悠久山の花見 ―蒼紫神社参道の桜道

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 昨日の映画の日(金曜日)には、『チーム・バチスタ』をみてきた。  
 全く期待してなかった分、面白かった。       評85点

 今朝の悠久山の花見、10年前の地震で破壊されていた参道に久しぶりに行ってみた。
母親が生前、奉納した石碑が、地震時に何処か行方不明だったが、今朝、前にあった
場所に建てられていた。 気にかかっていたが・・・ 
 昨日一昨日とは違うコースで花見をしてきたが、今朝が満開というところか。
今年は、例年より花の咲きが良い。
  


・・・・・・
1842, ローマから日本が見える-3
2006年04月19日(水)
              おっ \(*^▽^*)/ はぁー
ー第一章 なぜ今、「古代ローマ」なのかー
*この章の印象的なところから抜粋してみる・・

「歴史とは人間である」
私にとって歴史とは、人間がこれまで経験してきた全てが入っている。
キリスト教は千年の間、ヨーロッパ人の精神を支配してきた。
だが、それにもかかわらず、ヨーロッパ人の人間性が向上したとも思われない。
これは結局、人間の存在自体がもともと、宗教によって変えようがないほど
「悪」に対して抵抗力がないのではないか。

 そうした人間世界を変えていこうとするなら、まずはこういう人間性の現実を
冷徹に直視する必要がある。なぜなら古代ギリシャやローマの人々はキリスト教
ない時代に生きた人々であった。 ・・・ キリスト教は本来は人間をさらに向上させたはずだ。
それが、そうならなかったのは神と信者の間に、聖教者というフィルターが
介在したと考えられる。彼らの存在はかえってキリスト教の教えを損ねているだけでなく、
神と信者のつながりを邪魔をしているとルネサンスのルターは考えた。
私見ー現在の日本の葬式屋僧侶にもいえる}

 「水平思考と垂直思考」
 現在の日本を考える時、改革の遅れに破滅への危機を感じる。
うすれば良いのか? それには、一つには、日本以外の国はどの様にしているのか?
(水平思考)
 他には、垂直方向のリサーチー歴史を振り返ることです。
西欧的な考えが崩壊している現在、ローマ人の生き方は宗教やイデオロギーとは
無関係だっただけに参考になる!と・・・

「試行錯誤がローマを作った」
当初は小さな都市国家でしかなかったローマがイタリア半島に勢力を伸ばし、
ついにはポエニ戦役に勝って大国のカルタゴを下し、地中海を「我らが海」
と呼ぶまでの勢力になる。あたかも幸運の女神に導かれて、すくすく発展したようだが、
実際は正反対であった。ローマ人の強さは、失敗しても、それを必ず次の成功に
つなげようとするメンタリティがある。彼らは敗因が自分たち自身にあったことを直視する。
反省するだけでなく、それを、国論分裂という活力のロスを避けることを目的とした、
政治改革という形に結びつけるのです。
こうして完成したのが、帝政に移行するまでのローマの政体として有名な
ローマ独特の「共和制」であった。
                    まあ茶でも!~~旦_(。-_-。)
 「一級品の男たち」

「役に立つ」ことだけが歴史のとりえではありません。
ましてや、ローマの全史ときたら、素晴らしい男たちが次々と現れてくる波乱万丈の物語です。
 ドイツの歴史家モムンゼンをして
「ローマが産んだ唯一の創造的天才」と言わしめたユリウス・カエサル
もちろん筆頭ですが、カエサルだけがローマ史ではありません。
 ・ポエニ戦役の天才のハンニバルを破ったスキピオ・アフリカヌス。
 ・ポエニ戦役以後の「混迷の時代」の登場したスッラ。
 ・カエサル暗殺後、初代ローマ皇帝になるアウグストゥス。・・・
この他にもユニークな人物、型破りな人間、あるいは仕事はできないが、
愛すべき人間達が無数に登場する。歴史とは、やはり人間が作るもの。だから面白い。
                     - つづく    。.@(-ェ-)@ノ~~~バイ~

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2005年04月19日(火)
1477, 男はつらいよ

ある保険会社のアンケートによると、
・また生まれてきて再び
 同じ亭主と再婚したいと思っている女性が20?に対して、
 同じ女房と再婚したいと思っている男は75?
 (40?と60?の調査結果もあるが)
 女は更に、結婚は嫌だから一人で暮らしたいが5?もいる

・60代夫婦で、夫が妻を看取るのが15?、
 妻が夫を看取るのが85?。
 看取ったあとの男の余生は5年、
 逆に夫を看取った妻の余生は22年。
 
私の親戚を見ていると、この数字に納得がいく。
女は逞しいものであるし、夫につくづく愛想をつかしているのがわかる。
定年をむかえると妻は外に遊びに出て、夫が家にいて妻の管理をする
逆転現象がおこってしまうという。しかし、もう亡くなった姉から聞いた話。
コーラスの先生をしていて、コンセプトごとにグループ化をしていた。
その中に未亡人の会があったが、「やはり夫に死なれた女性は強がりを言っているが、
実際は片羽を失った鳥」という。しかし、妻に先立たれた夫の方が更に惨めであるが。

60歳過ぎると、甘いものでないことは事実のようだ。
夫婦がいがみ合っても、お互いが生きているうちが花。
女性の場合、横社会に生きている割合が多いので、すぐに群れることができる。
しかし男は、いまさら横社会といっても難しいようだ。
人生は甘いものではないのは老後も同じ。ライフワークをチャンと創っておかなくては!
かあちゃんの奴隷になってしまう。
最後は、老後も含めて生きてきてよかったといえる人生を終えることか。

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2004年04月19日(月)
1112, 「ライフ・レッスン」-4
ー人間関係のレッスン
ー感想文

人間関係ほど難しく、かつ人生勉強になるものはない。
それも対立している相手や、悩ましてくれる相手ほど自分の姿の合わせ鏡になる。
その軋轢の中に真の自己が表れてくる。また私たちが無意識の中に求めている
ロマンチックな関係の相手こそ、ありもしない自己逃避の空想の相手である。
そして勝手にイメージとして作りあげ、対象に求めていくから幻滅が生じる。
解りやすい例としては、成田離婚がある。
そのイメージこそ自分を不幸にする「バカの壁」になる。
しかし人間はイメージの中でしか生きられない側面もある。
「ブランド」は、その一番リアルなイメージ商品といってよい。
お互い自分自身というブランドをつくりあげ、そのイメージに縛られてしまう。
真実の自己に気づくのに一生かかってしまう。
人間関係のレッスンこそ、そのイメージを剥ぐ目的になる。

ー抜粋ー
・人間関係は人生のレッスンを学ぶ最高の機会をあたえてくれるものである。
自分はほんとうはどんな人間なのか、何を恐れているのか、自分の力はどこから生まれる
のだろうか、真の愛とはどんなものなのか、人間関係はそれを発見ための場である。
人間関係は多くの場合、なかなか上手くはいかない、時にはひどく辛い
経験だからだ。だからこそ、学び、成長し、愛し、愛されるための
最高の機会にすることができる。
・全体性や完全性は自己の内部から生まれるものでなければならない。
誰かとくべつの人を見つけることは、親密な人間関係にかかわる問題の
解決にはならない。独身で不幸な人は結婚しても不幸なのだ。
専門職につけない人は、とくべつな人をみつけても、パートナーのいる
専門職のない人しかなれない。
他の人にもとめることをやめて、自己を完成させることなかにある。
だれか愛する人をみつけようするのではなく、自分自身を愛されるに
値する人間につくりあげていくべきなのだ。
・あなたは、ただあなたであるというだけで、だれかとくべつな人なのだ
ということを、けっして忘れないでほしい。
仕事で成功していようがいまいが、完璧な相手と結婚していようと
独身であろうと、あなたはこの世界にとって、唯一無二の尊い贈り物なのだ。
あなたはすでに一個の全体であり、外から何かがやってくるのを待つ必要がないのである。
人生にロマンをもとめたいなら、あなたの人生そのものと恋におちればよいのだ。

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2003年04月19日(土)
745, 散る桜、残る桜も散る桜

 「散る桜、残る桜は散る桜」は人間の死を一言でいっている。
他人の死も、すぐに自分の死になる人生の無常を喩えている。
この季節の桜の花を見ていると、ものの哀れをつくづく感じる。
桜は生臭い死の臭いがする。人生の縮図を桜の花に感じるのは歳のせいか?
 今年の桜は[あたり年ではなかった?]が、例年並だった。
2~3日前が近所の桜の福島江の桜が満開だった。
「悠久山の桜」は今日あたりが満開だろう。悠久山の桜も絶品だ!
5~6年に一回はあたり年になるが、雪などの季節の要素が微妙に関係してくる。
 桜は毎年思うことだが、自分の生死を考えさせられる。
以前、桜の精の女に迷って死んでいく侍の映画をみた事を思い出した。
ゾクッとする日本的エロチックの内容であった。
 また7~8年前に近くの従兄が桜とともに自殺をした。
多くの写真を撮り残して。新潟は桜とともに春が来るという感覚である。

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2002年04月19日(金)
381,システム販売

「IBMが物流コストを一~二割カットできるシステムを提案、初年度の
カット部分の半額をシステム料として貰う。診断料は無料」という提案の
講習会に出てきたと、あるメーカの専務が言っていた。システム販売そのものである。
物流システムの販売をIBMが始めたのに時代の変化を感じた。IBMの世界から
集めたノウハウなら一~二割のコストカットはそう難しい問題でないだろう。
私もフランチャイズを2回経験してシステム力には納得している。
息子が去年宅建の試験を受ける為に日建学院に通った。
授業は衛星で送られてくる画面と聞いた。
「もし日建に通ってなかったら試験は受かってなかった」と本人が
言っていた。全国数百箇所の教室で、いっせいに聞くのだから合理的だ。
もし落ちても来年は、無料で通えるとか。なるほどと納得した。
これもそのシステムを売っているのだ。
イトーヨーカ堂もシステム70?商品30?という考え方を柱にしていた。
システムを主体に売っているということだ。
もの主体から、こと主体の時代の変化である。