは自然だが、それにしてもモハメッドの頃の戒律厳守とは・・。
( 9 ) ≪ 欧米的価値観の勝利? 現状はそれどころではない。
 イスラムアメリカの対立が益々激化。民主化したはずのアラブは混迷に
中に迷い込み、新興国を巻き込んだ市場経済グローバリズムは、資源や
市場をめぐる果てしない競争へ突き進んでいる。しかし、自由、民主主義の
普遍性、市場競争の普遍性などの近代主義こそが混迷を招く張本人。
だから、事態はかなり厄介である。近代主義を押し進め、グローバル化
していることそのものが問題。だから、今日生み出されている様々な
危機的な事態を乗り越える方法が見当たらない。自由、民主主義、
人権思想、市場経済グローバル化や技術革新によって問題は解決しない。≫
(10) ≪ 人々の自由が拡大すれば拡大するほど、人々は益々自由を求め、
 その自由は相互に衝突する。それを調停するのは最後には「力」になる。
民主主義は問題を解決しない。民主主義そのものが、多数という「力」の原理。
イスラム教のような人民主権でなく「神権政治」を訴える宗教が出てくれば、
民主主義は有効性を失う。人々が豊かさを求めて市場競争をするほど、利害は
衝突する。グローバルな市場競争は、徐々に帝国主義的な様相を示してゆく。≫
(11) ≪ 今日の世界的な人口増加と新興国の経済成長を前にすれば、
 資源問題、環境問題、食糧問題の三点セットは、すでに世界的な問題。
世界的な問題とは、「世界」が我々の外にあるものではなく、我々も
そこに含まれ、いやがおうにも当事者になってしまっているという意味。≫
▼ 中東問題は、数千キロ離れた海の向こうのことだったが、ネット社会は、
 その生々しいテロや処刑を一瞬にして現前させる。この川崎中一殺人事件は、
明らかに、イスラム国の斬首の映像に影響されたもの。「目には目を、歯には
歯を」は、ハンムラビ法典や旧約新約両聖書に出てくる。我々は、これを
「やられたらやり返せ」という意味で使っているが、同害報復までの法で、
過度な報復を防ぐためである。「倍返しとかダメ」と。4000年前、すでにこの
ような、争いの拡大を防ぐ知恵があった。原理主義の衝突はニヒリズムを生む。
老いは、日々、ニヒリズムを強くする。しかし、生きているうち!いまのうち!
で、二年前の内容が、偶然だが続く! 

つれづれに

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  今日のYoutube

 はや木曜日。もう明日はシネマの日になる。
一週間がアッという間に過ぎ去っていく。 




3994, 時代が生んだ、ボーカル・アンドロイド
2012年03月02日(金)
   
 * 初音ミクには驚いた
 最近、NHKニュースや「クローズアップ現代」で取り上げられた
初音ミク」には驚いた。検索で調べたブログに次にようにあった。
≪  ◎ 思いが伝わる声を作れ ~初音ミク 歌声の秘密~
 ステージ上で歌って踊る日本発のCGキャラクター「初音ミク」。 
世界中でライブが開かれ、人気が急上昇している。人気の秘密は、その自然な歌声。
ある声優の声を録音し、その声の素材から合成しているが、人間の脳の認知の仕組みに
 最新技術が組み込まれている。 最近、音声合成技術は飛躍的に進歩し、社会に深く
浸透し始めている。特に注目されているのが医療の分野。声帯の切除を行う喉頭がんや、
ALSなど進行性で筋力が低下する運動ニューロン疾患などで、声をだすのが難しい人たちに、
 音声合成技術によって、再び自分の声を取り戻してもらおうというのだ。音声合成
技術の最先端を伝える。 ≫
≪  ◎ 初音ミクーカルチャー&エンタテインメント
 パソコンの音声合成ソフトによって作成されたボーカル・アンドロイド。 
札幌に本社のあるクリプトン・フューチャー・メディアが2007年8月に発売した
VOCALOID2』で、現実には存在しないバーチャル・シンガーである。 メロディと
歌詞を入力すると、合成音声がその通りに歌う。YAMAHAが長年研究してきた周波数
ドメイン歌唱アーティキュレーション接続法を採用しているので、母音と子音が
なめらかにつながり、実際の人間と変わらないような日本語になっている。
キャラクター・ボイスは声優の藤田咲の声であるが、 それを元にして、自身で
パソコンの画面上のピアノのキーでメロディを打ち込み、歌詞を日本語で入力する
ことで、音声合成された声でメロディに合わせて自在に歌わせることができる。
強弱の変化やビブラートをつけたいときも、音符をダブルクリックするだけで
 簡単に編集できる。まるで音楽CDのプロデューサーやディレクターの気分になる
ことができるソフトなのである。 ≫
▼ カラオケで好きな曲を歌うと、モニター画面に初音ミカの歌声と姿が出てくる。 
また初音ミカのライブが開催され、会場にはバーチャルの初音ミカが現れ、歌い踊る。 
こうなるとSFの世界である。Youtubeには、そのソフトを使った多くの初音ミカが歌う
音楽が投稿されてある。それはバーチャルのCGキャラクターを通して、自分の曲を
世に問うことになる。 設定が年齢が15歳、身長が158センチだそうだ。 
バカみたいと言えば、そうだが、ライブの映像の歌とフリは面白い! 
  ・・・・・・・
3628, 閑話小題
2011年03月02日(水)
* 女子高生が電車内で毛を剃っていた
 先日の朝日新聞(全国版)投稿欄で中年女性の投稿に目を奪われた。
「電車内のこと、小千谷辺りで女子高生がやおら剃刀で脛毛を剃り始め、さらに
腿の毛まで剃っていた」という。化粧をしていたとか、スカートからジーンズを
変えている目撃談はあるが、ついに毛まで電車内で剃るとは恐れ入る。
その手順からして、今回が初めてとは思われなかったという。
年々、中高生の質の低下が問題になっている。新幹線内では見かけないが、
在来線や駅構内での学生の横暴無人の言動に唖然とする。こうなると質の低下云々
の話では無くなってくる。 携帯電話、パソコンなどから、色いろな情報が入って
くるが、それぞれのレベルに無制限に入るのだから、プラス・マイナスの拡大が
進むことになる。以前、有名カメラマンが電車内の女子高生の荒れた写真を公表した。
魚は頭と尻尾から腐るというが! 「今の若い者は!」という古来からの小言がある。 
今さらだが…

・・・・・・・
3263, つれづれに 
 2010年03月02日(火)
  * 冬季オリンピックは終わったが
 オリンピックの賑わいも、昨日まで。今日からは現実がまっている。
この商売は不景感がモロに伝わってくる。 実感は、「大津波が静かに荒れている!」
というところか。狼少年ではないが、狼がいても今さら騒いでも仕方がないと、鍵を
かけて家の中でジッとしている、という喩えか。民主党、これで本当に大丈夫なのか? 
革命ごっこはいいけど、社会と経済が壊れてしまえば、もともこうもない。
  * 「津波と高波と高潮の違い」とは
「高波、大波」は、一般的な波で大きな波。「高潮」は、台風などで水面が盛り上がる
現象。気圧がさがる事によって、水が上に持ち上がる現象をいう。カトリーナ
被害はこれである。「津波」は、地震などによる海底の振動や隆起によって水が持ち
上げられて起こる。持ち上がった水が周りに広がっていく現象。震源地の周囲が一様に
一時的に水面が上昇、海岸線の海面が一気に上昇して、津などの内陸まで水が押し寄せる。
チリ地震のように地球の裏側まで到達することもある。「津波」と「高潮」は
「水面が上昇する」という現象において同じ。海底の隆起によって起こった水の盛り
上がりは、当然元の水位に戻ろうとするので、津波による水位変化は一時的。高潮は、
気圧が上昇するまで続く。津波地震だけでなく土砂崩れで湾が一気に埋まって
しまったりする場合にも起こる。「津波」が英語で「TSUNAMI」なのは、ハワイの日系人
が「津波だ」と言ったことが語源とされている。潮が一気に引いたのを見て、日系人
経験則から「津波がくる!」と避難を促したことが切っ掛けである。
チリ地震をきっかけに、数年前に起こったインド洋の津波の映像を幾つかiTuneでみた。
現在、100年に一度の恐慌という大津波が世界を襲っていることと重ねると、
とんでもない事態がわかる。まず日本に、そして欧州に、そして、中国に連鎖して
いくのだろうが。

・・・・・・・・・
2888, 天地人と先祖
2009年03月02日(月)
 現在、「天地人」を日曜日の20時の連続ドラマで放送している。 NHKの、
このゴールデンタイムのドラマは20年来見なかったが去年から観始めた。今年は
地元越後の上杉家・家老の直江兼継が主人公で、先祖の縁があるので面白い。 
 堀井の家系は小父谷市近郊の片貝に、30代近く続いた総本家がある。
4代前の祖先が江戸末期に長岡に出てきたと子供の頃から聞いていた。その堀井家の
総本家に父が亡くなる数年前に訪ねていったという。ご先祖様は上杉謙信が亡くなった
後の起きた御家騒動御館の乱】で負けた影虎の家来で、その火中に小父谷郊外の
片貝の池津の村に落ちてきたという。
  (字数制限のためカット2011年3月2日)
・・・・・・・・・
2524, 酒は涙か溜息か 
2008年03月02日(日)
「酒は憂さ晴らしに逆効果 」ー東大がラットで実験ー 
という記事が先日の地元紙に載っていた。
 ーまずは、その内容をー
憂さ晴らしに酒を飲んでもむしろ逆効果? 嫌なことを思い出した直後にアルコール
を摂取すると、かえってその記憶が強められることを松木則夫東京大教授(薬理学)
らがラットの実験で見つけ、28日までに米専門誌の電子版に発表した。
人の場合なら、嫌なことを忘れようと酒を飲んで一時的に楽しくなっても、翌日には
楽しいことを忘れ、嫌な記憶が強く残ることを示しているという。松木教授は
「酒を飲まずに、嫌な記憶に楽しい記憶を上書きしてしまうのが良いのでは」と
“しらふの気分転換”を勧めている。実験で、かごに入れたラットに電気ショックを与え、
恐怖を学習させると、かごに入れただけで身をすくめて固まるようになる。チームは
いったん固まった直後のラットに飲酒相当のアルコールを注射した。
 その結果、注射しないラットと比べると、かごの中で固まり続ける時間が長くなった。
その効果は2週間続き、記憶が強くなったと判断されたという。(共同通信社
 ーー
以上だが、20年以上前になるが、ある取引先の営業の人に 「私は、不味い酒は
飲まないことにしている。自棄酒とか、気分を紛らわせる酒は、ますます気分も体調も
悪くする。楽しい酒を選んで飲めば気分は更に良くなるが、その逆を金を出してすると
逆効果になる。」と言われた。そして、その日以来、忠実に守ってきた。
10年ほど前に、高校の同級生に「おい堀井、御前な?自室でな酒を飲んで、二日酔い
をした経験をしたことがあるか?」と言われ、そういう経験の記憶は殆どない。
色々の挫折の末に独りで部屋に篭って飲みざるをえない酒の味を言いたかったのだろう。
そいうば私の好きな歌に古賀政男の「悲しい酒」がある。
1 酒は涙か 溜息か  心のうさの 捨てどころ   
2 遠いえにしの かの人に 夜毎の夢の 切なさに
3 酒は涙か 溜息か  かなしい恋の 捨てどころ  
4 忘れた筈の かの人にのこる心を なんとしょう
 「かの人」を、「かの憂さ」、「恋」を「傷」と置き換えると、中小企業の
 オヤジや、サラリーマンの赤提の憂さ晴らしと同じになるか! これを歌っていると
何とも面白く楽しくなるのは如何いうこと?  飲まなきゃ、やってられないことは
 よーく解るが!「しらふの気分転換」じゃ晴れないから飲むんじゃないか!ったく!! 
ってのが、おちか!

・・・・・・・・・
2007年03月02日(金)
 2159, 閑話小題  (o_△_)oゴロン (o_ _)o.。o○グー オハヨ?
* 都知事選が面白くなった!*
 ・都知事選に前宮城県知事の浅野氏が立候補の意向を表明した。これで見ている分
  には面白くなってきた。石原知事は批判があるにしても、名知事である。少し変節
  したが許容範囲である。しかし浅野に代わるのもどうかといえなくもない。
  これで三月・四月の面白いイベントが一つ加わった!
  石原都知事も浅野氏が出てくるとは思ってなかっただろう。一番手ごわい相手である。 
  浅野の方が勝ちそうな気がするが、実績からみて五分五分だろう。 首都圏の為に
  どちらが有効なのだろう?まあ、楽しみが一つ増えた! 
  浅野氏勝ったらゼネコンは一大事だろう。談合が更に厳しくなるからだ。
* 中国発、世界同時株安*
  この言葉は何処かで聞いたことがある。同じような題名の本の題名が数年前から
  本屋の平台に積んであった。今回の下げは地震に例えるならば、前振れの余震だろう。
  それが数度つづいた後に、本格的な大地震がくる。現在の世界経済は、一度清算
  しなければならないところにきている。以前は、世界大戦というカタチで清算してきたが、
  それができなくなってきた。今は株や債権の暴落から大恐慌が発生、それがキッカケで
  破壊がおこなわれる。
* 新潟駅周辺が変わり始めてきた*
  日本海側初の政令都市へ移行にともない、新潟駅周辺も変化を始めてきた。
  今日明日中に新幹線改札口近くの専門店街大改装と、その至近距離にあるやはり
  大型ビルの地下と1Fに大型書店など合計1万平米が開店。駅から6分ほどにある
  万代シティーのSCのダイエー跡も今日、開店。合計一万数千坪の商業施設が新たに
  オープンするのだから、雰囲気は一変するだろう。今までが、郊外のSCに押されて、
  駅周辺が寂れる一方だったが、これで駅再開発工事も始まりやっと明るさが見えてきた!
 ・・・・・・                   (o ・д・)ツ  バイ!   
2006年03月02日(木)
1794, 超アメリカ整理日記 ー1       (o´・ェ・`o)♪ぉはょぅ  ー読書日記
 ー スタンフォードから日米をみると・・ ー
野口悠紀雄氏がスタンフォード大学客員教授時代に週刊ダイヤモンド誌の2004年5月1・8日合併号
?2005年4月16日に連載したものをまとめたもの。米国生活からみる日本の政治経済システムの貧困
を説いている。政治経済学者の視点で、米国と日本のシステムの差異の分析が解りやすい。
現在の日本の国際競争力の低下、高コスト構造、年金制度、など、社会システムの非合理性を
指摘している。イケア、マイクロソフトトヨタ、米国デトロイトの盛衰なども登場。経営、
経済、経済システムや、荒涼とした大地に、都市と生活とクルマ社会のアメリカのシステム。
それに対する、日本という国土の狭い国の諸処にシステムとの比較、それによって、浮かび
上がってくるシステムの矛盾の指摘がわかりやすい。~旦_(^O^ ) コフィーどうぞ!
 ー印象に残ったところを幾つかあげてみるー
p.43「能力に応じた役割分担」こそ、アメリカ社会の能率を支える基本的なメカニズムなのだ。
p.190 日本で所得を得て海外で生活すればよい
   →日本の高い物価を回避する手段。年金生活者にとっては、不可能ではない。
ただし現地のコミュニティに溶け込むことが重要。
(字数制限のためカット2012年3月2日)
・・・・・・・・
2005年03月02日(水)
1429, 中年クライシス(中年の危機)の悲劇
岐阜で57歳の父親が子供と孫と犬を道ずれに心中を図った事件があった。以前から、
随想日記で書いてきた「中年クライシス」の暴発である。母親の痴呆と、長男の問題、
病気、職場の関係、犬の世話等々で、自分の神経をやられてしまった典型的な事例である。
そういえば、十数年前の私の環境に似た環境である。海外旅行と、精神療法系の本を読んで
いたので何とかのりこえた。40代後半から60代前半は、こういう問題が誰にも押し寄せる。
見せているか見せていないかだけである。その中で一人でする、スキップと鼻歌は、背中に
大きな荷物がある為か演歌調になるが。真面目な人ほど、ある日突然爆発する。その処理法
の知識がない上に気弱だと、尚のことである。この人の趣味は警察犬の調教とTVでいっていた。
それでも苦しみを乗り越えることができなかったのだろう。外的適応に疲れ果てた末路と
いえばそれまでだが、人生の転換期に、内側に対して目を向ける術を知らなかったのだろう。
深い洞察に裏づけされた内的適応が必要だったのだ。痴呆症の親族と同居は、苦しみの底に落と
されてしまう。直接原因はこれだろう。 以前、読書日記に ー『心』の出家ーの感想文を書いた。
後でコピーしておきますが、 その一節の言葉が印象的である。自分の周囲に張りめぐらした
垣根(ペルソナー仮面)を取りさることである。神吉拓郎の「金色の泡」の中での主人公
欣吾と従兄弟の会話で以下を語らせている。
 ー文雄がいった。
「俺、発見したんだ」「なにをさ」「40にして惑わず、という言葉があるだろう。
騙されてはいけない。 あれは偉大なる皮肉なんだ。本当はそうなんだ」「どうして」
「とにかく、そうなんだ。40前には、迷うことなんかないよ。夢中だよ。世の中に出たばかり、
目がくらんでいるか解らない。 あり合せの目標に突っ走る。一段らくしたときが一番恐い。 
40をすぎた頃に初めて迷いが出るんだ。今まで何をしてきたのだろうか気づくんだ。
え、そうじゃないか。 迷いが出てきただろう」「そういえば、そうかな」「迷うのは、
40からなんだ。それが本当だよ。 恐らく、死ぬまで迷い続けるんだろうと思う」
「迷わない奴だっているだろう」「そんな奴は、一生馬鹿なままさ。しあわせという
言い方もあるだろうがね」 ペルソナ(社会的仮面)は必要なものである。
それは一定の効果を持つし、社会を渡って行くために不可欠かもしれない。しかし、
その仮面を剥いで生きたいと、こころの奥に思っているものだ。そのことに気づき、
生き方の大転換を図るのが、こころの「出家」なのだ。ペルソナについて、ユングは、
外部に対する適応とか、やむをえない便宜とか理由から生まれてきた一種の
「機能コンプレックス」であるという。それは個性というものとは違うものである。
安定したペルソナの下に。常にそれに影響を与え、それを脅かす内的世界が存在している。
 ▼ 誰も、この一家心中の中年男の心を知ることが無かった。タマタマ犬の調教で、
TVのニュースの映像が流されていた。真面目な、気弱そうな、何処にでもいる善人面
をしていた。私の解釈では、・真面目な、・気弱そうな、・善人面ということが、
問題全てを一人抱え込んでしまった。誰に聞いても、優しい良い人だというところに
問題があった。それ故に、母親と長男の問題と、職場の配転とか、犬の調教の疲れなど
の全てが長年にかけて山積になった。良い人というペルソナを、脱ぎ捨てるとかが
できなかったのだ。

・・・・・・・
2004年03月02日(火)
 1063, 高級1DKマンション ー1
 高級というよりアッパープライスのマンションという表現が適当だが。
最近インターネットで、最新型の1DKマンションをネットサーフィンをしながら
調査をしている。そして面白そうなものは、資料を取り寄せている。特徴としては、
多くのホテル並みのサービス機能がついているものが多い。
 (字数制限のためカット2012年3月2日)
・・・・・・・
2003年03月02日(日)
 697, ルーツー2(縦人脈)
  ーその資料によると
 先祖を遡ると「平家の侍」であったが「源平の戦」で負けて、落人となって
富山から上越と逃れてきた。そして「上杉家の家来」になった。上杉謙信の時代に、
上越の高田の先にある新井市の郊外にある「鮫ヶ尾城」という出城の城主であった。
謙信の死後、跡目相続の争いの「お館の乱」に巻き込まれて、小千谷の郊外の
片貝の近くの「池津」の村に知人を頼って逃れてきたという。その時の先祖の名前が
「堀井宗親」と「堀井四四太郎」という。一緒に逃げてきた名前が馬場、小黒、大
矢とか。その後、そこで百姓をしていたようだ。ルーツというほどのものではないが、
平家・上杉という流れと、関西ー富山ー新井ー小千谷ー長岡の流れがある。
また、武士ー百姓ー商人という流れも時代によって変わってきている。金沢にいた時
(25歳)によくいった店が落人焼きの「平家」であった事を思い出した。
また第二新館の鉄骨が富山の「堀井鉄工所」であった。その検査に富山に行った時に
会った社長は正しく「堀井ヅラ」。その時入った食堂の電話帳で堀井の名を調べてみたら、
三桁に近い堀井の姓があった。上越市も新井も小千谷も本当に多いのだ。
長岡は10あるかないかで、新潟市では数人だけ。20年近く前に家内と子供と、
ドライブがてら鮫ヶ城に行ってきた事を思い出した。車を止めて独りで歩いて城跡に
行ったが、そこに立った時に何ともいえない気持ちになった。何か昔の記憶が沸き
立ってくるようなフワ?という感覚で、何かオーラに包まれたような気分である。
この気分は柏崎の「極楽寺」に行った時に同じ気分になった事があった。
そこで亡くなったある僧の墓を訪ねた時だった。人間の脳には全く知られてない
領域を感じた瞬間であった。家のルーツ探しから500年ー1000年スパンの鳥瞰が
できたのが最大の収穫だ。それと「自分とは何か?」を考える一つのヒントになった。
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2002年03月02日(土)
347,心の陰
人を指さしたとき、他の指は全て自分のほうを向いている。人を非難するのは、
結局自分の影を非難しているに過ぎないことを、いっているのだ。「他者認識は不可知」
という論がある。ー他人のそれを認識はできない、認識したらもう他者のそれでなく
自分のそれを認識しているに過ぎないー
これが理解できるかどうかで、「人生に背負っている人間関係の重荷」が半分か3分の1
に軽減する。特に「嫌いな人間」に対しては「自己の嫌いな部分」をみているにすぎない
からである。自己脱皮のできない「子狐」どもを嫌っているのは、今でも脱皮できな
かった自分の部分を見ている。自分もその「子狐」で、少し程度がいいだけだからだ。
私の嫌いな「教養のないオバサン」結局教養のない現実志向も、自分のある一面である。