* 『魂の致命的な敵は、毎日の消耗である』
 ロマンローラン『ジャン・クリストフ』の言葉である。 
リタイア後の最大の収穫は、毎日の消耗が大きく減ったこと。
何も期待されないし、誰にも気を使うことがない気楽さが、こんなに
よいとは思いもしなかった。WOWOWの「ドラマW」枠の「双葉荘の友人」
の中で、主人公の妻が、職場の御産で退社する上司の仕事を受継いだ後、
訪ねていった時の先輩の言葉、『辞めて、家事専門になって慣れると、
思いの外、これがいい』である。 これと同じ感覚を5年前から実感して
いた。 仕事のプレッシャーの累積は、実は魂の致命傷になっていた。
 いや、逆に 魂の消耗の果ててこそが人生じゃないか?  もある。
   * 負いかた一つで、重荷も軽い
 『負いかた一つで、重荷も軽い』 こんな、言葉があった。
傍からみたら、現在の自分が、重い荷物を負っていると見えるだろうが、
何故か羽根が生えているかのように軽い。 私より、一ランク上?の
人種の24時間のスケジュールをたて、こなしていることが、重荷?を軽く
している。これをこなしている限り、重荷になるはずの状況(環境)下で、
重荷も?軽くなって当然と実感。気を強く持ち、日々を真正面に過ごせば、
気持ちの揺らぎも、一時的で終わる。 生老病死などの四苦八苦の重荷は、
老いるほど肩に食いこんでくる。「負いかた」を「老いかた」と置き換えて、
『老いかた一つで、重荷も軽い』にしたいもの。
ルソーがエミールの中で、『もっとも長生きした人とは、最も多くの歳月を
生きた人でなく、もっとも「よく」人生を体験した人だ』と語っている。
「人生の重荷の負いかた」を知り、可能な限り、遊ぶ、学び、働くこと、
特に、遊びは、その重荷を軽くする。これでも、まだまだ、遊び足りない? 
 さて、今日は、何をして楽しみ、遊ぼうか?

・・・・・・
5145,閑話小題 〜漫画本を読む感覚でシネマを観る
2015年04月16日(木)
   * シネマは、漫画本を読む感覚で・・
 明日の金曜日は、所要でシネマに行けないので、昨日、前編に続いて
『ソロモンの秘密ー後編』を観てきたが、期待に反しない重厚な内容。映画館
で、シネマを観ると何か充実感が残る。大きな館内で、大型スクリーンで、
大音響で、数多の映画の中で選んで、独りで行って、観るからこそ没頭出来て、
その世界の幻想世界に入り込むことが出来る。平日の昼前後は、10〜30人
位しか観客がいないところも良い。この3年間、年に数度は休むが、ほぼ毎週
金曜日のシネマ通いを欠かさない。面白いから続いているが、デジタル技術の
進化で、迫力が日々、増しており、コスト対ストレス解消効果はネットに
劣らない。あれだけの幻覚の別世界に誘って、千百円は価値がある。 
平静を装っているが、ストレスは沈殿して、少しのことでも動揺は起こる? 
そこでTVや、ネットなどで、自動発生するマイナスの情念を日々、解消する。
そのため面白、可笑しく、気持ちをフレッシュにしバウンドしている。
ハピネス・アドバンテージ(幸福優位性)を維持するためには、マイナス感情
の3倍の楽しみを持つ必要がある。慣れてしまえば、結構、ネタはある。
この文章を書く習慣も、その一つ。 
 20年になるが、母親が痴呆症になって5年半、そのストレスは尋常では
なかった。そこで、本能的に好きな年二回の秘境ツアーに行くことにした。
そうでもしなければ、ストレスの短期間解消が出来なかった。  あれは、
恐怖心を乗り越えるゲーム。帰路の機内では、ストレスが見事に消えていた。
その代りがシネマ通い。月4〜5回で4〜5千円が高いかどうかだが、居酒屋
や、スナックの一軒分からみれば、価値は充分。問題は、これも続けること。
 デジタルの映像漫画を、大スクリーンで、観ると思えばよい。所詮、人生、
振返れば幻覚の悲喜劇の世界。せめて、小さな世界から一時だけでも、
ドロップするのも好い。面白いことに、館内から出た瞬間、全てを忘れる。
人生と同じ。何せ幻想世界であるからだ。それを現実と思うから、変になる!
・・・・・・
4780,ぼんやりの時間 ー9
2014年04月16日(水)
               「ぼんやりの時間」辰濃 和男 (著) 
  * ぼんやり時間について ーつれづれに
 10年前に、この本を読んでいたら、どうだったろう? 
まだ娑婆っけが強かった年齢。人生の余白を埋めることに全力をあげていた
真っ只中で、ぼんやりなど程遠い生活であった。 
 ー‘あとがき’の次の箇所が最後のマトメによいー
《ところで、「ぼんやり」という言葉は、辞書ではどう説明されているのか。
 何冊かを調べてみて、予想以上に評判が芳しくないことを改めて知った。
「①気がきかないさま。②利発でないさま。③どこか元気がなく、気持ちが
集中しない様子。④間が抜けているさま。⑤呆然としていたり、うかつで
あったりする状態。」 多くの辞書では、「ぼんやり」という言葉は否定的な
意味で説明されているし、世間の人ぴとのぼんやり観も、たぶん、同じように
否定的なものだと思う。たしかに、横断歩道のところで呆然とした状態で
ふらふらと車道に歩み出れば、これはもう危険な場所、不適切な場所での
ぼんやりは困りものだ、ということについて、私としては異議もなく、異論も
ない。そういうことは承知の上で、串田孫一は「ぼんやりしているのは人間に
とって非常に大切な貴い時間である」と書いたのだと思う。
 私は、串田の文章に共鳴するものだが、それでも、ぼんやりの否定面を
忘れることはなかった。ぼんやりの否定面を仮に「ぼんやりH」といい、
ぼんやりの肯定面は「ぼんやりK」ということにしよう。この本で繰り返し
説いてきたのは、主にこのぼんやりKのことである。「これは、ぼんやりKの
場合です」といちいち断ってはいないが、いままでこの本で書きつらねてきた
のは、ほかでもない、主にぼんやりKのことである。世の中の支配的な風潮に
対して否定的な考え方を示すことは、難しいことではあるが、ある意味では
実に大切なことだと思っている。ぼんやりということを考えるとき、
「ぼんやりH」的な思いが支配的な風潮であるならば、一方で、「ぼんやりK」
的なもの、つまり、ぼんやりには、脳の働きをいきいきさせるものがあり、
生命力をよみがえらせてくれるものがあると主張することは、ことのほか
大切なことではないか。そんな思いが私にはある。私たちは「光」の恵みを
考えるならば、同時に「闇」の恵みにも思いをいたす必要がある。
「陽」の力を思うときは、同時に「陰」の力を思う必要がある。「動」や
「働」や「がんばり」が大切だと考えるときは、「静」や「休」や「ぼんやり」
もまた、いかに大切であるかを考えねばならぬ。日常の暮らしのなかで、
私たちはあまりにも「働」や「緊張」や「がんばり」に力点をおきすぎて、
「休」や「やわらぎ」や「ぼんやり」の効能を片隅に追いやっているのでは
ないか。ぼんやりは「呆然としていること」であり、「間が抜けているさま」
であるということとは別に、「ぼんやりすることは貴い」「ぼんやりする
ことで、なにかが貯えられる」「ぼんやりは活力を生む」という場合もある。
ときおり、ぼんやりした時間をもつことは、生気、活力をよみがえらせる
ためにも必要なのだ。》
▼ 人生には「よく働き、よく学び、よく遊ぶ」ことが核になる。それを、
 いつも意識をし、分類し、バランスをとってきた。その他に、もう一つ、
背景に広がる空白も意識してきた。働くでなし、学ぶでなし、遊ぶでない、
ボーとした時間である。これは幾つかの挫折体験などから、否応なしに誰もが
経験すること。 そこでの、ぼんやりの時間も飽きてくると、そこから
エネルギー、気力が湧き出ることを、である。ツアーで、独自で行けない
秘境・異郷に行くのをライフワークにしてきた。そこでは、旅の企画と手配と
案内は全て代理店と添乗員がしてくれる。その大部分が、移動の飛行機か、
バスの中。そこの「ぼんやりの時間」が良いのである。慣れるまでは苦痛
だったが、回数を重ねる度に、その高速移動空間で、ただただ、ボ〜っと
する時空の魅力に気づくようになった。何か、痴呆症の勧めのようだが・・ 
・・・・・・
4413, 早起きの話
2013年04月16日(火)
 早朝の読書習慣は事業を立上げた27歳の頃から現在まで40年になる。
父も早寝早起きで、夜は9時前に寝ていた。一日、二時間は読書をすると
決めていた為、創業の忙しさの中で読書環境は静かな早朝しかなかった。
40年にわたる早朝の読書時間は私の独学塾。その蓄積で、もう少し読書
の質が上がって良いさそうなものだが、独学もあり壁を破れなかった。
それもあって夜は9時就寝に自然となっていた。 晩酌をすることもあり
就寝と同時に4〜5時間は爆睡するが、深夜1時〜2時頃に目が覚める。
その30分は頭が冴え渡る。事業で何か大きな決断をするとき、2時半を
目安にして判断をする。その後、半覚半睡の状態で二時間ほど過ごし4時〜
4時半に起床、書斎に入る。そして6時頃からポタリングに出る。
早朝時間の活用をしている人は意外と少ない。 時間帯として、
「20対80の法則」「6対94の法則」でいう、この時間の読書と散歩か
ミニ・サイクリングは私にとって重要事項。カレルが「物理的に過ぎ行く
時間の他に『内的時間』が別にある」というが、早朝の時間は、その内的時間
に入る。内的時間の芯といえば純化した心のゾーン。名著などに没我しきった
時間の、それである。ところで日本は戦中・終戦直後まで人口の過半数以上が
農林漁業に従事していた。そのため、朝早く起き、夜早く寝る習慣になっていた。 
朝の陽光が生命の源。朝の語源は、天が開いて明るくなる「明ける」からきた
という説がある。英語のモーニングもドイツ語のモルゲンも、太陽の光を
思わせるイメージがある。仕事により朝方かどうかが変わってくるが。
早起きの効果は、長年続けなければ出てこない。部屋で、土手で、早朝、
独りで物思いにふける時間は至福である。
・・・・・
4039, 世界の旅行記101  ー1
2012年04月16日(月)
  ー 内容(アマゾンより)ー    「世界の旅行記101」 樺山 紘一著
 アームチェアで葉巻をくゆらせながら読むものも、通勤の電車内で文庫本に
読みふけるものも、旅行記から、迫真の体験をうけとるだろう。ときには、身に
うずきを感じ誘われるかのように、みずから旅への計画にむかうこともあろう。
旅行記の効用は、実に広く深い。ヘロドトスの「歴史」からイブンバットゥータ
旅行記、ぺルリ提督日本遠征記、はたまた永井荷風の「あめりか物語」・・ 
異文化への遭遇と驚き、喜びを満載した古今内外の代表的な旅行記101冊の
歴史的な意味と、意義、概略をコンパクトにまとめている。自宅でくつろぎ
ながら、旅行記の魅力に浸れます。
この中から興味を持った本を図書館に行って借り、読むのも一興。
  ◎ アマゾン読者感想 
≪ 読書と旅が好きな者にとって、旅行記は興味この上なく深い。しかし、
 世の中には旅行記なる書物は山のように存在する。その中からその時の関心の
在処に応じて何か良いものを探し出そうとする時、手引きとなる情報があると
助かる。 旅に出る時、ガイドブックとは別にその地をめぐった先輩の書き物
に教えを請おうとする時、適切な本を探索する手引きとなる情報があると助かる。
また、仕事を終えた夜のつれづれに、何か旅の本に想いをいたそうとした時に、
そんな本の梗概を記した手軽な本があると愉しい。私は、数年来、この本を
そんな風に使ってきた。先日、タヒチを訪ねるにあたって、モームゴーギャン
の作品などとともに、ブーガンヴィル、クック、ダーウィンという探検の時代の
旅行記の関係部分に目を通した。その時、この本が彼らの旅行記を推薦した。
そして、私のタヒチ旅行はいっそう内容豊かになった。この本には、紀元前から
現代までの代表的旅行記が外国から日本まで101件、原則2頁で、時に地図や
写真を付けて紹介されている。各文末には、入手可能翻訳本を記している。
関連年表、索引もやや詳しい。目次は、書名のみ、著者・解題者付書名、執筆
年代順書名という3種が付されている。ハンドブックとして工夫次第で利用勝手
は拡がる。旅が好きな読書子には常備して価値のある本であろう。理想を言えば、
併せて、古今東西旅行記・紀行文を網羅したリストを座右におけば、
精粗あわせて情報が得られて良いのだが・・・ ≫
▼ 10年ほど前に買った本だが、数編を読んだまま蔵書になっていたもの。
 どのページを開いても、生々しい事件に満ちている。編者の「旅行記は事件簿
でもある」という見方こそ、面白い切り口である。旅行は事件なのである。
そこには、それぞれの人生の全てトラブルが現れ出ていて、生々しい記述で満ち
ている。それと、自分の人生の様々な場面と合わせ鏡にすると万華鏡のようである。 
  次回から、目に止まった面白い旅行記の逸話を抜粋する。
 ・・・・・・
3673, 自己を見つめる −1
2011年04月16日(土)
           「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
 ここまで人生を生きてきたら、要は「生きてきた過去をどのように
受けとめるか?」になる。それは生きてきた「自己を見つめる」になる。 
その「自己とは、そもそも何か?」色々な場面で、多くの判断をし、決断を
してきた、その時々の主体が節目ときの自己になる。それらの自己の総合体が
自分になる。 先日、何気なく図書館で借りてきた10冊の本を流し読みを
していたら、思わない拾物をしたのが、この本。現在は、その「節目どき」。 
自分を見つめ直す機会である。 まずは、−アマゾンの説明書きよりー
《 放送大学の空前の人気授業といわれたテキストを叢書化。ニーチェ
 ハイデッガーのことばをまじえながら、崩れ落ちそうになる気持ちを支え引き
締めてくれる。「この授業、このテキストがあったから、いまの私の人生がある」
と語りつがれる哲学の名著。 日本を代表する哲学者が「自己」「仕事」「孤独」
「世間」「運命」「不幸」など 15章のテーマで語る人生の真髄。  
  ― 次に、アマゾンの感想文の中の抜粋をコピーしてみた ―
* 「生き甲斐は、根本的に重い運命愛の意識に担われた、死場所への覚悟と
  いうものと深く関係している。しかし、他方では、それは、ときにはそれを
  忘却した、放念と遊戯と飛翔のうちで、自己の快癒を図る悦楽の解放感とも
  接続していることは確実である。この大きな振幅のなかで、私たちの生の
  営みは展開している」 (「生き甲斐」)
* 「愛とは……問題となっているものを、深く大切に思い、それを慈しみ、
  人生の大事と考えて、その尊厳を守ろうとする、控え目ながらも持続的で
  強い根源意欲ないし生命意欲に関係するものであり、また、そのことに伴う
  あらゆる憂いと悲しさの 情念のすべてであり、自己としての生きる人間の
  根源に関わる根本問題なのである」 (「愛」)
* 「幸福は、たいていの場合、不幸を介して、その姿を浮かび上がらせてくる
  失われた桃源郷である」 (「不幸」)
* 「老年になって、やっと人は、自分の人生を変えた大きな出来事が、そっと
  気づかないうちに、自分に忍び寄ってきて、自分を支配することに至った
  ことを理解する。自分の周りの人々が、ほんとうは何者であったかが、
  ようやく分かるのは、老年になってからである」 (「老い」)
* 「人は、多くの場合、無言のまま、誰にも相談することのできない、
  こうした人生の重大問題を抱えて、悩みながら生きている。私が、本書
  『自己を見つめる』において、語りかけたいと思っている読者は、そうした
  優しく敏感で、傷つきやすい、心豊かな人、慰めもなく、苦しみながら、
  しかし立派に生きる務めを果たそうとしている人である」(「まえがき」より)
 [目次]  まえがき  
  第一章  経験  第二章  時間  第三章  境遇  第四章  遍歴  
  第五章  自己  第六章  生き甲斐  第七章  仕事  第八章  孤独  
  第九章  愛  第十章  他者  第十一章 世間  十二章 運命 
  第十三 不幸  第十四章 老い  第十五章 死
▼ これを図書館から借りてきて、直ぐにアマゾンで、姉妹書の「人生の哲学
 と共に注文をした。老年に差し掛かってきた現在、自分の歩んできた人生を
振り返り、己を見つめ、考える時期に来ている。それが「節目を打つ」こと。
青年期の挫折時には、これをチャンとしていたから、躓きの石を踏み台の
石にすることができた? 内省も面白いものだ。
・・・・・・・
3308, 万田酵素
 2010年04月16日(金)
 新聞広告で、「万田酵素、無料キャンペーン」の見出しがあった。 
前から新聞広告やドラッグストアで見かけていたが、一万円前後。無料キャン
ペーンはお試し用の6パックで1200円。10日前に届いたので、試飲をしてみた。 
で、二日間、一パックを飲んだところ、二日酔いのような赤ら顔になった。 
何かニンニクエキスを飲んで、一日中逆上せているような感じ。そこで、小さな
パックだが、半分にして飲んだところ、丁度良い。酵素といえば、もう25年来、
玄米酵素を飲みつづけている。これも一日一パックを飲んでいるが、続いている
から身体に適応しているのだろう。 酵素といえば新潟産業博で年一度、小さな
コーナーで「酵素源」のデモ販売をしている。そこで三度ほど買ったことがある。
ただ7千円もするので、一瓶を数ヶ月かけて飲んだ。確かに身体全体に活力が
出たが、電話で取り寄せるほどではなかった。無料の試しパックは一パック
2百円と高い感がする。 しかし飲んでみると、全身から活力がみなぎ出る感じ。
通勤途上にある「マツキヨ」の健康食品のコーナーをみたら、全く同じものが
一瓶9800円である。これなら少しずつ飲めば三ヶ月は持ちそうである。 
で、ネットに「格安 万田酵素」と入れたところ、何と3600円。ネットでは、
3000円半ばの販売価格に集中していたから、「マツキヨ」のバイヤーもネットで
チェックしているはず。それでも、この価格で販売しているのだから、ネットで
チェックしない客を狙っているのか。ネットの世界=情報化は、ドラックストア
さえ中抜きにしてしまう。 バイアグラとしても、使える?代物。 
バイアグラ以外では、これが一番?  今さら、大して用がないか!
・・・・・・・
2933,世界恐慌に入って、まる7ヶ月 ー1
 2009年04月16日(木)
去年9月15日のリーマン・ブラザーズ破綻から、まる7ヶ月経った。
その間に金融恐慌関係の経済雑誌の特集や著書を、多く読んできた。
楽観論から悲観論まで様々あるが、当然のことながら悲観論が主である。
当初は、「50~100年に一度の金融恐慌」といっていたが、何時の間にか50が消え、
「100年に一度の経済危機」の言葉が定着したきた。1930年代の世界恐慌より、
今回は深刻という事実を時間をかけて一般に知らしめてきた。
新潟駅前の宿泊現場のセンサーからみると、全体的にみて30〜40%ダウン。
輸出産業を中心としたメーカー関連で、40〜50、それ以外が20〜40%のダウン。
2001年の9・11事件の時は、三年かかって30%にダウンしていったが、今回は
2〜3ヶ月で、総じて30〜40パーセントのダウンである。9・11の時は、金融庁
方からは、駄目な会社は早々処理するようにというお達しが出ていたが、今回は、
何とか助かるところは、潰さないようにという、お達しが出ているという。
大きな方針の転換である。実際には、現場は11月末から露骨な売上減が始ってきた。
これは、どの業界も同じである。そして年を越えてから一ケ月ごとに、ジワジワと
経営圧迫がきているのが現状である。国家として3月末の大量倒産を避けることが
出来たが、問題は決算が出揃う5月〜6月にかけて大事変が続くと言われている。 
実際に数字を見ていると凍りつく思いである。当方の先期決算は恥ずかしくない
数字だったが問題は、これからの経済社会の情勢。この恐慌の大波が、まずは
日本に押し寄せているが、アメリカ・中国に深刻に現れるのは、これからである。
韓国・台湾・シンガポールなどの日本の輸出比率が2倍もある国では、GDPが20%
ダウンというから、大打撃になっている。かなり深刻な事態が、世界各国、
いや日本に出てくることを覚悟をしなければならない。この7〜8年、何とか
輸出立国というモデルで何とか、日本を牽引してきたが、そのモデルは
崩壊してしまった。 どうなるのだろうか? 
・・・・・・・・
2569, 閑話小題 
2008年04月16日(水)
  * ガソリン価格
 先週、車のタイヤ交換のため新潟に来たが、見附で124円のガソリンを
入れた。そして新潟のバイパス近くのガソリンの値段を見たら120円とあった。
ところが、家内の話だが長岡はセルフ以外は、127円で統一(談合)している
のでは? 市内の何処を見ても統一は不自然だという。こんなことをしている
から消費者に嫌われるのを知らないのだ。誰も直接口には出さないが、必ず
口コミで辛らつに批評されているのである。
 * 呼び込みの、その後(迷惑条例実施の、その後)
(字数制限のためカット 2012年4月16日)
 * ロシアのバレー事情の激変
(字数制限のためカット 2012年4月16日)

つれづれに

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  今日のYoutube

 九州大地震、霧島や、薩摩沖の小島の噴火の一連ということか。
何か、地震や噴火が日常の当り前のニュースになってしまった現実。
収まれば、次の災害などで、一月もしないうちに忘れられる御時勢。
 中越地震も、刈羽・柏崎地震も、遥か昔の出来事になってしまった。

 昨日のシネマの英国映画の、『ミラクル・ニール』、久々の大外れ。
コメディーだが、私の感覚では、中途半端の内容。 評価70点。
テレビの刑事ものシリーズの英国制作のドラマは面白いが・・・
 大当たりもあれば、大外れもある。 それを如何に楽しむかだが。

 今日の夜は、中学校の同級会。年、三回はある。女子会の添え物で
しかないのが、男の役割。 それでも、外出理由になる。男は、70歳
過ぎれば一回ごとに一期一会になる。誰かの旦那が亡くなったというが、
他に誰かが死んだのだろうか。

 今朝は、チャリで信濃川か、もう一度、悠久山の花絨毯をみようか
迷ったが、悠久山にしたが、もう、花絨毯も無く、桜の木が、変わり果てていた。
それも、一興と割り切ったが、ソメイヨシノの桜は満開、よしとする事にした。



・・・・・・
2569, 閑話小題 
2008年04月16日(水)
  * ガソリン価格
 先週、車のタイヤ交換のため新潟に来たが、見附で124円のガソリンを
入れた。そして新潟のバイパス近くのガソリンの値段を見たら120円とあった。
ところが、家内の話だが長岡はセルフ以外は、127円で統一(談合)している
のでは? 市内の何処を見ても統一は不自然だという。こんなことをしている
から消費者に嫌われるのを知らないのだ。誰も直接口には出さないが、必ず
口コミで辛らつに批評されているのである。
 * 呼び込みの、その後(迷惑条例実施の、その後)
(字数制限のためカット 2012年4月16日)
 * ロシアのバレー事情の激変
(字数制限のためカット 2012年4月16日)

・・・・・・
2204, ベトナムとインドの「交通戦争」
2007年04月16日(月)
          おはよう!♪~ ヽ(´π`)ノ

ーインドの追い越しー

外国に行くと、思わない文化の違いを見ることがある。
その一つが交通事情である。。
インドの都市間をバス移動の時、対向車線の車が追い越しのため、
進路から正面に向かってギリギリのところまで迫ってくる
あわや正面衝突!と、思わず目をそむけてしまうほど危ない。
彼らにとってそれが日常のため、国道沿いには数キロごとに衝突の車を見かける。

   慣れていない日本人は見ていて気分が悪くなり、町から町への移動の国道では、
   誰も前の席に座りたがらない。沢木耕太郎の「深夜特急」という本の中で、
   インドからパキスタンへの移動の高速バスで、その恐怖を書いていた。
   実際に自分が体験をしてみて、これほど恐ろしいとは知らなかった。

それと中国のウィグル地区からパキスタンへのカラコルム・ハイウェーの
断崖の砂利道の暴走運転の恐怖を思い出した。
明らかに我われ日本人をカラカッタ運転だった。
その手の話題はいくらでも話題は出てくる。

ベトナム交通戦争ー
 
ベトナムで驚くのは、そのバイクの数である。
さらに驚くのは一台に乗っている人数が3人、4人、5人なのである。
警笛も鳴らしっぱなし。交通規則の信号なども殆どない。
大きな交差点をバイクの群が縦横にぶつかり合っている。
よく見ていると、ギリギリのところで避けているが、よほど慣れてないと、
衝突する際どさの中を運転技術でコントロールしている。
慣れない外国人は恐ろしくて運転などできない。

   ベトナムのオートバイは2000年で650万台、2003年で1100万台、
   去年で1700万台で、世界のオートバイ流通量の実に10?をベトナムが占める。
   自動車とオートバイの比率は、9対1で圧倒的にオートバイが多い。
   そのため交通事故は2004年で年間17,500件以上、死者数も14,000人を超えている。
   1990年に死者は2300人だというから、14年間で6倍になってしまった。
   オートバイの数と丁度正比例していることになる。

日本で1970年に交通事故死者数が16,765人をピークになった当時、
ベトナム戦争での年間戦死者数より交通事故死者数が多いところから
「交通戦争」と呼ばれた時代があった。
現在のベトナムは、その「交通戦争」の様相になっている。

   かつてハノイには市電とトローリーバスが走っていたのだが、
   交通の妨げと廃止され、それに変わり自転車からバイクへなってしまった。
   一家に一台はあるどころか、家族一人に一台になりつつある。
   無免許、飲酒運転当たり前、事故死は日本の人口の三分の二にかかわらず倍。
   ということは人口比からみたら三倍になる。
   もちろん、ヘルメットをする人は皆無。
   2~3割は無免許で、免許も賄賂を渡せば簡単に取れるという。

しかし、あの戦場?の迫力も、あの国のエネルギーとしてみれば、
穏やかな国民の発散に思えてくる。
20年近く前の中国の北京で見た、通勤時の自転車の群れも迫力があった。

    ホンジャキオツケテ(o ・д・)ツ バイ! 
・・・・・・・・
2006年04月16日(日)
1839, 理解する技術ー情報の本質がわかる -1
  おはよ~!(*^ワ^*)i
                -読書日記              
ーまずは、この本の概要をアマゾンの紹介記事のコピーから~
           「理解する技術」藤沢晃治、PHP新書                
著者からの内容紹介
携帯電話の分厚いマニュアルから必要な情報を効率よく得るには? 
「分かりやすい技術」の著者が、効果的な情報収集・整理術を伝授!
携帯電話などの分厚い取扱説明書は、どうやって読めばいいか?
大量の資料から要点だけをすばやくつかみ、まとめるには?
一夜漬けで試験に臨んで高得点を取るには?
インターネットの情報から、確かなものだけを収集するには?
本や雑誌から自分が必要とする情報をいかにして得るか?
▼情報の洪水の中で生き抜くには、
 効率よく本質を理解する技術が不可欠だ。
「誰かに教えることを前提に情報収集」
「仮説を立てて検証」
「ニュースソースを確認し、曖昧な表現にだまされない」
「ルールを発見し、記憶量を減らす」
「頭の中で図表化して保存」などをマスターすれば、必要な
情報だけを吸収でき、人前でも分かりやすく説明できる。
▼日常生活・ビジネスで役立つ文章読解術・対話術から、
資格・試験で成功するためのノウハウまで、今すぐ使える
テクニックを伝授!
「分かりやすい表現」などで好評を博した著者が贈る
「要領のいい人」になるための知的情報術。
ーー                且_(・_・ ) まあ、どうぞ!
 以上がカバー裏の説明書きである。
これに、目次に印象的なところを書き込めば
80?は把握できるはずであるが?
5年間にかけて随想日記を書き続けた結果把握したノウハウが
そのまま書いてあったようだ。

最近は「検索」で、読む前に本の構造を調べるようになった。
読む前から、骨組みを知っているのでエネルギーは数分の一で済む。
骨組みを知った上に、仮説を立てて、その誤差を測ると手っ取り早い!
情報洪水に溺れないためのコツである。

情報発信者の手抜きを私たち情報受信者が補い、
「わかりやすく理解する」ための情報受信術をマスターすることだ。     
具体的には、人間が文章を読んで理解するまでのメカニズムと、
脳の仕組みを理解して、それを利用することである。

ー章単位に印象的なところを抜粋してみたー

□第1章ーアウトプットしながら情報収集する
 P30ー私たちの日常活動は、多くの場合、アウトプットを
前提にしている。手っ取り早く情報受信をするためのテクニックの
基本は、他人に教えることを前提にすることだ。
~情報受信と情報発信は、ニワトリとタマゴの関係である。
   
・アウトプット=他人に教えることを前提に勉強する
・ビジネスマンはプレゼンを意識する
・情報を発信することを念頭に置きながら、情報を受信しなければならない

□第2章ー分かりにくい文章から意味を読み取るには
P47ー私たちは、入力されてきた情報が自分の持っている過去の情報と
 関連づけられたときに、情報の意味が明確になり、
「理解できた」と感じる。 
理解できた情報は、関連ある棚に格納されて、長期間、記憶される。
  脳内関所の役割は5つ
1.情報の大きさをチェックする
2.脳内辞書の棚から必要な辞書を選ぶ
3.情報構造を分析する
4.論理性をチェックする
5.脳内辞書に格納して意味を確定する

脳内関所は、サイズの大きな情報の取り扱いは苦手。
例えば、電話番号以上の桁数を覚える行為。
次に、脳内関所をクリアした情報と、脳内辞書の棚にある情報とに
関連性がないか検索。
新車情報という情報が入ってきたら、車の運転の仕方の棚を検索。

そして、入ってきた情報の構造を分析。
因果関係、主従関係。また他の脳内辞書の棚との構造的関係をチェック。
ただし、腑に落ちない情報は格納されない。
何故と根拠がセットになると格納されやすくなる

P49ー本文を読む前に、各章のタイトルに一通り目を通して全体像を
把握しておくことは、脳の特徴に適合しており、
効率的な情報収集を可能にしてくれる。 
また、文章の内容が理解しにくいときには、
段落ごとに自分なりに要約してみると、情報サイズが小さくなって、
脳内に入りやすくなる。
                       ーつづく
                 バイ!
 ・・・・・・・
2005年04月16日(土)
1474, 汚れつちまつた悲しみに
 中原中也

汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる

汚れつちまつた悲しみは
たとへば狐の皮裘
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる

汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
倦怠のうちに死を夢む

汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気づき
汚れつちまつた悲しみに
なすところなく日は暮れる

・・・・・
河上徹太郎編 「中原中也詩集」より
-汚れてしまった悲しみに-

この詩を読んでいて、何か深い悲しみを感じ取ることができる。
特に失恋をした若い女性にとって、深い癒しになるだろう。
年をとるにつれて、人間は誰もが多く挫折をし、傷を負う。
深い挫折の中で、汚れたという言葉が自分を苛む。
その中で自分の汚れを拭き取りながら「所詮こんなもの、人生は!」と自嘲する。
24歳の日記をまもなく書き写すつもりだが、当時の自分の気持ちも、
この詩の心に似ている。

昨夜、極近に挫折をし自殺直前で思いとどまった人と、膝付き合わせて話した。
一言一言の言葉の中に、深傷の痛みを感じ取ることができた。
「汚れてしまった」という言葉の替わりに「倒れ(挫折)てしまった」が、
彼の気持ちであった。その悲しみは、本人しか知ることはできない。
その傷は本人しか治せない。

「それでも生きているのは何故か」を自問自答をして、
「何かに生かされている」ということに真に気がついた時に、
初めて一人で立ち上がることができる。 それにしても深い詩である。

・・・・・・・
2004年04月16日(金)
1109, 「ライフ・レッスン」ー読書日記 -2
 ー第一章 「ほんものの自己」のレッスンー

この本の意味は読めば読むほど、その深さに驚かされる。
キュープラ・ロスが死にゆく人々から学んだ教えの数々。
すべてを終えた時、「生」と「死」の本当の姿があらわれる。
その深さに少しでも自分の意識を降ろす為に、一章づつ印象深い
文章を書き出してみる。

私たちは、自分に与えられたレッスンを学ぶ為に、地上に生まれて
きたのだ。25歳の金沢時代の、どん底にいた時のある瞬間に「ハッ!」
としたことがあった。今でも忘れられない瞬間であった。
自分は何故ここまで惨めな気持ちにならなくてならないのだ。
自分が何故ここに、こういう状態いるのだろう?

その瞬間に思ったことは
「自分は修行をしにきたのだ、修行で苦しみの極限を味わう為である。
その極限を嫌っていては何の意味もない。極限の境遇を学ぶ為に
今ここにいるのだ。それなら、いま自分がこの状況にいることが必然である。
学ぶのだ、学ぶしかないのだ、それなら今の自分が自分で納得できる!」
という、こころの大転換があった。

その時から、視点が変わった。全てが可愛い表象に見てきた。
分厚いレンズー現実が目の前から消えたようだった。
この本を手に取ったとき、なるほど究極に生きてきた人の、
暗闇に光り輝く魂の言葉の深さを感じ取った。

過去を考えてみると、全てがレッスンであることが理解できる。
人生は学校なのだ。現象は神があたえた教科書の練習問題。何故、
その問いに答え続けなくてはならないのか?それが生きるということだから!

ー以下は、過去に書いたライフレッスンー1の内容である。 
 938, 「ライフ・レッスン」ー読書日記  2003/10/29

各レッスンの内容が愛と真実に包まれている。「死ぬ瞬間」シリーズは
世界的ロングセラーで多くの人に癒しを与えてきた。ロスの本は何冊も
読んだ。終末期医療から死にいく人々から学んだ数々をわかりやすく説いて
いる。すべてを終えたとき、「生」と「死」の本当の姿があらわれるのだ。
 
彼女がマザーテレサに亡くなる数ヶ月前に会ったとき、ロスに、
「生きることがとてもたいせつと考えているからこそ
死にいく人達と一緒にいることを最大の使命としているのだ」
また「生は一つの達成であり、死はその達成の成果です」言われたという。

大部分の人は死を達成とみていないだけでなく、生も達成とみていない・・
死の淵にいる人は、そのことをよく知っている。ロスは生そのものの大切さ
について多くことを教えてくれる。彼女の本を読んでいると、暗い?
内容なのだが、暖かい愛に包まれた気持ちになる。

ーまずは、この本の抜粋からはじめたいー

・一生と呼ばれる時間のあいだに学ぶべきレッスンは色々ある。
特に死に直面している人々と一緒にいるときにはとりわけ多い。

死に行く人々は人生の終わりに多くを学ぶが、通常は学んだ教訓を生かす
ための時間が残されていない。1995年にアリゾナに引っ越した私は、
ある年の母の日に脳卒中で倒れ、麻痺状態になった。
その後数年間は死の入り口にいた。時には数週間で死ぬのだと覚悟をした。
そして幾度も訪れてこないことに失望した。準備は完了していたからである。

しかし、死ななかった。その理由は、私にはまだ学ぶべきレッスン、
最後のレッスンがあったからです。そのレッスンの多くは人の生に
ついての究極の真実であり、命そのものの秘密である。私はもう一冊
本を書きたいと思った。今度は「死」そのものではなく「生」についてである。

・人には誰でもガンジーヒットラーが住んでいる。
象徴的な意味であることは当然である。ガンジーは人の中のベストなもの、
もっとも慈悲ふかいものをあらわし、一方のヒットラーは最悪のもの、
人の持つ否定性と卑小性をあらわしているのだ。

人生における人ノレッスンとはおのれの卑小性に働きかけ、否定性をなくして、
己のなかにも他人の中にもあるベストなものを見つけ出す作業である。
人生の暴風に似たそのレッスンは、人をして本来の人に戻してくれる。
人間が地球上にいるのは、互いに癒しあうためである。
これは身体的不具合を癒すだけでなく、はるかに深いレベルでの癒しである。
精神と魂の癒しである。

・人がこういった人生のレッスンについて語るとき、人は完結していない
気がかりな問題の解決について語っている。完結していない気になる問題
とは死についての問題ではなく、生についての問題である。
'確かに私は豊かな暮らしを実現した。

しかし、本当に生きるために時間を使ってきただろうか?'
というように最も大切な問題である。
多くの人々は確かに存在はしてきたが、本当に生きてはこなかった。
それらの人々は完結していない気になる問題に蓋をするために、
膨大なエネルギーを費やしてきた。

・・・・・・・・
2003年04月16日(水)
742,『金持ち父さんの子供はみんな天才』-1               
               ー 読書日記
『金持ち父さん』シリーズの三冊目『親だからできるお金の教育
ー金持ち父さんの子供はみんな天才』を買って読んだ。
この本のシリーズの本は、どの本もそれぞれが理にあっている。

何回も読んで金銭感覚を磨かなくては、この時代には挫折をしてしまう!
何割かは実行してきたことだが、しかしあいまいな部分が多い。
この激動の時代だ、一つ間違えると致命傷になってしまう。
お金は、ある意味で生きていく交通手形である。
お金に対する考え方は人生観の大きい基礎といってよい。
 ーまずは印象に残っているところを抜粋してみる。
  ー抜粋ー1
昔、先生からこんな話しを聞いたことがある。
「神様は私たちに右の足と左の足を与えてくださった。
正しい足と間違った足を与えてくださったのではない。
人間はまず右に向かい間違いを犯し、次に左に向かって間違いを
犯すことで進歩をする。いつも正しくあらねばならないと思って
いる人は、右足だけで歩こうとしているようなものだ。
そういう人は、自分では前に歩いていると思っているが、たいていは
一ところを回っているだけだ」
  ー抜粋ー2
人生における選択肢について、お金持ち父さんはよくこんなことを
話してくれた。
「飛行機のファーストクラスもエコノミークラスも、目的地につく時間
に変わりのないことは私も知っている。問題はそういうことではない。
問題は、ファーストクラスかエコノミークラスの選択肢を持っているか
どうかだ。エコノミークラスに乗っている人の大部分は、一つしか
選択肢を持ってない」「お金は力だ。なぜなら、より多くのお金を
持っていれば、それだけ多くの選択肢を与えられるからだ」
ファイナル・インテリジェンスがお金持ち父さんに買ってくれたものは
何か、私に言わせればそれは『自由」であった。
  ー抜粋ー3
「金持ちと中流以下の人のちがいは、余った時間に何をするかにある」
「たいていの人は、お金を稼いだあとそれをどうするかについて、貧乏に
なるプラン、やり方しか持ってない。金持ちは余った金でゲームをやるんだよ」
  ー抜粋ー4
「つまり、人間が時代遅れになるんじゃない。でも、考え方が時代遅れに
なることはある・・」「その人の勝利の方程式が時代遅れになるんだ。
・・・古い考えにこりかたまった老人だ。まだほんの50歳だというのに。
問題は、10年前、既に歳をとりすぎて時代遅れになっていたのに、
それに気がつかなかったことだ。」
  ー抜粋ー5
本書の目的は、次のようなことを言わないように、親たちに警告を
与えることである。
「借金を返しなさい」「預金をしなさい」「請求書の払いをきちっとしなさい」
「クレジットカードを切って捨てなさい」「お金は借りてはいけません」
・貧乏人は銀行を悪者と考え、避ける。
中流の人は銀行はいいサービスと悪いサービスがあると考える。
・金持ち父さんは、全てに関していい点と悪い点を見分けるように教えて
 くれた。そして、お金に関しての殆どのいい点と悪い点の両方を
 見つけるよう促すことで、より細かく区別する力を伸ばしてくれた。
 つまりファイナンシャル・インテリジェンスを高めてくれたのだ。
                     -続くー
・・・・・・・・
2002年04月16日(火)
378,不況

昨日、地元の中堅の食品メーカーが倒産した。
1989年に設備投資、その3年後に70億の売り上げになったが、
現在はその半分の売り上げに激減。 家内が言うに、今の社長は
「10数年前に文芸春秋を辞め,帰って来たと話題になった人」とか。

今の倒産の多くに見られるパターンだ。
先日倒産した新潟市の香月堂もしかりだ。
全国に、このパターンの倒産予備軍で満ちている。
昨日の新聞に載っていた、ある雑誌のアンケートで、
サラリーマンの30パーセントが「自社の倒産の不安」を持っているという。

大丈夫と思っているのは僅か17パーセントとか。私の感じていた、
「3分の一はいつ倒産してもおかしくない会社」と同じ数字だ。
新潟県はあと一割増か。自社は一応17パーセントに入ると思うが?
社員はそう思ってないかもしれない。

どうして不安かと思うと、
・中堅幹部がどんどん辞めていく。
・給与カット、時間外勤務の削減。
・売り上げの激減。
・会社資産の売却。

今のところ当社は一つもないが。
しかしこの経済情勢はただ事でないことは確かである。