つれづれに

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今日のYoutube

 今朝の早朝の信濃川の二つの大橋の
一周の生き返りに福島江の桜を見てきた。
今日の午後辺りが8分咲きのようだ。
 桜は、8分咲きで、満開というらしい。


・・・・・・・
2922,中沢新一の『三位一体モデル』 -1
2009年04月05日(日)
 『三位一体モデル』中沢新一著  -読書日記
図書館で何気なく借りて、目を通したところ面白い本である。
特にキリスト教イスラム教の違いと、その争いの元を解りやすく書いている。
三位一体とはキリスト教の考え方で、西欧の考え方でもあり『父』『子』
『精霊』を指す。それぞれの円が三つ重なりあっている図を想像すれば良い。
・『父』は 物事の基本になる普遍的なこと。哲学や理念などが含まれる。
・『子』は 『父』のベースを具体化する存在。 
・『精霊』は 子の働きにより、増殖するコントロール不能な物もの。
  (販促、宣伝など資本主義の増殖を助ける役割を担ってきた)
 この3つがバランスよく配置されることで物事の意味や本質が捉えられ、
すべての問題はこのバランスをみると理解出来ると言う。
 会社をみると『父』は理念や社会還元、『子』は会社そのもの、
『精霊』は販促や生産活動。『父』の不在が、会社を迷走させることになる。
社会問題の多くは、社会の父たる規範が無くなっていることから始まる。
『精霊』はキリスト教社会の中で不可欠なもの。 イスラム社会では『精霊』
にあたるものがない。偶像廃止も、この辺からきている。(お金でお金を生んで
だめ<株>はいいらしい) そのためにイスラムの銀行は利子がつかない建前
をとっている。 資本主義の『精霊』に頼る経済はイスラム世界にとっては
『堕落』そのもの、『9.11テロ』でニューヨークのWTC(経済のシンボル)
に突っ込んだのも、その攻撃行動という。
この本は100ページも満たないが、多くの示唆が含まれている。 ーつづく
・・・・・・・・・
2558, 爪もみ療法
2008年04月05日(土)
ある本を読んでいたら、「爪もみ療法」という聞きなれない健康法があった。
そこで早速ネットで調べてみたら、以下のようにあった。
 【爪もみのやり方】
・爪の生えぎわの角を反対側の手の親指と人さし指で両側からつまんで揉む。
・一カ所を十秒ずつ、症状に対応する指は二十秒ずつ、揉みます。
・以上を一日に二から三度行います。
・少し痛いくらいの強さで刺激する。
・薬指だけを揉むことは避ける。(薬指は交感神経を刺激する指のため。
 ほかの四本指の刺激と一緒に行なう)
  ー字数制限のためカット2010年04月5日ー


・・・・・・
2193, やまあらしのジレンマ
2007年04月05日(木)
    オッ(*^○^*)ハ~ヨウ!

ショーペンハウエルの「やまあらしのジレンマ」の話が面白い。
 まずは、その内容から
 ーー
あるところに二匹のやまあらしがいた。
冬の朝、寒いので二匹のやまあらしは互いに暖めあおうとして身を寄せあった。
しかしあまりに近く身を寄せあった二匹のやまあらしは
自分の体に生えているハリで互いに傷つけてしまった。

    そのため二匹のやまあらしは相手から離れたが、また寒くなった。
    そこでふたたび二匹のやまあらしは身を寄せあったが、
    また互いに相手を傷つけてしまう。
    このように二匹のやまあらしは離れたり近づいたりを繰り返し、
    ようやく「最適の距離」を見いだした。
 ーー
この寓話は、
我々の心は「寒さ」と「痛み」のジレンマの中でしか
「最適の距離」を見いだすことができないことを提示している。
やまあらしのトゲとは、人間の自我(欲望や、社会的立場、感情)をいう。
青年期は自我の一番強い時期、だから青春期の恋愛は、
トゲとトゲの刺しあいになり、愛しあうほど傷つけあうことになる。
その繰り返しの中から、お互いの最適な距離感を身につけることになる。
 青年期は、傷つきやすい時期でもある。

    その傷の癒しを他の対象に求め、そこで更に深く傷つくのがあたり相場。
    癒しを他に求めること自体が次の傷をつくる準備をしていることになる。
    そのこと気づかないのが若さからくる無知である。
    孤独は人間の本質的なことであり、それをしっかりと自覚していないと、
    傷口がどんどん広がり、化膿していく。 

夫婦関係にも言えることである。
トゲとトゲの差し合いを今だしているが、互いの皮膚が30数年の結果、
痛みを殆ど感じなくなってしまった。
適当の距離感とは、=あまり親密にならないこと!である。
青年期に女性も友人も、ある距離に近づくとトゲが全身から出るのを感じとった。
あれが、自我だったのだ。  今もそうだが! 
    トゲは必要である! 自己を守るためにも。
   しかしトゲの先は丸くしておかなければならない!     
                     ホンジャ、バアアイ 
                   ♪♪((((*`・´))ノ ♪♪
----------------
2006年04月05日(水)
1828, ずっとやりたかったことを、やりなさい-5
        ゚+.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ☆゚・:*☆
               -読書日記
  ーアーティスト・デートー

   「人は皆、内なるアーティストをその心に抱えており、
    今までの経験や年齢等に関係なくアーティストとしての創造性を秘めている。
    そして誰でもカンタンに(もちろん継続と努力は必要だが)
    その才能にアクセスする方法がある」という。

ここで誤解しないでもらいたいのは、アーティストの才能とは
画家・音楽家・歌手・陶芸家・舞踏家といった俗にいう「アーティスト」
だけを表すものではなく、全ての職業に共通して求められる「創造性」の開花をいう。
その意味で、全ての人を対象にした才能開花術である。
特にクリエイターの方々(デザイナー、各種コーディネーター、ライター)
には参考になる方法である。

    机上の空論ではな、才能開花のための実践的なトレーニング法が
    12週間という具体的なプランに落としこまれたトレーニングプログラムである。
    本を読みすすめていきながら書かれている通りに、一週間約30ページずつ、
    作業を進めていけばよい。
    そのプログラムの核ともなるべきものが「モーニング・ページ」と
    「アーティスト・デート」。先々回はモーニング・ページを紹介した。
    今回は「アーティスト・デート」である。

ーその一部を本文より抜粋してみると…
アーティスト・デートとは具体的に何なのか?
それは週に二時間程度のまとまった時間をとって、
あなたの創造性の象徴である「内なるアーティスト」の育成に専念することだ。
もっとも基本的な形を言えば「アーティスト・デート」とは旅行であり、
あらかじめ日時を指定しておくデートであり、他人の進入を禁じた時間だ。

    「アーティスト・デート」には部外者を同行させてはいけない。
     行ってもいいのはあなたと、あなたの「内なるアーティスト」、
     つまりあなたの「想像する子供」だけだ。
     恋人も、友人も、配偶者も、子供もだめ
     -どんな肩書きの人もお断りだ…
   ーー
 以上だが、要約すると
「週に二時間ほど自由な時間をとって、その時間だけは
 自分が好きなアートを好き勝手にやりなさい」ということ。
 私は読んだとき、私が毎朝しているウォーキングが正に
「アーティスト・デート」と気づいた。

   ーそれ以外にこの本で印象的なことを抜粋してみる。
    《 怒りは耳を傾けてもらいたがってる。
    怒りは声であり、叫びであり、懇願であり、要求である。
    怒りは敬意を払ってもらいたいのだ。というのも、それは心の地図だからである。
    怒りは私たちの限界がどこにあり、
    私たちがどこに向かいたがっているか教えてくれる。
    また、自分が現状に満足できなくなっていることを知らせてくれる。・・・
    怠惰、無関心、絶望は敵だが、怒りはそうではない。怒りは友達である。
    素敵な友達でも、やさしい友達でもないが、きわめて誠実な友達だ。
    それは私たちが裏切られたときや自分自身を裏切った時、かならず知らせてくれる。
    そして、自分の興味に従って行動するときであることを告げてくれる。
    怒り自体は行動ではない。行動への招待である。》

     《アートとは、みずからを社会にさらす行為である。
     アートは物事に光を当て、私たちを照らし出す。
     そして、私たちの中に残っている暗闇に一条の光を当て、
    「みえるでしょう?」と語りかける。
     あるものを見たくないと思っている人たちは、
     それを見せる者に怒りを覚え、徹底的に糾弾する。》
     《真摯な表現はクロゼットを開け、地下室や屋根裏に新しい風を
     送り込み癒しをもたらす。》
     ーー

  ずっとやりたかったことを見つけ、それを時間をかけてやりなさい!
   ということか。
              ΒΥΕ.._〆('Д'*⊂⌒`つ
・・・・・・・・
2005年04月05日(火)
1463, 「虚構の王国」-NHKスペシャル

一月前ほど前、このHPで堤義明のことを書いた。
ところが、その内容についてTBSの記者から電話が入った。
自民党の歴代の派閥の長が首相になると3億の祝儀を彼が云々・・」と書いたが、
そのニュースソースを知りたいとの問い合わせで、
「翌日の、報道番組に取り上げたい」との内容であった。
キーワードで検索をして、知ったようだ。
「ヤバイことを書いてしまった!」と、少しパニック状態になってしまった。

しかし、10年程前には誰も知っていた話である。
年代が変わったのだろうと、知人に何人か聞いてみたところ、
「現在はどうかわからないが、当時は流布していた」と聞いてホッとした。

ところで先日、NHKスペシャル
「虚構の王国」ー西武鉄道土地神話の五輪計画とサミット・闇の株式取引ー
というテーマのドキュメントを放送していた。
 その最後のナレーターの言葉が印象的であった。
「虚構の王国の向こうに見えたのは、戦後日本の実像である」
この言葉は、現在の日本のバブルの崩壊の姿そのものである。

インフレ時代の勝ち組が、現在負け組に変わっている。
最後のバブル崩壊の象徴として西武が浮かび上がってきた。
担保に入れていた西武鉄道の株が上場廃止になってしまい、
実質債務超過になってしまった。
それをキッカケに、隠れていた事業のボロが露出してしまった。
その具体的な内容のドキュメントであったから、見ごたえがあった。
多かれ少なかれ、時代の流れの中で誰もが出会った現象である。

不景気の直撃がレジャー産業に直撃。
更に、海外にレジャーの鉾先が向かってしまった。
レジャーもグローバル化が生じたのである。
そのため西武ー国土の思惑が全く崩れ去ってしまった。
日本中の観光産業は、その直撃で生死の境を彷徨っているのが現状である。

ここにきて、あらゆる分野で根底から変化の現象が現われてきている。
全ての国民にとって、他人事の話でないのが深刻である。
--
以下は、先月書いた西武鉄道の内容である。
あぶないところは、かなり書き換えてあるが。