* シネマ、『ルーム』    http://gaga.ne.jp/room/
 先週、観てきたシネマの『ルーム』。ネットの評価は高い。内容はスリラー
の恐怖ものでもなし、地味だが、考えさせられる内容だった。17歳で誘拐され
7年になる若い母親。監禁されていた納戸から、誘拐犯のタネの5歳の子供を
脱出させた結果、解放される。それまで、子供は、部屋以外の世界はTVと天窓
の光しか知らない。 映画の後半は、新しい世界を次々と知っていく子供の姿と、
犠牲になった母親の人生に対する葛藤が物語として続く。子供は、母親と二人で
過ごした納戸が懐かしくなり訪ねるが、親子は、その狭さを改めて知る。
外を知らないのも人生だが。子供にとって、誘拐犯の父親に対しての思いは、
まさに、<母と子供にとって「その父の存在自体が悪」になる>。評価、85点。
  〜ネット上の映画解説〜
≪・映画「ルーム」が描く、ブリー・ラーソン演じる若い母親ジョイと5歳の
 息子の物語は、設定だけを聞けば随分エキセントリックに思えるかも知れない。
ある日突然誘拐され、7年間監禁され続けた悲劇の女性ジョイ。そして監禁部屋
で生まれ、外の世界を知らないまま5歳になったジャック。そんな母子がついに
解放されるのだが、目の前にあらわれた現実の世界は2人を困惑させてしまう…。
・数年にわたる拉致監禁、誘拐犯との間に生まれた息子、命を懸けた脱出劇と世間
からの好奇の目。数あるゴシップ的要素にも関わらず、レニー・アブラハムソン
監督は地に足を付けた演出で奇妙な環境で普通に生きようとする葛藤を等身大
に描き出す。

・狭い監禁部屋から出たことがないジャックは、テレビを通じてだけ外の世界を
覗いてきた。しかし息子に〈閉じ込められている〉と感じて欲しくないジョイは、
部屋の中が〈本物=現実〉で、画面の中の出来事は〈偽物=フィクション〉
だと教え込む。2人がいる部屋の外には空っぽの宇宙しかなく、出ると死んで
しまうとウソをつくのだ。
・ところが監禁部屋からの脱出によって母子の世界は一変する。実は部屋の
外には無限ともいえるリアルが広がっていて、ジャックは培ってきた認識や
アイデンティティをすべてリセットしなくてはならなくなる。

・一方、ジョイが帰還を切望した外の世界は、一度解き放たれると皮肉にも
精神的牢獄になってしまう。2人だけで完結していた監禁部屋にいる限り、
社会という膨大な関係性の集積から無縁でいられたからだ。失われた7年の
重みと他者の存在が次第にジョイを追い詰めていく……。
・結果としてジョイもジャックも生きるべき世界をゼロから発見し直さなくて
はならない。痛みも喜びも伴うが、未知の物への期待感と新鮮な刺激は一歩
ずつでも前に進むことを後押してくれる。

・実はこの物語、驚くほどにわれわれが「映画を観る」感覚と似てはいないか。
われわれは映画のスクリーンと向き合い、未知の世界を探索することで世界観
を押し広げ、時に内面を見つめ直し、やがて自分自身の物語を見出す。
その〈発見〉こそが映画を観る大きな悦びだとは言えないだろうか?
・幼いジャックはさまざまな障壁にぶつかりながらも、常に世界を五感で感じ、
吸収することをやめない。その瑞々しさと観客の感覚とがピッタリ重なった
瞬間、魂に触れる小さな奇跡を起こす。≫
――――ー

▼ 観ていて直ぐに、閉じ込められた小さな納戸が、何故か、地元の城下町に
 重なって見えていた。新潟駅前の事業場と、出身地の城下町を寝ぐらに31年
を過ごしたが、これは首都圏のサラリーマンの生活形態と同じ。どうしても、
寝ぐらの狭さを感じていたが、住居は住居と割切っていた。 
 ところが5年前より、寝ぐら生活がメインとなる。これも、自分の厳格な?
生活習慣を守って、周りにスケジュールの壁を囲むことで、日々、生活して
いるが、これも慣れれば悪くはない。 何処も住めば都になっていく。

・・・・・・
2015年05月31日(日)
5190,閑話小題 〜チャーチルのジョーク
 チャーチルは、その風貌とおりのウィットにとんだジョークと名言を残した。
 毒の含んだ言葉でもウィットに富んでいれば、場を和ませることが出来る。
   * チャーチルのジョーク 
・ 民主主義は最悪の政治形態らしい。
 ただし、これまでに試されたすべての形態を別にすればの話であるが。
・ 女性議員が皮肉を言いました。
「もし私があなたの妻だったら、あなたの飲む紅茶に毒を入れるでしょう」
 するとチャーチルは、平然と答えました。
「もし私があなたの夫だったら、喜んでその紅茶を飲むでしょう」と。
・ チャーチル仮装舞踏会にはどんな衣装で出るのがいいかと聞かれた、
 そのライバル女性議員(例の『毒を盛る』発言の彼史)のコメント。
 「しらふで出るというのはどうでしょう」
チャーチルは酒好きで、国会にも酔っぱらって出てくることしばしば)
・「期待される政治家とは「明日なにが起きるか」を、国民に予告できなくては
 ならない。そして次の日「何故自分の予言通りにならなかったか」を国民に
 納得させる能力がなくてはならない。」
・ ある政治家を評して 「彼は羊の皮をかぶった羊」
・ 国会の答弁にて、エリザベス女王戴冠式の準備に際し
「行進にはありとあらゆる労働者の代表を加えるべきです!」
 と主張した労働党のある議員に、NOと返答したときのコメント。
「見物客の気持ちを考えねばなりません」
・ 完全主義では、何もできない。
・ 極めつけは! 当時獣医は社会的に低く見られていた。チャーチル
 獣医をしていたという噂があった。野党議員が議会でそのことを質問した。
「もしそうならまず初めに貴方をみてあげますよ!」議会は大爆笑だったとか。
・・・・・・
2014年05月31日(土)
4825,Quirt <内向型人間の時代> ー4
              <内向型人間の時代> スーザン・ケイン著
   * 自分の「スイートスボット」をさがそう
 この三年間の節目時、ストレスを溜めないことを第一に、一日、一週間、
一ヶ月、一年単位のスケジュールをたてて、ひたすら気持ちが落ち込まない
ことを目指してきた。そのため、スイートスポット(最適な覚醒レベル)を、
要所要所に配置したスケジュールをたて、改善をしてきた。 
 4時過ぎに起床し、直ぐに前日書いた随想日記の添削と、ネットのアップ。
この時間帯が、第一のスイートスポット。6時過ぎに、ポタリング信濃川
大手大橋をヒキチャリ・ウォーキングが次。そして、午前中の読書と、ネット
サーフィンの時間帯。そして、午後がスポーツセンター、そして・・ とつづく。
森の生活(現役)から、サバンナの生活(御隠居)に移動して一番良かったのが、
このスポットを自由に謳歌できること。 もちろん、数年、数十年単位の
ライフワークがあればこそだが・・・ ーその辺りからー
《 内向性と外向性はそれぞれ特定のレベルの刺激を好むと理解すれば、
 自分の性格が好むレベルに自分自身を置くようにすることができる。
つまり、自分にとって覚醒の活性が高すぎも低すぎもしない、退屈も不安も
感じない状況に。心理学者が言うところの「最適な覚醒レベル」―私はこれを
「スイートスポット」と呼んでいる―を知れば、今よりもっとエネルギッシで
生き生きした人生を送れる。あなたのスイートスポットは、あなたが最適の
刺激をえられるところだ。素晴らしい本を手にして、満ち足りた気分で
ハンモックに横たわっている姿を想像してみよう。それがスイートスポットだ。
だが、気づくと、同じ場所を何回も読んでいることに気づく。それは覚醒が
低い証拠だ。そこで、あなたは友人に電話をし、朝昼兼用の食事に出かけ
―言い換えれば、刺激レベルを一段上げて―ブルーベリーパンケーキを食べ
ながら噂話をしたり、笑ったりしたりすると、ありがたいことに、あなたは
スイートスポットへ戻れる。 けれど、より高い刺激レベルを求める外交型の
友人に説き伏せられて、パーティに出かけると、あなたにとっての心地よい
時間は終わりを告げる。・・・ 》
▼ スイートスポットに似ているのが、至高体験。人生観が変わるほどの最高の
 感激・感動体験をいう。この体験は「求めよ!さらば与えられん!」で、自ら
求める者に、求めただけ与えられる。この絶対量が多いほど、人生が豊かさに
なっていく。秘異郷旅行の体験記を書いたり、写真を見たり、旅先のTV放送
などを楽しむことが、私のスイートスポットになっている。他に映画鑑賞、
秘境・異郷ツアー、ネットサーフィン、ブログの下書き、読書、TVの
スポーツドラマやスポーツ観戦などがある。 当然のように一生を通して、
徹底して貫いたプロフェッショナルが、私の連れ合い。これが蓄積されると、
スイートスポットの方が、本人を呼び寄せる。至高体験も、同じ!
で、三桁、四桁は経験済み? 時々、「世の人の大分の人は、あんたの現状を
知ったら、怒り出すぞ!」というと、「あんたみたいな気短と一緒となら、
誰も怒らないわ!」と宣う。 その辺の固定観念の牢獄のシタリ顔の老人、
何のことか、理解すら出来ない? それも人生だが・・・ で、どうした? 
どうもしません! そういうこと。
・・・・・・
2013年05月31日(金)
4458, 一日5分「簡単ヨーガ」健康法 ー5
          『 一日5分「簡単ヨーガ」健康法 』ー番場浩之著
 * 2日目 "足腰を軽快に
A・膝を回す体位……54            
 基本体位=仰向けに寝て、両手を膝を包み込んで、肘を伸ばし、
  膝と手が離れないようにする。
1、「静かな一息」「軽く一息」を入れた後、息を出しながら、足の甲を
 伸ばして、両膝を手前に引き寄せる
2、さらに、息を出しながら、肘を伸ばして、膝・股関節を開いていき、
 膝と股関節を充分に開く。顎を引いてうなじを伸ばし、息を出し切る。
3、同時につま先を充分に伸ばして、「つま先ー>腰椎ー>胸椎ー>頚椎」
 の順に「大地のアパーナ気」を引き上げる。
4、息を入れながら膝を閉じていき「基本体位」に戻す。
 1〜4を、計三回行った後、「軽く一息」。
5、ここから逆回転で、合計三回する。
▼ ポイントは、全身にくまなく「気血」が流れるように行う実践。
 つま先はしっかり伸ばし「気」を引き上げて背筋を活性化すること。
 呼吸は「入息1、出息2の割合で、呼吸と身体の動きが一致するよう行う。
 全身の血液の三分の一が脚にあるといわれるが、この還流がうまくいって
 いるとは限らない。相対的に血液が脚に滞ると、浮腫みや、逆に脳などの
 血液が足りなくなる。そのため膝の屈伸や指の活性化が必要といわれる。
 要するに「呼吸をしながら、仰向けになり両脚を曲げ抱え込んで両手で広げる」
B・膝を伸ばして、足の指を活性化する体位:
 基本体位=仰向けになり、膝の裏で手を組み、足の力を抜いてお腹で
 ゆったり呼吸をする。
1、「軽く一息」して、「深く一息」を入れながら、膝から足先まで
 一直線に伸ばした状態で脚を上げていく。 肘も膝裏もできるだけ伸ばす。
2、以下の足指の動作を、順々に行う。
 「足指を左右に開く」−>「親指を手前(下)、他の4本の足指を向こう側
 (上)へー>足指を握る 最後に、「軽く一息」−>「静かな一息」ー>
 「各自の一息」に戻り、息を整える。
▼ 足指も、この体位だけでなく、普段でも広げたり、反らす訓練は身体によい。
 毎朝の簡単ヨガを始めて気づいたが、実際に始めると考えが出てくる。週二回
のヨガで、これは初日、これは二日目と分かる。ヨガのポーズは3千〜4千あり、
スポーツジムでは、その中の100種類に絞っているという。同じポーズでも、
その時の体調で感じ方が違う。それにしても、生まれてこの方、これだけ、
足腰を伸ばしたり捻ったりするのは始めて。精神的にも雑念を泡として
分断してくれる作用もある。
・・・・・・
2012年05月31日(木)
4084, 老いの見本帳ーダークサイト −6
     「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日 武彦 (著)
  * 孤島としての老い  
≪ それにしても、独りぼっちになってしまった「おじいさん」の孤独感とは、
 どれほど辛いものであったのだろうか。気まずさ、寂しさ、自己嫌悪、その
ようなものに苛まれつつ彼は残りの入生を送っていかねばならなかっただろう。
どうしてそんな目に遭わねばならないのか。 基本的に、世の中は弱り目に
崇り目、弱者はそのことでなお追い詰められ、不幸は不幸を呼び寄せる
ーそのような意地の悪い仕組みになっているといった認識がわたしにはある。
すくなくとも医師として様々な形の不運や不幸を見てくると、今述べたような
感想を抱かずにはいられない。不遇であることは、それを帳消しにするような
出来事が不意に訪れる可能性よりは、なおさら足を引っ張るような「思いも
掛けない無情なエピソード」に絡め取られる危険のほうが遥かに高い。 
だからわたしは負けたり失敗したりすることが嫌なのである。たとえ些細な
敗北や過ちであろうと、それが運命に「付け入る隙」を与えることになりそうで
怖いのである(おかげで人生は疲れることこの上ない)。そして老いることもまた、
悪意に満ちた運命が付け入る隙のひとつとなり得るように思われて、意気消沈
してしまうのである。しょぼくれた老人であればそれに相応しい不遇が訪れる
であろうし、無理に若さに執着するような老人にはそれを嘲笑するかのような
不幸が駆け寄ってきそうな気がしてならないのである。 ・・老いを孤島に
なぞらえることは適切なのだろうか。いや、人間は誰もが孤島のような存在
だと主張することもできよう。だがおじいさんとおばあさんの二人暮らしなどを
見ると、あたかも融合してひとつの島であるように映りつつも、潮の干満に
よっていつの間にか二つの別々の島になっていたりするものである。
その微妙な加減が興味深い。いつしか片方の島は水没し、まさに絶海の孤島
となってしまったとき、むしろ老女のほうが淡々としかし粘り強く生きていく
ようである。「ええなあ」とのんびりした口調で羨んでみたり、妄想に生きて
みたり超然としたり、とにかく生き抜く。老女の独り暮らしというものには、
わたしが漠然と思っている以上に精神の働きの多様性が示されているらしい。≫
▼ 老い、弱り目になると、祟り目が嫌でも待ち構えている。
 それなら、一日一生の思ひで、一日を消化するしかない。だから何ごとも
一期一会ので生きるしかない。 最近特に気まずさ、自己嫌悪が強くなって
きている。問題は、その毒を貯めないよう、日ごと処理しなければならない。
現在、一日三時間の運動と、TVやシネマで映画を一本はみている。それでも
フラッシュのように、色いろの後悔する記憶が次々と浮かんでくる。
なる程、老化とはこういうことなのである。孤立というより、孤島にただ独り
という実感が老いの寂しさになるだろう。生まれてくるときも、死ぬときも、
ただ一人。 まだ背後から死が追いかけてくるような感覚が、あと数年も
しないうちに、目の前から死がジワジワと忍び寄ってくる感覚になってくる。 
それにしても暗い顔をした老人が多い。
 ・・・・・・
2011年05月31日(火)
3718, 閑話小題
   △ 現時点の関東大震災と、今回の震災の比較は?
 現時点で、1923年の関東大震災と、今回の大震災、どちらが日本にとって
打撃が大きいのだろうか? 関東大震災は東京が、二次災害の火災で10数万人が
亡くなった。死者の数は、あまりに多かったため、混乱が生じて、確かな数値は、
推定しかないようだ。首都東京が壊滅的にやられたのだから、大打撃だったはず。 
更に、その数年後には世界恐慌にも巻き込まれている。今回はまだ原発の事故が
収束に至ってない。今後どれほど日本にとって大きな影響をもたらすか、まだ
未知数。 したがって関東大震災ほどでないとは、いいきれない。 首都圏に
近い上に、本州壊滅の可能性も充分にある。失われた20年という長期的不況に
見舞われ、その上にリーマンショックである。日本経済は深刻な事態の上の、
これである。決して、楽観視は出来ない状況である。そうこう考えると、
現時点の判断は、10年スパンで考えると、今回の方が遥かに大きい震災と
考えてよいのでは。 変な民主主義が蔓延っているから、なお深刻である。
  △ ジャズは、早朝のサイクリング(でiPodで聞く)によい!
 二年近く冬期間をのぞき、信濃川に早朝、サイクリングに行っている。
これまでサイクリングでiPodでクラシックなどを聴いていたが、最近、
ジャズを聴いている。ジャストいえば、夜の喫茶店か、スナックのイメージだが、
朝の土手のジャズが意外とよい。2ビートが、早朝の心と身体にリズムをつける。 
鳥の鳴き声や海やせせらぎの波の録音などアルファー波が自然と出る単調な
リズムのものを聴いてきたが、ジャズを早朝とは・・
 ジャズといえば、ルーツは黒人の霊歌で、明るさと暗さの境目が、その背後に
あるため、夜明けにあっているためである。その上にスポーツ・ジムでも
iPodでジャズを聴いている。 これも運動に2ビートがあっている。
「聴覚を人はもっと活用すべき」というが、そのとおりである。ジャズはリズム
とテンポというが、運動に本来あっている。にわかジャズファンの誕生だが、
これまではクラシックファンだったが、これは中途半端。演歌に、クラシックに、
ロックに、カントリーに、何でも好きだが、これは!というのがなかった。 
そこで1200曲がiPodに入ったからジャズに絞るか? というのも、
何か軽すぎる? しかし、軽くて結構。門前で拒否するより遥かによい。 
特に、こういう落ち込みやすい時期には。
  ・・・・・・・
 2010年05月31日(月)
3353, 何で25坪の店に6人の従業員?
 一昨夜は、長岡駅中の鶏料理店「鶏陣」に行った。25坪ぐらいの店に
男5人、女1人、合計6名の従業員。首都圏など人口密度の高い好立地なら別に
不思議ではないが、地方の駅中の鶏専門店で異様な多さ。 ガラスばりの向うに
見える厨房が異常に大きい。焼き鶏弁当、鶏肉の炒め、鶏ハルマキ、ビール2杯
に、酒一本で、二人で4000円なら安い。土曜の17時半にしては客が少ない。 
また隣の「朝日山」より従業員がなぜか多い。そこでHPをみたところ30店舗
ほどのチェーン店。 一晩寝て起きて、同じ駅中にあるファーストフードと
惣菜販売コーナーに、焼き鳥販売店があったことを思い出した。週に一度は
隣接しているスーパーで酒の肴を買ってるから前を通っている。
ただ、高いから一度も買ったことがなかった。 そこで改めてHPをみたところ、
店名は「鶏せい」と違ってはいたが、同じ系列。 思ったとおりであった。 
100メートル離れている居酒屋の厨房がセントラルキッチンを兼ねている。
焼き鳥店の店頭で焼き鳥の販売をしている店を見かけるが、駅中の至近距離に
飲食店と販売店を効率よく運営していたのである。厨房が店のわりに大きい
理由は、そこにあったのである。(字数制限のためカット2012年5月31日)
 ・・・・・・・・
2009年05月31日(日)
 ゆれる雇用・日本の20年間
NHKの「アーカイブス」で放送された、この20年間の〈ゆれる雇用・日本の
20年間〉を幾つか放送して、金子勝などが検証する番組である。 1993年、
2001年、2006年、2009年と再放送をしていたが、後半になるほど、内容が深刻度
を増していくのがわかる。 その都度、自助努力というが、その言葉が空しい。
ここで再放送されていた4回分全てを過って見ていたが、改めて時系列に連続
して見せつけられると、日本衰退の姿が赤裸々に見えてくるようだ。
  ーまずはNHKのHPの、この番組の紹介からー
バブル経済が崩壊して以降、私たちを取り巻く雇用環境はめまぐるしく変化した。
終身雇用、年功序列という働き方は最早当たり前ではなく、パート・フリーター
・派遣など、必要な時に、必要な人数をかき集めるという労働力確保の方法が
幅を利かせる時代になっている。一見、合理的にも見えるこうした雇用のあり方。
しかし、ひとたび不況になれば、中高年層、非正規社員など、弱い立場の人から
次々と職を失っていくのが現実である。何が、これほどまでに雇用環境を悪化
させてきたのか?NHKアーカイブスに残る各時代に苦境に立たされた人々の
姿と、経済学者・金子勝さんのお話を通して、バブル以降、揺れ続ける雇用の
あり方を見つめ直す。
  ーゲスト:金子勝(慶応大学教授)/司会:桜井洋子ー&林家三平
■NHKスペシャル「平成不況・中高年管理職の憂鬱」  1993年放送
 バブル経済の崩壊により、いわゆる企業戦士として会社の成長を支えてきた
中高年世代を早期退職という名の 合理化が襲った。 定年まで勤め上げる
ことを前提に人生設計をしてきた中高年管理職。その戸惑いを通して、私たちの
働き方の大きな転換点となった終身雇用の崩壊を検証する。
(字数制限のためカット2012年5月31日)

つれづれに

イメージ 1

イメージ 2

他のブログ
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/54909/
http://horii888888.toypark.in/cgi-bin/s_diarys.cgi
http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive

今日のYoutube

  明日から6月に、アッというまである。 
そうこうしている内に、『余命半年か、一年!』と宣告され、
『まさか!』と思っている内に、何処かの棟のコーナーに隔離され、
徐々に強い、鎮痛剤をうたれ、激痛の中で死を望み、プッチと、
意識を失い。あの世とやらの妄想世界へ、いくのだろう。
 決して、面白おかしくはないが、それも人生で通らなければ道。
楽しめるうち、笑えるうちである。


  ・・・・・・・
 2010年05月31日(月)
3353, 何で25坪の店に6人の従業員?
 一昨夜は、長岡駅中の鶏料理店「鶏陣」に行った。25坪ぐらいの店に
男5人、女1人、合計6名の従業員。首都圏など人口密度の高い好立地なら別に
不思議ではないが、地方の駅中の鶏専門店で異様な多さ。 ガラスばりの向うに
見える厨房が異常に大きい。焼き鶏弁当、鶏肉の炒め、鶏ハルマキ、ビール2杯
に、酒一本で、二人で4000円なら安い。土曜の17時半にしては客が少ない。 
また隣の「朝日山」より従業員がなぜか多い。そこでHPをみたところ30店舗
ほどのチェーン店。 一晩寝て起きて、同じ駅中にあるファーストフードと
惣菜販売コーナーに、焼き鳥販売店があったことを思い出した。週に一度は
隣接しているスーパーで酒の肴を買ってるから前を通っている。
ただ、高いから一度も買ったことがなかった。 そこで改めてHPをみたところ、
店名は「鶏せい」と違ってはいたが、同じ系列。 思ったとおりであった。 
100メートル離れている居酒屋の厨房がセントラルキッチンを兼ねている。
焼き鳥店の店頭で焼き鳥の販売をしている店を見かけるが、駅中の至近距離に
飲食店と販売店を効率よく運営していたのである。厨房が店のわりに大きい
理由は、そこにあったのである。(字数制限のためカット2012年5月31日)
 ・・・・・・・・
2009年05月31日(日)
 ゆれる雇用・日本の20年間
NHKの「アーカイブス」で放送された、この20年間の〈ゆれる雇用・日本の
20年間〉を幾つか放送して、金子勝などが検証する番組である。 1993年、
2001年、2006年、2009年と再放送をしていたが、後半になるほど、内容が深刻度
を増していくのがわかる。 その都度、自助努力というが、その言葉が空しい。
ここで再放送されていた4回分全てを過って見ていたが、改めて時系列に連続
して見せつけられると、日本衰退の姿が赤裸々に見えてくるようだ。
  ーまずはNHKのHPの、この番組の紹介からー
バブル経済が崩壊して以降、私たちを取り巻く雇用環境はめまぐるしく変化した。
終身雇用、年功序列という働き方は最早当たり前ではなく、パート・フリーター
・派遣など、必要な時に、必要な人数をかき集めるという労働力確保の方法が
幅を利かせる時代になっている。一見、合理的にも見えるこうした雇用のあり方。
しかし、ひとたび不況になれば、中高年層、非正規社員など、弱い立場の人から
次々と職を失っていくのが現実である。何が、これほどまでに雇用環境を悪化
させてきたのか?NHKアーカイブスに残る各時代に苦境に立たされた人々の
姿と、経済学者・金子勝さんのお話を通して、バブル以降、揺れ続ける雇用の
あり方を見つめ直す。
  ーゲスト:金子勝(慶応大学教授)/司会:桜井洋子ー&林家三平
■NHKスペシャル「平成不況・中高年管理職の憂鬱」  1993年放送
 バブル経済の崩壊により、いわゆる企業戦士として会社の成長を支えてきた
中高年世代を早期退職という名の 合理化が襲った。 定年まで勤め上げる
ことを前提に人生設計をしてきた中高年管理職。その戸惑いを通して、私たちの
働き方の大きな転換点となった終身雇用の崩壊を検証する。
(字数制限のためカット2012年5月31日)

・・・・・・
2614, 東京湾 漂流死体は語る -1

2008年05月31日(土)


   図書館で見つけた本だが、それぞれの死体が語りかけてくる刺激的な内容が初めからつづく。
   深い悲しみが、その死者の追跡から浮かび上がってくる。
   ホテルの自殺の場合、当事者として刑事が自殺の原因とか、家庭の事情を知ることとなる。
   横浜港の漂流死体の場合、原因を追究していると、あまりに不幸な生き様が垣間見えてくるという。
   読んでいても、行間から人間の業の深さと、その結果としての悲しみが胸に突き刺さってくる。
   ここに出てくるのは世間を騒がすような猟奇的な事件ではない。
   しかし、一人悲しみが死体として漂流している人間の結末から叫びとして突き刺さってくる。
   死ぬには死ぬなりの事情が、それぞれあるのである。 娑婆には亡霊が彷徨っていても不思議ではない。
    これを読んでいてつくづく思ってしまった。一つ間違えば誰にも、ありえるのである。

 この本が出版されて14年にもなろうとしているが、現在も同じような仕事に従事している人がいるのである。
 アメリカのTVドラマのシリーズで、「CSI・科学捜査班]という刑事ものがある。
 死体から、犯人を追い詰めていく内容だが、この本は、人生を追いもとめるもの。
 だから、読むものの心を引き付けるのである。 あとがきーに、この本の要約が明快に書いてあった。 
  ~~

 豪華客船、貨物船、タンカーなど、世界各国の船が出入りし、あらゆる人種が行き交う世界最大級の海の玄関口、
横浜港……。 経済大国ニッポンの大動脈を担ってさ様ざまな船が往来する東京湾
……この現代社会の縮図ともいえる東京湾をはじめ、太平洋の荒波が打ち寄せる房総東岸など、
関東近隣の海を舞台に繰り広げられる犯罪の捜査、取締まりの最前線で私は働いてきた。
そして、この手で揚収した漂流死体も数え切れないほどである。
海上での「漂流死体情報」に接するや、私はなりふり構わず巡視艇や監視取締艇で飛び出していく。
死体との出会いは一刻でも早い方がいい。風や潮流で流され、それだけ発見揚収が難しくなるからだ。
現場に直行し、死体を発見揚収し、合掌ののち、他殺か自殺か、あるいは事件死なのかといった、
いわゆる事件がらみの死体かどうかをはっきりさせるため捜査活動を展開する。
 死因、死亡時期などを明らかにするため検視を行い、解剖に立会い、また、これらと並行して死体の人相、特徴、
着衣、所持金など手掛かりとなるものを頼りに身元を突き止め、さらに死者の肉親、友人などから事情聴取をすすめ、
「なぜ漂流死体となったのか」を徹底的に調べていく。 それは「死者の生前の旅」を辿っていくことに等しい。
その結果、我々は死者が決して触れて欲しくなかったであろう生前の隠しておきたい部分までほじくり返すことにもなる。
そして、その過程で出会うさまざまな人間模様・・・ これらの漂流死体は、ある意味で現代を生きる私たちの
もう一つの姿でもあるような気がしてならない。
 「死」という壮絶な経験をした死体が語る人間の在り方は、虚飾がないだけに、いずれもその迫力には圧倒され、
かつ、真に迫ってくる。 不思議なもので、自分自身が直接、揚収した死体のことなどは、それが10年、
20年前のことであっても、つい『昨日の』とのように、鮮明に蘇ってくる。
私は死体と接するとき、そのたびに「相手は死体でも人間だ。血の通った私たちと同じ人間なんだ」……と考え、
常に温かい気持ちで接するように心がけてきた。 そんな気持ちで接していると、死体がひとりでに
何か語りかけてくるような気がするし、時にはしきりに何か訴えているようにも感じることがある。
生と死を超えたところで見せる人間の壮絶さとでもいうのだろうか。
 死体と対面するたびに、つい私は「生きるとは」…「人間とは」…:と考えさせられてしまう。
自殺であれ、事件がらみであれ、冷たい海の中から揚収し、死に至る経緯を調べ上げ、供養し成仏させるのも
我々海上保安官の重要な仕事の一つであると私は思っている。
また、これまでの経験から、漂流死体はそれだけでは決して死んでいるのではなく、発見され、揚収され、
その死因を明確にされるまでは生き続けているのではないかとも思う。
  ~~
                         つづく
・・・・・・・
2007年05月31日(木)
2249, 耐震偽装 -5
                 (o゚▽゚)o オハョ~
    以下の文を読む限り「アパ・グループ」は非常に??な集団である! 片耳の内容を一方的に信じるのは何だが、
    社長が安部首相の後援会副会長で、それ故にまだ存在しているのだから、開いた口が塞がらない。
    しかしネットで、この事実は全国津々浦々まで浸透し続けている。これは抑えることのできない事実である。

検察まで加担した事実を昨年暮れに藤田が外人記者クラブで披露しているビデオもネット上に公開されている。
ウヤムヤの幕引きは絶対にない! そんなバカなことがあって良いわけがない。
私が知る限り日本は、そんな非常識が通る国ではない。今年の後半は大きな嵐が国内を吹き荒れることは間違いない。
もしそうでないとしたら日本は救いようがない。{ こう書きながらでも、もう救いようがなくなっているのでは? 
という疑問がわく!しかし・・・・・??}

    吉田茂の孫という血筋だけで首相の座が転げ込んだ甘さが、この耐震偽装疑惑事件に象徴的に出ている。 
    政治は一寸先は闇である。 この男が、憲法改正をやらないで、誰がやるというのか?全く!
ーー
P-408
そうした中、2月14日頃であった。会社の真志尾から「報告したいことがある」と、僕に内線があった。
手に資料を抱えながら、「新たな偽装物件が発見されました」と声を上げた。
僕はまた姉歯関係かと、と思った。しかし、その予測に反し、「姉歯ではありません。
田村水落という、アパグループの構造設計を一手に行っているところです」と。
「今のところ、三棟です」と、付け加えた。もう、大抵のことには驚かなくなっていたが、
アパグループの名前が出たときには、「ヒューザー以上の大問題になる」と思わざるを得なかった。
2月17日に田村水落設計を呼んだ。 対応したのは、社内の6人。田村水落設計のの代表、水落光男氏は、
富山から朝一番に多志ビルにやってきた。姉歯と同じく、最初から偽装を認めた。
さらに、「こんな手法は、僕のほうが姉歯より先に僕が始めたんだ。

早く申請を出すために、いったん改竄したものを出して、後で設計変更をする。
こんなことを、やっているヤツは他にもいる」と豪語した。しかし、水落氏の言葉とは裏腹に、
計画変更など微塵もしないで、改竄されたままの構造設計図書で工事が進行している現実があった。
この時の会議の録音テープが、五月下旬に賢人からリークされて、朝日新聞が裏づけを取って6月1日に記事にする。
・・・・結果的に、川崎市が、国土省の指示の下に、耐震性能の偽装を意図的にインペイしてしまったのだ。
今、ここでアパの偽装を発見したと公表したら、ますますイーホームズのイメージが悪くなる。二度と立ち直れなくなる。
・・・

こういう状況の中、国土省は動かない。そして、アパは工事をやめようとしなかった。
国会で、H18年3月20日に「工事をやめた」と言っているが、これは嘘だ。
イーホームズが工事をやめるように指導しても、アパはやめようとしなかった。
まして、引き渡し済みと入居済み物件の調査を進めようとは一切しなかった。
「これ以上、アパを刺激することをよくないです。国交省も役所も、見てみぬ振りをしているじゃないですか。
下手をすると藤田さんの命が危ないです。みなが、これ以上アパのことを表に出すことを良くないと
言っているじゃないですか」 三月から四月にかけて時間が流れていく中、さとさんが僕に言った言葉である。
「社長、もうこれ以上アパに言っても無駄です。国も結局、ヒューザーの時から隠蔽するつもりだったのです」
真志尾が言った言葉である。・・ もし、ここで、アパを追求する手をやめていたら、いったいどうなったことか。
しかし、僕らは調査を続けた。
    ーーー
    信じられない内容である。非常にたちの悪い会社であり、行為そのものが犯罪的である。
    この本は、もう全国にばら撒かれマスコミが底辺で動き出している。
    それよりネットで、飛び交っているから何時どこで発火するかだ。
    恐ろしい!と時代の変化の凄さを知るのは、彼らだろう。
    建設関係の人から聞いた話だと、マンションそのものに疑いを持ち始め、
    買い控えが始まっているというが・・私は元々アンチ・マンション派だが。
                                   -つづく
            ☆^(*≧ω≦)ノ~~~βyё
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2006年05月31日(水)
1884, 家電の買い替え期間   (。・∀・)ノ゙オハヨウ!

家電の買い替え期間は、大体どのくらいのものだろうか?
と思っていたら、先日の日経新聞の中にあった。

・冷蔵庫    10年
・洗濯機    9年
・掃除機    7年
・エヤコン   10年
・カラーtv    9年
・ビデオカメラ 6年半
・DVDプレーヤ 4年半
デジタルカメラ 3年
・パソコン   4年半
・携帯電話   2年半
    以上であるが、我家の実体は大よそだが、
    ・冷蔵庫は  20年近く
    ・洗濯機は  15年
    ・掃除機   10年
    ・エヤコン  10年と25年
    ・カラーtvは 7~8年
    ・DVDは  5年
    ・パソコンは 3年
    ・携帯電話  3年
    ・電気釜   10年
家電には当たり外れがある。使い方にもよるだろうが、同じラインの中でタマタマ工程の中で
偶然仕上がりが良いものと、悪いものが出る。 これは致し方ないものだが。
私の経験からみると、TVに関することだがソニーはよい。シロモノは松下電器は外れが少ない。
                            ヾ(^ω^*) バイ                  
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2005年05月31日(火)
1519, 知らないことを知らない恐ろしさ!

一昨日の日曜日のNHKスペシャ
「日本の群像・再起への20年 銀行マン苦闘」が刺激的であり、怒りを感じざるを得なかった。
ユダヤ資本に翻弄されている現在の日本経済を焙り出した内容であった。
その象徴として勝者のゴールドマン・サックス会長と、敗者の元長銀会長の姿を対比させ、映し出していた。

「1985年の日本のプラザ合意は、ユダヤ資本のアメリカの銀行が仕組んだもの」と、平然と嘯いていたのには
怒り心頭になった。アメリカが日本に国内消費の拡大を求め、バブルのキッカケをつくったのだ。
そして、「アメリカ国内不動産の高値掴みを誘導した」と、平然と話していた。
そして、現在は逆に「日本の落ちきった不動産を買いまくっている」と。
  ゴールドマン・サックスのトップの言葉が凄い。
「知らないという事を知らないで、バブルでアメリカの不動産を買いまくっていた日本人ビジネスマンの姿が・・」
その戦略的経済戦争に負けたのが、現在の日本経済の姿である。

現在の日本では、順調に業績を伸ばしている外資金融機関に日本の学生が殺到している。
その反面、不良債権の処理に苦しみながら、再起をめざしている日本の銀行の姿がある。
が、両国の銀行にどんな違いがあったのか?が、辛らつなカタチで映し出されていた。
特に敗者の象徴の日本長期信用銀行の元会長が現在も、その時の貸し出しに対する裁判の係争中であるのが印象的であった。
「知らないことを知らないことの恐ろしさ」の結果が、現在の日本であろう。 他人事でないのが、恐ろしいが。
ソクラテスの「私は多くの知っているのではない。何も知らないというということを知っているだけだ」が、身に沁みる。

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2004年05月31日(月)
1154, つれづれなるままに

・まったく書くテーマが出ない日が、時々ある。今日はその日であるが、そういう日は自分でも嫌になる。
今までは千回まではと踏ん張ってきた。毎日書き続けることからくる習慣が重要であって、止めればエキスが失われる。
それが解っているから、休むわけにいかないから厳しい。といって、所詮は趣味の世界の話でしかないが。
~~ 
・先日、自宅の台所の改装のため夕食がつくれず、近く(150m先)のファミリーレストランに急遽いった。
隣り合わせているイタメシアの「サエゼリア」とチャンコ料理屋の「江戸沢」のどちらかと思いながら、
店の前までいった。 サエゼリアはほぼ満席で、江戸沢は一席しか入ってない。
両方とも100席以上の店だから、その差がはっきり見えてくる。
サエゼリアと江戸沢の客単価が二倍近くの差がある。何故お客が来ないのか、経営者はわかってないのだろう。
メニューの内容が、開店当初から全く変わってない。 まあ、他人事でないか。
仕方なく江戸沢に入ったが、出てきて何か損をしたような気分であった。
~~
・今年の自宅の藤の花がほとんど咲かなかった。過去30年で二~三回目である。
そういえば毎日散歩をしていて、花と草の勢いが例年に比べて弱いのがよくわかる。
梅雨が例年より早いとTVでいっていたが、今年は米の豊作は望めない?
~~
・昨日は異常なほど暑い一日であった。 今朝もどんよりしている。
晴れる日もあれば、曇る日も雨の日もある。 天候も人生みたいなものだ。

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2003年05月31日(土)
787, 「加熱する新潟のホテル戦争・NHK」をみて

今日のNHKの[きらっと新潟ー加熱するホテル戦争」が面白い内容だった。電話が二本入ってきた。
 NHKの何も解ってない素人が企画した内容という前提で見ていたせいか、お笑いの部分もあった。
今時にホテルで高価な結婚式をあげる時代ではない。アッパークラスの5?の人種は例外である。
専門店ー冠婚葬祭の式場か手軽にレストランでする時代だ。 それをオオクラホテルで村上牛を
特別注文をしての特別企画をとかいう時代ではなくなっている。
 
また長期滞在型ホテルが展望風呂をいれて拡張をしているが、だからといって周辺のホテルと同じ稼働率でしかない
ーリネン業者の情報だから間違いがない。魚がいなくなっているだけなのだ。
国内のビジネス客がこの2~3年で、3分の1になったのだ。3割減ったのではないのだ。
更に他の業界ーマンション業界とか、メンテ業界などが参入してきて、競争激化になっているだけだ。
企業が事務所を合理化の為に廃止したり、新潟・長野・群馬を高崎に統合したり、二時間までは宿泊原則禁止とかして、
日帰り圏になったりしている。事務所代わりに月曜日から金曜日にホテルに宿泊をして、営業をするようになった。
 
  また長期滞在マンションをも滞在型ホテルがターゲットにしている。
敵はホテルではなくて、貸しビルやマンションなのだ。いま起きていることは、垣根を越えた競争の時代になっている。
昨夜のTVに出ていた立教大学の岡本教授といえば、観光科を創設した人だったが?そこまでは解っていない
レベルでしかないのだ! その背後にあるものは、情報革命ーIT化が進み、合理化が可能になった為である。
 
 ビジネス客が3分の1ということは、ホテル業そのものの壊滅状態といってよい。
その中で生きていかなくてはならいのが、実情である。
朱鷺メッセが8000室の予約が入っているとか、結婚式が年内満杯とか、開業の年だけは、
ブームに乗っているのかもしれないが、どう見てもおかしい!2~3年後に必ず、この馬脚があらわれる。

誰がタクシーを使ってあそこまでいって宿泊するのだろうか!一日5人か10人ならいるかもしれないが。
長岡のGホテルは、その程度しか宿泊はないとか。それも駅から歩いて3分の好立地であるのに。
他人事ではないのが深刻だが、何とか切り抜けそうだが? 大津波が日本・世界にきているのは事実である。
その先端の大波がこの業界に来たということだ。

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2002年05月31日(金)
423, 酒の話-1

学生時代も、勤めていた時代も、どこに行ってもすぐ見つけるのが、飲み友達と、いきつけの飲み屋である。
地元で今も数人いるが、そのうち特に飲んだ二人は亡くなったり転勤で居なくなった。
転勤の一人は新潟に出張にくる度、今でも年3回は飲んでいる。

特に勤めてからの、いろいろな地方での酒が忘れられない。
やはり金沢の酒が忘れられない。なんともいえない味がそれぞれの店にあった。
歴史の深みであろうか。転勤商売も苦しいだけ、そういう楽しみもある。
苦しい時期ほど、そういう居酒屋の酒がうまっかった。

新潟では20年前から5年位前までの酒が、特に美味しい思い出が多くある。
大学時代の友人が、丁度その時新潟に転勤で赴任してきており飲み歩いた。
それと数年前に亡くなったが「新潟駅前の花園の町内会長をしていた不動産やの社長」と古町を飲み歩いたことだ。
有名な老舗の小料理屋や料亭を芸者をあげたりして飲んだ。
数十回も。 自分では間違ってもできない昔流の粋な遊びを教えてもらった。

亡くなってからは、当然のこと料亭などは全く行ってない。丁度「海外旅行と遊びの入れ替え」の部分があったが。
飲むほうも、その時期時期に一応一とおりのことを経験した。