ノルウェー 登山列車

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「世界最高の眺め」と賞されるノルウェーのフロム鉄道。
途中にあるショース滝駅では数 分間停車し、ホームのすぐ脇に
ある滝を鑑賞することができる。滝のすぐ脇からなぜか女の人が
出てきて音楽に合わせて踊ったりする。全然前知識なしだったので
驚きと感動で唖然と滝を見ていた。世界は、想像を遥かに超えている。




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1829, あちら側の世界 -7
2006年04月06日(木)

ウェブ進化論」読書日記
  
ー「アマゾン」とはー
=この本から「アマゾン」という会社とは何かを要約しながら、考察してみる。
 (このウエブ進化論ー3 ロングテールについてーに重なるが、
 それでも敢えて取り上げる。  ロングテールが書籍以外の商品群に広がるからだ。
 それは全ての流通経路の大変革を予感させる)

IT革命の地殻変動を実感させる、もう一つの会社が「アマゾン」である。
アマゾン・コムの「ロングテール現象」が、その象徴といえる。本の流通の関係者
といえば、インターネットが登場するまでは、出版社と流通業者と書店であった。
今までの流通経路は店舗や倉庫や在庫といった固定費を抱え、ある程度以上売れる本
ーつまり「恐竜の首」で収益を稼ぎ、「ロングテール」(恐竜の尾の部分ー80%以上の
売れない部分)の損失を補う、事業モデルであった。
 2004年秋にロングテール論が脚光を浴びたのは、ネット書店の
「アマゾン」が、この構造を根本から変えてしまったことである。
“日本での年間出版点数は約7万点であるが、アマゾンは230万点もの書籍を
取り扱うことができる。売れない本には価格競争がないから利幅も大きい。
2005年に入って、アマゾン・コムは全売上の約3分の1をリアル書店が在庫を
持たない本から上げていると発表した。
インターネットの世界に異変が起こっている分りやすい事例である。
アメリカのリアル書店チェーンの‘バーンズ&ノーブル’が持つ在庫は13万タイトル
(ランキング上位13万位までに入る本)だが、アマゾンは売り上げの半分以上を
13万位以降の本の売り上げから上げている。アマゾンでは、売れない本でも
インターネット上にリスティングする追加コストはほぼ0だから、130万点もの在庫がある。
 さらに、「売れない本」には価格競争がないから、利幅が大きい。
アップルのiTMSでは100万曲以上ある曲のうち、1回もダウンロードされていない曲はない。
 アマゾンのロングテールには、「負け犬」商品がずらりと並んでいる。
一方、グーグルのアドセンスは、道の可能性を持った存在が並んでいる。
しかもロングテール部分に並びたければ、誰でも並ぶことができる。 
ゆえにロングテール部分はずっと長い。アドセンスは、広告主のロングテール部分
(これまで広告など出したこともなかったスモールビジネスや個人が広告を出せる)と、
メディアのロングテール部分(今まで広告など掲載したことのない弱小WEBサイト)
 をマッチングさせたもの。
そして新市場に参加する障壁を恐ろしく低くした。
・セルフサービスで出稿できる。
・単価が安くて成果報酬(クリック課金)型なので、
 誰でも気軽に広告出稿できる。

 さらにアマゾンは自らの生命線ともいえる
「アマゾンが取り扱っている膨大な商品データのすべて」を、
誰もが自由に使って小さなビジネスを起こせるように、無償で公開した。
その公開にあたっては、単にデータを使えるのではなくて、
開発者がそのデータを活かしてプログラムを開発しやすいように工夫を凝らした。
このように、開発者向けにプログラムしやすいデータを公開するサービスを
ウェブサービス」といい、開発者向け機能を「API」という。
結果として、小売業者やネット事業を始めてみたい開発者たちは、
このウェブサービスを利用してアマゾンの商品データベースにアクセスし、
自らのサイトでアマゾンの商品を自由に売ることができるようになった。
ウェブサービスの公開からわずか1年足らずで、ウェブサービスを利用して作られた
無数のサイト経由でアマゾン商品を購入したユーザーは、数千万人に上った。
アマゾンはこのウェブサービス経由での売り上げから15%の手数料を得る仕組みを
導入していたので、アマゾン島事業自身よりもアマゾン経済圏支援事業の利益率のほうが高くなった。
 自社の生命線たる商品データベースを公開することで、アマゾンはネット小売業者から
Eコマースのプラットフォーム企業へ、テクノロジー企業へと変貌をとげた。これがWEB2.0である。
 すべての人が検索エンジンを利用して目的のサイトにたどり着くような世界が来るなら、
ありとあらゆる言葉に対する検索結果で、アマゾンのサイトが上位を獲得できることが
アマゾンの売り上げの飛躍的向上につながる。
マゾンのウェブサービスを利用する一般のサイトが多くなればなるほど、
アマゾンへのリンク数が多くなり、検索エンジンで上位に表示されるようになる。
この現象は、これから起きる大きな変化の一現象でしかない。
その変化は産業革命よりずっと大きな変化の潮流である。
以前にも書いたが、現在の私の買い物の半分以上は、ネット上である。

 アマゾンのウェブサービスでは、個々の商品だけでなく、
アマゾンの全商品データへのアクセスが可能である。
インターネットの「こちら側」(ユーザー側)でデータベースを
保有しなければならない状態と(楽天など)、
インターネットの「あちら側」(サービス提供者側)に構築された
データベースを自由に利用できる状態は大きく異なる。アマゾンの周辺には、
アマゾンのウェブサービスを導入した無数の個人が運営するサイトが群がり、
いまや「アマゾン経済圏」を構成しつつある。
「こちら側」に置いた情報を「こちら側」のシステムで処理するより情報を
「あちら側」に置き「あちら側」で処理してしまう方が、はるかに効率的で性能も高い。

以上だが、最近、本以外の分野に枠を広げてきたが、アマゾンの本当の恐ろしさが出てくるのは、
これからである。世界中の人が、このネットで本格的に買い物を始めるのは、これからである!
 間違いなく、あちら側の世界が、こちら側の世界を大きく変えようとしている。
                   ー (*"・∀・)ノバイバイ!
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2005年04月06日(水)
1464, 発想名人 -読書日記

最近よく本屋で見かける斉藤孝の本を図書館から数冊借りて読んでいたが、
また「発想名人」を借りて読んでみた。
内容は前の本からみると軽いが、表紙裏の言葉がなかなかよい。
ー『ネガティブな意見を言っている暇があったらアイディアをだせ!』
これが私の最近のスローガンである。すべての現実の困難は、具体的な
アイディアによって乗りこえるものだと私は考えています-
ネガティブな意見を出すのは簡単である。相手の正反対の視点を設定して正面から
突き刺すのである。私も独りで考える時に、正反の問いかけを何回かしてみる。
その繰り返しの中で問題を掘り下げる。それが、考えることである。
したがって、肯定だけでなく否定の視点も必要である。
計画を練ることは、正反合を繰り返し繰り返ししていくことである。
ネガティブの意見も「異見」として正の立場を逆に見直すことになる。
チームで計画を練ると、否定だけの人がいる。
ネガティブはエネルギーを殆んど使わないで済むことを知っている。
ただ、アイデア・バスターをしていれば済むからだ。ほぼ対案を持ってない。
特に女性に多い。亭主の否定をして、稼ぎを当然のように取りあげれば済む。
それも自覚してないケースが多いから泥沼に陥ってしまうケースが多くなる。
判断を相手にさせて失敗した場合に、その非をなじるか、冷笑しているばこと足る。
その辺は巧妙であり、テクニックである。これを繰り返していると、
本人がアイディア欠乏症になる。ネガティブが体質として身につくと、
イデアー知恵が出てこなくなるのだ。思考停止になってしまい、武器は否定だけになる。
全ての神経が武器に集中することになるから、アイデアなど出てくるわけが無い。
恐ろしいのは、自分のアイデアさえも否定してしまうことである。
いや、出てこないのだろう。
正・反・合の繰り返しが経験知として蓄積されて、知識から知恵へと醸造されてくる。
否定はそこで全て切断してしまい、思考を切断してしまう。
秀才があるところまで行くと、全く成長が停止をしてしまうのは、
イデアが出てこなくなるからだ。だから評論家には、このタイプが多くなる。
色いろな人がいるから世の中が成り立つのだろうが、企業活動ではプラスにはならない。
企業は知恵の集合体でなければならない。特に情報化社会では、無限にある情報を
選択して知恵に換えていかなくてはならないからだ。
寝ても醒めても、自分の仕事に集中しないと知恵は出てこない。
その知恵を否定するのだから、そのエネルギーの深さが見えなくなる。
考えつくしていると、考えない人の否定が見えてくる。最後はこの辺に話に
なってしまうが、実際のところ自分自身にこそ、その傾向が強いのだろう。
「我内なる否定者」の話でもあるが、
しかし、・・・ 口先だけの肯定もあるから何ともいえないが?

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2004年04月06日(火)
1099, 「80対20」革命 -4
「自分の20㌫のスパイク(強み)を見きわめる問い」が考えさせられて面白い!
ー以下に書き写してみる。
△あなたが心底興奮するのは、どんなことに対してか?
 一番熱心になれることは、どんなことか?
△自分が有名になったと想像してみる。
 どんなことなら有名になれるか?
△自分の個性でもっとも特徴的なことは何か。
 人と一番変わっているところは何か?
△何をしているときがもっとも幸せで充実していると思うか?
△一番得意なものは何で、他の人より得意なものは何だろうか?
△どんな役割や仕事がもっとも適していると思うか?
△別の分野や活動で、自分が優れていることがないか、あらためて考えてみる。
 できるだけ現在とかけ離れた意外なものがよい。あまり深刻にならない方がよい。
△もし新しいベンチャーを始めて驚くほど成功するとしたら、
 どんな事業であろう? 想像力をはたらかせて考えてみる
ー以上であるが、現在の自分について考えてみて書いてみた。
ここでは書けないが、如何に深耕があった部分と、無かった部分が
よく見極めることができた。今回は内容を書くのは控えるが、この随想日記
に殆ど書いてあることばかりである。まあバカの壁を辛辣に見えてしまって
いるからだ。もう見せているから今更だが。全て反省の言葉が多いのが人生と思っているが。

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2003年04月06日(日)
732, 「こうすれば良くなる」??
いまの日本の議論で大部分が、「こうすればよくなる!」という発想が、基点。
これに対して「もうこの発想から脱却すべきではないだろか?」という論が新聞にあった。
その内容を私なりにアレンジをして書いてみた
ー誰もがいまの日本は縮小すべき時期にきていることを知っている。
それを回復とか現状維持を前提に議論しているから、ますますおかしくなる。
失業率だって今の倍の2~3倍になってどこが悪い。それで西欧並みでしかないからだ。
日本をとりまく環境が変わってしまったのだから失業が増えて当然である。
 デフレもグローバルになったのだから仕方がない。
どうして日本の経済規模を縮小していくかを真剣に議論すべき時期である。
そうしなくては、自然の暴力にもろに破壊されてしまう。恐慌というやつにだ。
 いまや株価や土地が20年以上前になっているなら、政府の予算規模も
縮小すべきである。それができないなら、恐慌が起こるのが当然である。
「良くするなどと考えている非常識」がまかり通っている。
思い切って、国家規模ー予算を20年前に戻すべきだと宣言すればよい。
それにしても、箱物や道路や橋や新幹線を造ってしまって、その借金をもあるから
単純にはできない。このジレンマからいつ抜け出る事ができるのだろうか?
ー以上になる。
人の意見をこうアレンジして書いてみると、これが自分の意見になるのだ。
なるほどと、自分でも感心する。大体がこんなものだから批評家が存在
するのだろう。

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2002年04月06日(土)
368,リオのカーニバル

いまTVをつけたら、NHKのハイビジョンで「リオのカーニバル」をやっていた。
2時間があっという間に過ぎてしまった。
7年前に行った内容をコピーしておくが、本当に素晴らしい内容であった。
今見ている内容は当時に比べ、かなり豪華にかつ派手になっているようだ。
カーニバルは元々はヨーロッパで行われていた、キリスト教のお祭りである。
南米の農園に売られていった奴隷が、一年に一度のカーニバルに与えられる
休日に輪を作って歌い踊ったという。
普段でも彼らの楽しみは歌と踊りだけで、それが段々サンバに変わっていったという。
1888年に奴隷制度が廃止された時、彼らはリオに仕事を求めていった。
彼らはグループを作って踊っていたが、そのうち互いに競いだしたのが
リオのカーニバルの始まりという。リオだけでも400のグループがあり、
そのトップクラスと準トップクラスが正式に会場で競う。
それぞれチームごとにテーマがあり、それによってストーリがある。
それにより、衣装や歌や踊りが決まってくる。
上位のチームにそれぞれのチームにスポンサーが付いているという。
それぞれ項目があって、厳格の審査のうえで順位が決まる。
去年から見ているが、ハイビジョンのせいもあるが素晴らしい。
一年は全て、カーニバルを中心に回っている。
ーーーー
H0703ブラジル旅行記
 “行って吃驚!玉手箱”主観をこめて現地の実感を書いてみる。
カーニバルはリオディジャネロだけでなく、全国津々浦々の都市で行われており、
四日間全国がお祭りの為休みとなる。
その最も有名で世界的に知られているのがリオのそれなのである。
リオのカーニバルのランクがA・B・CとなっておりAランクが9チーム、
Bランクが15~16チーム、Cランクは数十チームとなっている。
AとBチームが特設スタジオのメーン、ストリー850mを80分の持時間で
踊りながら行進する。そこは六万人の観客席があり、審判席で厳格に審査され、
その年の優勝等順位があらそわれる。
そのチケットは一般の人はほとんど入手不可能である。
我々のTV新聞等で目にするのはCチームが街頭で行進するものでしかなかった。
チームは四千名が1チームで構成されており、
それが約500名×8チームに細分化され、統一のコンセプトのもとに、
仮装が華やかにつくられている。
音楽も各チームごとに毎年新しいコンセプトのもとに有名作曲家が名誉をかけてつくる。
その作曲も採点の大きなポイントになるという。
一日6~8チームが夜の七時より翌朝の七時まで延々と踊りの行進が続く。
観客席もその行進曲にあわせて半数以上が踊っている。
音響もすさまじく隣の人の声は全く聞こえない。
上位数チームが翌週の土曜日に優勝をかけて再び行進がおこなわれる。
優勝チームは10億以上の賞金がつき、かつ翌年に向けてのよいスポンサーが約束される。
その年の山車とか衣装は翌年に持ちこさずすべて破棄するという。
カーニバルをみていて“気”とか“色即是空”とか“禅の悟り”がすべて含まれており、
東洋的なこのような言葉が小さくみすばらしくさえ思えるくらいだ。
ブラジルの印象として残ったイメージとして、キーワードを書くと“サッカー”と
“サンバ”と“森林”と“イグアスの滝”そして“汚職まみれの国”である。
さらに加えるなら“まずしさ”である。

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 ーお笑いー
<新しいメイド >
 家に電話をしたら、新しいメイドが出た。
 家内を呼んでくれと頼んだら、男と寝室にいると言う。
 頭にきたその男、メイドに書斎の机にある銃で、二人を撃ち殺すよう命じた。
 暫くすると、二発の銃声が聞こえた後、電話口で今殺してきましたとのこと。
 ついでに、死体を庭のプールに投げ込むように命じた。 
暫くすると、メイドが電話口で‘庭にプールはありません!’