昨日は、中学校の同期、古希の会

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昨夜は、湯沢のニューオータニで、長岡東中学校の昭和36年卒
の「同期会」が開かれた。 出席者は61名。二割弱の出席になる。

17時から19時半まで一次会が開始。その直後から、
近くのスナック風の宴会場で二次会が開かれた。
私は、20時53分の新幹線で、そうそう帰ってきた。

自衛隊とか、教師、病院の薬剤師、日立、など仕事はさまざま。
古希となると、元肩書きなどの意識が消えているので、昔の
時代に立ち戻りやすいようだ。

式しだいの司会をかって出たが、以前なら軽くできた進行も、
シドロモドロには、自分でも驚いた。慣れないことはしないことだ。
ある意味で、これだけの同期の人が集まるのは、これが最後。

二日酔いは全くない。

明日は、この文章を下地の随想日記になる。


・・・・・・
3006,戒名を自分で付けてみた ー2
2009年06月28日(日)
 「戒名は自分で付けよう」 高林院釈俊信居士著 ー読書日記

 歳が歳だけに戒名を自分で考えると、何か神妙な気持ちになる。
思い立ったが吉日、軽い気持ちで考えると良い。 40歳が目安だろう。
あの世の名前を、自分が生きてきた生き様を元にネーミングする作業だから、
これほど面白いことはない。当時は坊様以外に、その能力を持った人が
少なかったこともあるが、今は違う。 家の仏壇には回出位牌が二つある。
回転式の祖先の過去帳である。明治半ばからの当家の祖先の戒名と俗名と
亡くなった日が記録してある。八角形の筒状になった書き込み式位牌で、
中が回転する。私が実家に住んでいるので、仏壇を守っていることになる。 
この仏壇の中に祖先の魂が入っていると考えてもよい。この文を書くに
あたりメモをとったが、一人ひとりの人生が何かを語りかけているようである。
俗名も法名も、一人の人間のミニ物語である。そして亡くなった年齢も命日も、
その人だけの物語の記念日。嘆き悲しむ親や親族がいて、坊様も、それを
踏まえて法名を捻り出したのである。 本人も死に怯えたかもしれない。 
それさえ無かったのかもしれない。戒名も、位牌も決しておろそかにして
はならないのである。 だから、自分の戒名を自分で作るのも、永遠の
自分を残すという意味で大事な作業かもしれない。坊様から命名して
もらうも、それはそれで良い。自分で命名するのが邪道なら、自称戒名、
として別につくっておくのも良いだろう。俗名は親が作るなら、
あの世の名前は自作でつくるのも理屈である。
 ところで、家の回出位牌に書かれていた法名とは、以下の通りである。
父、堀井誠作 の法名は 池行院釈誠道 72歳没 昭和48年6月30日没
母   志摩      報寿院釈尼信華 88歳没 平成4年9月23日   
一番上の兄、運一 の法名は 釈足心 23歳没   昭和27年3月15日
二番目の兄、進 の法名は、釈証盆  24歳没     29年8月11日
三番目の兄 誠 の法名は、釈淨誠   5歳没     11年6月4日
祖父の多吉は、釈淨信        62歳没      2年7月22日
祖母のツルは 釈尼妙証       55歳没     大正12年10月
父には幼児の頃に亡くなった兄がいて 修作 5歳没  明治31年8月29日
明治29年に亡くなった父の姉のヒサ 42年に亡くなったフミの名前がある。
  
そうこう考えると仏壇を守る立場として、自分の戒名を勝手に付けて
良いものか、疑問もある。下手をすると罰当たりになるか?それぞれの命日
には、心を込めて般若心経をあげないと・・ ところで両親を除くと、誰も
彼も私より年齢が下である。父親は「先祖供養だけは、しっかりしておけ」
が口癖だった。
ところで自分で考えるのが面倒? なら、 俗名を○と×のところに
入れておけばよい。たとえば、著者のように。 面白みはないが。 
あの世の名前も、事前につけておくのもオツである。  合掌!

・・・・・・・・・
2642, 郵便ポストが赤いのも、みんな娑婆が悪いのよ!
2008年06月28日(土)
昨日の産経新聞の一面のコラム、曽野綾子の「小さな親切、大きなお世話」
ー弱点を武器にする弱者たちー  が、的を得た論評であった。
ー要旨といえばー
秋葉の男を通した、現代の腑抜けの若者と負け組みと称して何もしない人
たちへの批判である。戦後教育の最悪の集大成が秋葉無差別殺人である。
曽野綾子は、彼は弱点を武器にする弱者でしかない、と批判。短大を出た
環境に育ったこと、派遣会社でも勤めることができること、五体満足の体と
健康があること、それだけで充分という。アフリカや南米の貧困層と比べれば、
全く恵まれている。それを「負け組」意識、弱者の僻みで根が歪んでしまって
いると指摘する。彼らは「弱者は弱い」のだから、援助しろ、イタワルのが
当然という、開き直りを武器にしている、と。
 - 以上だが、
 団塊ジュニアの弱者の事例が周辺に幾らでも転がっている。
彼らは、それなりの間接的な脅しをしてくる。「死ぬしかない!とか、
「弱者になっていまったのは親や社会の責任だ」とか。 時代が下降すると、
頭と尻尾が腐るというが。 何が平和憲法か、笑わせる。アメリカの去勢を
モクロンダ枠組をそのまま大事にして、この様である。
この事件は序曲でしかない。彼女の最後の閉めの言葉
「戦後の日本は心身を強くすることは軍事力の象徴で平和の敵とみなして
 きたが、それは間違いだ。強くなって耐える力を持ち、自発的に不運な
人のために金か労力か、心か時間を差し出せる人を目的に教育すべきである」
が、教育の背骨になければならない。
「郵便ポストが赤いのも、電信柱が高いのも、みんなアナタが悪いのよ!」
ではね?。

・・・・・・・・・
2007年06月28日(木)
2277, あと半年の命!と告げられた人の言葉  ?1
               |* ̄o ̄|お|* ̄O ̄|は|* ̄。 ̄|よ

 何げなく読んだ言葉の重みに、すくんでしまった。その一言一言の重みと、
末期ガンと宣告された経験者しか知らない、虚空を目の前にした不思議な
体験の言葉。ノンフィクション作家の柳原和子の「からっぽの演出と装置」
の文章である。
ーー
三年半前、医療から末期を告げられました。なぜか今も生存しています。
告知された私が三年半かけて自覚したのは、告知人が医師であれ、占い師で
あれ、裁判官であれ、死の期限を切られると人は(わたしは)「その言葉に
とことん支配されてしまう、修正がきかない、」という他人からみれば
愚かしいまでの単純な事実でした。実のところ死は虚構です。
誰ひとり体験し、蘇り、それを聞かせたり、した人は一人もいません。
にもかかわらず、誰もが死を語ります。その殆どは身内や友人の死の目撃談、
または別離でしかありません。死そのものではありません。当事者がいない
のに目撃者だけがいる。画像に映り込んだ数えきれない幾つもの黒い影を
論拠として提示されながら、「あと半年の確実な死」を告げられるのは
かって経験したことのない不思議な体験でした。 ・・・中略
死は誰にとっても永遠なる闇の空洞です。しかも空洞の大きさ、質感、彩り
など知りうるすべてが捉えきれないがゆえに言いしれぬ恐怖を誘います。
想像力のなかに位置するブラックホールとでも言いえるかも知れません。
「あなたは6ヶ月後にそこに入っていくのです、」との告知は不思議でした。
震えながら、ひとり、を実感しました。なにひとつ手がかりのない闇と
いささかなる音、気配もない空洞を方向も理解できず、誰も傍らにいない
ままに歩む旅路。・・・・中略  ガンはいまだミステリーなのです。
だからこそ古今の研究者、医師、小説家、哲学者の限りない探求、
征服の野望をかき立てるにちがいなく、またそれを得た患者としての時間も
限りなく幻惑される日々となるわけです。死とガンという二つの幻が混在、
しかも決して読みきれぬ私という幻が歩んでいく日々。
恐いもの見たさ。虜になるのを防ぎきれませんでした。 闇の空洞は悪魔的
な魅力を放っていますが、しかし、そこを歩く恐怖に抗して日々を凌ぐ胆力と
精神の蓄積を私は持っていません。そこで、それ以上か以下かは判然と
しませんが、より不可解なる何かをひきよせることで、とりあえずの支えに
しようとします。 祈る、という行為にそれは凝縮されます。
朝陽に祈り、木々に祈り、なき両親に祈り、路傍の石や草木に祈り、
地蔵や神社仏閣にたちこめる人々が営々と祈りつづけてきたからに違いない。 
その蓄積が源泉であるに違いないある種の空気に祈り、残照を祈る。
 ーー                      ーつづく
 死に関しては色いろある。私の知人は両養子で、義父の亡くなって
数年もしないうちに80歳半ばの義母も亡くなった。その死の間際に義母は
知人に向かって眼を見開いて「(あなたは)嘘! みんなあげる! 
面白かった!」と言ったそうな! これまた、凄い言葉である。
                        ホナナァ☆ |∀・`@)ノ|Ю
・・・・・・・・
2006年06月28日(水)
1912, スペイン画家・堀越千秋?4
  「スペインうやむや日記」?3  ー読書日記ー
          
 その9 ーむかつく (P-90)が面白い!
 ーー
プラド美術館のそばに何ヶ月か住んでいる知り合いの日本の女の子が、
まだプラド美術館を見てないというから、『え~見てないの。せっかくそばに
住んでいるのだから、損だよ、そりゃ見なくてちゃ』といった。
この言い方あるいは内容が、何か先方に劇的な感情を起こすかもしれないと。
ところが、何と彼女は、にわかにわめきましたです。「それってむかつくっ!」
「・・・・・はい?」「む・か・つ・く!」同席していた、もう1人の女の子
(両方とも20代)が説明してくれた。 こういう「あたまごなし」の
「先生みたい」な「一方的」なものの言いようは、「おしけがましく」て
「むかつく」のだそうだ。 ニャニィ 【君はъака】\_(・ω・`)ココ重要! 
あのな、ふざけんなよばかやろう。だが私は分別のあるインテリの国際人である
から、私の言葉のどこがそれに相当するか、静かに問うた。しかし、むかついた
女の子Aはソッポを向いているし、女の子Bは私が悪いという。そもそも私は下心
なしに安いレストランで不味い夕飯をおごり、そのあとアルメンドロのカフェで
コーヒーまでおごっているところである。 全く無罪である。それが何故??
「世代の差」と女の子Bはぬかした。ヾ(。??∀??)ノ??
私の目の前にいるのはタヌキか、虫か、ナマズか、火星人か? 頭ごなしで
いったのではないし、先生みたいでもないし、先生でもない。ただの親切だ、
ということです。その情けない論理にすがって、言い方の言い訳をいうのに
二時間も要した。時計を見ると午前三時である。この馬鹿どもの相手に、
あたしゃつかれた。;;(≧ω≦;)
  ーーーーー
以上だが、そのときの場面が目に浮かぶようだ!こういう馬鹿女が、
何も知らないでスペインにきているのだ。とくに欧州に行くと、日本人女は
舞い上がってしまう。日本とは、女の扱いが全く違うのだ。
レディファーストに徹しているから、それが土地柄ということが判らないのだ。
旅行先で何時も辟易させられている。頼むから食事の席では、そばに来ないでと・・
この三十数年間、新入社員の入社前教育が、ほぼこういう経験である。
詳細は書かないが・・・ 家庭教育が全く入ってないのだ。それと学校でも
社会規範を教えてない。ニャニィである。そして、1?2年すると、解った
ような顔をして それも・・まあ、ここでやめてこ! 他人事ではない、
自分の最も身近の誰々さん、まさか家内とも言えないが、
「もっと、 ひ・ど・い・・・・・」殺される?? 消せ消せここ!何か
堀越が乗りうつった?感じか。      。゜+.゜ヽ(●´ω`●)ノ。         
わたし、プラドを見てまわった時の感動今でも忘れることが出来ません。
これだけの絵が何と無造作に彼方此方で、見れるのである。確かに、
ルーブルも凄いがプラドはまた違った感動がある。
近くに住んでいて見てない!など・・・それも画家に言われて何を・・・である。
これを書いている現在、ワールドカップのフランス対スペインをみている。
フランスが後半に一点を入れたところ。 スペイン人はフランスを嫌いのようだ。
フランスは嫌いじゃないが、フランス人が嫌いだと!試合そのものは面白いこの上ない。
自国の場合、こうも冷静に楽しめない!と書いていたら、ジダンが三点目をいれた!
(註)ープラド美術館
スペインを、いや世界を代表する美術館の一つがプラド美術館。絵画館としては
世界一という声もある。ボスの『快楽の園』、ベラスケスの『ラス・メニーナス』、
ゴヤの『裸のマハ』『着衣のマハ』、ルーベンスの『三美神』…… 
「オランダ絵画やフランドル絵画を研究しようとすればプラドを訪れなければ
ならないが、スペイン絵画を研究するには プラドを出る必要はない」という
言葉があるほどだ。              ー つづく
・・・・・・・・
2005年06月28日(火)
1547, エホバの証人ー2

彼らの世界に一度踏み入ると、多くの規則に従しなくてはならない。
信者は教会活動に全身全霊を捧げることを強要?される。
献血の拒否
偶像崇拝の禁止
・国の祝祭日の否定
・特定の学校行事への不参加
・長時間の伝道の義務(多いもので月に140時間、少ないもので60時間、
 『ものみの塔』と『目ざめよ』の両誌を手にして家をまわる)
・毎週5つの集会の出席
 以上のような義務を果たそうとすると、家庭はもとより、職場や学校から
次第に離れるようになっていく。そこが、彼らの狙いがあるのだ。 それゆえ、
「社会に背を向けた宗教集団」「真理外の人々と社交をまじわるのは危険という
独特な集団」として、外部から敬遠される。それが、ますます信者同士を強める
結果となり、家族との隔離をうんで、その結果がトラブルになってしまう。
彼らの説では1914年と、1942年と、1975年にハルマゲドンの大戦があるはずが
何も起きないことが、マイナスのイメージを強めている。これらから考えてみても、
典型的なカルト?と見られても仕方がない。この教義を信じて教団に入っていれば、
楽しいであろうが。少なくとも疎外感とか、悩みはホボ解決されるからである。
検索でHPをみると、洗脳された人と、その家族とのトラブルが深刻である。
どこにもあるカルト対家族との対立構造が見てとれる。
このシステムに取り込まれたら、本人の自力では脱出はまず不可能だろう。
あのカルトの「オウム教」との共通点があるが、信者の財産を根こそぎ奪い
取らないからまだましか。年間、三万数千の自殺者が出ている現在、カルトを
一方的には既存宗教も批難できない。カルトも、その人達が金にならない
ことも知っている。 難しいところだが。経済が右下がりの時代、
カルトにとっては草刈場の場面である。

・・・・・・・・・
2004年06月28日(月)
1182, 秘境・異郷ツアーレッスン ?3

いま一つ面白いのは、添乗員と現地ガイドである。旅行の3分の1は添乗員
の質できまってくる。そして、質とは我々をいかに楽しませてくれるかである。
結局、自分でその仕事を積極的に楽しんでいるかどうかである。
そして自分の仕事の役割を理解しているかどうかだ。どんな仕事でも、
それは共通している。そこには、その人の素材としての質と会社の教育が
重なって出てくる。ツアー客の、代理店に対する評価は辛辣であり、それに
耐え得なくては存立し得ない厳しい世界である。見ていて本当に激務の仕事である。
次から次に起きてくる予期せぬトラブルを、一つずつ確実に処理をしていく。
ベテランなら解るが、まだ20代の女性の場合見ているほうが辛くなることが多い。
トラブルを処理をしてくれるのから、ツアーは非常に楽といえば楽である。
北スペインの時の女性はまだ忘れることができない。 20代半ばなのに、
30分前に閉館した博物館を日本からワザワザ来たと談じ込んで開けさせた
のには驚いてしまった。「私は不可能を可能にする女」と自分でいっていた。
そして最後まで、その姿勢を崩さなかった。最後は泣きながら大きなトラブル
を処理をしていた。仕事の辛さという面で、究極の場面が次々と出てくる。
やはり南スペインのアンダルシアの時の女添乗員もすばらしい。
スペインが大好きという本人の気持ちが全員に伝わっていた。スペインの
カセットを持ち込んで、バスの中ではその地方地方の音楽を流してくれた。
まあ、人生の何であるかを教えてもらったようだ。 厳しい中でも、
その環境を楽しむこと、それだけでなく世界を知る努力の必要性である。
                            つづく
ー以前書いた文章をコピーしておきます。
[90] 人生のコツ   2001/12/21
 (字数の関係でカット09年6月28日
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2003年06月28日(土)
815, たそがれ清兵衛

 構想十年、山田監督が藤沢周平の時代劇を選び映画化した話題の作。
中年男性が目に涙をいっぱいためて映画館から出てくるという。
昨年、行きそびれてしまい、DVDレンタルがでたら借りようと待っていた。
4月に貸し出し開始の予告の張り出し広告が、レンタルショップに出た。
しかし店頭には中々でなかったが、やっと3週間前に出た。
ところがいつも貸し出し中。それがやっと昨日借りることができた。
 藤沢作品は表題作を始め、どの短編もいじらしく人間くさい主人公と、
普段は見せぬがいざというときに出てくるあざやかな剣さばきの対比が素晴らしい。
作者が晩年に達したといわれるユーモアとペーソスをさわやかに織り成しながら、
剣客小説としての凄絶さも失われないのがよい。彼の多くの小説の共通点がある。
地方の名も知れぬ小さな藩の中の、風変わりな主人公が、それゆえに周囲から
あざ笑われている。しかしそこで、お家騒動がおこり巻き込まれていく。
そして・・・ 早速、映画をみて驚いた。小説と映画は全くといってよいほど
違っていた。ー映画のあらすじは(字数の関係でカット09年6月28日)

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2002年06月28日(金)
451,星野富弘ー詩画展

先日、新潟近郊の豊栄の公会堂で彼の詩画展に行ってきた。
数百人が来ていて,何ともいえない熱気に包まれていた。
ー彼の概略は
・私と同じ年の1946年生まれ。
 24歳のとき教師をしていたクラブ活動で、首の骨を骨折して手足の自由を失う。
・入院の2年目より口に筆をくわえて文や絵を書き始める。
・9年後の退院の年に前橋で絵画展を開く。
・その後国内やアメリカ各地で花の詩画展を開く。
・1991年に生地の群馬県勢多郡東村で村立富弘美術館を開く。毎年40万人が訪れる。
彼のことを知ったのは十数年前の「到知」という雑誌である。
対談だったと思うが、その中で「傷口よりあなたの優しさが沁みこむ」という文が
忘れられない。早速詩画集を買って絵を繰り返し見た。口で、これだけの絵を書く
エネルギーに別世界を感じ取った。今回の豊栄の「花の詩画展」で彼の絵を同じ目線で
直接見て、自分が彼そのものになって、自分の絵を見ているような気持ちになった。
何か悲しい、底から突き上げてくるような暖かさを感じとった。更に動けない自分と
花が一体化したような。花も星野という一つの生き物が自分と一体になっていること
を喜んでいる感覚。見方によって不自然な絵でもある。これまで一人の人間に
見つめられた花が過去にあっただろうか? 愛情と言葉とエネルギーに包まれ一体化
して、絵として表現されたことが。絵の世界ではあったのか知れないが。
決して幸せでない、動けない自分に対する苛立ち、諦め,怒り、そして愛がそのまま
絵と文を通して迫ってきた。地方の女性が一生、因縁に縛られ他の世界を知ること
なく終えようとしている。そういう人にとって、その絵と文は今はやりの癒しとなる。