【澤上篤人×出口治明対談=投資も人生も長期思考で!
                          新潮45・3月号】
   * 戦後40年が特別の時代だった
 {戦後からバブル崩壊をするまでの35年間が、地球史上、稀なる高度成長期
にあった。その時代に生まれ出たこと自体が、幸運中の幸運で、現在の長期不況
が当り前と思った方がよい」というのは、充分に実感できる。私の事業立上げが
丁度、天辺だったことになるが、その時は、そのことを知りえようがない。
だから準備期間の15年の方が、実業期間より面白かったのは、右上がりの
経済環境の所為もあったことになる。長期設備投資の事業もあって、長期的
思考を求められたが、見切り時期が最終段階になってからだった。それでも、
表層雪崩の段階で決断したが、甘かったことは間違いない。 〜その辺りより
≪ 出口: 朝起きて、今日も頑張ろう、今日も楽しいなと思っていれば、
 それが最高のライフワークバランスだと思うので。人間にとって何が
 いちばん楽しい人生かといえば、やりたいことをやることです。
澤上: 出口さんが言われたとおり、好きなことをやるのがいちばん面白い。
 今までは日本経済が伸びてきたから、みんな右肩上がりに成長してきた。
 ・・大企業、中企業、小企業、町工場、それぞれが右肩上がりの三角形の
 どこかに乗っかっていた。だから、生きていけたし、落ちこぼれもなかった。
 でもその右肩上がりの三角形はもうないんです。大企業でも潰れるし、
 逆に小さな会社が何回もチャレンジしてのし上がることもある。
出ロ: 二十世紀の後半は、冷戦があったというのがまず大きい。
 世界でいちばん豊かなアメリカが、日本に脛をかじられても怒らなかった。
 僕がサラリーマンだったころ、日本がアメリカの繊維産業を潰したとか、
 次は鉄鋼産業や自動車産業も潰すんじゃないかと。昔だったら戦争です。
 でもアメリカがなぜ本気で怒らなかったかといえぱ、冷戦という枠組みで、
 日米の存在が貴重だったから。これはラッキーでした。  ・・・(略)
出口: 高度成長には自分で行動しなくても、みなと同じように働いていれば
 自然に成長するのです。めちゃくちゃ楽ですよ。日本は一九九〇年のバブル
 崩壊まで三十五年間、実質七%成長していました。七%成長というのは、
 十年間で、経済規模が倍になる数字です。給料もそれに近い形で増えます
 から、とんなに幸せなことはないのです。
澤上: それが先ほどから言っている右肩上り三角形です。企業に勤めて、
 真面目に働いて、自分でも頑張っているような気がしている。
 でもよく見てみると三角形に乗っていただけ。その大前提が全部なくなった。
 そうすると一人ひとりが自分で考えて-行動するレかない。でも、それは実は
 経済の原点なんですよ。これだけ幸せな状況が続いたのは日本だけです。
 世界には全く例がない。日本がやっと世界の常識と同じになったんです。
出口: ええ。戦後の日本が特別だというのは、中国の歴史を見ても分かります。
 中国では、平和で成長して、みんなが幸せだった時代を盛世と名付けています。
 漢の文景の治と、唐の貞観の治と開元の治、そして清の康煕帝の時代です。
 四千年の歴史のなかでたった四回しかなくて、しかもそれぞれが平均すると
 二、三十年です。二十年戦争がなくて、経済も良くてというのは、本当に
 世界中を見わたしてもめったにない。だから「あの頃はよかった」とか
 思わずに、戦後は宝くじが五回くらい連続で当たった特別な時代だと思った
 方がいい。今が普通だと。≫
▼ こと人生と、事業の万一の備えは、してきたが、50歳代に、捨身で
 余生30年分を圧縮した生き方をしたのが良かったと実感してる。
両人の言うとおり、奇跡的な良い時代背景に生きてきた。これだけは自分の力
の及ぶ領域でない。この時代に生きただけ充分、結果?何ぞは如何でもよい。
まったく時代背景の豊かさにに鈍いのが多い! で、偶然、以下の文章に続く。
・・・・・・
4950,「嘘みたいな本当の話」
2014年10月03日(金)
  * 「嘘みたいな本当の話」の書き方   
           『嘘みたいな本当の話』 内田樹高橋源一郎:選者
 この内容に似たテーマの文章を幾つか書いてきた。空中離脱や、ジンバブエ
鉄橋からのバンジージャンプや、意味ある偶然の一致の経験、などなど。
それもあってか、もの足りないが、その軽さと、切口も悪くはない。
≪ 投稿された中での選定の基準のひとつは、「奇妙な後味の残っているもの」
 と、「そういうことってあるよね」感のあるものという。これは随想そのもの
にも言えるが。例えとして、次の古典的なショートショートが良い!
≪「地球最後のの男が、最後に残ったシェルターで、いま死を迎えようとして
いた。すると、ドアをノックする音がした。」 これを選者の内田樹が読んだ
のが、中学校の時で、半世紀も忘れてなかった。そして、いまでも、
「人間とはあらゆる修辞的装飾を剥ぎ取った場合に何ものか」という定義を
試みるとき、この条件設定をしてしまう。それだけこの「奇妙な味」は僕の中に
内面化してしまったことになる。もうひとつ、「そういうことって、あるよね」
と言うのは人間の可能性を押し広げる重要なキーワード。
「成瀬さんて、空中浮揚するらしいよ」「うん、そういうことってあるよね」 
そういう感じで使います。・・ つまり、「奇妙な後味」も「そういうことって、
あるよね」も、どちらも自分が「人間とはこういうものである。世界はこういう
もので成り立っている」とリアルかつクールに考えていることの
「ちょっと外側」を感じさせ、結果的により精密に、かつ奔放に自己観察を
するきっかけになるものだということになる。・・ ≫
▼ ものを考えたり、文章化をする時、この二つの基準が、何が大切かを
 考えさせる。「嘘みたいな本当の話」のネタは、考えれば幾らでもある。
モノゴトをじっくり観察すれば、何事も「嘘みたいな本当の話」になる。
問題は、気づくか気づかないだけ。だから精密に、奔放に観察するしかない。
そこに、奇妙に味わいが出てくる。「本当のような嘘の話」が、小説だが、
その間逆をショートショートで書くのだから、それなりの観察が必要だ。
・・・・・
4583, 2050年の世界 ー12  
2013年10月03日(木)
   「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」
                 〜英『エコノミスト』編集部(著)
  第十三章 貧富の差は収斂していく ーのまとめーより
・格差は二つの格差を考える必要がある。すなわち、各国間の格差と、
 それぞれの国の中での格差。
・各国間の格差は、一九九〇年代まで開く一方だった。一九世紀の最も富裕な
 十ヶ国の一人あたりの所得は、最貧十ヶ国の六倍にすぎなかったが、二〇世紀
 の最後になると、最も富裕な十ヶ国の一人あたりの所得は、最貧十ヶ国の
 四〇倍を超えるようになった。これは、北米と欧州の経済成長がこの間急激で、
 他の地域が停滞していたからである。
・一九七八年の中国、そして一九九〇年代初期のインドの経済改革の開始が各国
 間の所得格差解消への転機となった。一九九〇年以降、新興経済国の大多数
 がアメリカより急速に成長し、キャッチアップのペースが上がってきている。
・そして今後も、欧米や日本などの国々が高齢化による財政の悪化に苦しみ、
 低成長を余儀なくされることを考えれば、出生率が高く人口の配当が大きい
 アフリカを含む新興経済国との差はますます縮小し、世界的な規模での
 貧富の差は縮小する。
・しかし、一九九〇年代から先進国を中心に起こったのが、国内における
 格差の拡大。アメリカのジ二係数は一九七〇年代中期の○・三一から、
 現在○・三八まで上昇している。ドイツやスウェーデンでも国内の格差は
 広がっている。その理由に共通しているのは富裕層がかってない規模の収入
 を得るようになってきていることだ。
・富裕層の所得が爆発的に増大した理由に、トップ層の職業の収入が
 グローバル化による市場の拡大で増えたこと、そして金融業の異常とも
 いえる肥大化があげられる。
・ただし、こうした国内の貧富の差の拡大を上回る速度で、世界の途上国の
 経済拡大が起こり、それらの国々に住む人々の所得が増大するので、全体
 としては、世界的な規模で貧富の格差が縮小する。
・全世界の中流階級集団は、現在の五億人未満(世界人口の七%)から、
 二〇三〇年には一一億人超(世界人口の一七%)に膨らみ、二〇五〇年の時点
 でさらに増えているだろう。
▼ 欧米に、それ以外の地域の人々が近づくのはグローバル化
 プラス面である。現在の先進国のような「上層・3%、中流・30%、その他」
に世界の階層は、変化していく。しかし問題は、その他の67%の人たちが、
三分の一の生活実態が情報化で見えること。3%の上層は、それを和らげる
政策を取りざるを得なって、下流から中流への移動を計るしかないので、
世界は徐々に良くなっていく? それは楽観的見方だが、どうだろう。
移住が比較的簡単になり、豊かな地域に貧しい人たちが移住するため、国家内
格差は大きくなっていく。 国内の貧富の差の拡大を上回る速度で、世界の
途上国の経済拡大が激しくなっていく。それは40年後ではなく、現在、起きて
いる問題である。ドバイの都市建設の労働者がインド、バングラデシュからの
臨時雇用で、現地人との差は大きい。また、北朝鮮の政治体制が、その典型。
弱肉強食が社会の発展の原動力なら、貧富差の収斂は、人類の永遠の課題。
・・・・・・
4208, 異郷日記 ー三鷹‘蝦蟇屋敷’界隈
2012年10月03日(水)
  * 三鷹‘蝦蟇屋敷’界隈       「異郷日記」西江雅之
 何処にでもありそうな話だが、フィールドワークの言語学者が書くと、
これほど面白い物語になる。私の去年春の見切りに対する尾ひれ羽ひれの話も
大方、想像できる。だから城下町の地元に帰って来てからは徹底的なアウト
サイダーを決め込んだのは、そのためだ。片田舎の城下町‘蝦蟇屋敷’
界隈の話の縮小版が、そのまま以下である。  ーその辺からー
≪ その後、わたしは"なごみ"の常連のようになった。掘っ立て小屋といっても
 よいような雑な造りの店内には、粗末な木製の椅子がわずか七つ、いつも下駄
ばきの大塩さんがカウンターの内で、ガス台の傍に置いた小さな椅子に俯き加減
の姿勢で座っているだけで満杯といった極く小さな店である。
客層は平均年齢五〇歳。なかには口の悪い強烈な酔っ払いも多かったが、
誰もが一国一城の主を自負しているような人物で、政治や文学、演劇など
について、相手構わず勝手なことを話していた。 ・・・(中略) 
 その"なごみ"の大塩さんが店からブイと姿を消したのは、わたしが蝦墓屋敷
に住みついてから数年経ってのこと。常連の一人から聞いた話では、ある夏の日
の夕方、一杯飲みに行こうと思い立って店に行くと、入り口が閉まったままに
なっている。しばらく時間をおいて再び店に行っても、入り口は閉まったまま。
休業の張り紙もなく妙だと思ったという。その数日後、大塩さんは幾駅か離れた
町の病院で発見された。彼はそこで亡くなったのである。身元が分からない
まま亡くなったので警察沙汰になり、やっと身元が判明したということだ。
この出来事を巡って、近隣の飲み屋では当然のことながら盛りだくさんの噂
が出た。真相を知っている者、真相を知りたいと思う者。好奇心に駆られた連中
が、一時的に増えた。それだけで売上げがあがったと言われた店もあるらしい。
自殺説も多い。不治の病に悩んでいたという説、発作的な行為だったという説、
皆が知らない所で何者かに脅かされていた説、陰で巨額の借金があって悩んで
いたという説、およそ皆が思いつく説が出揃ったころ、話題は自然に消えた。
わたしは彼の死の原因はまったく知らない。しかし、巷の隅で彼の死が話題と
なったころ、引越しの初日に。なごみを紹介してくれた"稲穂"の女主人に路上で
バヅタリ出会った。「あら!」と言うなり、「あなたも大変だったでしょう。
数十万円の借金が、一瞬のうちにパーになってったんですものね」と切り出した。
わたしには話の脈絡がまるで掴めない。だが、話を聞いていると、‘なごみ’
の主人は人知れずかなり多額の借金を何人もの常連からしていたらしかった。
そして、わたしもその被害者の一人とされたのだった。「借金のことなど、
あの店で聞いたことは一度もありませんが」と、わたしは言った。
「そうですか、あの方、やはりお金を借りられそうな人を選んでいたんですね」
と、"稲穂"の女主人は、なんだか私が金のない人物であることを確認したかの
ように言った。それは事実だが、とにかく大塩さんからは借金の話など聞いた
ことがないのも確かだ。しかし、もし噂が本当だとしたならば、いつ見ても
同じような質素な服を身につけ、今にも壊れそうな粗末な丸椅子に腰を下ろし、
無口に客に応対していただけの人物が、何百万円という金を如何なる目的で、
誰のために手にしていたのかは不思議である。その後、ほどなくして、同じ
路上で出会った飲み仲間から「知ってますか?"稲穂"のママが亡くなったんです」
と、話しかけられた。わたしは彼女の死因も知らない。どうやら持病が元で、
病で亡くなったらしい。 ≫
▼ 地元から車で一時間半に高田城下町や、新発田城下町がある。
 そこでは昔からの生活があり、土着の人間関係が長い町の歴史とし脈々と
続いている。そして私の住む町の長岡城下町も同じである。 新発田出身者が
Uターンで帰り地元に住み、新潟で仕事をするとしたら、当然、地元の人間関係
に深入しないのが生活の知恵。それと同じパターンを私も新潟で仕事、住むのは
長岡にと、当然とってきた。しかし、仕事を終え、長岡だけの住処になると、
そこは、江戸時代からの血筋とか何とかの暇人の小さな人間関係が続いている、
がんじがらめの蝦蟇屋敷界隈。上記のような魔女狩りの噂話の丼池。
そこは地元民の全世界、象の皮膚のヒダ世界の中。 
・・・・・・・
3843, 閑話小題
2011年10月03日(月)
  *  つれづれに ー老後とは
 母親が38歳、父親が42歳の時に生まれたため、子供の時から二人の壮年
から老年への移行期の姿を見てきた。家は商売をしていたので、まず生存をして
いくベースを確保する必死さが幼児の頃から生で伝わっていた。
生まれた時から毎日が戦争の真っ只中のような日々。サラリーマン家庭から
みたら異状の生活環境である。ある意味、60年たった現在、やっと緊迫した
日々から開放された日々。 逆に生涯殆ど勤め経験がなく、独立独歩で生きてきた
ため、緊迫感が少し薄れただけで、勤め人が定年後に感じる「自由の不自由さ」
は全くないのも事実。家に一日中居ても、家内の視線以外には、何の抵抗感も、
何をして良いのかの戸惑うことも、皆無である。元もと、商売上の付き合いも
最小にしてきた上、肩書きを持ったら誘いがくるような慈善団体に入ったことも
ないし、その中で威張ったり、競う相手の存在も殆ど居ない。 自分が自分で
あるために妨害するものは初めから振り捨ててきた。それが多くの人たちに誤解
を与えてきたが、自分が自分であることが良いのは、長年の読書で分っていた。
そのためか、この生活の変化に大した違和感は少ない日々になっている。 
  * ゴッドファザー
ゴッドファーザーを一昨日、WoWoWで日本見た。30数年前の封切りを映画館
で見てから、TVで何度か見ているが、その年齢ごとに受けとめ方違ってくる。
ギャング映画だが、権力の集中と決断をテーマにしたマネジメントそのもの。 
封切当初は、そのギャング世界の迫力と殺しあいの生々しさに世界中が驚きに
沸きかえった。人生経験を積んだ後にみる、二代に続くマフィアのボスの物語
は、また違って見えてくる。 事業の立ち上げと、その盛衰を経験してみると、
あの緊迫感は事業とて同じこと。現在では家具とか、装飾にも目がいくが、
ファミリーの人間模様が面白い。映画そのものは、やはり名作中の名作。
7〜8年に一度は再放送されるが、名作は何度見ても、新鮮である。
・・・・・・・
3478, 15年前の韓国・国家破綻のすざましさ! ー1
2010年10月03日(日)
 ある月刊誌の「15年前の韓国・国家破綻のすざましさ」
の実態のレポートを読んで愕然とした。
「今すぐ取り組め生活防衛のための五箇条ー韓国に学ぶ国家破綻の恐ろしさー」
 15年前にIMFの管理下の置かれた韓国の姿は、日本の近将来図と
 みるべきだろうか。まずは、その一部から・・・
・韓国経済は、急成長していて1995年にはGDPの実質成長率が9%。
 だが、アジア通貨危機の波をモロにかぷり、98年には一ドル700ウォン
 だった通貨が、97年夏には900ウォンまで下落、11月には1000
 ウォンを突破し、98年には2000ウォンにまで下落した。三分の一。
・この時、韓国には30ほどの財閥があったが、韓宝、起亜、三美など名だたる
 財閥が次々と破綻。 さらに、銀行も次々と破綻して約半分になり、残った
 銀行でも、従業員の半分をリストラする過酷な再建策を断行。
・企業も約半数が破綻し、何とか残った企業でも大幅なリストラが
 行われたので、失業者は150万人を超えた。
・混迷した状況にさらに拍車をかけたのが、IMF(国際通貨基金)の財政再建策。 
 破碇した韓国経済はIMFの管理下に置かれ、IMFから金を貸じてもらい、
 その代わりに緊縮財政を迫られた。IMF財政赤字を減らして為替を安定
 させるため金利を上昇させたので、韓薗経済は大不況に突入した。
 健康保険などの社会保障は機能していたが、健康保険対象外の病気が多く
 あったため、収入が激減し家庭では病院に行くのをあきらめる人が急増。
 病院は患者が激減、背に腹は代えられないと24時間診療病院も出てきた。
・通貨が下落したことで、輸入に頼るガソリン・軽油などが暴騰したため、
 車に乗らない人が増えて道路は閑散。寒い中、灯油価格も高騰したので、
 人々は寒さに震えた。
・大学を卒業しても就職先がないので、そのまま大学院に進んでキャリア
 アップする学生が急増したために、それまでガラガラだった大学院の入学
 競争率が二倍に跳ね上がった。
・いっぼうで、会社をクビになり、再就職もできず犯罪に手を染める
 サラリーマンも急増。治安は極端に悪化し、詐欺も横行。混乱と不安が
 増す中で、テレビからは娯楽番組が消えた。こんな大変な時に不謹慎だ
 という投書がテレビ局に殺到したからだ。破綻から一年間は、先が見え
 ない中で、庶民の顔からも笑みが消えた。
▼ この続きは次回として現在の円安で300円になるというと、
 まさかと誰もが思うが、韓国では既に起こってしまった現実である。
 失業者も日本の人口の半分として、日本で300万人というと、これまた
信じられない数になる。日本の政治も経済も自己コントロール不能となれば、
韓国と似た道を歩くしかない。金利も今のところ1〜2パーセントだが、
これも何時どうなるか分からない。隣国と臨戦状態の韓国と海に囲まれ
ノンビリ構えている日本と、あまりに違う。  ーつづく

つれづれに

イメージ 1

 他のブログ
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/54909/
http://horii888888.toypark.in/cgi-bin/s_diarys.cgi
http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive

 
 今日のYoutube


 http://unfair-the-end.jp/
昨日は、シネマの日。『アンフェア』とみてきたが、これが面白い。 
邦画の評価としては高い、90点。 週一回の映画も、慣れてしまえば、
大きな生活習慣の柱になる。 



・・・・・・
3103, 終わりなき旅
2009年10月03日(土)
                「心に残るとっておきの話ー第九集」 
    ー終わりなき旅ーより

 これを読んで、深い何かに覆い包まれたような気になった。
頭に残ったまま私の言葉で、その内容を書いてみる。
≪ ツアーに参加しようと飛行場に向かったが交通渋滞でギリギリに飛行機に
 乗ることになった。殆どの同行の人の顔も知らないまま飛行機の席に座った
ところ、近かくの席の60代の初老の夫婦が赤ちゃんの世話をしていた。
孫にしては両親がいないのでオカシイとは気になりだした。スチュワーデスが
声を掛けたが、赤ちゃんを見たところ、変な顔をして行ってしまう。
周りの人も何か変な雰囲気。そして飛行機を降りたところで、その赤ちゃんを
みたら、何と人形だった。そのツアーの人たちは気持ちが悪かったのだろう、
誰も近くに寄らない。ところが食事のおりに同席したところ、その初老の男の人が
「変だと思うんでしょうね」と、その事情を話し始めた。
「二人とも教師だったが、なかなか出来なかった赤ちゃんが、やっとのことで
授かった。ところが直ぐに亡くなってしまい、そのショックで妻は自殺を図ったり
した上に、精神を病んでしまった。 その精神治療のために医師と相談した上に、
 せめての慰みにと人形を身代わりにして、10年、衣服を替えたり、食事をして
いるふりをしたり、生きているように扱ってきました。 何で、こういう話を
するかというと、あなたが初めて食事で同じ席についてくれたからです」という。
それを聞いて、返す言葉がなかった。 ≫ 大筋は、こういう内容である。
 何か、その二人の姿が目に浮かぶようである。 今でも何処かに三人で
旅行しているのだろうか。ツアー、それも秘境ツアーには、色いろな人と出会う。 
人生の甘いも辛いも味わいつくし、さて、あの世に行く前にチョッコラ世界の果て
でも行ってみるか、みたいな人とか、博識の人とか、色いろな人生を背負って
くる人が多い。この二人の背負った運命と、ツアー舞台の組み合わせが、
何とも悲しみが深く伝わってくる話である。
・・・・・・・・・
2738, フォードが4ドル、GMが9ドルだと!
2008年10月03日(金)

 アメリカ株式市場で史上最大の暴落で金融恐慌の様相を示してきた。
この影響で世界中の株価が暴落を始めている。それにしても、火の手の
まわりが早いのに驚かされる。 今回のサブプライム問題は1~2年で
収束するほど生易しくない。火の手が早まれば銀行閉鎖など何が起こるか
分からなくなる。アメリカは、この火消しにドルの輪転機をフル回転する
しかない。その結果、金融破綻というハイパーインフレが待っている。
欧州では、次から次へと銀行の国有化が始ったというし、取り付けが
静かに進んでいる。金融システムの崩壊は、まず弱者に皺寄せがくる。 
一波として大量の倒産が数ヶ月後に始る。
身一つで山の上に逃げなくてはならない具体的な行動とは、金を買うぐらい
のことしか思いつかない。情報化社会は以前のような情報コントロール
不可能になる。今年に入って、悲観的な本を何冊か読み、資産防衛セミナー
で知ったことは、あまりに危ない世界経済の実態。この半月だけでも、
劇的な世界の銀行の破綻と、再編成が生じている。これは既に金融恐慌。
世界恐慌に入ってしまったと仮説をたてて、現在の動きをみると、
一連の動きが違って見えてくる。これまでは金融機関の破綻に眼が行って
いるが、アメリカの大企業を見てみると、GM の株価が9ドル、フォード
にいたっては4ドルである。一時期の1割の株価である。そして9月の
全米の車販売数が、去年の25%オフである。目先、米政府が資金援助を
するようだが、焼け石に水。更に数年前まで、世界の企業の最優良企業
と言われていたGEが次の危ない会社と見られ、急遽増資を発表した。
こういうニュースが、今後とも休憩を入れて続いていくのである。 
歴史の残る出来事を連日、目撃することになる。そして、ある日、
その火の手が、自分達の世界にも押し寄せる。 戦争でも、家に赤紙
届いたり、爆撃がくるまでは、普段の静かな生活は変わらないという。
 ---
*大相撲の場外乱闘が面白い!

 本場所が終わったと同時に、ロシア三人組の騒動が再開した。
特に若の鵬が「旅の恥は掻き捨てとばかりに八百長大麻疑惑の
暴露を始めた。ここで俄然面白くなってきた。脅しをかければ屈する
だろうと、必死になればなるほどエスカレートしてくる。
朝青龍八百長事件が報じられてから、勝率が80?台から50?台に
落ちたと週刊誌の見出しに出ていた。若の鵬に対して、
「直接話があり、金を強引に渡された」と記者会見で言っていた。
あの男ならやりかねない。玉春日が、まだ引退をするほど負けこんで
ないのに、千秋楽直前に引退届けを出した。少し穿った見方をすると、
これも? その親方の巨砲も親方を辞めてしまったが、これまた不自然。
所詮は、芸能スポーツの世界のこと、これも見世物と割り切ったほうがよい。
白鵬アメリカ巡業でのリファナ疑惑が出てきた。 何でもあり!
ということである。それより若の鵬が変な事故か、自殺のようなカタチで
抹殺されはしないかと・・ その筋の関係者がタニマチが多いからだ。
それより国外退去ということか。「共同幻想」は、あまり壊さない方がよい。

・・・・・・・・
2007年10月03日(水)
2374, 人は60歳で何をしたか -3                 
                    ー読書日記
  「人は60歳で何をしたか」藤原治・著

著者・藤原が60歳の時に「人は60歳で何をしたか」の本の準備をしていた
ことになり、それ自体がユーモアに聞こえてくるし、本人が一番勉強になった
はずである。それにしても、選りすぐった人たちとはいえ、そのエネルギーは強い。
彼らに一致しているのは、この時期は「起承転結」の「結」の時期ではなく、
起承転々の「転」である。最後まで転げまわるのも良いものである。この本では、
古今東西の大家の「60歳の時点」の創作を具体的に提示して、そのプロセスで、
その人となりの精神を現わそうとしている。著者は私と同じ年齢になるが、
比べようもない知識の広さと深さに大きく溜息をつきながら読んでいる。 
それよりも紹介されている人たちに驚かされる。比較しようということ自体が、
おこがましいのは解っているが、それでもである。殆どの本がそうだが、
「まえがき」に多くの著者が言わんとすることが凝縮してある。
その中に「定年退職する人には、職探しの前に自分探しをする人が多いという。
企業を離れたとたん、個人としてのアイデンティティの確認に苦しむという話を
よく耳にする」とあったが、何か解るような気がする。会社という制服を着て
きた人間が、それを脱いだ時に初めて自分に直面する。
自分=「私」は哲学的にいうと、過去のトータルの「・・」である。
それが制服を脱いだと同時に自己喪失感にとらわれ、個人としての
アイデンティティの確認を求めざるを得ないのは当然のことである。 
その辺のことを、この本の中では解りやすく説明している。
ーーー
P・7
それまでの自分は、会社の規範の中で生きてきた。異動や転勤があり、
人生の生き甲斐も家庭の悲喜も、会社の意思で決定された。そのような企業組織
に対する依存度が高い人ほど、人生が変わってしまうのが定年。
会社の出世コースを外れた人ほど、第二の人生を生き生きしているという。 
そこで生き甲斐を見出せないためか、会社以外に自分探しをしているためである。
還暦とは、稀有な長生きの先に、僥倖として新しい人生が開けたという考え方だ。
60歳まで無事生きれたのだか、これを契機に新しい人生を生き直してやれという
から、哲学的な概念である。定年はそれまでの縛りがなくなることだが、
還暦は新しい人生を生き直すことである。なら積極的に新しい人生を探してみて、
第二の人生を深くしていって方が良いに決まっている。
ーP・8
精神科医の中沢正夫は、その著書『人生が二度ある』の中で、
第二の人生計画を練るにあたっての原則を次のようにまとめでいる。
1、第一の人生のなかでの自分とは、自分にとって何であったのか、見きわめること
2、何をしたいのかは徹底的に個人主義的に考えること、配偶者にもそうしてもらうこと
3、計画は終了・完成を目標としないこと 4、道草・浮気の旅を心がけよう
5、働くこと、社会参加することを中心に 6、世にはばかるパワフル・シルバーに
7、挑戦を一つ入れること        8、記録をのこそう
9、早めに計画をたてる         10、もう遅いという人へ
これに加えて自分探しの要諦について、評論家の佐高信は「会社への『離塁感覚』
を持て」といっている。 作家の堺屋太一も「職縁から離れる時だ」といっている。 
この離塁感覚というのは、以前の組織にいた時の自分を引きずるなということだろう。
あくまで自分の頭で自由に決めることを前提に、自分探しをすべしということであろう。
考えてみれば会社を去るわけだから、束縛されるものはもう何もない。時間の過ごし方も、
考え方も、自己を規制するルールもまったくないのである。ある意味で、こんな幸せな
ことはない。とはいえ、具体的にどうすれば自分探しができるのか。
初めての経験だから、途方に暮れる人も多かろう。僕は気に入っている作家の
60歳の著作を書斎で探してみた。文豪といわれた人たちが、60歳という人生の切れ目
でなにをしたかを調べたくなったのである。通常、著作の是非は内容で諭じるもので、
60歳という視点で各分野の作品を斬ることは、おそらく誰も試みたことがないように思う。
その還暦調査を手掛ける前に、実はふたつの予感があった。一つは、巨匠たちが節目
ということを意識して、 自分の代表作をものにしているのではないかという予感。
二つ目は、この調査が新しく第二の人生を模索する人たちの、参考資料になるのでは
という予感。そして、調べていくうちに、二つの予感が正しかったことを確信した。
 ーー
 以上だが、過去に何回も書いてきたが、座卓犬が突然、首輪をとられ家の外に
放り出されるようなもの。家の外は、誰も見向きもしないし、何処の犬だったなど
通用しない。そうすると放り出された野犬の群れに入るか、他の家の屋外犬として
軒先に入るしかない。それともさっさと一匹狼として、街の外に出て自然の中の餌
を探すか。逆に考えれば、そのまま老いた座卓犬でいるより、余程よいかも?

・・・・・・・
2006年10月03日(火)
2009, ドイツ病に学べ
    (。^0^。)ノ オッ(*^○^*) ハ~ ヨウ
毎日新聞」の日曜日(10月01日)の、ー本と出会う=批評と評論ー 
の「ドイツ病に学べ 」の評論がよい。「日本に次いでGDP世界第三位を誇った
ドイツが、EUのお荷物となっている」というニュースは何度か目にしてきた。
その詳細が現地に住んでいた著者の眼で書かかれている。
*その惨状といえば、19?の消費税、実質16?という高失業率、リストラ、
旧東独の苦闘、高い給料と強すぎる労働組合、旧東欧諸国に逃げ出す企業、
年金制度、等々 問題が山積みである。「まだまだ日本は、ドイツに比べたら
恵まれている?」とさえ思えてくる。しかし、現在の日本に酷似しているから驚き。
それにしても、東西冷戦時代の優等生だったドイツと日本の凋落は激しい! 
ソ連アメリカの冷戦の一番の恩恵を受けていた日独が、終戦と同時に凋落する
のは当然だが、共産圏の垣根が掃われた直撃の影響は想像を遥かに超えている。
さらに、これからはアメリカの凋落が待っているから先行きは楽観できない。
これに対して、中国とインドは紆余曲折があろうとも強大になっていく。
さらにロシアも社会基盤ができてくればその後に続くのは明らかである。
地球上の繁栄の軸は欧州から米国へ移動したが、これからはアジア・シベリア
大陸に移動していく。ドイツ車が本国で人気失墜をしたことを、まだ日本人が
知ってない? ホンダと、トヨタ車があるのに、まだベンツ神話の人が多いと
きている・・ フォード、ゼネラル・モーターにつづいて、次はベンツの危機か?
ー記事全文 ー
(以下は字数の関係でカット08年10月3日)

・・・・・・・・・・
2004年10月03日(日)
1279、イチロウの大記録

それにしても、イチロウの記録には驚いた。絶対無理といわれていた257本の
ヒットの記録をついに破った。これで、歴史に残るスーパー・スターになった。
相手チームの選手も祝福してくれるのだから、それだけ凄い記録ということだ。
これほどの歴史の残る大記録を、日本からの輸出品(完成品)で通用したことは、
驚くべきことである。生のドラマを、劇場的雰囲気で見れるのだから素晴らしい。
昨日は、この試合を初めから終わりまで見た。野球の試合をフルに見たのは、
数年来初めてである。イチロウが初めて打率を日本でトップをとった20歳の頃、
森・元監督が、あるセミナーで「王や長島より数段上の天才バッター」といって
いたことが頭によぎる。しかし、ここまでの大選手とは思ってもいなかった。
以前にも書いたが、彼のある言葉に注目をした。ートップクラスの投手の一番
得意の決め玉を待つ、他の選手は得意球を避けて甘い玉の来るのを待っているが、
自分は違うー 超一流の投手なら、驚くだろう。「奴は俺の得意玉を待っている、
挑戦をしようというのか?」「それなら、受けて立とう!」といかないのが、
人間である。今だかって、その経験がないからだ。相手が、得意の玉以外を
待っているから、得意球が効果を上がるのだ。マジックショーのネタを相手が
知っているのだから。見ている方からしたら、こんな面白いショーはない。
彼は、手持ち時間は常にストレッチをしている。超一流選手は、どういう
訳か怪我が少ない。常に鍛え、集中しているからだ。
ー以前書いた内容をコピーしておきます。
 ーーーーーーー
2001/12/21 [233] イチロウ
「将棋、囲碁など今の天才と言われる新人類は、みんなコンピューター付き
マシーンを使っている」と、美輪明宏がTVで言っていた。 何か練習に工夫を
しているのではないかとは思っていたが、昨日のBS・NHKのイチロウ特集で、
その秘密の一部を知る事が出来た。それは何か!「テニスボールを投げ込むマシーン」
であった。それで230?のテニスボールを投げ込み、スピードに対し、目を作る
ことと、反射の訓練をしていたのだ。これが彼の秘密のかなり本質の部分と直感した。
実際に球がきた時に、緩く見えるまで訓練するのである。そこに赤と黒で数字が
書いてあった。それが見えるまで訓練するのだろう。バッテングと守備の捕球に対して、
球の見極めができるようになるまで訓練をしている。子供の時から、そのマシーン
を使っていたのではなかろうか。脳と身体のサイボーグ化をしていたのだ。
もちろんそれだけでは、あれだけのプレーはできない!その上に努力を人一倍
重ねたのだろう。努力は誰もできる、要は、人と違った手法を如何見つけるかだ。
イチロウは自分の練習を人に見られるのを極端に嫌っていた。
他にも彼なりの科学的方法を積み重ねていたのだろう。数年前に森監督の講演を
聞いた時、「イチロウは王・長島とは格違いのレベル」と言っていた。 
そのとうりになってきた。

・・・・・・・・
2003年10月03日(金)
912, 開発部門ーベンチャー

 人間も組織も、自然に任せておけば、「最良」を避けて「良」だけをする。
いや良だけでなく、悪をする。そこで「組織にとって最良とは何かを考え実行
する部隊」となる職種とはなんだろうと考えたら、開発部隊であろう。
それも3年~10年後の新しい事業の開発行為を専門に動く職種である。
これを組織的に創るとしたら、「経営・戦略開発室」いや「経営企画室」である。
ラインやサービスとは独立をして「情報と経営・戦略の立案」に専従する職種だ。
組織的ベンチャー部門ということ。この激変の時代、常にその変化に対して
自己革新を続けなければ、すぐに陳腐化をしてしまう。そのこと自体も判らなく
なるのが組織いや人間というものである。 ところで、8月21日から開発専門を
一人独立をさせた。毎日、情報とりを開始をした。勿論、ラインの仕事を一切なし。
新プロジェクトの開始である。 二年前と三年前に一ヶ月間だけ期限を切って
、二人に開発休暇を与えた。期限を切れば、ラインの視点を超えることができない
ことに当時は全く気がつかなかった。悪く言えば、本気にはなれなかったのも当然。
開発の必要性に気づきだしたのに、あと一歩であった。問題の大部分は組織図
にあるというが、その通りだ。人間そのものの素質という面もあるが、システム
ー仕組みの問題点として問題点を捉えてみるべきだということだ。
 開発行為は『外』に対する働きかけて新しい事業チャンスを模索することだ。
自分の庭の中には地表深く掘り下げれば多くの金塊があるかもしれない。
それに気づくためにも、一度外に働きかけなければ。少なくとも事業に関しては、
庭の中にいては何も見えてこない。 小さい会社は社長そのものが一番の仕事に
なるのだが。 金物屋はホームセンターには変身不可能である。それまでの常識
バカの壁になってしまうからである。