『美人の正体』〜越智啓太著 
   * 美人・ハンサムの第一印象は長続きする
 その人の情報は、包み隠されてない顔と全身のバランスと着ているもので
判断するしかない。全身の集約は特に顔に現れる出る。顔かたちは、長年の
男女の掛けあわせそのままの物語でもある。そのため、その内容を少しでも
良く見せようと、化粧をし、ファッションで飾りたてる。それは、自分への
思い込みの主役のテーマ、早くいえば、化身である。その美人度、化け具合を
ゲームのように衆人同士が楽しむ。特に、出会いの第一印象が決定的になる。
≪ 第一印象の効果はきわめて強力です。なぜこのようなことが生じるのか
 といえば、我々の心の中には「初めに形成された印象はできるだけ変えない
ようにしよう」というバイアスが存在しているからだと考えられる。
 そのため、A君が友好的だという印象が一度生じてしまった場合、もし、
A君が友好的な行動をすれば一ああやっぱりA君は友好的なんだ」と自分の第一
印象を強化する方向に考えますが、A君が逆に非友好的な行動をした場合には
「あれ?やっぱりA君は友好的じゃないのかな」と思って第一印象を修正する
というよりは「A君は、いま友好的でない行動をとったけど、それはたまたま
気分が悪かったからなんだ」とか「そういう行動をとるような状況に置かれた
からやむをえずしたんだ」と考えることによって、もとの印象を変えないように
しているのではないかと考えられています。そうすると、外見の良い人と接した
場合、最初に形成されたときめきと「この人は良い人であるレという第一印象も、
外見のあまり良くない人と接した場合に最初に形成された「この人はあまり
良い人でないかもしれない」という印象も、その後の対人相互作用を通しても
なかなか変わらないということになるのです。≫
▼ クレオパトラは、その第一印象の効果を知り尽していて、その為の場の
 設定のセンスが抜群だったという。考えてみれば、そんなものでしかない。
一番大切なことだろうが。鳥でさえ、するのだから、人間なら当然のこと。

・・・・・・
5236,NHKスペシャル「腰痛」治療革命  ー②
2015年07月16日(木)
   * 「痛みへの恐怖」こそ、腰痛原因
 6年前、最後になる重度の腰痛で本気に腰痛対策を次々始めた。
 その時を含めて医者通いは一度もなく現在に至っている。
・まず、ベッドに「低反発シート」と「低反発枕」を、
 事務所に椅子と、居間の座椅子に、「低反発クッション」を設置。
・通販で「座椅子型エビ反りマシーン」を購入、就寝前に、エビ反りを実施。
・縦型振動マシーンを購入、この上に立って足裏を、次に腰を下しマッサージ。
・全自動腰マッサージクッション(パッション)を購入をして、
 これも一日、数回、使用。 以来、重症の腰痛にはなってない。
 一番効果があったのは、低反発シートとクッション。 
しかし、それ以前に、痛みの原因が、「痛みへの恐怖」とは驚き。
「上記を実施しているから大丈夫!」という認知が最大の効果要素とは!
   〜その辺りから
≪  なぜ、脳の鎮痛の仕組みが衰えるのか?
  その大きな原因と考えられているのが、「痛みへの恐怖」。
腰痛に対する恐怖や不安の気持ちが強いと、それがストレスになり、脳の
痛みを抑える働きを持つ部位が衰え、結果として痛みが長引いてしまいます。
そこで今回番組では、専門家とタッグを組み、腰痛への恐怖を減らすことで
痛みを改善するプロジェクトを行いました。その結果は・・・?
・痛みへの恐怖を減らして腰痛を改善するプロジェクト。
映像を見て正しい知識を知るだけでは、恐怖や不安が減らない人もいます。
そうした人に向けて専門家が考えた対策第2弾が
「1回3秒、背を反らす姿勢をとる」というもの。といっても通常の
腰痛体操のように、筋肉を鍛えることが最大の目的ではありません。
この姿勢に秘められた「狙い」とその効果は・・?
・番組が行った対策プロジェクトでは、映像や姿勢など手軽にできる対策に
よって恐怖を減らすことで、慢性腰痛に悩む方の半数以上に改善効果が
見られました。しかし一方で、全く効果が見られなかった人も。
そうした人に対する治療としていま注目されているのが、専門家による
サポートのもとで心理療法を受ける「認知行動療法」です。
オーストラリアの病院では、薬や手術でも効果が得られない重度の患者に対し、
3週間にわたって1日8時間カウンセリングと運動を繰り返すという徹底的
認知行動療法を行い、大きな成果をあげています。
日本でも3年前、腰痛治療の指針となるガイドラインで、認知行動療法を行う
ことを強く推奨できる「グレードA」に位置付けられた。(慢性腰痛の場合)≫
▼ 心理療法認知行動療法」で、腰痛が改善するとは驚きだが、半世紀に
亘って腰痛を抱えてきた身にとって、現在でも、釈然としないところがあるが、
話半分としても、グレードAである。私の腰痛は、毎年数回、決まった時期に
自然発生するか、腰を冷やした場合である。重症の場合、一ヶ月。軽症だと、
二週間で収まる。ホッカイロで暖める療法で、母親から学んだ。重症の場合の
苦痛は、言語に絶する。立っても、座っても、横になっても、何をしても、
脂汗が出るほどきつい。
・・・・・・
4871,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー39
2014年07月16日(水)
  * 客室は一日限りの限定販売、在庫の翌日持越し不可品!
 色いろあったホテルの立上げも、学生ショップ共々、無事に軌道に乗せる
ことが出来た。そこで、気づいたのが、<どんなにお客に支持されても、客室
在庫以上は売れない。イベントなどで一万人が市内に溢れかえっても、それ以上
機会ロス。 逆に当日に売れ残った客室の在庫持ち越しが不可能であること> 
この辺が、この商売の限界で、物販やファッションのような面白みが全くない。
ホテル立上げは派手で面白いが、その後は、客室という単品を売る地道な商売。
ハレと、ケ(質素)がハッキリしている。 まだ学生ショップを兼用をしている
時は、面白味があったが、撤退すると、宿泊客の自殺や苦情以外は、変わりばえ
ない日が続く。 それも新築、増築が続いている内は、刺激があったが・・  
そうこう振返ると、10年が節目時? それもあって、準備期間15年間は、
書くネタは幾らでもあるが、ホテル開業後の15年目以降からは、ネタがない。 
この辺りから母の軽い痴呆症が始まり、その介護と、ストレス解消の秘境旅行に、
暇に任せ行くようになっていた。そして、バブル崩壊の潮流の変化が、デフレと
共に表立ってきていた。20以上あった都銀が、3つに集約された時期である。 
そして、母が亡くなった後の2001年の9・11テロから、地元を含めた地方経済は
大きく落ち込んでいった。 それがそのまま、当方の業績に跳ね返えっていた。
その3年後の中越地震、6年後の柏崎沖地震である。さらに1995年にマイクロ
ソフトがウィンドウ95を出してネット社会が本格的に普及を始めていた。 
そこに携帯電話など情報機器の進化で、根こそぎ、ビジネスのあり方を変った。 
当初、付帯売り上げを含め6千円あった客単価が、最後は3分2以下まで落込み、
これに客数が3分の2になって、会社整理段階で、売上高が3分の1になって
しまった。振返って考えるほど、10年目辺りが、郊外への転進か、撤退時。
この事業、有余った余剰資金と不動産を持ってする事業。私のような小資金しか
ない者は、期間限定で、転進する場合を除いてすべきではない!ということ。 
実際に身に沁みた痛みを伴った言葉である。そんなこと解っていた筈だったが、
バブルは、見境をつかなくさせていた。 でも、心底、面白かった!
・・・・・
4504, 閑話小題 ー最近の大相撲が面白くなった
2013年07月16日(火)
  * 最近の大相撲が面白くなっている
 朝青龍の一連の不祥事も冷めやらぬ内に、「野球賭博」と「八百長」問題が
続き、多くの力士が追放され、体質も一新?以前のような馴合い相撲が出来なく
なったこともあってか、勝負への気迫が格段と増し、このところ面白くなっている。
TVで50年近く観戦してきたが、これだけ真剣で引き締まっっているのも珍しい。
大相撲の面白さは、わずか数秒の間に、多くの要素が詰まっていることにある。
ところで、横綱が下位力士に張り手をするのを見る度に、怒りを感じていた。
逆に下位が横綱の顔を張るのは厳しい上下社会でタブー視され、殆どなかった。
 先日、若手力士が横綱の顔を張ったのには驚いた。これは横綱を含めた一門の
力士から出稽古などで、報復されるだろう・・ また、今度はアフリカ出身の
力士も出てきた。 外国人への開放は、モンゴロイド系だけに絞るべきと思うが、
今さら後には戻れない。神事の余興で神社で行われていた力比べが、興行として
発展したもの。 ムラ社会の中で、ある程度の八百長はあって然るべき。
 柔道の世界にレスリング選手が参入してくるのと同じで、大相撲の性格も
変わっていく。あの小さな円で、色々な人種が一瞬の技を競うのも面白い。
やはり外国人に開放したのは正解ということか。
   * 今さらだが、どうも世界経済が変である
 世界経済を引っぱってきた新興国が、ここにきて変のようだ。
あれだけ元気の良かったブラジルが、何と「来年のワールドカップの当地開催
反対のデモ」が起こっている。経済効果も考えると、マイナスよりプラスの要素
が多いはず。経済的反動で、一般市民の経済的困窮が開催反対運動につながって
いる。あれだけサッカー好きの国民が反対するのは、よほどのことだろう。
これまで元気だった新興国が3重苦にあえいでおり、近い将来、世界的金融危機
が近々に勃発しそうな様相である。数ヶ月前まで一オンス1800ドルまで高騰して
いた金の価格が1200ドル前後まで落ちている。積極的に買いに入っていた中国、
インドなどが緊急に売りに出たため。20Gで世界の主だった首脳が集まり、
持ちこたえていた世界経済に黄色の点灯である。インド中央銀行がドル売り介入
をしたと見られ、世界各国が微妙な空気になっている。エジプトは小麦在庫が
50万トンを切ったと言われる。これは一ケ月で80万トン余り消費する中で、
半月しか備蓄がない中の政治混乱。これに食糧暴動が発生するリスクが高くなって
おり事態は危機的状況。更にEUも、中国も、危ない。表立つまでは、今までの
延長だが、一度起こってしまえば一挙に燃え立つのが世界経済。グローバル化
弱肉強食を果てしなく強くするが、弱者はネットで繋がり、強者を攻撃する構図
の混乱は当分、続くことになる。壮年まで、敗戦から高度成長期を生きて
こられたことに感謝ということか!
・・・・・・
4130, マネー大動乱  −3
2012年07月16日(月)
 * ユーロの崩壊の可能性?     
        「日本と世界を直撃するー マネー大動乱」増田悦佐
 リーマンショックをキッカケに欧米が没落過程に入ったといってよい。
世界は人種間、民族間、国家間、すべからくフラットになるプロセスに入った。
それが良いか悪いかは解らないが、これまでとは全く違った激流が押し寄せて
きている。本格的情報化社会のもたらした新時代の到来である。
その中でユーロ圏という人工的な経済共同体が出来たが、壁にぶつかり
 右往左往している。南欧系を抱え込んだため、大きな価値観の差が大きく
立ちふさがっている。もしユーロの崩壊ともなれば、数千年続いてきた
白人主導社会の崩壊に繋がる可能性が強くなる。 
 ー 以下はそれを指摘している部分である。
≪ ユーロというあまりにも人工的にでっち上げられた共通通貨が採用された
ことで、これらの加盟国の勤労倫理が改善するとか、借りたカネは返さなければ
ならないといった市民社会の倫理が浸透するとかの変化があったのだろうか。
人間の働き方や生き方は、制度が変更されたからといって5〜10年でガラッと
変るものではない。むしろ、突然変わってしまったら、南欧ののんびりした
雰囲気を満喫きた観光客を失望させてしまうだろう。ギリシャポルトガル
アイルランドあたりでの危機対応策が公式に債務不履行と認められるかどうかは
別として、何らかの債務不履行なしでユーロ圏金融市場が再建できると考える
のは白昼夢に近い。ここにきて格付けが大きく引き下げられたイタリアも、
かなり危ない。このへんの金融市場の混乱は既定の事実で、あとは実際に
起きるのがいつになるかというタイミングが興味の焦点ということになる。 
すぐにもやってくるヨーロッパ発の金融危機が打上げ花火のように派手な
ものになろうと、比較的地味に抑えることができようと、これからの
ヨーロッパ経済が回復のない没落過程に入っていくことだけはまちがいない。
これは、決して世界にとって悪いことではない。大した働きもないくせに、
夏は一〜二ヵ月のバカンスをとり、「ヨーロッパはアジア、アフリカ、中南米
の人間より生まれつきできがいいのだから、いい生活をして当然だ」と
思いこんでいる連中は没落して当然なのだ。 第二次世界大戦が終わるまで
(フランスやベルギーの場合は、一九六〇年代まで)、この手前勝手な思いこみ
が通用していた最大の理由は、アジア、アフリカ、中南米の植民地を収奪して
いたからだ。イギリスがその典型だが、戦後のヨーロッパは、慢性的な経常赤字
を垂れ流しながら、慢性インフレによる合法的な借金踏み倒しをすることで、
稼ぎよりいい生活をし、欧州諸民族の人種的優越性という虫のよい思い込みを
維持してきた。 そういう連中が、やっと身の丈に合った生活水準に引きずり
下ろされるのだ。まじめに働ぎ、自分たちの稼ぎの範囲内で生活してきた人たち
にとっては、なに一つ悪いことはない。むしろ、そのタカリ屋たちが、
没落すれば、自分たちの取り分が増える。アジア、アフリカ、中南米
人たちには、間違いなく歓迎すべきことである。≫
▼ 白人主導のシステムとして、マネーを支配下に置くことがある。
 これまではドルだったが、それに対抗すべしと欧州がユーロという共同通貨を
作り上げた。しかし、それが崩壊の一歩手前に陥っている。恐らく、これから
数十年かけて、新しい通貨システムが構築されるだろうが、その間は恐慌と
戦争などの大混乱が生じる厳しい時代に入った。問題は何時、発火するか。
・・・・・・
3764, ユング ー7
2011年07月16日(土) 
  * 集合的無意識と、元型
潜在意識には、個人が長い年月を経て蓄積してきたさまざまな人生経験に
とどまらず、個人を超えた「普遍的なもの」とアクセスする場合がある。
この「普遍的なもの」から送られてくるメッセージによって、人類の長い歴史や
文化という大きな文脈の中における、自分の本質的な位置をとらえることができる。
▼時間と空間を超えて、すべてにつながっているもの <集合的無意識と、元型>
 〔1〕人類に普遍的に存在する「集合的無意識
 潜在意識には、個人の過去の経験とは無関係な誰もが普遍的に所有している
 無意識層があり、ここに、時代、国家、地域、 民族、文化、さらにはすべて
 の人類における「共通の意識」があると考え、これによって、人類が考え方を
 自然に共有できるとも考えた。 このような人類に存在する深層意識の共通点
 を「集合的無意識」とした。
 〔2〕集合的無意識に触れるから、自他との会話が可能になる
 古今、時空を超えた地域の神話や昔話が心をとらえたり、そこに自分と似た
 ような人物を見出したりする。また時代や地域の異なる宗教に真理を見出す
 ことが出来ある。時代や地域を超えた「普遍的なもの」に「自分」の本質的な
 位置を理解することができます。
 〔3〕元型
 集合的無意識を構成しているものを「元型」と呼び、世界各地の神話や伝説、
 遺跡や壁画、宗教、芸術、小説、映画、夢で「普遍的なイメージパターン」
 を生み出している。元型は、子を生んで育む母性イメージとしての「母親元型」、 
 厳格に教え導く父性イメージとしての父親元型」、男性の心の中の女性的な部分
(女性像)である「アニマ」、女性の心の中の男性的な部分である「アニムス」、 
 社会に適応するために身につけた外向きの顔である「ペルソナ」、自我を形成
 する過程で発達させることができずに抑圧さえた人格である「シャドー」がある。
 〔4〕自己
 特に重要な元型は「自己(セルフ)」と呼ばれるもの。これは「完全なるもの」
「最高なるもの」を意味し、この元型から生み出されるイメージパターンは、
 悟りや解脱などの宗教的境地や、イエス像・天使像・仏像などの頭上や背後に
 ある光の輪、あるいは、金やダイヤモンドなどのような物質に与えられた特別な
尊い、神聖な)意味などが挙げられる。「自己(セルフ)」の元型は、
 自分らしくない人生を生きている場合や、自分の人生が意味のないものに
 感じられる時に、生きる意味を与えたり、自分らしい人生を選択していく
 ための力となったりする。
◎ 我々が自然に安らぎを感じたり、太陽を崇拝することは人類に共通すること。
 その共通するものがあるからこそ、我々は自分とも他人とも対話したり、
つながることができる。民族に伝わる神話や昔話が、それぞれの民に共感するのは、
それぞれの集合的無意識が働くからである。ところでペットにも集合的無意識
あるんじゃない?共通項があるから可愛いのでは?
  ・・・・・・・
3399, おテレビ様と日本人 ー3
2010年07月16日(金)
 * 限定的な陰謀、対極的な陰謀
 ここまで書いて良いものかと思うほど辛らつだが、これが真実である。
さらに「ゆとり教育」で植民地人間=ブタ化の完成である。
   (字数の関係でカット 12年07月16日)
≪ヤフーのブログ「バードウォッチ」に転載します!≫
   ・・・・・・・・・
3024,明治・大正と昭和・平成の符号説
 2009年07月16日(木)
 「生の科学、死の科学」 −養老孟司 対談集ー  〜2
  【憂国の時代】 ー関川夏央
*明治・大正と昭和・平成の符号説
 この中で、関川が語っていた明治・大正と昭和・平成の符号説が面白い。
  ーその概要をまとめるとー
 現在の激変の時代を幕末から明治維新期に例えると分かりやすいが、明治・大正
と昭和・平成の符号説というのがある。「時代の状況」がそっくり見えるのである。
その平成も大正時代を越えて21年になる。 大正という時代は、明治の近代国家
づくりが日清・日露戦争を経験し完成。「大正デモクラシー」という教養を尊ぶ
自由な時代。第一次大戦の好景気があり、関東大震災があり、その5年後と言えば
昭和の大不況の真っ只中。昭和・平成といえば、バブルと、その崩壊、平成不況と
阪神大震災とピッタリ符合する。そうすると、次にくるのは第二次世界大戦という
ことになる。これから10年間は大恐慌の嵐が吹き荒れ、そして戦争?それとも、
既に戦争があり、全ての国が敗戦したのだろうか?
     (字数の関係でカット11年07月16日)

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  今日のYoutube

夜は恒例の飲み会。三次会までこなし22時早々に帰ってきた。
どの店も、三連休前の金曜日もあり、混んではいた。 二日酔いは全くなし。

 昨日のシネマは、<死霊館 エンフィー>を観てきた。
かって、実際にあったホラー映画。 あまり気持ちの良い内容でなかったが、
他に面白そうなのがないため、妥協して観たが、それが意外と面白い!
評価は85点。https://warnerbros.co.jp/c/movies/shiryoukan-enfield/
―――
960年以降、アメリカを中心に数々の心霊事件を解決に導いてきた実在の
心霊研究家 ウォーレン夫妻。彼らが極秘にしてきた事件を描き、世界中に
"真実の恐怖"を叩きつけた前作『死霊館』。

ジェイムズ・ワン監督が『ソウ』『インシディアス』に続き全世界興収350億円
超えの大ヒットを記録!!オリジナルホラー映画の興行収入では『エクソシスト
に次いで史上2位という記録を誇る脅威の最恐ホラー映画となりました。
その前作から3年。オリジナルキャスト&スタッフが再び驚愕の実話恐怖事件を
掘り起こします。その名は「エンフィールド事件」。"史上最長期間続いた
ポルターガイスト現象"として心霊史に残る悪名高き事件で、人々は
"ポルターガイスト"という言葉と、その恐ろしさを知ることとなりました。
前作を遥かに凌ぐ"極限の恐怖"の舞台はロンドン北部エンフィールド。
正体不明の音・不穏な囁き声・人体浮遊など数々の不可解現象に苦しむ少女
ジャネットと4人の子を育てるシングルマザーを救うためウォーレン夫妻は
再び恐怖の元凶と対峙することとなります。


・・・・・・・
3399, おテレビ様と日本人 ー3
2010年07月16日(金)
 * 限定的な陰謀、対極的な陰謀
 ここまで書いて良いものかと思うほど辛らつだが、これが真実である。
さらに「ゆとり教育」で植民地人間=ブタ化の完成である。
   (字数の関係でカット 12年07月16日)
≪ヤフーのブログ「バードウォッチ」に転載します!≫

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3024,明治・大正と昭和・平成の符号説
 2009年07月16日(木)
 「生の科学、死の科学」 -養老孟司 対談集ー  ~2
  【憂国の時代】 ー関川夏央
*明治・大正と昭和・平成の符号説
 この中で、関川が語っていた明治・大正と昭和・平成の符号説が面白い。
  ーその概要をまとめるとー
 現在の激変の時代を幕末から明治維新期に例えると分かりやすいが、明治・大正
と昭和・平成の符号説というのがある。「時代の状況」がそっくり見えるのである。
その平成も大正時代を越えて21年になる。 大正という時代は、明治の近代国家
づくりが日清・日露戦争を経験し完成。「大正デモクラシー」という教養を尊ぶ
自由な時代。第一次大戦の好景気があり、関東大震災があり、その5年後と言えば
昭和の大不況の真っ只中。昭和・平成といえば、バブルと、その崩壊、平成不況と
阪神大震災とピッタリ符合する。そうすると、次にくるのは第二次世界大戦という
ことになる。これから10年間は大恐慌の嵐が吹き荒れ、そして戦争?それとも、
既に戦争があり、全ての国が敗戦したのだろうか?
     (字数の関係でカット11年07月16日)

・・・・・・・
2295, 中島義道の「池田晶子」追悼文 -1
2007年07月16日(月)
               ・д・)ノ〔● ォ'`ョゥ○〕
   自ら書いているように奇人変人の哲学者の中島義道が、池田晶子と知り合い
   であり、彼女への追悼文を、ある月刊誌の中で見つけて驚いてしまった。
   この随想日記も中島は何回か取りあげてきたが、その奇人ぶりには読んでいて、
   あきれていた。唯我独尊で、ただへ理屈?を並べ立てている姿、誰かに似ている。
   かた方の変人の雄の池田と知り合いで、その追悼文を書いていたとは!
   中島にしては、前半はシンミリとした感じであった。
   何か自分に劣らない奇人の死に戸惑っているようだった。
   
   中島は池田を哲学者と認めてないようで、哲学者でも哲学研究者でもなく、
   著述業として切り捨てているところが、彼らしい。
   昨年から池田晶子にはまってしまっているが、亡くなったことで更に、
   もう一歩踏み込んでいる。とにかく根源的で、純粋であるのがよい。
   その彼女の姿を中島がどの様に見ていたかを知るのは面白くないわけがない。

哲学者の間では彼女は無視された存在であり、著述家としてしか、
見られてなかったようだ。哲学者にとっては哲学用語を一切使わないのは、
それだけで、相手にされなかったのだろう。
初心者向けに絞って、哲学みたいな文を書いている女とみられていたようだ。
   前半は、中島が見た池田の哲学学者仲間としての心象。
   後半は、中島独特の批判で構成されている。
   
  まずは、前半の中島の彼女の心象から・・・
 ー 月刊・新潮45-2007年・5月号ーより  P-152
ーー
池田晶子さんが亡くなった。四十六歳の若さである。
新聞報道は三月二日の読売新聞が最初だが、私は翌三日の朝日新聞社会面で知った。
昨年末、新潮社の編集者と忘年会と称して呑んだとき、彼女が癌を患っていることは
聞かされていた。その口ぶりから、末期ということはわかったが、
こんなに阜く逝くとは思わなかった。ショックはないと自分に言いきかせていたが、
その日大学にいても彼女のことばかりを考えて過ごした。
いままで意図的に避けてきたが、ある種の独特の形で哲学に携わった彼女に対する
自分の気持ち(評価)をごまかすことなく語ってみようと思う。

池田さんとは四、五回会っている。はじめは十五年以上も前のことであるが、
(いま慶応大学の教授である)斎藤慶典さんが「おもしろいことを書く人が後輩にいるから」
と「大森先生を囲む会(略して「大森会」)」に連れてきたのだ。
池田さんは例会の日に、教室の入り口でそっとお辞儀をして入ってきた。
そのころ彼女は三十歳位であり、とびきり美人であることは誰の眼にも明らかだったが、
そこにいた参加者たちはまったく無視していた。
水玉の(?)袖が長めの白っぽいワンピースを着ていたように記憶している。

池田さんは、当時まったく哲学仲間のあいだでは知られておらず、
まだ本を二冊書いた程度であったから、世間的には、ほぼ無名であった。
そこには、永井均、野矢羨樹、飯田隆、丹治個治、・・・など、
いまや日本哲学界を担う人々が決集していたが、当時彼らは哲学界という
狭い世界の中では評価されていたが、誰も世間的には有名ではなかった。

永井さんが有名になったのは『〈子ども〉のための哲学』あたりからであり、
それが講談社のPR誌『本』に掲載されていたとろから評判であった。
そして、一九九五年の夏に『ソフィーの世界」が大ペストセラーになると、
相前後して出版界は「哲学ブーム」という軽薄な掛け声と共もに浮かれ出し、
池田さんの『帰ってきたソクラテス」(新潮杜)、
永井さんの『ウィトゲンシュタイン入門」(ちくま新書)、
木田元さんの「反哲学史」など、それぞれ部数を仲ぱした。・・・(中略)

池田さんは、例会のあと渋谷での呑み会にも時々参加した。
何を話したかすっかり忘れたが、彼女としぼらく話し込んでいると、
丹治君がまん前に座り込んで、しげしげと二人を見比べ
「やっぱり綺麗っていいもんだねえ」と言った。私がそのあとを受けついで、
「池田さんの欠点は、綺麗すぎる乙とレと言うと、彼女はのけぞっで笑い
「そうなの、中島さん~!」と言って、私の膝を,ハシヅと叩いた。・・・(中略)

ある日、呑み会のあとで、数人を彼女の行きつけのバーに連れて行ってくれた。
彼女は真紅のツーピースに銀の靴を履いて、(私の正直な印象なのだが)
マネキンのように綺麗だった。
挟い階段を上がって薄暗い郎屋に入り一番奥のソファーに陣取った。
そこで野矢君が
「池田さん、自分で問いを出して自分で全部答えているから、読者は必要ない」
と言ったら、ふんふんと頷いていた。
田島君がカフカについて話していたのをぼんやり覚えている。
池田さんが「私、街を歩くとき、いつも耳栓しているの」と言ったことも覚えているから、
たぶん私は後に『うるさい日本の私』(新潮支庫)として刊行される騒音の話をしていた
のであろう。

何回目の大森会か記憶が定かではないが、帰りがけに駒場東大前の駅で、
ごそごそ鞄の中から、彼女の著書『事象そのものへ!』を取り出して、
「中島さん、法蔵館っでずるい会社だから、出版してはいけませんよ」といった。
私が彼女かららもらったのは、これと『考える人ーロ伝西洋哲学史」(中公文庫)だけ。
ふたりともその後著述業で忙しくなると、お互い一切の関係をもたなくなった。
やがて破女は大森会にも参加しなくなった。これも、自然の成り行きだと思う。
 ーー                         ーつづく
    彼女の文章からは、こういう姿は窺い知れない。
    どの世界も大変である。    
                       ヾ(。・v・。)【バィバィ】
・・・・・・・・・・
2006年07月16日(日)
1930, 二つ目のブログ
               ( ̄▽ ̄;)!! オハヨウ!               
新しいブログを二つ開設した。
一つは、このHP上に貼り付けてある海外旅行の写真ブログ。
いま一つは堀井宗親というペンネームで400年前の霊が私の脳を通して話す方式をとっている。
毎朝書いているモーニングページに現れた 霊ー着想であるが、出てきてから二週間経つ。
「霊界からの訪問者」とは、面白そうなネーミングである!                

    別人格のように自分の発想を超えて話しかけてくる。
    今までは父親や母親の霊を呼び出して話しかけても直ぐに消えてしまう。
    ところが、このご先祖様・四四太郎の霊に誘導してもらい、
    一緒に話す形式をとると今までは直ぐに消えた両親などの対話が、
    延々と続くから不思議である。
    亡くなった恩師も何人かと同じように誘導をしてもらって話をしてみたが、
    成る程どこまでも話が途絶えない。

以前、考える手段として死者でも生者でも、その人のイメージを持って
(その人をイメージをして、後ろから自分が入り込む)考え事をした。
思わない着想が出て驚いたが、しかし長続きはしなかった。

これからは、このご先祖様の霊に誘導してもらい、介添えをしてもらえば、
数倍も効果があるだろう。現実に何人の霊?の中に入ってみた!
おまえ馬鹿か?と思われるが、本を読みながら考え事をしていると同じことになる。
思考形式の一つとみればよい。
                 ( ̄▽ ̄)■]~~~ 珈琲TIME♪             
    以前、芹沢光次郎の「人間の運命」のシリーズを読んだことがある。
    14巻のシリーズで10巻までは読んだが・・・
    天理教の教祖がある人に降りてきて、その霊と対話する小説。
    「文学は 物言わぬ 神の意思に 言葉を あたえることである――」
    というとおり、信じ難い物語が美しい文章で綴られていた。
 
    90才までの人生をあらためて振り返りながら、
    次々と新たに起こる不思議な体験-天理教の存命の親さまとの出会い、
    神の世界と死の世界への訪問、大自然の親神の人間への思惑等、
    フィクションなのかノンフィクションなのか、
    読んでいて、気味が悪くなるようなストーリーであった。

これを続けていると、それに近い状態になる可能性がある。
人間の運命は、天理教の教祖様と大文学者の組み合わせ。
こちとらは、地方の小企業の親爺と元地侍の百姓?組み合わせ。
まあ、それぞれ違っているから面白いといえば面白いだろう。
だいたい比べること自体が、オコガマシイが・・・

    多重人格者になるのか心配になり、調べたが全く違うものである。
    気晴らしのお遊びとは違うようだ。
    自分の本質を擬人いや、擬霊化して自問自答をすることになるからだ。
    モーニングページを続けていると何か思わない着想が出てくると思っていたが、
    まず第一弾はご先祖様の出現である。
    
 驚いたのはアクセスが2日で130以上もあったことだ。
 霊お宅が多いんだ! 霊霊というけれど、
 人間は生きているときは魂に心を包んでいるけれど、
 それ全体は霊といえば霊じゃないか?
 書き残した言葉は数千年、数百年の時空を通して我われに語りかけてくる
 ・・それを霊と言ってもよいはず?ジャありませんか。
    まあ遊び!いや・・      
                    
    ブログ一つぐらい持ったほうが良いよ!
    これでHPを含め三つも持っている本人が言っているのだから、
    間違いございません!
    大した材料がないのも解るけど、それで良いじゃない! *^_^*)
    
                    ホンジャ Σ( ̄□ ̄;;;)!!
・・・・・・・
2005年07月16日(土)
1565, 新潟駅周辺再開発が動き出す

ここにきて、新潟駅再開発が本格的に動き出した。
昨日(7月15日)、近くの市民会館で住民説明会が開かれた。
一時間あまりであったが、400人位が来ていた。
同じ内容で、この数日で6回も開かれるという。

当社のホテル4棟のうち2棟が駅東線道路の拡張に引っかかり、
更に200坪の駐車場が明石紫竹線道路に面していることもあり、
このプロジェクトは非常に大きな要素を持っており、ホテル事業に大きな影響を与える。
丁度、ホテル建設から10~24年経っており建て替え時期になっているので、
プラスになるだろう。
また工事が始まると工事関係者の宿泊に多大な影響をもたらす。
10~30?のアップが見込める。
朱鷺メッセと、至近の東横インの入っている再開発ビル工事で実証済み)

総事業費が1445億というから、新潟市にとっては巨大プロジェクトになる。
この事業構想から13年も経つが、やっと具体的な動きになってきた。

年度内計画決定を目指すという。
事業完成目標は平成25年というから、
決定さえしてしまえば工事は急ピッチになる。

今までの大きなプロジェクトとして
ー県事業として
万代島再開発事業で 
  290億円
・サッカーの新潟スタジアム
  300億円
ー市事業として
・市民芸術文化会館の建築費
  180億円
・市民病院建設費
  220億円
 等々である。これに比べても、この1445億円の開発の大きさは
 新潟市レベルからみて大きいことが解る。

内訳として
・立体交差事業に
  707億
・駅周辺整備事業として
  738億(鳥屋野線・85億 駅西線・85億 
      駅東線・129億 明石紫竹線・12億)
高架区間は2、5キロ
在来線ホームは現在の4面7線から3面5線になる。
投資効果が、投資額の2、6倍という。
それほどある訳がないが、まあ何もいわない。

以前の説明会の時、道路拡張計画で道路の反対側のホテルの社長が大反対をぶっていた。
初めは両側の拡張計画が、当方の側一方に変更になった。
買収先も半分で済むし、当然の結果である。
彼も後で地団駄を踏んで後悔したと思われる。
十年前に、近くの再開発ビル建設の時も、反対にまわって・・・・

これさえ決定すれば、新潟駅前事業も軟着陸できそうだ。
ついているのは、最後までついていることになるはずだが?
それにしても丁度良い時に、丁度良い工事が図ったように始まるものだ。

・・・・・・・・・
2004年07月16日(金)
1200, ロマン・ロラン
 ―哲学についてー16

学生時代、野田一夫教授の[経営学]の授業で、ロマン・ローランの
ーベートーベンの生涯ーを勧められ読んだ時の感激を今だ忘れることができない。
1967年6月中旬だった。
高度成長期の時代背景もあってか、彼の理想主義が大きく心に刻まれた。
彼は生涯をかけ人間の善意と崇高さを信じ、理想を求めたヒューマニズムの作家であった。
演劇作家から、しだいに偉大な天才たちの評伝を書くようになった。

『ベートーベンの生涯』の中で
「ぼくの芸術は貧しい人々の運命を改善するために捧げられねばならない」
と述べている。「第九」は作者ベートーベンの人生ー病苦、難聴、絶望―
を投影している。それでもベートーベンは生き抜く意思を込めた曲である。
悲痛な心情とともに、それを乗り越えて、芸術で人々に尽くすことに生きる意義を
見いだそうと格闘する魂。
その使命感が彼を救ったのである。
音のない闇の中、ベートーベンは光を見つける。
「これこそそうだ! 見つかった!! 歓喜! われらに不滅のシラーの歌を歌わしめよ!」
(『第九』発表1年前、音楽ノートにつづった言葉)
「第九」は、第1楽章から第3楽章まで、あの「歓喜の歌」の旋律が断片的に現れては消え、
最終楽章に向かって苦悩し続ける。
そしてついに「おお、友よ。この調べではない」と、最終楽章でこれまでを否定する。
それは、これまでを全否定しているわけではない。
実は、現れそうになっては消えたあの調べ、あの旋律こそが主題の「歓喜」であり、
今までの苦労の中に「歓喜」はあったのだと劇的に展開していく。

 ーベートーベンの言葉がよいー
「良くかつ高貴に行動する人間は、その事実によってだけでも不幸に耐えることができる」
「苦悩を突き抜け歓喜に至れ」
「私は善良よりほかに卓越性のあかしを認めない」
「諸君、喝采したまえ。喜劇は終わった」(ベートーベン最後のことば)
「苦難の時に動揺しないこと。これは真に賞賛すべき卓越した人物の証拠である」

ロマン・ローランは、彼の音楽と言葉から苦痛と、それをのりこえた魂の偉大さを
感じとる。そしてその生き方と彼の理想主義がマッチしているのがこの本であった。
「良くかつ高貴に行動する人間は、その事実によってだけでも不幸に耐えることができる」
「苦悩を突き抜け歓喜に至れ」は、私の20代の心の芯になっていた言葉であった。

ロマン・ローランは、他にも多くの格言を残している。
ー彼の言葉を抜粋するとー

・愛はそれが自己犠牲であるときのほかは、愛の名に値しない。
              ―「トルストイの生涯」―
・真理への愛のみが、我々を決して裏切ることのない唯一の愛だ。
              ―「愛と死の戯れ」―
・三つの大きな性的異常のうち、
第一のもの《自愛》は、個人にもっとも害を及ぼす。
第二のもの《同性愛》は、人類種族にもっとも害を及ぼす。
第三のもの《近親同士の愛》は、社会にもっとも害を及ぼす。
              ―「回想録」―
・諸種の主義のあいだの闘争がなんだというのか。
 唯物論、唯心論、社会主義共産主義といったところで、
  それはどれも繋いだ犬の首輪なのだ。
              ―「魅せられたる魂」― 
・理想主義のない現実主義は無意味である。 
 現実主義のない理想主義は無血液である。
              ―「先駆者たち」―
・英雄とは自分のできることをした人である。ところが、
 凡人はそのできることをしないで、できもしないことを望んでばかりいる。
              ―「魅せられたる魂」―
・男性は作品を創る。しかし女性は男性を創る。
              ―「ジャン=クリストフ」―
・まさしく音楽こそ、精神の生活を感覚の生活へと媒介してくれるものです。
              ―「ゲーテベートーヴェン」―
・大半の聴衆が興味を抱くのは、音楽ではなく音楽家である。
              ―「ジャン=クリストフ」―

ーロマン・ローラン概略ー
フランスの小説家であり思想家。
トルストイの思想的影響の下に出発、人類への愛、理想主義の信念に基づき
創作や平和運動に活躍した。ベートーベンの研究もある。
代表作は「ジャン=クリストフ」「魅せられたる魂」。
                   (一八六六~一九四四)
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2003年07月16日(水)
833, 孤独について -2

 以前も書いたが(あとでコピーしておきます)、再び孤独について書く。 
 経営者は孤独でなくてはならないとか、孤独であるという。
特に創業は孤独に徹しないと、甘さが生まれてくる。
山の中の孤独というより、街の中の孤独である。
街の中の孤独とは自分と他者の間にラインを引くことである。
お互いの距離をおくことである。
 ある本に孤独を「六独」6つに分解して、説明をしていた。
1 独想
2 独学
3 独行
4 独遊
5 独創
6 独楽
 これが出来るようになるには強い意志が必要だ。
創業を何回か経験をすると深い孤独の経験をする。
独り着想と構想をねり、その為の情報を集め、分析をして決断、たった独りで
嘲笑のなか行動開始、途中からゲーム化をして遊びまで高め、創りあげる。
そしてその起承転結を楽しむ。
しかし実際はつらい孤独業である。つらさと楽しみは裏表であることを知る。
二代目が失敗をするのは、この孤独に耐えられないためである。

 孤独に耐えるためには、宗教が必要である。
日本人が平気で自分は無宗教と答えるが、グローバルで見たときとんでもないことだ。
欧米では自分が気違いだと言っているに近いことになる。
スモールS (多神教)の集まりを宗教観を前提で答えていることを、自覚して
いない為である。
                   ーつづく
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2002年07月16日(火)
 458,一期一会

 以前にも書いたが、旅行の楽しみの一つが色々の人と会えることである。
 それも字のとおり「一期一会」である。
 殆んどの人が初めて会い、2度と会うことがないことが解っているから、
 全てを曝け出し、そして別れていく。
 「天国?に行く途中の舟で一時隣り合わせた人たち」に喩えることができる。
 
 平気で自分を曝け出せる場でもあり、人生の学問の場でもありうる。
 お互いの人生の通知表を見せ合える場であり、
 人生の決算書を携えて来ているともいえる。
 
 色々な人生があるものとつくづく思う。
 遠藤周作の「深い河」というインドのツアーの参加者のそれぞれの人生を
 描いた小説があったが、正しくそれである。

 直にそれを見れるのも、
 一種独特の圧縮された社会がその期間形成されるからだろう。
 特に秘境系のツアーには濃い人生を生きてきた人が多い。

 私のように人間ウオチャーにとって、最高の観察ができる場でもある。

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2001年07月16日
 旅行中