閑話小題 ~自殺未遂の生現場にて

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    * 大手大橋の真中辺で…
 今朝方の6時過ぎの頃、長岡大手大橋をイオン方面からヒキチャリをして
歩いていると、若い女性が自転車で追い越していった。 その若い女性が、
橋の真中で、一度、自転車をおりて、歩いて20mのところまで行き、欄干に
腰を掛けて下を見ている。大胆なことをしているが、注意をする程でもない
ので、行過ごすと、後ろから誰かが駆け足でやってきて、『何をしているの?
危ないよ!」と話しかけたと同に腕を握った。そこで、一言二言を話すと、
女性の二の腕を両腕に握り返した。そこに、男の連れが追いつき…
「危ないよ!」と、反対の腕を掴み、欄干から強引に引きづり下した。

 10mほど先で、茫然と見ていたが、その時になって初めて自殺直前だった
ことに気づいた次第。若い女性を挟む形で、両側に寄添い、自転車の置いた
方に逆戻り。私の出る場面も無いので、そのまま、ヒキチャリをして帰って
きたが、やはり、自分も参加すべきだったか、自問自答して帰路についた。
瞬時に、私が声をかけるのが筋だったのでは?が、今でも続いている。
恐らく、警察に保護を要請したのだろうが、そう考えると、私も参加すべき
だったのでは。としても、その男性の語り方が優しく、丁寧で、適切だった!
 まさかね~目前で、自殺を決行する直前とは! それに比して、何とも
茫然として対応しえなかった自分の自問自答が、数日は続くのだろう!

 女性は、後姿しか見てなかったが、20歳前半から半ば、着ている服装は、
失礼ながら「貧困女子」風。頭への手入れはゼロ。 声は、小さな掠れ声。
家内が曰く… 「二人が居なかったら、助けることは出来なかったのでは?」
そう言う瞬時の判断は出来ている筈だったが、やはり、老いの成せるワザ!
 ところで、飛込んだら、50mの高さゆえに、助かることはない。
<「40m」が、水面での限界> という。このコロナ禍で、何があったのか?
 2人が駆けつけなかったら、飛込んでいた可能性が大! 偉そうな大言を
言っている割に、このあり様。 一生の後悔が残ったはず。
<事実は小説より奇なり>というが… 何がなん時に起るか!

・・・・・・

  ≪ ゴールデンブリッジからの身投げ ≫

先日、蔦屋で本を一冊買ったところ、レジの人がいうに、「今なら、シニアなら無料でDVDが借りられます」と。
そこで、借りてきたたのが、『ブリッジ』である。軽い気持ちで、身投げ自殺のドキュメントのタイトルに
ひかれ借りてきたが、初めから終わりまでシリアスで見入ってしまった。
 次次とサンフランシスコのゴールデン・ブリッジから身投げをしていくのが映し出され、遺族や友人が、
インタビューに答えている。 このところ、『大往生したけりゃ医療とかかわるな』や『どうせ死ぬなら
「がん」がいい』の読書録や、その下書きを書いているので、死にゆく者の心模様がシリアスに伝わってくる。
 橋の手前で、死のうか迷って考え込み、決断する悲痛な姿が痛ましく映し出されている。
そしてバンジージャンプのように飛び込んでいく。身近の人の証言では、ほぼウツ病で、それが高じ自殺に到る。
生きていることが辛く、死にたいのである。 反面、誰かに助けて欲しい気持ちが迷いを生み出す。
その中で、一人、助かった人がいた。背広がうまく風で落下スピードを和らげ、衝撃を小さくした上に、
水中でサメかイルカの背中のようなものが踏み台になり、押し上げられたという。
普通は40Mの落差の衝撃で亡くなるが、このブリッジは66M。 内容は暗く恐しいが、人間の心の闇が、
身投げを通して浮かび上がってくる。  
   ーウィキペディアによるとー
≪『ブリッジ』(原題:The Bridge)は、2006年に公開されたアメリカのドキュメンタリー映画
 社会の禁忌としている『自殺』をテーマにしている。観光の名所として知られるゴールデンブリッジに
1年間カメラを設置し、自殺者の様子をカメラに収めた。後に遺族にインタビューをし、そこから自殺を図る
人々の様子を映しだそうとしている。映画の中では24人が、橋から66Mの高さから海面に向かって飛び降りる。 
監督のエリック・スティールはこの映画を取る際、映画の宣伝効果で自殺者が増加しないように極秘に行った。 
また、橋の柵に足をかけたら管理局に通報することをルールとして定めていた。
 映画は主に橋とその周囲の日常を撮影した風景、自殺者の飛び降りるシーン、遺族や友人、目撃者への
インタビュー、遺書などから構成されている。 中でもインタビューの映像が多く、自殺者の情報は
インタビューの中の情報でしか語られない。自殺者の多くが精神的な病やトラブルを抱えていることが分かる。≫
▼ 2006年の時点で、この橋からの自殺者は年に24人もいるというから、全員撮ったことになる。
 次から次へとブリッジから飛び降りるが、躊躇しているうちに警官や近くの人に取り押さえられた人が数人いた。 
 生死の問題もあり、それぞれの人生が浮かび上がる。ゴールデンブリッジという名所が、ロマンチックな気持ち
 を駆り立て、志願者が国内から集まってくる。 県内なら新潟の万代橋か阿賀野川河口が海に流され、死体が
 上がりにくいとか。人知れず消えている人がいるのだろう?テーマがテーマだが、決して後味が悪くないのは、
 シリアスすぎて、実感がわかない為? 死ぬには死ぬ理由があるはず!

 

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6734,閑話小題 ~暇人の遊び…
2019年08月23日(金)
   * 庭からカラスを追払う…
 この時節に「カラス」の話題が多いのは、自宅周辺で若いカラスのテリトリー
争いで騒ぐため。 去年の8月22日に、カラスをテーマにした掲載文があった。
一昨年、百円ショップで、ハロウィンの売れ残りの「カボチャのボンボリ」を
玄関先に掲げたところ、暫く、姿を見せなくなったことは、ここで書いていた。
最近、玄関先の電柱の下に、大量のカラスのフン。その上に、2Fへの階段と、
玄関先に数ヶ所も。 …これまでは雨が流しさってくれるが、さてと掃除?と
迷っている内に、お盆が過ぎた先日、大雨が流しさってくれた。 これでは、
カラスの御不浄になってしまう。 そこで再び、古いハロウィンのカボチャの
ボンボリを玄関横に吊るしたところ、逆側の庭に来て騒ぎ出した。 そこで、
使い古しの靴下をペットボトルに被せて、カラスの死体に似せた人形をつくり、
エジプト土産の魔除けの7~8㎝の円形の目玉風のガラスを一緒に括りつけ、
ベランダに吊るして様子をみた。 それに加えて、黒いビニール袋を空缶に被せ、
紐を括りつけた首吊カラスに似せて、やはり庭側ベランダに吊るして二日、経過
するが、今のところ近寄ってこない。 まあ、暇人の遊び…
 ―
    * 本命の履正社が優勝
 飛びぬけていた優勝候補の『履正社』が優勝をした。 14時の開始時間、15時
過ぎにイソイソと車載のTVをみると、やはり… 「3対1」。 帰宅後、家内に、
『3対1なら、互角に近い試合になってるじゃないか!』と聞くと、『そうじゃ
ないの!一方的で見てはいられない試合なの。見ていれば分る!』と。
ところが、3対3と、同点に追いついた。しかし、その直後、直ぐに履正社が2点、
勝越し5対3に。『そうでしょ。力が全く違うのは私でも分かるわ』の、展開。
身体つき、顔つき、動作が全くの違いが、そのまま、画面に現われていた。
監督への勝利インタビューが、試合内容と同じで考え抜かれた内容。
『このチームは星稜の奥川投手に育てられたようなもの。奥川か、同レベルの
投手を打込めるレベルまで、負けて以来、練習に打ち込んできた!』と。
これでは、奥川も勝てはしない。 
 今度、大学の優勝チームと、対抗試合をしたみたら? 少なくとも東大は?

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6371,閑話小題 ~17年余で、3回目の失態
2018年08月23日(木)
   * アップする前に、全て消去
「何てこっちゃ~!」。 昨日の朝方のこと、アップする直前に、チョッと
した勘違いで、書上げた文章全てを消去してしまった。17年半で3回目になる。 
このテーマの内容は止めておいた方が良いというサインと、自分を納得させる
しかない。こうなりゃ、意地でも何か書上げてポタリングに出かけようとしたが、
やはり無理。で、違う書きかけのテーマに差替えて改めて今朝方、あらため読むと、
やはり大幅な修復が必要。やはり、注意されるべくして注意されたのである。
  
  ~カットした昨日のテーマ内容をそのままを、かいつまみ書くと~
≪「前日の朝、信濃川の土手でのトラブルの話。長岡大橋を渡った西側の土手で、
 後ろから大声で、「道の真中を走るんじゃない!」と、怒鳴られた。みると、
本格的チャリダ―。7~8mの土手で真中を走って何故悪いのか、数秒考えても
何故か分からない。ところが数百m先で、自転車を停めて、道端の金具を拾って
いたので、「何故、真中か悪いのか分からないので、その理由を教えて!」
と聞くと、激怒をして「この馬鹿野郎。何を言いやがる!」と。何々と、戦闘
態勢に入り、‘ベルトを抜いて殴りかかるイメージ!をもって睨むと、急に怖気
ついて、自転車を急発進して、走り去っていった。体格は大柄のアスリート風。 
 その後、同じ場所を自転車を走らせて「何故、真中を走っていたか」を考えた。
整備された土手の自由道路で、正面からウォーキング、犬の散歩、チャリダ―が
テンデンに行きかうため、中央から少し左側を走りながら、その都度、左右に
ハンドルを切って寄せる。何も怒鳴られる筋合いがない。明らかにチャリダ―
の優越行為。まさか、何か言い返されると思っていなかったようだ。
 生きていればこそ、怒ることが出来る。喜怒哀楽で怒りが一番のエネルギー源。
怒れ怒れ、もっと怒ればよい。そして、その分、喜び、哀しみ、楽しめばよい。
おさえる必要などない。≫

▼ 上記を改めて読み直すと、誰も居ないからこそ左側に沿って走るのが道理。
 直に思いついたのが、ジムで12人定員でステップ台とストレッチマシーン
を交互にやる「イージーライン」というエアロ。終わる直前、マシーン台を
拭くのが礼儀。しかし、面倒なので肩にかけたタオルをマシーンに被せる。
ところが人によって、汗を拭いたタオルでも嫌がる人が当然いる。後の女性に露骨に
嫌な顔をされた。で、当然、私も「怒りへの処置」をした。10年近く誰も
居ないことをよいことに道路を傍若無人に走っていた。スポーツジム、近所でも
誰とも目を合わさず、挨拶もしない態度。一番上のボタンから掛け違えている。
私も社会というより、まず「500m内の世間」に生きている。 今さら、
愛想も直せないし… 意識をして会釈でも始めますか。
 そう、誰も居ない時こそ、マナーの勉強ですか。
<人は人、我は我。されど仲良く>ですか、娑婆は! 
『偉そうに何を書いているかだ、この野郎!』 ったく!嫌な野郎だ。
 
 で、新しい試み、これをアップする前に、一度、ポタリングに出てから、
帰った後に、新鮮な気持ちで、これを読返し、更に校正する必要があるようだ。
ハイ出発!
 
 一時間後 …で、帰ってきました。日常の中の非日常を書くのが日記。
生きていればこそ。毎日の非日常の中に、日常に慣れてしまって気づかない
ことが隠されているということ。人それぞれが、歪な日常を過ごしているが、
三者には見えるが、当人だけが気づかない。それが娑婆といわれる由縁。 
 ということに気づきました。「そうだよな~、歪だよな!」

・・・・・・
3802, 哲学人 ー�
2011年08月23日(火)
   * 驚きを忘れた人々  (P/29より)
【 あらゆる意味とあらゆる目的がこの世界のなかにあリ、価値と道徳は人間に
よってつくられる、つまり、価値と道徳は社会的・歴史的に形成されるのである。
真実はミステリアスであるとの意見を『彼ら』は理解できず、それゆえ人間の
経験の意味するところは私たちの理解を超えているのかもしれなといった意見を、
まわりくどい戯れ言(その正体はやはり宗教的なもの)とみなした。
私にとってこの態度のどこがいちばんなじみにくく、理解しがたかったというと、
それは私たちが存在していることに、というより、なんらかのものが存在して
いることに驚異(あらゆるものが奇跡にほかならないということ)を感じる
感覚が欠けているという点である。 結局のところ、深く考えなくても、
子どもくらいの思考力さえあれば、私たちの経験のきわめて一般的かつ基本的な
特徴すら私たちは自分では気づいて当然なのに、私がいま述べているような人々は
その点を見抜けなかったらしい。ある種の常識的なものの見方がほぼ正しいという
ことを自明だととらえているようだが、私にとって自明だったのは
「常識は正しくない」ということだった。あっという間に不可解さと自己矛盾の
泥沼に嵌ってしまうからである。さらに正直に言うと、「『彼ら』は常識的な
世界観を否定することをばかげているとみなしたけれども、私からすれば、
それを容認することこそばかげていた。彼らの見解は、その基盤を顧みない
あいだしかもちこたえ代物だった。はなはだ浅薄であったばかりか、支えとなる
ものはなく、ぽっかりと宙に浮いていたのである。『彼ら』の見解の根本を
問いただしても、そうした疑問はことごとく退屈で的はずれなものとして
退けられた。世界や経験のさまざまな基本的特徴は、人間の推理力ではとうてい
理解できそうにないという事実に注意を向けようとすると、彼らはこの事実を
逆手にとって、問題を提起することを封じこめた。彼らの望みは、理解できる
事物の領域に自分の人生を閉じこめることだった。最初に挙げたクルーブと比べ
ると、わずかながら深遠で批判的でもあったが、結局、両者の態度には多くの
共通点があったのである。大人になるにつれて、世界にまつわる驚異の念にひたり、
世界が差し出す解決できそうにない問題(とくに、時間、空間、物体の知覚、
物体の本質などに関する問題)にのめりこんでいったおかげで、私はまわりの
人たちからやや孤立することになった。こうした問題を語りあえる相手が
見つからなかっただけではない。そんな問題をもち出せば変人扱いされかねない
ことを思い知らされたのである。人づきあいをしなかったわけではなく、
人生のほかの局面ではとても社交的な人間だった。昔から友人はいたし、
17歳になって恋愛もした。 パーティが大好きで、熱烈な音楽愛好家にして、
芝居通でもあった。それでも、経験のきわめて形而上学的な次元に心を奪われて
いることは、たとえ日々そうした問題に取リ岨んでいたとしても伏せておくべきだ
と知った。そんなふうに孤独感を覚えながらも、この問題に取り組んだのは、
なんといってもこの問題が圧倒的に重要であったからだ。私たちの本質や、
私たちが暮らしている世界の本質にとって根本的であるのに、こうした問題に
何故誰も魅了されないのか理解できなかった。頭の良い人なのに、何よりも
重大な問題に暗黙のうちに禁じられているには、何とも奇妙に思われた。 】
▼ ここで、マギーは「 私にとって自明だったのは、常識は正しくない
ということだった。あっという間に不可解さと自己矛盾の泥沼に嵌ってしまう
からである。さらに正直に言うと、彼らは常識的な世界観を否定することを
ばかげているとみなしたけれども、私からすれば、それを容認することこそ
ばかげていた。彼らの見解は、その基盤を顧みないあいだしかもちこたえ
代物だった。」と、述べている。常識は、殆ど正しくないことは、今さらだが、
あえて事を荒立てることもない。私も常識とやらは、ほぼ間違えていると、
この年齢で実感する。考えてみれば「あの人は常識人」ほど侮蔑の言葉はない。
大部分である常識人のいうことを、まともに聞いてきた人生、何だったのだろう。
 
・・・・・・・
3437, 64歳の現時点で、感じること! ー2
2010年08月23日(月)
 * あと5ヶ月で65歳になるが
 65年の人生を振り返ると、月並みだが長いような短いような感じだが、
決して長くはない。アッという間である。家庭に恵まれていたし、時代背景にも
恵まれていた。 満足度は70、いや80点である。明日の金が無くて呆然とした
ことも無かったし、人間関係で悩むことも比較的少なかった。また事業を四十年
近く、やれたことが良かった。また装置産業を選択したため、自由時間に恵まれた
のが良かった。好きな秘境ツアーも、私の環境=条件内では最大限に楽しむことが
できた。 好きな本も充分に読むことができた。 好きな箱物(ビル)造りも、
小規模だが増築を含めると8棟を立ち上げることができた。もっと事業を大きく
できたチャンスがあったが、恐慌になった現在、それが良かったかどうか。
 第二次世界大戦の終了から、米ソの対立、朝鮮戦争ベトナム戦争、中国の
文化革命、そして、ソ連と東欧の崩壊、日本の高度成長、バブルと、崩壊、
そして失われた20年という長期停滞。ニューヨークの9・11テロと、
アフガン・イラク戦争。そして、極めつけがアメリカ発の大恐慌である。
それが今後、10~20年と色いろなカタチで、20世紀的なものや、文化の
破壊がすすむ。65年の人生で、半分以上は成長期の時代を味わってきた。
特に20代、30歳代は、高度成長期にあたっていた。もう日本が、これだけの
右上がりに成長を謳歌する時代は二度とこない。そうこう考えると本当に良い
時代背景だった。情報化社会の到来で、劇的変化を始めた時代の入口を生きている。
その変化は想像を遥かに超えている。毎日が驚きと、感動と、おののきの日々。
それにしても知らないことが多すぎる。

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6004,幸せの確率   -3
2017年08月23日(水)
         ー幸せの確率 あなたにもできる!  
              アーリーリタイアのすすめ ―内山直 (著)
   * 高い貯蓄率、ただその一言につきる
 『アーリーリタイアにとって必要なのは、高い貯蓄率、ただその一言につきる』
早期のリタイアだけでなく、誰にとっても、幸せの確率を高めるには、貯蓄率が
高いほど良いはず。ここで、著者は、トマ・ピケティ著『21世紀の資本』を引き
合いに出して、「富める者はますます富み、そうでない人たちとの格差が開いて
いく一方であろう」というのを‘r>g’という不等式で表している。夢も希望
もなく、恐ろしい限りである。 私が何とか、会社清算を軟着陸で終えることが
出来たのは、家内への給与と、厚生年金積立てがあればこそ。40年近くになれば、
チリも積もれば小さな山になる。それは両親の方針で、中小企業の知恵でもある。
 (Amazonの内容紹介)
≪  r>g
「資本収益率が産出と所得の成長率を上回るとき、資本主義は自動的に、
 恣意的で持続不可能な格差を生み出す」
 格差は長期的にはどのように変化してきたのか? 資本の蓄積と分配は何に
よって決定づけられているのか? 所得格差と経済成長は今後どうなるのか?
18世紀にまでさかのぼる詳細なデータと、明晰な理論によって、これらの
重要問題を解き明かす。格差をめぐる議論に大変革をもたらしつつある、
世界的ベストセラー。
 ~本文より~
・「本書の答えは、これまでの研究者が使えたものよりもはるかに広範な、
 長期的で比較可能なデータに基づいた答えとなっている…格差の根底にある
仕組みについて、もっと深い理解を与えてくれるような、新しい理論的な枠組
に基づいたものでもある」
・「1970年代以来、所得格差は富裕国で大幅に増大した。特にこれは米国に
 顕著だった。米国では、2000年代における所得の集中は、1910年代の水準に
戻ってしまった――それどころか、少し上回るほどになっている」
・ 「私の理論における格差拡大の主要な力は、市場の不完全性とは何
ら関係ない…その正反対だ。資本市場が完全になればなるほど、資本収益率
「r」が経済成長率「g」を上回る可能性も高まる」
・「格差の問題を経済分析の核心に戻して、19世紀に提起された問題を考え
 始める時期はとうに来ているのだ」
・「あらゆる市民たちは、お金やその計測、それを取り巻く事実とその歴史に、
 真剣な興味を抱くべきだと思える…数字との取り組みを拒絶したところで、
 それが最も恵まれない人の利益にかなうことなど、まずあり得ないのだ」 ≫

▼ 「恒産あって、恒心あり」である。ピケティのいう、今後、世界の成長率
 が1~2%しか望めないなら、「若いうちから意識的に蓄財をして、さっさと
‘r’の側になってしまえば、後半の人生を幸せに過ごすことが可能になる。
「第二の人生など、さほと大切?」「25%近くの預金も惨め」「若いうちに、
楽しめるだけ楽しんでおかないと…」 という常識的な考えもあるが、人生を
全体を、二分する考えも必要では。仏教的な考えでは、「八正道」の道があって
欲望をコントロールする。 しかし、欧米的考え方には、幸せの状態、
「プラス3~6に、マイナス1」にすべくプラスを追及する。問題は人生観。
著者は、医者になり、独立をして成功。創業利益も背景にある。~つづく

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5639,女はギャップ  ~①
2016年08月23日(火)
           <「女はギャップ」名越康文 (著)>
   * 男の鎧とは
 図書館の返却コーナーで見つけた本。 著者のいう「男って愚かで臆病で
どうしようもなく勝手な生き物」、は本当。 一生、抱え込む可能性があれば、
臆病にもなって当然。 人によるが、8割は、そうだろう。 男女に関わらず、
不特定多数の男性に軽く声をかけた結果が、好かれ、モテるってこと。
 「まえがき」にある、<多くの女性がこう嘆きます。
「女から見るとブサイクなアフォ女がモテたり超美人なのに彼氏がいない人
がいる。なぜ?」の疑問に、男は女を「顔がキレイだから」「洋服のセンスが
よいから」「お金をもっているから」「セックスしたいから」好きになるわけ
ではない。声をかけられた相手にしか、反応できないため。
男は「臆病と気遣い」を、鎧に生きてます。この鎧をはがしてくれる女性たち
がモテルわけ。独身時代の女の職場で知ったことは、自信があるのだろう、
美人系の2割が、何事にも積極的で、青春を謳歌していたようだ。
 (内容紹介)
「彼氏のいない性格もよい美人」と「アホでもモテるブサイク」。
この差はどうして生まれるのか? それは男の臆病と気遣いの鎧を上手にはがす
「女のギャップ」に答えがあった。人に愛されるためには、美貌もマナーも媚も
必要ありません。心が楽になる恋愛のカタチを、精神科医がレクチャーする。
▼ この本の冒頭で、図表で、男女別の250人に対するアンケートをある。
・男性250人に、あなたは「臆病な男」ですか?に対し、65%が「はい」と答え。
・女性250人に「臆病は男」が、嫌いですか? に、64%が「はい」と答える。
臆病には、男からすると慎重が含まれ、女性からすれば「私を守ってくれない」
が含まれる。このミスマッチを早々、理解した女性に多くの福がくる。
「男の鎧の脱がし方」が、実際のテーマである。そのためは、笑い、質素に、
気楽に、カジュアルであること。 要するにコンビニ、ファーストフードの
店員のマニュアルどおりであれば良いことになる。 手軽で気楽に、清潔感が
あって、安価で、笑顔で・・ 大衆食堂よりは、若い男には遥かに良いはず。