シネマ

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 今日のYoutube
https://www.youtube.com/watch?v=n8oIv0NVKz8

 昨日の金曜日はシネマの日。
【ルーシー】を見てきた。 これが面白い! 95点。
動物は、3~4%、人間は10%しか、その能力を発揮しないが、
危機に会うたびに、その能力がアップして、最後は100%になって・・・
面白い設定である。

・・・・・・
2340, さっきみた幻想的、かつリアルな夢
2007年08月30日(木)

これだけ、ハッキリと憶えている夢は珍しい。
毎朝書いているモーニング・ページに夜半にみた夢を書いているが、殆ど忘れている。
それでも、五日に一度位は大筋は書いているだろうか。
夢から醒めた直後は、忘れないように反駁をしているが、
しかし殆どは反駁したことだけしか憶えていない。
ところが、どういうわけかリアルに殆ど憶えているのである。
夢見た直後に、リアルに、詳細に書けば、読んでいても面白いだろうから、
あえて書き出してみる。 まずは、私の夢の世界を、ご覧あれ。
私の潜在意識の公開である!
ーーー
近所を散歩していると、面白そうな家が目に付いた。
家の向かって右の方に、子供のための遊び場がつくってある。
そこで主人らしき人が手作りで何かを作っている。
声をかけると、中に入ってもよいという。
そこに入っていくと右が廊下のようになっていて、手作りの小さな部屋が5つ位ある。
その中に子山羊がいたり、こどもの遊び場があったり、遊び道具が入っている。
その廊下の奥に少し広い空間があり、カヤックやカヌーなどが置いてある。
家の右全体が自分たちの遊び場として、その主人・松尾という人が自分で手作りで
作ったという。 そういえば去年、大学の学生時代の友人がカヤックを持ってきて
新潟の阿賀野川の河口で大水の中、二時間ぐらい遊んだことがある、と言うと、
急に打ち解けてくる。 そして、居間に案内をする。
そこには、彼の友人が4~5人遊びに来ていた。毎週のように週末は仲間が集まるという。
そこで奥の方の部屋に行き、そこで松尾さんと話をする。
薄っすらとした髭をはやした五十歳位の人で、自由業のようだ。
名刺をだそうとしたが、出さない方がよいと判断、自分の姓だけをいう。
急に睡魔が押し寄せてきたが、そこに10歳位の彼の息子が来て、正座をして挨拶をする。
私も挨拶をしようとしたが、眠くてできない。 その松尾さんに、
「あなたは自由業でしょう。弁護士か、医者か、会計事務所の先生とか」
というと、その通りだと答える。
そうじゃなければ、このような好きなことを好きなまま、できないはずだ。
ところが、この夢には次の場面がある。
翌日、何と家内を連れて、その松尾さんの家に行ったのだ。
そして、家内は松尾さんの奥さんと話をしている。半分お互いに知っていたようだ。
二人で世間話を始める。まあ、せっかくのところに何で家内か、と思っているうちに、
帰ることになった。
ところが、何か騒がしいので行ってみると、この家の老いたお手伝いさんが前日亡くなり、
そのお参りに近所の人が来ていたのだ。 そこで私も、仏壇の前でお参りをする。
身寄りではないが、お手伝いとして面倒を見ていた人という。聞いていて涙が出てくる。
その後、一人で自宅の前に帰ってくると、宅配の人が玄関口にいる。
その前にも宅配の人がきていたようで、不在の紙があった。
そして、家に入ろうとすると、何か人の気配がする。
二人の息子と、二匹の犬が一Fの部屋にいる。
庭から部屋の中を見るとまだ高校生の彼らである。 その辺りで眼が覚める。
何か不思議な、リアルな夢である。心象風景ということか?
他人の夢を垣間見るのも面白い?というより、珍しいか!
私も直後にこれだけ、鮮明に文章化したのは初めてである!  ネムイ!
                :(,, ・∀・)ノ゛ マタネー.:+:
・・・・・・・・・
2006年08月30日(水)
1975, 写真家はインドをめざす      \(^▽^*)おは!
               ー読書日記
インドを精通する写真家14人が描いたフォトエッセイが、この1冊に凝縮してあり、
読んでいて魂まで吸い込まれるようだ。この本、この数年で5~6回は図書館で借りて
きては返している。読めば読むほどに何とも魅力のある本である。いや本が魅力が
あるというより、インドの地と、そこに住む人々の混在した多様性にひかれる。
 カルカッタマザー・テレサの建てた「死を待つ家」。
路傍でまるでゴミのように死んでいく身よりの無い人々が、
せめて屋根のある家で死んでいけるように建てた家の死を待っている
老人達の写真を冷静に撮ってあるもの。
・物乞いのライ病患者や、駅の隅で転がっている少女の死体?
・河の辺で焼かれている燃え上がっている死体。
インドをドック・アイの視線でカメラマンの目は鋭く一瞬を抉り撮っている。
白黒の写真が、むしろピッタリである。一人当たり7~8頁の文章と、10枚位の
白黒写真がその文章の後にある。画家や写真家のエッセイは何故、ここまで優しく
鋭く人の心を捉えるのだろうか?恐らく、一瞬の被写体の中にある本質を見抜く
感性が私たちの心の奥の共感を呼び起こすからだろう。
 この本のトップの日比野宏の出だしの文章から、対象を鮮明に表現する。
ーー
チャイ屋で一服するのが、インドの楽しみである。土蔵のような店の天井に
吊り下げられた扇風機が、湿気の無いヒンヤリした風を送ってくる。
何げなく帳場をみると、ゴキブリが油で揚げた菓子の上を通過し、ネズミが
茶碗の周りを這いずり回る。隣の男が茶碗にハエが入っていると怒ったら、
店の主人が平然とした態度で、スプーンで取り除いた。ハエや蚊は空気の成分と
同じだという感覚が、この土地で生活する条件の一つかも知れない。
インドに入国してから一週間も経ってない私だが、その状況に少しずつ慣れていった。
 -
という具合で、もう自分がインドの茶屋で、お茶を飲んでいるような錯覚に陥ってしまう。
また7人目の「インドに想う」-鎌澤久也
の写真も、文も素晴らしい。
 -
カルカッタといわずインドは楽しかった。人と動物が一体となり、平等な姿で共存する
インド、大通りに牛が寝そべり、交通の妨げになっても、決して文句を言わない
インド人、ヒンドゥー教においては、牛は神聖視されているからなのだろう。
しかし、乞食に堂々とした態度で、お金をくれといわれたのには
ビックリした。いまだに残っているカースト制度に起因をしているのだろうが、
君はお金を持っているのだから、持っていない自分にお金をくれる義務があり、
自分は貰う権利がある。確かに理は通っているが、が、いまひとつ納得がいかない。
・・それはそうと、ある夜、デリーの安宿で、屋上から街灯で浮かび上がる街並みや、
華やかな通りを眺めていると、見るからに長期旅行者といった、20代後半の男性から、
[[人生とは何でしょうか?」と、突然話しかけられた。ウ~ンと私はうなってしまった。
  ーーーー
「写真家はインドをめざす」青弓社 (共同 著書)
なぜインドを撮るのか。混沌、喧騒、氾濫――。
人々は渦を巻き、聖なる河はすべてのものを飲み込む。
写真家というフィルターを通して切り取った凝縮のインド、悠々の営み。
                 (。・ω・)ノ☆゚+.バイ!
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2005年08月30日(火)
1610, 閑話小題
ダイエー長岡店閉鎖ー
ダイエーの長岡店に一昨日の日曜日、最後の見納めで行ってきた。
あと閉鎖まで三日ということで、殆んど商品がない状態。
最後の残りの商品にハゲタカかハイエナが集るように客が、右往左往していた。
本来は閉店といえば、問屋が売れ残り商品をドサクサに紛れて売るのだが、
その元気もないようだった。ダイエー出店で長崎屋が閉鎖に追い込まれ、
今度は郊外のSCやスーパーセンターに敗れ去る姿は現実の厳しさを
そのまま露出していた。
ー今度の選挙は自民大勝かー
解散時から、この選挙は自民大勝と思っていたが、
そろそろ新聞や週刊誌で、その事実を認めはじめてきた。
民主の小沢など、もう次の次の選挙を前提で戦略を練っている。
反自民という意味で民主党支持の私が、自民支持になったのだから。
だれもあの郵政利権屋どもの汚い顔を見れば・・・・・
綿貫代表国民新党の名前はブラック・ジョークー
郵政利権派の綿貫と亀井が新党を結成をしたが、
その名前が「国民新党」という実態の正反対の名前をつけた。
どんなブラック・ジョークより冗談がきつい名前である。
「利権族旧守党」と、ズバリつけるわけもいかないが。
それを知っているので、郵政反対派の大部分は無所属で出るという。
この連中を1人ずつ、確実に潰してしまうべきだ。
刺客作戦は当然のことで、判断は国民がすべきことである。
この炙りだされたブラックの利権の化け者、
郵貯の既得権を守ろうとしているだけの輩でしかない。
「日本の将来など考える必要なし、現在の既得権を守るためなら何でもする」
という連中である。彼らが奇麗事をいえばいうほど、それが露呈していまう。
裸の王様の自分が見えてない。 時代が変わってしまったのだ。
「終わってしまった郵便局」の票と金を既得権として守りたいだけという姿が
露呈しているのが解らないのだ。欲呆けというところか。
大きな政府、それでけっこう何がわるい」と、正々堂々と言っている。
現在の日本は、国家収入の増加と支出の削減が待ったなしである。
民社党と哀れな政策ミスは致命傷である。
昨夜のお笑い番組「たけしのTV」では、みごとな位に郵政反対派を攻撃していた。
あの元社民党の法政教授の田島嬢?までもが、郵政改革賛成にまわっていた。
・・・・・
2004年08月30日(月)
1245, オリンピックが終了
オリンピックが、昨夜(日本時間では今朝方)終わった。
期間は8月12日から29日までの17日間であった。結局は金メダルが16個。
前回の三倍、東京オリンピックと同数、であるから大成功だった。
復興委員会が数年前に打ち立てた戦略の結果であった。
私の印象の強い順に書くと
・金メダルを16個取ったこと
・女子マラソンで野口が優勝したこと
 (丁度ツアーで、ウィーンのホテルでチェックインをした直後にゴールを見た)
・柔道が8個の金メダルを取ったこと
 ー野村が三試合連続金メダル、谷亮子が女子でニ連勝、
 優勝最有力視されていた井上康生が一回戦で破れたことなど
・水泳では、男子の岡島が金を二個、女子ではあまり目立たなかった
 選手が優勝をしたこと
・体操の団体優勝の緊迫した内容と優勝
・優勝選手のドーピングで、銀であったハンマー投げの室伏選手の逆転優勝
・優勝をめざしていた野球が銅に終わったこと
 -日本のプロ野球の威信をかけたが、この程度の実力ということが判明したことと
 これで、一リーグ制に加速がつくだろう
   以上、誰もが同じ印象であろう。
ところで、過去に日本が強かった卓球、体操、レスリングなどを、中国と北朝鮮
冷戦時代に戦略的に集中して強化して狙いうちをしていた。
そしていつの間にか彼らの得意競技になっていた。
それを一部とりかえしたといってよい。いずれにしても、日本復興委員会をつくって
本気になって金メダルを狙いにいった結果だった。 まあ素晴らしいことだ!

・・・・・・・・・
2003年08月30日(土)
878,「何故なれない富士山が世界遺産に!」

 先日のNHKTVの「クローズアップ現代」をみていて驚いた。
「富士山が世界遺産の指定から外れてしまった」と真面目に取り上げていた。
「馬鹿たれ、ユネスコ世界遺産とは何ぞや知っているのか!」
こんなものはフランスの一部の利権屋の既得権のワッペンの世界でしかない。
そのことを西アフリカのツアーで嫌というほど知らされた実感である。
 そのツアーの謳い文句が、「世界遺産を見てまわる旅」であった。
ところが、その世界遺産というのが見るに耐えない塵以下の代物だった。
殆ど意味のない、小さな小屋が世界遺産という。これは詐欺以下の世界である。
添乗員曰く
「これは詐欺の世界で、世界遺産はそういう西欧のラベルーワッペンの代物でしかない!」
「うっせい、この野郎!それを謳い文句でパンフレットに載せて、つれてきたのは
どこのどいつだ!」と心の中で思ってもすでに遅かった。
 NHKの番組で「何故、富士山が世界遺産から外された?」と真面目に取り上げていたのだ。
このことを解ってNHKも放送しているのだろうが、まさか「天下のユネスコ世界遺産とは
その程度のものだ」とも放送できないのだ。何の意味がない世界遺産をタップリ時間と
金をかけて行って、ゴミ?を見せつけられた経験がいわせているのだ。
 この文章をみて「私の偏見で決めつけているいるのではないか?!」
と考えるかも知れないが、実体験でこの目で見た事実である。
どうしても西欧の価値観で決められるのだ。
自分たちが過去に統治していて、今も関係の深い観光資源に甘くなる。
「こんなもので遺産はおかしいし、まだ富士山が選ばれてない」と、
その時も添乗員が言っていた
 ノーベル賞も、「もっと質が悪いもの」と考えると世界が違って見えてくる。
あくまで欧米の政治的価値観のレベルでしかない。
馬鹿みたいなのが、この表象世界である。
しかしそこに住んでいるのが人間でもあるのも事実であるが。
特に閉ざされた国の日本人は、世界遺産とかノーベル賞という言葉だけで
信じてしまう傾向があまりにも強い。
更に地方にいると、こういう視点を持つこと自体が変人扱いをされてしまう。
「他の星の住人の視点」をこういうグローバルの時代こそ必要ではあるまいか!
フランスでは大統領に当選すると、まず大統領マニュアルを徹底的に叩き込まれるという。
その中に「地球儀を数メートル離れたところからみる習慣化の訓練」があるという。
それを知ったときは、なるほどと納得したものだ。
自宅では、TV の横に100円ショップで買った地球儀が置いてある。
会社では、机の横に子供が使っていたボロボロの地球儀が置いてある。
時たま稀有壮大のことを考えるのは、そのせいだ。
100円ショップというところが自分でも (^<^)!(^^)!(^'^)(^o^)丿!
週に数回は地球の旅の番組をTVで見るときに手にとって見るが、非常に便利である。

・・・・・・・・
2002年08月30日(金)
504, 男時と女時

5年ほど前か、何かの雑誌で「男時と女時」の特集をしていた。
国の勢いにしても、会社にしても、個人としてもその時がある。
それに反したことをしないで従うこと。今の日本は正しく女時である。
30数年前の高度成長期は男時であった。人間もその人により、その時々がある。
駄目ー女時のときは、ただじっとして本を読むか、来るべき時の為の
準備期間と割り切ったほうがよい。
「風車、風の吹く間の昼寝かな」と誰かが、うたっていたが。
「枝葉を切って根を養う」時期と心得てジタバタしないことだ。
男時の時は、全エネルギーを出し切って葉と枝を精一杯張ることだ。
それぞれの立場や職業があるだろうが、大体が10~20歳代は女時として、知識、
経験を蓄え,30~40歳代に男時として、枝葉を張る時期だ。
ラクダの時-30歳まで、ライオンの時-30~60歳、
そして子供の時ー60歳以上があるが。
今の世界ー先進国は女時に入っているのではないだろうか。
一日のなかでもある。10時から16時辺りが、男時か。
[5時から男]はアフター5からだろうが。

・・・・・・・・・
2001年08月30日(木)
[126] まだ生きている!

33日の漂流の後奇跡的に助かった、漁船の船長が昨日TVに出ていた。
「スイカが流れてこないかなーとか、おや今日も生きているとか、なかなか
死なないもんだとかぼーと考えていた」このようなひとつづつが奇跡の原因らしい。
・スイカが流れてこないかなーはプラス発想、
・おや今日も生きているのかというは、事故(自己)の客観化というらしい。
10年位前ののヨットレースの佐野某の漂流記を読んだことを思い出した。
鴎をを捕まえて食べていたらしいが、一種の死の瞬間の倒錯がすごい。
今乗っているボートごと垂直に数百メートル昇っていった。
それは夢でもなんにでもない事実としかいえない出来事だったという。
ユングがそれに似た経験をしている。瞑想をしていてそのまま天に上るくだりである。
インドの上空をどんどん昇っていく、
インドの国の地形とか青い海そして地球が見えたという。
それがそのずっと後宇宙飛行士が見た光景と同じであった。
中世では人肉を食べた内容が克明に残っていたりした。