悠久山の花見 ―②

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 昨日に引き続いて、今日も悠久山の花見! 昨日は、途中でSDカードの残量が
切れてしまったので、写真が中途半端だった。 満開の割に、人が殆どいなかった。
 今日明日が、丁度の見ごろになる。


・・・・・・
1841, 理解する技術ー情報の本質がわかる-2
2006年04月18日(火)               
             ー 読書日記
□第3章ー文章から情報を読み取る基本テクニック
   ・全体をぼーっとでも読んで、全体の構造を理解する。 
   ・聞き手(レポートだったら課題設定者)が聞きたい情報だけは、
    確実におさえる。
   ・固まりの分かれ目を見つけ、要約を書く。
    どんどん教科書に要約を書き込む。
   ・余計な部分の大リストラ
    ダブっているところ、いらないところをばっさばっさと。
   ・80対20の法則
    20%の重要なポイントが、全体80%程度の内容をカバーしている。
     →20%の部分だけ読む

  P62ー大量の文章に接したときには、
    最初は、ザッと見渡して全体の構造を理解するほうが結果的に、
    効率的な情報収集をすることができる。ザッと全体をナナメに読む。  
    それが、全体像を浮かび上がらせる方法と言える。

  P67ーテレビから流れてくる情報には目次がない。
    仕事上の書類にも、目次はついていないことがほとんどだ。
    目次が付加されていない情報に接したときには、
    自分の頭の中で目次をつくる作業が必要だ。  
    本の目次と同じように、まず大きな枠組みで分けて「章」をつくる。
    その次に、「章」の中に細かい「節」などをつくっていく。
    頭の中に目次をつくるような形で、大項目、中項目、小項目と分けて
   、情報を受信しておくと、情報発信の程度に応じて、
    ボリュームを調整したり、重みづけを変えたりして、
    臨機応変に対応することができる。

  P76ー文章を読むときには、著者に5W1Hで問いかけてみる習慣をつける。
    「何が言いたいの?」
    「どうしてそんなことが言えるの?」
    「いつ?いつから?何時に?」
    「誰の話?」
    「どう変わるの?手順は?」 
   5W1Hの問いかけをしながら文章を読んでいくと、
        情報の骨格をすばやくつかむことができる。

□第4章ー情報を手っ取り早くつかむテクニック

  P85ー多くの文章は、文章の最初か最後に結論が書いてあり、
    その部分にエッセンスが詰まっている可能性が高い。
    最初と最後を読んで、仮説を立てた上で、本文を読んでいくのも、
    効率的な情報収集の方法と言える。
  P106ー本文にザッと目を通して、何度も出てくるキーワードは、
    索引を使って、先にキーワードの意味を頭の中に入れておくことが必要だ。
    キーワードや基本用語の意味が分からない場合には、後回しにしないで、
    辞書を引いて個別用語の意味を理解することを最優先すべきです。
    キーワードの意味が分かれば、事前に仮説を立てやすくなる。  
・1回ざっと読んで、自分なりの仮説を立てる
・たとえ仮説が間違っていても、
 そこをチェックしておき後日そこだけを読む。
・図から先に見る
・図が多く入った入門書を選ぶ。
・具体例を中心に読んでいく。

□第5章ー図表をつくりながら読むテクニック
  P112-
  P128ー文章を読むとき、メモ用紙などに図解してみると、
    複雑な情報でも視覚的に整理できる。
    図解のパターンは、限られている。 
   ?対等関係  
   ?上下関係(メインーサブ、包含) 
   ?因果関係 
   ?対立関係   
    の基本パターンを組み合わせれば、
    どんな複雑な図でも描くことができる。
   
  ・頭の中では、情報ではなく、図表として保存されている
  ・図表が主役で、文章は脇役
  ・パターン化して対応表を作る              ー つづく
    
                ヾ(。・ω・)ノバイ!
・・・・・・・
2005年04月18日
(月) 1476, 24歳の日記

ここで22歳・23歳の日記に続いて、「24歳に日記」が始まる。数回だが。
あまり書きたくないのが本音であるが、自分を見つめ返すためには、目をそむけてはいけない
足跡である。途中から、日記をカード式に切り替えたが、そのカード式の日記帳は全て捨てた。
今から考えてみたら残しておけばよかった。残っている日記帳には十数日分は書いてあるが、
大まかにしか書いてない。まず、生活信条が書いてあった。真面目に書いたものである。
それが若さであろう。35年経っても、ほとんど変わってない自分がそこにいる。
それでは24歳の日記ー十数日分だが、開始である。直視したくないので、数回で終えるが。
中原中也の詩の中に、当時の私の気持ちがそのまま書いてあった。
当時、ある姉に勤めたら薄れ汚れてしまった感じといわれたが、
当時の悲しみが直に伝わってくるものだ。それと中原中也の心も。
それと当時の両親の温もりと愛情もそのまま自分の中に残っている。
人は愛情の中で生かされていることを実感する。全ての人に感謝をしなくては。
特に両親に対して。
昨夜、独身時代の自分の夢をみた。
 ーーー
1970年3月
ー私の生活信条
誠実であることー動機においても結果においても常に清潔であること
愛情を基本とすることー常に相手の意思・立場を理解をして、
それを持って自己の満足とする
毅然たる態度でー何があっても自分を見失わないで、自分の善に従うこと
善悪を明確にしておくこと
 ー他人(自分以外の人)に対して、自分と等しく愛するように勤める
 善悪の基準は他人に対して、いかに自分と同様に満足せしめるかにおく
 打算においても、同じ扱いをする
 動機において不純はさけることとする(最後に拠るべきは純粋な動機のみである)
人間関係ー常に相手側と同じ立場におく
 ただし、能力レベルが同等に対してであるが
不言実行(無言実行)ー
 有言不実行の矛盾に陥らないこと
 経験を振り返ると無言実行が一番実効があった
 言葉が先に立ったときは、自信のないときと自覚すること

自己投資をすること
 -人生とは、投資である。
 自分に対して、そして創造行為もである
 与えられた時間、物、金、チャンスを投資に向けること
克己ー 自立性と自主性を持って,他人志向的個人主義を目指す
   そのために己に打ち勝つこと


1970年3月21日
現在、自分を見直すために会社を辞めた。そして、現在は長岡の自宅にいる。
会社には丁度1年在社したことになるが、いざ辞めてみて解ったいたことだが、
動揺があまりにも大きい。今も夢の中にいるようだ。
辞表を出して、2~3週間大きな揺れがあった。
色いろのことがあったこともあるが、自分も人間だったのだ。
これからは決心をしてしまったからには、1年ジックリ勉強のやりなおしである。
コンピューター関連は、技能職でしかないので私には向いていない。
マーケッテングのほうも面白そうだ。義兄に西村さんに聞いてみようと思っているが。
それより、この一年間どうすれば一番効果のある時間を過ごせるか考えてみなくてはならない。
それより、この一年で一生の自己設計をつくるのがポイントになるだろう。
そのために如何するかを考えるべきである。
日記を考えると、即自と対自の会話である。
また自分自身である時間。
反省と焦りが交差するところである。

・・・・・・
2004年04月18日(日)
 1111, 「今時の若いものは!」
エジプトの遺跡にも「今時の若いものは・・・」と書いてあったという。
数年前から、数人の知人が会社の後輩に対して「今時の若いものは!」と、
批判的にいっている言葉が気になった。年寄り臭い嫌な響きがあった。
若い人にも個々それぞれある。
この言葉は自分の価値観が若い人の変化を受け入れられない心理から
出ている。「それにしても、今の若いものは!」という言葉が出てきそうだが。
一年前、アメリカがイラクへの侵攻から、若ものの間でイラクが究極の
旅行先としてのターゲットになっているという。
今回のイラクの人質騒ぎも、その類の範疇でしかない。
ボラティアの女性だけが救いであったはずが、??を吸いにいく丁度よい名目?で、
NPOを利用してだけ?という疑惑も浮かびでてきた。 18歳の坊やも、共産党一家の
パフォーマンスでしかなかったのか。といって、彼らには彼らの正義があったはずである。
インターネットの検索で調べたら、私が書いた文章より、内容の濃いものでてくるから
困ったものだ? しかし、このテーマを考えたらこそ、より深く見えてきたこともあるが。
・・・
  演題:「近頃の若者」   養老猛
この講演は平成10年6月に鎌倉芸術館小ホールにて行われました。
その時の講演の録音テープをおこして原稿を作成し、養老 孟司先生に御了解を得て、
このホームページに掲載しています。
「近頃の若者」という題をいただきましたが、私ももう相当な年になったのでこの題が
ちょうどいいのではないかと思われたのではないかと思います。「今時の若い者は…」
というのは一番古くは、エジプトのパピルスに書いてあるといいます。
ですから紀元前の頃から年寄りは若者のことを「近頃の若い者は…」
という習慣というか癖があったようです。
自己紹介いたしますと、私は1年だけをのぞき、小学校からずっと学校におりまして
卒業してからは教師になり、東京大学に57歳までおり、58歳からは北里大学におります。
ですから仕事では若い方とお付き会いするというのがほとんどでございました。
戦後50年を過ぎましたけれども、この半世紀で世の中が相当変わりました。
その間に若い方もずいぶん変わってきたというのは当然でございます。私が小学校に
入った時というのは戦争中でございまして、1年生の時が昭和19年でした。
ちょうど東京で空襲が始まった頃です。その頃病院に入院したことがありましたが、
ご存知のように病院の食事というのはひどいものですが、そのひどいのが戦争中でしたから
一層ひどいものでした。その時代、親は食べていくことで精一杯。
子供たちは青天井で、学校が終わると川へ行って魚を捕ったり、空き地で虫取りを
したりの生活でしたので、学校は大変ありがたいところでした。
私がまず最初に「近頃の若者」と違いを感じたのは、団塊の世代でした。団塊の世代の人たち
(昭和21年~25年生まれの人たちの事)は何でもみんなでやるという世代で、
戦後の典型的民主主義教育を受けて育った人達です。
私たちの世代は(私と同い年の人というと橋本龍太郎美空ひばり江利チエミ雪村いずみさん
などですが)自分は自分、人は人という個人主義的世代で、自分自身で決めればよいと考える私と、
団塊の世代の人達は合わなかったのです。
昭和42年に東大で助手になり昭和52年に教授になりましたが、その間大学紛争の後始末に
明け暮れたという感じでした。
次に非常に驚かされたのがオウムの世代であります。よく宇宙人と言いますが、ある日、
解剖の実習をしていましたら、ある学生が突然「先生、尊師が水の底に1時間いる
実験をするので、一緒に見に行って証人になってください。」と言います。
「何をやっているのか」と聞くと「ヨーガをやっている」と言い、良いことがあったか聞くと、
「食欲や性欲がなくなった。オウムでは空中浮遊等も日常的だ。」と言う。まったく愕然としました。
私の講義の中では「血液を5分間止めると人間の脳は回復不能である」と教えています。
彼らの頭の中はどうなっているのだろうか。現在起っている世の中の事と超常現象が頭の中で
同時並行に走っていて、現実の世界とそうでない世界の区別が無いのです。
私はこのように頭の中が何重にもなっていいる学生に、私が本音で教えると学生にどのような
影響を与えるのかとても理解できないし、また試験で口頭試問をしても本人が「本当は」
どう思ってるのかとうてい信用できないと思いました。
自分にはこのような学生を教えることはできないと思い、東大を辞めてしまいました。
今は、北里大学で教えていますが、医学部ではなく一般教養なので、学生にどう聞いて
もらっても良いし、学生にとって私はテレビの画面であって、学生が自分のことをやりながら
チラチラとこちら(テレビ)を見て、参考になれば聞き、つまらなければ友達と話をし、
丸々損にはならないというぐらいに思っています。そう思ってやっているとこちらも気が楽で、
「俺はテレビだからな。」と学生に断って教えております。それが今の学生であります。
最近になってオウムの世代の若者のことが少しずつわかってきました。その世代の若者は、
「知識は全て自分の外に蓄えるものである」という風になったのであります。
知というものはコンピュータや本や先生の頭の中に入っているものだ、マニュアルを見れば
なんでも出来ると思っている。CD―ROMというものがありますが、コンピューターの中に
蓄えられた知識を必要な時にとってくればいい。知は自分の都合で自分の外から取ってくるもの、
すべての知がそうなってしまったのです。子育てもそうなってしまったのではないでしょうか。
けれども子育ては「ああしても、こうならない」
ことだらけで、甘いものを食べさせなければできない「虫歯」でさえ、外でこっそり
甘いものを買って食べてしまえばダメです。今の世の中は「ああすれば、こうなる。」
で動いていますが、そういう風にやってもそのつもりがないのに不景気になるし、子どもも
こう育てたいと思っても、思い通りにはいかないのです。
私が東大出版会の理事長をしていた頃、「知の技法」という本が東大出版会始まって以来と
いうぐらい売れました。その時はなぜ売れているのか分かりませんでしたが、今は分かります
「知は技法になってしまった」のです。技法というのは、ノウハウということです。
知のノウハウということ、つまりマニュアルであります。
こうしたい時はどうしたらいいのかがマニュアルを見れば、理も非も無くわかるのです。
私が育ってきたときの「知」というのは、そうではなかった。
私たちの世代にとって「知識」とは、論語に「あしたに道を聞かば、夕べに死すとも可なり」
と書いてあることに表されるように、自分が変わるということは、それまでの自分が死ぬと
いうことなのです。そのことの繰り返しなのです。
「知る」ということはそれくらいガラッと自分が変わることなのです。
もっと具体的な説明をすれば、「癌の告知」というものがそれに近い面を持っています。
自分が癌であるかどうかを知るということは、それまでの自分が変わってしまうということを意味する。
今から50年位前の戦時中は二十歳前後の人でも死を覚悟していました。
いまでは、年寄りでも未来の事は考えているのに自分の死のことは考えていないと思います。
仏教で言う生老病死が家庭から消えてしまっています。現代においては9割の人が病院で生まれ、
病院で死を迎えます。人間の抱えている自然が隠れてしまい、非常に多くの人が自分が死ぬとは
思っていないのです。
日本では勉強することはマニュアルを頭に入れることだと思っています。
知るということが軽く扱われています。「知る」ということは恐ろしいことなのです。
技法でない知に吸い込まれてしまった一部の人がオウムであります。
近頃の若者は全てのものが頭の中で並列に並んでいます。

・・・・・・・・・
2003年04月18日(金)
744, まずは一日一図から -2 
 これを実行して10日が経つ。三日坊主と思っていたが、
今もしっかりと続いている。始めたら面白いのだ。
一番面倒で避けたい思考が面白いのだから、大変な習慣であり収穫である。
この歳で色いろのことが解り始めている、この鈍さも実感する。
ポイントは
・初めに漫画を中央に小さく書き込み、
・それに、漫画の「声の噴出し」を書いてしまう。
・そして漫画の上にテーマを書きこむ。
・「噴出し」に思いついたことを気楽に書き込んでいく。
 漫画の人形を書いたケースの場合、自分の分身と思ってしまう為か、
頭の中から色いろなことが浮かび上がってくる。
「半分遊び気分で問題の追及」を、結果としてしてしまう。
「左手を上に挙げ、右手を腰に当てている小さな人間の絵を中央に描いて、
左右に三づつ声の噴出しを書き込む」と、どういう訳か難しい問題でも、
気楽に考えられるのだ。
 読書法で10~100倍の速度が可能という本が多く出版されている。
私の場合、その方法を身につけて10倍以上の読書力になった。
それもこの1^2年である。
しかし、「一日一図」を始めてわずか10日で、10倍の思考力が増えた?ようだ。
その程度の頭脳でしかないのが、事実だ。以前から天才のノート法とかいう本を読んで、
色いろ工夫していたが「毎日一図の習慣と、漫画を中心に描いてから、埋める方法」がよい。
 随想日記を書き始めて、文章力と文章量はそれまでの十倍に増えた。
そうすると、「読書力と文章力と思考力」がこの数年で10倍になったことに
なるが、集中力がそれだけ増えた事は間違いない。
これらの方法は過去からいくらでも在ったのだから、今になってやっと気づいたに過ぎない。
この随想日記を続けてきたことが、こういうノウハウを身につかせているいるのだろう!

・・・・・・
2002年04月18日(木)
380, 姉正子さん

姉正子が亡くなって2ヶ月すこし経つ。
去年の6月に来て,3時間半なにを話したか?
大体がこんな内容であった。
・自分の生い立ちー声楽のコンクールで、
 中沢桂に高校時に負けたことが一生の分岐点であった
・高校しかいけなかったハンデキャップが一生ついてまわったこと
・倒産時に私に助けてもらったのが、地獄に仏であった
・今回自分はセンガンでないが、主治医がセンガンと書いてくれた為
 保険が全額降りた。
・いつもこの家に来ると、肩に重い何かが被さるが今回はないのが不思議だ
・両親の思い出、今までの思い出
・なにがあっても自分は生きぬくーEM 菌を飲んでいるので順調
・病気の状態ー入院の後先の話
彼女にとって、「もしかしたらこれが最後の実家帰り」
という気持ちがあったのだろう。
彼女にとってここは(自宅)やはり実家なのだ
この内容から私なりの彼女の心理分析をすると
・この長岡の街で、この世界を出ることができなかった一生であった。
・やはりやってはいけない事?をしてしまった無念、後悔。
・両親に対する恨みと、反面後悔。
・病気の恐怖に対しての自分の気持ちの説得ー自己詭弁
一昨年の手術の前日の20時過ぎか電話が鳴り、「実は自分は肺がんで明日手術。
最後の電話をやはり貴方に電話をしてしまった。これからお風呂に入って
身体を清め、手術に臨む。もしものことがあるかもしれない。いろいろ有難う。」
ー私「もし間違えてあの世に行ったら、両親によろしく。それとうまくやって。」
ー正子「仲良くするし、待ってるからね」 だいたいこんなものだった。
 
 面白い人でもあった。