「ぼんやりの時間」辰濃 和男 (著) 
    * ぼんやりと過ごすために ―その時間と空間
 ー次の問いかけ、ー「むだな時間」はむだか?ーの問いが考えさせられる。 
   まずはーアマゾンのレビューよりー
《 ミヒャエル・エンデの傑作「モモ」の主人公は「ぼんやりしている時間」を大切にする少女だ。・・・
 エンデのその作品は、時間泥棒の「灰色の紳士たち」が、人々から「時間」を奪っていく物語だ。
むだだと思われる時間を奪われた人々の暮らしはどうなるか。それが「モモ」の主題だ。ぼやーっとしている時間は
それこそ、むだそのものだ。効率至上主義者はそう言うだろう。むだな時間を幾ら重ねても何の稼ぎにもならない。
 灰色の紳士たち、つまり時間泥棒たちは、人々の心に忍び込んでは「むだな時間」を節約し、その分を『時間貯蓄銀行
に預けなさい」と誘う。銀行に預けられた時間は、すべて灰色の紳士たちが生存するために使われてしまう。
いわば詐欺そのものなのだが、人々は詐欺とは気がつかず、せっせとむだな時間を削っては、その分、自分たちの生活を
貧しくしてゆく。モモは何処からかふらりとその地にやってきた少女だった。土地の人たちの好意で、古い円形劇場跡の
一角に住まわせてもらう。少女は、夜空を眺め、夜空の発する「荘厳なしずけさ」をひたすら聴くのが好きだった。
モモにとっては、このぼんやりの時間はけしてむだな時間ではない。宇宙の静寂の中で時を過ごすと言うのは、
モモがモモらしく生きるための、大切な時間だった。夜空を眺める時間を持つことで、モモは「荘厳なしずけさ」
を感ずることが出来たし、何よりもそういう時間を持つことで、曇りのない目を持つことが出来、灰色の紳士たちの
インチキを見破ることが出来るのだった。かなしいことに、私たち現代人は、夜空をしみじみと仰ぐ習性からしだいに
遠ざかっている。利潤、効率、管理、豪華さ、スピードとか、そういうものを生活の拠所とする人々が増え、夜空を
眺めるなんて無駄なことだ、と思う人が増えてきた。しかし、そのむだは本当にむだなことなのか。そういうむだが
あるからこそ、生活はむしろ、ゆたかなものになっているのではないかとエンデは問いかける。》
▼ 「モモ」の時間が、何か日本人の預金のように感じられる。それを狙った偽札が、米国と日本の国債の紙切れ。
 国内に不安を押し付け、さほど多くない収入から、年金をかけさせ、預金をさせ、それと国債を交換するシステム。
その国債の価値の上げ下げの決定権も当然、彼らが持っている。金融工学などの言葉は詐欺工学と言い換えてよい。
おちおちしていると、全てを失ってしまう。豊かさには、お金など資産と、知識と、品性と、時間などがある。
その中で、一番に大事なことが、それぞれ平等に与えられた時間である。だから、ぼんやりすべきか?、ぼんやり
してないで、有効に使うか? その人により違ってくる。ぼんやりの時間は、自然瞑想に近い心の状態ではないか。
『よく働き、よく学び、よく遊べ、しかし時どき、ボ〜ッとした時間を持って、それを味わいなさい!』ということ。
・・・・・・
4403, 隠居大学ーよく遊びよく遊べ −3
2013年04月06日(土)
           『 隠居大学ーよく遊びよく遊べ 』 天野祐吉、お相手
   * 第二時限 「ゆっくり急げ」 外山滋比古講師
      ー人生二毛作の進めー
  二期作二毛作の違い、「二毛作は、ひとつの耕地で、一年で種類のちがう作物を二度栽培すること。
 二期作は同じ作物を二度栽培をすること。人生においては、二毛作をすべし!」と、「ゆっくり急げ」が御隠居の要。
 そのために、これまた長年かけた準備が必要になる。土壌は今さら変えることは無理。ならば移住するか、その土壌に
 合った新しい作物を長年かけて用意しておかなければならない。  ーその辺りを抜粋するー
≪ 外山:わたしもそうですが、長いこと組織の従業員をやってきたサラリーマンの場合はですね、それまでの価値観を、
 いっぺんひっくり返さないといけません。前半の人生ではだれかに仕えていた人も、後半の人生は自分が自分の大将になり、
 自力で道を歩むための新しい志をかかげなければ。そういう意味で、この隠居大学というのは、たいへん面白い試みですね。
天野:あまり実践的でない大学ですが、気楽におしゃべりで、いろいろな隠居の楽しみ方を紹介する遊び場になればいいと
 思っているんですよ。ところで、外山さんの『「人生二毛作」のすすめ』、すごく面白く読ませてもらいました。
 二毛作っていうのは、ひとつの耕地で、種類のちがう作物を二度栽培することですよね。たとえば、春から夏にかけて稲を
 つくったら、二回目は大豆や麦なんかをつくる心つまり隠居の楽しみというのは二毛作目のようなものであって、
 前半の人生と同じものをつくったんじゃあ面白みがないと。
外山:そうそう。人生も折り返し地点に来ると、価値観というものがおおむね逆になります。そもそも、前半で立てた
 志というのは、学校出て就職したらある程度の方向が決まってしまうようないいかげんな志です。
 わたし自身もそうでしたが、いちどエスカレしターに乗ったら、自分の力で歩かなくても成長しているような気になって、
 それでは本当に生きてきたといえるかどうか。
天野:もし二毛作にチャレンジしなかったら、どうなるんでしょう。二期作というのかな。前半の人生と同じものをつくる。
 たとえば、定年を迎えたけれど、嘱託社員として会社に残って、空いた時間で好きなことをするというような・・・。
 世の中には、そういう隠居スタイルの人もいると思うんですけど。 
外山:いや、それはエセ隠居です。高級官僚の天下りがいい例です。二毛作目をやるのは面倒くさいし、自信がないから、
 とにかく一毛作の延長で行こうとしがみつく。そんな甘い考えではいい年寄りになれません。ゆといってもわたしもね、
 少々まわり道をしたんですよ。大学で教師をしていたんですが、最初の勤め先を定年退職したあと、もう一度別の学校に
 勤めに出た。これがよくなかった。 ≫
▼ 私の長年の友人は、ほぼ二毛作の人生を過ごし三毛作の人もいる。転進すべき節目時に決断している。情報を持って
 いたのである。 逆に一毛作でハッピーエンドだったら、小さな畑で隣の田畑と比べるだけの水平の人生も、それも
 ご愛嬌。 価値観の転換など関係のないのも、これも人生。死んで三日も経てば、みな同じ。あるのは?永遠の虚空だけ!
・・・・・・
4029, 「人生の知恵」ノート ー2
2012年04月06日(金)
   ー 品格と、自分を高める言葉のノートより ー
   * 情報や知識が少ない場面では
 「何をするにしても、勝手が分からないこをやる時は安全な方を選ぼう。手堅いことは独創であることよりも大切である。」
 これも人生を振り返ると、骨身に感じること。情報不足の時は、奇をてらえば、必ず失敗をする。
   * あえて敵をほめること
  敵を褒め、親切にすること。特に復讐のチャンスの時ほど、逆に寛容にすべき。その品格が求心力を生む。
 ボクシングの勝者は観客を意識し敗者に対し、「良い選手だ」と必ず褒め称える。ファン対策のためだ。
 人生は、闘争である。まともに生きていれば、罵られ、足を引っ張られる。しかし、決して愚弄してはならない。
 憎い相手ほど、冷静に褒める。それが品格を高めることになり、敵を少なくし、求心力を生む。
   * 放っておく術を知る
  人間関係の諸問題は、さまざまな感情の暴風雨を引き起こす。そんな時は、港に退避し、碇(怒り)を下ろして乗り切ること。
 殆んど時間が解決する。複雑な問題を解決できるのは「時間」か、強い権力だけと知るべき。
 「低俗の人たちが起こす問題の嵐を静めるには、何も手を出さず、自然に収まるのを待つこと。一度、退くことがベスト。
   * 見かけも重視すべし
  信用は金を出しても買えないが、外見は僅かな投資で整えられる。 正義でさえ、正義に見えなければ、それにふさわしい
 敬意を受けられない。きちっと見抜ける人は、見かけで騙される人よりずっと少ない。清潔な服装を着るだけでなく、時計も靴にも
 高級感のあるものを選んで、いつも磨きをかけることが必要。話す言葉も、少し保守的に、謙虚さを装うべきである。
 第一印象は僅かな投資で良くすることができる。それが信用の土台になる。
   * 感情の波を乗り越える
  感情は、常に理性を踏み越える。常に冷静な態度を保てる賢明な仲介者を間に入れれば良い。激情にかられたらその場を離れる。
  * 失うもののない人と争わない
 人物を選ぶこと。 危ない人は、いつの間にか悪い情報のタネにする。 
  * 言葉はやわらかく、態度はやさしく
 「言葉を使えばたいていのものは買うことができ、不可能を可能にできる」言葉の力と恐ろしさを知って、用心深く、
 やさしく使うことが、品格を作り上げる。
 ▼ このブログの公開が恐くなってきた。「本当のことは休み休みに言え」が、社会。この箴言は現在の私への諌めの内容ばかり・・
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3663, 9・11、9・15、それをしのぐ3・15 −2
2011年04月06日(水)
 この大震災と原発事故の3・11が、9・11と9・15を超える歴史的事件の仮説の上で、この今後の行末を考えてみる。
 それだけ大きな事象なら、これから生じる問題は想像するだけで恐ろしい。
* 9・11の結果、アメリカのアフガンへの攻撃、イラクフセインへの攻撃で数十万人を殺害し、新しい政権を確立をした。
 このテロは、白(白人系宗教)対、赤(アラブ系イスラム教)の対立が表面化した事件で、文明の衝突である。
* 9・15は米英の金融支配の崩壊であり、世界経済を根底から破壊を始めたばかり、それだけでない500年の欧米的価値観を
 根底から変える歴史的大転換の大事件である。。
* これに対し3・11は、東北の太平洋岸で100年来の最大規模の地震と大津波を発生し、沿岸の原発に直撃。
 その結果、放射能汚染が日本の国そのものを崩壊するかどうかの瀬戸際に陥っている。その上に、世界に汚染を拡大させる
 可能性もある。 さらに世界の原発推進の流れを根底から変えようとしている。
事実の中には、真実と虚偽が混ざっている。TVで「風評に気をつけて下さい!」と、政府筋がコマーシャルを流している。
しかし政府の流してきた情報こそが虚偽?で信用ならないことを国民は熟知している。 ネットで、政府より国民の方が
情報を素早く得ているのである。 政府が「原発は絶対大丈夫!」といい続け、それを信じてきた純朴の住民が最大の被害者。
あの歴代の保守系の政治家と官僚の連中に騙された結果が、この様である。 それを今さら「風評に気をつけてくだい!」
といわれても、誰が信じるかである。 地震発生と原発事故の発生して数日後に「本州全滅!」と、ある筋から聞いたときは、
それでも心の何処かで「まさかだろう」と思っていた。しかし日々刻々、入ってくるニュースを見ていると、「もしかしたら?」でなく、
その仮説?の上で、原発事故の行き着く先を考えなければならない。「首都圏の官僚の子弟は、遠くの親戚に疎開を始めている」とかが、
決して風評で軽々しい、とは思えない事態。「外国人が、早々、列をなして国外に逃亡した行為と、大多数の人たちが、
風評として見逃している情報の方が正しい」という仮説を立てて自分の中で立てておくべきである。 
  私たちの年代は、充分生きたが、若い人、子供は気の毒である!
 ・・・・・・・
3298, 一年の重み
 2010年04月06日(火)
図書館で久々に小林正観の「人生を楽しむための30法則」を見つけ借りてきた。例の「ありがとう」教の本を書いた人。 
それで一番ありがたかったのは、彼だろう。それはいいとして、何げなく目を通していると、以下のような面白い内容があった。 
(字数制限のためカット 2012年4月6日)
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2923, 中沢新一の『三位一体モデル』 −2
2009年04月06日(月)  
『三位一体モデル』中沢新一著   −読書日記
 *「霊」は何か?
ここでいう霊とは、英語でスピリッツ、ドイツ語でいうガイスト、日本語で霊(たま)という。
語り得ない「神」とか「霊」をどう表現するか興味を持って読んだが、神を三位一体モデルとして、「父」「子」「精霊」と
構造的に分解している。一つの見方だが、それを思考法として利用したり、この世界を理解するには有効になる。
その一つの「霊」を、ひとことで「増えていくもの=増殖するもの」としている。「父」たる普遍的なことを、現実の姿として
「子」キリストなどの現象とし、霊(増殖するものとして)を使って世界中に布教していく便利な存在?である。
この霊を組み込んだキリスト教が、<増殖>現象を自分の中に抱えこんで世界に爆発的に布教していくことになる。
それが西欧資本主義の出発点になるのである。ここが、イスラム教と、もっとも深い対立点になる。
 * イスラム教との「増殖」をめぐる対立とは?イスラム教は、キリストが神の「子」という点、そして増殖原理である
「霊」を唯一神の中に組み込むという点については、絶対に認めない。イスラム教にとって、神と人間のあいだに立つ媒介する
存在など、あってはならない。イエスなど、ただの預言者でしかない。 ただひとつの神に霊を組み込むなどということは、
絶対にありえないこと。なぜなら、霊は「増殖現象>を起こすなど、唯一の神アッラーは増え得ないからである。
イスラムにとって、アッラー自体は変化しない。しかしキリスト教徒は、じつに微妙なかたちで、「増える」という原理を
組み込んでしまった。イスラムにとって、「神の本質が増えるとはどういうことなんだ」ということになる。
キリスト教は、増殖という現象を内部に組み込むことによって、その後の奇跡的な勢力拡大の基礎をつくっていったのである。
▼ 結局は、キリスト教は欧米人の世界からの略奪行為の尖兵として、情報機関として建前として使われてきたのは自明だったが、
 ここで、その宗教の歪みの部分を解明している。この世界恐慌も、その崩壊の一つとみてよい。 
 霊を増殖するものという見方は初めてである。
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2559, 印度放浪 ー3
2008年04月06日(日)
 ー語録ー2
人間の身体を見ていて神々しいと思ったのは、一ぺん沈んで浮かんできた水葬体だね。水葬にしていったん沈むんだけど、
沈んだあと底につかないのはそのまま浮かばないで流れ浮かばないで底についたのは必ず浮かんでくるんだ。
そうやって浮かんできた時の顔とか身体というのは、不純なものがいっさい流れたような美しいものなんだね。
半眼微笑の仏像そっくりな場合すらある、それが二、三日経つとだんだん膨らんできて、中の血管の血がバッーと表に出て、
まるで不動明王五大明王みたいに赤黒くなる。それからまた血が引いて漂白されたようになって行く。
水に投げられたひとつの死体をずーっと見ていると、人間のもっているすべてが見えるよ。
日本でも死ぬ時に、これは単なる比喩的な言いまわしだろうけどさ、死ぬ時に一回苦しんだか二回苦しんだか、
三回苦しんだかで、その人の生前にもっている業みたいなものが出るということを言うじゃない。
それとは違うけど、水葬死体も人間のもっている生前のことを全部見せてくれるような気がするね。
 解)日本人は死体を特別に大事に考えている影響が40年前の著者に残っているようだ。
  こういうのを読むと、さっさと重油をかけて焼いてしまうのも良いと思う。その方が余程ドライである。
ーー
犬が水葬体を食っているのを見て、法華経に出てくるクンパーダカをふっと想像したんだ。クンバーダカ鬼は架空の
生きものだから見たことはないが、そういう感じがしたんだ。広角で撮ろうと死体を食っている中洲の犬に近づいたら、
そこにいた一匹が逃げたんだ。それが遠くから十二、三頭を連れてきた。砂けむりを舞い上げてね。僕がエサを取って
しまうとおもったのか、全部がうなりながらにじり寄ってくるんだよ。人間を喰っている犬ににらまれたんだから、
かなり危機感を持ったね。眼を離して逃げたらワーッと襲われてやられるとおもったから、こっちも動けない。
川の中洲だから人間は誰もいない、助けも呼べない。カメラを持って投げつけるような恰好しながら、
それでもこれを投げたら壊れるからやめとこうとおもったりしながら、投げるものを探したわけね。
そのへんは写真にも写っているように頭蓋骨とか骨がけっこうあるんだ。で、犬の目から目を離さないように
しながらゆっくりとしゃがんで、頭蓋骨を四ツくらい集めてこれをかかえて投げるかっこうをしながら、頭蓋骨もったまま
少しずつあとずきりをして川の中に胸まで入ったんだ。犬は向うでウロチョロしている。
奴に向けて力いっぱい投げつけたんだ。暫くするとあきらめて、また向うの死体を喰いはじめてくれたんだね。
こちらは川づたいに三脚のあるとまでやっと辿り着いてね、これでやっと安心して、この三脚を持てぱこれ殴れるから
何となく大丈夫だと思ったわけ。これは後で考えると、地獄で何かしていたような気がするんだ。
 解)インドでないとこういう経験は出来ない。宗教で、かくも文化が違うかが理解できる。
ベナレスのガンジス川の底には骨が重なっているというが。その骨についている貴金属をあさっている子供もいる。
 ーー
インドはね、撮りすぎるとダメなんだ。インドってのは撮れちゃうから。まわリ三六〇度ぐるりと一回転して三十六枚押したら、
一本フィトストーリーができてしまう。だからインドへ行った人の写真ってのはみんな同じになる。写りすぎるってことは、
全部撮ってもダメということなんだね。インドは「何を撮らないか」というマイナスの作業でしか自分の視点が出てこないのね。 
加算とかブラス信仰の社会から行うた人からは、撮らないということも表現であるという発想がなかなか生まれない。
 解)これって写真だけでなく、全てにいえることじゃないですか。
・・・・・・・・・・
2007年04月06日(金)
2194, 大人のファンタジー読本
    おはよう!♪? ヽ(´π`)ノ   ー読書日記 
 ー未知なる扉をひらく180選ー       出版:マックガーデン
この本の副タイトルが、そのまま当てはまる内容である。1Pか2Pに一つの小説の概要が書いてある。
その概要だけで大きくイメージが広がるから不思議である。わずか数分の間、ユックリと読んでいるうちに日常を超えて
ファンタジーな世界に引きずりこまれるのである。この本は10年前のパソコン通信の時代からあったネット上の仲間が出会い、
ネット上の語らいからつくり上げた本。180選を45人が要約した共同執筆で10年がかりのエネルギーが入っている。
1P~2Pの要約の中に好きな人の魂が詰まっているから、要約というエキスに引きずりこまれるのだろう。 
これこそ現代の本と云えよう。「エネルギーを使わないで、いつ読んでも現実を忘れられる本がないか?」と言われれば、
間違いなくこの本を勧める。何せ一ヶ月間新幹線の列車の中で読み続けていた本である。初めは図書館で借りて読んだが、
アマゾンでさっそく発注をした(中古本だが)。
  (字数制限のためカット 2011年4月6日)
・・・・・・・
2006年04月06日(木)
1829, あちら側の世界 ?7
    「ウェブ進化論」読書日記      (ヾ(。・ω・)ノ☆゚+.オハヨゥゥゥ゚+.☆
ー「アマゾン」とはー
 =この本から「アマゾン」という会社とは何かを要約しながら、考察してみる。 (このウエブ進化論ー3・ロングテール
 ついてーに重なるが敢えて取り上げる。ロングテールが書籍以外の商品群に広がるからだ。それは全ての流通経路の大変革を
 予感させる)IT革命の地殻変動を実感させる、もう一つの会社が「アマゾン」である。
 アマゾン・コムの「ロングテール現象」が、その象徴といえる。 本の流通の関係者といえば、インターネットが登場するまでは、
 出版社と流通業者と書店であった。今までの流通経路は店舗や倉庫や在庫といった固定費を抱え、ある程度以上売れる本
 ーつまり「恐竜の首」で収益を稼ぎ、「ロングテール」(恐竜の尾の部分ー80%以上の売れない部分)の損失を補う、
 事業モデルであった。2004年秋にロングテール論が脚光を浴びたのは、「アマゾン」が、この構造を根本から変えて
 しまったことである。日本での年間出版点数は約7万点であるが、アマゾンは230万点もの書籍を取り扱うことができる。
 売れない本には価格競争がないから利幅も大きい。2005年に入って、アマゾン・コムは全売上の約3分の1をリアル書店
 在庫を持たない本から上げていると発表した。インターネットの世界に異変が起こっている分りやすい事例である。
                    (字数の関係でカット2008年4月6日)
以上だが、最近、本以外の分野に枠を広げてきたが、アマゾンの本当の恐ろしさが出てくるのは、これからである。
世界中の人が、このネットで本格的に買い物を始めるのは、これからである!
間違いなく、あちら側の世界が、こちら側の世界を大きく変えようとしている。     ー (*"・∀・)ノバイバイ!
・・・・・・・
2005年04月06日(水)
 1464, 発想名人 ?読書日記
最近よく本屋で見かける斉藤孝の本を図書館から数冊借りて読んでいたが、また「発想名人」を借りて読んでみた。
(字数制限のためカット 09年04月06日)
・・・・・・・
2004年04月06日(火)
 1099, 「80対20」革命 ー4
「自分の20?のスパイク(強み)を見きわめる問い」が考えさせられて面白い!
 ー以下に書き写してみる。
△あなたが心底興奮するのは、どんなことに対してか?   一番熱心になれることは、どんなことか?
(字数制限のためカット 2013年04月06日)
・・・・・・・・
2003年04月06日(日)
732, 「こうすれば良くなる」
 いまの日本の議論で大部分が「こうすればよくなる!」という発想が基点となっている。 これに対して
「もうこの発想から脱却すべきではないか?」という論が新聞にあった。その内容を私なりにアレンジをして書いてみた
ー誰もがいまの日本は縮小すべき時期にきていることを知っている。
  (字数制限のためカット 2012年4月6日)
・・・・・・・・・
2002年04月06日(土)
368,リオのカーニバル
いまTVをつけたら、NHKのハイビジョンで「リオのカーニバル」をやっていた。
 (字数の関係でカット2010年4月6日)

ノルウェー 登山列車

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他のブログ
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/54909/
http://horii888888.toypark.in/cgi-bin/s_diarys.cgi
http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive


「世界最高の眺め」と賞されるノルウェーのフロム鉄道。
途中にあるショース滝駅では数 分間停車し、ホームのすぐ脇に
ある滝を鑑賞することができる。滝のすぐ脇からなぜか女の人が
出てきて音楽に合わせて踊ったりする。全然前知識なしだったので
驚きと感動で唖然と滝を見ていた。世界は、想像を遥かに超えている。




・・・・・・
1829, あちら側の世界 -7
2006年04月06日(木)

ウェブ進化論」読書日記
  
ー「アマゾン」とはー
=この本から「アマゾン」という会社とは何かを要約しながら、考察してみる。
 (このウエブ進化論ー3 ロングテールについてーに重なるが、
 それでも敢えて取り上げる。  ロングテールが書籍以外の商品群に広がるからだ。
 それは全ての流通経路の大変革を予感させる)

IT革命の地殻変動を実感させる、もう一つの会社が「アマゾン」である。
アマゾン・コムの「ロングテール現象」が、その象徴といえる。本の流通の関係者
といえば、インターネットが登場するまでは、出版社と流通業者と書店であった。
今までの流通経路は店舗や倉庫や在庫といった固定費を抱え、ある程度以上売れる本
ーつまり「恐竜の首」で収益を稼ぎ、「ロングテール」(恐竜の尾の部分ー80%以上の
売れない部分)の損失を補う、事業モデルであった。
 2004年秋にロングテール論が脚光を浴びたのは、ネット書店の
「アマゾン」が、この構造を根本から変えてしまったことである。
“日本での年間出版点数は約7万点であるが、アマゾンは230万点もの書籍を
取り扱うことができる。売れない本には価格競争がないから利幅も大きい。
2005年に入って、アマゾン・コムは全売上の約3分の1をリアル書店が在庫を
持たない本から上げていると発表した。
インターネットの世界に異変が起こっている分りやすい事例である。
アメリカのリアル書店チェーンの‘バーンズ&ノーブル’が持つ在庫は13万タイトル
(ランキング上位13万位までに入る本)だが、アマゾンは売り上げの半分以上を
13万位以降の本の売り上げから上げている。アマゾンでは、売れない本でも
インターネット上にリスティングする追加コストはほぼ0だから、130万点もの在庫がある。
 さらに、「売れない本」には価格競争がないから、利幅が大きい。
アップルのiTMSでは100万曲以上ある曲のうち、1回もダウンロードされていない曲はない。
 アマゾンのロングテールには、「負け犬」商品がずらりと並んでいる。
一方、グーグルのアドセンスは、道の可能性を持った存在が並んでいる。
しかもロングテール部分に並びたければ、誰でも並ぶことができる。 
ゆえにロングテール部分はずっと長い。アドセンスは、広告主のロングテール部分
(これまで広告など出したこともなかったスモールビジネスや個人が広告を出せる)と、
メディアのロングテール部分(今まで広告など掲載したことのない弱小WEBサイト)
 をマッチングさせたもの。
そして新市場に参加する障壁を恐ろしく低くした。
・セルフサービスで出稿できる。
・単価が安くて成果報酬(クリック課金)型なので、
 誰でも気軽に広告出稿できる。

 さらにアマゾンは自らの生命線ともいえる
「アマゾンが取り扱っている膨大な商品データのすべて」を、
誰もが自由に使って小さなビジネスを起こせるように、無償で公開した。
その公開にあたっては、単にデータを使えるのではなくて、
開発者がそのデータを活かしてプログラムを開発しやすいように工夫を凝らした。
このように、開発者向けにプログラムしやすいデータを公開するサービスを
ウェブサービス」といい、開発者向け機能を「API」という。
結果として、小売業者やネット事業を始めてみたい開発者たちは、
このウェブサービスを利用してアマゾンの商品データベースにアクセスし、
自らのサイトでアマゾンの商品を自由に売ることができるようになった。
ウェブサービスの公開からわずか1年足らずで、ウェブサービスを利用して作られた
無数のサイト経由でアマゾン商品を購入したユーザーは、数千万人に上った。
アマゾンはこのウェブサービス経由での売り上げから15%の手数料を得る仕組みを
導入していたので、アマゾン島事業自身よりもアマゾン経済圏支援事業の利益率のほうが高くなった。
 自社の生命線たる商品データベースを公開することで、アマゾンはネット小売業者から
Eコマースのプラットフォーム企業へ、テクノロジー企業へと変貌をとげた。これがWEB2.0である。
 すべての人が検索エンジンを利用して目的のサイトにたどり着くような世界が来るなら、
ありとあらゆる言葉に対する検索結果で、アマゾンのサイトが上位を獲得できることが
アマゾンの売り上げの飛躍的向上につながる。
マゾンのウェブサービスを利用する一般のサイトが多くなればなるほど、
アマゾンへのリンク数が多くなり、検索エンジンで上位に表示されるようになる。
この現象は、これから起きる大きな変化の一現象でしかない。
その変化は産業革命よりずっと大きな変化の潮流である。
以前にも書いたが、現在の私の買い物の半分以上は、ネット上である。

 アマゾンのウェブサービスでは、個々の商品だけでなく、
アマゾンの全商品データへのアクセスが可能である。
インターネットの「こちら側」(ユーザー側)でデータベースを
保有しなければならない状態と(楽天など)、
インターネットの「あちら側」(サービス提供者側)に構築された
データベースを自由に利用できる状態は大きく異なる。アマゾンの周辺には、
アマゾンのウェブサービスを導入した無数の個人が運営するサイトが群がり、
いまや「アマゾン経済圏」を構成しつつある。
「こちら側」に置いた情報を「こちら側」のシステムで処理するより情報を
「あちら側」に置き「あちら側」で処理してしまう方が、はるかに効率的で性能も高い。

以上だが、最近、本以外の分野に枠を広げてきたが、アマゾンの本当の恐ろしさが出てくるのは、
これからである。世界中の人が、このネットで本格的に買い物を始めるのは、これからである!
 間違いなく、あちら側の世界が、こちら側の世界を大きく変えようとしている。
                   ー (*"・∀・)ノバイバイ!
・・・・・・
2005年04月06日(水)
1464, 発想名人 -読書日記

最近よく本屋で見かける斉藤孝の本を図書館から数冊借りて読んでいたが、
また「発想名人」を借りて読んでみた。
内容は前の本からみると軽いが、表紙裏の言葉がなかなかよい。
ー『ネガティブな意見を言っている暇があったらアイディアをだせ!』
これが私の最近のスローガンである。すべての現実の困難は、具体的な
アイディアによって乗りこえるものだと私は考えています-
ネガティブな意見を出すのは簡単である。相手の正反対の視点を設定して正面から
突き刺すのである。私も独りで考える時に、正反の問いかけを何回かしてみる。
その繰り返しの中で問題を掘り下げる。それが、考えることである。
したがって、肯定だけでなく否定の視点も必要である。
計画を練ることは、正反合を繰り返し繰り返ししていくことである。
ネガティブの意見も「異見」として正の立場を逆に見直すことになる。
チームで計画を練ると、否定だけの人がいる。
ネガティブはエネルギーを殆んど使わないで済むことを知っている。
ただ、アイデア・バスターをしていれば済むからだ。ほぼ対案を持ってない。
特に女性に多い。亭主の否定をして、稼ぎを当然のように取りあげれば済む。
それも自覚してないケースが多いから泥沼に陥ってしまうケースが多くなる。
判断を相手にさせて失敗した場合に、その非をなじるか、冷笑しているばこと足る。
その辺は巧妙であり、テクニックである。これを繰り返していると、
本人がアイディア欠乏症になる。ネガティブが体質として身につくと、
イデアー知恵が出てこなくなるのだ。思考停止になってしまい、武器は否定だけになる。
全ての神経が武器に集中することになるから、アイデアなど出てくるわけが無い。
恐ろしいのは、自分のアイデアさえも否定してしまうことである。
いや、出てこないのだろう。
正・反・合の繰り返しが経験知として蓄積されて、知識から知恵へと醸造されてくる。
否定はそこで全て切断してしまい、思考を切断してしまう。
秀才があるところまで行くと、全く成長が停止をしてしまうのは、
イデアが出てこなくなるからだ。だから評論家には、このタイプが多くなる。
色いろな人がいるから世の中が成り立つのだろうが、企業活動ではプラスにはならない。
企業は知恵の集合体でなければならない。特に情報化社会では、無限にある情報を
選択して知恵に換えていかなくてはならないからだ。
寝ても醒めても、自分の仕事に集中しないと知恵は出てこない。
その知恵を否定するのだから、そのエネルギーの深さが見えなくなる。
考えつくしていると、考えない人の否定が見えてくる。最後はこの辺に話に
なってしまうが、実際のところ自分自身にこそ、その傾向が強いのだろう。
「我内なる否定者」の話でもあるが、
しかし、・・・ 口先だけの肯定もあるから何ともいえないが?

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2004年04月06日(火)
1099, 「80対20」革命 -4
「自分の20㌫のスパイク(強み)を見きわめる問い」が考えさせられて面白い!
ー以下に書き写してみる。
△あなたが心底興奮するのは、どんなことに対してか?
 一番熱心になれることは、どんなことか?
△自分が有名になったと想像してみる。
 どんなことなら有名になれるか?
△自分の個性でもっとも特徴的なことは何か。
 人と一番変わっているところは何か?
△何をしているときがもっとも幸せで充実していると思うか?
△一番得意なものは何で、他の人より得意なものは何だろうか?
△どんな役割や仕事がもっとも適していると思うか?
△別の分野や活動で、自分が優れていることがないか、あらためて考えてみる。
 できるだけ現在とかけ離れた意外なものがよい。あまり深刻にならない方がよい。
△もし新しいベンチャーを始めて驚くほど成功するとしたら、
 どんな事業であろう? 想像力をはたらかせて考えてみる
ー以上であるが、現在の自分について考えてみて書いてみた。
ここでは書けないが、如何に深耕があった部分と、無かった部分が
よく見極めることができた。今回は内容を書くのは控えるが、この随想日記
に殆ど書いてあることばかりである。まあバカの壁を辛辣に見えてしまって
いるからだ。もう見せているから今更だが。全て反省の言葉が多いのが人生と思っているが。

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2003年04月06日(日)
732, 「こうすれば良くなる」??
いまの日本の議論で大部分が、「こうすればよくなる!」という発想が、基点。
これに対して「もうこの発想から脱却すべきではないだろか?」という論が新聞にあった。
その内容を私なりにアレンジをして書いてみた
ー誰もがいまの日本は縮小すべき時期にきていることを知っている。
それを回復とか現状維持を前提に議論しているから、ますますおかしくなる。
失業率だって今の倍の2~3倍になってどこが悪い。それで西欧並みでしかないからだ。
日本をとりまく環境が変わってしまったのだから失業が増えて当然である。
 デフレもグローバルになったのだから仕方がない。
どうして日本の経済規模を縮小していくかを真剣に議論すべき時期である。
そうしなくては、自然の暴力にもろに破壊されてしまう。恐慌というやつにだ。
 いまや株価や土地が20年以上前になっているなら、政府の予算規模も
縮小すべきである。それができないなら、恐慌が起こるのが当然である。
「良くするなどと考えている非常識」がまかり通っている。
思い切って、国家規模ー予算を20年前に戻すべきだと宣言すればよい。
それにしても、箱物や道路や橋や新幹線を造ってしまって、その借金をもあるから
単純にはできない。このジレンマからいつ抜け出る事ができるのだろうか?
ー以上になる。
人の意見をこうアレンジして書いてみると、これが自分の意見になるのだ。
なるほどと、自分でも感心する。大体がこんなものだから批評家が存在
するのだろう。

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2002年04月06日(土)
368,リオのカーニバル

いまTVをつけたら、NHKのハイビジョンで「リオのカーニバル」をやっていた。
2時間があっという間に過ぎてしまった。
7年前に行った内容をコピーしておくが、本当に素晴らしい内容であった。
今見ている内容は当時に比べ、かなり豪華にかつ派手になっているようだ。
カーニバルは元々はヨーロッパで行われていた、キリスト教のお祭りである。
南米の農園に売られていった奴隷が、一年に一度のカーニバルに与えられる
休日に輪を作って歌い踊ったという。
普段でも彼らの楽しみは歌と踊りだけで、それが段々サンバに変わっていったという。
1888年に奴隷制度が廃止された時、彼らはリオに仕事を求めていった。
彼らはグループを作って踊っていたが、そのうち互いに競いだしたのが
リオのカーニバルの始まりという。リオだけでも400のグループがあり、
そのトップクラスと準トップクラスが正式に会場で競う。
それぞれチームごとにテーマがあり、それによってストーリがある。
それにより、衣装や歌や踊りが決まってくる。
上位のチームにそれぞれのチームにスポンサーが付いているという。
それぞれ項目があって、厳格の審査のうえで順位が決まる。
去年から見ているが、ハイビジョンのせいもあるが素晴らしい。
一年は全て、カーニバルを中心に回っている。
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H0703ブラジル旅行記
 “行って吃驚!玉手箱”主観をこめて現地の実感を書いてみる。
カーニバルはリオディジャネロだけでなく、全国津々浦々の都市で行われており、
四日間全国がお祭りの為休みとなる。
その最も有名で世界的に知られているのがリオのそれなのである。
リオのカーニバルのランクがA・B・CとなっておりAランクが9チーム、
Bランクが15~16チーム、Cランクは数十チームとなっている。
AとBチームが特設スタジオのメーン、ストリー850mを80分の持時間で
踊りながら行進する。そこは六万人の観客席があり、審判席で厳格に審査され、
その年の優勝等順位があらそわれる。
そのチケットは一般の人はほとんど入手不可能である。
我々のTV新聞等で目にするのはCチームが街頭で行進するものでしかなかった。
チームは四千名が1チームで構成されており、
それが約500名×8チームに細分化され、統一のコンセプトのもとに、
仮装が華やかにつくられている。
音楽も各チームごとに毎年新しいコンセプトのもとに有名作曲家が名誉をかけてつくる。
その作曲も採点の大きなポイントになるという。
一日6~8チームが夜の七時より翌朝の七時まで延々と踊りの行進が続く。
観客席もその行進曲にあわせて半数以上が踊っている。
音響もすさまじく隣の人の声は全く聞こえない。
上位数チームが翌週の土曜日に優勝をかけて再び行進がおこなわれる。
優勝チームは10億以上の賞金がつき、かつ翌年に向けてのよいスポンサーが約束される。
その年の山車とか衣装は翌年に持ちこさずすべて破棄するという。
カーニバルをみていて“気”とか“色即是空”とか“禅の悟り”がすべて含まれており、
東洋的なこのような言葉が小さくみすばらしくさえ思えるくらいだ。
ブラジルの印象として残ったイメージとして、キーワードを書くと“サッカー”と
“サンバ”と“森林”と“イグアスの滝”そして“汚職まみれの国”である。
さらに加えるなら“まずしさ”である。

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 ーお笑いー
<新しいメイド >
 家に電話をしたら、新しいメイドが出た。
 家内を呼んでくれと頼んだら、男と寝室にいると言う。
 頭にきたその男、メイドに書斎の机にある銃で、二人を撃ち殺すよう命じた。
 暫くすると、二発の銃声が聞こえた後、電話口で今殺してきましたとのこと。
 ついでに、死体を庭のプールに投げ込むように命じた。 
暫くすると、メイドが電話口で‘庭にプールはありません!’