* TV映画の楽しみ 〜『ミスト』
 アメリカ発の『刑事コロンボ』『ポアロ』刑事・探偵シリーズものが面白
かったが、今ではイギリス・北欧発に面白いのがある。半年前に、寝室に録画機
を入れ、二室目契約でWoWoWを見るようになってから、静粛の中、映画、ドラマ
鑑賞をしている。最近、見つけたのが、WoWoWの深夜時間帯の映画。そこには、
少し残酷だったり、マニアックなものが多い。これをスポーツジムから帰った
15時から17時までの時間帯に見るのである。 先日見たのが『ミスト』。
その意味は霧。「ラスト15分の衝撃的な展開」が良い。
  *『ミスト』のラストが凄い!  〜ネット検索によると
■ あらすじ:『嵐の翌日、デヴィッドは異様な霧に懸念を抱きながら息子と共
 にスーパーマーケットへ買い出しに出掛けた。すると、その濃い霧は間もなく
買い物客でごった返すマーケットに迫り、ついには町全体を飲み込むように
覆っていく。人々がマーケットに缶詰状態となる中、霧の中に不気味な怪物を
発見したデヴィッド。 一方、骨董品店の女主人カーモディは狂信めいた発言で
人々の不安を煽っていく。その夜、突如として霧の中のモンスターたちが襲撃を
開始、店内は大混乱に陥った! 原作者スティーヴン・キングと、フランク・
ダラボン監督が「ショーシャンクの空に」「グリーンマイル」に続いて再び
コンビを組んだ驚愕のホラー・ミステリー。霧(ミスト)の中に待っていた
ものは何か?映画史上かつてない、震撼のラスト15分!』
  〜ネットの感想に、その物語を簡略したのがあった〜
≪ ストーリー的にはシンプル。ある日、街に霧が発生した
 → やがてその霧はどんどん大きくなり、街全体を覆い尽くす
→ たまたまスーパーマーケットに買い物に来ていた主人公
→ すると突然お爺さんが「霧の中に何かいる!」と叫びながら飛び込んで来た
→ 霧の中から”見た事も無い不気味な生物”が出現
→ 全員、スーパーマーケットに閉じ込められてしまう…と、序盤の展開。
この後はひたすらスーパー内部での描写が続き、「出て行こう!」「いや残る
べきだ!」など異常な事態に直面した”人間同士の醜悪な言い争い”に終始。
そして徐々に精神的に追い詰められた人々は、「神の裁きが下されたのよ!」
と煽る宗教かぶれのオバサンの言う説得に耳を傾け始める。”霧の中のもの”
を描くのではなく、”得体の知れない何かに翻弄される人間の姿”を描くことが
メインだが、しかし!この映画の真価は、「ラスト15分の衝撃的な展開」に
よって初めて発揮される! 徹底的に追い詰められた主人公デヴィッドたちは、
スーパーからの脱出を決意。車へ乗るまでの僅か数十メートルで数人が化け物
に食い殺され、残ったのはデヴィッドと息子を含め5人だけ。一行はデヴィッド
の家へ向かうも、既に化け物の巣窟と化しており、奥さんも死亡していた。
あてもなく彷徨ううちにガソリンも底を尽き、救援の道を断たれた彼らが最後
に選んだ道は… 拳銃には弾が4発しか残っていなかったため、デヴィッドは
息子を含めた仲間4人を射殺。 半狂乱になったデヴィッドは車を飛び出し、
化け物に喰い殺されようと大声で叫び続ける。ところが、あれほど大量に発生
していたモンスターの姿がどこにも見当たない。いったいどういうこと?
その数分後、急に霧が晴れ、辺りが鮮明になってきた。そこでデヴィッドが
目にしたものは…おびただしい数の難民と兵隊、陸軍のジープ、戦車の姿。
陸軍は火炎放射器で怪物を焼き払い、スーパーも無事に解放されていた。
茫然と立ち尽くすデヴィッド。そんな彼の前をトラックが横切ります。
その荷台にはスーパーを飛び出した子供とその母親が乗っていました。
あともう少し耐えれば、デヴィッドと彼の息子も助かっていたのに…。
結局、デヴィッドは無事に救助されるが、いつまでも絶叫し続けていた… ≫
▼ 何とも後味の良くない内容だが、最後の思いもしない結果が圧巻。
 スーパーで、それぞれの人から現れ出てくる究極での人生が見えてくる。
得たいの知れないバケモノの正体が、軍部の秘密部隊が、空けてしまった
時空からの侵入者という設定も面白い。 ところで、シリーズものドラマと、
シネマ分を加えると、年に500本は? いやそれ以上みている? 
その、どれもこれも面白い。 現実も面白いが、デジタルのフィクションの
世界も面白い。 ますます馬鹿になるわけだ。

・・・・・・
5289, ー「原因」と「結果」の法則 ー  〜②
2015年09月07日(月)
   ー「原因」と「結果」の法則 ージェームズアレン(著)
 〜まえがき〜より
《 私がこの本で行っていることは説明というより提案であり、その目的は、
 出来るだけ多くの人たちが、みずからの手で、「自分こそが自分の人生の
創り手である」という真実に気づくことにあります。
 私たちは、自分自身が選び、めぐらしている思いによって、自分の人生を創り
上げています。心は、人格という内側の衣と、環境という外側の衣の双方の、
熟練した織り手です。そして、それらの衣は、これまでは暗闇と苦悩の中で
織られてきたかもしれません。でも、それらは、そもそも光と幸せのなかで
織られてしかるべきものなのです。》
   〜思いと人格〜
《 行いは思いの花であり、喜びは悲しみはその果実です。思いによって私たち
 人間は、自分自身を育てる、甘い、あるいは苦い果実を収穫し続けるのです。
「人間は思いの主人であり、人格の制作者であり、環境と運命の設計者である」
・・私たちは、自分の人生に深く思いをめぐらし、それを創り上げている法則を
自らの手で発見したときから、自分自身の賢い主人となり、自分自身を知的に
管理しながら、豊かな実りへとつづく思いを次々とめぐらすようになります。
そのときから私たちは、自分自身の意識的な主人となります。・・ 》
▼「念じれば花開く」である。「因果応報」という仏語がある。
 その意味は、【行為の善悪に応じて、その報いがあること。現在では
悪いほうに用いられることが多い。 「因」は因縁の意で、原因のこと。
「果」は果報の意で、原因によって生じた結果や報いのこと】
 仏教的考えを、西洋的に説いているともみれるが、思いが、如何に大切か。
人の心は9割がマイナーの思いに捉われているというが。意図的にプラスに
することは可能。 己を導くのは、誰でもない、自身だけ!
・・・・・・
4924,パワレルな知性 ー2
2014年09月07日(日)
   * カフェという集い −①   『パワレルな知性』鷲田清一
 『カフェ』について、が面白い!
   ー 学生時代の効用は、このフリーの立場での交わりが良い!
≪ このところ市中では「カフェ」という催しが盛んである。
「カフェ」と いっても喫茶店のことではない。「サイエンス・カフェ」とか
「アート・カフェ」といった類の、小人数でおこなうディスカッションの会。
市民が三々五々集まり世情について自由に論議し、その議諭を活字化するあの
ジャーナリズムの原型ともいうべきものを生んだ、英国の「コーヒーハウス」
にちなんで、そう名づけられたらしい。じつはわたしも15年ほど前から
「哲学カフェ」なるものを、町なかの集会所で、あるいはお寺の一室を借りて、
そしてときにじっさいに喫茶店でもやってきた。何について議論するかは、
集まった顔ぶれでその場で決める。そしてテーマに即して、だれかがまず
じぶんの経験を、そしてその解釈を語りだしたあとは、それを糸口に延々
三時間から五時間、あれこれ話しあう。 ルールはかんたんで、
:たがいに名を名乗るだけで所属も居住地も明らかにしない、
:人の話は最初から最後まできちんと聴く、
:他人の著書や意見を引きあいに出して長々と演説をしない、この3つである。
わたしはもう籍を離れているが、大阪大学臨床哲学研究室では、かつての
同僚や大学院生たちが個々にそれを拡げ、通算すると、もう数百回になると聞く。
ある日、もっとも年配の参加者が最後にぽつりと話したことばが忘れられない。
司会をしていた大学院生がまとめに窮しているときに、その、老人が口を
はさんだ。「まとめんでいい、知り合いでもない孫のような歳の子とこんなに
『家族とは何か』ということをまともに話しあったというだけで満足や」。 ≫
▼ 人生を振り返ると、20歳代の経験がベースになっている。視点が固まる、
 それまでが分かれ目! それに10歳までの実家の店舗での生活もある。 
今から考えると、様々な人間が集まり、その生態が、あからさまに露出していた。
花子とアン』の主人公ではないが、「朱に交われば赤くなる」である。
そこで、如何にオープン状態で、書籍と、様々な人と触れ合うか、その質量で、
人生は決まってくる。そこで大きな知的劣等感を得たのが、私にとって、
最大の収穫。以来、半世紀近く独学をしてきたが、私には器の大きさが
足りなかった。更に『酒量』『一言』が多過ぎた!
・・・・・・
4557, グレートジャーニーから見えてきたことは ?  ー2
2013年09月07日(土)
 * 携帯電話が、世界を変えている  
       「新潮45ー6月号」 ーたけしvs・関野吉晴の対談ーより
 旅番組などで、ケニアなどの僻地でマサイなどが携帯電話をしているのを
見かけて驚いたことが何度かあった。携帯電話の電波環境が出来ているためだが、
さほどインフラに資金がかからないのだろう。考えてみれば、僻地ほど濃密な
繋がりと日々の生活情報が必要である。苦労して僻地についた先で、携帯電話
をしている姿を見たらガックとするはず。ーその辺りが具体的に書かれているー
【 たけし〕ところで、そういう極限の地域で暮らしている人たちの生活って
 今も昔と変わっていないのですか。関野〕昔は自分たちが食べていくために
自給的生活とか狩猟採集で暮らしていた人々が、換金可能な作物を作っている。 
現金収入を得ないと生活ができなくなっている。最近はグローバリゼーション
がアマゾン、シペリア、 アフリカとか、どこまでも進行しています。
特にすごいのは携帯電話ですね。携帯で全てが変わります。
 たけし〕 それはどういう意味でですか。
関野〕携帯電話は世界を変えていますよ。アマゾンには、僕が四十年前から
 つき合っている先住民の部族がいます。 最初会った時は、大人たちは腰巻
だけつけて、子どもは素っ裸でした。そんな村でも三十年前に学校ができた。 
それは小学佼しかないから、中学校に行くようになると町の寄宿舎に人る。
高校生になると、皆な携帯を持ってる。村に帰ってくると電波は通ってません
が、携帯でダウンロードした音楽は聴ける。そうなると若者は伝統音楽ではなく、 
ロックを携帯で聴くようになる。文明人に近いほうがステータスが高いと
思うと伝統音楽に目を向けなくなり、どんどん文化が変わっていく。
アマゾンの奥地でさえそうなるのですよ。」
たけし〕 あっという間の変化ですね。
関野〕 ここ数年、フィリピン、マレーシア、インドネシアの海域で淘賊が
 いっばい出るところがあるんですけど、 そこにパジョという家船生活をして
いる漁民がいるんです。
たけし〕 確か百万人ぐらいいるとか。
関野〕それは海岸縁に杭を打ち込んで家屋をつくって住んでいる人たちも
 含めての数字です。わずかに家船で陸に家を持たない人たちがいて、その人
たちのところに僕は「泊めてください」と言って、一緒に暮らしていた。
ちょうど僕が訪ねた頃に彼らの生活にも携帯電話が入ってきたんです。
たけし〕 2004年から、日本人の祖先が日本列島に到達するルートを辿る
「新グレートジャーニー」(〜2011年)を始めていますが、それに挑戦していた
時のことですね。
関野〕 はい。南方から船で海上を渡ってきた日本人の祖先のルートを辿ろう
 としたんです。風の関係で航海で暫なくなると、パジョの人たちのところに
通っていました。彼らにとっても携帯はすごい役に立っている。家船が十数隻
あって、夜は集まってくるんですが、昼間は別々に魚を穫りに行ったりして
行動している。その時に、海賊がいるかいないか、携帯があれば安全かどうか
確認できたりするわけです。
たけし〕 海の上で電波が届くわけですか。
関野〕 沿岸から五キロまではアンテナがあれば届きます。
たけし〕海の漂流民がそうならば、砂漠のペドウィンはどうなんだろうね。】
▼ これは、僻地だけでない。都会の社会的弱者にも携帯が普及。
 弱者が結びつけば、強者に変身する。中国など多くの社会的矛盾を抱えた
国家は、ある日突然、この矛盾への暴発が起こることになる。そこにパソコン
機能が入ったスマートフォンの普及は、世界を根底から変えようとしている。
貧富の格差は、情報の格差から生じるが、それが均質化されていくとしたら、
格差は一部を除いて是正されていく。ただし、それは世界平準に近づくため、
G8は、G20の国々の平均値に、G20は、世界200ヶ国の平均レベル
になっていく。日本にとって、それは貧乏への茨道!
・・・・・・・
4182, 呪いの時代 ー2
2012年09月07日(金)
          「呪いの時代」内田樹
 呪いに対する言葉は祝福。含めて世の中が右上がりの時は、何事もハッピー。
しかし、世の中全体が右下がりになり、暗い世相の中では一部の勝ち組を傍で
祝福する人は少ない。羨望と嫉妬が、そこに生じてくる。特にこの情報化で、
そのの事態が生で伝わるから呪いが社会全体を覆ってくる。その中でハッピー
にいるには、「にもかかわらず祝う」しかない。現に生きている、そのことを
祝う諦念である。最後は生きている感謝しかないのである。
今さら世を呪っても致し方がない。
  * 「このようなもの」でしかない自己の承認   
     ー第2章 「祝福」の言葉についてーより
≪「生身の、具体的な生活のうちに捉えられた、あまりパッとしない
 この「正味の自分」をこそ、真の主体としてあくまで維持することです。
「このようなもの」であり、「このようなものでしかない」自分を受け入れ、
承認し、けなげに生きている姿を可憐と思い、一掬の涙をそそぐこと。
それが「祝福する」ということの本義だと思います。呪いを解除する方法は
祝福しかありません。自分の弱さや愚かさや邪悪さを含めて、自分を受け容れ、
自分をだきしめ、自分を愛すること。多くの人が誤解していることですが、
私たちの時代にこれほど攻撃的なふるまいが増えたのは、人々が「自分をあまり
に愛している」からではありません。逆です。自分を愛することがどういうことか
を忘れてしまったせいです。私たちはまず「自分を愛する」というのがどういう
ことかを思い出すことから、もう一度始めるしかない思います。≫
▼ 第二次大戦後、経済成長という僥倖に恵まれ「自由」が容易く転がり込んで
 来て、安手の「近代」を掴んだ。しかし、それが崩壊する中で、「全て他人が
悪い、自分は悪くない」という他責的で未成熟な言説がメディアにより拡がった。
豊かさが急速に萎み、大多数がプアーになりつつある中、呪いの時代と思われる
ほど惨めな社会になってきた。「このようなものでしかない」自分を受け入れず、
承認せず、祝福せず、自分探しという自分でない突っかい棒を求めて彷徨って
いる社会。わが国は平城平安の時代から呪いを基軸にして変転してきた。
ここで急に「呪いの時代」がキーワードになったのではない。呪いがあればこそ
古事記日本書紀源氏物語平家物語太平記法隆寺北野天満宮も正史に
登場しなかった。日本の文化文明の本源は、この呪いにある。だから一時でも
よいから祝うしかない。お祭りは、そのためにあったといえる。
社会に出てからの読書習慣がなかったら、現在、世を呪い、過去を後悔し、
人生そのものを否定しているはず。 娑婆娑婆!
 ・・・・・・
3817, 松下政経塾の野田が首相に
2011年09月07日(水)
   まずは松下政経とは何か? −知恵蔵2011ーによると
【 松下電器産業(パナソニック)の創業者・松下幸之助が、1979年に約70億円の
 私財を投じ、政治家育成塾として設立した財団法人。神奈川県茅ヶ崎市の6千
353坪の敷地には、寮棟・食堂・体育館の他、茶室やテニスコートも付設され、
入塾の応募資格は22〜35歳。全寮制で3年の研修を原則としているが、期間中に
選挙に出馬することは半ば容認。ただし、最低2年間を修了しないと退塾扱いになる。
授業料などの費用はゼロで、逆に研修資金・活動資金が提供される。
研修は人間学・哲学・近代政治学などの講座と茶道・書道・剣道などによる
精神修練が中心。また、現地現場主義の下、自治体訪問、松下関連工場での
実地作業、自衛隊体験入隊といったカリキュラムも用意されている。
過去30年間の卒塾生は237人で、このうち69人が政治家の道を歩んでいる。
開塾後の10年間で当選した国会議員は、1期生の逢沢一郎(自民党)だけだったが、
新党ブームが吹き荒れた93年の衆議院選挙で、一気に15名の当選を果たした。
政経塾出身議員の評価は分かれるが、世襲議員が増える中、選挙に必要な3バン
「地盤(地元支援組織)・看板(知名度)・カバン(資金)」を持たない若者に政治家
への道を開いている点で、政経塾の存在は評価されている。 
現職の松下政経塾出身の国会議員は、衆議院議員が27名、参議院議員が3名。
自民党では前述の逢沢一郎の他、元金融担当大臣の伊藤達也(5期生)、
高市早苗(5期生)ら、*民主党では元代表前原誠司(8期生)や野田佳彦(1期生)、
原口一博(4期生)ら、次代のリーダー候補が名を連ねる。この他、神奈川県知事
松沢成文横浜市長中田宏など、自治体の長も輩出している(2009年7月時点)】
▼ 現在の日本に丁度良さそうな人物が、首相に選出された。
 それも、松下幸之助憂国にかられ、つくりあげた人材育成機関出身。
存在そのものは知っていたが、まさか34名も国会議員になっていたとは驚き。
巷では、「人工栽培の頭でっかちのエリートの育成機関と」批判的だが、それでも
公明党に次ぐ出身母体になっている。どうも、二、三代目が目に付く中で、
こういう機関も必要?卒塾生の43%が、政治の道を歩いているという。
政治家は、一国を未来に導く仕事。「クールな頭脳と、暖かい心」を必要とする。
それを3年か、4年の期間でベースをつくり上げることが良いことかどうか? 
二代目政治家と、どちらが良いというと考えてしまう。 
やはり二代目より、まだましレベルか。現在議員は、貴族院化している。
 ・・・・・・・
3452, ニューカレドニアの休暇 −2
2010年09月07日(火)
 * ホェール・ウォッチング 
 オプション・ツアーの「ホェール・ウォッチング」に参加してみた。
家内はヨットに12時間も無理ということで、私一人の参加。20人乗りの
2Fのヨット(1Fにトイレとベッド)に、日本人が私の他に中年ペアー。
他は白人系15人を加えた18人。もう少し大きなヨットのつもりだったが
意外と小さい。外海に出たと同時に、船は二Mの波で大ゆれ。 
案の定、気分が悪くなってきたが後の祭り。乗員も分っていて海水を
入れたのを持ってきて、「あげろ!」という。そして胃を空にした。
その直後に睡魔が襲ってくる。 ロビーの椅子に座ったまま二時間ほど寝たら
気分は元に戻る。船酔いを心配していたが、その時はその時と覚悟はしていた
が、何とかなるものである。そうこうして鯨の出産場に三時間後に到着。
そこを40分ほどかけて通過している間に、5分位の間隔で、鯨が空気を
吸うために海面に出てくる姿をウォッチングすることができた。
そこでTV撮影を過って見たことを思い出した。今回は10匹近くを見ることが
できた。 鯨は、まず潮を噴き上げるので見逃すことはないが、潮を吹いて
7〜8秒しか浮いてないので、目を凝らしてないと見逃す。海も天気で大きく
左右するが、天候に恵まれたこともあり今回のウォッチングは大当たり。
また12時間も小型ヨットに乗船するのもワイルドな感覚で、南太平洋を堪能
することができた。甲板から海に向かって足を突き出して座って海を眺め
ボットするのも、気分は爽快である。また10秒ぐらいだったがイルカが二頭、
ボートと同じスピードで泳いでいったのも印象的。さらに帰港前の20分ほど、
タイミングよくサンセットにゆきあったが、南太平洋に浮かぶヨットと、
赤い色合いのマッチが印象に残った。一期一会、直感を信じ躊躇をしないこと。
・・・・・・・
3077,SCが工期半年で完成とは、驚き
2009年09月07日(月)
 長岡の自宅から500m先に、オープンモールの25店舗のSCが9月1日
に着工、来年の3月8日にオープンと現場の立て看板にあった。それにしても
半年とは驚いた。これから冬場の中で駐車場も含めてである。新造成地の更地で
全てが平屋だから可能なのだろう。突貫工事になるのだろうが、見ものである。
先月、近くで説明会があった。折込の通知によると、大和ハウスの総合企画で、
三菱東京銀行系が資金調達とあった。住宅地も数ヶ所売り出されているが、
坪27〜8万円、少し高いが環境からして悪くはない。 場所は長岡駅裏から
直線道路一キロほど、自宅からは5分の場所。自宅の100m先にSCがある
上に、長岡駅(12分)には一万坪の専門店街があるので生活環境は、
ますます良くなる。そのSCから車で数分(一キロ)のところに家具のニトリ
家電のジョウシン、ホームセンターのコメリ、ディスカウント、紳士服のアオキ
など20店舗近い川崎のオープンモールのSCがある。店舗構成をみると
バッテングをさけて補完してある。店舗が重なるのは、原信と、蔦や。
業種では中古ショップである。二つのSCを買い回ると丁度良い店舗構成。
これまでは長岡の信濃川の西に比べて、川崎のSCだけでは魅力が薄かったが、
この二つを合わせて対抗拠点として、周辺に店舗が自然発生的に出来ていく
過程をみることになる。長岡駅中専門店街は、年々、弱体化していくが、
駅前再開発も含めて大きく一変する。これも見もの。
間違いなく大きく縮小していく市場の中で、再開発だけは止まらない。 

つれづれなるままに

イメージ 1

他のブログ
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   今日のYoutube

 今日は思いの外、天候が穏やか。
午前中は、10時にツタヤでコーヒーを飲んだ後、
11時過ぎに、ヨガの予約チップを取り行ったが、
とき既に遅く、30分前に満席だったとか。
 15時にも、あるので、それに出席可能なので、
それはそれとして・・・ ヨガブーム、こういう時代は、
ヨガを通じた内面の充実が求められるということ。
 オーム教で、あれだけ、偏見を持たれていた、ヨガが、
ここまで人気になるとは。




・・・・・・
・・・・・・
3452, ニューカレドニアの休暇 -2
2010年09月07日(火)
 * ホェール・ウォッチング 
 オプション・ツアーの「ホェール・ウォッチング」に参加してみた。
家内はヨットに12時間も無理ということで、私一人の参加。20人乗りの
2Fのヨット(1Fにトイレとベッド)に、日本人が私の他に中年ペアー。
他は白人系15人を加えた18人。もう少し大きなヨットのつもりだったが
意外と小さい。外海に出たと同時に、船は二Mの波で大ゆれ。 
案の定、気分が悪くなってきたが後の祭り。乗員も分っていて海水を
入れたのを持ってきて、「あげろ!」という。そして胃を空にした。
その直後に睡魔が襲ってくる。 ロビーの椅子に座ったまま二時間ほど寝たら
気分は元に戻る。船酔いを心配していたが、その時はその時と覚悟はしていた
が、何とかなるものである。そうこうして鯨の出産場に三時間後に到着。
そこを40分ほどかけて通過している間に、5分位の間隔で、鯨が空気を
吸うために海面に出てくる姿をウォッチングすることができた。
そこでTV撮影を過って見たことを思い出した。今回は10匹近くを見ることが
できた。 鯨は、まず潮を噴き上げるので見逃すことはないが、潮を吹いて
7~8秒しか浮いてないので、目を凝らしてないと見逃す。海も天気で大きく
左右するが、天候に恵まれたこともあり今回のウォッチングは大当たり。
また12時間も小型ヨットに乗船するのもワイルドな感覚で、南太平洋を堪能
することができた。甲板から海に向かって足を突き出して座って海を眺め
ボットするのも、気分は爽快である。また10秒ぐらいだったがイルカが二頭、
ボートと同じスピードで泳いでいったのも印象的。さらに帰港前の20分ほど、
タイミングよくサンセットにゆきあったが、南太平洋に浮かぶヨットと、
赤い色合いのマッチが印象に残った。一期一会、直感を信じ躊躇をしないこと。
・・・・・・・
3077,SCが工期半年で完成とは、驚き
2009年09月07日(月)
 長岡の自宅から500m先に、オープンモールの25店舗のSCが9月1日
に着工、来年の3月8日にオープンと現場の立て看板にあった。それにしても
半年とは驚いた。これから冬場の中で駐車場も含めてである。新造成地の更地で
全てが平屋だから可能なのだろう。突貫工事になるのだろうが、見ものである。
先月、近くで説明会があった。折込の通知によると、大和ハウスの総合企画で、
三菱東京銀行系が資金調達とあった。住宅地も数ヶ所売り出されているが、
坪27~8万円、少し高いが環境からして悪くはない。 場所は長岡駅裏から
直線道路一キロほど、自宅からは5分の場所。自宅の100m先にSCがある
上に、長岡駅(12分)には一万坪の専門店街があるので生活環境は、
ますます良くなる。そのSCから車で数分(一キロ)のところに家具のニトリ
家電のジョウシン、ホームセンターのコメリ、ディスカウント、紳士服のアオキ
など20店舗近い川崎のオープンモールのSCがある。店舗構成をみると
バッテングをさけて補完してある。店舗が重なるのは、原信と、蔦や。
業種では中古ショップである。二つのSCを買い回ると丁度良い店舗構成。
これまでは長岡の信濃川の西に比べて、川崎のSCだけでは魅力が薄かったが、
この二つを合わせて対抗拠点として、周辺に店舗が自然発生的に出来ていく
過程をみることになる。長岡駅中専門店街は、年々、弱体化していくが、
駅前再開発も含めて大きく一変する。これも見もの。
間違いなく大きく縮小していく市場の中で、再開発だけは止まらない。 

・・・・・・
2712, 大相撲が面白い!
2008年09月07日(日)

若貴あたりから、違う面で大相撲が面白くなってきている。マスコミを巻き
込んで、北朝鮮のような瀬戸際のブラックジョーク的な展開を示してきた。
グローバルの流れと、人材不足をカバーするため、いち早く外国人に開放をした。
しかし国技とかいうが、法的に全く根拠の無い曖昧な協会が実態だが、税金を
払わない宗教法人と同じような扱いを受けている。相撲部屋は、ヤクザの世界に
酷似、縄ばり社会が寄り合っているだけ。部屋がそれぞれボクシングジムの
ように独立し、それが集まって大相撲協会をつくっている。 
だから,北の湖が言い訳をするのも一理ある。ボクシング協会が、
個々の選手の薬物まで責任はないのと同じである。 
そんなことは、どうでもよいが。

今回の土俵外の物語は、ロシアの三人の麻薬事件である。
一月前までは、朝青龍を中心としたモンゴル人がトラブルメーカーだった。
それが一転してロシアの(麻薬)文化?への話題が移ってしまった。
朝青龍かたなしである。今回の物語は北の湖理事長の辞任のプロセスである。
今回は、もう無理だろう?しかし・・ 昨日のニュースでは、期待をしていた
とおり相撲協会が尿をすりかえたり、自民党の??あたりが天皇家への尻尾
振りで、政治的な圧力をかけてくるか、などなど漫画的な動きである。
しかし、幾ら程度が低い彼らも、世界的にも注目を浴びているので、腰が
引けたのだろう。 日本のマスコミのロシア人兄弟に対する質問が甘い!
「ロシア国家に対する代表として、宣誓できますか」位の質問をすればよい。
もし、「もちろん、します!」と答えたら、帰国をして数ヶ月以内に行方不明
になるだろう。
 
大相撲を国技としている限り、今後、中国、モンゴル、ロシア、東欧の国家
戦略として日本バッシング戦略的対象になる。大相撲協会は、あまりに、軽く甘い。
 私が敵対国の政治家なら、対日の攻撃対象にする。 自国の強い力士に女とか
薬を与え、マスコミに騒ぎ立てるか、日本の力士を徹底的に怪我をさせるように
もって行く。それかモンゴルのように、三役力士を自国の力士で占有する。 
その意味で、外国人に開放をしたと同時に、旧来の国技という名を返上すれば
よかった。せめて日本の相撲のルーツのあるモンゴルと朝鮮だけに限定すべき
だったろう。それともモンゴリアンだけに。 しかし、現実は現実である。 
国技とかいう名を返上、払うべき税金は払い、横綱審議会など解散することだ。 
天皇家も閲覧席などに座らないで、しかるべき警備をして一般席に座るべきだ。
  こういう不祥事も、人気取りの前座と考え、割り切っているのもよい。
    あくまで、格闘技の見世物でしかないのだから。

・・・・・・・・・・
 2007年09月07日(金)
2348.ベナレス・・・4

 ーー
この街では私たちの世界と価値観が逆転しているとさえ感じられる。
そしてその不思議さは、私たちが生きる社会への、痛烈な批判なのかもしれない。
朝夕、スワループさんの僧院では神への祈りがささげられる。そこには路地に
暮らす数多くの人が参加し、スワループさんが唱える経典の言葉を聞き、
集まってくる人びとの中には、たくさんの子供たちの姿もあった。
かつてスワループさんがそうであったように、聖地ベナレスに受け継がれて
きた伝統が、また次の時代へと伝えられて行くことを感じさせる光景であった。
街が人を生み出し、人が街の営みを支えて行く。こうしてペナレスは聖地と
しての歴史を刻んできたのである。

スワループさんは月に数回僧院を離れ、寺院やほかの僧院の儀式などに呼ばれ、
祈りをささげに行くことがあるという。多くの場合、その交通手段はボートである。
数千年間続いてきた伝統の道に身を投じようとしているスワループさんは、
この街をどう見ているのだろうか。ここで両親を茶毘に付し、また二年前から
現世での生活を捨てるという視点からこの街を見つめ続けてきた彼は、ベナレス
の街並みが見えるガンジス河の上で、こたえてくれた。
「私にとって、この街は特別なところです。この街はすべてが本物なのです。
私は『死』のあり方だけを言っているわけではありません。この街で暮らす人びとは、
とても生き生きと活力に満ちて生きています。それがベナレスの力だと思うのです。
みんな対岸から朝日が昇る光景が好きだと言いますが、私は日暮れ時のべナレスが一番
好きです。太陽が街の中心に沈んで、この街にエネルギーが注がれる気がするのです」

「すべてが本物である街」ベナレス。スワループさんが言うように、この街に太陽が
沈む光景は、確かに陽の力が街に与えられるような荘厳なものであった。人生の最期を
家族と過ごす館「ムクティ・バワン」に通い出してから二十日が経っていた。
その間四人の人が亡くなられ、希望通りマニカルニカマトへと運ばれて行った。
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解)ベナレスも当たり前のことかも知れないが、やはり現地のあの雰囲気を実際のところ
味わってみないと、その意味は理解できないだろう。それだけの迫力と、深さを感じ
取ることはできる。あれだけ、あの地で死ぬことを欲していれば、死そのものの恐怖
は逆に消滅してしまうだろう。その意味では、宗教の力を直接的に感じる場所と言える。

・・・・・・・
2006年09月07日(木)
1983, 閑話小題
    Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning
 ーウォーキングの道でー
先日の土曜日の9時過ぎに土手でウォーキングをしていると、小学校の運動場で
運動会が開かれようとしていた。開会式のようで、マイクの声が聞こえてきた。 
ところが中学生の声で、「何々中学応援団団長何某!」その後に、小学生の女の子
の声で「何々小学校応援団長何某!」と、宣誓の最後に締めくくった。今どき、
中学校と小学校の合同の運動会か?と、思いつつ通り過ぎながら見ると小学生しか
いない。中学校の応援団が、運動会の高学年の応援指導をしていたのである。

学生服を着て、頭に長い鉢巻をした10人ぐらいの中学生が大声で、高学年の生徒
の前で応援の手ふりをしていた。何とも微笑ましいが、生徒のほうはピリピリ
しているのが伝わってきた。 運動会全体がしまっていたようだ。小さな集団に
小1のグループがあった。幼稚園の集団と間違ってしまうほど、幼さが残っていた。

紀子様、男子出産の意味ー
「朝生TV]のテーマではないが、紀子妃の男児出産で、次の次の天皇継承問題が
更に複雑になってきた。過去の女系天皇の場合、結婚をしてない女性が天皇
なっていた。 直径の血を薄めないためだろう。しかし、この時代まさか結婚を
しない訳にはいかない。天皇制を緩める意味で、女系天皇とその子供の天皇継承を
認めるのもよい。しかし紀子妃の男子出産で、次の次の天皇は紀子妃の男児に継承
される可能性が大になった。そうすると、次の天皇を皇太子が辞退ということもあり得る。
雅子様もそれでノイローゼが軽くなるだろうが、その判断は皇太子本人の意思?になる。
こういう直後に、意外と雅子妃の懐妊があるもの。どうなるか、時間が経たないと
解らないが・・ 雅子妃もホッとしているのは、間違いないだろう・・

関敬六という喜劇俳優が亡くなったー
関敬六といえば、TVが出始めの頃から脱線トリオの一員として、由利徹、八波むとし、
南利明等とトリオを組んで茶の間を笑いに包んでいた。また谷幹一渥美清と三人
のコントを今でも思い出す。 何とも人間味溢れた役者であった。
新聞に、その彼の訃報が出ていた。男はつらいよにも、端役としてテキヤ仲間と
してでいていた。これで渥美清も含めて、全て亡くなったことになる。 
一つの時代の終わりを告げているのだろう。
             (。・ω・)ノ☆゜+.バイ!        
・・・・・・・   
2005年09月07日(水)
1618, 楽しく生きるー3

「楽しく生きる」にも、色いろある。「ドラックをやって、目先の快楽を追
い求めて人生をボロボロにしてしまっても」と、いう意味で言っているのではない。
目先の楽しみだけを求めると、長期的に問題がでる。何ごともバランスである。
前回書いた「楽しく生きる」精神科医高橋和巳著の一部をさらに書き写してみる。

ー人生の「動」と「静」を楽しむー
私たちの生活のあらゆる動きを生み出しているのは「欲求」である。
それは無限のエネルギーを生み出したりして、人生の全体を創造している。
欲求が生まれ、動き出し、目的を達成すると、一つのサイクルが終わり、動きは止まる。
すると、次の欲求が生まれ、新しいサイクルが始る、この繰り返しが生命活動である。
その生命の欲求サイクルが始るところが心の奥底の透明な「意識」である。
ただ私がそこに「いる」だけの場所である。欲求は心の奥底の何もないところ、無から
生まれる。「欲求」は、生まれるとすぐに自分を実現しようと動き出すが、欲求を
生み出した「意識」はその動きに巻き込まれることなく、いつも欲求から離れている。
この「欲求」と、「意識」が私と私の人生を動かしている。意識は動かない「静」で、
欲求は動きまわる「動」である。

楽しく生きるということは、欲求を満たす過程を楽しむことである。そのため
には、いつも「動」と「静」の二つが私たちを動かしているのを忘れないように。
いつも変わらない「静」があるからこそ、 「動」を楽しむことができる。
「動」の欲求と「静」の意識が対になって、この世の花を楽しませてくれる。
楽しく生きる。 今、人生を楽しむ。 純粋の遊びこそが、遊びの真髄である。

ー私には「会いたいもう1人の自分」がいる欲求とその成就は、本来、単純である。
このような欲求を邪魔をしている唯一のものは、私たち大人が身につけている
「思い込み」である。この「思い込み」が、本来の欲求不満を自分から隠してしまう。
「思い込み」という間違った解釈を自分で与えることで、私たちは自分の欲求不満をそらす。
この自分の思い込みを解除することは、実はもう1人の自分に出会うことでもある。
思い込みが積み重なって出来あがる最大のものは、私たち自身の「自己像」についての思い
込みであるからだ。この思い込み、特にネガティブなイメージの取り除いて本来の自分
に出会うことが、「もう1人の自分に出会う」ことである。あったはずなのに気づかな
かった素直な自分の欲求に気がつく。素直な自分が嫌いな自分のすぐ傍にあったこと気がつく。
人生は、その素直な自分の欲求を満たしていく時間である。
 ー以上が、この本の概要である。

<自由とは、その周囲から植えつけられた「思い込み」からの解放である>
秘境ツアーに来ている人の中に多いタイプに、思い込みに気がつき、真の「自分探し」
の人を多く見かける。そのタイプを要約すると、ー親と世間の常識を信じて何も疑う
ことなく、何時の間にか歳をとってしまった。ふと気がつくと、あと数年しか時間的に
自分の残された人生しかない。このままでは、死ぬに死に切れない。
そのために捨て身で世界の果てに来て、自分の心の渇望を埋めようとしている。
もう少し早く気がつけばよかった。余白はあまりにも短い! 等々である。
「楽しく生きる」も、深い心の底からの欲求の充足でこそ意味がある。
その辺のカラオケで騒ぐ、軽いものをいっているのではない。 
魂が入っていれば、それでもよいか?

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2004年09月07日(火)
1253, 死について再び考える

過去に死について多く書いてきたが、五十嵐恭一さんの死で改めて死について
考えてみる。毎晩、何気なく寝ているが、そのまま目が覚めないと仮定して、
深い長い夢をみながら死んだとしたら、その夢と現実とはさほど変わりはしない
のではないか。 死んでしまえば、重油をかけられ燃やされ、灰に帰す。
骨は墓に入れられ、一年もしない内にほとんどの人から忘れさられる。

人生とは何なのだろうか?ー意味  その行蔵の中味は何か?ー経験
何を成しえたのか?ー達成     何を成しえなかったのか?ー挫折
それを成し得たとして、それが如何ということだろうか? 
人の苦しみ、喜び、快楽、達成とは何か? 精一杯生きたのだろうか?
  答えは無いと思うが、それでもヒントは以下の格言に多く隠されている。

ー生死の格言ー
・死者にたいする最高の手向けは、悲しみではなく感謝だ。byレーントン・ワイルダー
・墓場は、一番安上がりの宿屋である。        byラングストン・ヒューズ
・僕が死を考えるのは、死ぬためじゃない。生きるためなんだ  byマルロー
・虎は死して皮を残し、人は死して名を残す。保険に入っていれば金を残す。by吉行淳之介
・あたかも良く過ごした一日が、安らかな眠りをもたらすように、良く生きられた一生は、
 安らかな死をもたらす。              byレオナルド・ダ・ビンチ
・命とは、セックスで感染した病気である。      byガイ・べラミイ
・誰でも死ななくちゃいけない。でも私はいつも自分は例外だと信じていた。 
 なのに、なんてこった。              byウィリアム・サローヤン
・立派に死ぬことは難しいことではない。立派に生きることが難しいのだ。
                          by映画『無防備都市
・人間、死ぬときは死ぬのがよい。             by白隠
・どのみち死なねばならぬなら、私は、なっとくして死にたいのだ。  by梅崎春生
・死は生の対極としてではなく、その一部として存在する。      by村上春樹
・昨日まで 人のことかと思いしが おれが死ぬのか それはたまらん by蜀山人            
・死の恐怖は、解決されない生の矛盾の意識にすぎない。       byトルストイ
・不幸な人間にとって、死とは無期懲役減刑である。  byアレクサンダー・チェイス
・死の持つ恐怖はただ一つ。それは明日がないということである。byエリック・ホッファー
(字数の関係でカット08年09月07日)

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2003年09月07日(日)
886, 「ありがとうの言葉」ー8

昨日の散歩で何回『ありがとう』をいえるか試してみた。8500回であった。

 今日は1万回に挑戦をしてきたところだ。1万回は2時間以上ふるに言い続けて
初めて可能になる。言い続けるにしたがって、忘我の境に入っていくのがわかる。
7000~8000回が、その入り口であった。回りが全く遮断され「ありがとう』
の言葉に一体化してしまう。

 カウントを間違わないように指先に集中するのがポイントだ。そうしないと、
すぐに何かを考えてしまうからだ。右指を十単位、左指を百単位で折ってカウントをする。
カウントも、時間で計る方法と、距離で計る方法がある。今の私には指折りが最適のようだ。
慣れてきたら時間か距離の計測に変るつもりだ。散歩の歩数は、初めは万歩計であったが、
今は時間で計っている。散歩に「ありがとう」を言い続けるのが一番良いようだ。

 この随想日記を読んで一番初めに反応してきた、ある社長は一日平均6000回
言っているという。また彼が紹介した知人の数人が、「幸せの宇宙構造」を10~20冊
買って周囲に配っているという。 ありがたいことだ。反対に一週間の約束で貸して、
2ヶ月以上経った今も返してこない人もいる。
「ありがたい」と思えば約束を守っているはずなのに。読んでないのか、馬鹿なのか。
「貸したら帰ってこない」と思わなくてはならないのは解っているが。

「幸せの宇宙構造」を読んで、『ありがとう』を言い始めて3ヶ月が経つ。
気持ちが安定をしたことが何よりの成果である。それと、人に対して寛容になったようだ? 
ミニ瞑想を繰り返しているようでもある。否定語は相変わらず使っているが、すぐに
「ありがとう」という言葉で消してしまうのが良い。

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2002年09月07日(土)
512,パンプローナ牛追い祭り

今朝9時半より、衛星TVで今年のサン・フェルミン祭を放映していた。もし神様が
一日だけもう一度同じ日を与えてくれるといったら、4年前のこの祭りの最終日を
間違いなく選ぶだろう。今年は例年になく多くの負傷者が出た。今日の番組は毎朝の
牛追いに絞った8日間の内容の為、毎年放映される中も特に迫力があった。 
初めから最後まで手に汗を握る内容であった。この祭りはヘミングウエーの
日はまた昇る」で舞台になり世界に一躍知られるようになった。

この期間ー7月上旬の8日間、町中の人が白い服に赤の腰巻の布を巻き、赤いネッカ
チーフをつける。パンプローナの出身者の多くが帰ってくるという。毎朝6頭の闘牛と
それを先導する虚勢牛6頭の合計12頭が闘牛場に向かう街の道路に放たれる。毎日
異なるドラマを生みながら熱狂を8日間重ねていく。その6頭の闘牛が毎日おこなわれる。
4年前その最終日の闘牛をみたが、会場が異様な熱狂に包まれていた。その牛の前を
走るエニシエロが、勇気試しになる。19世紀半ばからこの祭りが始まり、闘牛とか
牛追いは途中からその祭りに加わった。

ーユーラシア旅行社でいくと、市役所広場の前の4階の部屋からファイナル
ギャザリングと牛追いが見れる。4年前の「北スペインの旅」-より抜粋ーの
内容をコピーしておきます。
  ーーーーー
 ・・・その中で一番のハイライトがパンプローナの“牛追い祭り”であった。
延々8日間にわたって毎夜、闘牛が行われる。その牛を毎朝、市役所から闘牛場へ、
町中を追い上げる。その前を街の若者が走って、度胸試しをする。死人が出ることが
あるという。

我々が着いたその日が最終日の為、最高の盛り上がりであった。
その夜の闘牛もその為か異常な熱狂を会場にただよわせていた。これこそ正しく
スペインと思われた。深夜の十二時に向けたファイナルギャザリングが、一生の
思い出になる感動的場面であった。市役所前に数千の群集がロウソクを手に持って
集まり、ロウソクをかざしながら歌い踊るのだ。
彼らが心の底からパンプローナを愛しているのがよくわかるのだ。

民家の4Fの一室を借りて見たのだが、光の海を見ているようであった。
トランペットやバイオリン・タイコの楽団の演奏にあわせて歌を全員が歌っている。
キリスト教で祭りを集団で祝うのはスペインだけといわれている。
イスラムキリスト教が融合して、神聖かつ感動的・熱狂的な祭り騒ぎなのである。
このような宗教的感動的場面に出会ったのは初めての経験であった。この場面に
出会っただけでもこの旅行は充分の価値があった。一生の心の財産になった。