『 ポジティブ・サイコロジー「よい生き方」を科学的に考える方法 』
 クリストファー・ピーターソン (著)を、借りてきた。
『幸福優位7つの法則』の次に読むのに丁度よい内容である。
図書館で、この本を手にとって、以下の部分に目が釘づけになった。
【 おそらく、幸せに関する研究で最も特筆すべ一貫性のある発見は、 
「大多数の人々が予想以上に幸せである」ということだ。指標にも、また調査
対象者の標本にもかかわらず、大半の人々はニュートラルの上、つまり指標の
真ん中の点より上の部分あたりで生きている。人生はたいそう悲劇的なもので、
人々は大変悲惨な状況にあると思い込んでいる私の同僚の心理学者たちが幸せに
関するこの事実に向き合うことを私は願ってやまない。幸せに関する調査は
数多くの国で実施されてきたが、調査結果はだいたい違いを強調する形で示される。
違いは興味深いものなのだが、アメリカの億万長者だからとか、インド・コルカタ
の路上生活者だからといって、そうした違いが大半の人々にとっての本質的な
幸せを曖昧にすることがあってはならない。・・ 】
▼ フロイトユング精神病理学の先生で、潜在意識など、精神症、精神病の
 学者である。だから、調査をした心理学者は、指標の真ん中より上に、大半の
人が住んでいることに驚かされる。 そういう私も、実は、7〜8割の人が、
自分は不幸と思っていると思っていた。しかし、少し考えてみれば、どうだろう。
まずは、自分自身である。ある意味で、マサカ有り得ないと思っていた、二つの
経済震災と、自然震災で、この結果になった。しかし、現在、不幸と思ってないが、
現状を知らない人から見たら不幸そのものだろう。それなりの経験と知識が
あって、その対策を40年以上も前から立てていたこともあるが、そのことを
知りえる立場にはない。で、特にネガティブの人が、その視点で物語を創作
しているだけ。人の不幸は蜜の味というが、実は、その蜜は自分の毒でしかない。
 ネガティブが一に対し、ポジティブ三が必要するしかなくなれば、自動的に
それが沸いてくる。 ポジティビティがその効果を現すためには、ある転換点
ティッピングポイント)を超える必要がある。氷が0度を超えると相が転移して
水になるように、ポジティビティ対ネガティビティの比が3:1を超えると
新たなフェーズに突入しポジティビティの上昇スパイラルが発生し、精神の
働きを広げ、生き生きしてくることを、この書も教えている。
だから、この結果も決して悪いものではなかった。とにかく、ポジティブを
三倍、いや六倍以上持つしかない事態だからだ。  まあ、人生は面白い!
・・・・・・
4662, 米国社会の貧困問題
2013年12月21日(土)
先週、何気なくBS/NHKをみると{アメリカ冬の時代〜転落する中産階級〜前編}
の再放送をしていた。二日続けての再放送だったが、深刻な内容。 この春、
NHKで「シリーズ 貧困拡大社会―奪われたアメリカン・ドリーム―」を
放送していたが、この続編的な内容。遅かれ早かれ、日本にも生じてくる問題。 
いや、既に部分的に起きているが、生活保護が手厚いので大部分が救われている。 
しかし地方経済の惨状は厳しい。一つ間違えば、ドン底の事態が口を開けて
待っている。 ー内容といえばー (NHKのブログより)
《(前編)ー金融危機の余波を受け、かつての中産階級が貧困にあえいでいる。
 オレゴン州ポートランドで、負のスパイラルに陥っている人々をひと冬に
わたって見つめるドキュメンタリー。生活に行き詰った家庭を支援するNPO
団体「211」のホットラインには、毎日、せっぱ詰まった電話がかかる。
 その多くが、金融危機前、念願のマイホームを手に入れてアメリカン・
ドリームを実現しつつあった人々だ。
・3人の子どもを育てながら失業したある夫婦。家のローンに追われる中、
 ついに電気代が払えなくなり、寒い冬を暖房なしで暮らしている。
 なんとか仕事を見つけようと奔走するが・・・。
・銀行の保証制度を利用して住宅ローンの負担を減らそうとしたベン夫妻。
 審査の結果「まだ支払えるレベル」と却下された。しかし、本当に支払う
 余裕がなくなったときには、手遅れだとして立ち退きを言い渡された。
 こうした家庭を支援するべき公共的なセーフティネットは、どこも
 財政難で弱体化し、機能を果たせなくなっている。これがアメリカで
 進行する貧困の実態の一部。  
  (後編)オレゴン州ポートランドで、負のスパイラルに陥っている
      人々をひと冬にわたって見つめるドキュメンタリー。
・住宅ローンの支払いに追われ、電気を止められてしまったある夫妻。なんとか
 パートタイムの仕事を見つけたが、新しい職場で人種差別に遭い、解雇される。
・最近夫を亡くしたジャネットは、11歳の息子とシェルターに身を寄せるが、
 生活のあまりの変化に息子は情緒不安定になった。
・5人の子どもたちを抱え、電気も水道も止められたマイクの一家。親切な隣人の
 ガレージから電源を使わせてもらっているが、子どもたちは勉強に集中できない。
 こうした子どもたちがドロップアウトし、貧困が次世代に連鎖する事態が深刻に
 なっている。生活支援のNPOのホットラインに電話をかけてきた家族を定点観測し、
 普通に暮らしてきた人たちを初めて襲う貧困の実態を描く》
▼ TPPは、太平洋沿岸地区の各国が、アメリカンスタンダードの基準に
 従い垣根を低くしましょう!ということ。確かに競争力は弱肉強食の方が
強くなるが、それは近未来に一強多弱社会になり、中産階級が崩壊し、貧困層になる
ことを意味する。が、今さら鎖国は無理。 アメリカは、全人口の16%にあたる
5千万人の貧困者が存在し、その予備軍が同数あり、人口の三分の一が、貧困と
貧困予備軍に入っている。ちなみに自宅を除く資産が1億円(百万ドラー)を
超える数は2009年には780万人(2・7%)に、資産4億円を超える人の数は17%
増加の98万人、存在する。 米国民全体でトップ1%の収入(年収約3200万円以上)
の家庭収入は全体で6.8%アップ。このトップ1%の人たちがアメリカ全体の
23.5%の富を所有。日本も、残念ながら貧困国に陥っていくことになるが、
この国の体質では当然である。 今さらアベノミクスじゃないだろう! 
  ーで、去年の以下の文章に続くー  
偶然だったが・・ 成るほど、頭と尻尾から腐るというが。
・・・・・・
4297, 知らなかったミスと、知ってて犯すミス
2012年12月21日(金)
「知らないで悪いことをしてしまうのは、知っていて悪いことをするよりも、
 良くないことだ!」
ふと目につき頭に残っていた言葉で、考えるほど面白く深い問題である。
学生時代になるが、ある人物が近づいてきた。純粋でフレンドリーの都会人で、
地方出のアウトサイダー?の存在の珍しさに、新鮮な驚きを感じたようだ。
しかし直ぐにハッとし、その人を遠ざけた。気を許し何か変わったことを言うと、
純粋?のため新鮮なのだろう、彼ら都会仲間のネタにされているのに気づいた。 
他の友人の家庭内や、個人のプライバシーを、本人が居ない時に、聞いたまま、
悪気なく話をしているのを聞いた時に、これは付合う人物でないと確信した。
問題は悪気がないことである。今回取り上げた、「知らないで悪いことをして
しまうのは、知っていて悪いことをするよりも、良くないことだ!」と同じ。 
それを、そのまま書いていること自体、書かれた方からみたら同じ誤りを私が、
ここでしていることになる。人生を一歩ひいて振り返ると、この言葉の重みを
実感する。知らないため、あるいは逆上せ上り、甘い見通しで、多くの失敗を
してきた。それらの失敗原因を、数十年も経った現在でも気づくことが度々。 
以前、卸業をしている知人が「小売をやりたいが助言をして欲しい」と言ってきた。 
 「倒産した店の店長をしていた人物を採用しようか判断に迷っているが、
どういうものですか?」という。そこで、「その経験がプラスとマイナスの
場合がある。思い切り違う分野の人も面白が、素人は、やってはいけないことを
平気でどんどんする危険が大きい。その点で、その人物が持ち込んでくる経験を
上手く誘導できると思えば、採用すればよい」と答えたことがある。 
それにしても知らないことが、あまりに多い。それより、知らないことを
自覚できないで、失敗したミスが多かった。先日、取り上げた「しまった!」に、
その心理が書いてあった。若気の至りの失敗は、知らなかったミスだが、
若気の至りの失敗を多くしなかったことこそ、最大の失敗になる。
ミスは、実践する上で必ず付随するが、要は、ミスの要素を潰しておく
事前準備と、その対処になる。それにしても、震災型の経済変動が、
これほど激しいとは、知らなかった。いや、知りようがないこれは。言い訳か!
 ・・・・・・
3922, 精神力ーその偉大な力 ー12
2011年12月21日(水)
  「 精神力ーその偉大な力  ー 」 ダン・カスター著
  * 取り越し苦労をやめるには
 20歳代半ばまでは取り越し苦労をする方だったが、人生経験を重ねるに従い、
「その時になれば、その時!」という言葉が自然と出るようになった。事前に
考え尽くし、最悪も想定して、その対処を列挙して対策を練った後は、その場に
実際に立って知恵をだすしかない。あんずるより産むがやすし、が現実である。 
この本にも、そのことが書いてある。人生は最善を尽くした後は、なるようにしか
ならないのである。未来を恐れない、後悔しないこと、最後は自分独りであること
を充分自覚することである。  取り越し苦労で、多くは自滅をしてしまう。 
 ー まずは、その部分ー
【 仏教徒は、「感情の王国の二つの悪魔は、怒りと恐れである。怒りは燃える
 激情、恐れは凍る激情である。」と言う。怒り、いきどおり、抵抗は、過去に
起こったことへの非健康的な反応です。取り越し苦労は、将来起こうるだろうと
思うものへの恐れは陰惨な非健康的な反応です。起こってないが、起こるだろうと
恐れることです。それは苦難を求めて手を差し出すことです。その習性は繰り返す
ことで現実になることが多いのです。取り越し苦労が頭によぎったら
「悪魔よ、我が後ろに下がれ」と言うがよい。 ・・人間は推理しうる唯一の動物。
推理することは連想すること。取越し苦労は、その推理をマイナスに使うことです】
▼ 取り越し苦労も、必要な場合もある。しかし、やる前に、自滅して人生その
 ものを無為に過ごすほどの失敗はない。どんな問題でも、その中心点を想定し、
エネルギーを集中し続けていれば、いつの間にか、その問題は解決することが多い。
  ーここで著者は次のように自己暗示の言葉を述べているー
《 私は健康で幸福で自由だ。私の知る最善の方法で、なすように計画されたことを
 している。家族、友人、隣人、仕事仲間を愛している。けんぜんで、そして完全な
創造的な方法で大生命力を表現。最善が私から出ていくので、最善が私に帰る。
愛と善意が不断に私を通して流れ、接触するもの誰しもが私が身を置くあらゆる
ものを祝福する 》 何か、教会で牧師の説教を聞いているようだ。それでよい。
取り越し苦労に身を焼いているよりは。20歳代半ばに、不安の中、誰知れず必死に
読んだ本を40年過ぎた現在に読み返し、納得し、事前、事後を見つめるのも面白い。 
信念、志は心の基礎である。
・・・・・・・
3557, 今までいきてきた中で一番幸せ
2010年12月21日(火)
 1992年に岩崎恭子バルセロナの平泳ぎ200Mで、よもやの金メダルを
とった時の言葉「今までいきてきた中で一番幸せ」を今も鮮明に憶えている。
当時、14歳の中二の女子が、直後発した言葉で注目されたが、時間が経つにつれ、
その言葉に対する反発が声無き声?として世に広がっていった。そのためか本人は
マスコミに出なくなってなってしまった。世の大部分の人は、多くの苦労を背負い、
日向に当たらず消え去っていく。ところが幸運が重なり、あの若さで金メダル。
その一言で一生、その重さを背負うことになった。この言葉は、苦労に苦労を
重ねた末に発する言葉。人生を振り返ってみると、心の中で何度も呟いてきたことか。
他人がどう思おうが、この言葉が芯から発することが出来れば、れで良いのでは
ないだろうか。14歳の女の子が、その時に、そう思ったのだから、世間様が
とやかくいうことではない。ところで、スポーツ選手が色いろの言葉を残している。
長島茂雄は「失敗は成功のマザー」とか、清原の「どん底に入る時は、底をもっと
掘れ、そうすれば、そこはどん底でなくなる」とか。ことをなしたから、
人も注目をするだけ。ところで「今まで生きてきた中で一番幸せのことは、何?」
とは、至高体験から発する言葉。感動、感激の極みである。その経験なら数限りある。
その一つを限定など出来はしない。これも受けとめ方の問題があるが。
 逆に何気なく誰かが言っていた言葉、「これまでの人生で、あまり良いことが
殆ど無かったな〜」を聞いたとき、エッと思った。 同じ体験をしても、感受性が
ないのである。言葉として、それをパック出来ないのではないか。「幸せを感じる力」
が無いのである。「感動、感激を求めて多く経験すれば、その積み重ねが、
更に感動、感激を引き寄せる。それが、「今までで一番幸せ」を感じる経験を多く
もたらせてくれる。 手っ取り早く 「私は幸せ」を口癖にして、心の芯から言える
訓練をすればよい。近くの山にでも早朝に登り、日の出をみて、幸せ!と思えれば、
数限りなく幸せと思えるのである。 傍から見たら御目出度いと見えても、それで
良いのではないか。要は、幸せ感は自分が作りあげていく心情でしかない。
それにしても、最近、溜息が多い! 良いこと三つに、悪いこと一つは仕方ない!   
半々? それは受けとめ方、次第。
 ・・・・・・・
3182, Twitter の意味すること! ー2
2009年12月21日(月)
 私の、この随想日記の一行が大よそ50文字である。ということは、140文字
といえば三行になる。そうすると、「要するに」「つまり」の要点か、本音の
ツブヤキしかない。だから面白いのである。新聞は、500〜1000文字が、
雑誌は、1000〜2000文字が記事としての目安。相手に大よその情報を
伝える場合は、200文字という。それを三分の一の140文字にするのは大変。
だから「思考の断片」か「自然にでた本音」を書くしかない。「つぶやきしろう」
とかいうのもいた。小泉元首相が一言コメントで、国民の心を捉えたこともあったが、
今からすれば、国民にたいするツブヤキでしかなかった。
 ところで、著者はTwitterマーケティング活用の可能性について言及。
その目的を「情報発信・PR」「ユーザーサポート」「ブランディング
の3点と整理。その上で、ユーザーから得られるものとして、「ダイレクトで
リアルタイムな反応」「ユーザーがどこでつまづいてるのか」といった
サポート的な情報、「Twitter上でブームが起きる過程」が調べられるという
3点を挙げている。 またTwitterを「マーケティングには間違いなく使える」
と断言。取り組むべき最大のポイントとして、
・コストが安いことを挙げた。無料でアカウントを開設でき、
 担当者が1人いれば情報発信できる。
・さらにTwitterには「ゆるい雰囲気」があるので、企業もできる範囲で
 取り組む“ベストエフォート”が許される環境にあるという。 
Twitterには面白い発言がフォローを集め、クチコミで広がるためサービス。
「社内で面白く、トラブルに対応できる人間にTwitterをやらせる」ことで
色いろなノウハウが得られる、という。グーグル社が「ユーチューブ」を1500億円で
買収されたが、現在の米ツイッター社は900憶円の価値というから、如何に数秒で
発信できる、この手軽なミニブログの凄みの大きさに驚かされる。
「今の六本木の映像が見たい」と入れれば、六本木のあらゆる場所から、携帯電話の
生映像が見ることが出来るのも一年以内に可能ということになる。面白い時代である。
・・・・・・・・
2817, ケインズの「相場は『美人投票』論」」
 2008年12月21日(日)
 ケインズは以下のように、相場と『美人投票』の類似性と、相違から、
相場の本質を述べている。「玄人筋の投資は新聞紙上の美人コンテスト、参加者は
100枚の写真の中から最も美しい顔かたちの六人を 選び出すことを要求され、
参加者全員の平均的な選好に最も近い選択をした人に賞品が与えられるという
 趣向のコンテストになぞらえてみることもできよう。このようなコンテストでは、
それぞれの参加者は自分がいちばん美しいと思う顔を選ぶのではなく、他の参加者の
心を最も捉えそうだと思われる顔を選ばなければならない。全員が問題を同じ観点
から見ているのである。」と述べている。 結果としてどうなるかというと、
他の者は誰を選ぶか、という観点から予想される者が選ばれることになる。 
この点に関し、岩井克人東大教授は、「その結果選ばれる『美人』とは、皆が美人と
して扱うから皆が美人として扱うという『自己循環論法』の産物にすぎない」という。
 解りやすい例えである。ソローの論は、この辺もヒントになったのか?。
自由経済資本主義のフリードマン的な考え方には、再び戻ることはないとしても、
時間と共に再び規制が緩和、同じような大規模な金融危機が発生する可能性もある。
 それはさておいて、投資と、投機は違うもの、投機は美人投票論に近いだろう。
『儲かると信じて買い、結果として損をして売る』パターンが一般人の結果となる。
上がり切ったところで、逆張りをして反対の流れをつくって暴落させる、これも
あるから、素人が儲かるわけがない。「賭場の八百長ツボふり」と、同じである。 
それもNTTの株売却時のように、国家単位で仕掛けてくる。
 このケインズ美人投票理論を応用したものが、GooglePageRankだと言う。
よく考えるものだ。検索エンジンが、勝手に独自の評価項目を作り上げて選んだ
ページではなく、Webページ同士のリンクという投票行動を、ページのランキング
スコアとして採用したのである。これによって、検索が原始時代から抜け出すことが
できるようになった上に、広告効果が飛躍的に伸びたのである。持っているお金さえ、
国家間では相場で決まることから考えても、金を持つこと自体が投機行為である。
その貨幣が現在、一番不安定ときているから・・
・・・・・・
2007年12月21日(金)
2452, 居場所を見つけたときに人間は変わる −1    (。´_`)ノおはぁ。
人生の中で、しっかりした家庭で育った人は結局紆余曲折があっても元に戻るもの。
人間には何があっても、あなたを受け入れてくれる家庭を必要とする。
そこが本人にとっての居場所なのであろう。以下の短い文章の中に、家庭、夫婦、
人間に必要なことは何かを考えさせられた。 強い父、優しい母、そして喧嘩する
兄弟が必要である。親、教育者、上司として、考えさせられる示唆が多く含まれる。
そういえば、ヘレンケラーの恩師のサリバン先生の指導に似ている。
そうこう考えると、人間には最低の教養と、暖かい家庭が必要ということだ。
ーーーーーーー  「存在の大地」高史明・芹沢俊介上田紀行
 芹沢:
いまの話にも関わってくるような象徴的な話を聞いたことがあります。それは、
一人の青年の話なのですが、物を盗んで仕方がない二十歳ぐらいの青年がいて、
月に何回となく物を盗むのです。それで、何回となく捕まる。ところが警察は
ちょっとした盗みぐらいでは刑務所へ送らない。裁判にまで持っていくことはない。 
彼も「もう二度とやりません」と言っては、また盗みをやる。それでまた捕まる
ということを繰り返していた青年がいました。この青年に対して、ある施設で、
二つの対応策が出てきたのです。・一つは、警察や裁判所をうまく使って、
彼を一度きつい場面へ追い込もうと。強い規律と訓練と指導とがあるような
場所を通過させて、その後に自分たちが引き受けようという方策を提案した人が
いました。ところがもう一人、その案に対して「ノー」と言った人がいるのです。
そして結局、その施設では後の人の案を採用して、青年に対応することになりました。
・彼と対応したのは一人の女性だったのですが、その人が彼にどういう接し方をして
いったかと言うと、とにかく特別扱いをするということをしたのです。
その青年は、いまの言葉で言えば非常にキレやすい人なので、キレたときには、
すぐ一対一になってとことん彼の言い分を聞くということがひとつ。もうひとつ、
その青年は人に殴りかかったりすることはないけれども、大声を出したり、
物を投げたり蹴飛ばしたりして人を威嚇することがあるのです。その場合は、
とことんやりあう。つまり、彼が大声を出せば、それに負けないぐらいの大声で
どなり返す。相手が物を蹴飛ばせば、自分も蹴っ飛ばす。
要するに、喧嘩の相手をきちっとやる。その二つを徹底するのです。
( 字数制限のためカット 2,010年12月21日)

つれづれに

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 今日のYoutube

 冬場、特有のはっきりしない天気がつづく。
今回の大雪、ピークは過ぎ、一度、一月下旬までに
殆ど消えて、再び、同じぐらい積もるのだろう。
例年より、少し前半、多めの降っただけということ。
 
 北朝鮮のドン様、揶揄の映画が上映中止とか。
別に映画化しなくとも、ドン様が太り過ぎて、通風?
で、足をひいて歩いているだけで十分に喜劇。
 いずれにしても、Youtubeで、その一番のサワリが
流されるのだろう。
https://www.youtube.com/watch?v=33Dx9Lm5abQ


・・・・・・
2452, 居場所を見つけたときに人間は変わる -1
2007年12月21日(金)
            (。´_`)ノおはぁ。
人生の中で、しっかりした家庭で育った人は結局紆余曲折があっても元に戻るものだ。
人間には何があっても、あなたを受け入れてくれる家庭を必要とする。
そこが本人にとっての居場所なのであろう。
以下の短い文章の中に、家庭、夫婦、人間に必要なことは何かを考えさせられた。 
強い父、優しい母、そして喧嘩する兄弟が必要である。 
親、教育者、上司として、考えさせられる示唆が多く含まれている。
そういえば、ヘレンケラーの恩師のサリバン先生の指導に似ている。
そうこう考えると、人間には最低の教養と、暖かい家庭が必要ということだ。

ーーーーーーー 
 「存在の大地」高史明・芹沢俊介上田紀行
 芹沢:
いまの話にも関わってくるような象徴的な話を聞いたことがあります。  それは、
一人の青年の話なのですが、物を盗んで仕方がない二十歳ぐらいの青年がいて、
月に何回となく物を盗むのです。  それで、何回となく捕まる。
ところが警察はちょっとした盗みぐらいでは刑務所へ送らない。
裁判にまで持っていくことはないのです。 彼も「もう二度とやりません」と言っては、
また盗みをやる。それでまた捕まるということを繰り返していた青年がいました。
この青年に対して、ある施設で、二つの対応策が出てきたのです。

・一つは、警察や裁判所をうまく使って、彼を一度きつい場面へ追い込もうと。
強い規律と訓練と指導とがあるような場所を通過させて、その後に自分たちが
引き受けようという方策を提案した人がいました。
ところがもう一人、その案に対して「ノー」と言った人がいるのです。
そして結局、その施設では後の人の案を採用して、青年に対応することになりました。

・彼と対応したのは一人の女性だったのですが、その人が彼にどういう接し方を
していったかと言うと、とにかく特別扱いをするということをしたのです。
その青年は、いまの言葉で言えば非常にキレやすい人なので、キレたときには
すぐ一対一になってとことん彼の言い分を聞くということがひとつ。
もうひとつ、その青年は人に殴りかかったりすることはないけれども、大声を出したり、
物を投げたり蹴飛ばしたりして人を威嚇することがあるのです。その場合は、とことんやりあう。
つまり、彼が大声を出せば、それに負けないぐらいの大声でどなり返す。
相手が物を蹴飛ばせば、自分も蹴っ飛ばす。要するに、喧嘩の相手をきちっとやる。
その二つを徹底するのです。

・そして最後にもうひとつ、これがとてもすごいことなのですけれども、
「あなたのことが好きだ」ということを彼に伝えるのですね。
「あなたのことが好きなので、あなたがどんなことをしても、
 私はあなたのそばを離れない」というのです。
そういう対応をしながら、その女性は彼の過去を探っていくのです。
そうすると青年が母さんに捨てられたことがわかってくる。
生まれてすぐに捨てられ、乳児院に預けられる。
乳児院から養護施設を経て成長していくのですが、記録を見て驚いた。
乳児院と養護施設で代わるがわる彼に関わった10人の職員の中で、
誰として彼の長所を挙げた人がいない。欠点ばかり書かれたデータが残っているだけなのです。
あらためて彼女は、彼を特別扱いして一対一で対応することと、
喧嘩をきちっと一緒にやるということ。
そして「あなたのことが大好きで、どんなことがあったって離れない」ということを
伝えるという三つの対応を続けることを心に決めた。さてその結果どうなったかと言うと、
警察に逮捕される回数が激減していくのです。毎月のように何度も捕まっていたのが、
去年は年間を通して四回、今年は10月までに1回といったように、次第に減ってきた。
ーーー

以上だが、夫婦関係にも似ている。
どんなに喧嘩をしても、何があっても別れない。
相手を必要としている、というメッセージを出し続けることである。
相性の悪いのは、仕方がないが、しかし少なくとも対話の訓練、
いや、相手の話を聞く訓練はしておくべきである。でも、相性もあるか?
後記)たまたま、このテーマを取上げたら、去年の同日、家族について取上げていた。
 不思議なことだ!           
            つづく  (。・∀・)ノ゛
・・・・・・・・・
2006年12月21日(木)
2088, 14歳からの哲学-1      才八∋ウ_〆(∀`●)   
   「14歳からの哲学」 池田晶子著 
                   - 読書日記   
「知ることより考えること」と、「人生のほんとう」と、「41歳からの哲学」と、
この「14歳からの哲学」の中から、その都度目についたテーマを考えてみる。
人間として、社会人として、家庭人として、色いろな問題を地頭で考えているから、
そして子供向きに書いてあるから、解りやすく、深いところが考えやすい。
 今回は、
    ー「家族」ーである。 
   「家族」については、家庭崩壊が大問題になっている現在、
    その本質をつかまえておかなければおかなければなるまい。
    家庭内離婚の含めたら半分は家庭崩壊というが、その中で一人一人が
    夫婦とは、親子とは何かをしっかりと把握しておかないと両親の犠牲になったり、
    子供の犠牲になってしまうことになる。

カナダでは親の責任は高校卒業するまでという。
卒業したら学費を夏休みと、冬休みにアルバイトで稼ぎ出すのが常識になっている。
観光地の若い従業員は殆どが大学生の学費稼ぎである。
首相の子供でも、大金持ちの子供でも、もし親が出しているということが知れると、
一人立ちできない人間として軽蔑されるという。
どこかの国の、いい歳をしたフリーターとは「独立心・自立」という面で雲泥の差がある。

    動物の母親の責任は子が外敵に襲われても個体で対処できる時点という。
    その時点を過ぎると、親は子供を冷たく突き放す。
    これは殆どの動物に共通の親子関係であり、例外は人間位のもの。
    本来、人間も当てはめることが自然である。
    
ー著者の「家族」についての章の中の要点を抜粋してみる。なかなか面白い!
 ーーー
世の中にはたくさんの他人がいるが、その一番近い他人が、家族である。
その痛みや心が解らないという意味で、たしかに他人である。
君が君のもともとの君は、誰から生まれたものではない。もともと君自身なのだ。
両親は、あなたの両親ではないというなら、いったい誰なのだろう。

    彼らのほうから考えてみよう。
    彼らにしたって、あなたが生まれたから君の親になったのであって、
    はじめから君の親としていたわけではない。あなたが生まれなかったら、
    彼らはただの彼らであって初めから親という彼らではない。
    この事実を、多くの場合忘れている。誰が生まれるかわからなかったのに
    君が生まれたという、他人と他人のこの不思議な出会いの感動を忘れて、
    君のことを自分の子供だと思い込んでしまう。

親の役割は動物では、子供が独り立ちできるようになるまで、
危険から守って育てることだ。子供が独り立ちできるようになれば、
それ以上手を出そうともしないどころか、逆に突き放そうとする。
それでは動物の親でない人間の親の役割があるとすれば、
それこそが、他でもない、人生の真実を教えることのはずだ。
子供より先に生きている者として、何が危険で、何が大事か、
人はどのように生きるべきかを教える役割がある。
真実とは何かを考え、教えることができるのは人間だけなんだ。
両親が全知全能と思っていたかもしれないが、君が生まれることによって、
初めて親になったんだ。

    完全な親なんて、人間の中には存在しないのだ。
    完全な親であることができるのは、動物の親だけなんだ。
    彼らの目的は生命を全うすることだけだからだ。
    人間としての親は、人生とは何か、死ぬまで考えているのだから、
    その限りすべての人間は不完全だ。どうしてあなたの親だけ完全のわけがない。

ーーー
以上だが、半年位前のこと、帰省していた息子と酒を飲んでいた時に、
酔った勢いでか、「親として、尊敬できない!」と言われたことがある。
その時の私の答えが、「それじゃ、お前は尊敬できる親になれるというのか!」
であった。子供もドッキとしたようだったが。
尊敬できる父親ではないことは確かだが、軽蔑される親でもないはずだが?

   もう一つ。 いま一人の子供が高校生の頃、家内に
   「自分が親になったとき、親父と違って子供には優しくするつもりだ」
   と言っていた聞かされた。かなりショックだったが・・・
   そのときの私の心の声は、
   「しかし、じゃあ御前さんが優しい親となったとして、
   御前さんのような現状で優しくするというのか、
   自分自身そのものが、いまのその結果だろう」だったが・・・
   尊敬できる親が存在したら見てみたいものだが、多いのかも知れない。
   尊敬できる親と、優しい父親か~。それより黙って温かく見守る両親が望ましいのか。
   家族は、外の社会の多種の他人とどう付き合っていくかを予習する場所。
   よりにもよって、自分の両親の縁で生まれたことの意味を考えると面白い。
   たまたま縁あって両親の下に生まれてきただけ、
   自分というこれ!は、親から生まれただけであって、
   「本人そのもの、そう自分自身でしかない」のだ。
   なぜ、この親の元で生まれたか、この親から何を学べばよいのか?
   考えれば考え尽きることはない。ただ私の場合は、両親には恵まれすぎるほど恵まれた。
    
黙って温かく見守る父親は、家庭が子供にとって社会への予習の場と見れば
最低の父親ということになる。社会は温かくは見守ってはくれない!むしろ逆だろう。
そうすると、時に厳しく、時に優しく、そして温かくすればよいが・・そうはいかないものだ。

    教えられるのは生活姿勢と、生きてきた生き様と、やはり人生の真実である。
              (+>∀<+)ノ ホンジャ~
・・・・・・・・
2005年12月21日(水)
1723, ベルグマンの法則
             オハョョヨヨ∃"ヽ( ゚∀゚)ノ"ョョヨヨ∃ゥ!!
生物学上の法則に「ベルクマンの法則」がある。
  哺乳動物の分布と体の大きさの関係を表した法則で
  「近縁のものが南北に渡って分布するときは、
   寒い地域に生活するもののほうが、体が大きくなる。」というもの。
     例えばクマでは (。'(ェ)'。)ノ♪
   北海道のヒグマと本州のツキノワグマではヒグマの方が体が大きい。
    ホッキョクグマ 体長3.5m 体重400~500kg
     ヒグマ 体長 2m 体重300kg     
      ツキノワグマ 1.5m 体重60~150kg
       と、極端に北にいくほど大きくなる。
                     ☆━━━…‥‥ソウカ~('(ェ)'ヽ)
   その理由は、体重の大きなものは小さいものに比べて体表面積の割合が小さく、
     それだけ保温効果が大きいから。 もっっとわかりやすく言うと、
      大きな鍋と小さな鍋ではどっちがさめにくいか、考えてみるとよくわかる。

 他にも「アレンの法則 」というのもある。      
  キツネやアメリカのウサギ類の耳のように、    m9(`ω゚)  (*`ω´)
  「より寒冷地に行くに従って体の突出部が小さくなる傾向がある」というもの。
    突出部が小さいと熱の放散量が多く、突出部が小さいと放散量が少ないためだ。
      
  さらに「グログラーの法則」というものもある。
    哺乳動物の分布と体の色との関わりを表した法則。
    「近縁のものが南北に渡って分布するときは、
     北に生活するものがほど体色が薄く、白っぽくなる傾向にある」というもの。   
     ∥┓  ((  
    (_)  匚P  
    ━┻      
       人間もほ乳類だから、この原理は当てはまる。確かに北国の人は色が白い。
          中間のアジアは黄色で、南にいくほど黒くなる。 
          
 旅行してきて気がついたことは、カナダや北欧で黒人やインド人をほとんど見かけない。
  体質的に合わないのだろう。
    
 ・・・・・・・・・
 2004年12月21日(火)
1358, あなた、ここにお座りください

「あなた、ここにお座りください」夫に出て行けといわれた妻が、
「私の大切な物を一つ持って行きます」と風呂敷を広げた後にこう言ったそうです。 
 昨日の朝日新聞の一面広告の中の、思わず手帳にメモをしたくなる
「身近な人の名言・格言」と「手帳・日記・家計簿の商品企画」の大賞受賞作である。
 他にも幾つかあった。
   ーーー
・立ちどまることも  ひとつの「動き」である
  ー中学校の全校集会で先生が言った言葉。
 ーーー
・子供は親の思いとおりにならないけれど、心配どおりにもならないものだ。
  ー5歳の子供があまり文字などに興味を持たないことが気になっていたとき、
    近所の先輩お母さんから聞いた言葉。
 ーーー
・思うに、どこ向いていようと 自分が向いている方が前なんよ、きっと。
  ー以前、心の病気で入退院をくり返していた頃、
  「私はどこを向いて走っているんでしょう」というメールに友人が返してくれた言葉です。
 ーーー
・「あー」「まー」「ぶー」、
  三つの言葉で君は世界の全てを表現してしまう
  ー主人が一歳の娘に対してつぶやいた言葉。
  ーーーーー
面白いと手帳に書こうとしたら、手帳メーカーの宣伝広告であった。
 この軽さと、身近さが良いのだろう。

「あなた、ここにお座りください」
  この余裕と一瞬の合い間こそ、人生で一番必要なことである。
  遊びの言葉のないことから生じる不幸も多いものだ。
ー私の場合は
「あなた、ここにお入りください」
 
夫に出て行けといわれた妻が、
  「家の腐った粗大ゴミを捨ててから出て行きます」
   とゴミ袋を広げた後にこう言ったそうです。 となりそうだ。
    丁度、去年の同日の日記に連動している。

         お後はよろしいようで・・・
・・・・・・・
2003年12月21日(日)
991, 離婚事情ー2

2日前に長岡の大手通りの市役所サービスセンターに印鑑証明をとりにいった時、
 隣りの市役所相談室という小さなコーナーに電話がかかってきた。
  老齢の相談員の話し声が聞こえてきた。
  「ハイハイ、・・・・・、ところで貴女の年齢は幾つなんですか?
   エッ74歳!その歳で離婚ですか。何をいっているのですか、いいを歳をして」
    その声を背にして帰ってきたが、何か切ない思いが残った。
     数軒先の近所の人が最近60歳を過ぎて二組離婚をしたとかいう。
     以前も離婚について書いたことがあった。
     家庭内離婚を含めて、5分5分とは恐ろしいことである。
    ということは、この文章を書かない方がよいのだが。
 
   一番に身近にいる他人が連れ添いである。
  それが一つ屋根に住んで、舅姑などの圧縮された人間関係の中で
 二人の権力闘争が絡んでくるから一層難しい問題になる。
 その人の全て圧縮されたのが夫婦問題といってよいだろう。
 一つ間違えばお互いの人生の破滅も待っている。
 以前、取引をしていたメーカーの社長は玄人向きの女好きだが、
  その結果として奥さんに「?病」をうつしてしまった。
   離婚はしなかったが、酷いものだ。 この人の過去をみていると、
     一番世話になった人の裏切りの積み重ねであった。
     勤めていた会社の取引先や同僚を奪っていた。

     「自分とは何かを考えるということは、他人とは何かを考えることである」 
    その一番身近な他人が連れ添いということになる。
   浮気や、可処分所得の分配、お互いの身内との人間関係などで、どうしても
  自分と他人の関係の接点でトラブルが生じてくる。
 ある仲睦ましい老夫婦にその秘訣を聞いたところ「我慢、我慢、我慢・・ただ我慢!」
 と答えたというジョークのような話しがある。
 子供の頃両親の喧嘩も何回か見てきた。親の喧嘩は一番子供の心を傷をつけるものである。
   子供の神経症は、殆ど両親の不仲からきている。
    以前、遠い親戚の老齢になってからの離婚のことを書いたことがある。
     やはり、その子どもは神経症で病院通いをしていた。
      離婚経験のスナックのママさんを見ていると、
      結婚は大事にしなくてはならないものだと実感する。
     しかし「合わないのは合わない!」のはよーく解るが!
    当たり外れは5分というのも神様は酷な課題を与えたものだ! 本当!
 以前書いた文章です。
ーーーーー
533, 離婚事情
2002年09月28日(土)
ー字数の関係でカット(2007・12月21日)
  
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2002年12月21日(土)
617,パタゴニア旅行記(タンゴ)ー4

アルゼンチンタンゴがすばらしい!
 昔はブエノスアイリスは女性が少なく、その憂さを晴らすため船員同士が
  女のふりをしてエロッチクな踊りをふざけて踊ったのが由来という。
それが波止場近くの娼婦の売り込みの踊りと変化していった。
 そして、その踊りが西欧の人達に認められていった。
  従って内容はエロチックで情念丸出しのものであった。

ブエノスアイリスで一番の1400人収容の店で、
 ショーが2時間以上にわたって繰り広げられた。
  全く期待をしていかなかったのが良かったのか、
   初めから終わりまで拍手喝さいのすばらしいショーであった。
    お客の全員が感動に包まれ、アンコールの連続であった。
今まで見たショーで一番の感動と言ってよい。
 辛口のツアーの同行者もこれだけは絶賛をしていた。
  この旅を締めくくるに最高のイベントでもあった。
   写真を見てもらえれば解るはずだ。
    よいのはダンサーが一番楽しんでいる事だ。
 この旅行は心に多くのものを残してくれた。

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2001年12月21日(金)
276、べきことを、べき時に、べくすべき

ーべきことを、べき時に、べくすべき
 昔からこの言葉が好きだった。
 「時節到来」ということか。その時その時の何かの時節がある。
  それを見つけ、積極的に挑むということだ。
   昨日書いた「後回し」の諌めでもある。

学生時代は勉強を、働く時期には働き、引退すべき時は引退をという事だ。
 これがこのまま出来ないのが人生だ。あるいは社会だ、それだから面白いのだ。
  その時のすべきことが見えなくなってしまうからだ。

   その意味で家族、親の果たすべき役割は大きい。
    結局それを刷り込むのが親の教育だからだ。親として耳が痛いが。
   その世界に埋没してしまうと、べきことが見えなくなってしまうケースが多い。
  常に変化に対し、チャレンジと闘いをしつづけていく姿勢が必要だ。
 その時々、基本としてウオームハートとクールヘッドが必要だ。
いつもウオームヘッドとクールハートになっているからだ。

・・・・・・・
ある時間の断片
12月21日  ー1968年
 昨日に続き、今日も空白になっていました。
 明日からは続いています。
(おそらく卒論の最後のまとめで、
  書いている余裕が無かったと思います)