* 強み生かす ー無駄な努力はダメ―  
ドラッカーのマネジメントの法則に「自分の強み生かす」がある。
この「強みを生かす」について、ネットで簡潔にまとめてあった。
≪ 卓越した仕事を生き生きしている人がいる。彼は単に有能な働き者ではない。
 自らの強みを知り、自らの属する場所を得た人がゆえと、いう。
誰でも、自らの強みについてはよくわかっていると思っている。 だが、
たいてい間違っている。気づいているのは、せいぜい弱み。それさえ間違ってる
ことが多い。しかし何ごとかをなし遂げるのは、強みによってである。
弱みによって何かをおこなうことはできない。どうすれば自らの強みを知る
ことができるか。ドラッカーは、フィードバック分析しかないと言う。
 ドラッカー自身が五十年以上続けてきた方法だ。方法は簡単。まず何かをする
ことを決めたら、「自分はそれに何を期待するか」を記録しておく。
そして九ヵ月〜一年後に、自分が期待した内容と実際の結果とを比較。
フィードバック分析により、強みを生かすために行うべきことが明らかになる。
①成果を生み出す強みに集中する
②誰にでも学べる技能や知識は身に付ける
専門馬鹿にならない
④成果を挙げるうえで邪魔になっている悪癖は仕事ぶりは直す
⑤人への対し方、礼儀はわきまえる
⑥苦手の分野の仕事は引き受けない
⑦努力しても並にしかなれないことはしない
              ―(プロフェッショナルの条件』)≫
▼ ポジティブ思考は、ただ楽観的だけでなく、己の強みを生かすことで、
 ものごとをプラスに発展させる。幸せは、己の得意分野を生かしている
状態とすると納得できる。「得手に帆を揚げ」、フィードバックをする。
御隠居生活の強みは、「好きなことだけをして、嫌なことをしないで済むこと」
で、因業になっていくが、それで良い。まずは周囲に迷惑をかけないことだ。
・・・・・・
4710,閑話小題 ー遺体の生ゴミ化 
2014年02月05日(水)
 * 献体という死体処理 ー日経新聞2011〜「上手な逝き方」嵐山光三郎
 現在、遺体の生ゴミ化が問題になっている。20年以上前だが、姉の一人が、
「私が死んだら、自分の遺体を大学病院に献体する手続きをとった。
葬式は無しだから悪しからず」と宣言。何か呆気にとられた思いだった。
75歳で健在だが、その後、撤回したかどうかは分からない。
当時、思い切った決断だったのだろうが、時代は、大きく変わったようだ。
先日、借りてきた随想集に最近の献体事情があった。
《 いま、大学病院への献体が増えて、病院が困っているという。
 献体医学生が解剖実習に利用するものだが、解剖したあと、遺族に連絡
すると「お骨はいりません」といって引きとりにこない。献体という名の遺体
処理である。斎場でも「遺骨はいりません」という遺族が増え、火葬場が合同の
収納施設へ入れる。遺体は生ゴミ化した。墓場も火葬場も足りない。
東京では夢の島へ散骨する計画が申し込まれている。海への散骨、樹木葬
骨をパウダーにする。骨壷に骨をいっぱいつめるのは時代おくれだ。
高齢化社会で死亡者が増えると火葬場の能力を超えた遺体数となり、遺体を
保存する冷凍庫も足りない。さあ、どうするか。この半年間で五回の葬儀へ
行ったが、火葬場でお経もあげずにすます直葬が二回あった。火葬のみの
遺体処理である。ただ、棺の中には花が埋められ、遺体の顔には美しい化粧が
ほどこされている。大村さん(関西学院大学教授、僧侶)は、いまの死に化粧は
アメリカ流儀のエンバーミングで、ベトナム戦争で死んだ兵士をドライアイス
に詰めて本圃へ帰すころから流行した。死人を生きている人のように化粧する
エンバーマーという職業かある。真宗では死体を化粧をせずに、頭を剃り、
遺体から色も欲もみな抜け出して、この世の未練をすべて捨て浄土へ行かせる。
生きているような化粧をしたら、この世への執着が残る。 大村さんに
そういわれると、たしかにそうで、「はよ向うへ行きなさい」
と成仏させるために、エンバーミングなんてしない。・・・》
▼ ネットで遺体の日本人感を調べると、以下のような考え方に出会った。
【精神と肉体の混同、未分離の日本人の死生観が最も露骨に出る。
冬山で遭難死しても、キリスト教なら「霊は去っている。遺体自体はそっと
その場に眠らせておけばいい」・・というのが日本人には「罰当たり」になる。 
精神、霊と肉体、遺体との混同、未分離の考えが習俗の建前となるとき、極度の
遺体自体の重視となる。】
 葬式は、遺体を火葬にする前の家族による当人を見送る儀式。
一神教の場合、天国の神のみもとへ召されるが、無神教に近い日本人は、
それぞれの心の中で生きるという思いがある。そのため、焼かれる直前まで、
生ゴミと分かっていても美しい姿であることが、必要になる。
結局、残るのは写真と言葉と三代残る?資産だけ。
・・・・・・
4343,閑話小題  ーテレビの現状と未来 
2013年02月05日(火)
 先週金曜日のNHK・60周年記念「テレビの未来」について千人アンケートを
しながらパネラーが討論する番組が面白かった。NHK以外の各局のディレクター
も参加していたが、内容は冒頭からシビア。「現在のテレビはツマラナイ、
面白くない」と、街頭インタビューが辛口のものばかり。その上にTVを持たない
人や、不満の多さに各局のディレクターは言葉を失っていた。
無くて困るものの第一がパソコンで47%、携帯が24%で、テレビが22%
には驚いた。これではテレビがパソコンに凌駕された結果になる。 私の場合、
「未来型のTV」を買い替えて二年半になるが、見るのは殆どが録画したものか、
再放送のもの。「テレビが面白くなくなった」「無くても困らない」という
街頭での意見が多いが、私は逆で、「スマートテレビ」に買換えて、バカ
みたいだが、俄然に面白くなった。地デジの全番組を30時間分を自動的に
録画してしまう。ゴールデンタイム19時から24時までを設定すると、
6日間分の全チャンネルが自動的に録画される。それを週間のテレビ欄をみて、
面白そうな順に見る。2〜3日に一本の割合で面白いのが必ずある。 
設定無しだと、全地デジの30時間分が自動録画され、時間が過ぎたものは
自動的に消去される。これに面白そうなBSの旅番組やWoWoWを録画しておけば
見切れないぐらいの面白い番組がストックされる。どんどん録画をし、どんどん
除去する。だから「面白くない番組がない」というのは、面白い番組を見逃して
いることに彼らは気づいていないだけ。 実際、テレビに嵌るのは良くないのは
分かるが、面白いものは面白い。その上に、パソコンでも、TVでも、Youtubeなど
の投稿録画を見ることが出来る・・ ネットゲームを知らない人と気ままに
遊びたくなってきた。 で、再びパソコン教室に通う時期が来たようだ。
居間では横にiPadを置き、TVドラマの合間にネット・サーフィンかゲーム。
ますます馬鹿になっている。 大馬鹿ならよいが、中馬鹿のようだから、
どうもこうも! 最近の話題はTVの内容が多いか。
 ・・・・・・
3968, 民主主義への疑問 ー2
2012年02月05日(日)             
 * 明治元年五箇条の御誓文 「民主主義とは何なのか」長谷川三千子
【 たとえば自国が経済危機に陥っているからといって、若者たちがデモをし、
 店や車を壊して為ばれるという海外ニュースを、われわれはよく目にする。
愚かしいかぎりの行動であるが、民主主義イデオロギーに即していえば、彼らは
正しいふるまいをしているのである。指導者に対する不信と敵意を破壊的な
行動によって示すのは、近代民主主義の出発点をかざるフランス革命以来の
偉大なる伝統だからである。民主主義が本質的にかかえ込んでいるこうした
愚しさを克服して、かくも厄介な民主主義をなんとかうまく使いこなす方法は
ないものだろうか? 考えてみれば、「国民の、国民による」政治という形
それ自体は、活気にみちた健康的な国家をっくり上げてゆくうえで不可欠な
ものともいえる。国民自身が意欲を失い、やる気をなくした国家に、
「国民のための政治」が実現するはずはない。・・明治元年の五箇条の
御誓文には、そのエッセンスともいうべきものが簡明に表現さきじている。
 一、広ク会議ヲ興シ万機公論二決スヘシ
 一、上下心ヲ一ニシテ盛二経編ヲ行フヘシ
 一、官武一途庶民二至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメンコトヲ要ス
 一、旧来ノ随習ヲ破リ天地ノ公道二基クヘシ
 一、智識ヲ世界二求メ大二皇基ヲ振起スヘシ
 ここでまず注目すべきところは第二条である。 
この「経論」という言葉は、もともとは政治を指して使われる言葉であったが、
ここではむしろ経済活動に重点を置いて使われている。つまり指導者も国民も、
すべて心を合わせて、政治・経済の活動に積極的にかかわろう、ということ。
あたり前の呼びかけとも思える。政治であれ経済であれその他何であれ、上も
下も心を一つに合わせておこなわなければ、よい仕事はできないのである。
しかし今みてきたとおり、この「上下心ヲ一ニシテ」ということは、まさに
民主主義が捨ててしまった心構えである。その意味で、実はこれは極めて
根本的な民主主義批判ともなっている。】
▼ 日本の近代の始まりの明治元年に立ち返り日本の誇りを取り戻すことが必要。
 一条の「公論」の心構えこそ、この非常時に求められること。相手の論を叩き
潰すのでなく、危機を乗り越えるための論でなくては。目標が明確であれば、
公論が可能になる。声をだして、何度も読んでみたが、なる程、そのとおり。
現在の日本は壊滅状態、これを第二の敗戦とみるなら、近代日本の精神を、
 この御誓文として新たな第一歩とすべき、という著者の論も納得する。 
  ・・・・・・・・
3603, 閑話小題
2011年02月05日(土)
  * ほんの5年前までは
 5〜6年前までは、「自分の生活は中の中」と答えた人が53パーセント、
中の下が27パー、合計八割が中流と思っていた。現在はどうだろう? 
中流といえば350万〜650万、上流に近いのが700万以上あたりか。 
2005年に下流社会という言葉が流行語になって格差社会を象徴する言葉になった。
この時の下流は、食うや食わずの状態ではなく、中の下くらいに位置する人を
対象にした言葉だったが、この数年では下の人を対象にするようになっている。 
貧困に「相対的貧困率」という数字がある。平均世帯所得の半分以下の世帯数が、
全世帯に占める割合をいうが、1984年〜1994年の7〜8パーセントが、2000年には
一挙に倍近い15パーに増えてしまった。 最近では、20パーを遥かに超えて
いるのだろう。 下流とは、ウィキペディアによると
≪2007年の国民生活基礎調査では、日本の2006年の等価可処分所得の中央値
(254万円)の半分(127万円)未満が、相対的貧困率の対象。これは、単身者
では手取り所得が127万円、2人世帯では180万円、3人世帯では224万円、
4人世帯では254万円に相当する。≫ 
リーマンショック以来、この数字は急激に悪化しているから、2割は貧困層
ところで、世界の相対的貧困率は、いくらだろうか? 感覚的にみて、
日本の半分以下だろう。とすると、10年、20年かけフラット化していく
プロセスに入ったということか。
  * 百円ショップの楽しみ
 2〜3ヶ月に一度は百円ショップに行っている。新潟では昼休みの運動に歩いて
10分ほどの駅南の「セリア」に。通勤の帰りには元ダイエーが撤退したあとの
越後交通ビルの2Fに「ダイソー」がある。一回に千円程度を買うのが楽しみ。
殆どが衝動買いだが、外れは2割位?。 鞄の中と、机の周りは百円ショップの
商品で溢れている。ノート、電子機器などを入れる袋もの、小物を一時的に置く
カゴ、などなど。 数日前に買ったのが、自転車のカバー。電動アシスト自転車
を千円位のカバーをかけていたが、強風で何処かに飛んでしまっていた。 
そこで、HCで買おうとしたら、家内が曰く「百円ショップで、一度見てから
にしたら!」といわれ先日、セリアに行ったら、材質は落ちるが、留め金付の
ものがあった。百円ショップの商品は機能だけに絞ってあって百円に押し込んで
ある考え方は非常に良い。
・・・・・・・・
2010年02月05日(金)
 * 狂ってしまった猿
 ニューヨークのブロンクス動物園のアフリカゾーンに近い大型類人猿舎に
「鏡の間」という場所があり、そこに立つと当人の姿が、鉄柵越しの鏡に映る。
その看板に「The most dangerous animal in the world.」と書いてある。
世界で最も危険な動物が「人間」とは痛烈な皮肉である。「象」「ライオン」
などの野獣とは比較にならないほど危険な動物が、生存を賭けた人間世界形成。
鏡の下には、「24時間ごとに19万万匹の割合で増えているこの動物は、
他の動物を絶滅させたことのある唯一の動物です。この動物は、今では地上の
動物の全てを絶滅させてしまう力を手に入れました」と付記されていた。
(字数の関係でカット2012年2月05日)
・・・・・・
2863, アメリカ発 世界自動車危機 −2
 2009年02月05日(木)
この番組で、電気自動車を取り上げていたが、脱化石燃料の流れ加速しそうだ。
自動車の心臓部分はガソリン・エンジンだが、それが電気モーターに変わると、
これまでの自動車の概念が変る。
・「自動車が電気商品になってしまう」のである。 現在一台あたり
 3万点の部品が、2万点で済むという。
・前部のエンジン・スペースが、大幅に減ってしまうのである。
(字数の関係でカット2009年2月05日)
 ・・・・・・・・
2008年02月05日(火)
2498, 無くてはならぬもの −6
 ー 一度だけの人生 ― どこに根を張るかー
P−196 他人とばかり比べないで世界中に、私はたった一人しかいないんだ、
とかけがいのない自分という存在ということを、もういちど、しっかり見出して
ほしい、と。あなた方の人生は誰にも代わってもらうことはできないし、しかも
それは二度と繰り返すことができない一度限りの人生なのだ。それが本当に
わかってないと、人生をどう生きるか、という問題は、考えていくことができない。
p−199  たとえどんな小さな仕事でも、自分が一生をかけてやりとげる、
そういう人生の目的を見出してほしい。そうして二度と戻ってこない一日一日を、
そのことに打ち込んでゆく。それは無限の希望なのである。天才とは、努力を
する人間なのである、といった人がいる。私たちの個性というのは、何かに生涯を
通して何かに打ち込んでいく、そういう努力を通して形成されていくもの。
あなたは社会的に成功しなくてもよい。自分がやりたい事を一度かぎりの人生に
打ち込んで努力してみたらよいでは。そのことに10年打ち込んでみたらどうか。
その道ではエキスパートになるだろう。一流大学を出ているなど、誰も問題に
しない。どんな小さなことでも、これが自分がしたいことを生涯を通して行えば、
世界のために何か貢献することができる。それで途中で倒れることがあっても、
一日一日を、そういう仕事にうちこんでいれば、人生はそれで良いのはないか。
P−202 亡くなった和辻哲郎が若いときに書いた「樹の根」というエッセー
を思い出す。「偶然再興」の中に収められた文章だが、「・・・ある時、砂に
食い込んだ松の木の複雑な根を見守ることができた。地上と地下姿があまりにも
違っていたのである。楽しそうに葉先をそろえた針葉と、それに比べ地下の根は。
戦い、もがき、苦しみ、精一杯の努力をしつくしたように、枝から枝と分かれて、
乱れた女の髪のごとく、地上の枝幹の総量より多いと思われる太い根、細い根を
無数にもって、いっせいに大地に抱きついている。私は、こういう根があることを
知っていた。しかしそれを、目の前にまざまざと見たときに、思わず驚異の情に
打たれぬわけには行かなかった。
ーーー
「順境には枝を張れ、逆境には根を張れ」という言葉があるが、当時、この
「樹の根」のエッセーの言葉が心の支えであった。個性とは、自分が人生をかけ
打ち込んだ中でこそ生まれるもので、むしろ逆境の中でこそ形成される。
38年ぶりに読み返してみたが、私にとって「人生を支えてくれた三冊の本」
の一冊。実は読み返して今、気づいた。それでは他の二冊は何か? 
近々に取り上げてみようか。大本教出口王仁三郎の本と、新約聖書である。
・・・・・・・・・
2007年02月05日(月)
2134, 時間についての一考察 −1
    b(^o^)dおっ W(^O^)Wはー♪
最近ますます哲学づいている。今日は「時間」について考えてみる。
その中で「いま、ここ」−現在ーの意味が深い。考えてみても解ったような
解らないような難しい問題である。「いま、ここ」という永遠への控えの間?
には非常に深遠な光と陰を感じる。 感動した瞬間、感激した瞬間、そして
心の奥底から感謝した瞬間、怒り心頭に達した瞬間、人を殺してやりたい位に
憎んだ瞬間、そのどれも自分を構成している骨組みである。その時々のことは、
ほぼリアルに記憶に残っている。その瞬間・瞬間は、過去・未来ではなく
「その時点での今・現在」に経験したことである。
(字数制限のためカット 2010年2月5日)

つれづれに

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 今日のYoutube

https://cakes.mu/posts?utf8=✓&search%5Bword%5D=アル中対談&sort=total_pv
 アル中対談、面白い! このツケ、後からくるから恐ろしい!

昨日の火炙りの刑の写真、非常にインパクトが強いもの。
 一枚は消すことにしたが・・・ これからは、何れの国も、非常に危険になる。
徹底的に、イスラム国に参加している人たちは排除されるが、報復のテロも
過激になる。去年の暮れ、『新潮45』の特集に、-悪夢の21世ーの特集があった。
 そのレポートの一つの「ニヒリズムへ落ち込む世界」が、今の時代背景を
時系列に、まとめてあった。 後日、随想日記で取り上げてみたい。

・・・・・・
1769, 閑話小題
2006年02月05日(日)

ー エ!まさか
先月の末の話になるが、長岡のある料理屋が閉鎖をしたと
朝日新聞の新潟版に別枠で大きく取り扱われていた。
店主が店の2Fで心不全で亡くなっていたのが翌日になって
発見されたとか。

 戦前(この言葉も古いが)から七十数年も続いた店で、
両親に何度か連れられていった記憶が鮮明に残っている。
タンシチュウや、エビフライなど独特の味付けだった。
     
 昨年の暮れ、家内とその店の向かったが途中で吹雪いたため、
駅前の居酒屋に入ってしまった。

一昨夜、長岡で飲んだおり居酒屋とスナックでその話をしたところ、
自?という。4~5軒まわった店では全員がそのことをしっていた。
いま殿町では、その話でモチッキリという。
どの店も不景気で他人事でないだけに身に沁みるという。

 有名な飲食店が数年前に店主が病死をして閉店をしたのも、
実は自?だったとか、あの店も、その店の誰かも、
実をいうと??で・・・、そのほとんどが借金苦だったという。
これだけ災害が続けばお客の足が遠のくのもわかるが。


ライブドア症候群
 
2006年01月26日
朝日新聞 株価欄ー経済気象台の内容が鋭い。
まずは、その内容である。

 ライブドアショックが日本を揺るがしている。
株価の下落は、22万人に上るライブドア株主だけでなく、
多くの機関投資家個人投資家の資産価値を毀損(きそん)させた。
証券取引所のシステム整備の遅れや法制度・監督体制の不備も明らかになった。
しかし、ライブドアショックが提起した本質的な問題は別のところにある。

・第一は、投資家が企業や事業そのものを客観的に判断せず、
株価や時価総額の成長だけに目を奪われていたことである。
ライブドアの高成長を支えたのは、マネーゲームによる利益であり、
本業であるIT事業ではなかった。
それなのに、ライブドアはIT企業の旗手ともてはやされた。

 90年代末のアメリカで生じたネットバブルでも、全く同じことが起きた。
事業の実体がないにもかかわらず成長期待だけでネット企業の株価が
急騰を続けた。しかしやがて過大評価だったことが明らかとなり、
不正経理による利益水増しも表面化して、バブルは終わった。
その教訓が日本では生かされていなかったのである。

・第二は、高成長が改革の成果だと信じ込まされていたことである。
急成長中のIT企業、若い経営者、古い秩序の破壊者といったイメージを持つ
ライブドア構造改革の象徴として申し分なかった。
しかし、その高成長は構造改革の成果でもなんでもなかったし、
景気回復を支えてきたのは、実はオールドエコノミー企業の復活だった。

 今回のライブドアショックは、なにやら理解しがたい企業の急成長に、
理由もわからず拍手喝采を送っていた人々へのカウンターパンチだった
のではないか。これを契機に、経済成長の真の担い手は誰なのかが
改めて確認されることになれば、日本経済にとってマイナスではない。
そして、これまでの構造改革がわれわれに何をもたらしてきたのかも、
併せて問われるべきではないかと思う。(山人)

  ー
まさか、IT関連に投資して甘い汁を吸っていた連中に
向かって「ざまあ~みろ]]ともいえないし!

ーー

ー11人のハーレムとは

11人の愛人を持った57歳男が逮捕された。
生活費は、その11人がパートなどで稼いでいたという。
よくぞコントロールしたものだ。
それよりその精力には!驚きだ。
彼女達は共同体を求めていたのか?
画面からは精力絶倫のオットセイにメスが群れている
にしかみえないが、私の知らない何か?があるのだろう。
    
その夢に出てきた呪文とやらは、何なのだろうかと
誰もが興味を持って当然だ。
『その呪文を唱えると、女性に持てる!』
という言葉そのものが呪文ではないか?


・・・・・・・
・・・・・・・

2005年02月05日(土)
1404, 立花隆の旅について

この人の本を読むと、その博学と行動力の凄さに驚きざるを得ない。
深い人間洞察を何気なく言ってのける。
長年かけた知識構築の結果といえば、それまでだが。
人間洞察を旅を通して語っているから尚のこと解りやすい。
人生は旅であるからだ。

今回借りてきた、「思索紀行」-ぼくはこんな旅をしてきた
の序論のなかの「旅と人間について」の次の文章でもいえる。

ーすべての人の現在は、結局、その人の過去の経験の集大成としてある。
その人が過去に読んだり、見たり、聞いたりして、考え、感じたすべてのこと、
誰かと交わして印象深い会話のすべて、心のなかで自問自答したことのすべてが、
その人の最も本質的な現存在を構成する。

考えた末に、あるいは深い考えなしにしたすべての行動、
その行動から得られた結末に対して反省や省察を加えたすべて、
あるいは獲得されたさまざまの反射反応が、その人の行動パターンを作っていく。
人間存在をこのようなものと捉えるとき、その人のすべての形成要因として
旅の持つ意味の大きさがわかるだろう。

日常に支配された、パターン化された行動の繰り返しからは、
新しいものは何も生まれては来ない。
知性も感性も眠り込むだけだろう。意欲行動も生まれては来ない。
人間の脳は、知情意のすべてにわたって、ルーチン化されたものは
いっさい意識の上にのぼらせないで処理できるようになっている。
そして、そのように処理されたものは、記憶にもされないようになっている。
意識の上にのぼり記憶されるのは、新奇さの要素があるものだけなのだ。

旅は日常性からの脱却そのものだから、その過程で得られたすべてが
新奇の要素を持ち、記憶されると同時に、その人の個性と知情意の
システムにユニークな刻印を刻んでいく。
旅で経験するすべてのことがその人を変えていく。
その人を作りかえていく。
旅の前と後では、その人は同じ人であり得ない。

旅の意味をもう少し拡張して、人の日常生活ですら無数の小さな旅の集積と
とらえるなら、人は無数の旅の、あるいは「大きな旅の無数な構成要素」が
もたらす小さな変化の集積体として常住不断の変化をとげつつある存在と
いってよい。
 ーー

以上であるが、人間と旅の本質をズバリ言い当てている。
旅行に行って帰ってくると、それまでの自分とは別人になったような感覚になる。
行った先の自然や文明文化から受けた感動によるものだ。旅行で感動した
幾つかが、自分の人生の魂の奥に沈んで人生の大きな骨格になっている。

そして、一回行った旅行は、それぞれが今も現実的に続いている。
TVや書物で、その後も多くの疑似体験ができるからだ。
何処かしら週に2~3回は情報媒体を通して、その続きの経験をしている。

この随想日記も、過去の出来事、考えたこと、経験の集積ぶつを拾い上げ
書き出している。汲んでも汲んでも尽きることなく出てくる。

・・・・・・・・・
・・・・・・・・・

2004年02月05日(木)
1037, 「わたしは悪い不動産屋」
 
 読書日記-1

本屋で何回も立ち読みをしていたが、ついに買ってしまった。
知り尽くしている私が読んでも、面白いのだから素人は是非読むことを勧めます。

こと不動産業界に関しては、一般の素人は非常に用心すべき世界である。
最近よく目にするマンションでAP?とかいうマンションがあるが、
知る人ぞ知る危ない典型の??である。
建設業界やマンション業界すべてを、素人なら危ない世界と認識しておくべきだ。

内装の一枚内側の設備などは、どうなっているか解らない。
会社は何処も火の車、何時潰れたもおかしくないのが内情である。
彼等はどこで手を抜くか、目に見えない配管とかの隠れたところしかない。
その結果は、買って10年~20年経ってから欠陥として出てくるから始末が悪い。

間違いなく10年~15年で五分の一以下に確実になるのに、20~30年ローンで
買わされている。無知そのものが罪だというが、露骨に自分に帰ってくる世界である。
マンションを10年前に買った人のいまの相場を聞いてみればよい。
殆どが5分の1以下である。

ファッションの服やバックは、一年経てば五分の一である。
コストからみると、買った瞬間2分の1である。
本人もそれでよいと納得した買っているので、それはそれでよい。
それと同じ感覚でマンションや住宅を買ってしまうことが問題なのである。

新興のマンションメーカーはファッションマンションとして割り切って
お客の無知を狙っているのだ。それが消費者の意向ならそれでよいと。

酷いといえば酷いが、飛びつく無知も無知である。

以下はホームページから調べた概要である。
                 ー つづく
 ーーーーーーー
 のっけから意表をつくタイトルだが、実際にはない土地を売るなどの
いわゆる地面師みたいな本当に悪い不動産屋なら、捕まって免許剥奪、
不動産屋も解雇である。
従って、この本で扱うのは、あくまで合法の範囲で、どのように不動産屋が
インチキ臭いことをするのかといった話である。

 やはり多いのは、買い換え住み替えにまつわるはなしで、買いを先行して
買い契約をしたはいいが、売りが思うようにいかず、結局、二束三文でしか
現在の住居が売れないため、ローンをささえきれず、両方の家を手放さざるを
得なかったという悲惨な話である。
これは不動産屋が「おたくなら××万で売れますよ」と無責任なことを吹き
込んだことが悪いのだが、もちろん合法的な営業活動の範囲と言えるだろう。

 あとは、やはり、その物件の悪いことは不動産屋は自分から進んで
言わないということだろうか。雨の日は道が冠水するとか、古屋のある土地の
水道管が錆びているとか、ひどいのは、土地の一部が公道になっていたことが
建て替えるときになってわかったというものもある。

 当たり前といえば、当たり前かも知れない。
要は疑ってかかれと言うことだろうか。これらは、チェックすれば買い主が
自分でわかる話なので、悪い不動産屋を語るということは、不動産の本質を
論じることにもなっている。あと、不動産屋の暮らしぶりというのもわかり、
不動産屋になるのも悪くないかななどと思わせ、好著であると思う。

 結局のところ、この作者は、気の弱い客に対してたまに強引に契約を
迫ることがある程度で、本当のワルではない(らしい(笑))。
不動産屋というあこぎな職業に日々良心を痛めながらお客のために仕事に
励むいい人である(かのように描かれている)。
これから不動産をと言う人は読んでも悪くない。
ーーーー
レビュー

Amazon.co.jp
現役の不動産関係者が、不動産業界の裏事情と、悪徳セールスパーソンの
さまざまな手口を明らかにした衝撃の1冊。詐欺まがいの悪質な手口から、
合法ではあるが、買い手がだまされそうな不動産業界の「ジョーシキ」までが、
当事者の声で生々しく紹介されている。
本書によると、不動産業界では、安く不動産を買い取るために、
サクラを使って「こんなに高いの?」と言わせてみたり、他の不動産屋に
頼んで安い価格で声をかけさせてみたり、といったことがまかり通っている
というのだから開いた口がふさがらない。それでいて買い手に対しては、
「一生に一度、二度あるかないかという大きな買い物なのに、不動産屋の
いうことを鵜呑みにして、自分たちはまったく勉強しない『バカさ加減』
を思いしらせてやることも、不動産というものをよく理解するには重要な
ことだと思う」などと言い放つ。
不動産業者のしたたかさが伝わってくるようである。


もちろん、不動産業者の悪質な手口を紹介して終わり、というわけではない。
客に対する警鐘を鳴らした後は、不動産売買の際に知っておきたいさまざまな
基礎知識やアドバイスも提供してくれる。新築と中古物件の違いや、
買い替えの際の注意点、不動産の資産価値の測り方、契約に関する基礎知識、
悪徳業者の見極め方などは、ぜひとも押さえておきたいところだ。
また、契約ごとに印鑑登録を破棄する老人の話をはじめ、適宜興味深い
トピックをはさんでいるので、楽しく読み進めることができるだろう。
人生における最大の買い物を成功させるためにも、ぜひ読んでおきたい。
(土井英司)

大倉辰吾 (2000/12/16)
王様文庫 三笠書房

目次

1章 '不況'時に生き残る不動産屋の手口
2章 不動産屋がつけ込む顧客の'無知'と'無理'
3章 顧客が知らない不動産屋の常識
4章 悪い客たちの危ない綱渡り
5章 '賃貸'で生き抜く街場不動産屋のたくましさ
6章 不動産屋の本音のホンネ


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 2003年02月05日(水)
672,嘆きの部屋

・高校同級の土田氏が入院でわずか3週間で亡くなった。
 食道がんで肺に転移もう末期だったという。
 一瞬で地獄の底に突き落とされた恐怖は言語に絶するものだったろう。
 「病院には嘆きの部屋」があるとモッケイクラブを事務所の部屋で開い
 ていた時に、看護学校の末期医療専門の女の先生が来て話してくれた
 ことがあった。


・絶望のその気持ちや混乱を大声で喚くことで静める防音の部屋が
 どこの病院にもあるという。
 もう他人事ではない年齢だ。
 本人しか解らない死の恐怖!
 死を自覚してから死ぬまでの時間、それまで生きてきた全ての人生を圧縮
 した時間が流れるという。
 キュ-プラー・ロスという「死ぬ瞬間」という本を出している死の見取りを
 専門にしてきた人が、その本で究極の死を受け入れの心理過程を書いている。
 確かまずは拒否、怒り、取引ー自分との、受容。


・父が死ぬまでの一年間、しっかりとその時間の中でそのプロセスをみた。
 生への渇望ーその砂漠の真ん中に一人取り残された生への渇きの極限状態だ。
 その時父に「昔の哲学者がー本人にとって死はない!という話をした。
 死んだ瞬間それは自分でないから、生きている限り自分の死は存在しない。
 存在するのは他人の死だけだーエピクロス」と。
 父がその時ホッとした顔で「死について初めて解ったような気がした」
 と答えた対話が鮮明に残っている。
 それまでの父の口癖は「死んでしまえばそれまでよ!」であった。


・死ぬのは仕方がないことである。ただ後悔をして死にたくない!
 いや、後悔したっていいじゃないか、死んでしまえば全て無なのだから。
 生まれる時も独り、死ぬ時も独り。
 生きている時も独りだ。ただ忘れているだけでしかない。
 考えてみれば、生まれる前の状態に戻るだけ。
 誰もが生まれる前の状態と、死んだ後の状態が生きている時でも
 取り囲んでいる。寝ている状態はその際に戻っているのだろう!

 以上、死のおさらいでした!
 
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 2002年02月05日(火)
 322、一人旅 ー「北海道」編

 「 北海道一周、九州一周、紀伊半島能登半島
 けっこう経験しているが、世界一周の一人旅の経験はしてない。

人見知りするためか、どちらかというと「一人旅」は苦手だ!
といって振り返ってみると、結構経験をしていた。
若い時の一番人見知りの時期ほど旅をしているのは、若さのエネルギーか?
そのいくつかを書いてみよう。

今回は北海道である。
大学の4年の時である。今でいうと自己逃避か、はやまた気取りか。
いやそうしなくてはならない「自身の何か?」であった。
かっこよく言えば行き詰った自己打開ということだったのか?
といって、それほど無理した旅行でなかった!

殆ど記憶に残ってないが、確か列車の乗り継いで青森へ!
そして連絡船で函館?そして札幌、釧路、根室、知床、網走と汽車を乗り継いだ。
書いていていて、多くのことを思い出してきた!

印象的なことが結構ある。
やはり青春の一番の思い出の一つである。
自分ながらよく行ったものである。
世界への一人旅へ出なかったのが悔やまれる?
いや当時はまだ無理だったのか?

あの時何故日記を書かなかったのか?書いておけばよかった!
何か何処かの山の上によじ登り、尾根を歩いたのを思い出した!
一人に対して何の寂しさとか、不安は何もなかった?
いやあったが忘れてしまったのか?

函館の函館山から見た夜景を鮮明に思い出した。
屈斜路湖摩周湖、層雲峡と・・・・
一応振り返ってみると、やるべき時にやるべき事はやっていたようだ。
30数年たって、この旅行を初めて振り返ってみた。
行方不明のアルバムに写真が残っている筈だが。

青春時代はいつも大きい壁があった。その為フラストレーションが
マグマのように溜まっていた。
それがエネルギーになっていたのだろう。

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2月5日 1969年

11時に「価格理論」の試験であった。
あれだけ必死の勉強をしたが、満足がいかなかった。
帰りは、川崎と一緒だった。

帰寮後は、今日の試験のショックでやる気が起きない。
いや、昨日のこともあるか。

産関論の試験勉強をする。
あまり熱が入らない。
しかし途中から集中ができた。
その中でヤマをかけたが、どうなるか分からない。

気持ちは刹那的である。