* 都知事の変節
 都知事、公私混同で窮地にたっているが、知事以前の過去分を含めて、
ここまで表だってしまい延命が可能かどうかの瀬戸際まできたようだ。 
バラエティーで、司会が、「たけし」に、<都知事になりませんか>と、
ふると、<俺がなったら、汚職のやり放題> と、両手で懐に向けて放り
込む身振りのジョークが真に迫っていた。 やり直しをしても、たけしの
弟子の、元宮崎県知事が出てきて、間違えなったりするよりマシだが。 
石原慎太郎にしろ、猪瀬にしろ、都知事の絶大な権力は、我身の
分際を見失う力があるようだ。
   * 思いのままに
 大相撲も終わって、今週末から、伊勢志摩サミットが始まる。
オバマ大統領の送別会的サミットだが、オバマを二期させたのが間違い
だと悟ったアメリカ国民は、トランプを、大統領に選ぶ可能性がある。
<世界は「大恐慌」と、「欧米のキリスト教と、ISなどイスラムとの
宗教戦争」に既に入ってしまった> と仮説をたてると、アメリカは、
強硬派のトランプを選択、という流れが起きるのも不思議でない。
 アジアは、<天気晴朗なれど、波高し!> だが。
   * 何かお店が大変みたい!
  家内が言うに、「スーパーとか、ショッピングセンターで、日々、
不況が深刻なっているのを感じる!」という。 今朝の、朝刊の地元版に、
新潟に本社を置く「ウオロク」の社長が心筋梗塞で急死、との記事があった。 
長岡の「原信」と一騎討ちだが、規模、システムから見て、「ウオロク」は、
不利に見えていた。 その中での急死、正しくは戦死になる。
 リタイア前から、年金暮らしになると、経済の動きに対して疎くなると、
聞いていた。そして、その立場になって、まる5年になるが、まさに、そう。 
気楽で良いが、週に一度、酒と肴をスーパーで買う以外に、世間との接触
無い上に、他の買物はネット上で済ませてしまう。 老兵は、静かに、
ひっそり生きるべし! ということか。 それも慣れれば、それでよい。

・・・・・・
5183,TPPを考えるに
2015年05月24日(日)
                『読書脳』立花隆著   
  * TPPは、アメリカが世界の富を吸い上げる戦略の要!
 ここで、反対の立場からのTPP入門書を紹介している。
「TPPこそ、アメリカ主導の、アメリカンルールで囲いこんだ地域経済を
太平洋周辺に作らんとする、ブロック経済そのものの発想。」と談じている。
日本国家として、それを分かっていても、中国との地政学上、その枠外に
出ることは不可能。その上に、現政権は、保守本流で、アメリカのポチなら・・ 
日本は70年前にアメリカに敗戦、現在に至るまで、軍事、経済と間接支配を
されており、そのブロックからの脱出は不可能! =アマゾンの紹介より
≪ 世の中、TPPへの参加をめぐって賛否両論がわきたっているが、もうひとつ
 議論の焦点がよくわからんと思っている人への、最良の入門書が、E・トッド
他十一人の著者による論集『自由貿易という幻想』。 これは賛否両論を要領
よくまとめたどっちつかずの入門書ではなく、「反対」の立場から、なぜ反対
すべきかを、多くの論者がさまざまの論拠から明らかにした党派性ある入門書。
非常に説得力がある。TPP参加を「第三の開国」と唱える人々は、自由貿易
アプリオリに善とし、保護貿易アプリオリに悪とする考えにとらわれ、
保護貿易は世界経済をブロック経済化し、世界恐慌に通じる道だとするようだが
それは正しくない。TPPこそ、アメリカ主導の、アメリカンルールで囲いこんだ
地域経済を太平洋周辺に作らんとする、ブロック経済そのものの発想。
その目的は、双児の赤字に悩みつづけ、ドル価値を落してきたアメリカが、
その囲い込みをテコに再浮上をはかろうとすることにある。
 年の大統領一般教書演説で明らかにされたように、「アメリカは、2014年
までに輸出を二倍にし、もって自国の雇用を増やすという戦略」を持つ。
「そのための戦術は、第1に為替の誘導であり、第二に非関税障壁の破壊である。
いずれも、八○年代のプラザ合意や日米構造協議以来、アメリカの伝統的な
経済戦術」。考えてみれば、ドルと金の交換停止(ニクソン・ショック)は、
「史上最大のアメリカによる債務不履行宣言」といってよい。
 その後、世界の通貨制度は、「ドル"準金本位制からドル基軸.変動相場制
に移行した」が、それは、金の裏付けを失ったドルを、「超大国アメリカの
軍事力と消費市場の巨大さを背景に流通させる」というシステム。それに
よって「アメリカは一種の中央銀行としてドルの発行で特権的な利益を享受し、
貿易赤字を気にする必要がなくなったばかりか世界経済を通貨と金融の面で
自由に操作」できるようになった。その後のアメリカは、実体経済の弱さを
「自国に残された唯一最強の商品であるドルを駆使して打開しようとする国」
になってしまった。その結果招かれたものは、「世界経済の金融化」と、金融
資本を国家の壁を越えてスムースに動かすことを可能にする「グローバリ
ゼーション」。その果てに出てきたTPPの推進は、「吸血鬼よろしく、アメリ
ができる限り世界の富を吸上げて瀕死のドルに輸血するための策」と見てよい≫
▼ 欧州経済共同体(EEC)をなぞった「太平洋経済共同構想」の通貨統一を
 除いた経済圏なら、日本の農林業や、金融業は、更にアメリカ支配が強まる。
 特に、日本の金融資産は骨の髄まで毟り取られることになる。
 韓国の現状が近未来の日本である。国民の7割が国外移住希望という国に!
・・・・・・
4818,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー1
2014年05月24日(土)
 自分史的物語など、都合の要素だけを切り取り、繋げあわせた絵柄。
私の場合、こういう結果だからこそ、歩んできた道筋の要所要所の現象、決断
などの語り直しの絵柄も面白くなる? 実感としては、「この結果こそベスト?」
と、「そう都合良く思うしかない詭弁?」という気持ちを含め、断片的に語って
きた物語の「語り直し」になる。 傍から見れば珍妙な己の姿を、この結果
なればこそ、自覚できる。隠れテーマは「この喜劇の創りかた」あたり。 
ここで書く内容は、今まで書いてきた断片的な事象、内的体験の再編になるが、
視点が変わると新たな記憶が蘇ってくる。そのため殆ど書いてないことに
気づいてきた。語り直しは、あまり気持ちの良くないが、書き続けるうちに、
新しい視点が多く出てきている。自分とは、それぞれの記憶の総合体だが、
その記憶そのものを変える作業は、極度の神経の集中が必要になる。
 < 「事業人生を決心して45年」の語り直し >    
   * 学生時代編 ー前編 
① 事業創業の人生を目指そうと決心し、準備15年、創業から30年の独り
 語りを始める。漠然と自分の将来は、流通業と漠然と考えていた20歳の時、
キリスト教倫理」の夏休みに、『これからの人生設計』のテーマのレポートが
 宿題に出された。そこで、それまで真剣に考えたことがなかった自分の将来に
 ついて考えてみた。 その内容といえば、『 父親のような創業を幾つか挑戦
 してみたい、過酷としても、事業創業の人生を生きたい! 』と。 
 その時から、人生が変わっていった。そこで当時の授業カリキュラムの内容を
 改めて見直すと、前半二年の教養課程が、人生の土台になる学問。後半二年が、
 そこから選択できる専門課程が整然と組込まれており、これから生きていくため
 のカリキュラムが合理的に組まれていたことを知る。 哲学者エリクソンは、
 学生時代や、病気療養の期間を、「心理・社会的な猶予期間」とし、より自分
 らしい人生を選ぶために必要な時間として前向きにとらえている。
 人生を振り返ってみて、大学の4年間や、その後の放浪が、自分の生きる
 目標を明確にするため必要であったことは、体験上、充分に理解出来る。 
 そのレポート作成で、漫然と生きてきた自分に気づくことになる。
 その時、真剣の考えた分、ノンビリしている同期生より、二年早く将来設計
 に気づいたことになる。卒業半年前になって、慌てている人が過半数?はいた。 
 それから読書も、友達付き合いも全く変わっていった。
 自然と、クラブの合気道と、寮生との距離が離れていった。 
② その頃から、遊び半分、アルバイト半分で、学生寮の先輩が鳩山一族
 の政治団体「友愛」が経営する『友愛山荘』を任されていた軽井沢の山荘に
 手伝いに行くようになっていた。先輩の寮生と二人、そこの手伝いに誘われて
 掃除とか、料理をしながら連休とか夏休みなどに、山荘生活と、軽井沢の世界
 を楽しむようになった。そこは、鬱蒼とした森林の中の別荘地。その世界を
 憧れる若い女性と、金持ちが集まる別天地である。こういう世界の住人になる
 には、それなりの力を持たなければと実感することになる。それにしても、
 早朝の朝靄の小道の散歩は格別! 世界には一部の裕福層と、その他が存在
 することを肌身で知ることになる。それより何が楽しいかといえば、夕食後の
 ミニ・パーティ。紅茶と御菓子で、フォークソングを歌い、踊る。
 それも御客は若い女性ばかり・・
・・・・・・
4451, しまった! ー1
2013年05月24日(金)
    ーしまった! 「失敗の心理」を科学するージョゼフ・T・ハリナン(著)
 人間の認識の甘さは今さらいうまでもない。カントのコペルニクス的転換、
「人の認識は対象に従うのではなく、認識が対象を決める」。それを知識として
知らないため、思い込みに縛られ、人は多くの失敗を重ねてきた。
更に失敗から学ぼうとしないから始末が悪い。その上、失敗に対して
意識的にも無意識的にも話を作りかえる。  
 まずはー内容紹介ーより人間はなぜ、まちがうのか」というテーマについて、
面白くてネタになるトピックを「これでもか」というぐらい集めて分析した本。
たとえば・・・・・・
★ レントゲン技師は、画像に写っていた悪性腫瘍の9割を見落とす?
★ トップレスダンサーの収入は、彼女の月経サイクルに左右されている?
★ 黒いユニフォームのチームは、ペナルティーをとられる可能性が高くなる?
★ 人間は、誤りを犯しそうなときは、むしろ「行動を起こさない」
  という誤りを犯すほうを選ぶ?
★「セックスした相手の数」を、男は女の四倍も多めに答えたがる?
★ 医師の八四%は、同業者がメーカーからの贈与に影響されていると考える。
  だが、自分が影響されていると考える医師はわずか一六%しかいない。
★ 人はなんらかの形で自分が不正をしていないことを証明すると、
  その後の作業でもっと不正をしやすくなる。
★ 映画を「あとで見る」人は高尚な作品を、「いま見たい」人は
  大衆的な作品を選ぶ。
★ キャッシュローンを勧める通知書に女性の写真を載せるだけで、
  利率を五ポイント下げたのと同じ効果が期待できる。
★ 予備選名簿の一番目に載った候補者は、得票に三ポイント上乗せできる。
★ 投資家は、金曜日の経済記事には月曜日の記事ほど注意を向けない。
★ 人間は、印象の操作など特定の目的のためには平気で話をつくり変える。
★ 無意識につくり変えた話でも、二度三度と繰り返すうちに、
  いつしか「記憶」そのものになってしまうことがある。
★ 一般的に、男は自分を持ち上げるために、女は他人を持ち上げるために
  嘘をつくことが多い。
★ 社会的地位や学歴、収入は、全体の幸福度にわずか三%しか占めていない。
★ 人を単純作業に従事させるためには、お金の力がものを言う。
  だが、たいていの行動では、人間は総じて金銭的動機には左右されない。
 (ゆえに、行動経済学はあまり役に立たない?)など、興味深い話がてんこ盛り。
▼ 人は思うほど完全な存在でないが、しかし周囲は人が完全であるかのような
 前提で動いている。私が学生時代のゼミで多くのことを学んだ中の一つに
「会社組織は完全な存在でなく、個人の将来まで考えてくれない。
独自で学び続けなければ知識や能力は得ることが出来ない」ということ。 
キャリアは自身でつくり上げるもので、与えられるものでない。実際のところ、
成功の背後には失敗の累積がある。問題は致命的な失敗をしないこと。
そして、失敗から学び取ること。人生を振り返って、今になって真の失敗は
何だったか気づくことが、あまりに多い。
・・・・・・
4077, 哲学で自分をつくる ー4 (ソクラテス
2012年05月24日(木)
     「哲学で自分をつくるー 19人の哲学者の方法 」瀧本 往人(著)  
 * 魂に磨きをかける    
   第一章 しったかぶりはもうたくさん 〜ソクラテス ー�
≪ 死刑を宣言された際、つまり自分の死に対し、「死を恐れることは、
 死のことがよく分かってないのに分かった気になる」に等しいと、ソクラテス
は考えた。死について何も分かってないのに「死を恐れる」などということは
愚かしい、誰も死を知っている者はいないのに、なぜ恐れるのかと問いを発する。
命がけで期待された弁明の機会もアテネ市民の将来を憂いる。そして死刑判決を
受ける。 ・・無知をハッキリさせることは「汝自身を知れ」に通じる。
自分が何も知らないことを自覚し、より一層真理を追究する態度は、単に、
汝自身を「知る」ことでなく、魂の鍛錬という「実践」であり、自分がよく
生きるための問いである。魂を磨くことは、ただ漠然と、自問自答するので
はなく、他者にかかわる中で、他者に問いかける中で磨かれるものである。 
ソクラテスが探そうとしたのは「真理」であって、ソクラテスらしさでない。
探し出すには、相当の鍛錬、実践が必要とされた。自分の魂を磨くには、
命をかけて真理を追究しなくてはならない。他者が嫌がることでも、問いかけ
を行わなければならない。この対話、営みは「パレーシア」(真実を語ること)
と呼ばれている。彼の対話術は、自らの主張を他者に受け入れてもらうための
技術ではなく、「相手に問いかけること」そして相手の主張を「聞くこと」
に主眼があった。そもそもこの「無知の知」の重要性は、この「聞くこと」
のための手法にあった。何かを知っているから語るのではなく、何も知らない
から、分かってないからこそ、相手から引き出そうとする。
 パレーシアの原点は、そこにある。それゆえ、その原点は、密接な一対一の
関係が必要である。この対話は、自分が主役として振舞うのでなく、相手の話を
引き出すように行われる。それゆえ相手はソクラテスに導かれながら自分に
ついて語ることになる。重要なのは、自分が語ることができる「ロゴス」(論法
と言葉)が、自分の生き方と確固たるつながりがあることなのである・・ ≫
▼「吟味されることのない人生など生きるに値しない」というソクラテス
 言葉が好きである。要は、味わい尽くしてこそ人生である。対話は他者だけ
でない、自分の経験に対してもおこなうべきである。そのため老後という期間が
人生に与えられている。老後を如何に過ごすか?と問われれば、「それまでの
人生に対しての自己問答を通して、魂に磨きをかけること」が答えになる。
それは死を間近にした真剣勝負である。だから面白いのである。
魂に磨きをかけるとは、そう甘いものではない。
  ・・・・・・・
3711, ジャズについて −6
2011年05月24日(火)
                ー「音楽の本」三枝成彰著より
 ー1935年、2ビートから 4ビートへー「スウィング」の時代ーP192
  * 「スウィング・スタイル」の立役者ぺニー・グッドマン
【 デューク・エリントンに、「スウィングしなけりゃ意味がない」という、
 よく知られたタイトルの曲がある。 一九二九年の金融恐慌に始まった大不況
がようやく回復の兆しを見せてきた三五年頃、ジャズの中心地となっていた
ニューヨークで、スウィング・スタイルのジャズの時代を迎える。スウイング・
スタイルのジャズとは、ビッグ・バンドによる躍動感あふれるダンスのための
ジャズといってもいいだろう。ジャズのリズム的特徴の4ビートにある。従来の
2ビートから4ビートに移行したのも、このスウィング・スタイルの特徴であり、
心地よい揺れるような感じ(スイング感)がこれによって生まれた。
 立役者は白人のペニー・グッドマン(一九〇九〜一九八六)。彼は、一九三四年
に不況のあおりで自分のバンドを解散せざるをえなかったフレッチャー・
ヘンダーソンから、そのビッグ・バンド・スタイルの編曲を丸ごと"買い受け"
たのである。そしてそれに洗練を加えることによってダンス音楽としてのジャズ
に新たな味わいをもたらした。そもそもジャズは、誕生当時からダンスホール
クラブで演奏されることが多かったように、ダンス音楽の側面を持っていた。
ジャズが鑑賞のための音楽になるのは、その後のことである。
 グッドマンは、より速いテンポ、短いフレーズの繰り返し、軽快で歯切れの
よいタッチの演奏で、それをスウィツグ・ジャズ・スタイルとして確立させた。
グッドマンのあとには、トミー・ドーシー楽団やグレン・ミラー楽団といった
白人ビッグ・バンドが続いた。 やがてこのスウィング・スタイルでのコンポ
(八人くらいまでの小編成楽団)も人気を集めた。彼らはニューヨークの五二番街
に集中していた小ぶりなクラブでもっぱら演奏したので、五二番街は
「スウィング・ストリート」と呼ばれた。スウィングを担ったジャズメンは
白人が多かったものの、だからといって、ジャズが「黒人による不良っぽい
ワイルドな音楽」から「白人による健全でスイーツ音楽」へと変質したわけ
ではない。むしろ、スウィングから次のビバツプの時代を経て、ジャズが黒人
だけの音楽から、白人を含む音楽へと広がりを持ったと認識すべきであろう。】
▼ ここでジャズは、元もとダンス音楽の側面があり、スウィングの流行後に、
 ジャズ音楽鑑賞として進化したとは知らなかった。それも、あのべニー・グッド
マンがスウィング・ジャズの立役者とは。 あの恐慌の半ばで・・・ 
それと、学生時代に持っていた少ないレコードの中にグレン・ミラー楽団と
べニー・グッドがあったことを、この書を読んでいて思い出した。
・・・・・・・
3346, YouTube の視聴回数 1 日 20 億回! −1
 2010年05月24日(月)
 YouTube の視聴回数が1 日 20 億回!には驚いた。2年前に息子から面白い
とサイトを開いてK-1を見て驚いたが、それっきりだった。それがビデオカメラ
を買って、撮影し、投稿して初めて面白い投稿が多くあるのに気づいた有様・・。
まずはペットから始まり、アフリカの野生動物、そして花火と、見る度に
はまってしまった。  ーこのサイトのHPによるとー
≪ 5年前の5月、YouTube の創業者たちは何カ月も深夜まで及ぶテストと
 作業の末、YouTube.com をオープンしました。その使命とは「誰でも簡単に
動画をアップロードし世界中と共有することができる場所を提供すること」。
今日 YouTube は、映画監督でも、政治家でも、自慢の子を持つ両親であっても、
または大きな何かと繋がっていたいという人たちが、自身をブロードキャスト
することができる場となりました。YouTube は誰もが想像したよりも遥かに
素晴らしいサイトに変化を遂げ、活気に満ちたユーザーのコミュニティが
創られた。多くの皆さんに使っていただいた結果、今日 YouTube の視聴回数は
1 日あたり20 億回を超えるまでになりました。これはアメリカの主要テレビ局
3 局のゴールデンタイム中の番組視聴回数の合計の 2 倍近い数値。自宅の寝室
で撮影された動画ブログやバイラル動画のサイトとして始まったものが、
HD画質や3D動画に対応し、200 カ国に放映される1シーズン分のスポーツの試合、
より良い社会を目指したドキュメンタリー映像、更にはアメリカ合衆国大統領
へのインタビューまでも配信する世界的なプラットフォームに進化しました。≫
 ー以上だが、ツイッターには、すぐ反応したが、これに反応しなかった鈍い
感性に驚いている。 (字数制限のためカット2011年5月24日)
・・・・・・
2971,住まうこととさまようこと ー3
2009年05月24日(日)
  * さすらう者たち
「さすらい」という言葉は、深い何かを感じ取ることが出来る。それは、青年期
になると、親から一歩はなれ、自分の世界を探し求める者の姿に二重写しになる。
産まれ、育ち、生きていく人間のありようが、さすらいかもしれない。
その言葉に、「ニヒリズム」の響きを感じるとるのは、人間の存在は死すべき
存在であるかだ。さすらいといえば、船乗りと遊牧民。彼らは、「住まうことと
さすらうこと」を同時にしている。彼等の方向性は、目的とする港であり、
商業の街。彼らは、港や商業地で住む人たちとは本質を別とする。
男はつらいよ」の寅ちゃんではないが、自分の帰属するところがあってこそ、
さすらいが出来る。 古来、未知なるものへの憧れが、人間をさすらいへと
駆り立ててきた。欧州ではユダヤキリスト教の影響が顕著になると、さすらい
は原罪を背負い呪われた者たちの宿命であり、彼岸という最終目的に至るための
受難の道に過ぎないと、考えられるようになった。今日でも、何らかの最終
目的に到着することが、旅の目的とみなされてきた。
   (字数制限のためカット2011年5月24日)

つれづれに

イメージ 1

他のブログ
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/54909/
http://horii888888.toypark.in/cgi-bin/s_diarys.cgi
http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive

今日のYoutube

 先日、NHKで、「人生のしまいかた」を、様ざまなケースを紹介しながら、
レポート風に紹介した番組の録画を観た。生きていれば、誰もが両親や兄弟の
死に際に立ち会っている。死は直視できない人生のイベントだが、やはり、
見つめておかないと
http://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=05718



・・・・・・・
3346, YouTube の視聴回数 1 日 20 億回! -1
 2010年05月24日(月)
 YouTube の視聴回数が1 日 20 億回!には驚いた。2年前に息子から面白い
とサイトを開いてK-1を見て驚いたが、それっきりだった。それがビデオカメラ
を買って、撮影し、投稿して初めて面白い投稿が多くあるのに気づいた有様・・。
まずはペットから始まり、アフリカの野生動物、そして花火と、見る度に
はまってしまった。  ーこのサイトのHPによるとー
≪ 5年前の5月、YouTube の創業者たちは何カ月も深夜まで及ぶテストと
 作業の末、YouTube.com をオープンしました。その使命とは「誰でも簡単に
動画をアップロードし世界中と共有することができる場所を提供すること」。
今日 YouTube は、映画監督でも、政治家でも、自慢の子を持つ両親であっても、
または大きな何かと繋がっていたいという人たちが、自身をブロードキャスト
することができる場となりました。YouTube は誰もが想像したよりも遥かに
素晴らしいサイトに変化を遂げ、活気に満ちたユーザーのコミュニティが
創られた。多くの皆さんに使っていただいた結果、今日 YouTube の視聴回数は
1 日あたり20 億回を超えるまでになりました。これはアメリカの主要テレビ局
3 局のゴールデンタイム中の番組視聴回数の合計の 2 倍近い数値。自宅の寝室
で撮影された動画ブログやバイラル動画のサイトとして始まったものが、
HD画質や3D動画に対応し、200 カ国に放映される1シーズン分のスポーツの試合、
より良い社会を目指したドキュメンタリー映像、更にはアメリカ合衆国大統領
へのインタビューまでも配信する世界的なプラットフォームに進化しました。≫
 ー以上だが、ツイッターには、すぐ反応したが、これに反応しなかった鈍い
感性に驚いている。 (字数制限のためカット2011年5月24日)
・・・・・・
2971,住まうこととさまようこと ー3
2009年05月24日(日)
  * さすらう者たち
「さすらい」という言葉は、深い何かを感じ取ることが出来る。それは、青年期
になると、親から一歩はなれ、自分の世界を探し求める者の姿に二重写しになる。
産まれ、育ち、生きていく人間のありようが、さすらいかもしれない。
その言葉に、「ニヒリズム」の響きを感じるとるのは、人間の存在は死すべき
存在であるかだ。さすらいといえば、船乗りと遊牧民。彼らは、「住まうことと
さすらうこと」を同時にしている。彼等の方向性は、目的とする港であり、
商業の街。彼らは、港や商業地で住む人たちとは本質を別とする。
男はつらいよ」の寅ちゃんではないが、自分の帰属するところがあってこそ、
さすらいが出来る。 古来、未知なるものへの憧れが、人間をさすらいへと
駆り立ててきた。欧州ではユダヤキリスト教の影響が顕著になると、さすらい
は原罪を背負い呪われた者たちの宿命であり、彼岸という最終目的に至るための
受難の道に過ぎないと、考えられるようになった。今日でも、何らかの最終
目的に到着することが、旅の目的とみなされてきた。
   (字数制限のためカット2011年5月24日)

・・・・・・
2607, 脳内会話 -2
2008年05月24日(土)

 脳内会話といえば、
哲学者の池田晶子の「帰ってきたソクラテス」「ソクラテスよ、哲学は悪妻に訊け」
「さよならソクラテス」の三部作が、池田晶子の脳内会話のようなものだった。
宇宙の彼方から帰ってきたソークラテスが、現代のニッポンに甦り、現職議員や
老人福祉係、ニュースキャスター、ジャーナリスト、エコロジスト、フェミニスト
マルチプランナー、トレンドクリエイター、コピーライター、サラリーマンから釈迦
まで、様様な職業の人たちと、政治や老人福祉、その他諸諸のことについて、対話する。
筆者が抱いている「ソクラテス像」というフィルターを通して、しゃべりたいことを、
ソクラテス池田晶子に話をさせている。 これこそ脳内会話そのものだろう。
 ~~
「そーさ、そりゃあたしだって、決してこんな世の中いいと思ってるわけじゃない。
確かにこの頃は・目に余るところはあるわよね。 でも、世の中って、そういうもんて言や、
そういうもんなんじゃないの。 (中略) あたしは、自分の身の丈の暮らししかしたい
と思わないから、官僚が金儲けしようが女子高生が売春しようが、あきれはするけど、
かまわないね。言ってわかる連中じゃないんだから。(中略) ああいうのに腹立てて、
やいやい言ってるヒマがあんなら、自分をまじめに生きてる方が、あたしはいいね、
ほんとはそっちが先でないのか。
みんながそれをほっぼらかして、人のことや世間のことばっか気にするから、
結局世の中全体が、そういうふうになるんでないのか。.……」ーソクラテス

『悪妻に訊け』で読んだ「フェミニスト」とのやりとり。
フェミニスト  女の能力は生殖や家事に尽きるものではないと私は言ってるのです。
 女の隠れた能力を存分に発揮できる場所を、社会は用意するべきだと言ってるのです。
クサンチッペ  馬鹿だねえ。女の能力って言うんなら、そりゃ男を動かすことに尽きる
でないの。社会動かしてるのが男なら、その男を動かすことこそ女の技量ってもんよ。
せっかく女やってるんなら、断然その方が面白いね。
フェミニスト  全然甘いわね。男たちは女の言うことなんか、そんなに簡単に
聞きやしませんよ。
クサンチッべ  そりゃ、あんたがそれほどのタマじゃないからさ。それだけのことだよ。
フェミニスト  失礼ね!自分の食い扶持も稼げないくせに!
クサンチッペ  やれやれ、食うことばっかりこの人は言うんだ。ない、私が稼がないのは、
 ソクラテスが私に惚れているからだよ。男ひとりに惚れられなくって、何で女の能力なのさ」
 ~~以上だが、
もちろん、クサンチッペは池田晶子そのもの。
一人にやにやして、自己会話をしている姿が彷彿する。

そうそう、面白いことを思い出した。 ある家の部屋の更に奥にある部屋に入って亡く
なった親戚、家族、友人、恩師などのテーブルを想定して、そのテーブルに座り、一人一人
と会話をするイメージの創作をしたことがあった。何かの本からヒントを得たのだが。
これをイメージだけでなくノートに書けば、面白い文章になったのに、書いておけばよかった。
 当時は気持ちが重くなって、あまり長続きはしなかった。今からでも遅くはないが。 
   脳内会話の本、アマゾンでまだ注文してないが、するか。

・・・・・・・・・・・
2007年05月24日(木)
2242, 閑話小題  ゜・。*ヾ(´∀`o)+。才ノヽ

* 滋烈亭のママ*

十数年前の話になるが、長岡や県外の人が新潟・古町界隈の「個性的店に行きたい」
というと「滋烈亭」という創作中華料理店に連れて行った。ママも美人でキップが
良かったこともあったが・・ ところが当時、改装をしたという案内をもらった
ので行ったところ、カウンターを主体にした、より高級志向の店になっていた。
当時、「ちょっと高級志向的過ぎるのでは?」と注意した記憶がある。
露骨に嫌な顔をされて、それ以来行ってなかった。その直後に金融の再編成や、
官公庁への接待なども厳しくなって、高級イメージがマイナスになったことも加え、
前ほどお客が行かなくなった、という噂を聞いていた。 本人は骨身に沁みていた
だろうに! だが、「本当のことをいってはならないのが人のため」というのが最近
分りかけてきた?・・・私には出来ないが!
そのママが先日、事務所に訪ねてきた。曰く「この十数年、ギリギリ乗りこえてきたが、
東京で勤めていた息子が店に入るというので、それを機会に駅前に移転したいので駅前
界隈の情報を知りたい。色いろな病気もその頃から出て、この十年は闘病の日々であった。
十数年前までは接待費の店として充分採算があっていたが、今は時代が変わった」とか。
以前の面影はあまり見られなかったが、それでも人生に対して前向きのところは変わって
なかった。この話を聞くまでは「格差社会の中、で高級志向の人たちに支持されている
のかな」とも思っていたが、それほど甘くはなかった! ということだった。
ーー

*やはり変わった駅前周辺の空気*
この十数年来、4月にはいると一段落ちの売り上げダウン。そして5月の連休後さらに
ダウン! もう諦め顔というのが毎年のパターンであった。ところが今年は逆に4月1日
からプラスに転じ、ゴールデンウィークの連休明けも同じ流れが続いており、予約を
みると6月の初旬まで同じ流れである。今年に入って、三ヶ月ほど微強であったが・・
夏場をイベント予定をみると例年どおりで、流れからすると、今年度はまあまあとなり
そうである。しかし、この商売だけは景気に直接左右されるので、気は許せないが・・
4月1日より政令都市になり雰囲気が全く変わったのには驚く。それとこれから本格的に
駅立体工事が進むので、底は抜けたとみてよい??それほど甘くはないか?   
                        ヾ(・ω・`)ノバイヾ(・ω・`)ノバイ
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2006年05月24日(水)
1877, 「ノート術」本当の極意 -2
                おっ w(゚Д゚)w ハァョ~               
 「手帳とノート魔法の活用術」の著者の和田茂夫氏の
  ービジネスノート活用七原則ー の基本的ノートの使い方が参考になる!
原則一、ノートとメモは使い分ける(メモは気づいた時に、適当に書きとどめる
    ので改めて書き直す方が良い。メモ情報のなかにお宝が多いのを掘
    り出すことになる。     
原則二、カタチは何でもよい(A4かB4のノートで十分)    
原則三、ノートは片面だけをつかう
    (ノートを切り離して使うためにも、片面がよい。
    見直すときも常に書いてある方をみれるし、みやすい) 
原則四、タイトルは×マークで(その上の部分にテーマ、右の出典、左に月、
    下に日付けを入れる 
原則五、主語+述語のワンフレーズで書く
    (たとえば「新会社法」とか「見積書」の場合、
     「新会社法の施行」「見積書をファックスする」)     
原則六、図解してみよう(マインドマップ、○△□→などを多くつかう)  
原則七、封筒で整理する
    (テーマごとに大きな封筒の、関連のノートなどを入れておく。
     ノートは片面しか使ってないので切り離してもよい。タイトルを端に
    書いておけば、少し引き出しただけで、封筒の内容がわかる。)
                  (*^ー^)/C□~~ コーヒー?
この内容のポイントは、
・ 楽しく書けば長続きする。
・ 方眼紙の紙やノートを使うと図表やグラフを描きやすく便利である。
・ 空間を充分に取り、絵とか図を多く取りいれるとよい。ノートは片面だけを使う。
・ メモの場合、必ずワンフレーズにしておく。 というところだが・・・
現在、モーニング・ページで毎朝思いついたまま3P書き連ねているが、
ほぼ上記をカバーしているが、実際のところどうだか?
                 (。・ω・)ノ☆゚+.バイ!
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2005年05月24日(火)
1512, こころを凛とする196の言葉ー1 
             読書日記

最近、あまりこだわりを持たないで、色いろなジャンルの本を読むようになった。
その中に、女性が女性向きに書いてある文章がある。読んでいると、
切口が鋭いことと、少し言葉を変えると「男」にも当てはまる内容が多い。
特に、服装に対する心構えなどは男性用のものは殆どない。
外見に対して気をつけることとして、「清潔7割、色気3割」は、男にとって
「清潔7割、着こなし3割」と考えれば。それとも、色気3割も必要なのかもしれない。
とにかく、読んでいて男の自分が「ハッ!」とする内容が次々と出てくるから不思議。
特に、汚いオバサン化した女性には厳しい言葉である。若い女性には、是非読んで
ほしいものものばかりだ。女性の気の使い方が読んでいて面白い。大事なことだが、
でも? まあ、いいか!

女性の化粧は、欠点をカバーするもので、特にアンバランスを調整する為にする
のが基本であるという。ブランド物でどういうバランスを保てるのか疑問符があるが。
   ー幾つかを書き出してみるー
・美の真骨頂は7対3
  私が街で振り返ってしまう女性は、いつも決まって同じタイプ。
  清潔感と色気がきっちり7対3の女たちである。
 --
・清潔感を毎日ひとつ
  メイクでも服でも香りでも何でもいい。毎日ひとつでも、
  清潔感を放つものを体にくっつけて出かける。それが「清潔感のある人」・・
 ーー
・服のルール
  おしゃれとは、年齢とともに失っていく清潔感を取り戻すためにある。
  ーー
・地味の落とし穴
  他人の視線が気にならないのは、ある意味でとても「おさまり」のいい日。
  でもその「おさまり」こそ、言ってみれば「地味」の正体。
  人目を煩わせずに、ひっそりとしていれば心身ともに疲れない。
  だから気がつくと「地味」の中にぬくぬくとうずもれてしまいがち。
  危険なのは、そこである。「地味」はやがて体の中までしみ込んで
  細胞代謝を低下させ、女性がもっているべき艶まで失わせてしまう。
 ーー 
・自分をキレイに扱う
  仮に美人でなくても美しく見える人は、なぜそう見えるのか?
  逆に美人なのに美しく見えない人は、なぜそう見えないのか?
  美人か否かの分かれ道はいろいろだが、ひとつだけ決定的なことを言うなら、
  自分自身が自分を「美しいもの」として扱っているかどうか、それで女は
  決まると思う。
 ーー 
・ブス
  安心が女をブスにする。
 ーー
・流行力
  女にとって流行は、老けないためのストッパー。
 ーー
・ブランドはプライド
  女にとって「いかに生きるべきか?」と
  「次にどのブランドの何を買うか?」は、下手をすると同じ
  くらいの重さを持ったりする。たぶんブランドは、プライドだから。
  少し自信が足りない女のプライド・・・。
 ーー
・美容の掟
  化粧もカーラーもバレたら無意味。
  高校生の私は、そこで自分のなかに初めて掟が生まれたのを感じた。
  美容はバレちゃいけないのだという・・・
 ーーーーー
 「こころを凛とする196の言葉」
 発行所 ソニー・マガジンズ 著者 斉藤薫
                 - つづく
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2004年05月24日(月)
1147, 「唯脳論」 

この本も、なかなか面白い。情報化時代だからこそ脳が問題になる。
脳こそ、情報器官そのものであり、それがコンピューターと結びつき、
さらにインターネットでネットされた現代社会では、最も注目されて
しかるべきである。

自分の脳を公開して、さらに自分で時間をおいてみてみると、自分でも面白い
のだから、他人が見たらもっと面白いだろう? この随想日記は「唯脳の世界」
そのもの、それも重層に重なっている。「現代人は脳の中に住むという意味で、
いわばお伽噺の世界に住んでいるといっていい。」と著者は書いているが、
ある意味で、このホームページもお伽噺なのかもしれない。

ー以下は、あるホームページの抜粋を、再構成したものである。
それにしても、神様か、高度の何かが人間や生物を創ったとしか思えないが。
ーーーー

養老孟司著 青土社
●はじめに
・現代とは、要するに脳の時代である。
 情報化社会とはすなわち、社会がほとんど脳そのものになったことを意味
 している。ヒトの歴史は、自然の世界に対する、脳の世界の浸潤の歴史だった。
 それを我々は進歩と呼んだのである。
自然保護運動が、しばしば理性に反するようにみえるのは、その実態が
 「自然に帰れ」 運動ではなく、直感的な「反-脳」運動だからであろう。
 現代人は、脳の中に住むという意味で、いわばお伽噺の世界に住んでいる。
・・・・・ お伽噺に異を立てる現実とは、我々を制約するものに他ならない。
それは歴史的には常に自然だったが、いまでは脳になってしまった。
・我々はかつて自然という現実を無視し、脳というお伽噺の世界に住むことにより、
自然から自己を解放した。現在その我々を捕らえているのは現実と化した脳である。
脳がもはや夢想ではなく現実である以上、我々はそれに直面せざるをえない。」

唯脳論とはなにか
・ ヒトが人である所以は、シンボル活動にある。言語、芸術、科学、宗教など。
我々の社会では言語が交換され、物財、つまりものやお金が交換される。
本来は全く無関係なものが交換されるのは、脳の中にお金の流通に類似した、
過程がもともと存在するからであろう。
・ ヒトの活動を、脳と呼ばれる機関の法則性という観点から、全般的に眺め
ようとする立場を唯脳論と呼ぼう。(以下、字数の関係でカット2,008年5月24日)

・・・・・・・・・
2003年05月24日(土)
780,またおきた「意味ある偶然の一致」
  ー40歳の頃-1986年

過去をこうして書いていると、いかにして今の自分になってきたかの謎解きを
一人しているような気分になる。この頃は第二の増築工事の完成をした年であった。
280室に向けて一番勢いがあった。またギリギリの判断をして、後は野となれ
山となれという気分であった。時代はバブル直前の何ともいえないエネルギーが
溢れていた。コンピューターを導入した年でもあった。
政治的には、アメリカとプラザ合意をしてバフルに入った直後であった。
気持ちの中ではギリギリの限界であった。

ーこれを書いているときー今、TVから1986年の歌がが流れてきた、それも
字幕で1986年と入っていた。加山雄三の歌がー「北国の~と歌っている」
また起きた感じだ。 NHKのBS・2で、時間は21時55分。
恐ろしい感じがする。よくおきるがあまりに露骨だ!シンクロニシティ
「意味ある偶然の一致」だ。嘘みたいだ! 実際のところ、現におきたのだ。
書いている最中に字幕で1986年と出て、歌まで出るのだから! あまりにも
出来すぎている。これに合わせて引きつけられるように、このテーマを書いて
いたということになる。深い自分のしらない何かがあるのだろう。 
これだから面白い!テーマが変わってしまった。

ー重大ニュースー
三原山大噴火
11月15日、伊豆大島三原山が209年ぶりに噴火。21日、全島民に避難命令。
約1万人が1ヵ月にわたって島外避難したほか、農・海産物などに大被害を
もたらした。

・撚糸工連事件

・・・・・
2002年05月24日(金)
416,鳩山家の「勉強法」

何回か立ち読みをして買うかどうか迷っていたが,先日買って読んで面白かった。
しかし本来ある技法を、とってつけたような内容も多かった。最近ノウハウ
書に凝っている。以前はノウハウ書などの小手先の本を甘く見るところがあった。
ところがそれが思い込みでしかないことが、この年で解った。ノウハウ書ばかり
偏るのがよくないのであって、技術の宝庫であることは間違いない。

この本もそうだ。ノートのとり方一つでも目から鱗である。
私の場合あまり勉強が得意でなかったこともある。

最近凝っている即読法もそうだ。10倍とはまだなってないが、
3~5倍早く読めるようになった。うそみたいな話だが。

10歳ぐらいのときに、ある姉が教えてくれた。「一科目だけでいいから、勉強
して一番をとりな!」これが小学年の後半、算数だったと思うが一番になった。
それがきっかけであった。 そして中学二年の時、・・・・・と。

さてこれで印象に残っている順に書くと!
・ノートの左右の書き分け 左にキチット先生の教えたことを、ノートにとる。
  右に 右脳的に 絵とか自分の 形に遊びを入れて書き換える。また、その
ときの部屋の様子や、他のことも書き加える。ダビンチのノートもそうだ。絵と
文を交互に空間を広く取りながら書き込む。広くとった空間にどんどん書き加える。
・あと問題集を徹底的に解く。 それもどんどん答えを見ながら、先に進む。
・本は全体をとりあえず読む。そして後ろのほうから、逆読みをする。推理小説
 の犯人を先に知った上で、 そのストーリーを読み解く方法を勉強法に取り入る。
・黒板を周辺に置き、いま覚えるべきところを書き込む。
・勉強をすることが楽しい雰囲気を作る。音楽はアダージョなどの、
 アルファー波の出る音楽を流す。
・黒板で自分が先生になったつもりで、生徒に教えるように演技してみる。
・暗記は繰り返し暗記をすれば、誰でも憶えられる。
・頭の切り替えの為、ポイントごとに遊びを入れる。
・最も大事なところは、勉強と終わりに集中させる。
・あくまで本人の主体性を尊重する。

これは別に写したわけでなく、自分の印象に残った順に記憶から記している。
受験なら、どこそこの大学と具体的に目標を決め、その科目を集中して勉強する。
それも高校一年の時から割り切り、他の授業は割り切って進級すればよいレベル
にする。こういうのを戦略的勉強法というんだろうが。でもそれを出来なかった
が、「生き方で戦略的に生きてやれ」と、学生時代に意識できた収穫もあった。

・・・・・・・
2001年05月24日(木)
ホームページを開いて3週の実感

 今週末に‘写真日記のコーナー’ができると一応ホームページの骨格が完成だ。
パソコンを何のため使っているのかな?使い切っているのかな?と疑問を持って
いた矢先ホームページの開設を思い立ち、そのプロセスの中で他のホームページ
の構造とユニットをつかむ事が出来た。
 自分のデータベース造り、及びその蓄積になっていくと同時にそれが
そのまま外界にリンクしていくサテライトスタジオ機能を持つことと言える。
グローバルに対する自己の開放である。ホームページはその表紙を語源とする。
ということは大項目のデザインということになる。この数ヶ月かなり追加と
変更が予測できる。

 今年の新年の誓いはパソコンとインターネットとホームページをものにする
事であった。特にホームページは思ったより収穫になりそうだ。
 開設の5月2日以前と以後と言うくらいのそこに大きい段差を感じる。