「変えてみよう!記憶とのつきあいかた」ー高橋雅延著
  * 万能薬としての「語り直し」
 このところ、ー「事業人生の45年」の語り直しーを書き始めたが、何故か心が重い。
気持ちの中で目的のため、多くを切り捨ててきた部分を違う視点で見ることになるからだ。
しかし、一つのことを得ようとしたら、それに見合うだけを捨ててかからないと、
何も得ることができない。万能薬として「語り直し」も、劇薬にもなってしまう。
これまでの記憶のありようを現在の主観的経験で変えようとするのが、「語り直し」である。 
 ーその辺りから
《 その人の立ち位置によって、同じできごとでも違って解釈できる。だから、過去のどんな
 できごとも、必ず違ってみることができることを、肝に銘じて賜おくことが必要だ。その上で、
ある過去のできごとについて意味づけを変えるためには、そのできごとを、それまでとはちがう
ことばで語り直さなければならない。世間には「時間が癒す」という言いまわしがある。
ここで、見過ごされがちなことだが、「時間が癒す」のは、単に時間が過ぎ去るからではない。
時間が過ぎ去る間に、人はそのできごとについて何度も考え、悩み、さらには新しい経験をする。
このことによって、元のできごとの意味づけ、語りかたが変わるからなのだ。 ・・(中略)
「記憶をつくり変えたり、それを遠ざけるのは無理なことである。・・(略) 
しかし、―つねにー私たちは、自分の苦悩、自分自身の内的経験、自分自身の精神の経過を
処理しているわけである。それは、過去とよばれる客観体ではなく、現在とよばれる主観的経験である。
変える必要があるのは、誰か他の人間ではない。最も大きく影響されているのは、私たち自身である。
記憶をぬぐい去ることはできないが、記憶の有りようを変えることは可能なことを、私たちは知っている。」・・》
 ▼ 現在、連続シリーズで書き始めたのは、「語り直し」だが、それより、全く忘れていた
  記憶の書き加えが多くなる。それが、書き直しということだが、太い幹の記憶から、忘れていた
 細い幹と小枝と葉っぱ記憶が出てくる。その記憶が新たな気づきを喚起する役割なってくる。
 若い時分は、誰も経験も知識の絶対量が足りなく、ただ漠然と日々を過ごすしかなかった。
 あるのは、何とかなるのでは?という、儚い想いだけ。語り直しは内省そのものになる。
・・・・・・
4456, 一日5分「簡単ヨーガ」健康法 ー4
2013年05月29日(水)                                       
  * 1日目 "胸を開いて積極的に    『 一日5分「簡単ヨーガ」健康法 』ー番場浩之著 
A・完全な呼吸法をする体位……40       
 1、基本体位=仰向けに寝て、脚を少し開く。両手は臍の上に置き、親指と一さし指で三角形を作る。
  「静かな一息」−>「軽く一息」で息を出し切りながら、足の甲と膝裏を十分に伸ばす。
  顎も引いてウナジも伸ばす。
 2、お腹と脚を緩めると自然に息が入る。さらに「深く一息」を入れながら、バンザイをするように
  両腕を左右45度に開いて上げ、手指を開いて肘を伸ばす。次に、膝裏を伸ばしながら、足先を手前に
  引っ張るように足裏を反らし、足指も充分に開く。この状態を保つ。
 3、ゆっくり息を出しながら、手を元に戻して「基本体位」で「軽く一息」。
 4、もう一回、1〜3を行い、最後に「軽く一息」−>「静かに一息」−>「各自の一息」で整える。
B・背骨をねじる体位(腕で半円を描く)……47
 1、基本体位=仰向けに寝て両足を揃え、手のひらを上に向けて腕を横に伸ばす。次に右手を左の手の平に
  重ね合わせて左脇を下に横向きになる。次いで右膝を曲げて床につけ、足裏を左膝上部にあてがう。
  右腕を顔前の床に伸ばし、左手は右膝にあてがってしっかりつかむ。
 2、「静かな一息」−>「軽く一息」の後、「深く一息」を入れながら右腕を垂直に上げ、腰を入れる。このとき、
  入息に合わせて指先はきちんと揃え、肘もまっすぐ伸ばす。
 3、息を出しながら足指を握り、左膝裏を伸ばして腰をしっかり入れて意識しながら、右腕を背中側に押し倒して
  背筋をねじる。ここで、出息に合わせて、足先から手指先までの「大地のアパーナ気」の流れを感じながら行う。
  (膝が床から浮かないように注意し、首もねじって右手先を見ながら行う)
 4、戻すときは、まず息を入れながら腕を垂直に上げて腰を感じ、次に、ゆっくりと息を出しながら、
  丁寧に1の姿勢に戻す。「軽く一息」したら、もう二回2〜4を繰り返す。計三回。軽く一息、
  静かな一息、各自の呼吸で、息を整え手、右腕側が終了。
 5、向きを変えて、反対側も、同じことを繰り返す。
▼ 座位で呼吸する他に、仰臥の姿勢で身体を伸ばしたり、捻って呼吸することで、「大地のアパーナ気」と、
 「天のアパーナ気」を取り入れる行(ポーズ)である。ヨガの実習は、前屈、反り、ねじり、直立、
 完全弛緩、座法の姿勢を意識的に繰り返す実習で本来の姿に戻すことを目指すもの。
 特に、一日目の、この二つは、基本中の基本である。これを身に着ければ、ダイナミックな「気」を
 引き出すことが出来るはず。そういえば、学生時代の合気道に、ヨガの呼吸法に似たところがある。
 合気道は相方と呼吸を合わせて気を練る。それに対しヨガはあくまで己独りの世界。 合気道の基本技には、
 「前屈、反り、ねじり、直立、完全弛緩、座法の姿勢」の全てが含まれている。
 ヨガの「大地のアパーナ気」と、「天のアパーナ気」を取り入れる行(ポーズ)も、20年位前の
 早朝ウォーキングの途中の橋の上で、天に両手を上げて天の気を取り入れ、それを、大地の底(地球の芯)に
 吸い込ませる呼吸をしていた。ところが、暫く休んでいたら、地球の芯が「ひさしぶり!」と反応してきた。
 あくまでも擬人化した対自か即自だが、現在では「球芯様」と名づけて、早朝のミニ・サイクリングの
 自転車上の自己対話の相手にしている。 
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4082, 老いの見本帳ーダークサイト −5
2012年05月29日(火)
  * 老いと勘違い         「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日 武彦 (著)  
 ここで、著者は長いページをさいて、中原文夫の「本郷壱岐坂の家」を紹介しながら、「老いと勘違い」について書いている。
 その概略を紹介しながら、現在の私の心境と、老い、そのものを考えたい。
≪ 主人公は多摩川沿いで大会社でないとしても、180人ほどの会社を持っている会長。 息子が社長で、妻も元気で、事業も順調である。
ある日、涼子という20歳の女子社員が給湯室で三人の女子社員から詰られている場面に出くわす。その時、70年前の記憶がよび戻る。
14歳の時に家に家政婦できていた、同じ年代の中山スズという娘を思い出す。別に女性として意識はしてなかったが、何故か意地悪をする。
その女性に似ていたことと罪滅ぼしの感情もあり、強引に自分の秘書にする。そして会長職もあり、仕事内容は私用が中心になる。
妻とともに、その女性を身内同様、可愛がっていた。ところが、ある日、会社で火災が発生する。息子の社長の話だと、どうも、涼子が
火を放ったらしい。 彼女の話では、その間接責任は主人公の会長にあるという。 総務部長の自宅に電話をしてきて「勤務以外の時間に
私用で拘束し、休日は自宅に呼びつけ調理をさせたり、女中代わりに使っていた」という。 すべての好意が歪曲され、悪意で色づけ
されているのに呆然とする。
 その彼女から電話が鳴る。罵詈雑言である。その頃、苛めた中山スズの娘から、一通の手紙を受け取る。スズは既に亡くなっていたが、
死後に、手紙を届けて欲しいと言われていた。その手紙の内容では、あまり幸せでない生涯だったが、主人公と、その父親に対する深い
感謝の言葉が並んでいた。あの二年間が人生で一番幸せだったと。 そこで思う、「俺はどういう人間なのだろう。思い当たる節もなく、
他人から慕われ、そしてまた、かくも憎まれるということは、これは立派な罪ではないか。 ・・・主人公は、これ以上ないおぞましい
感情を突き付けられ、縋るように本郷壱岐坂の家とスズのことへ、思いを寄せる。スズという過去の娘と涼子という現在の娘、それぞれ
互いに感じ考えていたことが全く違っていた皮肉を綴っている。 ・・・精神科医の立場のコメントは、涼子のような女性は世間に一定の
割合で偏在している。ある種の人格障害には、まぎれもなく彼女のように「最初は普通に見えたのに、ある時、豹変して相手に憎悪を
ぶつけ、今までは耐え忍びつつ演技をしてきたと言い放つ」といった類型が存在をする。それは往々にして相手に深い精神的ダメージを
与える。それによって、もはや人間そのものを信頼できなくなってしまう。・・・ ≫
 ▼ 現在の私の置かれた立場は、オセロゲームで、最後のコマが黒になり、それまでの白が一挙にクロに変わってしまったようなもの。
  しかし、いざ、そこで見据えてみると、自分より、他の人たちの豹変を冷笑し面白がっている視線がある。人生など、全て勘違いと
  思い込みで出来ているに過ぎない、その自明なことが漫画的に現れ出るからである。 そういえるのは、リスク管理をしていて、
  目先の生活に困窮しないで済んでいることもある。事業を立ち上げることは、強力な思い込みを形にすることである。そこには、
  当然、勘違いも多く付随するが、消化していくしかない。しかし、最後がクロになると、全ての出来事は、クロの要素になる。
  といって、それも物語である。要は、後悔しないよう務めるしかない。人生は本来、勘違いで成立している。気づきたくないが!
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3716, ジャズについて −10
2011年05月29日(日)
         ー 「音楽の本」三枝成彰著 より
   □ 黒人アーティストからの反撃  ー「ハード・バッブ」って何 ?
 * ソニー・ロリンズセロニアス・モンクチャールズ・ミンガスのユニークな活躍
【 五〇年代中盤以降、ニューヨーク周辺のビバップの流れをくむ黒人アーティストの間から、クール・ジャズの知的な弱々しさを
 圧倒するかのような、たいへんに勢いのある力強くエモーショナルな演奏スタイルが生まれてきた。
  これを白人ウエスト・コースト派に対する黒人イースト・コースト派の巻き返しととらえ、一連の傾向を「ハード・パップ」と呼ぶ。
 4ビートがより鮮明になり、アフター・ピートも強調される。ハード・パップ・スタイルの特徴を一言でいえばこうなるであろうし、
 「ファンキー」とか「ソウル・ジャズ」と呼ばれることもあるが、レッテル貼りはさておき、この時代に活躍したアーティストについて
 見ていこう。 一九五六年に有名な三つのアルバムがリリースされた。 ソニー・ロリンズの『サキソフォン.コロッサス』、
 セロニアス・モンクの『ブリリアント.コーナーズ』、チャールズ・ミンガスの『直立猿人』である。
  ソニー.ロリンズ(一九二九〜)はチャーリー・パーカー亡きあと、即興演奏の可能性をさらに押し広げたテナーサックス奏者である。
 『サキソフォン・コロッサス』は日本のファンが「サキコロ」などと呼ぶ定盤中の定盤。彼の演奏は、豪快でおおらかなトーンの中に
 時折ユーモアのセンスも感じさせ、なによりもヒューマンな魅力に満ちあふれていた。
  セロニアス・モンク(一九一七〜一九八二)は、ビバップ創始者の天才であるが、孤高の道を歩む。マイルスとのレコーディングで
 大喧嘩をしたという逸話が残っているほど、彼のピアノ・スタイルはずば抜けてユニークであった。ソロ・アルバムが多いのはそのため。 
 彼は私生活でも時折、意味不明のことを口走るような変人といわれ、七〇年代はじめに 重病で倒れたあとは、二度と世間にその姿を
 見せることはなかった。しかしモンクには好き嫌い抜きで聴ける「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」
 「ストレート・ノー・チェイサー」などの有名な曲もあり、その評価は後年に高まっていくことになる。
(字数制限のためカット 2012年5月29日)
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3351, 3339, 2011年新聞・テレビ消滅  −4
 2010年05月29日(土)
  * さあ、次はテレビの番だ!
 ・この本を読み、・Youtubeを本格的に見て、・高機能のHDRハードディスクレコーダー)を設置して半年たった。
テレビ局が消滅か大幅なダウンサイズする現実を実感するようになった。 新聞社もテレビ局も風前の灯である。 
まず驚いたのが、HDRである。大容量のHDSを半年前に買ってWoWoWを中心に、番組をどんどん入れているが、まだ容量が残っている。
もちろん見たものは消しているが、それ以上に録画している。取りあえず満杯になるまではと思っていたが、満杯にはならない) 
録画されているのは見たくとも見切れない面白そうな「私にとって90点以上」のものばかり。 面白そうな番組が無いときは、
それを見ることになる。 それはタイムシフトをして見ていることになる。 これまでは、面白くないが他にないから見るか〜
というのが皆無になったのである。 次に最近、急に興味を持ちだした YouTube。 面白くない時は、だいたいは居間にある
パソコンを向かっているが、それが、時々YouTubeを見だしたのである。 これが面白い! キーワードを入れると面白い映像が
次から次へと出てくる。 数年前に、そのYouTubeを買収したGoogleが、ソニーと提携をして、ネットパソコンを
共同で開発するというから、TV局にとって致命傷になる。 さらに、タブレット方式のパソコンの普及がある。
これは居間と部屋で釘付けにされていた視聴パターンが変化することになる。台所や、庭、そして外で見ることになる。
そこにはネット経由の映像が流れる。 これも、さらに総合テレビ局にとってマイナスになる。だらだら流し見していた
テレビの見方が変わることを意味している。その結果、スポンサーはTV局から、サイトの方に変化する。
NHKもさえも大きな岐路に追い込まれることになる。情報革命はテレビ局でさえ飲み込んでしまう。iPadの出現は更に世界を変える!
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 2976,縁は異なもの  ー2
2009年05月29日(金)
「縁は異なもの」 河合隼雄 白州正子 対談集   
  * 能とは
 能といえば高校時代に講堂で学習の一環として見せられたが、「奥行きの深い、そして面白いもの」と感動をした
記憶が鮮明に残っている。その後、TVで何度か観たが初めほどの感動は無くなっていた。生とTVの違いもあるのだろう。
 ーこの本の中の、白洲正子の「能」の説明が解りやすいー
《 能はその昔、「猿楽」といって、平安時代ごろから行われた民俗芸能でしたが、室町時代になって、当時流行していた、
ほかの舞踊や流行歌を取り入れ、ひとつの芸能に集大成したという意味です。 そういうふうにして総合されたお能は、
大きく分けますと、舞と歌によって構成されています。歌の部分を舞もしくは謡曲と呼び、芝居の脚本に相当します。 
   (字数制限のためカット 2010年5月29日)
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2612、 佐藤優の速読術について
 2008年05月29日(木)
国家の罠」「自壊する帝国」の外務省のノンセクション作家である佐藤優の「速読術」の方法、考え方が面白い。
ーまずは、その概要を私なりにまとめてみた。
・速読法は、基本書を完全にマスターしているから可能であり、基本データが完全にインプットされていない分野では、
 無意味である。ヒンズー語を知らないのに、その文献をいくら捲っても理解できないのとおなじことである。
 受動的勉強を充分に勉強した上で能動的な速読法ならわかるが、そうでないのは無理がある。
・読書術として、難しい本に二種類あって、*一つは理論がでたらめで難しいフリをしているもの。
 *いま一つは議論の積み重ねで構成されているから時間がかかるが、読んでいけば知識が得られるもの。
 何故、速読術が必要かといえば、読むに値しない本を見分けるためです。 速読法とは、自分の周辺に押し寄せる、
 いい加減な情報を波打ち際でたたく方法である。 つまり一年でどれだけ熟読できるか計算をして成り立つ。
 月二冊熟読するのが限度でしょう。その本を熟読するために他を速読するという逆転の発想です。
・速読をすれば知識がつくというのは嘘です。知識は熟読によってしか得ることが出来ません。
 速読は自分が持つ知識以外のものが出ているかどうかのチェックする手段に過ぎません。
 速読術は熟読術にあるということです。読まなくても良いものを精査するためのものです。
・速読術には厳密に分ければ「速読術」と「超速読術」の二種類あると思います。
 速読術は鉛筆を使って判断しながら読む方法で、400〜500ページの本に2〜3時間かかります。
 超速読術は、飛ばし読みで、純粋に新しい単語を拾って、大づかみで内容を把握する方法で、
 10〜20分ですみます。最初と最後、そして目次を見ること。
・「興味力」の赴くままに濫読すること。何でも興味を持つことが重要。
   =「国家と人生」寛容と多元主義が世界を変える= 竹村 健一 佐藤 優より
▼ 熟読によってしか知識は得ることが出来ない、というのは良くわかる。 もう一つは「繰り返し」である。
 ところで私も似たようなことをしている。 長岡と新潟の図書館に週二回行き、面白そうな本を借りる。
そして、これはと思うものは、直ぐにアマゾンで発注する。そして、本に取りあえず織り込みを入れる。
自宅の居間と会社の机の上に三十冊は並べておいて、とにかく超速読をする。そして、その中で、これはというのを、
この随想日記のネター読書日記に書く。熟読するものはトイレにも置いておく。 だから、ネタにはならない。
私の場合は、とにかく繰り返し本を開くことにしている。だから、居間にも常に本を横に置いている。
せっかく地球に旅に来ているのだから、地球上のことを知らないと。それが、動機である。
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2007年05月29日(火)
2247, 女性の品格            (*´・ω・)ノおはよー
 NHK/TVを見ていたら「女性の品格」の著者の坂東真理子氏のインタビューがあった。昭和女子大の副学長で「女性の品格」
という講義もおこなっていた。私自身はさておき、品性のない人間は大嫌いときている。学歴や肩書きや収入とかでなく、
その人の持っている生まれながらの品位は、どうしようもないものである。その人のもって生まれた何かである。
この本の中で、強く、優しく、美しい女性になるための「66の法則」を挙げているが、
ーその中で幾つか選んでみたー
 上品な女性は、
・礼状が書ける  ・約束をきちんと守る  ・型どおりの挨拶ができる  ・長い人間関係を大切にする
・流行に飛びつかない  ・姿勢を正しく保つ  ・贅肉をつけない  ・プライバシーを詮索しない
・よいことは隠れてする  ・愛されるより愛する  ・得意料理をもつ  ・恋をすぐに打ち明けない
・人に擦り寄らない  ・礼を尽くす
 などなど、ビジネス、装い、話し方、恋愛にいたるまで、女性としての振舞い方を具体的に示してある。
何げない日常の立居振舞いに、女性の生き方と品位はおのずと表われるもの。
自分を卑下しすぎず、もちろん、うぬぼれず、「等身大の自信」を持つことである。
「強く優しく美しく、そして賢く」と示しているが、人間として「凛とすること」である。
    (字数制限のためカット 2010年5月29日)
 女性の品格?装いから生き方まで   PHP研究所 ・坂東 眞理子【著】 (*・ω)ノβψε★βψε
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2006年05月29日(月)
 1882, 新潟県活性化案ー2  おっ w(゜Д゜)w ハァョ?
この活性化案をベースに5月16日、私の事務所で14名が休憩二回をはさんで5時間にわたり議論をした。
利害と直接関係ない新潟県に対する危機感を持った参加者が多かったため、内容は濃いものとなった。 
(字数制限のためカット 2012年5月29日)
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2005年05月29日(日)
 1517, 酒中日記ー2
この本の面白そうなところを抜粋してみる。 作家の文章を書き写すということは、
文章のレッスンをしていることになる。    (字数の関係でカット09年05月29日)
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2004年05月29日(土)
 1152, 「老い」を考えてみる ー2
昨日の新幹線で読んでいた藤沢周平の「海鳴り」の中に、老いに対する思いが偶然そのまま書いてあったが、
彼の思いがそのまま伝わってきた。 (実際こういう偶然があまりにも多く、自分でもびっくりする)
(字数の関係でカット11年05月29日)
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2003年05月29日(木)
 785, 一期一会(すすき野の夜)
 昨日書いた異業種の人達との札幌のススキノの夜の話である。 二次会もバラケてしまい、残った四人で「すすき野」
に行くことにした。せっかくの札幌の「すすき野」の夜、入るなら一生に残るようなエキサィテングな店がないかと
数軒の店を覗いていたら、何か異様な賑わいをみせている店があった。すぐ団体が帰るというので少し待って入った。
(字数の関係でカット13年05月29日)
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2002年05月29日(水)
 421,世間とはー2
前回では「個人が確立されてない日本では社会が存在し得ないのでないか。
そしてその代わりー世間ー存在している」と書いた。 
(字数の関係でカット11年05月29日)
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2001年05月29日(火)
 [35] 一人暮らしのあの頃
今日は新潟市内で、終日長男(堀井大)のアパート探し! よくあれだけ部屋があるものだとビックリ! 
部屋の中に人生を感じた。一人部屋にある何ともいえない哀愁を! 私にもあった一人生活の侘しさと緊張感。
いつも鏡を机の上に置き、独り言を言っていた侘しさ。でも自由のよさ。
何かタイムマシーンで三十数年前に戻った感覚であった。

つれづれに

イメージ 1

他のブログ
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/54909/
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 今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=IoZo43bO_5o
http://www.youtube.com/watch?v=9MtdxIlefDE
http://www.youtube.com/watch?v=_ZR_tKgDMnc

 この時期になると、スポーツセンターは閑散となる。
田植えのためか、暑さのかげんか? 昨夜は、暑さのためか目がさめる。

 昨日、小学校の同級生から、同級会の連絡が入る。 場所が、天皇様が宿泊する
当日のホテルの一階にある居酒屋。 別に関係ないことだが。
 そういえば、町内の回覧板に、何処かで集合して、提灯?を持って宿泊先のホテルの
周りを行列してねり歩くのの誘いのパンフレットがあった。 物好きな人もいるのだろう・・・


・・・・・・・
1882, 新潟県活性化案-2
2006年05月29日(月)
       おっ w(゚Д゚)w ハァョ~
この活性化案をベースに5月16日、私の事務所で14名が休憩二回をはさんで
5時間にわたり議論をした。利害と直接関係ない新潟県に対する危機感を持った
参加者が多かったため、内容は濃いものとなった。
 色いろな職業の人がバラエティーに散らばっていたため、それぞれの立場からの
視点が丁度よいバランスになっていた。内容としてベストといってよかった。
 2010年の富山まで北陸新幹線開通後の新潟県の危機は深刻である。
さらに2014年には金沢までオープンする。その時、上越新幹線は北陸三県を背後にした
北陸新幹線の枝葉になってしまう。今まで何故飛行場まで新幹線を通さなかったのか?
アジア大陸の窓口としての拠点都市つくりをしてこなかったのだろうか?
 この議論をした翌日、新潟東港~新潟空港~トキメッセ~寺泊を見てまわった。
特に新幹線の延長可能な「廃線した貨物線」をみたが、そこを生かせば
それほどのコストはかからない。20年前に新潟空港まで新幹線を開通していれば、
日本海拠点都市宣言をして都市づくりをしていれば、全く違った展開になっていたはず。 
 今さら遅いといっていられない事態である。
高崎から新潟県に新幹線を開通させるという大プロジェクトではない。
あと10キロ足らずの新幹線を延長させるだけで、
「全く違った性格を持つ世界稀なる首都から直接乗り入れの新幹線になる」
ということが解らないのだから、角栄以後の政治家のレベルの低さに呆れてしまう。
 飛行場周辺と新潟駅の一体化を図るべきだ。そのためには、骨太の奇策と思える
計画が必要である。新幹線の延長したレールを共有して新交通システム
 ー新潟駅~新潟空港間に動くエレベーター(新交通システム)ー
をつくり、一体化すればよい。ただしコストを安くすることだ!
羽田の新交通システムも周辺住民が多く利用しているではないか。
新潟空港周辺をみてまわったが、その自然環境は素晴らしい。
そこと新潟駅周辺の集積された商業集積を結びつければよい。
 テーマパークのロシア村をつくったり、新潟駅の再開発に千数百億も投資するなら、
せめて10年前に飛行場に新幹線を乗り入れ、その周辺にサッカー場や、
流通団地、専門学校や大学の特区地区などに集中投資すべきであった。
岡目八目ではないが、私の知人が呆れるのも解る。
 ー以上、新潟県活性化案を補足するものである。
             ゝд・) ノ バイ バイ!
・・・・・・
2005年05月29日(日)
1517, 酒中日記ー2
 この本の面白そうなところを抜粋してみる。
作家の文章を書き写すということは、文章のレッスンをしていることになる。
絵でいう写しをしていると同じことである。
「上手い文章を書いているな~!」と、読み過ごすことと、書き写すことは全く違う。
写すということは、主体的に変化する。だから、このように時間をかけるのである。
ーその後の文章を抜粋してみます。
それにしても作家の文章は上手い!
ーー
黒岩重吾
ー飛田にひとり

某月某月
大阪の西成界隈をバックにした小説を書くので、久しぶりに飛田の近くに飲みに行った。
私は西成の小説を書く時は、必ずその前に散策をしてみることにしている。
十年前に、私がいたころの飲み屋は殆どなくなっていた。
大門通りや飛田商店街の飲み屋は殆ど残っているが、私がよく行ったのは屋台だったから、
水の泡のように消えてしまっている。
ただ一軒、飛田駅の近くに消えずにあった飲み屋に行ったが、女将の顔が違っていた。
私はビールを飲んだ。ここにも娼婦らしい若い女がいて、女将さんとしきりに話している。
遊んだ女を覚えていて、その女のことをしきりに尋ねたらしい。
ひんがら眼の女らしいけど、おばさんは知っているか、と尋ねていた。
女将は、ひんがら眼なら3~4人は知ってるが、誰かなと興味なさそうだった。
私はその女の話を聞きながら、この娼婦と遊んだ男は、長い間、
ここに姿を見せなかったのだろう、と思った。
その間、男は何をしていたのか、刑務所にいたのだろうか、
飯場を転々としていたのだろうか。
そんなことを考えながら飲んでいると、小説を書きたくなった。
実際に、飛田界隈は不思議なところで、飲みに行くと、
必ず創作意欲が湧くような人物にあったり、そういう話を聞く。
これは他の場所では、殆ど味わえない。つまり、飛田界隈には、人間の原液が、
そのままの姿で流れているせいかもしれない。

某月某日
このところ賭け事につきはじめているので、久しぶりに競馬でもやってみようと思い、
近くに住んでいる新橋遊吉君に電話をして競馬に引張りだした。新橋君は競馬の専門家である。
作家になる前は、競馬で飯を喰っていたような男だから、私も心強い。
仕事がオーバーだったので、競馬で勝ったら夜は大散財をしてやろうと思い、
いき込んで阪神競馬に出かけていったが、結果は損得なしであった。
新橋君も同じである。
競馬の帰りに、キタの新地で飲んだ。競馬でいささか興奮したせいか、酔いが廻り、
大声で歌った。最近は酔うと歌うのが楽しみである。ハッキリ言って歌は下手だ。
それなのに歌うのは、得もいえなく自己陶酔を覚えるからである。
だから聞かされるものは実に迷惑に違いない。
そのため私は、行きつけの店にマイクを二本寄付をしている。
酔って歌い、よい機嫌になって、午前二時頃、新橋君と大阪読売の角にある屋台の
ウドンを喰いに行く。この屋台は手打ちウドンが実に旨い。
黒門市場の狐ウドンは余りにも有名だが、この屋台も味は負けない。
私は音を立ててウドンの汁を吸った。ウドンなどというものは、音を立てて食べる
ところに味があるので、これが出来るのは屋台に限るようだ。
ーーーーーーー

田中小実昌
ーわめき酒
某月某日
新宿花園街の「まえだ」で飲んでいると、佐木隆三が入ってきて、
「コミシャーン」とぼくのからだを抱き上げた。
佐木さん沖縄に行っていて久しぶりだったのだ。
ところが、ぼくを抱き上げただけで、後は面倒をみず、手を離した。
おかげで、ぼくはほうりだされたカッコになり、木の角に脛をぶっつけ、
青く腫れ上がった。澁澤幸子さんも来て、歌をうたう。
澁澤さんのテーマ曲は「アッツ島玉砕の歌」。
そのほか、ナツメロシャンソン、なんでも歌う。
流しのアコーデオンのマレンコフは、いつもの大サービスで、何十曲歌ったかわからない。
渋澤さんは、度胸がある。なんてケチなものでなく、育ちがよいせいか、にんげんを
怖がらない。
はじめてあった夜、新宿南口のおっかないところにつれてったらちょうどガタついている
最中で、ガラスがこわれ、かなりの血がながれたのか血なまぐさく、ところが、
幸子さんはコウモリを逆手に持って、「やれやれ」とけしかけ、ぼくはあわてた。

某月某日
歌舞伎町の「かくれんぼう」でミイ子とあう。
ミイ子は学生だが、何かの雑誌で川上宗薫と対談したことがあり、そのあと、
ぼくと飲んで、
「感度だとか、構造だとか、肌のきめぐあいだとか、川上先生は、ぜんぜん、
女をわかっちゃいないのよ。あんな男はフンサイだわ。断固、フンサイ!」と
ぼくと意気投合したことがある。ところが、たまたま、包茎のはなしになると、
「ホウケイってなあに」とミイ子はなにも知らないんだ。
ホウケイで思い出したが、石堂淑朗は、三光町の飲み屋へ、ぼくが惚れてる
女のところへいって、「いっぺんヤラセロ」としつこく言っているらしい。
石堂はやたらでかいせいか、ナマケモノで、もてないものだから、
自分で女を開発せず、ひとの女ばかりねらいたがる。

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2004年05月29日(土)
1152, 「老い」を考えてみる -2
 昨日の新幹線で読んでいた藤沢周平の「海鳴り」の中に、老いに対する
思いが偶然そのまま書いてあったが、彼の思いがそのまま伝わってきた。
(実際こういう偶然があまりにも多く、自分でもびっくりする)
何も考えないで精一杯生きてきて、ふとポッカリと心の穴に落ちた心情は
こんなものであろう。特に夫婦間の亀裂がのっぴきならない状態で、
家族に忌み嫌われた亭主はこんなものかもしれない。
あまりに迫真があったので、何回も読み返してみた。
実際の荒涼感は、こんなものより深く絶望的であろうが。
北欧の老人の自殺が多いのは、こういう心象風景の果ての絶望感と
孤独感が底知れずあるからなのだろう。
この下書きを昨夜書いたためか、夢をみた。
何処かの海岸線のリゾートに一人いて、店とか海岸で、その世界になじめない。
一人ウロウロしているじぶんがいる。
まあ、早速こんな夢をみるとは単純なものだ。 
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ー妻子のために、身を粉にして働いてきたはずだった。
40歳の坂を越えたとき、わずかの迷いがきた。妻子からも、家からも離れて、
一人の人間にたちもどりたいと願ったのは事実だ。
だがそれは、長い道のりを歩いてきた一匹の生きものが、ふと足をとめて
かたわらの泉から水を飲んだような、ほんのひとときの憩いに過ぎなかった
のだという気もする。
長い道をわき目もふらず歩いてきたので、生きものは身も心もくたびれ
果てていた。気がつくと老いが忍び込んでいた。
それでも道は、まだまっすぐに眼の前につづいていた。
色彩もとぼしく荒れ乾いていた道である。道がか細く消えている地平あたり
から、風が死の臭いをはこんで来るのにも気づいた。
それでも生きものは、その道を歩き続けなければならないことを知っていた。
それが生きもののさだめだった。
振り向くと、通り過ぎてきた花も緑の木々もある道が見えた。
しかしその道は、振り返ることも出来ても、戻ることは出来ない場所である。
生きものは新しく見えてきた風景の心細さに心を痛めながら,いっとき
泉のまわりをうろつき、一息いれた。
新しい、のぞみのない旅にそなえて気持をととのえるために。
あるいは歩いてきた道に、醜い後悔の痕を残さないために。
それだけのことが、そんなに批難されなければならないのか、と新兵衛は思うのだ。
生きものの心に思いをひそめたから、人間の道をはずれたと指さされるのか。
歯車が狂ったもとは、もっと別のところにある。
それが何なのか、新兵衛にはわからなかった。
わからないことがもどかしく、ほんの少し不気味であった。
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今でいえば初老性鬱病か、それとも誰もが感じる年齢の心象風景の一つなのか。
まあ、かなり藤沢周平の世界に影響されているようだが。
ー『海鳴り』-藤沢周平

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2003年05月29日(木)
785, 一期一会(すすき野の夜)
 昨日書いた異業種の人達との札幌のススキノの夜の話である。
二次会もバラケてしまい、残った四人で「すすき野」に行くことにした。
せっかくの札幌の「すすき野」の夜、入るなら一生に残るような
エキサィテングな店がないかと数軒の店を覗いていたら、何か異様な賑わいを
みせている店があった。すぐ団体が帰るというので少し待って入った。
空いているカウンターに我々4人が座った。暫くすると、他の団体も帰っていった。
隣には、その店の馴染みと思える中年の品のよさそうな男性が座っていた。
何かの縁かと「実は異業種交流の途中に札幌によった」と話しかけた。
「何処から来たのか?」と聞くので、新潟市から来たというと、
自分は佐渡の出身だという。その場が急に同郷の会みたいになってしまった。
この店の入っているビルと、幾つかの飲食ビルを経営している専務だった。
 そこにお客を送っていった美人のママが帰ってきた。
二人が深刻そうな話を始めていた。
「もう店をやめたら!」とビルの専務が言っているのだ。
ママが食道癌で退院したばかりで、店に出れる状態でないが
捨て身で店を開いていたのだ。
連日入院していた病院の先生も店にきて忠告しているという。
その場が深刻な、微妙な雰囲気になってしまった。
その為か、ママの歌が魂のこもった素晴らしい歌が続いた。
そうなると、お客全員も引き込まれて魂の歌になった。
どういうわけか、私がいやに気に入られて最後までダンスのお相手をしていたと
同行の人から翌日聞いた。歌は憶えていたが、そういう記憶はいつも昇華して
消滅するのが残念である。恐ろしいような、悲しいような、楽しいような、
一生に残る思い出になった。「すすき野」の夜の人生ドラマの深さを垣間見てしまった。
その話を翌日、行かなかった人に話をしたら
「なぜ俺たちを連れて行かなかった」と叱られた。

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2002年05月29日(水)
421,世間とはー2
 前回では「個人が確立されてない日本では社会が存在し得ないのでないか。
そしてその代わりー世間ー存在している」と書いた。
ある地域に生まれ育って、一歩も外の世界で住んだことがない人は、
世間という枠組みから出ることができないのも仕方がない。
神話の世界でいう蛇である。
その対極にある鷲に憧れを持ち、その合体の龍を創りあげた。
どういうわけか世界中の神話に龍が出てくる。
縛られた世界からの脱出の希求は人間の本質的欲求なのであろう。
羽仁五郎の「都市の論理」に、両親からの自立が人間としての第一歩と書いてあった。
西洋社会でいう「個人」とは、自立した自己ということになる。
まずは職業である、自分で稼いで生きていくのが第一歩である。
次に両親からの影響と環境からの自立である。
自分という意志を持った主体の確立である。
世間というものに対し、戦い挑んで勝ち取る意志である。
両親と周辺のせいぜい20人を[濃厚な?世間]という。それを自覚する事である。
「短い人生、ただ狂え!」が、世間様の丁度いい噂の餌になるが。
王陽明に「羊になるな、狼になり羊を食い散らす生き方を!」
というのも、世間に縛られた生き方を諌めたものだ。
個人ー個性とは世間との闘いで創っていくものだ。
世間とは、他者とのあいまいな緩衝地帯でもある。
私はそこに生きるそれを『子狐』とよんでいる。誰にもある要素だ。
もちろん自分にある最も嫌っている影である。その集約が、そうあの人!
誰もがこう言われれば自分と?考えてしまうのが不思議???!!

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2001年05月29日(火)
[35] 一人暮らしのあの頃
 今日は終日長男(堀井大)のアパート探し!
よくあれだけ部屋があるものだとビックリ!
部屋の中にある人生を感じた。
一人部屋にある何ともいえない哀愁を!
私にもあった一人生活の侘しさと緊張感。
いつも鏡を机の上に置き、独り言を言っていた侘しさ。
でも自由のよさ。何かタイムマシーンで三十数年前に戻った感覚であった。